彼と彼女たちの、いちゃいちゃ短編集。   作:ペレオン

5 / 6
素直である事が、勝利への近道。


嫉妬する天使と、無欲な天使。

 総武高校では、新学期になった直後に球技大会が行われる。

新一年生にとっては新しいクラスメイト全員が殆ど初対面だろうし、二年や三年にとってもせっかく馴染んだクラスメイトと離れて、また一からの顔合わせとなる面々も多い。

そういった新しい環境に溶け込みやすいようにと開催されるイベントが、この大会である。

球技大会本番や、その前に行われる練習を通じて、みんなで仲良くなって欲しいと言う学校側の目論見のもと、行われるわけだ。

 

 ちなみにこの球技大会、生徒側にも概ね好評である。

体を動かす系の催しだと運動音痴な奴はどうしても楽しむ事が出来ず、仲良くなって欲しいはずの大会で戦犯扱いされ、結果的にスタートダッシュで躓いてぼっち街道まっしぐら。と言うことも起こりえるのだが、そこは進学校といったところだろうか?

運動がそれほど得意でない生徒にも配慮されており、運動部の経験者をチーム分けの時にバラけさせ、なおかつ種目もボールが直撃した所で怪我の心配が少ないソフトテニスであったり、バドミントンでラリーを続けあったりとか、そういう平和的な物を選んでいる。

 

 話聞いてて思ったけどバドミントンって球技なの? シャトルってボールになるのん?

とかテニスコートそんなに人数捌けねぇだろ……なんて思ったりもしたが、そこはまあ上手いことやったようである。

 

 そんな感じで、今年もやってきました球技大会。

入学したての一年次は事故の影響で出れなかったし、二年に上がった時は気乗りしなくてサボっていたので何をやってたかは知らんが、今年は色々あったので出席することになった。

いやまあ出るのが当たり前なんだろうけど。

本当なら今年も出る気やる気元気いわきは無かったのだが、クラス替えと言う苦難を無事に乗り越え再びクラスメイトとなった天使から「八幡っ! 一緒に頑張ろうねっ!」と最っ高にハイになっちゃう台詞を、きらきらした目とにっこりと眩しい笑顔とほっそりと白くて柔らかいすべすべの指と掌で俺の手を優しく温かく包み込まれながら言われてしまったので後に引けなくなった次第である。

 

 ちなみに今年はゴムボールを使用した野球をやるらしい。

野球やソフトボールの経験者、後は体育の授業などで何をやっても動きのいい奴とかは最初から同チームにならないようにあらかじめ分けられ、その後にチームが組まれた。

メンバーはくじ引きで分けられ、俺が知っているメンツでは戸塚と由比ヶ浜が同じになった。

ちなみにガチで勝敗や得失点差を競うわけではなく、クラスの親睦を深めるのが目的なので男女混合編成である。

 

 ……結果が発表された時に由比ヶ浜が小さくガッツポーズしてて、それを席の近い戸塚が「良かったね、結衣ちゃん!」ってこっちを見ながら言ってたのが少し気になったとか、そんなことはない。

いつの間にか戸塚が由比ヶ浜の事を結衣ちゃんなんて呼んでるのとか全然気にならない。

ホントだよ? はちまん、うそつかない。

 

 ナインに続き、試合開始時のポジションもくじで決めるようだ。

さて、どんな感じになるかね。

……お?

戸塚がピッチャーで、俺がキャッチャーになった。

後の奴は別にいいや。と思っていても知ってる名前を見るとついつい脳がそれを認識してしまう。

……由比ヶ浜がファーストか。

それだけ確認した俺に、戸塚がこちらを向いてきた。

 

「八幡が女房役だね! 一生懸命投げるから、僕のボールがんばって受けてくれる……かな?」

 

「にょ、女房!? 任せろ戸塚、試合中だけじゃなくて、戸塚の事なら一生受け止めてやるよ」

 

「も、もう! 八幡ってば! なにいってるの! 野球とかソフトボールだとキャッチャーの事はそう言うでしょ!」

 

「お、おう。 そうだったな」

 

 戸塚が両手をあごの下に持ってきて、ぷりぷり怒っている。

全然怖くない。むしろかわいい。もう何やってもとつかわいい。

あまりにもかわいすぎて返事がちょっとしどろもどろになってしまった。

 

「ヒッキー! あたしファーストだから! 牽制球とかどんどん投げてきていいからね!」

 

「いやいや。これ花試合だろうが……牽制とかそんなガチなのいらんだろ」

 

「ほえ? お花?」

 

 んー? とか言って眉根を寄せ、人差し指を口の下に持ってきつつ首をかしげている。

……こいつ、こう言う表情とか仕草を演技じゃなくて素でやるもんなぁ。

意識せずにかわ……アホっぽい事やりやがるからたまらない。

ほんと、養殖100%表情全部作り物のどっかのあざといだけのあいつも見習ったほうがいい。

最近たまに天然物にもなるようだが。

 

「勝ち負けにこだわらずに、純粋に楽しめるような試合の事を花試合って言ったりするんだよ。プロ野球のオールスターゲームとかが代表格だな」

 

「あー、確かに色んなチームの人気選手がみんなで集まってるのって普段は見れないもんねー。みんな笑ってたりとかでベンチの中も明るいし」

 

「ま、そういうことだ。だから俺は極力働かないし牽制球も投げない。壁に徹する」

 

