鮮血が舞い、臓物と共に大切な何かが抜き取られる。
痛みは既に忘却の彼方。立ち上がろうとする意志も、膨大な年月によって消え失せてしまった。
床を血で染めながら仰向けに倒れ、両手から得物が零れ落ちる。頭鎧のスリットから見えたのは、背中に月光を背負いし若き狩人。
(あぁ……)
ガチャンッ、とノコギリ鉈を変形させて必殺の準備を行う。その眼に驕りは一切なく、まさに狩人狩りと呼ぶに相応しい佇まい。己とは比べるまでもない優秀な狩人なのだろう。
だからこそ、立てなかった。
今までならば、立つ理由があった。立たねばならない
(貴方は――救われたのですね、
確信し、長年浮かべる事の無かった笑みが無意識に浮かぶ。周囲に充満する懐かしい
◇◇◇
――率直に言って、私の人生は運が無かった。
誰が悪かった訳でもない。神を呪ったところで
先ず、私は奴隷の一族としてこの世に生を受けた。
穢れた血の眷属、カインハーストの騎士。それこそが我が一族を表す名であった。
騎士、と言っても名誉など存在せず、それは蔑称でしかない。ある日、あるカインハーストの貴族が“従僕を騎士と呼び習わせば、せめて名誉があるものだろうか”と言い始めたのが全ての始まり。
結局、やる事など奴等カインハースト共の狂った悲願を叶えるための手足となる事。血に酔った狩人を殺し穢れた血を取り出しそれをカインハーストの貴族に貢献するハイエナにも劣る畜生の所業。それこそが我らカインハーストの騎士の使命だった。
私の一族は昔貴族の称号を剥奪されて落ちぶれた騎士被れであり、ほとんど薄まったとはいえカインハーストの血族の血を引いており、不死の恩恵を僅かだが受け継いでいて死ににくい身体だった。
だが、そんなものは真の狩人にとっては有象無象の群れでしかなく、彼等を狩るのは至難の業であった。故に、カインハーストの騎士として生まれた私は並みの者ならばすぐさま死してしまう訓練という名の拷問に掛けられながら幼少期を過ごした。
これで、私がまだ狩りの才能があれば救いはあっただろう。狩りに酔うことさえ出来れば、まだ私の人生はこれほど悲観的なモノにはならなかったはずだ。
だが、私は他の騎士に比べてひと一倍無能だった。
無能は下僕など家畜にも劣る。私は他の騎士達が穢れた血の収集に向かう中、私はただひたすら己が技を磨くしかなった。
自分より若き騎士が、あっさりと己を抜かしていく。彼らが十学ぶ中、私は一しか学べない。端的に言って、私にはセンスがなかったのだろう。いつしか私はカインハースト内でも存在しないものとして扱われるようになっていた。
悔しさは当然あった。自らの才能の無さを嘆き、自傷に走った事もあった。だが、何よりも当時の私は己の存在意義に絶望していた。
――こんな無能に、何ができるのだろう。
――いる価値のない家畜以下の塵。下僕とすら名乗るに値しない無価値な存在。
――そんな私が、いったい何のために……?
失意の底にいた私はいつ死んでもおかしくなかった。生きる意味も、戦う道理も見出せなかった私は、まるで幽鬼のようにカインハースト城を当てもなく彷徨っていた。
もし、あのまま私は失意の底にいればそれはある意味救いだったのかもしれない。あのまま無意味で無価値のままなら、きっと此処まで苦しむこともなかっただろう。
だが、それでも私はあの日――運命に出逢った。
「貴方は、騎士様? 私、アンナリーゼって言います!」
最も若きカインハーストの血族。滅多に生まれることの無い穢れた血の幼子は、まるでお伽噺の英雄でも見るような曇りない眼で私を見てくれた。
穢れた血を啜るのはより蓄えた年功順であり、最も若きカインハーストである彼女はその実態を知らないのだろう。だからこそ、彼女は騎士と訊いて本で読んだことのある騎士を想像した。実際は、下僕でしかないというのに。
カインハーストの不死性は、不老の方が影響が大きい。故に実年齢が老人の者であっても見た目が青年期で止まっており、それはカインハーストの末端である私も例外でなく、実債はアンナリーゼと倍近く歳が離れているのにも関わらず彼女は私が同世代の子供なのだと勘違いした。
そのことに何度も訂正を入れたが彼女は話を訊かず、むしろ年上振る始末。仕方なくそれに従い彼女に付き従う中、ふと何か温かい物が私の胸に現れていった。
