宇佐木時麻の短編集   作:宇佐木時麻

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ダンまち in フロム

 日が沈んだ夜の酒場。静寂が包む夜空とは裏腹に酒場は活気で栄えており、野郎達の笑い声で今日も賑わっていた。

 

「なあ、こんな噂知ってっか?」

 

 ジョッキに注がれた酒を一気飲みして豪快に机に叩きつけた男が隣の席に腰掛けていた男に話し掛ける。二人は初対面だったが、酒の前ではそんなこと些細なことだ。むしろ酒を飲んで陽気な気分になることで一気に仲が良くなる。

 

「噂だぁ?」

「応とも! 何でも最近ダンジョンで霧が出るって噂なんだがな」

「はぁ? ダンジョンに霧が出るのは当然だろうが。今更噂することでもねえだろ」

 

 噂を語る男に対し訝しげな視線を向ける。実際、ダンジョン十回層は霧に覆われた階層だ。今時霧に覆われているからといって格別珍しい話ではない。

 聞き手の疑う視線に気付いたのか、語り手の男はチッチッチッと立てた人差し指を左右に振って否定する。

 

「そうじゃなくてだな。普通霧っていうのは薄く視界が悪く広がるだろ? だが噂の霧っていうのは、何でも壁のように一箇所にだけ立ち込めているのさ。まるで、その先に行くなと警告するように。実際、地図で調べたらそこには道なんてなかったらしい」

「……で? その警告された先には何があんだよ?」

 

 続きを言いたがっている語り手に乗るように、聞き手の男は続きを促す。その言葉を待っていたと言わんばかりに語り手は神妙な面持ちとなって続けた。

 

「―――その先には、異界に繋がっているのさ。語るのも恐ろしい、怪物の元へな。故に、その霧に入って生きて帰ってきた者は誰一人としていないらしい」

 

 男の語った噂話に聞き手は僅かに沈黙した後、

 

「いや、帰ってきた奴がいなかったら噂になんねえだろ。何処行ったか分かんねえのに」

「まあそりゃ噂だからな! ガッハッハッハッハ!!」

 

 当然指摘された矛盾に語り手はさも当然のように同意し、近くを歩いていた店員に酒をお代わりを注文する。

 そう、所詮噂に過ぎない。誰が語ったのかすら分からない真実性の欠けた話。いずれ誰の記憶にも残らない有象無象の泡沫。

 だが。

 仮に、何百万もの噂の内に、たった一つの真実が隠されていたとすれば―――

 

 

 

   ◇

 

 

 

「―――、―――ッ、――――!」

 

 薄暗い左右を壁で囲まれた洞窟のような通路を、一人の男が駆け抜けていた。

 服装は騎士甲冑に片手剣と、冒険者の服装とはオーソドックスな品物。ガチャガチャと音を立てて走る様は、しかし騎士というのはあまりにかけ離れていた。

 身体を守るはずの鎧はひび割れ、至る箇所がはだけてしまっている。手に持っている銀色に輝くはずのロングソードは半ば折れ、顔を守るヘルムは脱ぎ捨てられ恐怖と絶望と困惑で歪んだ無様な形相が浮かんでしまっている。

 男は息を吐く時間さえ惜しいとばかりに全力疾走をしていた。しかしそんな状況が長くも続くはずがない。

 

「――が、ッ!」

 

 何かに躓き男の身体が地面へ叩き付けられる。怒りと恐怖で苛立ちながら早く逃れようと足元を見て、何が自身を引っ掛けていたのか気づき恐怖で声無き悲鳴を上げる。

 そこにいたのは、人間の死体だった。

 ミイラなのではないかと錯覚するほど痩せこえた骸の数々。そのどれもが絶望と狂気に歪んだまま固定されており、まるで自身を招き入れようとしているのではないかと錯覚に陥る。

 そこで、男はようやく尻付いている液体が泥ではないことに気付いた。泥のように赤く泥濘んだそれは、死者達から零れ落ちた―――

 

「ヒ、ヒヒィッ! 離せ、離せよクソ! 糞糞糞ォォオ!!」

 

 発狂したように引っ掛かった脚を引き抜こうともがくが、ビクともしない。むしろ沈んでいるような錯覚に陥り余計に手こずってしまう。

 そんな中、ズルズルと何かを引き摺るような音と共に、周りの腐臭とは比べ物にならないほどの匂いが近づいてくるのが理解できた。

 

「あ、あ……あァ……!」

 

 男の表情が、周りの死者達と同じよう面持ちに変化していく。

処刑台に昇るような死へのカウントダウン。もはや男は抗う気にもなれずただその時を待った。

 どうしてこうなったんだと、何処か目前の光景を夢のような心地で眺めながら男は回想する。

 狂ったのは、何処からだったのか。男はつい最近ランクアップを果たし有頂天だった。これでもっと深い階層に潜れる。これでもっと認められる。いつか俺も英雄になれる―――。