「えっ、はちまん…… ただボールを受けるだけの壁役になっちゃうの……?」

 

「と思ったが俺は戸塚の女房だからな。超本気だす。ボールは絶対逸らさないし牽制も投げるしサインも108通り用意しとく。だから戸塚、放課後は俺と二人で練習しよう。5時間ぐらい」

 

「ヒッキーほんとさいちゃんにデレデレしすぎ! あたしにだって……それぐらいデレてくれても……」

 

 あっはは……と戸塚が苦笑いしている横で、由比ヶ浜が悔しそうに顔をむくれさせてちょっと斜め下に向けながら、尻すぼみに小さくなる声量で文句を言っている。

難聴系じゃないし、隣に居る俺にはばっちり聞こえてんだけど。

そんな事いわれても、面と向かってデレれるわけないだろ!

まったくこの子は……

 

 俺の内心の悩みを知るわけの無い由比ヶ浜は、他のチームメイトになった連中に話しかけられ、戸塚もそちらに混じっていった。

ま、当日は俺も頑張りますかね。

 

 

 

 球技大会当日。

晴天に恵まれ、広いグラウンドの4隅を利用する形で賑やかに野球の試合が進められていた。

俺たちのチームも、今から第一試合が行われるところである。

対戦相手は国際教養科のJ組か。知ってる奴はいないな。うん。

……ついつい無意識で知り合い探しちゃうとか、変化ってのは怖いもんだな。

 

 友達になろうとして断られたままの知り合いが対戦相手に居ない事を確認して、キャッチャーズボックスに陣取る。

それを確認した審判を務める教師のプレーボール宣告を聞き、戸塚が右足を少し前に踏み出し、ゆっくりと胸の前に両手を構える。

いわゆるノーワインドアップのポジションだ。

その後、左足を上げ投球動作に移り、グローブからボールを握った手を出し、左手を折りたたみながら綺麗なスリークォータースローで右手を鮮やかに振りぬく。

俺がミットを構えたところ、バッターから一番遠いアウトコース低めの位置を目がけてボールは一直線。

打者がその球へ反応し、バットをスイングする。

 

「よし!」

 

 しゃりっ、っと金属バットにゴムボールが掠った音がした。

バットにこそ当てられたが、本当にかすっただけだったのだろう、ボールは殆ど前に飛ばず、俺のちょうど目の前で弱々しく転がったのみ。

素早くマスクを投げ捨て、力なく転がった球を素手で掴み、そのままファーストの由比ヶ浜へ矢のように送球する。

 

「ワンアウトー! いい感じだよー、さいちゃん!」

 

 一塁できっちり俺の送球を受けた由比ヶ浜が、嬉しそうにボールを戸塚へ戻しながら声をかける。

 

「ありがとう結衣ちゃん! この調子で頑張るよ!」

 

 戸塚がボールを受け取りつつ、こちらをちろっと見てから返事をする。

今の視線は何だろう? あれかな、俺がイケメンすぎて惚れちゃったのかな?

キャッチャーマスク付けてるしそもそも目が腐りきってるからどう考えても違いますねごめんなさい。

……捕手ってのは縁の下の力持ちだからな、別に寂しくなんかない。

 

 その後も捕手として、戸塚が受け。間違えた戸塚を受けていたが、レクリエーションである事を重視している試合なので、イニングを消化した後に守備位置が変更されバッテリー解消。とつかぁ……

無失点のナイスピッチングを見せた戸塚は笑顔で後続のクラスメイトにマウンドを譲り、俺もショートのポジションへと移動。

ちなみに戸塚がセカンド、由比ヶ浜がファーストに回っている。

 

 その後、とあるイニング。

リリーフした男子クラスメイトが1アウトを取った後にヒットを打たれ、ランナーを出してしまった。

 

「篤史くーん、打たせていこー!」

 

 由比ヶ浜がマウンド上の能見を励ましている。

野球での声出しって本当に大事だからな。うん。それはわかってるんだが。

……なんだろうな、この良くない気分は。

っと、能見が投球動作に入ってる。ボールを見とかないと。

イケメンと言うよりはハンサム、な能見がすらっと長い両腕を綺麗に振りかぶり、右足を上げてから力強く踏み出し、ボールを握った左手をリリースする直前まで体で隠して、その後小さくテイクバックしてから人差し指と中指で挟み込んだボールを投げるために思いっきり腕を振る。

フォークボールの構えから放たれたそれは、打者の手前で一気に沈み込む。

しかし、打者に空を切らせるには至らず、相手も食らいついてくる。

何とかバットに当ててきたボールは投手の足元を抜け、ギリギリ俺の守備範囲かどうかって所へ打球が飛んできた。

しゃーねぇ、あんまり張り切るのは嫌いだが、ちょっと頑張りますか!

 

 普通に取っていたのではダブルプレーの取れない位置だ、いちかばちか戸塚を信じてやるしかない。

そう思った俺は打球に対して思いっきりダイビングしてグローブを出しセンター前へ抜けそうな打球を止める。

そのままベースカバーへ向かっている戸塚へ、弾くようにボールをそのまま掬い上げた。

アライバのごとく!

