一つのお伽話を語ろう。それは神々が地上に降り立つ前の物語。
世界は闇より生まれた。
果てなき闇、混沌の
だがその世界にも一条の光が差し、やがて世界は二つに分かれた。
闇の世は魔界。
光の世は人界。
二つの世界は共にあり続けた。長い永い間。
だが、やがて闇の世に現れた王が言う。
”元は一つだったこの世界、再び統べんとして何が悪い?”
その時から闇は光を覆わんとし、光は闇から逃れんと抗った。
だが人は脆く弱く、魔界の住人である怪物の力になどかなうべくもない。
深淵なる闇に光は食らわれ人界の命、尽きようとしたまさにその時。
その者は現れた。
――
魔の世界の住人でありながら誇り高き魂を持った者。
スパーダは同胞に仇なし光の世のために剣を取る。か弱き人のために剣を振る。
その剣は魔界の王さえ斬り伏せ、王を失った闇は力を失う。
スパーダは闇の再来を恐れその世界を封じた。闇に与した悪しき人々や忌むべき己が闇の力と共に――
永らえた人々は彼を崇めた。人の世を救った英雄と。そしていつしか彼をこう呼び始める。
スパーダ――伝説の魔剣士。
だが、スパーダは人知れずその姿を消し人々は次第に彼の存在を忘れゆく。
実在したはずの英雄はやがて伝説となり、伝説はやがてお伽話となり――
◇
迷宮都市オラリオ。
ダンジョンと呼ばれる地下迷宮が存在する都市は、未知と浪漫に溢れ人間や神々と差別なく興味を引き大陸屈指の大都市と化していた。
ダンジョンには魔石と呼ばれる鉱石を基盤としたモンスター達で溢れかえり非常に危険な場所だった。しかしそれでも未知に、希望に夢を馳せる愚か者どもが現れる。そんな彼らを娯楽とし、神々は『恩恵』という神の奇跡を人間に授けた。
恩恵をその身に宿し、危険なダンジョンに潜る愚か者達の事を、いつしか人々は『冒険者』と呼ぶようになった。
そんなダンジョンの中を一人の青年が歩いていた。黒の外套を羽織り、付属された赤いフードを目深く被っている。背中には身丈ほどの片手剣を担ぎ、翻した外套の隙間から見えたホルスターには銀色に閃く拳銃が仕舞われていた。
ダンジョンに居るからには当然冒険者なのか。だが断言するには彼の様子はあまりに異質だった。
青年の右腕には包帯で固定されたギブスが嵌められており、端からどう見ても怪我人だった。しかし彼はそんな不安を感じさせない軽快な足取りで進んでいく。まるで、身体の調子を確かめるように。
やがて青年は広く開けた空間に出た。周囲には剥き出しの岩石で出来た壁だけが存在し、草の根一つ生えていない。十七階層と呼ばれるその場所を一通り眺めた後、彼はそのまま奥から漏れる光の場所へ向かおうと足を進めるが、
『グォ……』
微かに聞こえたのは、呪詛のような産声。
それは聞き間違いではないのだと証明するかのように、大地が脈動し壁が震え始める。
ダンジョンの震えが頂点に達した時、その異変が姿を顕にした。
壁から現れたのは巨人の腕。それはまるで胎児が親の腹から突き出るように壁を裂きその巨体を完全に顕にする。
その巨体は総身七Mを上回り、灰褐色に包まれた体被を震わせながら巨人は高らかに生誕の産声を天へ轟かす。
『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッ!!』
それこそが、階層主。
十七階層に君臨する
Lv.4モンスター――ゴライアス。
ゴライアスの放つ咆哮は大気さえも震わせて、青年が被っていたフードが零れ落ちる。本来ならば冒険者でもパーティーを組んで挑むのが基本とされている階層主を前にしながら、彼の表情は恐怖に歪む事無くむしろ辟易しているように靡く銀髪の隙間から覗かせる睥睨した蒼い眼で吼える怪物を睨んでいた。
「ゴライアスか……運が悪かったな。普段ならまだしも、今は気分が悪いんだ」
青年は階層主を前に屈する事無く左手で背中の剣を掴むと、そのまま数回捻る。すると剣は呼応するように蒸気を吹き出しながら振動し、刀身に熱を帯び赤く染まる。
レッドクイーン。そう名付けられた剣は、三十七階層主『ウダイオス』の持つ刀身と五十八層の砲竜『ヴァルガング・ドラゴン』の魔石で造られており、魔石を燃料に「イクシード」と呼ばれる剣撃の速度を向上させるための推進噴射装置が備え付けられていた。
レッドクイーンは主の不満を言葉にするように爆音を轟かせながら振動し、青年はそれを肩で担ぎながら一歩踏み込む。
「悪ぃが、少しばかり憂さ晴らしに付き合って貰うぜ!」
