——夢を見ている。
燃え盛る廃墟と化した街。炭と灰が覆い隠し赤く変色した空。生存者など自分達を於いて他におらず、ただ屍だけが無限に転がる現世の地獄。
その中で、絶望だけが唯一存在する世界で、それでも尚輝きを放つ背中を、あの日の英雄の背中を幼い俺は見つめていた。
傍で燃える炎が肌を焦がす。だがそれよりも更に熱い炎が俺の胸の内で燃え盛っていた。
森羅万象数多の魔術など目にも入らない。瞼の裏側にも刻まれた景色は、英雄の強き覚悟。無辜たる民を守るという鋼の意志。それに比べれば怪物の殺意などもはや意にも介さない。
だからこそ、憧れた。憧憬の存在。作り話の中でしか生きられないと思っていた英雄の真実。ならば、焦がれるのは自然の摂理だろう。
例え、
「辿り着いてみせるさ」
立ち止まってなどいられない。あの日見た背中に追い付くためならばどんな犠牲さえ厭わない。
この手に“勝利”を掴むその日まで——
『ならば——』
さあ、どうするか? 答えるがいい
虚偽も拒絶も逡巡も断じて一切許容しない。おまえの
『——ふざけるな』
不適格——いいやそれ以下、なんて塵屑。話にならない。
嚇怒の念が意識を燃やして世界を炎で埋め尽くす。蝋の翼は未熟で不純で燃料にさえ未だ至らない有様だった。
よって、大前提さえ不足したまま未完成の
運命の幕はまだ兆しさえ見せていない。
◇◇◇
「待ってくれ、俺は——!」
暗闇の中で手を伸ばす。理由は分からない。ただ、大切な誰かに何かを言われその期待に応えられず失望されてしまった様な焦りが身体を突き動かした。
消えていく、焔の熱が。この身を焼き焦がすほどの質量が今では風前の灯火にも感じない。それでも諦めなければきっと届くと浮上する意識と共に微かに感じる熱へと手を伸ばし——
「——きゃぁん」
そして——
「んぅ、っ……はぁ、あぁぁ……」
そし、て……——
「そんな、待っ、いきなり、んぅっ、大胆……はぅ、うぅぅ……」
「——……」
この手でしかと掴んだ女性の神秘的部分が掴まれた拍子に形が崩れる様子を間近で見てしまい、頭が真っ白になってしまっていた。
いや、待て。ちょっと待て。タイム休憩ストップなんでもいいから待ってくださいお願いします——何なのでしょうかこの状況は?
気が付いたら無意識に胸を揉んでいた? 馬鹿野郎どんな言い訳だ最低な屑男が吐きそうだな其処になおりやがれ俺がぶっ殺してやる——というか俺だよ、最低男。
しかも相手からは突然男に押し倒されたようなものだから小鹿の如く震えて呆然とするしかなく、更に間の悪い事に彼女が来ている魔術礼装・カルデアはどういう製作者の意図なのか胸の部分が上下のガーターによって強調される形となっているわけで……。
「あ、あぁぁっ……ひゃぅっ」
もにゅりと、立派に自己主張する女性特有の柔らかさが手の平を覆うように伝わって来た。豊満とはいかないものの、しっかりと育っているわけで更にちょうど手の平に収まる安心感さえ感じてしまい、意識が遠くなる。
「あの、その、こういうのはもっと互いの事を知り合ってからした方が——」
「——は、はは。あはははははは」
まるで、強姦魔に襲われて最後の抵抗らしき台詞が聞こえた辺りでもう色々限界だった。
さよなら現世。何が英雄だコンチクショウ。色情魔アシュレイ・H・アニムスフィア、全世界の女性の敵、ここに眠るというわけで。
「そうだ、切腹しよう」
それがいいしそれしかない。こんな男は一分一秒でも呼吸しているだけで何処かの女性を孕ませてしまうに違いない。こんな塵屑は一秒でも早く死ぬべきだ。
自分の馬鹿さと駄目さ加減に達観の笑みを浮かべて、彼女の胸から手を放し地に額を磨り潰すが如く擦り付ける。
鬱だ、死のう。
「すみません、あなたの胸を蹂躙した不埒な所業に対して自分は、産廃以下の塵屑男として何一つ弁明できる立場にございません」
「あ、あの……」
「クズですね、カスですね、ゴミですアホです死ねばいい。故意ではなかった? 言語道断ふざけるな、謝罪一つでチャラになるほど女性の乳房は安くない。クソ童貞の自分にも重々承知の真実ですとも!」
「あっ、アッシュ童貞なんだ。いやそうじゃなくて!」
「こんな塵屑男に痴漢に押し倒され、思うさま揉みしだかれたあなたの苦悩に至って筆舌に尽くしがたいと言えるでしょう。真に、真に申し訳ない!」
「いや、ちょっとアッシュ聞いてる? もしもーしっ?」
「なのでいざ、俺は今から婦女凌辱の裁きとして腹を切って償います! どうかその死に様で納得して頂きたい!」
「ふわっ!? そ、そこまでしなくていいから! 私の胸なんかで、それに不慮の事故みたいだからそんなに気にしなくても、ね?」
「いいえ、これは全て男の責任です。
期せず相手の肢体に触れたり、都合よく着替えに遭遇する。其処にどんな偶然や理屈が存在したとして、果たしてそれが女性を辱しめることを肯定される理由になる? 否、断じて否!
