三日前の朝の事だ。
朝も早くから一人で元気に体操終わりの深呼吸をしているチサトを見かけたディアスは、自分から思うところを直接聞いてみたのである。
「は……? え、なに? なによいきなり、藪から棒に」
おはようの挨拶をまともに返してくれない事には慣れているらしいチサトも、その時はさすがに戸惑った様子。
質問にどう答えたらいいかという以前にまずなんでそんな事を? とでも言いたげなチサトの困惑ぶりもお構いなしに、ディアスは再び尋ねる。
「あの女の「力」とやらで十賢者が生き返ったと聞いた時、お前はどう思ったのかと聞いている」
「えーと、ごめん。言ってる意味がよくわかんないんだけど? ていうかあの女って誰? もしかしてレナスの事?」
意味が分からないも何も、そのままの意味だ。
お前はエナジーネーデの生き残りとして、あの女に対して何か思うところはないのか?
あんな大きな犠牲を払ってまで倒した十賢者が生き返ったのだ。余計な事をしてくれたとか、これまでの出来事を全部無意味にされたとか、いろいろあるだろう。
ディアスが分かりやすい具体例として淡々と挙げる事を、きょとんとして聞いていたチサトはというと。しばらくして「おおー」と気の抜けたような声をあげた。
「どういう意味だ。その反応は」
「いやなんか……言われてみればそういう考え方もあるのよね、って思って?」
嫌味でもなんでもなく、ディアスの考え方に感心してしまったゆえの反応だったらしい。
確かに奴らと仲良しこよしの一員を平気でやっている辺りからして、あるいは己がどこかで期待していたかもしれない反応をチサトから引き出せるとは、ディアス自身もあまり思っていなかったが。
まさか今言われるまで、そういった事を思いついてすらいなかったとは。
「見上げた人のよさだな。俺には到底できん察しの悪さだ」
呆れ口調で言うディアスに、チサトは「そう言われてもねえ」と首をかしげつつ、当時の心境を掘り起こして正直に語る。
「私の場合、まず第一印象が命の恩人だったし? あとなんかその後もいろいろあって、彼女の事すごくいいひとだなって思っちゃったし。……だからさらにその後からそういう事になってたらしいって聞いても、へえそうだったんだって感じが先に来ちゃったっていうか」
レナスに助けられた事を強く認識しているチサトは、それこそ昨日ディアスがレナに言い返したような事など到底思いついていないのだろう。
──理論ずくで考えれば、あの女に感謝する必要などそもそもない。
自分の言った事すべてが間違っているとは思わないが。因果も何も関係なく、ただ助けてくれたという事実のみを受け止めているらしい目の前のチサトにまで反論する材料も気概もまた、正直なところその時のディアスにはなかったのだ。
「どうしてくれんのよ、みたいな感じにレナスを責めるっていう発想は、正直あんまり……ねえ?」
物言わぬディアスに一人喋り続けていたチサトはというと
「ていうかレナスそもそも悪くなくない? 悪いの「力」とっちゃった方でしょ?」
と今さらになってチサトにとってはもっともな疑問を口にし。
それからなにやら難しげな表情になって、
「……と、いうより」
しばらく一人で考えた後。
なんとも言えないもどかしそうな様子で、自分の正直な気持ちをぽろっと打ち明けたのだ。
「うまく言えないんだけどさ。私、なんか彼女と話してる時ね。たまに、ほんとたまになんだけど……時々、すっごく申し訳ないような気持ちになるのよね」
黙って聞いていたディアスは、眉間の皺を深くして聞き返した。
「申し訳ない、だと? ……なぜそんな事を、お前があの女に対して思う必要がある」
チサトの言う事が本気で理解できなかったのである。
あの女に対して“自分達に申し訳ないと思え”というのならともかく、“自分が申し訳ないと思う”のは一体どういう事だ。
「十賢者が生き返ったんだぞ。お前はむしろ怒る側の人間だろう」
「いやいや、だからそもそもレナスは悪くないじゃんって」
「そういう事はいい。理由を話せ」
言ったチサト自身もなんでそんな事を思うのかよく分かっていないらしく、
「えー、理由って言われても……うーん。なんでかしら」
と腕組みしつつ考えて。
それからなんとなくで出した答えがこれだ。
「ひょっとしてその十賢者のせい、なのかも? ……あーだめだ、やっぱりよくわかんない。そういうの考えるの無理だわ。向いてない」
