ダンジョンとは戦場だ。
山や森のように自然の環境ではない。モンスターと呼ばれる魔石を埋め込んだ怪物達は皆明確な殺意を持って侵入者である冒険者を襲う。
本来ならば違う種族で対峙すれば敵対するか従順するかどちらかだと言うのに、彼らにはそれがない。在るのは冒険者を殺すという明確な”個”の殺意だ。
だからこそダンジョンにおいて安息の地など何処にも存在しない。
故に、ダンジョンに一歩踏み込んだ瞬間から意識を極限にまで張り詰める。常に意識を前後左右上下に張り巡らせ、手に固定するように短刀を逆手に掴み、感情を殺す。
感情が昂ぶって強くなるのは選ばれた者だけだ。大多数は下手に興奮すれば動作が疎かになり注意も鈍る。そうならないように凡人は己の性能を把握してそれ相応に掌握する必要がある。
臆病者で震えて動けなくなる身体に何度も大丈夫だと言い聞かせて、
「――
身体から伝わる振動は、空気の波紋を引き起こし壁との反射を繰り返して周囲を索敵する。動いているモノ、その体型と大きさ、人なのか怪物なのか、現在どこに居りどこに向かっているのか。記憶の地図と照合して把握する。
だが、それでも恐怖は無くならない。未知を回避し、Lvも格上なのにも関わらず、やはり俺はダンジョンに来る事に恐怖を覚える。
いや―――命を掛けることを、怖がっている。
『フィンが、習うならヴォルフがいいって。彼なら強さの本当の意味を知ってるからって』
「……こんな俺の、どこを見たら強さの本当の意味を知ってるなんて思えんだよ」
怖い。出来ることなら逃げ出したい。
嘗てとは比べ物にならないほど力を得ても、何も変わらない。力への耐性がないから、それを誇る事すら出来ない。
何処まで行っても宙ぶらりん。なのに変わりたいと無様に願っているから、ダンジョンに潜るしかない。
なあ、教えてくれよフィン。お前はどうしてそんなに正しく在れる? 俺はどうしたら――
「往くぞ」
撃鉄が落ちるように無駄な思考を切り離し、鼓舞するように呟いてダンジョンを潜る。
背後から近づいてくる、小柄な少女の気配を無視しながら。
◇
アイズ・ヴァレンシュタインは先月冒険者になったばかりの新人冒険者だ。
冒険者になると決意してからリヴェリアからダンジョンの仕組みとモンスターの特徴を頭に叩きこまれ、フィンには武器の扱いをボロボロになるまで教え込まれた。
逸る気持ちを押さえて一ヶ月、ようやく基礎が固まりフィンにも合格を受けてダンジョンに潜ろうとした矢先に、フィンに一つ命を受けた。
『ダンジョンに潜るなら、ヴォルフに戦い方を習うといい。彼は今の君に必要なモノを持っているからね』
――【
ロキ・ファミリアにおいてその名前はアイズも幾度か聞いた事がある名前だった。
二年前ロキが勝手に拾ってきた子供。パーティーを組む事は決してなく、ソロで潜り続け一年半でLvアップした最年少記録者。ただその無愛想な態度や皮肉屋な性格からファミリアの中でも疎まれているのを何度か見た。
そして、アイズ自身も彼の事が苦手だった。何度か顔を合わせる事があったが、その度に思う事が一つ。
”この人は、どうして生きているんだろう?”
