ああ、夢を見ている―――五年間もの間、絶えず見続けてきた悪夢を。
酒に逃げても逃げられなかった過去のトラウマがフラッシュバックし、今も鼓膜と網膜に焼き付いて離れない。
爆音、絶叫、悲鳴。幾度と絶え間なく響き渡る音がより鮮明に鼓膜に伝わる。視界はとうの昔に爆撃をまともに見て一面真っ白。時折見える鮮血の赤と恐怖と歓喜に歪んだ死人の面が脳裏に深く深く刻まれていく。
『この命イリスのもとにぃ―――!!』
敵の絶叫と共に、爆撃音がまた一つ木霊し仲間の肉体がまた一つ骸へと帰る。一人敵の首を切り落とす頃には、既に二人以上仲間が死んでいく。
別段、仲が良かった訳ではない。ただ同じファミリアで、同じクエストに参加しただけの赤の他人。名前だった知っている方が少数だし、ほとんどが顔も知らない人達だった。
だけど、ここで死んでいい奴等なんて誰一人いなかった。冒険に夢を、ロマンを追い求めて笑っていた今を生きる尊い者達だった。
ましてや、こんな―――
『同士よ、恐れるな! 死を迎えた先こそ我々の悲願だ! さあ、我らが主神に忠誠を―――!!』
『―――うるせぇ、黙ってろ。死人が口を聞くなよ』
俺やお前のような、生きているだけで害になるような亡者がアイツ等の命を奪う資格なんか何処にもないのだから。
突如視界に潜り込んだ俺に驚愕するように一瞬息を呑んだ致命的な隙に、逆手に握り締めた短剣を振るい顎を切り落とす。宙を舞う狂気に歪んだ死人の面を掴み、能力の一部を発動するのと同時に首から下の爆弾である火炎石を身体に巻き付けた死体を一番混雑している空間へ蹴り飛ばして、その遺体に頭部をぶつける。
『
激突した頭部と遺体は突如震え出し、まるで内側から破裂するように粉々に吹き飛んだ。同時に、身体に巻き付けられていた爆弾もその破裂に連鎖するように爆発する。
ましてそれが身体中に爆弾を巻き付けた集団の中心部ならば、連鎖爆発は先ほどまでの比ではない。
鼓膜が突き破られたのではないかと錯覚するほどの爆発連鎖が発生し、あまりの衝撃に大地が震える。常人ならば立っている事さえ不可能な現状こそ、最大のチャンスと化す。
振動で体勢を崩す奴等の頸を片っ端から切り落とし、お望み通りの死へと送ってやる。宙を舞い、死が確定した首の無い自身の身体を見て彼等の瞳に宿るのは―――安堵。
『愚かなるこの身に、祝福を……』
『どうか、どうか我等の望みをォ!!』
『死よ! 死による祝福をぉぉおおおおッ!!』
彼等の瞳に映るのは、死の恐怖からの解放。死してなお、自分達は救われるのだと信じて疑わない狂信者の色。
それを前にして、刃を揮う腕が震える。噛み締めた奥歯はとうの昔に噛み砕け、荒ぶる感情の放流はとうに手綱から離れていた。
『ふざけんなよ……! 死にたいなら一人で勝手に自殺しろよ! 関係ない奴等巻き込んでんじゃねえよォッ!!』
死は恐ろしい。そんなものは当たり前だ。誰だっていつか訪れる終わりが恐ろしいに決っている。恐怖を乗り越えろだとか、そんな英雄染みた事を思えなんて言う方が無理難題だろう。
だからと言って、自分以外の誰かに命を捧げる事が正しいはずがない。ましてや、関係ない誰かを巻き込んでいい道理があるはずがない。
そして何より―――
『あああああああああああああああああああああああああああああァァァァッ!!』
口から溢れたのは悲鳴か咆哮か、もはや分からない。ただ一秒でも早く終わらせるべく敵を殲滅する。
誰一人逃さない。ここで逃してまた被害が繰り返させないためにも、逃げまとう者であろうとも容赦無く頸を刎ねる。
一人殺す度に、短剣が重くなる。血が刀身に纏わりつくはずもないのに、まるで命を吸っているようにズッシリと重く感じる。
殺した相手の面が網膜から離れない。鼓膜の裏に仲間の悲鳴と敵の絶叫が染み付いて離れない。