なおの事理解できないディアスをよそに、チサトはだんだんと人の動く気配がし始めた小型艦の方が気になったのか、
「って、なんで私は朝からこんな話をディアスにしてるのよ」
と辛気臭さしかない苦手な話題をとっとと終わらせ。向かう先も一緒なのにディアスを置き去りにして、わざとらしいほどに元気よく去って行った。
「で、なんの話だっけ? レナスの事?……はまあ大体そんな感じよ。あっそうそう、他のみんなに今の話しちゃダメだからね。わかった? ……じゃ、そういう事でまた。さあごはん行こごはん。今日のごっはんは何かなー?」
わざわざ口止めなどしなくとも、ディアスの口が必要以上に堅い事は知っているだろうに。聞かれるままに打ち明けてしまった事を、今さらながらに気恥ずかしく思ったという事か。
裏を返せばチサトは、ディアスの質問に対して本心を打ち明けたという事だ。
「力」を奪われ十賢者が生き返る原因を作ったレナスに対して、怒るどころか申し訳なく思う。
結局チサトの答えはそれだった。
そもそも自分はチサトにどんな答えを期待して、こんな事を聞いたのだろう。
今回の件に対して自分が一番怒るべきと考えているネーデ人のあいつが、自分が考えた通りに怒っていてほしかったのだろうか。
自分自身があの“神”と名乗った女に、怒りを抱いているから?
あいつが怒るのなら、俺の怒りすらも当然だと安心して思えるように?
自分はあの女に対しての怒りを、「自分の家族への想い」という八つ当たりじみた感情などではなく、「仲間と亡きネーデ人達への義憤に駆られている」という事にでもしようとしていたのだろうか。
そう思った時のディアスに強く残ったのは結局、望んだ答えが得られなかった失望でも、自分がレナスに対して感じる怒りが、未だ明確な根拠を持たない、曖昧なものでしかない事への苛立ちでもなく。
ただひたすらに自分本位な感情で、よりによって自分が一番怒るべきと考えているはずの人間の事を利用するかのように、自分の思い通りの答えを都合よく引き出そうとした事への怒りだった。
(……本当に、レナの言う通りだな。俺は自分の感情を正当化してばかりだ)
レナ達が何かよからぬ事を企むより先に、この時点でディアスの頑なな心境には、少なからずゆらぎのようなものがあったのかもしれない。
というより──
チサトにわざわざ馬鹿な事を聞いてしまったという失態だけならまだいい。
自分が間違っていたと思った通りに、自分とは違う別の人間が、別の考え方をしている事など当然。
人は人、自分は自分で、レナの言う通りそれらしい理屈など一切考えず、“嫌いだから嫌い”とはっきり意思表示すればいいだけの話だ。
だがしかし、現実問題としてレナはレナで、どうしてもディアスの心境を“レナス、つまり神様が嫌い”という根本的なところから改善させたいらしく、懲りずにチサトを含めた仲間達を集めて再挑戦の兆し。
クロードもうまく乗せられてレナ達の協力ときたものだ。
今のところディアスにとって実害らしい実害は、クロードが現在進行形でとっているある行動についてのみだが。
どういうわけかレナスを連れ人里へと出かけて行ったレナ達の方も、何か知らんが色々頑張っているらしいという事はディアスも重々察知していた。
つまり、
(これは俺が折れるまで続くのだろうな)
重ねて自分自身に確認するが、周りの奴らにどう説得されようが、神などというものは存在からして大嫌いである。
レナ達がどんな企みをしていようが、その辺の心境は少しも変わらないだろう。というより変わりようがないと断言できる。
だがしかし。
現実を考えればやはり、この状態のままでは俺自身が困るだろうと。
時々、これはそこまでして意地になる問題なのだろうかと。レナ達が納得するよう、表面上だけでも奴らに愛想のいい対応をすればいいだけの話なのではないだろうかと。
神嫌いの感情よりも先に、ただただ冷静に考えてしまう自分がいる事も確かなわけで。
(結局、俺が折れるしかないのだろうな)
頭の根本的なところでは冷静に思いつつ。
けれど過去も感情も全部捨てて、神などと“仲良く”やれるかというと、やはりどうにもしゃくであり。
とりあえずディアスは割り切れないまま、途中までは自分の意思を貫く事ができたのだが──。
意固地ととられようが勝手にしろ。せめて決定的に追い詰められるまではこのままでいてやる。
レナ達が小型艦周辺の拠点を離れてから、わずか一日半。
