罰が貴方を苛ませ、心を濁らせる。
けれど、彼方へと消えた尊き人の笑顔が
貴方を、導いてくれるでしょう。
「ぐっ、うぅぅぅぅっっっ!!」
顔に叩きつけてくるように抵抗する空気の壁。身体中の肌を上へと引っ張るような圧に思わず口から悲鳴が漏れる。
「離せ!!」
「がふっ!」
失墜する世界の中、怖気なくアタランテはヒッポメネスを蹴り、己の肉体に張り付くヒッポメネスを引き剥がす。
アタランテは舌打ちを隠せず、宙空を見上げる。神秘を宿す庭園が遥か遠くに離れていく。コンマ一秒ごとに点に近づく光景に奥歯を噛み締める。
ーーーやられたやられたやられたやられた、やられた!!
判断を誤った。この手で子供達を殺すことに手を貸した男の息を止めたかった。殴り、蹴り、首の骨をへし折ってやろうと考えた。
だが、相手の男は最初からこれを狙っていたのか? 身体を掴まれ、足場であった鉄の塊から自分ごと身を投げ出した。
失態だ。感情に呑まれすぎた。これでーーーあの忌まわしい聖女が人類救済の夢を破壊することを許してしまう。
「ヒッポ、メネスッッッ!!!」
絶叫に似た咆哮は離れて失墜する男に向けられた。男は鋭い刃に似た視線で絶叫に応えた。
まだ終わっていない、それを察し、小剣と槍を構える。既に己を底上げしていた令呪の縛りとスキルを発動させる大量の水は飛行機の上に置いてきた。堕ちていくのは只のバーサーカー。そして、相対するのは“赤”のアーチャー。
アタランテは落ちながらも弓に矢を番え、放った。
「ぐっ…!?」
神弓により魔力を込められた矢が肩に突き刺さる。不安定な姿勢に落ちながらの射撃。にも関わらず精密に頭を狙った一撃はギリギリで体を反らすことで致命傷を防げれた。
終わってない。終われるはずがない。アタランテの憎しみは今も尚、ヒッポメネスに向けられている。空中庭園から離れようと、子供達の願いの為と突き動かされる。護れないのならばーーー殺すのみ。
連射される矢にヒッポメネスは的となるのみ。幾つかは捌けるが、それでも体に矢が突き刺さる。針の筵、いや、矢の筵になるのは時間の問題だ。致命傷は避けていても、直に体が動かなくなる。
それでもヒッポメネスは捌き、防ぐ。
ーーー終わりはいずれ来るのだから。
さらに弓を構え、矢を番えようとしたアタランテは突如標的としたヒッポメネスを見失った。視界は暗く、叩きつけられたような痛みが全身に駆け上る。
衝撃と冷温。身体中に染み込む冷たい感覚と、鼻と口から入り込む塩っ辛い味覚。何よりも息ができない。アタランテは何が起こったのか困惑し、すぐに理解した。
落ちきった。空から堕ちてーーー“海”へと着地した。上へと腕を動かし、水面へと顔を出した。
見上げる空からは破壊され、落ちてくる飛行機の残骸。横は墜落し、海の底へと沈んでいく飛行機を見かけた。当然のことだ。ルーマニアから出た空中庭園は遥か上空を移動していた。大陸から出たら境界線まで海がある。だからこそ“黒”の陣営はジャンボジェット機を使い捨てにする作戦を思いついたのだ。
だが、彼女が探しているのはそんなものじゃない。
“海”に最も近づけさせてはならない男が見当たらない!