それが何なのかは分からなかった。ただ、彼女の笑顔を見る度に、彼女の傍にいるだけで胸が温かくなる。それは血の熱さとは比べものにならないほど心地よかった。
今思えば、それまでの私は真に生きてはいなかったのだろう。ただ血を流す血袋。言われた通りに生きることしか出来ない人形。それが、彼女と出逢う事で感情を知り、生きる意味を知った。
だから、当時の私は青臭い誓いを彼女に立てた。
「アンナリーゼ様――私は、貴方の騎士になります。他の誰でもない、貴方だけの騎士に」
他の誰でもない、自分自身への誓い。
彼女からしてみればおままごとの一つでしかなかったのだろう。それでも、彼女は返してくれた。
「――ええ、■■■。貴方は、私の騎士です」
その時の喜びを、誰も理解できないだろう。それは単に人形に命令を撃ち込んだだけなのかもしれない。それでも――私はあの日、生まれたのだ。
それから、永い年月を掛けて私はようやく血に酔った狩人を狩る資格を得た。必然的に私は単独行動を命じられ、各地に彷徨う狩人達と死闘を繰り広げる事となった。
才能がない私にとって、強さを得るには手段など選んでいる暇などなかった。武器も流儀など気にする暇などなく使い易い教会の銃を選び、古い狩人の遺骨を駆使して古い業を引き出してでも我武者羅に戦い続けた。
血に酔った狩人と戦う度に思う。何故彼等は狩りに、血に酔えるのか。
肉を抉るたびに不快な気分になる。身体を切り付けられるたびに痛みが走り、舌が痺れる。どれほど年月が経とうと、痛みに耐えることは出来ても痛みに慣れることはない。だというのに、何故彼等は狩りの間至高の笑みを浮かべる事が出来る。何故斬り斬られることにそんな恍惚な笑顔を浮かべられるか、私には理解できなかった。
きっと、それが私の無能な所なのだろう。他の騎士達も楽しんでいた。なのに私は出来ないという事は――つまり、私は“狩り”に向いていないのだろう。
それでも、主のために穢れた血を集め続けた。カインハーストの者達にとって時間など些細なものだ。老死したものなどほとんどおらず、私は数十年ぶりにカインハーストの城を訪れた。
そして――穢れた血で染まるカインハーストの廃城を見た。
その光景を見た時、思わず得物を落としたのを覚えている。城全体に広がるは血、血、血、血、血。従者も騎士も、騎士の中で優秀な者にしか与えられない近衛騎士達も――そして、貴族達すら鏖だった。
その狩り方は、見覚えがあった。まるで挽き潰すような殺し方。その得物に以前襲われて死に物狂いで逃げ出したこともある。
カインハーストの穢れた血族を滅ぼすために設立された教会の部隊、通称『処刑隊』。
彼等の得物である車輪の狩り方とカインハーストの血族達の死骸はほぼ記憶通りだった。
口から零れだそうとする胃液を呑み込んで必死に主を、アンナリーゼ様を探すべく駆け出す。もしかすればまだ処刑隊の者達がいたかもしれないが、そんなことは頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちていた。
ただ、信じたくなかった。目前に散らばる肉片のどれかが彼女なのだと。どこか、タンスの中にでも隠れて生き延びているかもしれないというくだらない幻想に逃げて、私はカインハーストの城を駆け巡った。
そして、最後の場所。一度足りとも訪れる機会の無かった謁見の間に向かい、
――そこで、私は絶望と対面した。
向かう途中、本来ならば何もないはずの場所に玉座が存在した。そこに腰掛けていたのは王冠を被りし骸の姿。
吹雪に当たり続け凍り付いたその骸を見た瞬間、全身の血が引いた。
見間違えるはずがない。例え姿が変わり果てても、我々の天敵の姿を見間違えるはずがない。
その骸の正体は、殉教者ローゲリウス。カインハーストを滅ぼした、処刑隊の長である。
骸だったそれは、まるで私の気配に反応するか如く動き出した。おそらく教会の研究の成果か、カインハーストの不死性とはまた異なった不死性で動き出した骸はおそらく上位者寄りの恩恵なのだろう。
そこから先は、語るまでもない。怪物の力を得た英雄に、無能の人間如きが敵うはずがなかった。
カインハーストの不死性のお蔭で何度も挑戦することが出来た。数十回は瞬く間に過ぎ、数百回は気づけば過ぎており、数千、数万もの回数を挑み――私では、その先に辿り着くことが出来なかった。