半ば自暴自棄な心境で孤高を貫こうとしていたディアスは結局、たったそれだけの期間で、いとも簡単に止めを刺されたのである。
それも、例の三日前に自分自身がしでかした、あの愚かにもほどがある失言によって。
☆☆☆
「……お前もか、ノエル」
「ええまあ、なんと言ってもみなさんに頼まれちゃいましたからねえ」
レナ達が何かを企み出かけて行った次の日。
というよりそのレナ達の差し金らしいクロードの企みにより、剣の相手がいなくなってから二日目。
仕方なく一人で剣を振るうも、やはりクロードやアシュトン、フェイトなど実力のある連中と剣を重ねる時ほどの感触は得られず。いつも通りに他の人達から離れた場所で、消化不良をだんだんと強く感じながらの休憩中に
「ディアスぅ、ちょっといいですかあ」
といつも通りのんびりした調子のノエルが岩陰からスッと現れるなり、ディアスは心の底からため息をついたのだ。
思わずこぼしたディアスの本音にノエルの方も正直に返事してしまったようなので、呆れて言うと。
「……せめて表面上だけでもごまかしたりはしないのか。クロードのように」
「僕そういうの下手なので。ディアスも気づいてるみたいでしたし」
やはり隠しもしなかったのでノエルはもちろん、クロードも今ので間違いなくレナ達の差し金である。
頼まれたやつがそんな事でいいのかと、これから説得されるであろう立場のはずのディアスがつい先行きに不安を感じてしまう中、
「それにまあディアスもこういう場合、話せばちゃんとわかってくれるだろうと僕は思うわけでですね。あと僕もこの際、ちゃんとディアスとお話してみるのも大事なのかなあと」
ノエルはそんな事をまったり言っている。
この調子だと本題に入る前に本当に日が暮れそうなので、ディアスから話を切り出した。
「前置きはいい。用件を話せ」
「はあ。じゃあ……僕からもお願いします。レナスさん達三人とも仲良くしてあげてください」
本当に用件だけを言うとは。
こいつはつくづく大丈夫なのかと、ぺこりと頭を下げたノエルに思わず確認をとると、
「……。それで終わりでいいのか?」
「まあ結局、僕が言えるのはこれくらいですからね。あとはディアス次第といいますか。というよりみなさんもあの調子だと、ディアスが折れるまで諦めないでしょうし」
思っていた以上に的確な状況分析をしてくれるではないか。
のんびりした言動はともかくとして、考え方自体はまるっきりの馬鹿というわけでもない事はディアスも重々理解しているつもりだったが。
それでもいつも通りの調子でこういう事をいきなり言われると、やはりなにか腑に落ちないものは感じる。
「……」
「どうでしょうか。考え直してくれる気になりました?」
こいつと話しているとどうも調子が狂う。
少なくとも今ディアスが無言で眉間に皺を寄せたのはそういった意味での事だったのだが、ノエルはそうは受け取らなかったらしい。
「難しいですかね? やっぱり。“仲良く”といっても、そうですねえ。今僕と話してくれてるくらいの感じで、たぶん大丈夫だと思うんですけど」
珍しく心配そうな顔までして、懇切丁寧に「仲良しのやり方」まで教えてくる。自分は聞きわけの悪い子供か何かか。
結局のところそうなのだろうが、だからといって自分個人の考え方の事まで周りにとやかく言われる筋合いなどない、と思っている事も事実だ。
それ以前にどうしてノエルまでもが、こんなどうでもいい事をここまで粘るのかも理解できない。
よってディアスはまさしく聞きわけの悪い子供のように眉間に皺を寄せ、
「なぜそこまでしつこく聞く」
とノエルに面と向かって聞いたのだ。
「お前は周りに頼まれたから俺に説教しに来たのだろう。それなら用事は済んだはずだ。このうえ俺があいつらの事をどう思っていようが、お前にはもう関係ないはずだが?」
ややあって返ってきたのは、ディアスの場合で例えるならほとんどの時間それで固定されているであろう表情……に、いくぶんか緊張感のなさを加えた表情。
つまりノエルなりの、精いっぱいの怒りの表情である。
「むむう、失敬な。これでも僕は、自分の意思でディアスとお話しに来たんですよ。そりゃあ、みなさんに頼まれたからというのもありますけど。それだけだったらわざわざこんな事言いに来ません」
「……。そうなのか?」
「そうです。だってそうでしょう? 僕は僕が言いに行かなくったって、結局ディアスはみなさんのために自分から折れるだろうと思ってたくらいなんですから」
「そうか。そう思うか」