彼女の警戒はすぐに破られた。離れた海面が突如膨れ上がり、目的の男が空へと身を投げ出していた。槍と小剣を構え、体に矢を突き刺したままーーーアタランテへと接近する。
「アタランテェェェェェェェ!!!」
狙いをつけ、放つーーーことができなかった。海水に弦が揉まれ、波に体を揺らされる。空中よりも不安定な海中では、彼女の技術は激減される。
ここは海。原初の命が生まれた揺籠の中。それを自在に動き回れる者はーーー海の血を引く者。
「ーーーくそ」
「
投擲された魔力を込められた槍は海面に突き刺され、膨張しーーー破裂した。
○ ○ ○ ○ ○
水気が含まれた砂浜は踏まれる度に軽やかな音を奏でる。波は荒々しく、細やかな金属片が漂流していた。寄せては物体を運び、引いては攫っていく大波の中。ヒッポメネスはアタランテを抱えて、陸地に上がった。海にある小さな島。文明も何もなく、獰猛な獣も存在しないだろう穏やかな大地に偶然辿り着いた。
波が届かない位置まで上がると、気絶した彼女を起こさないように地面へと寝かせた。彼女の口元に耳を寄せると、静かな呼吸音が届く。豊満には届かず、慎ましくもない胸板は呼吸のたび上下している。
ヒッポメネスは安堵の息をついた。
「ダメだなぁ…」
結局、トドメを刺せなかった。海に触れたことによりステータスの向上を感じた。令呪によるバックアップではなく、元来持つ機能が発揮されたのだ。海こそが原初。海に近づくことにより力が増した。
それなのに、アタランテを殺す選択肢を選べない。いや、選ばない。
カウレスの令呪、『願いに忠実であれ』は慎ましく発動している。己の願望に忠実で、未練がましくアタランテを望んでいる。自分が望めば、すぐにでも細い首を絞めれるのに。
「本当に…馬鹿だなぁ」
壊れそうな物に触れるようにアタランテの右腕に触れた。蛇がうねる様な黒い痣は、“黒”のアサシンの残留思念。アタランテと比べると少なすぎるがヒッポメネスの右腕にも同じ痣がある。
『ころしておねがいせいじょをあのおとこ』『ころしてころしてころして』『けしてあのおとこをけして』
『かえりたいかえりたいかえりたい』
別物だ。同じサーヴァントから派生された残留思念でも、変化している。囁き続けるだけの思念は、殺意に塗れ縋っていた。
アタランテから聞こえる思念は前者、ヒッポメネスから聞こえる思念は後者。
同じ物だからこそ共鳴し、聞くことができる。思念は囁くだけ。変化しているのは、アタランテの憎しみに当てられたからだ。
「…君たちは、もういない」
魂はジャック・ザ・リッパーから放たれ、行くべき場所へと向かった。思念は魂ではなく残渣。
己に言い聞かせるように呟き、濁った思念が取り付くアタランテの右手を握った。
「これは僕が引き継ぐ」
己が背負うべきだ。“黒”のアサシンにいた子供達の怨念は自分に向けられるべきだ。彼等を救おうとした彼女の憎しみも、殺した自分が請け負うべきだ。
今の状態なら、同じ思念を宿す右腕なら移すこともできる。いつもの詠唱を紡ぎ、引き受けようとした。
「…離せっ!!」
最悪のタイミングでアタランテは目覚めた。手を払い、アタランテは距離を取るべく後ろへと飛んだ。
弓を構え、狙いをヒッポメネスの胸へ構えた。
「なぜ生かした!!」
「…僕が君を生かして、何かおかしいのかい?」
「可笑しい! 可笑しすぎるだろう!」
また生かされた。何時でも殺せるのに、また生かされたことにアタランテは怒り狂い、困惑が生まれる。
「これは、戦争だ!! 魔術師と英霊が手を組み、己が願望を叶える為に殺しあう戦争だ。にも関わらず汝は私を生かす。生かし続ける!?」
痛い。また頭が痛みだす。困惑を引き金に頭痛が起こる。この痛みに苦しむ。この困惑に心を掻き乱される。
この男に、翻弄され続ける。それが不快で、不愉快で、不可解だった。