 

「ほれ!」

 

「わっ、凄いね!」

 

 戸塚が俺から弾きあげられたボールを捕球しながら二塁を踏み、そのまま体を回転しながら一塁へボールを投げる。

ゲッツー狙いの素早い送球だったため、一塁の手前でハーフバウンドしてしまうが、捕球の難しいそれを由比ヶ浜はこぼす事無くしっかりとファーストミットにおさめ、それを確認した塁審もアウトのジャッジを下した。

 

「八幡! 今の凄かったよ!」

 

「うん! ヒッキー、すっごくかっこよかったよ!」

 

 二人から凄く褒められながらベンチへ下がっていく。

……悪い気はしないな。

と、ここで戸塚が由比ヶ浜のほうを向く。

 

「ごめんね結衣ちゃん、取りづらいボール投げちゃって。ナイスキャッチだったよ!」

 

「ありがとさいちゃん、大丈夫だよ! ギリギリのプレーだったしね」

 

「うん!」

 

 にこにこしている二人を見ていると、どうしてかソウルジェムが濁りそうだったので、何とはなしに隣で試合しているチームを見る。

 

 ……雪ノ下が居るチームか。

 

 雪ノ下はキャッチャーをやっているようで、守備についているナインに色々と指示を飛ばしている。

それとなく近づいて見回してみると、相手チームの三塁ランナーは葉山のようだ。

野球しててもサマになってるとか、ほんとイケメン爆発しろ。

心中で密かに葉山を呪っていると、バッターが高くショート後方へフライを放った。

遊撃手が打球を追うのを止め、レフトが猛然と前進しながら捕球したのを見て、葉山が猛然と走り始めた。

タッチアップまでやんのかよ、ガチすぎだろ。

レフトからのボールが中継を介さずキャッチャー雪ノ下へダイレクトで向かい、ランナー葉山と同じぐらいのタイミングでホームへ。

レーザービームのような送球を受け取り、そのまま両者が交錯する。

判定は―

 

「間一髪、間に合わなかったか」

 

「あなたに遅れは取らないわ」

 

 アウトが宣告されていた。 へっ、ざまあ!

とゲスな事を思いながら見ていると、葉山と雪ノ下がこちらを見る。

俺がプレーを見ているのに気付いたようだ。

葉山と雪ノ下が何故か一瞬顔を見合わせ、立ち上がってジャージについた砂埃をはらう。

 

「ははっ、君には負けるよ」

 

「あら、流石クロスプレーの最中でも相手を怪我させないように回りこめる技量は大したものだわ」

 

 プレーの合間の会話だから、そんなに長話ではない。

 

「褒めてもないもないよ、雪乃ちゃん」

 

 すぐに終わるようなやり取りだった。

 

「事実を言ったまでよ」

 

 だが。

 

「……隼人くん」

 

 雪ノ下が目を閉じ、穏やかに言葉を返す。

……聞いてたら手首がひりひりしてきたわ。

って、え?

 

「うお、マジか」

 

 自分でも気付いていなかったが、さっきのプレーで手首を擦りむいたようだ。

まあマラソン大会で思いっきり転倒した時と比べるとそんなに大した事ないから、試合終わってから保健室にでも行こうかね。

 

「はちまーん、そろそろ打順回ってくるよー、って八幡大丈夫!?」

 

 ジャージの袖をまくって傷の具合を確認していると、隣の試合を見ていて居なくなった俺を戸塚が呼びに来てくれていた。

そしてどうやら、戸塚も俺が怪我しているのに気付いたようだが、あまり心配はかけたくない。

 

「別にこんぐらいならいいよ、傷も大した事ないし」

 

「ダメだよ! 八幡が怪我したままじゃみんな心配するんだから! 絆創膏だけでも貼りに行かなきゃ!」

 

「いや、でも試合中だからな……」

 

 遠慮しようとしたが、戸塚に手を握られて校舎へ連行されていく。

やだ、何このマジLOVE1000%ラブコメ展開。思わずきゅんきゅんしちゃう。

試合はどうやら順番待ちの他のチームから代役を入れてもらえるようだ。

なんとかなりそうだな。

せっかくだし、俺はこの戸塚ルートを選ぶぜ!

 

 

 

 

 手を握られたまま、手を握られたまま到着したのは保健室だった。

大事なことだから2回言っちまったぜ。

戸塚が俺に背を向けて、薬棚の方をごそごそしている。

棚の上側にはお目当ての物が無かったのか、今度は左手と膝を床について下側を探している。

ちなみに俺は戸塚の真後ろにある椅子に座って、探し物が終わるのを待っている。

 

 ……そんな四つんばいみたいな姿勢だと、そのですね。

気になるわけですよ。棚の左右を見るたびにふりふりと揺れるアレが。

あの小さくてきゅっと締まったライン、ほんとに同じ男なの? なんなの、誘惑してるの?

ふと、棚のそばの鏡を見てみると、腐った目を怪しく光らせ、口の端からちょっと涎が垂れている不審者を映し出していた。

……どう考えても通報物の表情です本当にありがとうございました。

慌てて口の周りを拭うと、ちょうど戸塚が顔を上げた。

 

「あっ、良かったぁ。絆創膏あったよ八幡! 怪我したところ、見せて?」

 

 絆創膏を見つけたことで本当に嬉しそうに、その後に真剣な面持ちに変わってこちらを向いてくる戸塚を見て罪悪感が有頂天。

しかし俺、マラソン大会の後も雪ノ下と由比ヶ浜に手当てしてもらったし今も戸塚に絆創膏貼ってもらってるし、スポーツイベントで毎回怪我してんじゃねぇか……

やだ、私の怪我回避スキル、低すぎ?

