『――美しい』
その忌々しい言葉を覚えている。
地に倒れ、余命幾ばくかしか残されていない瀬戸際で、己を打ち倒した男が零した呟き。
嘲笑ならばいい。侮蔑なら納得する。無関心なら憎悪を燃やすだろう。敗者ならばそのような感情を受ける義務がある。
だが、男が零した呟きはそれらとは異なるもの。
兜を剥ぎ取り、我が顔を見て呟いたその言葉は戦士に向けられたものではなく、
ああ――ならば、許せるはずがない。
戦士としての侮辱ならば受け入れよう。だが、あの男が零した呟きは違う。あの男は、寸前殺し合っていた相手に対してそう告げたのだ。
それは恐らく無意識に零れ落ちたものなのだろう。ならばそれは、本心に他ならない。
あの男は私に対して――戦士として見ていなかったという証明に他ならない。
故に許さない。必ず殺す。例え今生で不可能だとしても、必ずいつの日か殺してみせる。
私を女として見たお前だけは――
◇◇◇
「――綺麗だなぁ」
獲物の肉を潰し、息絶えたのを確認している所に聞こえた呟きにペンテシレイアは睥睨しながら振り返った。
背後に佇んでいたのは弱き少年。カルデアのマスターである藤丸立香は自身の漏らした失言にハッと気づいたように慌てて口を押えた。
その失言に対しペンテシレイアは嘆息し、忠告する。
「……今回は聞かなかった事にしておいてやる。不敬だ、気を付けろ」
「ご、ごめん……」
心から謝罪するように頭を下げる藤丸立香にペンテシレイアはそれ以上見ていれば己を御せれないように正面に向き直る。原に彼女の拳は深く握り締められ彼女の怒りを体言している。
「私を女として見ることは許さぬ。次にその言葉を口にすれば――殺すぞ」
僅かに振り返った横顔から見えた瞳は絶対零度の如く冷え切っており、その言葉が真実なのだと告げている。
藤丸立香は何かを言おうとして口籠るが、ペンテシレイアは聞く耳もたず次の敵を求めて歩き出した。
歩く彼女の顔に浮かぶのは憎悪と後悔。
またもそう言われた事に対する憎悪と、胸に巣食うどうしようもない痛みが、彼女の肉体を突き動かしていた。
◇◇◇
ペンテシレイアはギリシャ神話におけるアマゾネスの女王である。アレスの娘で、ヘラクレスに帯を奪われたヒッポリュテを始め、何人かの姉妹がいるとされる。
彼女は本来サーヴァントの全盛期として呼ばれるならば、ランサーやアーチャー、或いはライダーのクラスで現界するだろう。しかし今の彼女は戦士としては未熟な少女の姿で現界し、更にクラスはバーサーカ―として召喚されている。
何故彼女がそのような不都合な肉体で現界したか。その謎を解明する鍵はある勇者が握っている。
彼女の死因である英雄との一騎打ち。ヘクトールの死後、ペンテシレイア率いるアマゾネスの軍勢はトロイア側に加勢し、アカイア軍と戦った際に起こった悲劇。
自分は戦士として戦ったのだ。「女」を見せていたのではない。もし真の戦士との死闘を終えたのならば、勇者は敵を見て安堵する筈だ。「倒せた」「自分は死ななくてよかった」「もう起き上がってくるな」と。だが―――なのに奴は―――
勇者が漏らした言葉は、戦士にはかけ離れた言葉。故に激怒を超えた激怒が感情を蒸発させて、もはや、笑うしかなかった。せめてもの、嫌がらせの様な呪いを発するしかなかった。
故にペンテシレイアは女として扱われる事に憤怒する。美しいと言われる事もトラウマなのだから――
◇◇◇
「此処にいたのか、マスター」
最後の獲物を倒し、カルデアに帰還すべくレイシフトの準備を待っている所、ふとマスターである藤丸立香の姿が見えず探していると、少し離れた崖に腰掛けて夕焼けを眺める彼の姿を見つけてペンテシレイアは呆れるように呟いた。
「こんなところで何をしている。休むのであればカルデアに帰った後にしろ」
「あっ、ペンテシレイア。ちょっと夕焼けを見ててね。こんな広大な荒野から夕焼けを眺めることなんてほとんど無かったからつい見惚れちゃっててさ」
そう苦笑いしながら頬を掻く彼にやれやれと嘆息すると、ペンテシレイアも同じように夕焼けを眺める。
確かに、彼の言う通りそれは絶景だった。地平線の如く広がる荒野に沈みゆく太陽。日は沈む当たり前の光景だというのに、何故こうも胸に深く言葉に出来ない何かが溢れてくるのだろう。
「ペンテシレイア、さっきはごめんね? 君がそう言われるのを嫌がってるって知っていたのに」
「む……」
恐らくずっと悩んでいたのだろう、藤丸立香は罰の悪そうにもう一度謝罪すると、時が経って頭が冷えたのか今度は怒る素振りを見せず大きく溜息を吐くとペンテシレイアは口を開いた。
「気にしていない、とは言わん。だが今更怒るほど気の小さい者ではない。次はないと思え」
それは彼女なりの譲歩だった。サーヴァントとしてマスターに譲れる最大限の譲歩。だが、彼女の思いやりを否定するように彼は首を傾げた。
「うーん。どうだろ。もしかしたらまた言うかもしれないしなぁ」
「……なに?」
――殺すか?