「何なのだ汝は! なぜこの戦いに赴いた!? なぜ聖杯に縋り付く!? ーーー汝の願いは何なのだ!!」
それが聞きたかった。この戦いで再会した時は何も思わなかった。この男も聖杯に縋り付く願望を持ち合わせていた。それだけなのだと納得していた。
だが“赤”のアサシンに問われ、悩んだ。
ーーーあやつは私の願いを知っているのに、私はあやつのことを何も知っていない。
不愉快だったわけではない。独占欲も何もない。だが、何処か欠けている気がした。
街で会えば微笑んだだけで顔を赤らめた。
平野で戦った時は泣きそうな顔をしていた。
庭園で吸血鬼の攻撃から庇われて、激昂して突き進む背中を見た。
悪夢の中で抱きしめられ、子供達を殺すことに手を貸した時には絶望を覚えた。
信じられない。許せない。殺してやる。怒り狂い、怒り狂い、怒り狂いーーー疑問が脳を責め立てる。
ヒッポメネスが何をしたいのか、分からない。
「何なのだ汝はっ!!?」
叫びは反響せず海へと吸い込まれる。その叫びに怒りも狂気もない。只の叫び、只の疑問。
困惑し、怯えているようにも見える女。その前に立つ男は、その叫びに対し、ただ、こう応えた。
「君に、愛していると言いたかった」
「………………え?」
空白。何もなく、白でもない空虚が全てに変わった。言葉をそのまま受け入れることも、言葉の意味も受け止めれなかった。
愛している。
そう言った男は何処か晴れ晴れしていて、でも苦しむようにーーー笑っていた。繕うようなのに、崩れそうな儚い顔。
意味が、分からない。それだけが世界を成立させている。何時になったら破れるのか分からない空気を破ったのは、空気を作った男だった。
「それだけさ。こんな一言の為に、勝つことができない戦いに魂を売ったのさ」
幾多の平行世界にて行われている魔術師による魔術師の為の殺し合い。英霊の魂を使い魔まで引き落とし、令呪の鎖で縛られてまで戦う理由。救国、征服、統治、平穏、理想、払拭、挑戦。英雄一人ごとに違う欲望の中で、英雄未満の英雄の願いはーーーこの時の為にあった。
「僕は君が好きだった。大好きで、君とずっといたかった。でも、それを口にすることを…僕は諦めた。あの日、あの時、僕が君に勝って妻に迎えられた日から身勝手に決めつけて僕は言葉を切り捨てた」
後悔しかなかった。
「恥じて、行動で想いを伝えようとした。だがそんなもの意味などなかった。だって、僕達は人間だ。言葉でしか真の想いを伝えれない不器用な命なのだから」
それを死に際に悟り、泣き伏せた。
「後の世に卑劣で欲深な男だって伝えられてもいい。女神に力を借りれなければ何もできなくて、他の者でもできた偉業だと謗られてもいい」
だから言わせてくれ。
「君をあ「違う」」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」
壊れたラジオカセットテープのように、繰り返される否定。一定の速さで紡がれる言葉の羅列は、並行なのに無規律を思わせる。
目には光も色もなく、空いた瞳孔が光を吸い取らんばかりの深淵を映している。
「違う、ありえない、そんなわけない、だってあやつは肉欲に囚われた男の一人で、私の夫で、愛などなく、名誉と欲望に駆られた者でしかなく、汝は私をーーー愛しているはずがない!!!」
打ち切られた言葉は断言ーーー拒絶に見えた。認めた価値観、理解を拒み、それ以外の存在と意味すら認めない、認めたくない。
「そんなわけがあるはずない! 愛などあるか! お前は私が欲しかっただけだ! 欲しかったから私に挑み、女神の贈り物を使って勝った! 名誉が、身体が、国が欲しかった! だからだ! だからお前のその想いが愛であるわけがない! 断じて違う! 愛と…認められるか!!」
痛い、とても痛い。頭の中から針が飛び出してくるような痛みが言葉とともに生み出される。痛みを誤魔化すように、叫び続ける。叫んでいると、痛みが軽くーーーなるわけがないのに。