だから、再び穢れた血を集めることにした。いつの日か、生き残ったカインハーストの誰かがローゲリウスを討ち倒し、その奥に囚われているであろう彼女に血を捧げるために。
それが、現実逃避と知りながら。
もう彼女がこの世界にいないという真実から目を背けるために都合の良い虚像と気づかない振りをして、私は旅に出た。
――そんな時だった。あの子と出逢ったのは。
狩人狩り。血に酔った狩人を人として葬る、ある種我らカインハーストの騎士と似た使命の元で狩りを行う者に私は襲撃を受けた。
永い年月、狩人を狩り続けた私も狩人狩りにとって狩りの対象だったのだろう。
確かにその狩人は優秀だった。血に酔っておらず、その嘴の仮面から覗かせる瞳は人の理性を感じさせるものだった。
だが、優秀止まりだった。その程度ならば古狩人複数相手でも相手してきたのだ。例外――それこそ、上位者を狩るような例外でもなければ、私を狩るなど不可能だ。
近衛騎士から奪った刀である千景を奮い、その首を落とす。自身の血と相手の血で濡れた刀身を振るい払い――首元に狙われた弾丸を弾き落とす。
弾丸の放たれた方向を見れば、そこにいたのはまだ幼い少女。その手には両手でしっかりと握り締められている拳銃が火薬の匂いを撒き散らしていた。
「――殺してやる……! あんただけは、あたしが殺してやる! 母さんの敵だッ!」
そこにいたのは、狩人狩りの娘だった。その眼は親とは違い憎悪に染まっており、復讐を果たすためならばどんな事であろうと行う覚悟が見える。
それは、見慣れた姿のはずだった。今まで狩ってきた狩人の中にも当然家族はおり、その者達から何度も恨まれてきた。
だから、それもその内の一つでしかないはずなのに。
「……小娘、名は何という?」
「あたしは、アイリーンだ!」
「そうか。ではアイリーン、私が憎いか?」
「憎いに決まってる! あんたを殺すためなら、何だってしてやるッ!!」
「フフフ……そうか。なら――」
その瞳に、強い意志に、どうしてあそこまで拘ってしまったのだろう。
「私に付いて来い。私がお前を鍛えてやろう。そしていつか――私が狩るに相応しい狩人となれ」
これはきっと気の迷い。長年独りで生き続けたから、少し調子が狂っただけ。一刻の慰めに過ぎない。
「……あんたに付いて行ったら、あんたを殺せるようになるのかい?」
「お前しだいだ」
「なら、付いて行ってやる。あんたを、殺すために!」
その強い返事に笑い、狩人狩りの遺体を背負って歩き出す。背後を付いてきたアイリーンはふと尋ねた。
「あんたの事は、何て呼べばいい?」
「私か? ふむ、そうだな――」
『ねえ、■■■――』
一瞬、懐かしき幻聴が通り過ぎる。その声に目を閉じて、アイリーンに名乗った。
「――“カインの流血鴉”、とでも呼ぶがいい」
■■■と、呼んでいいのは彼女だけなのだから。
◇◇◇
――ふと、懐かしい夢を見た。
何者かの気配を感じて意識が覚醒状態に移る。聖体が奉られている大聖堂には人の姿が見えず、まるで血のような赤い月光が辺りを照らしている。
近づいてくる気配と共に響く足音を、私は知っている。懐にある一通の差出人不明の手紙から、その正体を理解していた。
“大聖堂にて、約束を果たす”
手紙の内容は最低限で、故に誰の者か一瞬で判断できた。その執跡、文の書き方、そして何より――私と約束をしたものなど、一人しかいない。
大聖堂へと続く階段を昇り終え、その姿が顕になる。月光に浮かび上がるその姿は、嘗ての狩人狩りと瓜二つ。だが、それは違う。
「久しいな、狩人狩り」
名前で呼ばず、名称で呼ぶ。その言葉に狩人狩りは鴉羽の狩装束から一つの武器を取り出し、引き裂いて二本の短刀へと変貌する。
その仕掛け武器の名前は、慈悲の刃。星に由来する希少な隕鉄が用いられた、狩人狩りに代々受け継がれる得物。
ああ、その輝きを――私は知っている。
「そうさね、あんたとは随分久しぶりになるね――カインの流血鴉」
向けられた二本の星の刃に、同じく鴉羽の狩装束から千景と教会銃を取り出して構える。
こうなる事は初めから定まっていた。
いずれ噛み合う歯車が一致しただけの話。
故に――
「「――狩りを、始めよう」」
血に酔った訳ではない。
狩りに酔った訳でもない。
ただ、己/誰かのために――