「はい。ディアスは僕達の事、とても大切な仲間だと思ってくれているようなので」
「……」
この男は本気でそう認識しているのだろうか。
どうもそうらしいと思ったと同時に「結局俺が折れる事になるのは、その大切な仲間達とやらによって実害を被っているからだ。俺はそこまで出来た人間じゃない」と喉まで出かかった反論を飲み込む。
「そうか、それは悪かったな」
この男はこれで妙にしつこいところがある。うかつに言ったが最後、違う違わないの押し問答を延々と繰り返すのも馬鹿らしい気がしたので、とりあえず今の発言は聞かなかった事にしてノエルに先を促した。
「それでそう思っていたのに、わざわざこうして俺のところまで来た理由はなんだ? あの女のためか? レナ達ほどにお前があの女の事を気にかけているとは、俺にはどうしても思えんが」
長持ちしなかったらしく、ノエルの顔から怒りの表情はとっくに消えている。
ディアスの質問に、今度は唐突に大事な事を思い出したように言ってきた。
「ああそれ、それなんです。チサトさんにも聞かれたんですけどね」
「何をだ」
「だから、僕がレナスさんの事をどう思っているかって事ですよ」
聞きたいのはそっちじゃない。お前がここに来た理由の方だ。
またしても喉まで出かかったが、向こうが喋りたさそうなので仕方なく相槌を打つ。
「……。それで、お前は一体なんと答えたんだ」
「そう聞かれましても、僕そもそも、彼女とあんまり接点ないんですよねえ、と答えました」
「……」
この上なく正直な返答である。
というよりわざわざ喋りたさそうにしていてからにこれか。
「しかも僕、神様とか魂とか、そもそもあんまり信じてない人間じゃないですか。生き物って普通、死んだらみんな土に還るものでしょう? ていうか十賢者なんて、それこそエナジーネーデごと宇宙の一部になったものだと思ってましたし」
ノエルはまだ喋っている。
「それでレナスさんがどこかの世界の神様で、その神様の「力」で十賢者が生き返ったって聞かされても、もうただ意外だなあ、びっくりしたなあ、って気持ちしかなくて」
何が言いたいのかいよいよ分からず、ディアスが黙っていると。
「そう、だからですねえ、好きか嫌いかの二択だと困っちゃうんですけど、嫌いとか怒ってるかとか聞かれると、全然そんな事はないんですよ、僕も。十賢者というのはそもそも、僕達ネーデ人が作ってしまったものなので」
やっぱりのんびりはしているが、心なしか真剣な表情のノエルは続ける。
「だから今回、レナスさんのそういう特別な「力」が原因で、十賢者が生き返っちゃったとしてもですね……」
「待て」
「……はい?」
途中で止めたディアスは、しっかり聞き直した。
「チサトはお前になんと聞いたんだ」
「はあ。だから、僕がレナスさんの事どう思ってるか。好きか嫌いか、十賢者が生き返った事で、彼女の事を怒ったりしてるかって。そう聞かれました」
「……」
「ディアス? どうかしました?」
チサトがなぜそんな事をノエルに聞いたのか。当然の事ながら、ディアスには思いきり心当たりがあったのである。
心中で頭を抱えつつ、念のためノエルに確認してみると、
「それはいつの話だ。いつ聞かれた」
「むうー。確か、三日前?……ですかね。晩ご飯の後で、ちょっと話があるんだけど、と呼び出されまして」
時期的にもぴったり合っている。
──ネーデ人ならあの女に怒って当然だ。
間違いなくチサトはディアスのあの世迷言を本気にして、自分と同じネーデ人であるノエルにも意見を求めに行っていたのだった。
「たぶん、チサトさんも自信がなかったんだと思います。これってネーデ人として、本来だったらちゃんと怒るべき問題なのかしら、なんて事を僕に聞いてくるくらいなんですから」
「……。そうか」
「僕も自分だけだったら、同じような事不安に思ってたんじゃないかなあって。思いましたけどね。でも怒ってないのはやっぱり怒ってないですから。それじゃあ仕方ないよねって、もう二人で開き直っちゃう事にしました」
ただ聞く事しかできないディアスに、ノエルはほがらかにその時の事を語る。
まったり一息ついた後、やはり黙り込んでいるディアスを見て、
「ねえディアス。チサトさんが言いたかったのはね、たぶんこういう事だと思うんですよ」
先ほどと同じく、ノエルなりの真剣な表情で話しかけた。
「十賢者なんていうものは、最初から、自分達ネーデ人が作らなければ、この世に存在していなかったものだから」