両手で頭を抑えるが、痛みは止まない。強くなる。考えると痛みが強くなる。なんで、どうして。
逃げたい、助けて。どうやったらこの痛みから抜け出される。どうすれば、どうすればーーー
『殺して』
『殺して、私達を殺した男を』
『憎い男を』
『私を責め立て、苦しませる男を』
『殺せ』
答えは出ていた。最初から、そうだった。
子供達の為、当初から、自分はそれだけの為に戦ってきた。
最後の呟きが、子供達の囁きでないことに気づかずに。
「アタランテ!? それはっ!!?」
否定されるのも、拒絶されるのも当たり前だ。それが正しくて、認められないことも了承済みだった。でも伝えたくて、言いたかった。
この後、どんな酷い殺され方をされようとも受け入れられる。
でも、それだけは駄目。
顕れたのは黒ずんだ悍ましい毛皮。表面から感じるのは肌を震えさせるほどの魔性。その奥は、人の身では理解できない歪んだ神性がある。
「カリュドンの猪…!?」
生前、一度だけ目にしたことがある。彼女が忌み嫌い、それでも持ち続けていた諍いの根源。
カリュドンの魔獣。かつてカリュドン王オイネウスはオリンポスの神々に捧げる生贄を、アルテミスにだけ送らなかった。諸説は多数あるが、生贄がオイネウスだったからという説もある。どういう理由であれ、生贄を捧げなかったオイネウスにアルテミスは激怒し、地上に魔獣を送り込んだ。
大猪の形をした規格外の魔獣。腐臭を身体から放ち、大地を腐らせる害悪。
大猪を討伐する為の隊が組まれ、その中にアタランテも存在した。アタランテは女というだけで隊の男たちから忌避されたが、彼女は大猪の身体に最初に血を流させた。
大猪が討伐された後、猪の頭部と毛皮は剥がされ、オイネウスの息子メレアグロスがその毛皮をアタランテへと贈った。理由は恋心か、それとも公平のためか。
アタランテは毛皮を拒否した。そこからアタランテに不満を抱いていた者達の諍いは始まった。地位と名誉に駆られ、毛皮を所望した男たちが争いはじめたのだ。
結果、アタランテの手元には断った毛皮があった。
多くの者が亡くなり、血を流した諍いの証明品。
アタランテはそれを生涯手放すことはなかった。捨てても良かったのかもしれない。だが、彼女は自分を戒めるように持ち続けていた。
「やめろアタランテッ!」
あれは宝具だ。だが、決して使っていいものではないと感じた。
最初、この毛皮の使い道が分からなかった。手元にあるだけで、どんな力を宿すのかさえ不明。
だが今なら分かる。これは自分が憎悪を抱いた時こそ発揮する力。後戻りも先も必要としない破滅の祝福。これを身に纏えば、復讐は果たされる。
必死に手を伸ばし、近付く男を一瞥する。殺すべき忌むべき敵。
こやつを殺せるのならば、どうなってもいい。
「宝具ーーー
渦巻き、取り巻き、黒い靄が払われた。いや、靄に取り憑かれた一部が露出された。
翠緑の服は無くなり、体全体には赤黒い毛皮が張り付いていた。靄がアタランテを護るように渦巻き、靄の中心であるアタランテが嗤った。
「ああ、痛い、痛い、痛いなぁ」
見てられない。目を背けないのに、酷くみてはいけないものを目にした罪悪感が胸の奥に広がる。
「これが子供達の痛みだ。そしてヒッポメネス…お前もこの痛みで果てなき連鎖に堕ちろぉぉぉぉ!!!」
「アタランテェ!!!」
踏み込み、飛び込んだ。何の考えもなく、槍の鋒を彼女へ向けて走った。
それが間違いと悟る前に、世界が反転した。
「………えっ?」
衝撃と痛みは後から訪れる。徐々に熱した鉄板に押し付けられるように、激痛は近く。目には大地と空と海とーーー血と腕が見えた。
くるりくるりと血が軌跡を描きながら地面に落ち、続いて自分も地面に叩きつけられた。
「がっ! ぐがぁっ…!」
左腕が食い千切られている。気がついた時には喰われていた。誰に? そんなもの分かりきっている…!