子供だからこそ直感的に理解したのか。彼の瞳には光がなく、まるで
その瞳を覗き込んでいたら、いつか深淵に取り込まれてしまうのではないかと思うような――絶望の色。
故に、アイズは彼に苦手意識を持っていた。だがここで引くわけにはいかない。彼女の目的のため、ダンジョンに消えていった両親を見つけるためにも、アイズは強くならなければならない。それをヴォルフが知っているならば、何としてでも聞き出さねばならなかった。
関わるな、と言われたがそれを聞いてはいはい従うほど従順ではない。アイズはバレないように姿を隠しながらダンジョンに独り潜ろうとするヴォルフの背後を追いかけた。
ダンジョンに潜り先行するヴォルフの姿を見つける。だが、その姿は先ほどまでとは一変していた。
――
彼が前方を歩いているのは視認できる。しかしそれだけ。視覚を除く直感を含めた五感では彼の気配を感じ取るにはあまりに困難なほど現在の彼は希薄と化していた。
少しでも視線を逸らせば、他の音に気を取られれば、それだけで何処に居るのか判断できなくなるほどに。
「あ……っ」
しばらく進んでいくと、モンスターの集団に出くわした。『コボルト』と呼ばれる犬頭の典型的な怪物の数は八体。未だ気付かれていないが、そのまま進めば戦闘となるだろう。
初めて見たモンスターの姿にアイズは思わず息を飲む。姿も戦い方も既に習ってはいるが、実際に見るのと聞くだけではやはり違う。自身と同じ背丈を持つ怪物を目の当たりにして、アイズは一瞬恐怖を覚え――
――鮮血が、舞い落ちる犬頭と共に散った。
「えっ……?」
『『『グルオァッッ!?』』』
首から鮮血を吹き出し崩れ落ちるコボルトの背後に佇んでいたのは、短刀を振り切った
異常事態に気付いたコボルト達が振り返り襲撃者の姿を捉えようとする。しかし彼らに映ったのは、蹴り飛ばされて突撃してくる首のない
激突した衝撃となまじ本能で生きているために同胞の死体を眼前で見る事で意識を僅かにそちらに向けてしまう。そして、その隙は襲撃者にとってあまりに恰好な獲物でしかない。
『『『ギャウッ!?』』』
死体と激突し硬直した三体のコボルトは、天井を利用した三次元移動を駆使して背後に回ったヴォルフの一薙によって豆腐でも裂くかのように実に呆気無く胴体と首がおさらばする。残り三体もようやくヴォルフの居場所を把握し慌てて振り返るが――あまりにお粗末だった。
跳躍した姿が残像を残して疾走する。地を這う蜘蛛の如く超低空飛行のままコボルト達の横を通り過ぎ、白銀に閃く刃が虚空に白い残像を示す。
安心も安息もなく、作業をこなしたように残心から立ち上がったヴォルフの背後でコボルト達の上半身が胴体から離れ地に落ちる。
この間――三秒。
「凄い……」
思わず漏らした声は、彼女の感じた総てだった。
全く無駄のない
並の冒険者ならば背筋が凍るであろうその感情を感じさせない機械じみたその姿を見て、アイズは何処か感銘すら受けていた。
――だからだろうか。
『グゥウウウウ……ッ!』
「――ッ、くぅッ!」
背後から近づくコボルトの姿に、アイズは直前になるまで気付けなかった。
背後から獣の荒い吐息が聞こえ、咄嗟に前方に飛ぶ。後方を鋭い爪が掠める気配を感じながら何とか回避に成功する。
しかし、無理な回避は相応の代償を引き起こした。
「痛ッ……!」
ズキッ、と足首に痛みが奔る。痛んだ箇所を探ればそこはブーツ越しでも不自然なまでに膨れて腫れていた。
しまったと、後悔で奥歯を噛み締める。冒険者がしてはならない肉体の行動を阻害する怪我。あれほどフィンからは受け身の訓練を施されてきたというのに、肝心な時に失敗してしまった。
「それでも……!」
こんなところで、負けるわけにはいかない。まだ、私はやらなければならない事があるのだから――!
意思を奮い立たせ、痛み足首に耐えながら立ち上がり剣を構える。ファミリアに置かれていた基本のロングソード。訓練で何度も扱ってきた手慣れた剣を構え、アイズ・ヴァレンシュタインは初めてダンジョンでの戦いを開始する。
『ギュアッ!!』
飛び込んでくるコボルトに対し、攻撃を終えた直後の隙を狙うためにカウンターの構えを取る。振り上げられた爪が袈裟斬りに振るわれ、アイズは普段通りに剣で逸らそうとするが、ここで一つ誤算があった。
彼女が足首を捻っているという誤算。それは普段ならば捌けた攻撃に対して完全に捌ききれず、攻撃を受け止めてしまった事で支えていた足首に負担が掛かり痛みが彼女を襲った。
痛みには二種類ある。一つは持続する痛み。そしてもう一つは、
「――ッ!?」
足首に激痛が走った途端、糸が切れた人形のようにアイズの足は崩れ膝が地に付く。咄嗟に剣は手放さなかったが、突然の事態に彼女は絶賛混乱中だった。
だがその混乱を待ってくれるほど相手は甘くない。
『グォオオオッ!!』
勝利を確信したコボルトが今度こそトドメを刺さんと叩きつけた腕とは反対の腕を振り被り顔面を抉り抜かんと刺突する。
迫る爪を前にして、アイズは目を見開きながら歯を食い縛る。
こんなところで、死ぬ?