「男の沽券と乙女の涙が釣り合うはずがないのです。よって当然、俺はさっくり死んで詫びるべきであり、あなたもまた優しさゆえに止める必要もございません」
「その例えだと私の方が気まずくなるんだけど!? ラッキースケベで死なれたらこっちが気が滅入っちゃうからね! そ、それに私自身あんな風に初めて求められて、その——」
「非常に心が傷ついたと! ならばもはや是非もなし」
覚・悟・完・了。
帯剣していた魔術礼装に手を伸ばし、淫猥な
「さあ、いざご照覧あれッ——!!」
「なにやってるんですか——ッ!!」
介錯の寸前、横合いから飛んできた身丈ほどの巨大な盾に吹き飛ばされ、宙を舞った。回転すること三回転半、介錯を中断され俺は地面と熱い接吻を交わす事となった。
「気を失ったアッシュさんを発見して周囲の安全確保のため警戒していたら、いきなり先輩の胸を揉みだして! 更に切腹しようとするなんて本当にどうかしたんですか! もしやアッシュさん、切腹マニアかなんか何ですか!?」
「失敬な。常識的に考えろ、誰が好んで腹を切るか。単にこれは命でなければ償えないって話だろうが」
「私はそこまで重いの求めてないよ!? 自分のこと軽く見過ぎでしょ。おっぱい以下とかどんな基準?」
「無論、おっぱい以下だろう」
断言すれば、何故かため息を突かれた。何故だ。
「というかマシュ、その姿は……それにここは一体」
ある意味目覚めの一発となったのか、頭が冷静になり周囲の状況をようやく把握できるようになった。
周囲を見渡せば、そこはカルデアとは一変していた。北極に建てられた近代技術の全てを駆使して作られたカルデアにはあり得ない崩壊した道路と崩れた廃墟と化した建物。そして何より、空が見えるにも関わらず突き刺さるような寒さを感じない。
そして何より、俺はこの景色に見覚えが——
『そんな事は今思い出す必要はない』
「——ぎィ、ガァッぅ、ッ!?」
瞬間、脳の奥で電力でも奔ったような鈍い頭痛が込み上げ頭を押さえる。まるで思い出すなと自分自身に言い聞かせているように奔る痛みにとりあえず記憶の思い出しは一時保留して別の記憶を探る。
「……確か、俺はレイシフトの為にコフィンに入ってそれで……光と、爆発音が——」
「はい、レイシフト時に人為的な火災事故が発生し、実験そのものが中断しました。恐らくレイシフトされたのは奇跡的に先輩とアッシュさんだけだと思います」
「人為的な事故だって……じゃあ他のAチームや皆は」
「恐らく、あの爆発事故に巻き込まれて……」
マシュの言葉に思わず手が握り拳になる。
カドック、オフェリア、ヒナコ、スカンジナビア、キリシュタリア、ベリル、デイビット——一癖も二癖もあったAチームの仲間達。向こうはこちらをただの親の七光りだと思っていたかも知れないが、自分にとってこれから苦難を共にする頼りがいのある仲間だったのだ。
そんな仲間を失った悲しさに歯を食い縛る。だがいつまでも悔やんでいる暇はない。進まなくては、失った彼らの分まで、彼らの無念を胸に刻んで飛翔するために。
「——状況は把握した。マシュのその姿はデミ・サーヴァント化による影響か?」
意識を切り替え、マシュの姿を改めて見れば彼女の姿は一変していた。服装は近代的な私服から中世の騎士の鎧を改造したような軽装となり、その手には明らかに身丈ほどの巨大な盾を持っている。
カルデアの第六実験、デミ・サーヴァント。その詳細はアニムスフィア家の一員として記載のみ記憶している。人間と英霊の融合。だがその実験は今まで一度も成功しなかったはずだが……