 

「おっけー、貼れたよ。でもごめんね? 結衣ちゃんや雪ノ下さんじゃなくて」

 

 よしっ、と一息つきながら少しだけ意地悪そうにニヤっとした表情でこっちを見てくる戸塚。

一色あたりに同じような顔されたら、はっ倒したくなりそうだな。

でも戸塚がやると、とつかわいい。

 

「え? なんであいつらが出てくんの」

 

「マラソン大会の時、結衣ちゃんと雪ノ下さんに心配そうに付き添われながら保健室に入っていってたの、思い出してさ」

 

「なんだ、見てたのか。恥ずかしいな」

 

「たぶん僕しか居なかったと思うけどね、中途半端な時間だったし」

 

 だから大丈夫だよ、そう付け加えて天使の微笑みを見せる。

あぁ、これ見れただけでも野球頑張った甲斐があったわ。

努力ってのは思いがけないところで報われるもんだな。

これからも専業主夫を目指すために、たゆまぬ努力を続けていこう。

 

「でも、あんまり無茶しちゃだめだよ? 今日だって、結衣ちゃんも雪ノ下さんも心配そうにしてたんだから」

 

「え、そうなのか?」

 

「そうだよ。保健室へ向かってる時に二人とも凄く不安そうな目で八幡のこと見てたんだから」

 

 と、ここで何かを思い出したような面持ちになってから、戸塚の言葉が一瞬途切れる。

 

「だから、二人にちゃんと謝ること! いい?」

 

 めっ! とでも言いたげな感じで右手の人差し指を立て、ちょっと体を前にのり出すようにしながら付け加えられる。

えっなにそれほんととつかわいい。もうそのままもっと前のめりになってくれてもいいのよ?

 

「えー、でもなぁ。プレー中の怪我だしわざとやったわけじゃないんだが……」

 

「ちゃんと向き合ってあげないと、八幡と口きいてあげないからね」

 

「わかった。めっちゃ土下座してくる。なんなら靴も舐めるまである」

 

 戸塚と喋れない人生なんて生きている意味ないしな!

あぁ、天使の寵愛を一身に受けたいだけの人生だった。

 

「えぇっ!? 別にそこまでしなくてもいいよ!?」

 

 慌てた様子になって左手を胸の前できゅっと掴み、右手をふりふりさせる。

もうほんとキミの仕草の一つ一つに夢中だよ! 何やってもかわいさマックスハート。

惚れた弱みって奴かな? そうだな。たぶんそう。と言うか絶対そう。それしかないまである。

 

「冗談だよ。とにかく、怪我も大した事ないし戻ろうぜ」

 

「うん! そうだね!」

 

 天使の施しで3人からの心配を受け、体力とちょっとの血液の2つを失った俺は、グラウンドに戻る事にした。

ちょっとバランス悪くないですかね……

 

 

 

 グランドよ、私は帰ってきた!

アスファルトで覆われた校舎から、砂に覆われた校庭へと舞い戻る。

試合は俺と戸塚が居ない間も代役が入ってくれたお陰で順調に進んでいたようで、なおかつこちらのチームがリードしているようだ。

今から最終イニングの守備に入るようで、めいめいが守備位置へ散っていく。

そんな中、由比ヶ浜が捕手の装備するプロテクターやレガースを順々に装着していた。

一緒に戻ってきた戸塚が自然に彼女の背中側へ回り、手の届きにくい範囲のアダプターをロックしていく。

無事にマスクまで着け終わり「ありがとーさいちゃん」と礼をし、それを受けて「いいよ、ゲームセットまでファイトだよっ!」とニコニコしながら返す。

……なんだろうな、釈然としない。

 

 おっと、ポジションだよポジション。

用意されているグローブで残っているのは外野用とファーストミットと、ピッチャー用のもの。

ま、どこでもいいか。

 

 俺が選んだグローブを見て、戸塚と由比ヶ浜が顔を見合わせ、また二人でニヤっとする。

またか、今日は何なんだ一体。

考えてもしょうがねぇ、せっかくだから俺はこのポジションを選ぶぜ!

 

 最終回のマウンドに上がる。

こっから運動部の連中の打順が続くから、結構しんどそうなんだよなぁ……

怪我上がりの俺に登板させるとか何なの? 俺を戦犯にしたいの?

とか内心で愚痴ってしまったが、どうやらまともに投球できるメンツでイニングを食って、最後に俺が余ったらしい。

だから由比ヶ浜を含め、女子連中は殆どマウンドには立っていない。

……別に、どうでもいいけどな。

 

 相手打者もバッターボックスで準備が出来たようだ。

それを確認し、今度は捕手の由比ヶ浜と視線を交わす。

こちらもいけるらしい。なら、やるか。

 

 彼女の構えたミットの位置を確認した後、投球動作に入る。

腕をすっと高く上げてから頭の後ろへ移動させつつ振りかぶって―

左足を上げてから踏み出す時に上体を前傾しつつ、右腕を横一文字に振り抜いた。

親指と人差し指で挟み込むような握りから飛んでいったそれは、ゆっくりとした球速で大きく弧を描き、真ん中で待っていたミットの位置どんぴしゃに収まった。

審判が右手を上げてストライクコール。

まどろっこしいのを省くと、サイドスローのフォームからスローカーブ投げただけなんだが。

速球狙いだったのだろう、意表を突かれて固まる相手バッター。

恵まれた投球フォームからのクソみたいな変化球。天邪鬼な俺にぴったりだ。

本格派のエースみたいな思いっきり大袈裟なワインドアップの構えで投げた意味があったな。

 

