1. “声”が聞こえたから ~ part 2 ~
時は戻って、うっすらと霧の漂うリンガの聖地の中。
正座したまま、終始うつむいたまま。
地べたに座り込んでいるフェイト以外の、みんなの視線も一身に受けつつ。
エクスペルに迷い込んだ時の事をあらかた話し終えたレナスは、真正面で不機嫌そうに腕を組み自分を見下ろすメルティーナの声に合わせて、一段と深くうつむいた。
「……よーするに、こういう事? 誘われるまま“声”の主追いかけてった先が、いつの間にやら遠い遠いお空の上で」
横からアリュ―ゼも口を開いた。
こちらは呆れている様子だ。
「気づいたお前は急いで肉体の物質化を解除しようとした。が、何故か出来ずに落ちて」
さらに二人はよってたかって今しがた聞かされた話を、レナス本人に向けて繰り返し確認するように言う。
レナスはさらにさらに深くうつむいた。
「目が覚めたらそこは、あんたの記憶にもない、よく分からない世界で」
「エルフだか人間だかよく分からん奴が目の前にいて」
「ここは別の世界だわ! 私ったらまったく別の世界に来ちゃったのね、感激! あいかわらず「力」も使えないけどここは別の世界だから不思議でもなんでもないわね! って──」
ついに手で顔隠した。
が悲しいかな、いまいち隠しきれていない。
(横の方隠せてないですし。後耳も真っ赤ですよ、レナスさん)
ついでに言うと、その隠しきれてない顔の部分から“例の文字”もちらちらと光を発していたりするわけで。
そんな中、“例の文字”を書いた張本人のメルティーナがため息をつき、
「あんた、ほんっとに……」
と息を溜めに溜めてから、レナスに向かって勢いよく言い放ったのだった。
「──バッカじゃないの!?」
「いやだから『バカ』って書いてあんじゃねえか」
「ク、クリフさん! だめですよ、そんな事言っちゃ……」
「えー。だって本当に『バカ』って」
「フェイトも! 茶化さないの!」
そりゃ目の前でこんなやり取りされちゃった日にはもう、黙って聞いていた側のフェイト達が言う事はひとつであろう。
だって本当に『バカ』って書いてあるんだもん。「バカ」って言われたレナスさんの顔に。
「レナスさん達は今大事な話してるんだから!」
と真面目に叱るレナに、フェイトもクリフもぶーたれ気味に開き直ってみせる。
「そうは言うけどさ。いきなりあの話聞いて茶化し以外でどんな反応しろと」
「意味分からんし」
「分からなくてもいいの! 人の話をちゃんと聞くのは当然のマナーでしょ!」
叱り方から察するに、レナもさっきからの話についていけてない事は間違いない。
そりゃヴァルハラいた時に“声”が聞こえたから気になっただの、水鏡くぐってみたらそのまま帰れなくなっちゃっただの、こっちが初めて聞く単語をさも常識のように使いまくって過去話されたらそうなるだろう。
倒したはずの十賢者がいつの間にか生き返ってる事について、何か心当たりがあるっぽいから彼女に聞いたのに、ちゃんと質問に答えたの「創造神よ」だけじゃん。
肝心の説明置き去りにして、なぜ彼女はあまりにも自然な流れでそのまま過去話に突入なさってしまったのか。レナには茶化すなと怒られたけど、むしろ「説明する気ないですよね?」ってつっこみたくなる気持ちを抑えて話が一区切りついたっぽいところまで黙って聞いてた事の方を褒めてほしいとすら、フェイト的には思うわけで。
まあ結局のところ、今の彼女の話はフェイト達に向けた説明じゃなく、彼女の知り合い二人に向けた状況説明という事なのだろう。すっかり置いてけぼりなフェイト達をよそに、向こうの面々はなお意味不明な会話を続けているわけだし。