 そう思い、粋がっていた。慢心していた。だからこそ、今まで見たことがなかった霧の篭ったダンジョンの通路を見て、宝の匂いがするなどと思って入ったのだ。

 そうだ、霧だ。総てはそこから狂ってしまった。霧の中に入った瞬間、辺りは一変した。まるで死体置き場にでも紛れ込んだような腐臭漂う空間。今まで見たことがないような血肉と臓物で汚れた壁や床。引き返そうにも霧は先程までとは違い結界でも張られたかのように壁となって触れることすらできない。

 まるで愚か者を招き入れるように。去る者を拒むように。

 そこで、現れたのは―――。

 

「……ハ、ハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 通路から現れたそれを直視して、とうとう男の精神は崩壊した。正気でいることよりも、狂気に飲まれる事こそが救いと感じた。

 通路から現れたのは、名状しがたき怪物。獣というにはあまりに骨格が人に近く、人というにはその有様はあまりに酷く醜悪だった。

 男の全長など軽く上回る巨躯。開かれた口の中には無数の目玉が蠢いている。身体に巻かれた布らしきものは血肉を浴びすぎて赤黒く変色し、背中に突き刺さった刃が何故かどこか救いに見えた。

 見たことがない怪物。この名状しがたき怪物こそが、男をここまで追い詰めた存在。そして、とうとう追い詰められた。

 

「ヒヒ、クヒヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 

 口端から涎を垂れ流し、血走った瞳で怪物を見つめる。うわ言のように「これは夢だ、そうだ夢なんだ」と呟く男を前にして、怪物は巨大な爪を振り上げた。

 この怪物が何なのか。そういえば、この空間に入ってきた時に、何か聞こえてきた気がする。あれは、確か―――。

 

「……醜き、獣……ルド―――」

 

 男の意識があったのは、そこまでだった。

 振り下ろされた爪が、一押しで甲冑ごと引き裂いて押しつぶす。まるでトマトを潰したように辺りに飛び散った肉片は、悪夢のような光景だった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 そこは闘技場のように四方を円のように壁で囲まれた空間だった。

 生い茂られた草木が時の経過を告げており、永らく使われていないのが明白なほど風化してしまっている。

 そんな時代遅れの闘技場の中で、

 

 ―――また一人、骸へと散った。

 

「カンナァあああああッ!!」

「おいアリサ! まだ出れねえのかよ!?」

「うっさい! 出来たらもうやってるわよ!」

 

 悲痛めいた叫声が響き渡る。五人いたはずのパーティーはもはや三人にまで減り、白い霧の前で必死に体勢を整えている。アリサと呼ばれたパーティーにおいて魔導師の役割である少女は霧に触れて少しでも早くこの場から脱出しようとも解析を試みるが、悲痛に歪んだ表情がその成果を何より示していた。

 

「何なのよこれ……! 魔法でも結界でもない、何かが塞いでいるワケでもない。なのに触れることも出来ないなんて……!」

 

 怒りに任せて振り被った杖を振り下ろす。杖は霧を貫通し通路の先に振り下ろされるが、何故かアリサの腕は霧の向こう側へ振り下ろしたのにも関わらず脚が下がったように霧の目の前で振り下ろされている。

 魔法を撃っても無駄。道具を投げたところで通り抜けるだけ。

 まるで、人だけ逃がさないようにしているような―――。

 

「くッ……ガァアアアアアッ!?」

「カイトォおおおおお!!」

 

 また一人、鮮血を撒き散らしながら骸へと変わっていく仲間。カイトは大盾で防御していたのにも関わらず、まるで無駄のように盾を、鎧を引き裂いて胴体を分断した。

 背後に熱の篭った熱い血が飛び散った事に耐え切れず、アリサは霧の解除を中断して振り返った。その瞳は同胞殺しの姿を捉える。

 そこにいたのは、巨大な狼のような鎧を着込んだ騎士だった。

 左腕の箇所は潰れてしまって無気力に垂れ下がっているが、それ以外は未だ顕然。狼を象徴するような騎士甲冑は、素人の目先でもかなりの品物だというのが分かる。そして何より目を引くのは、肩で抱えるように背負う一振の大剣。大人でも両手で揮うのは難しいその巨大な大剣を、狼騎士は左腕のみで軽々しく揮い、仲間達を虐殺していった。

 

「は、ハハハ。悪いアリサ、俺のせいだ。俺が欲張ったばかりに……」

「団長……」

 

 団長と呼ばれた青年の悲痛な笑声が虚しく響く。本来ならば、彼等はこんな所になど来る予定はなかった。

魔弾(タスラム)』の二つ名を与えられランクアップを果たしたアリサと、彼女と同じLv.2であるカイト達三人、そしてLv.3である団長で組んでいたパーティーはこの日、アリサがランクアップを果たした事で冒険をしてしまったのだ。

”冒険者は冒険をしてはならない―――”。

 冒険者ならば何度も聞かされてきた誓約を、この日彼等は破ってしまった。ダンジョン上層という慢心もあり、彼等は霧が立ち込める未知のエリアに突入してしまった。

 愚か者の末路がこの有様。霧を抜けた先には闘技場が広がっており、脱出不可能。更に襲い掛かって来る敵は最低Lv.5以上。

 自分の油断が仲間を殺してしまった。その罪悪感に団長は膝を屈伏し、

 