ノエルの言葉には、チサトが自分自身でディアスに口止めしたはずの事だけではなく、
「因果関係を突き詰めていったら、それこそ今回レナスさんがエクスペルに来た事によって十賢者が生き返ったのだって、もとをただせば全部自分達の自業自得」
ディアスがレナに対して、レナスの事を自分の感情に都合よく、悪し様に言い返した時の事までしっかり含まれている。
なにより緊張感のなさを絵に描いたような男に面と向かってここまで言われて、
「こんな出来事に巻き込んでしまった彼女に対して、申し訳なく思う事はあっても、そんな彼女を責める事などできはしない──と」
(……なるほど。それはお前も、自分の意思で俺と話をしに来るはずだな)
そんな事も分からないほどディアスも馬鹿ではなかった。
だからもう、ノエルの言葉にも頷くしかなかったのだ。
「そうか。それがお前達の出した答えか」
「まあ、ほとんどは僕が考えた事なんですけどね。チサトさん、「なんかよくわかんないけどむしろごめんって感じがする」くらいの事しか言ってなかったですし。でもだいたいこんな感じで合ってると思います」
今ノエルがディアスに語った「レナスの事を怒ってない理由」は、よくわかってないらしいチサトどころか、結局ノエルにとってもこじつけにしか過ぎないのだろう。なにせ本人が「怒ってないんだから仕方ない」とついさっき開き直っている。
ノエルは自分自身の気持ちなどではなく、目の前のディアスを納得させるため、もっともらしい理由を口にしただけであり。
だからこそそれが分かっているディアスには、これ以上そんな彼の“気持ち”を無下にする事などできなかったのである。
「だから、僕達はまったく怒ってないので。もしディアスが僕達の事でレナスさんの事を怒ってくれているのなら、それは嬉しい事なのかもしれないけど、でもやっぱりなんか嫌な気持ちになっちゃう事なので」
ノエルは言い。
それから改めて、ディアスにぺこりと頭を下げた。
「僕からもお願いします。レナスさん達とも、仲良くしてあげてください」
☆☆☆
結局その日の夜、ディアスは自分から一人の男の元を訪ねて行った。
場所は誰に聞いたわけではないが、少なくともクロードは昨日自分の目の前でこれ見よがしにフェイトを捕まえていった行動の通り、今日もはりきって二人だけでの剣の手合わせを続行中の様子。
よってその男もどこかで一人、暇を持て余しているだろう事も想像がつく。
腰に剣を携え、小型艦から少し離れた場所、かつ人の気配のしそうな場所をいつも以上かもしれない仏頂面でぶらついて探し。おおむね予想通りの場所で男を発見。
自身の獲物である大剣と、それにクロードやディアスも使っているような一般的な長さの長剣、その二振りを脇に置いて腕立て伏せをしている最中だった。
ディアスの姿を見るなりアリューゼは腕立てを止め、
「よお、来たか」
と待ちかねたように言う。
一息ついた後、地面に置いてある大剣の方はそのままに、長剣の方を手に取り立ち上がった。
「……」
「これか? クロードっつったか、ご丁寧にもあいつが置いていったのさ」
「……そうか。それはご丁寧な事だな」
「まったく、なにが「僕達もう相手が決まってるんで、よかったらこれ使ってください」だ。あいつら、俺まで巻き込みやがって」
とりあえずその文句の言いようからするに、クロードは徹底してこうなるよう仕向けていたらしい。自分はともかくこの男まで飢えさせる必要はあったのだろうか、とも思ったが、
「まあそんな事はどうでもいいな。やっとてめえとやれるんだ。──さあ、とっとと始めようぜ」
「確かに。そうだな、始めるとするか」
そんな事よりこいつの剣が知りたい。
目の前のこの男に自分は少しも気を許していないはずなのだが、それでもこの男の言葉に反発する気は起きないのは、結局のところ剣士の性というやつなのか。
先ほどの文句もどこへやら、ぎらついた目で剣を構えるアリューゼの要望通りに、ディアスもさっそく剣を抜いて構えた。
月明かりの下、剣を打ち合ってしばらく後。
逆に言うとその“しばらく”だけで、ディアスは相手の強さを実感した。
元々できる奴だとは思っていた。しかしこれほどとは。
奴の本来の獲物は、自身の恵まれた体格を生かした大剣だ。この手の武器を使う人間はとかく力に頼り過ぎる戦い方をしがちだが、この男にはそういった慢心が全くと言っていいほどみられない。