「じゃあなに? マジで使えないの? 物質化とか、配列変換とか……、とにかくいろいろあんでしょ、いろいろ」
「前に試してはみたけど、どれも……」
「精神集中もか?」
「こちらに来てからは、それも……。あの時聞こえてきた“声”が最後よ」
「全滅か」
「マジで何もできないって。どうすんのよこれから」
「どうしよう……」
「ほんっとに、何やってんのよあんたは……」
とりあえず向こうの会話が落ち着くまで、こちらの質問には答えてくれそうもなさそうだ。仕方ないのでレナスを見つつ、
(“そうぞうしん”ってあの“神”だよな。しめすへんに申すって書く……)
と先ほどの言葉の意味をフェイトが考え始めたところ、クリフが声をひそめて聞いてきた。
「なあ。あいつ、自分はFDの人間じゃないとか言ってなかったか?」
そういやそんな事を言っていた気がする。
最初に会った時に。マリアに聞かれて、「違う」って否定してた。
何にも知らないって。宇宙の意味すら分からないって。
それなのに、さっきは「創造神よ」って。
「どういう事だよ、それって」
フェイトの口調には、レナスに対する不信感が強く込められている。事と次第によっては、自分達は今の今までずっとレナスに欺かれていた事になるのだ。
急に不機嫌になったフェイトを見て、レナが心配そうに聞いた。
「どうしたのフェイト?」
「いや、なんでもないよ」
「ま、ここでうだうだ考えるよりゃ、本人に納得のいく説明をさせた方がいいわな。言ってる意味は分からんが──あの様子からすると、とりあえずなんかやらかした事だけは確かみてえだし」
そんなわけでフェイト達はクリフが言った通り、向こうの話(というか説教)が一区切りつくのを待っている状況なのだが。
これがなかなか、会話が一向に途切れそうにない。
「はあー。ったく……あんたは絶対、いつかこーいう事をやらかすと思ってたけど」
「まさかこんなに早くその“いつか”が来るとはな」
「本当にごめんなさい……」
途切れたかと思ったが残念、まだ途切れない。
「しかもなに? そんなわっかりやすい罠にまんまと引っ掛かっておきながら、今の今まで気づいてなかったって。……バカなのあんた? ていうか、バカでしょ?」
「邪悪な気配はしなかったから……。まさか、あれが罠だったなんて」
「これみよがしに罠ですよーなんていう分かりやすい罠がどこにあんのよ! いかにもな雰囲気出しておびき寄せるに決まってんでしょうが! あんたみたいな大バカ相手ならなおさらね!……」
いい加減じれったくなって無理やりにでも会話に割り込もうとした、その時だった。
「──!」
(なんだ? 様子が……)
座って見ていたフェイトはすぐその異変に気がついた。
正座中のレナスが顔の文字とはまるで不釣り合いに、急に緊張感に満ちた表情になったのだ。
「なんでもかんでも不用心に飛び出すなっていっつも言ってんのに、人の話聞きもしないで……」
「……」
「あの変態一人警戒しときゃ安全だとでも思ってたの? ねえ、あんたの事狙ってる奴なんてそれこそ山のようにいるのよ? この間だって……あーもう、一体これのどこが“成長する神”なんだか……」
何か考え事でもしているのだろうか。すぐ目の前にいるメルティーナの小言も今のレナスの耳には入っていないように見える。
それくらい彼女は一心に、何かを考え続けているのだ。
(考え事、か? ……いや、どっちかと言うと)
彼女は何かを気にしているのかもしれない。そうと思えばあの様子は確かに、聞き耳を立てている風にも見える。
自分には分からないが、魔物の気配でも感じたのだろうか?
