もう一人のラビット
刹那の叔父、逆流が死んでから数日の時が過ぎた。
刹那は、いつものように階段を降り、ラビットのいる下の階へ向かった。彼はいつも通り、またトーストでも焼いてくれるだろう。彼はそんな彼を想像し、信じて疑わなかった。
しかし、そこに居る彼は、いつもの彼とは違った。
「えっと…どちら様?」
「………あっ。」
彼…いや、彼女はホットケーキを焼きながら、驚いた顔で刹那の顔を見、また彼も同じような顔で彼女を見た。
明らかに、いつものラビットではない。そもそも、彼は男だ。こんな美少女がラビットなわけがない。
少女は紫色の髪を持ち、黒いパーカーを着ている。そこだけはいつものラビットと変わらないが、顔は少女の顔で、肉体も女性の身体のようなものになっている。
「…えっと、どなたですか?ラビットは、1体どこに…」
「…あ、ごめんなさい。「彼」の友人ですよね。僕は、このラビット・ジェニュアリィと言う身体に宿る二つ目の人格です。」
「…二重人格なのですか?」
「はい。まあ、そんな感じです。」
彼女は、刹那の言葉に曖昧な返事をしながら、出来上がったホットケーキを彼の前に出した。
彼女は、まだ眠たそうな目をしていた。紫色の髪をかき、寂しそうにうつむいた。
刹那は、ラビットの作ったホットケーキを一口食べてみた。普段から、彼の作る飯は簡素なものであり、本気で腕を振るった料理を食べる機会はなかったが、彼女の作る料理はとても美味しく、ホットケーキも工夫されていて、プロ顔負けである。
「なあ……」
「…イザナギのこと、やっぱり気になりますよね。大丈夫です…きっと、死んだなんてこてはないはずです。」
「イザナギ?」
「あ、いや…なんでもないです。」
彼女は、眠そうな目を刹那に向け上目遣いで刹那を見て、彼に呟いた。しかし、彼が気になった「イザナギ」と言う言葉を聞き返すと、彼女はまた照れ、目を背けてしまった。
刹那はなんとなく、それは彼の人格のことだろうと思った。イザナギと言えば、あの伊奘諾のことだろうか。神道の神であり、伊弉冉との間に迦具土と言う子供を作ったとされている。
まあ、単なる彼の呼び名だろう。深追いをすると泥沼に飲まれそうだ。彼はそんなことを考え、それについては考えることをやめた。
普段の彼も優しいのだが、彼女もとても優しい。しかし、今の彼女は何と呼べばいいのだろうか。刹那はそう考えて彼女にそれを聞くと、普段彼を呼んでいる名で良いですと答えた。
しかし、そういう訳にはいかない。何より頭の中でごっちゃになってしまい、何となく嫌だ。彼女にそれを伝えると、彼女は小さい声で、ならばイザナミと呼んでくださいと呟いた。
「そっか…じゃあ、よろしくな!イザナミ!」
「は…はい…」
それからしばらく、刹那はイザナミと休息の一時を過ごしたが、彼女はラビットと比べ、気が弱く、小動物のような人だと感じた。彼女は自分のホットケーキも作るが、完食するのに偉く時間がかかった。彼女にそれを尋ねると、あまり一度にたくさんの量を食べられないらしい。
彼女はその後、今日の予定はとパソコンを立ち上げた。しかし、ラビットは特に予定を立てる人間ではないので、パソコンのメモ帳は白紙であった。
そして彼女、驚くほどに機械音痴である。立ち上げたパソコンも、電源の切り方がわからず、刹那に逐一教えてもらうハメになる。
そんなことをしている間に、日はすっかり登ってしまった。その頃になって、イザナミは自身の予定が書かれた紙を見つけ出す。
イザナミはそれを見ると、すっかり疲れ果てた刹那を誘い、外に出た。
「あの、少しピクニックに行きませんか?」
刹那は最初は、何故ピクニックなどに行くのか分からなかった。そもそも、昼は過ぎているし、そんなことをする元気も残っていない。しかし、彼女の話を聞き、それを理解した。
ラビットは、とある集落の長と約束をしていた。約束の内容は、一人の少女との腕試しであった。