 2球目。

今度は胸の前に両手を構え、なるべく小さく素早い動きで内角、打者の近くへ投げ込む。

遅い変化球の次に、素早いノーワインドアップから速球を投げられ、これも手が出ずに見逃しでストライクを取る。

追い込んだ。

 

 さてと、次はどうするか。

一時期ようつべで漁った動画に影響されて、必死に壁当てで練習した伝家の宝刀があるのだが……

問題はこいつが取れるかどうかなんだよなぁ。

由比ヶ浜を見る。なんか声に出さずに口を動かしてんな、ええと……

 

(ど・ん・と・こ・い? 超常現象かよ)

 

 ぱくぱくと動かした後に、にかっと笑う。

あぁ、ここでそれは反則だろ。信じるしかなくなっちまうだろうが。

 

 一塁に背を向け、グローブを顔の手前少し下側で静止させる。

ボールを掴む人差し指と中指を折り曲げ、殆ど爪だけを引っ掛けた握りにして、充分に落ち着かせてから、投げる!

 

 ゆっくりと相手打者の絶好球ゾーンへボールが吸い込まれていく。

それを見た相手が狙い済ましたようにスイングするが。

 

「わわっ! あ…… やったぁ、ちゃんと取れたよ!」

 

 殆ど回転のかかっていないボールは、空気抵抗をモロに受け、フラフラとバットから逃げるように不規則に沈み込んで、スイングを掻い潜りキャッチャーミットに納まった。

 

 ナックルボール。

魔球、と呼ばれる響きに憧れたものなら誰でも一度は試そうと思ったんじゃないだろうか。

プロの投手ですらその難しさに実戦で投げる者が少なく、プロの捕手ですら変化の不規則さが祟って確実に捕球を出来る者が少ない、真の魔球。

投げる度に軌道が変わり、バットの芯で捉える事はおろか、まともに当てる事さえも難しい。

そんな変化球を実戦で試し、また打ち取れる機会があった事に内心で感動していた。

 

(何よりも……)

 

 一番びっくりしたのは、あいつがちゃんとこれを捕球できた事だけどな。

正直、たぶん普段であれば投げようとは思わなかっただろう。

野球部の奴がキャッチャーだったとしても、投げなかったかもしれない。

何故かはわからないが信じてみたくなった。

どうしてか、投げてもいいと思った。

 

 理性ではなく、直感を。俺が信じたものを。信じようと思って。

 

 きっと、魔球を投じたのだろう。

 

 ここからは早かった。

俺がナックルを投げられる事を察した相手が勝負を焦り、トルネード投法からで投げ込んだチェンジアップを引っ掛けて戸塚の守るファーストゴロに仕留め2アウト。

 

 次の打者にも、脳内あと一人コールに合わせて手をダフらせる寸前まで下げたアンダースローから、レスキュー! するための情熱のシンカーを投げ込み1ストライク。

もう一度サイドスローからぺろーんとスローカーブを投げて2ストライク。

あといっきゅう! あといっきゅう! とかつてマリーンズが出場し、4試合で29点差をつけて圧勝した日本シリーズでは一度も聞く事無く終わったコールを思い浮かべて、投げる。

 

 全力で投げたストレートは、目の慣れてきた相手に空を切らせるには至らずバットに当てられる。

しかし、変化球を続けられた相手に自分のスイングをさせずに打ち取るには、充分だった。

殆ど真上に高々と舞い上がった打球は、そのまま捕手の元へ戻ってくる。

日差しや風もそれほど邪魔をせずに、最後は由比ヶ浜がガッチリと掴んだ。

 

「ゲームセット!」

 

 審判の宣告を聞いた瞬間、ボールを掴んだ勢いそのままに、由比ヶ浜がこちらへ駆けてくる。

そしてそのまま俺の所へ飛び込んできた。

うおめっちゃうれしそうなんだこいつかわいすぎかいぬならめっちゃしっぽふってそうなおうだきつかれるとやわらかいかんしょくがあばばばば

 

「やったねヒッキー! ナイスピッチングだったよー!」

 

「だぁぁぁ暑い暑い熱い! わかったからくっつくんじゃねぇ!」

 

 思いっきり抱きついてくる由比ヶ浜を何とか引き剥がそうとする。

クラスメイトたちも何か知らんが俺ら以外で勝利のハイタッチを交わして、こっちを生暖かい目で見ながら下がっていく。

……やだ、もうおうちかえりたい。

 

 

 

 

 はぁ、やっと終わった。

つっても普段の一日授業の時よりは早く終わったな。

部室でも行って、のんびりしますか。

通い続けて1年近くが経過した、あの場所へ向かう。

 

「うーっす」

 

 引き戸を開けて、いつもの空き教室へ入ると、予想外の来客が居た。

 

「お疲れ。雪乃ちゃん、今日はよく頑張ってたね」

 

「ありがとう。たまにはこう言うのもいいわね」

 

 なんだ? 葉山と雪ノ下がとても親しげに喋っている。

葉山は椅子を反対側に向け、背もたれを腕を組むように乗せながらいかにも自然な雑談ですよーと言わんばかりの表情だ。

 

「お、比企谷もお疲れ。結構、運動できるんだな」

 

「あ、おう」

 

 あまりにも自然でナチュラルに話しかけられて思わずキョドっちまったぜ。

っていうか、色々と聞きたいことあるけどなんなの?