「はい、流石ですねアッシュさん。真名は答えを聞けずに去ってしまったので分からず仕舞いですが……」
「いや、それだけでも戦力に大幅な期待ができる。真名に関しては追々知っていけばいい。それで今後の方針はあるか?」
「とりあえず先ほどDr.ロマンがおっしゃっていた霊脈の強いポイントに向かいそこで新たな情報を得るつもりですが、どうでしょうか?」
「ん、悪くない。外部と連絡できるなら越したことはないしな。よし、立香!」
「は、はいっ!」
今まで蚊帳の外だったのが原因なのか、立香の名前を呼ぶと彼女はいきなり背筋を伸ばして大きな返事を上げた。
「……いきなりどうした?」
「あっ、いや、正直私みたいな素人が凄い場違いな気がしてついっ……それでどうしたの?」
「今後の方針が決まったから、とりあえず情報共有をな。二人とも、この特異点で敵性存在と接触はしたか?」
「ええ、言語による意思の疎通は不可能だと思わしき敵性生物との接触がすでにありました」
「というか、普通に考えて武器持って襲ってくる骸骨は無理だと思うよね」
「なるほど」
二人の情報と状況、そして戦力を踏まえた上で戦略を練る。考えられるに、基本はこの立ち位置がいいだろう。
「よし、じゃあ立香は後衛で補助を頼む。魔術は初心者と言っていたけどカルデアの礼装を着ているなら初歩的な魔術なら扱えるだろう? それにマスターはサーヴァントと一心同体。マスターが殺られればサーヴァントも戦う事が出来なくなるからな」
「わ、私そんな重要な役割できるかな……?」
「ええ、マスターは指示をお願いします。それならアッシュは中衛で、私が前衛で——」
「いや、マシュは中衛を頼む。前衛には俺が行く」
俺がそういうと二人は驚いた様子でこちらを見てきた。そんなに驚くことを言っただろうか?
「だ、駄目ですよアッシュさん! アッシュさんはただの人間なんですから、ここはデミ・サーヴァントであるわたしが……!」
「あ、アッシュがやるなら私だって……!」
「いや、おまえ達……」
正直、残酷な話だからあまり直接的に言いたくなかったのだが……
「だってマシュは戦闘経験あまり無いだろ? 鉄棒だって半分までしか出来ないし」
「はうゥッ!?」
「立香に至っては素人魔術師が何を言ってるんだ。マスターが死んだらサーヴァントは戦えないってさっきも言っただろ?」
「ふぐゥッ!?」
正論を言えば、二人は胸に突き刺さったように呻くと膝を付いた。……だから正直言いたくなかったのだ。
「で、ですがそれがアッシュさんが前衛になる理由にはなりません! ここで一番戦闘に向いているのはわたしですから!」
「そうだよナイスマシュ!」
「ふん。ならそこまで言うなら試してみるか? 幸い
帯剣した剣の柄を握りながら視線を彼方へ向ければ、そこにはこちらの騒動に気づいたのか近づいてくる骸骨の化物の姿が。咄嗟に臨戦態勢を構える二人を手で制して前に出る。
正直に言えば、不安はあった。マシュには戦闘経験といったが、俺もそんなものはない。今まではシミュレーターの中での出来事で命に別状はなかった。
だが今回は違う。正真正銘命を懸けた戦い。死の恐怖が身体を強張らせる。
けれど——
「心配するなよ。これでも俺は——英雄を目指しているんだからな」
ここで強がらなくて、いつ強がるんだ。
安心させるための笑みを浮かべて覚悟を決める。剣型魔術礼装を腰から引き抜き構える。敵性エネミーの反応は三体。人型に槍や剣、弓などの武器を携えている所から人間に近い動作と判断。しかし油断しない。
さあ、ここが初陣だ。いざ尋常に——