バタフライ基地の、地下研究室には秘密がある。果てなく続く地獄への階段。その先にある、誰かのものと思われる焦げた左腕。
「待っていたぞ。これが目的か?」
地獄の階段の先には、美しき白羽根の蝶がその腰を据えている。彼女は強大なオーラを放ち、その力は階段を下り終えたシェイプ・リペアの力を飲み込まんとしているようにも見える。
彼を殺そうと手を出さんとする彼女に対して、リペアは笑いながら彼女の前で立ち止まり、これはこれはと頭を下げた。
「そうそう。それはできれば触らぬよう願いますよ。私の計画に支障を来たすのでね。」
「…国害指定堕落都市、か?ここ最近で国害の出現が多発したのもそのお陰かもしれないな。」
「知っていらっしゃいましたか。そう、私の「国害指定堕落都市」によって人々はさらなる発展を遂げることでしょう。私は人々の為を思ってこの計画を実行するのです。いかがです?」
「世の中には悪人と善人が存在する。その悪人を別世界に切り離し、永久に分かつ。懺悔も届かぬ地獄である「国害指定堕落都市」にな。この世界の自然そのものである国害の意思を、殺すことによってこの中に押し込め、それを吸収させた人工知能によって選ばせるか?」
彼女の半笑いを込めた推理に対して、彼は天晴れと言わんばかりの満足げな顔を見せる。しかし、彼のそんな言葉とは裏腹にリバースは怒りの表情を半笑いに込めている。
「そうか。だがそんなことをすれば、彼らが真っ先に堕とすのは我々蝶だぞ?お前の偽善の前で、何千の子供が彼岸の舟に乗らねばならないのか解っているのか?」
「構いませんとも。どうせ彼らは卑しい罪人の血を引く捨て駒ですから。」
「そうか……」
彼女がリペアの返答に答えた次の瞬間、彼女の身体からは無数のオーラが噴き出した。リペアは少し怯えながらも、交渉決裂ですねと左腕のグローブを外す。
「貴様は、何故我々が蝶狩りをしているかを全く理解していない典型的なアレだな。ライトターンの看守にでも転職したらどうだ?」
「ふふ、そうはいきませんね。国害指定堕落都市の完成には、今の地位が一番です。」
「ならば一足先にエリュシオンにでも送ってやろう。守護霊、全能神王オーディン!」
彼女の身から、神の形を模した青い守護霊がその神々しくも恐ろしい姿を示す。これが噂の守護霊ですかと彼も若干の焦りを抱き、左腕に宿る守護霊を解放する。
「では、お構いなく。闇の教王ロキよ、その姿を現したまえ!」
リペアの左腕は消滅し、そのオーラは身も凍りつくほどの悪魔となって具現化される。
そして、別の場所ではそんなことも知らぬままに時は長々と過ぎてゆく。まさか自分達の教師の一人が教頭に牙を剥いているとは夢にも思わぬ蝶達は身支度をし、修羅場と化した地下研究室のすぐそばの拠点に帰ろうとしていた。
「えっ、ブラック・スライムに出会ったのですか?その…大丈夫でしたか?」
「うん。まあ、その…ラビットが助けてくれたんだよ。俺はまだその時、ヤミギリにも会ってなかったしな。」
「そうですか…彼、ブラック・スライムになると不意に自棄になってしまうので、そのせいでバタフライの方々とも喧嘩になってしまうのです。」
イザナミのその言葉を聞いて刹那はあの日のことを思い出し、彼の口にしていた言葉を思い出した。
《ブラック・スライムの初期型…ランクはD。こいつは蝶には渡さない。俺一人で片付ける。》
俺一人で片付ける。彼は確かにそう背中で呟いた。彼があまりバタフライを好きではないことは知っているのだが、流石にあの言い草は何かあるのかもしれない。
「うん?せっちゃん元気ないね。どうかしたの?」
少しばかり考え込んでいた刹那の集中力を、バタフライの兵隊の少女が紛らわす。刹那は面倒くさげに、鈴とは仲直りしたのかと彼女に投げかける。
「…流石に怒られたかな。まあ、いつものことだよ。」
「いつもって、お前ら最後に会ったの何年前だよ。」
「まあね。反省なんかしてないんだからね!だって私悪くないもの!」
早月は先ほどの憂いも全く気にしないほどの笑顔を見せ、鈴から出してもらった烏龍茶を飲み干すと、イザナミと刹那の話に割り込んで入った。