獲物が若干いつもと違う事など、きっとこの男にとってはさほどのハンデにもならないのだろう。この男はそれほどに剣をよく理解している。
相手の先の動きを読む冷静さ。一瞬の判断力。とる対応の幅広さ、柔軟さ。
才能と努力、どちらが欠けても成り立たない最高の戦士がそこにはいた。
(なるほど。別の世界とやらには、まだまだこんな奴もいるのだな)
どちらも退かない攻防が続いた後、いったん間をとり、息をつく。
少し離れた場所では同じように相手を観察していたアリューゼが、ディアスを見て満足げに笑った。
「やるじゃねえかよ。あいつらに巻き込まれた甲斐があるってもんだ」
「……」
言われて自分がここに来た本来の意味を思い出し、眉をひそめるディアス。
剣先と一緒に殺気を下げたのを見て、アリューゼが今度はこんな事を言うが。
「おいおい、今さら興でも削がれたってのか? 勘弁してくれよ、まだ始まったばかりじゃねえか」
「……そうではない。先にお前に聞いておこうと思っただけだ」
ディアスとしては興が乗ってきたからこそ、戦いの邪魔になるような余計な考えは先にどうにかしておきたい。
よって訝しむアリューゼを真っ向から見据え、聞いてみたところ。
「名はアリューゼといったか。お前は俺が、お前らの事を快く思っていない事に気づいていただろう。なぜ俺の剣を受ける気になった」
「──あ?」
なに馬鹿な事聞いてんだてめえ、みたいな反応が返ってきた。
そもそもディアスの態度の意味に気づいているのでもなければ、クロード達に巻き込まれた、などという言い方はアリューゼもしないはず。にもかかわらずこの反応である。
聞き違いでも思い過ごしでもないはずだが、とディアスが考えていると。
「逆に聞くが。てめえが会って間もねえ他人もいいところな誰かに疎まれてる自覚があったとして、そんなもんいちいち気にすんのか? お前は」
「……」
正論すぎて思いつかなかったほどに正論である。
レナ達はどうだか知らないが。確かに、自分の身に置き換えて考えてみれば。
会って間もない他人そのものな奴が自分の事をどう思っていようが、さしてどうでもいいと思うというか。もうそんなものいちいち気にする年頃でもないだろうというか。
結局自分も冷静に考えているつもりで、いつの間にかレナ達のペースに乗せられていたという事なのだろうか。そうとしか考えられない。
あくまで自分が一方的に、三人の事を快く思っていなかっただけで。
それが多少態度に出ていたくらいで。
ましてや面と向かってこいつらに喧嘩を売った記憶もないというのに。
むしろどうしてこの状況で、相手までもが今の自分と同程度に、剣を交える事に抵抗を覚えるだろうなどと一瞬でも考えてしまったのか。
(この上、こいつに言われるまでとは……。俺は本当にどうかしているらしいな)
気が抜けたあまりに深いため息をつくディアスをよそに、アリューゼは
「これだけ人数がいたら、気に食わねえ奴やそりが合わねえ奴の一人や二人くらいいても不思議じゃねえだろ」とか、
「俺らは“仲良しごっこ”しにここにいるわけじゃねえんだ。そいつが腹の中で何考えてようと、ある程度の意思疎通ができて、こうしてまともに戦えりゃ十分だろうが」
とか、まさしくいつもの冷静な考え方ができるディアス自身ならいかにも言いそうな事を平気で言い放つ。
「……そういう事はあいつらに言ってくれ。俺はもう知らん」
投げやりに言い返したディアスはふと、自分はそもそもそういったような事をかなり早い段階でレナに宣言していたような、とも思いだしたのだが。
結局見ての通りに全く効果がなかったのでそれは現在こういう状況にもなるはずだな、と一人で納得してもう一度ため息をつき、
「その辺は同情するぜ。うさんくせえ神様とやらを嫌いになるな、いいから愛想振りまけ、じゃあなあ」
アリューゼはさらにそんなディアスの心境をしっかり理解してくれるような事まで言い。一体どうして自分は嫌いなはずの奴の仲間に今同情までされているのだろうなと、なんだかとても複雑な心境になる。
とにかく聞きたい事は聞いたのだ。
今は勝負の続きをと、気を取り直して剣を構え直したところで、その前に。
「……どうでもいいついでに、もう一つだけ聞いておく。あの“神”だとかいう女も、俺の態度の意味には」
「あいつか? あいつはそういうのには慣れてるからな。たぶん俺達の中で一番に気づいてただろうぜ」
「……。そうか。では、レナ達になすすべなく連れ去られたように見えたのも」
