「ようやく妻の容体が落ち着きました」
顔の濃いおじさんだった。特に強い目力が、今は安堵の色を浮かべているのが、不釣り合いのように思えた。
そのおじさんが、深々と頭を下げる。
「こんな夜分遅くまで、皆さま、ミツバのためにありがとうございます」
幸の薄いミツバの婚約者は、この顔の濃い男のようだ。
この男はミツバのことを妻と呼んだが、婚約しただけで、まだ籍は入れていないらしい。
「んで? その奥さんは?」
銀時は饅頭を食べながら、その男に訊く。
「今はよく眠っております。ただ、明日からは用心のために入院しようということになりまして」
「へぇー、じゃあ結婚式は延期になんのか? 今日ミツバさんに誘われたんだけど」
そう訊きながらも興味なさげな銀時に、その男は苦笑した。
「残念ながら、そうなってしまいますね。きっと一番残念なのはミツバなのでしょうが」
「そうでもねェーかもなー、弟君!」
銀時は縁側の方を向く。ゆっくりと、出てくるのは誰でもない、ミツバの弟だ。
「別に、俺ァ、姉上が幸せなら、なんでもいいんだけどな。テメェさえいなければ」
沖田の細めた視線の先は、わたしの頭に手を置いていた土方の顔。
「どうしてテメェがここにいるんだ? 何しに来た?」
「……別に、たまたまさ」
その時の土方の表情は、見上げてもわたしからは見えなかったが。
土方はわたしのそばから離れて、縁側へ向かう。
「邪魔したな」
そう小さく言い残して、土方は部屋から出ていく。
その少し寂し気な背中を一瞥して、沖田が次に睨んできたのは、わたしだった。
「で、この痴女猫はこんな遅くまで、あんなヤローと何してたんだ? 言えねーことか? あ?」
――おーおー、やっぱりこう来ましたか。
予想通り機嫌の悪い沖田に、わたしは苦笑を返した。
「具合の悪くなった山崎の代わりに、お仕事手伝っていただけだよ。ちゃんと言って行ったでしょ?」
「誰が許可した、誰が」
「別に、止められもしなかったと思うけど? 大好きなお姉ちゃんの前で、そんなドスの効いた声、出せないもんねぇ?」
「テメェ……」
沖田がごもったところで、わたしはニヤリと笑った。そして、ふすまの位置で正座している男へと向き直る。
「騒がしくて、申し訳ございません」
手を揃えて頭を下げると、男は首を振った。
「いやいや、総悟君と仲が良いようで、羨ましいくらいですよ。私も、これから仲良くできたらいいのですが」
「だって、総悟くん?」
「……お
拗ねたような顔をして去ろうとする沖田を、男は引き留めた。
「帰ってしまうのかい? 今晩くらい泊まっていっても――」
「明日早くから、仕事があるので」
言葉を遮って会釈をし、沖田は部屋を後にする。
「やれやれ」
苦笑しながら、わたしも立ち上がった。後を追わないと、ますます機嫌が悪くなるだろう。そこまで虐めるつもりはない。
「桜さんも帰ってしまうのですか? 夜道は危ないでしょう。ぜひに泊まっていって下さい」
「屋敷を出たところで、総悟くん、待っていてくれてると思うので。そうでなくても、ここに兄がいますし」
その兄は、いつの間にか横になって鼻をほじっていた。
「へ、もう帰んの?」
「帰るの!」
「へいへい」
まるで覇気のない返事をして、よっこらせと掛け声と共に立ち上がる銀時を軽く蹴る。
「ご兄妹……なのですか?」
男にそう問われて、わたしはニコリと微笑んだ。
「では、また機会があればお会いしましょう。
差し障りのないように、わたしは銀時の袖を引いて、その場を立ち去った。
縁側を歩いていると、ミツバの寝ている姿がふすまの隙間から見えた。
一瞬、その場で立ち止まると、銀時が小さな声で訊いてくる。
「お前、あの男と知り合いだったの?」
「……いいや」
貿易商人、蔵馬当馬。
わたしは、あの男に一度も名乗っていない。