 

「結衣も、キャッチャーなんて怖いだろうによく守りきったね」

 

「うん、ありがと隼人くん」

 

 由比ヶ浜がどこか緊張しているような、恥ずかしそうな笑顔でお礼を返す。

頷いた葉山がぽんぽんっと由比ヶ浜の頭を軽く撫でつつ、ねぎらいの言葉をかける。

 

「おい」

 

 自分でも驚くぐらいの低い声が出ていた。

そして、何を言おうと思ったのかわからない事に気付く。

ついつい声が出てしまった。

……反射的というか、衝動的な自分に内心で驚く。

 

「ん? なんだい比企谷?」

 

 出し抜けに不躾な問い掛けをした俺を見ても動じる事無く、ごく自然に返事をしてくる。

 

「お前がわざわざ来てるぐらいだから、何か依頼でもあるんだろ?」

 

「あぁ、そういうことか。 それならもう終わったよ」

 

 どうやら依頼に来ていたらしいが、既に終わっていたようだ。

なにそれ蚊帳の外過ぎて泣ける。

そしていつのまにか蚊帳の外と思ってしまって自然に働く事を植え付けられている自分の本能にも泣ける。

やだよう、働きたくないでござる!

 

「そうか。部活とか、行かなくていいのか?」

 

「あぁ、大会の後始末とかもあるからね。しばらくは大丈夫さ」

 

 と言った葉山は、またも由比ヶ浜と雪ノ下の方へと意識と会話を戻した。

時折、また先ほどのような光景が繰り返される。

どうしても、それを平常心で見ていることが出来ず、会話に参加する術もなかった俺は―

 

「……ちょっと、飲み物買ってくるわ」

 

 彼らから、背を向ける事を選んだ。

 

 

 

『八幡のいない部室にて』

 

 

 

「ちょっと、やりすぎたかな?」

 

「いえ、そんな事はないと思うわ。とても自然よ。むしろ自然すぎて困惑したわ」

 

「でもいい感じじゃない? ヒッキーなんか機嫌悪そうだったし」

 

「あぁ、結構わかりやすいよな」

 

「あれでポーカーフェイスを気取っているつもりなのだから、始末が悪いわね」

 

「ねー。さいちゃんや小町ちゃんにはすーぐデレデレするくせに!」

 

「まあ、君達二人があまり隠さなくなったからね。人前でもさ。戸惑ってるのってのはあるんじゃないかな」

 

「……あなたにも迷惑をかけるわね、葉山くん」

 

「ごめんね? こんな話に巻き込んじゃって」

 

「構わないさ。去年は雪ノ下さんにも結衣にも迷惑をかけたからね。これぐらい、問題ないよ。さて、後は戸塚といろはに任せてるんだっけ?」

 

「うん! いろはちゃんが何かノリノリだったのが気になるけど……」

 

「やはり止めておいた方が良かったかしら……」

 

「はは…… まあ、後は任せるよ。それじゃ、俺はこれで」

 

「えぇ、ありがとう。あなたも頑張って頂戴」

 

「ありがとね、隼人くん!」

 

「あぁ、お疲れ雪ノ下さん、結衣」

 

 

 

 

『再び八幡視点』

 

 

「ふう……」

 

 一仕事終えた後のマッ缶は格別だな。

この旨さを味わうために生きていると言っても過言ではない。

大きな山を越えた後にこそ、練乳のスイートな甘さがデリシャスな美味しさを届けてデリバリーしてくれるのである。

別に一仕事なんてしなくてもいいんだけどな。

なぜなら、彼もまた特別なマックスオリジナルだからです。

だからやっぱり働かねぇ。

 

「はぁ……」

 

 労働について思いを馳せていると、自然と溜め息がこぼれる。

やだなぁ、さっきも廊下で平塚先生とすれ違ったら「本当は行事なんて何もないほうがいいんだよ。我々教師にとっては通常授業+αで業務が増える一方だからな。それに何より私の場合は若手だからっていっぱい仕事回されるしな! 若手だからな! 若手だからなー!」って言ってたし。

え、やだなにこれ社畜自慢どころか若さ自慢じゃん。しかもたいていこれ自慢してくるって事は既に若くないってそれ一番……殺気!?

 

「戻るか……」

 

 どこからともなく膨れ上がった、命を脅かす気配から逃げるように自販機の前から離れる。

おっかしーな、ここ職員室から結構遠いんだけどなー……

 

 自分の思考を振り払うために、平塚先生には申し訳ないが少し現実逃避の材料になってもらった。

しかし、結局のところ溜め息が出た理由における労働や若さ(笑)が占める割合なんて大した事はない。

お、なんかこれ街頭インタビューとかの結果を元に捏造した説得力の無いサンプルデータに無理やり説得力を持たせて勢いで押し切るときの文言みたいだな。

割合がどうのこうのって所をゴリ押ししてくるデータは母数が少なすぎてびっくりするのもあるから要注意な。これ豆。

 

 「うわ、今日は一段と目が腐ってますね……」

 