宣言と共に男の身体は一陣の風となり、加熱された推進力によって旋風は焔の渦と化し回転しながらゴライアスの体躯を薙ぎ払った。
予想外の熱にゴライアスはよろめきながら後退し、その隙を見逃さないように彼の推進力で更に加速されたレッドクイーンが容赦無く連撃を胴体に食らわす。
最後の横薙ぎ。大きくのぞけったゴライアスに対しフルスロットルで最大推進噴射で加速したレッドクイーンが、荒ぶる力の総てを解放するようにゴライアスに逆風で叩き込んだ。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッ!?』
吹き飛ぶ巨体に対し、青年は冷静に剣を宙に手放すと外套を翻し腰回りに巻き付いているホルスターから銀色の鈍い光を放つ拳銃を取り出す。
拳銃、それは神々が地上に降り立つ前の世代――いわば人間世代に存在したとされている古代の遺物。その製法と技術は古き文面には残されているが、もはや古き遺産と化していた。
それは何故か。理由は単純である。そもそも、銃とは
故に、彼の持つ拳銃は彼自身が設計、作成したこの世に一つしかないオリジナルカスタムだった。大口径リボルバーを改造されて設計されたその拳銃にはもはや原型を留めてはおらず二つの銃口が存在している。それは決して同時に発射されるのではなく、コンマ秒単位で僅かにズレが生じるように設定されている。
その連装バレルの理由は、種類の違う二種類の弾丸に秘密がある。僅かに先に発射される弾丸は、体表に大きくダメージを与えるタイプの弾丸。そして後からの弾丸には、貫通力の高いタイプの弾丸が装填されている。これにより、たとえ外殻の硬いモンスター相手でも打ち抜ける事が可能となった。
もっとも、コンマ秒単位の誤差で同じ箇所に弾丸を叩き込み、かつ大の大人が両手持ちですら発射の衝撃で後転するほどの威力を秘めている拳銃を片手で連射する技量が無ければ使用できないという欠陥品となってしまったが。
本来ならば存在しない銃という意味を込められて青い薔薇と名付けられた「ブルーローズ」の撃鉄を降ろし、引き金を引いた。
刹那、二種類の銃口から放たれた二つの弾丸は寸分の狂いもなく宙に舞うゴライアスの閉じられた右目に向かい、一発目の弾丸が閉じられた目蓋を裂き、二発目の弾丸が容赦無くモンスターの右目を抉り潰した。
『グォォオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』
モンスターからして見れば困惑の連続だろう。自身よりも小さい人間が回転しながら突撃してくればその身を吹き飛ばすほど力強くかつ炎を纏っており、地面に着地した途端右目が潰されていた。
ただでさえ知能が低いゴライアスは何が起きたかさえ検討もつかぬまま驚愕と共に激痛でのた打ち回り、それを見ていた青年は
「こっちの調子も問題なしっと。残るは……」
青年が周囲に人の気配が無いか確認し終えるのと、ゴライアスが憤怒に怒り狂いながら分け目も振らず襲い掛かってくるのは同時だった。
人間に虚仮にされ、ここまで弄ばれた事に怒りの頂点に達したゴライアスは身体に蝕む痛みどころか我さえも失いただ赫怒のままに振り上げた拳を叩き込む。
その単調な動きは簡単に回避が可能だった。しかし青年は決して躱そうとはせず、何を考えているのか
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッッ!!』
積年の恨みを晴らさんとばかりに振り絞られたゴライアスの渾身の拳が不敵に笑う男のギブスが嵌められている右腕に叩きこまれた。衝撃の振動。確実な手応えにゴライアスは歪な笑みを浮かべ――凍り付く。
「……どうした? 今のが全力かよ」
声が聞こえてきたのは、ゴライアスの拳の下。殴り付けた衝撃でクレーターと化した穴場で、ゴライアスの意思とは関係なく振り下ろした拳が持ち上がる。
持ち上がった拳の下にいた青年は、無傷だった。怪我していただろうと思われていたギブスの下から現れたのは、怪我している腕などではない。いや、そもそも
現れたのは異形の腕。掌が青白く発光し、二の腕付近まで赤黒い外殻で覆われている。もしこの場に他の人間がいれば、きっとその腕の事をこう評しただろう。
”まるで、
「もう終わりか? なら次はこっちの番だな!」
青年は鼓舞するように一際大きく吼えると、ゴライアス拳を握り締めそのままその巨体を持ち上げた。
『――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!?』