すぐ近くに、あんなにうるさく喋り続けている人がいるというのに──
「って、ああー!? あんたまた……!」
「……おい。“声”は今聞こえないんじゃなかったのかよ」
メルティーナとアリューゼも、レナスの異変に気がついたらしいが。驚き呆れたように口々に言っている二人の事も、やはり今のレナスの意識にはないようだ。
急にはっと後ろを振り返り、
「ここから近い? それなら、まだ──!」
独り言を呟くやいなや、レナスは脇の地面に置いてある剣をとった。
「ま、待ちなさいよ! 今言ったばっかでしょうが、なんでもかんでも不用心に──」
メルティーナに向かってレナスは
「すまない、話は後だ」
とだけ言うと。
「あっ、こら!」
実力行使で捕まえようとしたメルティーナの手をさらりとかわして立ち上がり、そのまま振り返りもせず走り去っていく。
後には、彼女が立ち上がった時に膝から滑り落ちた、ぼろぼろの首のない人形だけが残された。
「こらあぁぁっ! 『バカ』消さないわよ、バカ! とっとと戻ってきなさいバカ! ……ちっ。まるで聞いちゃいないわね、あのバカ」
「え、え? なに? どうしちゃったのレナスさん?」
「マジで意味が分からん。てか足はええな、あいつ」
「ああ、すごいなレナスさんは。さっきまでずっと正座してたのに」
さっきから会話に置いてかれているせいでいまいち緊張感が足りていないフェイト達をよそに、メルティーナが手早く地面から人形を拾い上げて言う。
「追いかけるわよアリューゼ!」
「ああ」
レナスに次いで、レナスの知り合い二人もその場から走り去さったところで、ようやくクリフが慌てた様子で言った。
「やべえ、このままじゃ見失っちまう。俺らも追いかけんぞ!」
そう言った後で、クリフは地べたに座りっぱなしのフェイトを見、
「早く乗れフェイト!」
と焦れったそうに自分の背中を指して言ったのだった。
☆☆☆
隣のレナが、走りながら不安そうに口を開いた。
「霧が濃くなってきたわね……」
この霧のせいなのか、それともそれほど距離を引き離されたという事なのか。レナスの姿はもうだいぶ前から、完全にフェイト達から見えなくなってしまっていた。
今はレナスの後を追いかけているアリュ―ゼとメルティーナを、フェイト達がさらに後から追っている格好になっている。それも、霧の向こうでかすかに動く影を目印にして何とか追いつけている、といった状況だ。
これ以上距離が開くか、もしくはこれ以上霧が濃くなってしまったらまずい。
焦りを感じたフェイトは、自分のすぐ横にあるどでかい道具袋を手でのけてクリフに言ったが。
「急げクリフ! ここであの人達を見失ったら──」
「おいうるせーぞ、でけえ荷物。俺はこれでも十分急いでんだよ」
「下ろせクリフ。自分で走る」
今一番言われたくなかった事を剛速球で投げ返されたらそう言い返しちゃうだろう。売り言葉に買い言葉ってやつである。
お前なんかに背負われなくったってちゃんと走れる。レナスさん達に追いつけなかったら困るから、仕方なく背負われてるだけだ。
微妙に筋の通らない自分への言い訳で屈辱感をごまかすフェイトに、息を切らして走り続けるクリフの方も大人げなく言い返しちゃったりなんかして。
「はあーん? 一人の女にまるでいいようにボコボコにされて、へろへろ状態な奴が走る、ねえ……。さっきは普通に立ってんのも疲れるみてえな様子だったが、あれは俺の目の錯覚か?」
