そうは言っても問屋が卸さない――という言葉をどこで聞いたかは定かではないが。
夜も深まった頃合いに、わたしはそろりとふすまを開ける。
見下ろせば、胡坐を掻きながらうたた寝している山崎の鼻ちょうちんが膨れていた。
静かに。だけど迅速に。
わたしはその横を通り抜け、屯所の奥の部屋へと向かう。
向かう先は、渦中の人の部屋。どうやら、明日には屯所を追い出されてしまうらしい。会うなら今しかない。
「土方さーん、あるいはトッシー……」
小声で呼びかけて、ふすまを開ける。
すると、月明かりが差し込む薄暗い部屋の隅で、
「さ……桜氏ぃ……」
膝を抱えてめそめそと泣いているトッシーがいた。
――さすがに、謹慎はショックだったのかしら。
そう思案しつつ、わたしは周囲を確認して、部屋に入る。
「トッシー、どうしたの? なにしちゃったの?」
極力優しい声を出しつつ、トッシーの前にしゃがむ。真っ赤に腫れた目からぼたぼたと涙をこぼし、鼻水をすする彼の顔は、子供にしか見えなかった。
そんなトッシーが、絶え絶えに話す。
「桜氏……じ、実は……困ったことになって、しまったぜござる……」
――うん。謹慎だね。屯所から追い出されちゃうみたいだね。
知っているが、こういうときは直接本人の口から聞くのがセオリーだろう。わたしは微笑を浮かべながら頷く。
トッシーは言った。
「スレイニャーズの限定版DVD、受け取りにいけなかったでござる……」
「へ?」
その発言にわたしの思考が停止したにも関わらず、トッシーはわたしの肩を掴み、熱く語る。
「ほら、朝に桜氏が電話出てくれたあれでござるよ! 観賞用と保存用と舐めまわす用に桜氏が三つ頼んでおいてくれたあれでござる! 夕方に取りに行くはずが、沖田氏のパシリで走りまわって屯所とスーパーやコンビニを往復し、そのあとも会議で延々と付き合わされたら店が閉まっていたでござる! どうしてくれるでござるか! 拙者、どうやって寂しい夜を過ごせばいいでござるか!」
「えぇ……と、明日朝一でお店に行けばいいんじゃないかな?」
「明日は定休日でござる! あぁ……あと二日もキャットちゃんに会えないなんて……どうやって拙者は生きていったらいいでござるか!」
――知らないわよっ!
と、叫んでやりたいのを我慢して、わたしはなるべく穏やかに尋ねる。
「えーと……謹慎のこととかは、大丈夫なの?」
「謹慎?」
トッシーはきょとんと目を丸くしたあと、嬉々としてわたしの肩を揺らしだした。
「そうだ、桜氏! 聞いてほしいでござるよ! 拙者明日から働かないでいいでござる! しかも、この土方という男、貯金がたんまりあるようで、欲しい限定版フィギュアがたんまり買えそうでござる! これならキャットちゃんだけでなく、アメリニャちゃんやニャーガちゃんも買えるでござるよ!」
「ちょっとトッシー、揺らしすぎ――あっ」
トッシーでオタクとなっているとはいえ、元は鬼の副長、土方十四郎。力はかなりあり、強く揺さぶられて、わたしは前のめりに体制を崩してしまった。トッシーに抱きつくような形で転んでしまう。
「桜氏……だだだ、大胆でござるな……」
月明かりでもわかるほどに顔を真っ赤に染めたトッシーに、一喝しようとした時だ。
「ほぉ……痴女猫もここまで発情してるとは、俺もさすがに予想してなかったさァ」
刺さるように冷たいその声音に、わたしは振り返る。
沖田の目は淡く光り、刀を一瞬で抜いた。
「総悟くん、ちが――」
わたしが何か言うよりも早く、振り下ろされた一閃。わたしの髪がさわっとなびくと同時に、首が急に楽になった。チリンと鳴る鈴の音に見下ろせば、畳の上には、切られた赤い首輪が落ちている。
「今まで邪魔して悪かったな。これからは大好きな土方とせいぜい仲良くすることだ」
「ちょっと、なに勘違いしてるの?」
沖田は立ち去り際に、持っていた刀を投げてくる。反射的にそれを受け取ると、その刀は通常の物よりも刀身が短く、軽く作られているようだ。ちょうど、力も伸長もない女でも扱いやすいような。
「餞別代りにくれてやる――後は好きにするといいさ」
「総悟くん!」
わたしは呼ぶが、彼は振り向くことはなかった。後を追おうとすると、足もとでチリンと鈴が鳴る。その音で、追ってはいけないことを悟って。
「……馬鹿」
わたしは、その首輪を拾った。