ああ、もう無理だ―――魂に罅が奔る音が聞こえる。英雄ならば、この状況でどう思うだろうか。この悲劇を、涙を明日の笑顔に変えるのだと決死の覚悟で更に前へ突き進むのだろうか。少なくとも、俺には無理だった。もう、戦おうという気概さえ浮かんでこない。
それでも刃を揮うのは、ここに俺以外の誰かがいるから。少なくとも俺以上に価値のある人がいるなら、少しでも助けないと。
もう、終わってしまった俺とは違うのだから。
『―――ああ、凄いな。オレの眷属達がほとんど殺されちゃったよ。流石はロキ・ファミリアの次世代の”エース”というべきかな? ゼノ・フォルスちゃん―――いいや、”
『タナ、トス……!!』
声がする方を向けば、そこにいたのは黒いローブを羽織る
匂うのだ。死に絶えろ、死に絶えろと、死の腐臭が奴から漂ってくる。その匂いを纏わりつかせている者を、俺が見間違えるはずがない。
『その名で、俺を呼ぶんじゃねえ……!』
『ああ、それなら
死神は笑う。その空虚な瞳に虚空の色を宿しながら俺の魂を見抜く。
『見せてくれ。死者の色をしながら、我が掌から零れ落ちた”生きる死者”よ。―――さあ、今こそ竪琴を弾いて我等の慟哭を癒しておくれ』
『―――アア、ああああああああああああああああああああああァァァッ!!』
死んだ者は生き返らない。
無くした物は返って来ない。
それでも残り続けるモノなど―――”
故に、俺は誰よりも俺を嫌悪する。憎悪する。
“
突き付けられた”同類”だという真実に、気が狂ったように絶叫を上げながら身体能力、スキル、魔法の全てを駆使して死神に突撃する。
ただ死ねと、俺の視界に入るな塵がと呪いを込めながら。
そして、あと一歩で刃が届くという寸前で、グラリと視界が滲んだ。重心の感覚が曖昧になり、奇妙な浮遊感と共に何もかもが消えていく。
それは当然の結末だ。何故なら俺はこの先の結末を知らないのだから。故に夢が写すのはここまで。再び悪夢は繰り返される。
最後に見えたのは、ただ熱の籠もった瞳で嘲笑う死神の面と。
『―――さあ、怨みの叫びを天に轟かせよ。虚しく闇へ吼える竪琴を』
まるで
◇◇◇
先ず初めに感じたのは、金槌でも打ち込まれたような鈍痛だった。
「おおおぅ、おあああぁぁ……」
まるで鐘の内にいた状態で鐘を鳴らされたように、鈍痛が頭の内部で乱反射して目眩と吐き気が収まらない。全方位どこを向こうと気持ち悪さが消える事なく、吐き気を催して口元を抑える。
寝惚けと吐き気のダブルパンチを喰らいつつ霞む視界を死に物狂いでこじ開け周囲を見渡して、ようやく現状を把握する。
「……ああ、そういや昨日はロキが酒持って乱入してきたんだっけ」
周囲を見渡せば、空となって床に転がる瓶が二桁以上。初めは明日に備えて早く眠るために柄でもない酒に手を出して呑んでいた所に我等がロキ・ファミリアの主神であるロキが乱入してきて気が付けばこの有り様である。
「むにゃははは……まだや、酒が足らへんでぇ……」
「……こんなんでも、神様だからなぁ」
足元で空となった酒瓶を大事そうに抱き締める残念女を眺めながら、その真実に軽く目眩がする。あっ、ヤバイホントに吐きそう。酒の飲み過ぎ、二日酔いダメ、絶対。
「やっぱ酒になんて頼るんじゃなかった。つーか何で耐異常のアビリティが働かねえんだよクソがアルコールだって人体には害だろ毒を癒やすならアルコールだって癒やしてくれよ割とガチで」
ブツブツと文句を口にしたところで何も変わらないと自覚しているが言わなきゃやってられないのである。とりあえずシャワーでも浴びて少しでもさっぱりしようと扉を開けて、
「おーいゼノー! 早く朝ご飯食べないと遅れってうわ、酒くさっ!?」
「ティオナ……頼むから耳元で叫ばないでくれ……頭ガンガンするんだよ」
開口一番にとんだ言い草な仲間に頭を押さえながら文句を言う。言われた少女は不満そうに頬を膨らませ、彼女が感情に豊かな天真爛漫な少女だという事が窺える。もっとも、アマゾネス特有の露出の高い服装からしてそういう性格なのは理解できるが。