「お前だって何だよそのへろへろな走りは。レナの方がお前の足に合わせて遅く走ってるじゃないか。情けないよな、肉体だけが自慢のクラウストロ様が、女の子に気を使われながらひいこら走ってんだもんな!」
「……うるせえな。こちとら本日二度目の全力疾走だっつうの。しかもなんだ? 二度目は、こんなでっけえ荷物抱えてよ……」
結局そんなしょうもない言い争いをしているところで、
「あの……わたし、もう少し荷物持ちます」
と食糧袋やら竪琴やらを持ったレナに申し訳なさそうに言われ、お互い暗黙の内に休戦となったのだった。
「え、気にしなくていいよレナは。今だって十分重い荷物持ってもらってるし」
「一番でけえ荷物はこいつだしな」
おとなしくレナス達の後を追いかけるフェイト達。
と、前方にまた一つ、魔物らしき影が横たわっているのを発見した。
「魔物も増えてきたな」
みんな特に構う様子もなく前に向かって走り続け、近くまで寄り。
クリフが億劫そうに足元近くにある魔物の死体を避け、そしてそのまま何事もなかったように移動を続ける。
「まあどいつもこいつも、すでに全部倒されてるようだが」
フェイト達がレナス達の後を追いかけていくにつれ。だんだん霧が濃くなり、さらにはだんだんと魔物の死体にも出くわすようになってきていた。中にはまだ微かに動いている奴もいる。
今のこの状況からすると、この魔物達はフェイト達の前を行く彼女達によって倒されたらしい。
いちいち立ち止まって確認などしていられないから詳しくは分からないが、少なくともフェイト達を襲う元気のある奴は今のところ一匹もいない。重い荷物を抱えたクリフが彼らの後をなんとか見失わずについていけているのも、きっと彼女達の“露払い”のおかげなのだろう。
走りながらレナが言う。
「あれ、倒してるのも……全部レナスさんなのかな」
「どうだろうな。何か焦げ臭いのもいたし、全部ってわけじゃないと思うけど」
いくら彼女がアホみたいに強かろうと、さすがにただの剣じゃ魔物は燃せないと思う。いやもしかしたら彼女なら、すさまじい摩擦熱が起こるほどの速さで魔物を斬りつけて燃やす、みたいな事ができるのかもしれないけど。
(……。いや、いくらなんでもさすがに。とんでもすぎるだろ)
心の中で自分の想像につっこんでいると。
またフェイト達の前方が一瞬明るくなり、それと同時に何かが爆発したような音が聞こえてきた。
さっきから時折、このような光と音がフェイト達の元へ届いてきているのだ。
(あのメルティーナとかいう人は紋章術師っぽかったし、たぶん焦げ臭い奴はあの人が倒してるんだろうな)
とフェイトはごく自然な結論を導き出した後で、ふとそれとは別な可能性を思いついた。
(それともレナスさん、実は紋章術も使えるとか? もしくは紋章剣とか……)
あんなに戦えるのに堂々とサボってたくらいだし、使えるけど使ってなかっただけとかも十分にありえる。さっきも私の「力」がどうとか言っていたし。
フェイトがぼんやりと考える中。
フェイトとフェイトを背負っているクリフとレナの三人は、今度は二、三体と寄り集まっている魔物達の死体脇を通り抜けていく。
(これである程度なら戦えるって。レナスさん、とりあえず謙遜すればいいってもんじゃないでしょう……?)