 見たくないものから目を逸らす思考に嫌気が差しながら、のろのろと部室へ向かってゆっくり歩く。

だいたい、あいつらは俺にとってなんでもない。

彼女でもなければ、ましてや友達ですらないのだ。

ちょっと自分と接点のある子が、他の男と喋っていただけで、どうしてこんなに腹が立つんだ。

……理由なんてとっくにわかってんのにな。

 

「せんぱーい? 流石に真横で歩いてるのに無視はどうなんですかねー?」

 

 大人気ないを通り越して幼稚まである感情に気付き、苛立ちどころか感心すら覚える。

認めたくない、知りたくなかった自分の気持ち。

反吐が出そうなわがままな俺が、酷く醜い。

自己嫌悪が限界まで到達したせいか、視界に邪魔が入る。

それはまるで目の前で手を振られているような―

 

「うおっ、なんだ一色か」

 

 思わず、首を仰け反らせてその場に立ち止まる。

どうやらこいつが目の前で手をふりふりとさせていたようだ。

一色はと言えば、しばらく気付いてやれなかった事にご立腹のようだ。

 

「呼びかけても返事してくれなかった上に、なんだって……ほんと人間の風上にも置けないぐらい失礼ですよね、せんぱいって」

 

「ちょっと? 雪ノ下の悪いところが感染ってんぞ? ちゃんと俺を人間扱いしてくれる?」

 

「してるじゃないですかー、今日は首も掴みませんでしたし、恥ずかしがり屋なせんぱいのために遠くから呼びかけるのもやめてあげたのに」

 

「どっちも当たり前のことなんだよなぁ……」

 

「だってせんぱい、首のところつかんだらいつも『ぐえっ』みたいなキモい声出すからすっごいキモいですし、遠くから呼びかけても反応してくれませんし」

 

「結局自分のためなんじゃねーか、あと大事なことじゃないのに2回も言うな。心が折れる。それにお前、いつも俺の事名前で呼ばねえのに、わかるわけないだろ」

 

 その半眼になって「は?」って言われるの、つら……

やめろ、その視線は俺にきく。

と思ってたら何か一色の顔色が赤くなってわなわなふるえてきた。

ほんと、器用に表情変わるよね君……

 

「ええ何なんですか名前で呼ばないってそれ遠まわしな名前呼んでくださいアピールですかごめんなさいたまに小町ちゃんと喋ってる時とかにはちまんほんとあれだよねーとか言っちゃってますけどそのたびにすっごい恥ずかしくなるんでお手本としてせんぱいのほうからいろはって呼んでもらわないと無理です!」

 

 両腕を思いっきり俺の方に突き出し、目の前でぶんぶん振ってくる。

なんなの、言葉でも手の動きでも振られるとかほんとつら……

 

「はいはい…… んで、お前はこんなとこで何してんの、生徒会でも行く途中か?」

 

「ふぇ? あぁいえ、今日は特に仕事も無いので雪ノ下先輩のお茶をご馳走になろうかなーっと思いまして」

 

 ばたばた振っていた手の動きを止め、ぎゅっとつむっていた目を開けて、少しうろたえるようにしながらも、あざとい返事から言葉を続けていく一色。

 

「今日はってか今日もだろうが……ま、あいつらもお前が来ると嬉しそうだからいいんだが」

 

「……ほんとにそうですかね」

 

「そうだろ。じゃなきゃ部員でもないのに殆ど毎日来てるお前をあんなに歓迎しねーよ」

 

「で、ですよね! わたし愛され系後輩ですからね!」

 

「なんなのその頭悪そうな称号」

 

「ぶー! 頭悪そうってひどくないですかー!?」

 

「お前の口癖みたいなすぐ振ってくる長台詞よりはマシだよ……いくぞ、いろは」

 

「え? え? せんぱい? 今わたしのこと」

 

 戸惑いと嬉しさを併せ持つ、妙な表情を浮かべながら、歩き出した俺についてくる。

……ちょっと大きく呼びすぎたかな。

でもま、名前を呼んでもらうためには不可抗力だからね、しょうがないね。

 

 

 

「ういーっす」

 

 部室に戻り、扉を開ける。

どうやら葉山は部活にでも行ってしまったのか、もうその姿は見えなかった。

ほっと内心で胸をなでおろす。

 

「おかえり、ヒッキー!」

 

「おかえりなさい」

 

 満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに俺に向き直る由比ヶ浜。

由比ヶ浜に腕を掴まれたまま、少しだけ表情を緩める雪ノ下。

もうごく自然に抱きつかれるのを受け入れてますねぇ……いいぞもっとやれ。

二人からの声に頷き返して、自席へ戻ろうとしたその時。

 

「せんぱーい! もう一回『いろは♪』って呼んで下さいよー!」

 

 後ろからついてきていた一色が、盛大に核ミサイル級の爆弾を投げ込みつつ入ってくる。

ミサイルだとあれかな、投げ込むって表現は不適切かな? かな?