「―――なに、勝手の諦めてんのよ馬鹿団長!」

 

 後輩の激励に、寸前でとどまった。

 

「アリサ……!」

「私達はまだ生きてる! なら諦めちゃ駄目でしょうが! あいつらだって最後まで諦めなかった。なら私達はなおさら抗わなきゃいけないでしょうがッ!!」

「……ぁ、ッ」

 

 そうだ、彼等は最後まで団長(自分)を信じてくれた。なら、そのリーダーである己が諦めてはいけないだろう。

 

「ああ……そんな当たり前のこと謂われるなんてな……情けねえ」

「フン、目は覚めた?」

「ああ……勝つぞ。勝って、生きて帰るぞ!」

 

 団長の目に、もはや迷いはなかった。背中に背負ったバスタードソードを右手に、左手に魔剣を構える。その背後でアリサが魔法を放つべく詠唱を開始する。

 二人の心は今や一つ。生きて、帰るために―――

 

「行くぞォォォおおおおおッ!!」

 

 団長は自己を奮い立たせるために咆哮し、腕を十字に交差させた構えで前へ突撃し、

 

「―――えっ」

 

 その姿が、影に覆われる。

 覆ったのは、狼騎士の巨体。つい先程までは間合いの範囲外に居たのにも関わらず、僅かに重心を落としたと思えば、まるで狼のように俊敏な動作で飛び上がり、宙を一回転して大剣を振り被っていた。

 振り下ろされる大剣を前に、出来たことといえば間抜けな声を漏らすだけで。

 まるで悪い冗談のように、団長は剣や魔剣ごと一刀両断されたのだった。

 

「――――――ッ!!」

 

 その光景を前にして、最後に残ったアリサは絶叫したい衝動を抑えこんで詠唱を続けた。

 許せないという赫怒を魔力に変えて。魔力暴走寸前にまで魔力を流し込んで。

 完成するのは、彼女の二つ名の由来。発動すれば目標に当たるまで追尾し、破壊力はLv.1の時でさえミノタウロスを一撃で葬るほどに。

 ランクアップを果たした今の彼女は、かつての何倍も凌ぐ。

 

「【我が魔弾から逃れる者はなく】」

「【我が信念に揺るぎなし】」

 

 その魔法の名前は―――。

 

「【撃ち穿け―――タスラァァァム】ッ!!」

 

 アリサの渾身の咆哮と共に、彼女の背後から砲弾のような巨大な光の球体が飛翔する。その球体は狼騎士さえ包むほどの巨大で、大剣を振り下ろした狼騎士には回避も防御も間に合わない。

 直撃する―――そう確信しアリサは仲間を失った悲しみと敵を討てた喜びに涙を流しながら端を歪め、

 

『―――UAAAARRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRッッッ!!』

 

 混沌が、光を飲み込んだ。

 

「―――――」

 

 人は真に絶望した時、何の声も出ない事をこの瞬間アリサは知った。

 獣の咆哮、とても人の声帯が出せる声量ではない叫びが轟いた瞬間、狼騎士の足元から何かが溢れだしアリサの魔法を打ち消したのだった。

 突然溢れだしたそれを、アリサは表現できる言葉を知らなかった。

 黒より黒く、漆黒よりも漆黒で、溢れ出したそれはこの世のものとは思えない。それを見つめていれば何処か引き摺りこまれてしまうような―――まるで、それがこちらを覗き込んでいるかのような―――

 

「グゥッ、あぁ……!」

 

 そこまで思考し、注意を引き取られていたせいだろう。アリサは首を狼騎士に掴まれるまで気づかず、掴まれた後はもはや手遅れだった。

 

「ヒィ……ッ!?」

 

 至近距離で狼騎士と目が合う。ヘルムの下から覗く眼がある箇所には、黒い窪みだけが写り、その視線の意味を理解する。

 

「い、嫌、それだけは嫌ァ……!!」

 

 もがくように宙に浮かぶ脚で狼騎士の鎧を蹴るが、無駄。

 嫌だ、それだけは嫌だ。死ぬのはまだいい。けれどそこに連れて行かれるのは死ぬことより恐ろしい……!」

 

「嫌、イヤイヤイヤ嫌ァァァァああああああああああああああああああああッ!!」

 

”おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”

 

 アリサの断末魔は吹き上がる禍々しい霧に飲まれ、消えていく。

 残ったものは、ただ静寂のみだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 異なる世界、異なる時空。それを繋げしは、真実を覆い隠す霧。

 恐れるがいい、冒険者よ。その先に待つのは救いなき絶望。それでもなお求めるというのならば、覚悟せよ。

 例え、救いなくとも。希望なくとも。残酷な真実が待ち受けていようとも。

 

 さあ―――

 

 

 

「ソウルを求めよ」

 

「絶望をくべよ」

 

「獣狩りの夜を始めよう」

 

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