「そういえば!ブラック・スライムといえばさ、誰がイレイズを受注したかも解らず終いで消されたブラック・スライムがいたらしいんだけど…そっか。ラビットが倒してくれたんだね。そういえば、ブラック・スライムには妙な噂があってさ。ブラック・スライムの亡骸をいくら分析しても、この世界の生物のDNAとは構造が違うらしいんだよね。」
国害と言うものは、そもそも既存の生物が突然変異したものが多く、その亡骸を調べれば原種が一体何であったのかを調べることができると彼女は刹那達に語った。
しかし、ブラック・スライムはこれに該当しない。クラウドバンパイアのように異物を吸った液体や気体が変化したものであると言われたこともあったが、それを変化させた人造の国害をいくら集めても、それがブラック・スライムとなることはない。
著名な博士号を持つ人間や勲章持ちの人間は愚か、世界が誇る何人ものバタフライの科学者が匙を投げ、その匙を誰がが拾っては投げの繰り返し。
バタフライはこれに全力を挙げ、少しでもブラック・スライムの原種の解明の手がかりを挙げたものには莫大な賞金を約束している。しかし、これにまともに答えるものはおらず、ただの手がかりのないでっち上げがはびこるのが現状である。
「てか、そもそも原種がブラック・スライムなんじゃないか?生きた化石ってのもあるだろ?ナラズモノリザードとか、ナンモナイトアルファとか。」
「ないない。もちろん、そんなことを言う学者さんはたくさん居るんだよ。でも、ブラック・スライムは違う。彼らは生殖機能も持たないし、そもそも雌雄の概念がない。だからと言って分裂もしないし、どこからか湧いて出たとしか考えられないんだよ。」
「どこからか…か。」
ブラック・スライムの強さは刹那が誰よりも知っている。人間が手も足も出ないような強靭な破壊力に、その禍々しいオーラ。ラビットはあのブラック・スライムを初期型と言っていたが、ならば終期型は世界を滅ぼせるだけの力を持つのではないだろうか。
考えるだけで身が凍りつくようだ。刹那は鈴の用意してくれたお茶を飲んで暖を取るが、今度は夏の暑さに苦しまされる。
「…馬鹿ですね。」
イザナミはお茶を飲みながら、まるでウケ狙いのような行動をした刹那を見て呆れる。
丁度その頃、鈴がバタフライ兵との付き合いを終えて家に戻ってきた。早月は自分もそろそろと立ち上がるが、鈴は一晩借りると言ってあると伝え、彼女の足を捕らえる。
刹那はそんな中で、また一つ新たなことに気づいていた。ラビットとイザナミ。この二人についてのことである。
気のせいか偶然だろうか。イザナミの身の中に、ブラック・スライムと巡り合った時に感じた何かを感じる気がする。本人に言ったら怒るだろうが、刹那は確かにそれを感じた。
刹那の感じた気配は、まさにラビット・ジェニュアリィの中に眠るイザナミとイザナギ、それにブラック・スライムとの因縁に対して的を得ていた。しかし、これを語るのはまた別の時間となるであろう。
そして、新たに始まる物語。アヴァロン眠りし世界の、「無限」に続く世界の一節。
時刻は夕方の五時。夏真っ盛りとは言え、この世界は既にわずかばかりの夜の世界に身を委ねている。それはディヴ・リバーから遥か離れた場所でも何一つ変わらない。
しかし、サウザンド・リーフの空は異常なほどに明るく、その光源は一寸の闇も許さぬ裁きの光を抱いて光る。
「…いかがなさいました?こんな時間に降臨なさるなんて。そろそろ人柱でも組めとおっしゃいますか?」
湖神社の頂に降臨した龍は巫女を見て、ただただ光を放つ。何も言わずして立ち尽くしていると見るは下劣の沙汰。彼女は龍神の思いを受け止めて目を閉じる。
「解りました。私もあなたを祀る社の巫女として、あなたの意思に従いましょう。ご安心ください。白竜様の望むままに私は致してみせます。」
彼女が合掌して思いを伝えると、龍神たる白竜はその白い鱗をなびかせて、見るものを圧倒する速さによってその姿を消した。