とりあえずはスルーして席に座る。

 

「……ヒッキー」

 

「比企谷くん」

 

 うん、これスルー無理そうですね。

なんか手前の奴から炎のオーラとか見えるし、奥に鎮座してる奴からは冷気みたいなのとか色々感じる。

空間とかピシってなってる。

やべぇ。

 

「ええとだな、これはつまりそのアレだ、アレだよ」

 

 とりあえず煙に巻こうとするが、当然効果は無く二人の目線に射抜かれ「んぐっ」とかって詰まる。

女の子に睨まれて一撃で沈められる俺マジ雑魚。

そして目線を逸らした俺を一瞥し埒が明かないと判断した二人の目は、もう一人の当事者へと向けられる。

 

「一色さん」

 

「いろはちゃん」

 

「ひっ!?」

 

 今度は一色に4つの瞳が向けられる。

それをまともに食らい、素早く俺の後ろへ回り込んで盾にしようとしゃがみこむ。

ほんと速攻で先輩シールドに頼っちゃうとかなんなのこの子……

 

「いやですねこれにはその山よりも高く海よりも深いわけがありましてですね」

 

「比企谷君みたいに回りくどい言い逃れをしようと思って、私に勝てると思っているのかしら?」

 

「はっ、はひっ! すみませんでしたっ!」

 

 おー、なんかビビってんなこいつ。

 

俺を境に交わされる視線の攻防に対して我関せずを決め込む。

と、今度は由比ヶ浜がするっと回りこみ一色に攻勢をかける。

 

「そういう抜け駆けみたいなの、よくないと思うな…」

 

「ふぇ!? 結衣先輩?」

 

 一色のあごをそっと掴んで、自分の方へと向き直らせる由比ヶ浜。

逃げようとして立ち上がる一色をそのまま壁に追い込んでいく。

 

「あたしだって、まだ一回しか名前で呼んでもらってないのに……」

 

「んひい! ちょっ、ちょっと! ふうん!」

 

 あごを掴んだまま、そっと壁に押し付け、耳元で囁く。

身を捩って抵抗している一色はもう涙目だ。

なんかいけない扉が開きそうですね……

 

「うわーん! お二人ともすみませんでしたー!」

 

 何とか由比ヶ浜のゆりゆり攻めから逃れた一色は、そのまま部室から逃走した。

ほんと何しに来たの……

 

「……おい。あんまりいじめてやるなよ」

 

「……はぁ。少しやりすぎてしまったかしら」

 

「そ、そだね。でも」

 

 こちらを見下ろし、椅子に座ったままの俺をジト目で見下ろしてくる。

 

「ヒッキーやっぱりいろはちゃんに甘すぎだし……」

 

「そもそも誰のせいだと思っているのかしら」

 

 不満げな目つきで睨まれる。

 

「知るかよ。だいたいお前らも様子がおかしいぞ?」

 

「あら、鈍感谷君でも気付いていたのね」

 

「前にも言ったろ、ぼっちは人の気配に敏感なんだよ」

 

「ならあたしたちの気持ちにも気付いて欲しいし!」

 

「いや……それはそのだな……」

 

「私達は、別に構わないのだけれど?」

 

「そうだよ!」

 

 曖昧で何を指しているのかわからない。

そう言い逃れる事は簡単だろうけど、でも。

 

「そんなの……そんなのダメだろ」

 

 思わず椅子から立ち上がり、二人を見つめる。

 

「ダメじゃないよ。ごめんね? 今日は試すような事ばっかりしちゃって」

 

「私も謝るわ、ごめんなさい。でも、あなたにどうしても気付いて欲しかったものだから」

 

「なんのことだかわからねえな」

 

「そう……私達自身が気付けたから、いいのだけれどね」

 

「そだね。いろはちゃん、さすが伏兵だよ……」

 

「お前ら、もしかして」

 

「でもあんなにひっついていいなんて言ってないし!」

 

「そのあたりはこちらの落ち度ね。今度はもう少しちゃんとしましょう」

 

「次があるのかよ……」

 

「あなたの両腕が何のためにあるのか、理解するまではやるわよ?」

 

「そうだよ、ちゃんとあたしたちを抱きしめてもらわないと」

 

 じりじりと詰めてくる二人。

たまらず俺は、近づいた視線から逃れようと教室の外を向いた。

その時、意識を向けたからだろうか、近づいてくる足音に気が付き、そして。

 

「はちまーん、怪我の具合大丈夫?」

 

 扉をノックする音がした後に、戸塚が入ってきた。

その時、俺は理解した。

こんなにも簡単な事だったのかと。

 

「とっ、とつかぁ……」

 

 部室に入ってきた戸塚を、俺は両腕でがっしり抱きしめた。

え、なにこれ細い。柔らかい。いいにおい……

 

「あぁ、俺の両腕は、戸塚を抱きしめるためにあったのか……」

 

 17年生きてきて、やっと気付いた世界の真理。

そうか、これが―答えか。

 

「えっ、えっ、八幡、どうしちゃったの?」

 

「何も言わなくていい、何も言うな戸塚」

 

「つらいことがあったの? 僕でよかったら話、聞くよ?」

 

「いいよ、こうしていてくれるだけで」

 

「八幡……うん、八幡がそうしたいなら、いいよ」

 

「何故かしら、釈然としないわ……」

 

「むー! さいちゃんにデレデレどころじゃないし!」

 

 戸塚さえ、いればいい。

……なんてな。

ま、両隣でむくれてる二人の事だって、いてくれないとダメだって、俺の心が叫びたがってるけど。

でもそれは、もう少し後で。

今はそう、この腕の中の感触を忘れないようにしよう。

そんな俺の青春は、何もまちがっていない。

 

 

     (おわり)




お読み頂きありがとうございました!
感想とか評価点とか貰えると嬉しいです!
それでは!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。