まだ、始まってすらいないのに?
私は、まだ、まだ、まだ――
「――まだだ!」
死ねない。終われない。こんなところで負けるはずがない。確信に近い意思は少女の瞳で勇気という形と成して燃え上がり、実行する。
確かに足首には力が入らなかった。けれど膝でなら――この体勢ならば、回避できる!
――見切ろ。
迫る死の爪を。
――剣を構えろ。
生きる意思を乗せて。
――四肢に力を宿せ。
「うああああああッ!!」
生きる意思は何よりも強い。そう言ったのは誰だったのか。
首を逸らし頬の皮膚を削りながら死の爪を回避し、捻った足首とは反対の足を地に突き立てながら前方に体躯を押し出し、受け止めていた剣で腕を捌きながら一点を穿つ。
狙うは喉元、すれ違うように放たれた一撃は彼女を祝福するかのように、コボルトの喉元を貫いていた。
『ギァ……』
短い悲鳴を洩らして、コボルトは仰向けに倒れながら絶命する。初めて肉を刺した感触と勝利に戸惑いながら、アイズは言葉を漏らした。
「勝った……の……?」
初めての事で実感が抱けない。様々なアクシデントがあったが、それでも初の白星に感情の乏しいアイズでも思わず口角を吊り上げ――
『『ガアアアッッ!!』』
聞こえてきた獣の咆哮に、反応出来なかった。
「――ぁっ」
何故一体だけだと決めつけてしまったのだろう。ダンジョンに潜る以上最悪を予想して行動しろとフィンやリヴェリアにあれほどしつこく言い聞かされてきたのにも関わらず忘れてしまっていた。
ダンジョンを侮れば、その代償は死。
前方から飛び掛かってくる二体のコボルトをアイズはどこか遠い出来事のように眺めていた。回避も防御ももはや間に合わない。二つの死の顎と爪は容赦無く少女の身体を蹂躙するだろう。
「 」
死を前にして、アイズは何かを言おうとして口を開いて、
「――
死神の声によってかき消された。
アイズの背後から首のない胴体だけのコボルトが飛来して空中で襲い掛かっていた二体のコボルトを巻き込んで吹き飛ばす。しかし変化はそれだけに収まらず、飛来してきた死体が突如振動を引き起こし、それに共鳴するかのように引っ付いていた二体のコボルトの身体も震えだす。
振動は肉体の限度を超え、怪物達は悲鳴さえも上げる間も無く――水風船のように、水の代わりに鮮血を撒き散らして木端微塵に破裂した。
「おい、クソガキ」
「……ッ!?」
その様子を呆然と見つめていたアイズは突如背後から聞こえてきた声に反応して振り返る。そこには幽鬼のように光の無い目で彼女を見下ろすヴォルフの姿が。
「俺はパーティーを組んで来いって言ったはずだぞ。何でお前は独りでここにいる」
「ご、ごめん……ッ……!」
彼の気迫に押され咄嗟に謝罪しようとするが、その前に捻挫した足首を見るように足を固定されて強引にブーツを脱がされる。その際に激痛が奔り顔を顰めるアイズだが、ヴォルフは彼女の様子など一切気に求めず診察する。
陶器のように透き通った白い肌の中では激しく自己主張する赤く腫れた足首は、明らかに異常を訴えていた。
「……立てるか?」
「だ、大丈……ッ!」
ヴォルフから離れるように立ち上がろうとするが、捻挫した足で無理に立とうとして重心が崩れヴォルフの胸元に倒れ込む。その様子から歩けないのは明白だった。
「クソガキ、ポーションは持ってるか」
「……ない」
「はぁ? フィンやリヴェリアに必要だと言われなかったのかよクソが」
「…………」
ヴォルフの舌打ちにアイズは答えない。
……言えない。ヴォルフの追跡に夢中になっててダンジョンの必需品を総て買い忘れていたなんて……!