藤丸立香の発言にペンテシレイアの瞳が嚇怒で紅く染まる。一瞬で周囲が殺意で凍り付き、空気が重くなる。
先の発言に嘘はない。ペンテシレイアはもしもう一度藤丸立香が失言すれば間違いなく殺すつもりだった。例えそのせいで人類が滅ぶ可能性があったとしても、彼女は間違いなく実行するつもりだった。
何故なら、ペンテシレイアはバーサーカ―なのだから。
狂っているがゆえに、決して違わない。
ゴキッ、と彼女の拳がなる。強烈な殺気を向けられているのにも関わらず藤丸立香は動くことなく、ただ地平線に沈む夕日を眺めている。
そして、彼女の手が無防備な彼の首を掴もうとして、
「ペンテシレイアはさ、あの夕日を綺麗だと思わない?」
ポツリと零れたそんな場違いな言葉に、思わず手を止めてしまった。
あまりの能天気さに、思わず夕日の方へ向いてしまう。障害物のない地平線。無限に続くのではないかと思わせるほどの地平線に沈んでいく夕日は、ありふれた事なのだと理解していても何処か別世界のような幻想的な魅力があった。
「……それが何だという」
癪になってぶっきらぼうに言い返せば、彼は笑っていた。
馬鹿にする嗤いではない。まるで宝物を目の前にしている子供のような純粋な笑顔。
「ならさ、何処を見て綺麗だと思った?」
「それは――」
夕日が昼とは違い炎のようだから? 地平線を遮るものがないから? それとも夕焼けからさす影が不釣り合いだから?
綺麗だと思うのに、言葉にしようとすると陳腐なものに成り下がっている気がする。胸の中に確かにある感動が口から出ると何故ここまで落ちぶれてしまうのか。
「俺はさ、言葉に出来ない思いを口にしようとすると、“綺麗”って言葉が出てくるんだと思ってる。だからさ、アキレウスがどう思ったかは分からないけど」
藤丸立香は夕焼けを眺めるのを止め、ペンテシレイアの方へ向き直る。されどその瞳に映る想いは何一つ変わる事無く、彼にとって“綺麗”と感じたものを眺めていた。
「たぶん、俺がペンテシレイアを見て綺麗と思ったのは女だからとかじゃなくて――」
そこに浮かんだ笑みを、今度はペンテシレイアがまるで夕焼けを眺めるように見惚れてしまった。
「――その在り方を、美しいと思ったんだ」
その
◇◇◇
其処は此処ではない何処か。
魔力は枯渇し、意識を保つのは限界。戦闘服は破れ、滴り落ちる血と汗は尋常ではない。
倒れそうになる身体を必死に押さえつけ、膝を地に付きながらも彼は前を見つめていた。
――そこにあるのは、戦士の背中。
例え己以外の全てが倒されようと、彼女は決して屈さない。その命が続く限り、戦く理由がある限り、彼女が倒れることなどありえない。
その敵の返り血を浴びた姿は、歪でありながら荘厳しく――
「――……ああ、やっぱり、綺麗、だなぁ――」
思わず漏れた呟きに、彼女は振り返る。
「愚か者」
されど、そこに浮かぶのは決して憤怒ではなく、戦士の笑み。
「こういう時は強いと言え」
まるで戦いの女神のような、優しくも雄々しい笑顔だった。