「えー、だってゼノが悪いと思うよ? 今日みたいに大事な日にそんな酒に酔い潰れちゃてさぁ」
「あー……? なんか在ったか今日?」
いかん二日酔いが酷くてろくに思考が回らん。頭痛と吐き気で足元さえ落ち着かない悪循環の中記憶を遡ろうとして、ティオナの声で理解する。
「何って、今日は大事な『遠征』のだよ! ほら、前回もそうやって二日酔いでサボったんだから今回はシャキッとするの!」
そもそも、俺が酒に手を出す事など宴会の時か遠征の前日以外滅多にないのだから、考えるまでもなかった。
『遠征』という言葉に酔いで曇っていた思考が一瞬で覚め、鈍い熱を持っていた身体は一気に氷点下。カラカラの喉の乾きは唾を幾ら呑んでも消えやしない。
そうだ、俺達はこれから―――命を掛けた戦場に赴くのだ。”ダンジョン”と呼ばれる迷宮地下に。
迷宮都市オラリオ―――此処がそう呼ばれる謂われは、この都市が唯一ダンジョンと呼ばれる迷宮の上に建てられているからだ。
遥か昔、まだ人類こそが地上の覇者だと懐疑の念さえ持たなかった時代。一つの穴が存在した。その穴から人類に敵意を持った怪物であるモンスター達が溢れ出していた。人類は必死に抵抗したが、人成らざる力を持ったモンスターに為す術もなく、次第に追い詰められていた。
そんな時に、救世主として彼らは現れた。地上である下界に降り立った天界の超越存在―――神々が。
娯楽として、神々は人類にある力を提供した。『恩恵』と呼ばれる奇跡は、人類に急激な力を与え地上に蔓延るモンスター達を次々に打ち倒し、やがて『穴』であったモンスターの吐口に封印を施しその上に都市が建てられた。
その都市こそ迷宮都市オラリオ―――その都市の中でも、神と契約して集ったファミリアの中でも更に優秀な迷宮都市最大派閥なのが俺が住んでいるロキ・ファミリアなのであった。
そんなファミリアならば、必然的にダンジョンの奥地を探求するものであり、階層が深部へ下がるほど命の危険が増すのは当然の摂理だ。
だから、目の前でにこやかに『遠征』を楽しみに笑うティオナの姿を見て―――未だ震えを必死に隠そうとする自分自身に吐き気がする。
そうだ、怖いんだ。命を掛ける事は恐ろしくて、今すぐ逃げ出したい。何が第一級冒険者だ、何がLv.5だ。どうして皆わざわざ痛い思いをしにに行く。本当に勘弁してくれよ。頼むから放っといてくれよ。
それでも逃げ出さないのは、最後に残った残り滓のような矜持だからか。歳下であるこいつらが命掛けているのに、歳上である俺が逃げる訳にもいかないだろ。酒には逃げるけど。
「あーぁ、ほんと世知辛い世の中だわぁ……」
「ゼノ? どうしたのそんな天井見上げながら目許を抑えて」
「んにゃ、別に何も。つーかあんま俺に構ってないで他の奴等の所に行かなくていいのか? 遠征まであんま時間ねえんだろ」
「あーッ! そうだった、アイズがいつまで経っても食堂に来ないから迎えに行ってたんだ。じゃああたしは行くから、ゼノも遅刻しちゃダメだからねぇ――ッ!!」
「はいはい、分かったからとっとと行きな」
またねー! と元気よく腕をブンブン振りながら去っていくティオナに適当に手を振ってあしらいつつ、胸の縁に宿るどうしようもない感情を吐き出すように嘆息する。
顔を上げれば、そこにはガラス越しに映る自分の顔が。何年もの付き合いのある嘗てとは違う他人の顔に嫌気がして、同時にガラスの顔も嫌悪に歪んだ。
寝癖の酷いボサボサの黒髪に、死んだ魚のような濁った赤い瞳。着崩された衣服は俺の心を表しているようで、何処からどう見ても駄目駄目なおっさんにしか見えなかった。
これでも23歳なんだけどなー、とボヤくが十中八九この死んだような眼のせいだろう。仕方ないかと吐き捨ててガラス越しの空を見上げて見れば、曇一つなく青空に爛々と輝く太陽の姿が。
「ホント、忌々しいくらいにいい天気だなぁ、おい」
どの世界であろうと、地上を照らすその輝きは変わらないようだ。