その少女、雨森鈴は、「龍信仰の雨森」と呼ばれるその村の住民の一人であり、彼女は一人で村を守っていると言う。凄腕の守護霊使いだが、心配性な村長は、一人で国害を狩っている少年である彼に目をつけ、稽古をつけてほしいと考えた。
ラビットは初めこそ断ったが、どうしてもと言う村長の頼みを断りきれず、結局出向くことになった。そして、その約束をしたまま、心の底へ沈んでしまったと言う。
刹那はそれを聞くと、何故だか凄い不安に駆られた。
「なあイザナミ…お前戦えるのか?」
「ええ。こんなでも、一応は守護霊使いですから。知らないのですか?私、あのバタフライの兵士なんですよ?」
「え!?」
彼は彼女の告白に耳を疑ったが、そういえばラビットは、昔はバタフライと手を組んでいたと言う話を聞いたことがある。
彼女は長らく眠っていた、ラビットの別人格。となれば、ラビットがバタフライから離反したと言う話を知らなくても、不思議ではない。彼はそう思い、彼女への目線をそらした。
サウザンド・リーフのバス停からバスに乗り、集落に向かう。集落はサウス・メトロポリスの南側であるディヴ・リバーにあり、その集落へはバス停がない。
つまり、集落へは徒歩で行かねばならない。一番近いバス停で二人は降りたが、そこから徒歩で向かえば、3時間はかかる。しかもそのバス停、1時間に一本しかバスが来ない。
刹那は、自分のことよりも彼女のことが心配だった。しかし、バタフライ兵を名乗るだけあり、体力は相当自信があるようだ。彼女は逆に刹那をおぶり、物凄い速度で走り出した。
彼は、彼女と早月の姿を重ね合わせた。バタフライ兵とは言っても、彼女達の身体は全く筋肉質ではない。なのに、何故彼女達はこうも運動神経が良いのだろうか。彼は、それが謎で仕方なかった。
そして、集落の側には、別の蝶の幼虫達も潜んでいた。
イザナミと刹那が集落へ向かう中、何日か前、革命軍がここへ押し寄せたと言う連絡を受けたバタフライの教官、メタル・セリアルは、六人の調査班を派遣していた。
六人は三人ずつに分かれ、竹林の二つの影から集落を監視している。
「どうだ?革命軍達の様子は。残党がいれば仕留めろとの命令だが…」
「さあ、居ないな。まあ安心して見てろ。しかし、あっちのグループは可愛そうだな。こんなへんぴな村を、ガイドも無しで走り回るのだからな!頼むぜ、雨森早月!」
「うん…まあ、うん。分かったよ。」
早月は、張り切る二人の少年兵を前にして、あわよくば一人で彼らを振り切り、しばらくの間だけでも時間が欲しかったからだ。
この集落こそ、彼女の故郷そのもの。彼女にとって、この集落の構造は手に取るように分かる。現地民しか知らない抜け道や洞窟も、彼女ならばすべて分かる。万が一革命軍と遭遇しても、確実に勝つことができる。
早月が「龍信仰の雨森」の末裔であることは、バタフライ兵達にとって、これ以上とない切り札となる。ゆえに、彼女が今回、任務から抜け出すことは不可能に近い。しかし彼女はそれでも、ここへ戻って果たしたいことがあった。
手に握りしめた50円玉が、その意志を更に強くする。
バタフライ兵達がそんなやり取りをしている間に、イザナミと刹那はすでに集落のそばまで来ていた。
「…こんな場所に集落があるのか?」
「うん。一応付近では有名だし、観光者もたまに来る…って書いてあった。」
イザナミは、ラビットが書いたと思われる手紙を取り出し、不安そうに語った。刹那はそれを聞いて、さらに不安になる。
ちょっと休憩しようにも、この近くには喫茶店も無ければ、宿泊施設もない。
彼はスマートフォンの地図を見るが、この辺りにもなると、地図にも何も書かれていない。仕方がないので、イザナミの言う通りに歩き続ける。
もうウンザリだ。彼がそう呟いた時、イザナミは急に彼の肩を叩き、誰かは知らないが、つけられていると呟いた。
刹那はその言葉に振り返ると、自分達の存在を知られたことに気づいたのか、二人の男が武器を持ち、立っていた。
恐らく革命軍だろう。そして、そのうちの一人はあの名利だった。