魔物達を横目で見ているうち、ひと月前のレナスの発言と今現在の状況とのギャップに思わず乾いた笑いが出そうになった。
気をそらそうと思ったフェイトは、レナに話しかけたが。
「あの人達、一体何者なんだろうな」
「え……?」
ふいに話しかけられたレナは少し驚いたような反応を見せた。こっちはこっちで何か考え事をしていたらしい。
「あの人達、って?」
困ったように聞き返すレナに、僕の言い方も曖昧だったなと軽く反省して、さっき言おうとした事を詳しく言い直す。
「レナスさんの知り合いだよ。あの人達は魔物を倒しながらレナスさんを追いかけているっていうのに、僕らは全然追いつけてないだろ?」
「……そうね。今にも見失ってしまいそう」
もちろんこっちの足がやたら遅いという事もあるけど、それにしたって普通なら、そろそろあの二人になら追いつけてもいい頃合いだ。
ただ後を追いかけているフェイト達と違って、恐らくあの二人は現れた魔物に足止めをくらいつつレナスを追いかけているのだろうから。
それでも一向に追いつけないとなると──
「少なくともそこらの素人に毛が生えたレベルの奴らじゃねえ、って事だけは確かだな。あいつも含めて」
とクリフもフェイトの考えている事と同じ事を言う。
レナも難しい顔で同意した。
「そう、ですよね」
さらに濃くなる霧。
一向に見えないレナスの姿。
ほぼ見えなくなりかけているアリュ―ゼとメルティーナの姿。
走りながら、クリフは背中の大きな荷物達の位置をよっこらせと直し、勘弁してくれと言いたげにぼやく。
「しかし……俺達ゃどこまであいつを追いかけりゃいいのかね」
と、レナが霧の向こうを見て言った。
「この霧の感じ……。たぶんレナスさんは、奥地に向かって進んでいるんだと思うわ」
☆★☆
「だあーっもう、邪魔ねこいつら! あいつに追いつけないじゃないのよ!」
メルティーナは腹立ち紛れに叫ぶと、一度足を止め、杖を構えて詠唱を始めた。
この場の状況に合わせて出来うる限り簡略化、最速化された術式を用いて、彼女は目の前に立ちはだかる魔物の身体を、一瞬にして爆炎で焦がす。
魔物が倒れるより先に、メルティーナは再び走り出す。
もう一匹、後方にいた魔物を大剣でぶった斬ってきたアリュ―ゼがすぐに追いついて、彼女の横に並んだ。
「すっかり見失っちまったな」
「いいわ! どうせ一本道っぽいし! 道塞ぐこいつら倒してとにかくまっすぐ走ってりゃなんとかなるでしょ!」
メルティーナがヤケクソ気味にアリュ―ゼに言い返していると。
またまた道の先に、数匹の魔物がいた。
その内の二匹ほどはすでに息絶えて地面に転がっているが。
まだ生きているどの魔物も皆、一様にいきり立っている。
アリュ―ゼとメルティーナが近づいてくるのに気づくと、一斉についさっきつけられたばかりの傷口から血を噴き出しながら、二人に襲いかかってきた。
またまた魔物に邪魔されたアリュ―ゼとメルティーナはうんざりした様子で足を止め、そしてまたまたそれぞれの武器を構えたのだった。
「さっきからもう……倒し損ねてんのよ、わりと!」
「一秒すら惜しいってか。あいつ、俺達に後始末を押しつけやがったな」
☆★☆
心の奥でかすかに響き続ける“声”から伝わるのは、失った事を嘆くのではなく、失う事をひどく怖れ厭う感情。
ひと月前に聞いたあの“声”とは違って、この“声”の主はまだ生きている。
誰にともなく助けを求める“声”には、そうレナスに確信を抱かせるのに十分な希求性があった。
──誰か……こんなところで……を……。嫌……助けて……
深い霧の中。
両側から崖が迫る、狭く長い一本道の中を。聞こえてくる“声”の導くまま、レナスはひたすら前へ向かって走り続ける。
走る内にまた、行く先を塞いでいる魔物達に遭遇した。
(大丈夫。今ならまだ、間に合う)
レナスは少しも速度を緩める事なく、全速力で魔物に向かっていく。
最初の一匹の腹をばっさりと斬り。
