2年前。
その男、ベルンシュタイン・ノイモーントは魔術師の一族、アインツベルンが本拠地とするドイツの城を訪れていた。
雪の降りしきる山奥にその城は存在しており、市街地や人里から随分と離れているせいか訪れる者などベルンシュタイン以外はゼロに等しい。来たところでこの城の主が部外者を中へ招き入れるとは思えないが。
そもそもベルンシュタインは、何故この城に自分が呼ばれたのか、そして誰が呼んだのか、それすら理解せぬまま連れられるままに荘厳な客間へと通された。自分に宛てられた手紙に差出人の名は記されておらず、本当にアインツベルンの人間からの招待であるかも不明だが、メイドが門まで出迎えに来たあたり、そこは間違い無いらしい。出された紅茶も毒が盛られていないか魔術で透視してみたが、なんの変哲も無いただの紅茶だった。勿論、一緒に出された角砂糖やミルク、紅茶の注がれているカップ、ソーサラーにもそういった類のものは見つけられなかった。
紅茶を一口啜り、喉を流れていく高級感と温度を感じていると、ギィと音を立て古いドアが開けられ、杖をついた一人の老人がゆっくりと客間へと入ってきた。ベルンシュタインを呼んだのもどうやらこの老人らしい。
「すまない。こちらから呼んでおきながら待たせてしまった」
深い皺の刻まれた頬を緩め老人は黄ばんだ歯を見せてベルンシュタインに微笑みかけた。何歳かは見当もつかないが、見た限り体はボロボロ。魔術を行使してどうにか存命しているといった有様だった。
「それで・・・私が呼ばれたのはどういった御用件で?」
「ああ、それなんだが・・・先に聞いておこう。君はアインツベルンがやってきたことをご存知かな?」
老人は試すようにベルンシュタインへ問いを投げた。テーブルに肘をつき、手を組んで、ベルンシュタインの内心でも探るようにその両目をじっと睨んでいる。
ベルンシュタインの回答はただ一つ、「勿論知っている」だ。
魔術協会の目の届かない極東の島国、日本の冬木市に存在する第七百二十六号大聖杯を用いた「聖杯戦争」。7騎の英霊(サーヴァント)を行使して最後の一人になるまで戦う乱戦(バトルロイヤル)。ロード・エルメロイII世によって第七百二十六号大聖杯が解体されてからは行われていないとベルンシュタインは記憶している。
「大体は把握しています。ですが冬木の大聖杯は解体されたのでは?」
「そのためにお前さんを呼んだのだ」
「はい?」
ベルンシュタインは状況を理解できていなかった。冬木の聖杯戦争と自分には何の接点も無い。ましてベルンシュタインの先祖も、彼の妻の先祖も聖杯戦争には関与していない。
「お前さんに頼みがあって呼んだのだ、ベルンシュタイン・ノイモーント。お前さんにはそれをこなす技量も、動機もある」
ニヤリと笑う老人に対しベルンシュタインは生唾を飲み込んだ。いくらかの修羅場は抜けてきたはずだが、この老人の考えていることは今まで経験したそれらをはるかに凌ぐ。
「本題に移ろう」
老人の顔から笑みが消えた。
「冬木の大聖杯の再構築、並びに隠蔽をお前さんに頼みたい。無論断っても良いが、その時は、この城から出ることは諦めるんだな。少なくとも、生きているうちは」
現在。2月24日。
イギリスはロンドン、その街並みに
その一室に七人の魔術師が呼び集められていた。それぞれ学部も派閥も異なるものの階位は皆一様に
「全員集まったか」
全員の視線が声の方へ向くと同時にドアを開けて一人の男が部屋の中へ入ってきた。時計塔の
「今回君たちを集めたのは極秘の任務を与えようと考えたのだが、その任務というのが、日本の冬木で行われる聖杯戦争への参加だ」
エルメロイの口からサラッと出た言葉に七人は動揺を隠せずにいた。無理も無い。冬木の大聖杯を解体したエルメロイ本人からそんな密命を受けたのが信じられなかったのだ。
「教授、本気で言っているのですか?他の
七人の一人、魔術師ながらがっしりとした体つきの男、マルク・タントリスが疑問をそのまま口にした。
彼の言う通り、ここまでの重要事項が
「急ぎだったのでな。勿論他の
エルメロイはそれだけ言い残すと、踵を返してツカツカと部屋を後にした。
日本のとある場所に存在する街「冬木市」。
周囲を山と海に囲まれた、これと言って名所や名産がある訳でもない、ごく普通の街。ただ一つ他の街と違うのは、「聖杯戦争」なる「儀式」が何度も繰り返し行われていることだろう。
市街地には大きな公園やショッピングセンターもあり、一概に田舎とは言い切れない。
市の中心に架かる橋を境に店の多い市街地と、学校と民家からなる住宅地が分けられているようにも見える。
その住宅地の民家の中の一つ、三階建ての一軒家の一室で事件は起こっていた。
向かい立つ少年と少女。この状況そのものに不思議な点は無い。時刻は午前零時を迎えようとしているが恋人や家族であるならあり得る状況だろう。
だが、問題は別にあった。
呆然と立ち尽くす少年の手には黒い鞘に納められた日本刀が一振り握られていた。かなり古い物のはずだが鞘にも柄にも破損や風化は見当たらない。特別な魔法でもかけられたように無傷だった。
少年の正面に立つ少女もキョトンとした様子で辺りを見回している。顔を動かす度に艶やかな黒髪がサラリと揺れ動いた。何より、十二単という時代錯誤を起こした突飛な服装をしていたのだ。
「
状況確認が済んだのだろう。おもむろに口を開いた少女の幼さの残る声が静かに部屋の中で反響する。
「汝が私の
日本語に聞き覚えの無い横文字を織り交ぜた質問に少年はただ頭に疑問符を浮かべるしかなかった。