「いやそこまでは知らねえが。単に断れなかっただけなんじゃねえか、あれは」
ようするにあの女もさして気にしてなかったのに、レナ達のおせっかいに巻き込まれたという事か。
自分達は彼女の味方だからと、みんなして息まいていたくせに。
(……当の対象まで困らせて、あいつらは一体何をやっているんだろうな)
とも思いつつ。しかし結局のところはそんなやつらのおせっかいに火をつけてしまった自分が悪いのだろうなとも、素直に受け止めつつ。
ノエルいわく仲間想いなディアスは、今度こそ気を取り直してアリューゼとの手合わせを再開したのである。
結果は互角の勝負といったところか。
未だ“神”という存在に対する心境のあれやこれはともかくとして、一勝負を終えたディアスにあったのは、思いもかけない剣の相手を得た事への充足感だった。
それまで一人で剣を振るうしかできなかった状況への反動もあるかもしれないが、それを差し引いてもなお余りある収穫だという自覚はある。
少なくともこの男が“神”の仲間だとかいう理由で、それを意固地に否定してしまうのはあまりに惜しい。
剣士としてのディアスは、それほど冷静にこのアリューゼという男の実力をしっかりと認めてしまっていたのだ。
結局クロードの企んだ通りになったようだとは、剣を交わす最中に思った。
けれどそれをもうしゃくに思う気すらない。
というよりどうせしゃくに思ったところで、あいつらに乗せられている以上、こうなるより他にないのだ。
あいつらが厄介なおせっかいを働かせている原因も、なにより今こうして自分が折れる事になった事すらも、もとより自分のまいた種という事もある。
こうなったらどこまでもあいつらに乗せられてやろうではないかと、勝負の後、吹っ切れたディアスはアリューゼに聞いた。
「あの女の剣、クロードはひたすらに感激し褒め称えていたな。お前はどう思う? お前でも敵わないほどのものなのか」
聞かれたアリューゼは、「少し前までは、いい線いってた時もあったんだがな」とふっと笑って正直に言う。
「今にして思えばあれは、あいつにとっちゃ全然ってトコだったんだろうな。創造神とやらになってからこっち、まるで勝てた試しがねえ」
「……。そうか」
「ああ。情けねえ事に俺もお前らと同じく、現在神の「力」も使えやしねえあいつ相手に、どうにかして“参った”と言わせてやる側ってトコだ」
そう言うアリューゼの目は少しも諦めていない。
神の「力」をなくした今のあの女は、本来の実力の十分の一も出せていない、いわば搾りかすのような状態なのだとはディアスも聞いている。この男もクロードも、今の状態での実力を手放しで認めるほどの腕があるうえでの話だ。
それでいてなお搾りかすのような今の状態などではなく、“創造神”としてのレナス本来の実力をすらも、いつか超える──
決して現実が見えていないわけでもなく。それでも本気でその先を見ているらしいアリューゼは、
「そうか。そんなに強いのか、あの女は」
「そんなに気になるか? なら、てめえ自身で確かめる事だな」
「あいにく、確かめたくともレナ達に連れ去られ中だな。こればかりはどうしようもない」
「はっ違いねえ。その間どうしようもねえって言うなら、どうだ? また俺とやるってのは」
と理解したディアスに、さっそくもう一勝負を誘って剣を向ける。
拒む理由もないなと、ディアスもアリューゼに頷き剣を構えた。
☆★☆
数日後。
お出かけ先からまったり徒歩で戻ってきたレナ達は、帰ってきて早々ディアスに『レナス特集』とか書いてある、そのまんま彼女のいいところを集めてきたらしい手作り記事を渡そうとチャレンジし、結果一言で断られた。
「必要ないな」
「これまたばっさりと!?」
いやまあ、ここ最近ディアスがアリューゼと二人で結構剣の手合わせをやっていたりするという事を、みんなにまだ報告してなかったのはともかくとして。
それはさすがにディアスがありがたく貰ってくれるわけないだろうなとは、クロードもチサトが意気揚々と記事を荷物から取り出してきた瞬間に思ったけど。
だっていくらなんでもそのまんますぎるし。
記事の体裁だけはしっかりプロの仕上がりしてるけども。企画からして間違えてるし。
なんならセリーヌとかアシュトンとかも断られた瞬間「やっぱりだめか」みたいな顔してたし。
(誰もいい案思いつかなかったんだろうな、結局。……というよりあれ、レナスさんにちゃんと許可とったのか?)