二匹目からの下段攻撃を上に飛んで避け。左手に持っている、半分しかない鞘で無防備な目を殴りつける。
怯んだ魔物を無視して、そのすぐ横を走り抜け。
少し離れた三匹目も無視。
三匹目と、そのすぐ後ろに隠れていた四匹目が同時に、手に持ったこん棒をレナス目がけて大きく振りかぶる。
レナスは身を低くすると、すれ違いざまに四匹目の足を深く斬りつけた。
足の腱を切られてバランスを崩した四匹目は、不幸にも三匹目の魔物と同士討ちする結果になったが──
その結末を引き起こしたレナスは、すでにその場から走り去っていた。
霧を割って走るレナスは前しか見ていない。必要最小限、倒し損ねた魔物共から追撃を受けぬよう注意を払っているだけだ。
レナスの意識は、“声”に向けられている。
ひと月ぶりにレナスの元へと届いた“声”は、いつも以上に聞き取りづらいものだったのだ。初めの内はそれが“声”だと気づかなかったくらいだ。
よくよく心を傾けていないと、自らの心にかき消されてしまう。
聞こえてくる“声”が小さいのか、それともこちらの聞く「力」が弱まってしまったのか。今置かれている状況を考えれば、恐らく理由は後者だろう。まだこの「力」が自分に残されていた事の方が意外と言うべき事なのだ。
この“声”が聞こえてくるまでは、この「力」も他の「力」と同様に、なくなってしまったとばかり思っていたのだから。
一度も足を止める事なく、遭遇する魔物達にも気をとられる事なく、レナスは走り続ける。
だいぶ近くまで来ているらしい事は分かるのだが、人の姿らしき影はまだ見えて来ない。
──嫌。誰か……
進む内に狭い一本道を形成していた両側の崖が消え、広い空間へと変わった。
深い霧。そして様々な方角から時折、魔物達の咆哮が聞こえてくる。
早く、“声”の主の居場所へ辿り着かなければ。
“声”はまだ続いている。
今ならまだ間に合うのに。
──……死ぬなんて……
(大丈夫。もう少し、もう少しで着くから)
間に合わない事なんてあるはずがない。心の奥で響く“声”に呼びかけるように、レナスが自分の心に強く言い聞かせた時だった。
──……あ……
それまで助けを求め続けていた“声”が、突然聞こえなくなったのだ。
まさか自分は間に合わなかったのだろうか。最悪の事態を考え一瞬動揺したレナスだったが、すぐに(これは私の心が乱れたせいだ)と考え直す。
大丈夫、“声”の主に何かが起きたわけじゃない。
悲しみの“声”も怨嗟の“声”も聞こえてこない。いきなり何も聞こえなくなっただけだ。
落ち着け。
精神を集中させろ。余計な事は考えるな。
“声”を聞きとらなければ、“声”の主の居場所が分からなくなってしまう。
レナスが自分に言い聞かせていた時。深い霧の中で、また影が動くのが見えた。
大きい影。複数。四つか。
瞬時にして、これも人ではないと判断する。
(……こんな時に)
歯噛みしつつ前に進み。
相手が構え終わるより早く、一番近くにいた魔物を斬り捨てる。
二匹目からきた攻撃をかわす。
霧の奥で、また影がいくつか動いた。
(もう少しで着くのに)
“声”は聞こえない。
二匹目の腕を斬り飛ばして前に進む。
先ほどまでは、この方角から聞こえていたはずなのだ。
前に進むしかない。
しかし、霧のどの方角を見ても。
動いている影は、すべて魔物の──
「あれは──」
レナスの視線の先、霧の向こうで、動いている一つの影。
他の影より、二回りほども小さい。
その影は他の大きな影の間から、しきりに現れたり消えたりしている。
聞こえた。かすかに、しかしはっきりと。
「力」がなくても聞く事のできる声、人間の女性の慌てたような声が。
「──そこか!」
レナスは叫ぶと、自分の行く先を阻むように立ち塞がっている二匹を次々と斬りつけた。
怯んだ魔物達の間をすり抜けて、まっすぐに目的の人物に向かって走る。
「今行く! もう少しだ!」