「は、ははははははははははははっっっ!!!」
片腕だけになった手で立ち上がると哄笑しながらこちらを見つめるアタランテを、“魔人”を見つめた。
魔人がいつの間に走り、走りきったのか分からない。間も無かった。所作も何もなく、完走しきっていた。
人としての動きも全て失い、生物外の速さを手に入れている。あの毛皮を被ることはそういうことなのだ。
アルテミスの神獣である猪に、災厄の呪いをかけたことにより魔獣と化した。その毛皮を被ることで人は魔人に堕ちる。
サーヴァントであるかも怪しい。既に愛した女の面影は薄れている。
それでもーーー
「アタランテっ…!」
彼は見失わない、あれは愛する女性だと。
「ははははは…がぁ!!」
「っ!」
今の一撃を躱せたのは偶然に近しい。動物的本能、それが死から救い出させた。地面を転がるように体を回し、前にいた位置には巨大な爪で抉られたような痕が残った。
動いてなければ死んでいた。何よりも、ヒッポメネスが感じたのは走った事も、走り去ったことも何も察知できなかったことだ。
どんな敵だって弱点がある。それを突くことで勝機を得ようとしてきた。
だが、魔人には通用しない。弱点を捨てて魔性になった者に、弱点など最早ない。
すなわち、勝ち目がない。
「…!」
何もできない。だが、ヒッポメネスは海へと飛び込んだ。時間稼ぎ以外の何物でもない。でもそれに意味がある。
一度、海底に沈んでいく感覚に身を染める。体の芯に向かって冷感が深まっていくのを自覚し、空気を吐き出す。気泡となって水面へと上がっていき、海の中に鋭い矢が飛び込んできた。一つじゃない、十数本に及ぶ矢が突き刺さってくる。多数は外れ、幾つかは掠る。
どうするかなど、決まっていた。だが、目的を果たした今、ここで戦うのは悪手だろう。余計な魔力を消費し、カウレスに負担がかかる事を考えた。思考に深まり、海底に沈んでいく。ふと思い出したのは、ここに辿り着く前の空港での会話。
ーーー俺達にはもう聖杯に託す願いなんてない。それぞれやるべきことが目の前にできちまった。幸い、お前の相手は奥さんだ。やるべきこととやりたいことが一致しているなら、みんな文句ねえだろう。
ふ、と口元が緩む。これから行うことは間違いなく彼の意図から外れている。だがマスターは言って、命じた。好きなようにやれと。
体を起こし、水面へと駆け上った。
「
○ ○ ○ ○ ○
「なんとか…たどり着けたな」
「ええ」
カウレスとフィオレ。“黒”の陣営の最後のマスター達。彼らはライダーの活躍により、空中庭園へと辿り着けた。
彼等はジャンボジェット機に乗らず、小型のジェット機に乗ってここまでやってきた。ジャンボジェット機の陰に隠れ、安全を確保して侵入に成功していた。
ジェット機を乗り捨て、神秘に溢れる神代の建築物を踏みしめる姉弟は警戒する。この庭園の主たる“赤”のアサシンに。
だが、何も起こらないところを見ると他のところに集中しているのか。とりあえず安心した二人はため息をつき、沈黙を保った。
“黒”のアーチャーが消滅した。
フィオレとアーチャーの因果線が途切れたのだ。それを証明するようにフィオレの令呪は消え去った。既に会えないことは覚悟の上、だが、それでも堪えることがある。
堪えるフィオレに見守るカウレスはただ、少しだけそこに立ち尽くした。
(でも、進まないと)
カウレスは分かっている。それが時間の無駄だと。悲しむことは最初から分かっていた筈。でも人間に戻る姉にとって、この沈黙が大事なのだと理解している。もう少しだけ、と姉の肩に手を乗せて
ーーー体の力が抜き取られた感覚に陥った。
「カウレス!?」
「だ、大丈夫」
崩れ落ちそうになったカウレスにフィオレは驚き手を差しのばす。やんわりと手を振って誤魔化すが、魔力の大量消費に何が起きたのかカウレスは悟った。