わけのわからない特集を組まれてしまった彼女の方はというと、記事を目にした瞬間、明らかに不意をつかれたような顔をしていたのでそれも怪しいところではあるが。
ディアスに渡そうとしたチサトの方は、もうちょっと粘ろうとしたらしく、
「ちょ……待ってよ、せめて一通り見るだけでも」
「何度も言わせるな。俺には必要ない」
やはりディアスにばっさりと断られ、わずかな望みにかけていたらしくここでようやくしょんぼりしたプリシスやソフィアのところに、口惜しそうにぶつぶつ言いながら退散。
「くっ。ひとがせっかく睡眠時間削って作った記事を、必要ないの一言だけで……」
「だから言ったじゃん、この『プレゼントを選ぶレナスは真剣な表情。とっても彼氏想いなんだね』の辺りは余計だって」
「そう? よく撮れてると思ったのになー、これ」
「意外性は大事ですよねチサトさん。わたしもこの写真好きですよ。なんかこう……レナスさんのかわいい一面が伝わってくる感じがして」
ますます驚いているような気もするレナスをよそに、なんか反省会っぽくない反省会をひそひそとしているところで、「無駄になっちゃいましたね、この記事……」とため息をついたレナにメルティーナがいきなり横から言い、
「ああ、もう要らないんならそれ貰っとくわ。面白いし。てかちょーだい」
「……っ。メルティーナ、あなたまさかあの時」
「えーなに意味わかんない。あんたがそういう事に集中してたあの時に、裏ではどうやらこういう事になってた的な? うーわ私の知らないうちに、マジびっくりだわー」
なんかそこで思い当たる節があったらしいレナスが、裏切られたような顔してメルティーナを見ていたところ。
そんな彼女の様子を見ていたディアスが、近づいて言った。
「最初に言っておく。俺は神が嫌いだ」
いつも通りの仏頂面にして、唐突な物言いである。
発言を聞いたレナ達が抗議するより先に、いきなりそんな事を面と向かって言ってきた事に怪訝そうな表情を浮かべるレナスを前に、それからディアスはため息をつき、
「……だからお前は神ではない。ただの底抜けのおせっかい共の被害者だ。そう思う事にした」
と心底不本意そうな顔で続ける。
「一人の剣士として、クロードも、あのアリューゼという男ですら足元に及ばないと言うお前の剣に興味がある。よければ俺の相手をしてくれないか」
思った通りの展開に胸をなで下ろすクロードに、予想外の事に驚いたり素直に喜んだりなレナ達。
レナスはというとさらに不可解そうな顔になり、そんな周りの様子をちらと見渡してから、正面にいるディアスに聞く。
「状況が呑み込めないのだけど。これは、レナ達のおかげという事でいいのかしらね?」
「……どうとでも好きに思え。それで、お前はどうなんだ。やるのかやらないのか」
答えを迫るディアスは、いかにもな渋面。
しばらく返答に迷う様子を見せたレナスは、
「その、私が言うのもおかしな事だとは思うけど。もしあなたが無理をしているようなら──」
「……妙な気をまわすのはやめろ。本気で嫌ならこんな事は言わん。いいのか嫌なのかだけ答えろ」
目の前にいるディアスの状況になんか色々と同情してしまったらしい。
むしろ気遣わしげに確認してきたレナスに、それこそ本気で嫌そうな反応を示したディアスは再度「お前はどうなんだ」と答えを迫る。
レナスは若干戸惑いつつも、ディアスの申し出に素直に答えたのだった。
「ええ、それはもちろん。あなたさえよければ、喜んで」