あまりの事態にゴライアスは声にならない悲鳴を上げる。自身よりも何倍も小さい人間に持ち上げられるという異常事態。夢のような出来事だが、しかしバタつく足が大地に付かず宙に藻掻く様がこれが現実だと証明している。
「おおおおおおおォォォォッッ!!」
青年は咆哮と共に、何度もモンスターを地面に叩きつける。振り回す際にゴライアスが声なき悲鳴を上げるが彼はそんな様子少しも気に留めず周囲の地面が陥没するほど強烈な攻撃を叩き込む。
一段と大きく振り上げられ、ゴライアスの身体が地面にめり込むほどの威力を持って大地に叩き込まれる。その衝撃にゴライアスが肺らしき臓腑から酸素を吐き出し、朧気な視界で無事な左目を開く。
開かれた眼。そこに映ったのは、ここまで討ち倒された人間が跳躍し異形の右腕を振り被り――その背後に浮かぶゴライアスよりも更に巨大な青白い振り上げられた腕だった。
「喰らいやがれ!」
それが、十七階層主ゴライアスの聞いた最後の言葉だった。
青年の背後に浮かぶ巨大な腕は虫を潰すように拳を叩き付け、身動きの取れなかったゴライアスの全身に衝撃が浸透した。その衝撃はゴライアスのどこかに存在した魔石にも伝わり、強靭な破壊力に耐え切れず魔石はひび割れ砕け散った。
魔石を壊されればモンスターは死亡する。ダンジョンに生息するモンスターの共通点である事実はゴライアスも例外ではなく、魔石を残して消滅していった。
ただ、一時の間。ゴライアスの瞳から光が消え虚ろへと変わりゆく間に、もしゴライアスが人間の言葉を話せていたならばこう語っていただろう。
”化物は、どっちだ――”と。
その眼から逃れるように、青年は再びフードを眼深く被るのだった。
◇
「うおおおおおォォッ!! 往くぞてめぇ等ァ! ゴライアスだろうが何だろうがここはオレ様達の街だ! 何度来ようが何度でもぶっ倒して……ってなに? もう倒されてるだと? それに魔石も放置されっぱだとォ!? よっしゃあ! どこのどいつか知らねえがラッキいいいいィィッ!!」
十八階層『リヴィラ』から現れた冒険者達がゴライアスの魔石を発見するのを見届けると、青年は踵を返した。右腕を隠すように折り曲げられた外装の袖を伸ばし、ポケットに手を突っ込んで見えないようにする。
だが、こうして隠すのも時間の問題だろう。ここまで不審な態度を取っていればいつかバレる。だが、今は正体を知られる訳にはいかなかった。
Lvアップした訳でもないのに急激な力の上昇。それが皆に知れ渡れば必ず問い質される。そうすればこの問題が気付かれるのは避けられまい。
そう思案しながら彼はポケットから右手を抜くと、嫌悪するように顔を歪めながら右手を眺める。
彼の右手が異形の姿へと変貌したのは三ヶ月前。前回の『遠征』の際に同胞である『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインを庇った時に負傷してからだった。それまでは普通の人間の腕だった。
今や異形と化してしまった右腕を眺めて、苛立ちをぶつけるように傍の壁に右手を叩きつける。嘗てならば痛むはずの右手は今や自身の身を傷つけるどころか壁を粉砕するほどの威力を秘めていた。
「……チィッ!」
その光景に、不安と焦りが積もる。先ほどまでゴライアスとの戦いで高揚していた気分は水でも浴びたように冷え切っている。
先ほどの戦い。あの様では、どっちが怪物なのか分からない。
それとも――俺の方が、怪物なのか? 俺は、本当に人間なのか?
「……ああ、くそッ! んなこと考えても仕方がねえだろうが!」
嫌な思案を振り払うように頭を横に揮い、これからの事を考える。そこでふと、今日の日付とファミリアの予定を思い出した。
「そういや、今日だったか。『遠征』から帰ってくるのは」
異形と化した腕を隠すためにギブスを嵌めていたら重症だと勘違いされて留守番を言い渡され、遠征組に参加できなかった事と、その帰還予定日が今日だったのを思い出して青年は辟易とした様子で嘆息する。
一応怪我人扱いされている彼が連絡無しでダンジョンにソロで潜っているのがバレれば面倒事間違いなしだろう。
騒がしいアマゾネスやいつもイチャモン付けてくる狼人、そして遠征前に酷く心配してきた
「帰るか、
踏み出した足と共に、外套の二の腕付近に刻まれた
青年――迷宮都市最大派閥【ロキ・ファミリア】Lv.5の一人、ネロは地上へ足を進めるのであった。