「
○ ○ ○ ○ ○
誇りも、人である事も棄てたアタランテには自我があるものの理性はない。ただ憎悪に染まり、破壊衝動のみが彼女を突き動かす。つまりは獣になってしまった。
海へ逃げた獲物を逃さんと狙いを曖昧に定めて撃ち続けた。いずれは当たる。駄目ならば海ごと消し飛ばす。殺すことだけ考え、動く。敵味方の区別、周りの事など考えに当たるわけなどなかった。
だから、海面から獲物が顔を出した瞬間駆け出した。
噛みちぎり、引き千切る。後は悉く蹂躙し、臓物をばら撒き獣に喰わせる。
音を置き、衝撃さえも置き去りにする疾走はーーー空振った。
「?」
感触がない。血の匂いも温もりもしない。何故だ? 疑問より速く首を動かして、獲物を探し、
頭上から“爪”が落ちてきた。
「っ!?」
腕を掴まれ、陸地まで投げ飛ばされた。空中で姿勢を変え、着地し掴んだ者の姿を見た。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!」
穏やかな姿は無かった。荒々しく、猛々しい。その二つが今の彼に合っていた。
碧の髪色は濁り、藍よりも深い青へと変色していた。片腕になっていた腕は修復され、両腕に戻り、爪は伸びて太く鋭く刈り取る形へと変わる。口元から覗く犬歯も鋭い。瞳は金色へと変貌し、温厚とは程遠い鋭さを備え始めた。
無造作に髪は長く伸び、空へ叫ぶ姿はーーー獅子であった。
アタランテは今更その変貌に気を止めない。殺戮、それだけが彼女を動かしーーー体に制限がかかったように重くなった。
「!?」
先ほどより体が鈍い。関節がぎこちなく、筋力が弛緩している。魔人となった彼女にステータスなど不要。だが、もしあるとしたらステータスがワンランクダウンしていることを察知できていただろう。
宝具
この宝具はかつて二人が獅子となった逸話を由来とする。ヒッポメネスがアタランテを娶り、幸せを享受していたが、彼は彼女を娶ることができた黄金の林檎のことを忘れていた。黄金の林檎を授けてくれたのは美の女神アフロディーテ。ヒッポメネスはアフロディーテに感謝を忘れており、そのことを怒ったアフロディーテはヒッポメネスとアタランテを獅子に変えた。
だがこの逸話には諸説がある。
ヒッポメネスはアタランテを妻とし、幸せを享受していたがある日、かつて神を奉っていた神殿で宿を取っていた時、黄金の林檎を授けたことを感謝していないヒッポメネスに怒ったアフロディーテが彼にアタランテに欲情する呪いをかけ、彼女を襲わせた。それを見たかつて神殿に奉られていた神は怒り、二人を獅子にしたとされる。
実際はどうであったかは二人しか知らない。だが、この宝具は後者の逸話を原典としている。
『
そして、この宝具の能力はもう一つある。獅子の咆哮は女を萎縮させ、力を減退させる。勇猛果敢な英霊が萎縮する事はないが、その咆哮は低確率でステータスダウンを引き起こす。女を組み伏せ、神殿で交わった逸話だからこそ得た力。
獣の如き所業を顕現させるーーー忌むべき宝具。
ヒッポメネスがバーサーカーである由縁とされる逸話を表したーーー呪いの力だった。
「アタ、らンテぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
理性は削られ続け、いずれ彼女のことさえ認知できなくなる狂化上昇型宝具を発動させたヒッポメネス。
そして、獅子の咆哮で体が鈍くなろうとも増された殺意を振りまきながら魔人となったアタランテは吼えた。
「ヒッポメネェェェェェェェェスッ!!!」
「「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!!!!」」
既に言葉を必要としない、原初の殺し合いが始まった。
猪か獅子か。女か男か。妻か夫か。
最後に立つのは、どちらか。