「……チッ、面倒臭ぇな」
やれやれと辟易するようにヴォルフは嘆息して、アイズのお腹にブーツを乗せて彼女の背中と膝に腕を回すとそのまま持ち上げた。
それは俗に云う――お姫様抱っこだった。
「お、降ろして……!」
「五月蝿ぇ黙ってろ。独りで碌に動けなくなるようなら来んじゃねえよ莫迦が」
恥ずかしげに頬を赤く染めるアイズを無視してヴォルフはそのままダンジョンの出入り口に向かう。生身の人間ならば自身と同じ背丈の人物を腕で抱えて運ぶことなど困難だが、恩恵を与えられLvが強化されているヴォルフにとって造作もない事だった。
ヴォルフの剣呑な態度にアイズは抵抗を止めて無言のまま大人しく運ばれていく。何だか気恥ずかしさを覚え彼女は顔を隠すように彼の胸元に額を押し付けた。
その時嗅いだ匂いが父親とは違う”異性”の匂いに、更に頬が熱くなったが。
◇
付いてきた少女の負傷で俺は否応無く【ロキ・ファミリア】の本拠に向かっていた。ポーションで回復させるという手段もあったが、正直こんなところで使いたくないという点が一つ。もう一つはあれ以上付き纏われたらダンジョン内で支障を来す恐れがあったからだ。
流石に子供を見殺しにする訳にもいかないだろう。もっとも、同じような事態が発生し不利な状況になれば容赦無く見捨てるが。誰も彼も救えるほど英雄などではないのだから、俺は。
「……ヴォルフは、強いね」
この少女を送り返してからダンジョンに潜るかとこれからの予定を立てていると、腕に抱かれていた少女がふと呟いた。
「あァ?」
「フィンの言っていた通りだった。あんな綺麗に敵を倒して。それに比べて私……」
腕の中で聞こえる声は今にも泣き出しそうで、震えていた。
そういうのは、勘弁してくれ。餓鬼が泣きそうになるのも、勝手に憧れられるのも迷惑なんだよ。
「勘違いしているようだから言っとくけどな、俺の戦い方は臆病者の戦い方なんだよ」
「臆病者……?」
理解できない、というように上げられた顔にある瞳は金色に透き通っていて、その眩しさに目を逸らしたくなる。
「そうだ。敵と戦わなくて済むように、少しでも体力の消費を抑えるために、怪我をする確率を下げるために、一方的な攻撃で終わらせるためだ。お前も思っただろ? 卑怯な戦い方だってな。良く言われるから分かるさ」
俺がパーティーを組まないもう一つの理由。それは戦いが恐ろしいからだ。命を掛ける事が、危険に晒されるのが怖い。だから独りで不意打ちを狙う。少しでも戦わなくて済むように。命の危機から逃れるために。
そんな戦い方をしていれば、周りから臆病者と呼ばれるのは当然だ。だがおかしい事はない。実際に俺は臆病者なのだから。俺の戦い方を見て、臆病者と呼ばなかったのはフィンぐらいなもので――
「ううん。凄いなって、思った」
ここに新たに増えた。
「……まあ、お前がどう感じたかなんてのはどうでもいい。俺が言いてぇのは、そんな臆病者の俺から習うことなんざねえって事だ。俺はな、心が弱いんだよ。どうしようもないほど臆病者だだからフィンが言うような強さなんて持ってねえよ。分かったらフィンに言って俺に関わらず別のパーティーでも組め。いいな?」
「……ヴォルフは、強いよ?」
「あのなぁ、人の話聞いてたか? 俺は――」
「だってヴォルフは、強くなりたいんでしょ?」
「――――」
――止めろ。
「フィンが言ってた。欠点は利点にもなるし、利点は欠点になるって。だから、自分の性能を理解しているヴォルフは凄いと思う。それに、臆病者だとしても変わりたいからダンジョンに潜るんだよね? だから、ヴォルフは強いよ」
――その眼で、俺を見るな。
英雄でも見るような憧憬の眼で俺を見るなよ。違うんだ、俺はお前らのように強くないんだよ。背負えば背負うほど強くなるような超人なんかじゃない。背負った重みに潰されちまう凡夫に過ぎないんだよ、俺は。
だから頼む、やめてくれ――また、縋っちまうだろうが。
「――黙れ」
思わず零れ落ちた声は、氷のように凍り付いていて。
見下ろした少女の瞳に映る己の姿は、まるで人形のように無感情だった。
「……ごめんなさい」
「……別に、謝ることじゃねえよ」
沈んだ少女の声音に自己嫌悪する。餓鬼にみっともなくキレて何してるんだ、俺。
「……あの、助けてくれて、ありがとう」
「……別に、礼言うことでもねえよ」
その言葉に、ほんの少しだけ――救われた気がした。
◇
そして―――
「ヴォルフ。しばらくアイズとパーティーを組んでくれないかい? 頼むよ」
「……諒解」
団長命令という絶対命令を受けて、俺はとうとう逃げ場を失った。