声をあげたが、返事はない。
助けが来た事に気づいていないのだ。霧に紛れているせいで、レナスと他の魔物達との区別がつかないのだろう。
近づくにつれ、おぼろげな影が、一人の女性と二匹の魔物達の姿に変わっていく。
女性は、その二匹の魔物に追いかけまわされていた。
なにやら喚きながらこん棒を振り回す魔物。女性はその執拗な攻撃から辛くも身をかわしながら、魔物に向かって話し続けている。
「ちょ、ちょっとタンマ……待ってよ、一体私が何したって……」
だいぶ体力を消耗しているようだ。
一刻も早く助けなければ。これ以上長くはもちそうにない。
女性との距離は後、十数歩。
その十数歩さえ持ちこたえてくれれば。
「ここ一体どこなのよお……なんでこんなバケモンが……」
と、レナスは急に背後から気配を感じた。
振り向くと、こん棒が自分を目がけて飛んできている。さきほど無視した魔物の内、一匹の腕が、武器を投げた直後の状態で伸びきっていた。
足止めが不十分だったか。もう一匹の魔物も戦意を失ってはいないようだ。
「あだあっ」
後ろの方で、女性の声がした。
人が地面に倒れる音。くぐもったうめき声。
(っ! この──)
レナスはわずかに横に動き、自分の体すれすれを通り過ぎていくこん棒を手で掴みとると、
「邪魔をするな!」
その勢いを殺さずに身体を回転させ、こん棒を投げてきた魔物の隣、まだ武器を持っている方の魔物目がけて投げ返した。
顔面に直撃してずしんと倒れる魔物を再度無視して、女性の方を振り向く。
女性はうつぶせに、レナスに背を向けた格好で倒れている。
微かに身動きを見せる女性。
二匹の魔物は倒れた女性に向かって、大きくこん棒を振り上げていた。
「させるかっ」
レナスは走りながら、自分の左手に持っていた鞘を、女性のすぐ右奥にいる魔物目がけて突き刺さるように鋭く投げつけた。
投げると同時に、左足で強く地面を蹴りつけて飛び上がる。
また後ろからの気配。避ける時間も惜しい。自分目がけて飛んできたこん棒を左腕を盾にして振り払い、レナスはすぐに注意を前に戻す。
こん棒を振り下ろし始める、前方の魔物達。
水平よりはやや上向きにまで、こん棒が下がったところで──
投げた鞘が魔物に届いた。
半分に割れた鞘の、いびつに尖った断面が、魔物の喉仏をしっかりと捉えている。
さらに立て続けに。
レナスの飛び蹴りが、魔物の喉にある鞘へと届いた。
「──!? ガ……ア、……! ……」
蹴りのすべての衝撃を受けた鞘が、魔物の喉の奥深くにねじ込まれる。
声にならない、かすれた叫びをあげ、魔物の身体がぐらつく。
「グガ!?」
左にいるもう一匹が、今やっと、状況が百八十度変わった事に気づく。
レナスは魔物の喉を蹴りつけていた右足の力を緩めると、すぐさまそのもう一匹の魔物の方を向いた。空中に浮いたまま、今度は左足で魔物の胸元を強く蹴りつける。
女性に振り下ろしかけていたこん棒を、慌てて引き戻そうとする魔物。
だが、魔物がこん棒を手元半ばまで引き戻さない内に。
ふところに飛び込んだレナスが、魔物を下から上に斬り上げていた。
二匹目の魔物を斬ったレナスは、その魔物の身体に左手と左足をついて体勢を立て直し、地に足をつけた。
そしてほぼ同時に、ゆっくりと倒れる魔物達を背景にして振り向くと。
「うー、いたた……」
「無事か!?」
「……へっ?」
魔物に襲われ、うつぶせになって倒れていた女性──レナと同じく耳の長い、赤髪の女性に声をかけたのだった。
・章を挟んでちょっと分かりにくくなっちゃったので補足。
レナスはプロローグその3の内容をまんま喋ったわけではありません。アリューゼとメルティーナには伝わる程度の、今現在の状況に至った事実だけを説明しました。
ようするに……この件と関係あるわけでもないのに、皆さんの前で自分が考えてた事とかルシオとのやり取りみたいなプライベートな事べらべら喋るわけないよねっていうあれです。