碧く揺らめく外典にて   作:つぎはぎ

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理性が蒸発したからこそ分かることもある!
そう言った友人がいたように、狂うほどに恋い焦がれた道のりの先に見えた景色がある。
その景色が決して無駄なんて言わせない。言わせてたまるか!!




血よ爆ぜろ、君が君であらんため

  終わりは着々と近づく。

 

  赤の槍士と黒の剣士が再戦の約束を果たした。形は違い、人は違い、果てた夢へと形骸したかけたが武人達の誇りと誓いは守られた。

 

  赤の剣士と赤の女帝は死に際に立つ。王の背中に、父の背中に焦がれた若武者は毒を貰う。然りとて、彼女は立ち続ける。あの背中を、願った想いが分かったのだから。庭園の女帝へと奪った宝剣を突き立てた。

  女帝は去り、残るは剣士の主従のみ。庭園の玉座で静かに尽きる。互いに“突き抜けた”と笑い合いながら。

 

  聖女と聖人は相対する。片方は救国の聖者、片方は極東の聖人。互いに人に尽くし、人を想う。人の原罪を赦すか、赦せぬか。許容するか終わりにするか。

  絶望し、塗りつぶされて、押し潰されて。それでも立ち上がる聖女は傲慢か、はたまた罪深いのか。

  未来の種に想いを寄せて、再会の約束を。身灼きの炎は葬いに。聖人の願いと共に立ち去ろう。

 

 

 

  だが、人類の希望は屈しない。

 

 

 

「…やった、やったぞ……大聖杯は、まだ生きている…!!」

 

  聖人───大聖杯からの帰還者にして、所有者、そして聖杯を人類救済の夢、第三魔法の為の架け橋へと改竄した少年、天草四郎時貞───シロウは叫ぶ。

  あの聖女、この聖杯大戦であり願望成就の為の道の障害をジャンヌ・ダルクの宝具を乗り切った。

 

 『紅蓮の聖女』(ラ・ピュセル)

 

  己の心象風景を結晶として放つ特攻宝具。自らの命を犠牲にして放つ、最強にして唯一の聖女の剣。

  大聖杯のバックアップがあっても、完全には防ぎきれなかった美しい焔は大聖杯を八割も破壊した。

 

  だが、八割しか破壊できなかったのに違いはなかった。

 

「まだだ! まだ僕がいるぞ!」

 

  彼の希望はまだ成立していない。そう、この場にはもう一騎サーヴァントがいる。あのホムンクルスと再契約し、“黒”のライダーとして最後まで生き残った英雄、アストルフォ。

  ここまでの道程を自身のサーヴァント、“赤”のアサシンが防いでいたのだが彼の執念は何重にも迫り来る鎖の壁を超えてきた。

  彼の象徴たる幻馬がシロウへと迫る。その突進力は余裕で彼の肉体を破壊させる。右腕は亡くなり、残る武装は刀一本。そして、黒鍵複数のみ。希望が絶望へ堕ちる一瞬に───

 

「つなぎ、とめる…!!」

 

  祝福は降りてくる。

 

「なっ!?」

 

  青銅の鎖が幻馬に跨る“黒”のライダーを縛る。幻馬にも絡みつき、突進を防ぎその場に縛り付ける。

  シロウは咄嗟に振り返ると、そこには“赤”のアサシンーーー妖艶たる女帝が傷つきながらも右腕を掲げ、魔術を行使させていた。

 

「アサシン!!」

 

「たわけ! モタモタせずに我に令呪を使え!」

 

  駆け寄ろうとした矢先、叫ばれたその言葉に足を止める。逡巡をすぐに潰し、最後の令呪を使用する。

 

「───令呪を以て命ずる。我が暗殺者よ、その力で“黒”のライダーを縛りつけろ!」

 

  すぐに“黒”のライダーを縛っていた鎖に魔力が付加される。その鎖はライダーの怪力を持ってしても砕くことはできない、金剛石に近い硬度を誇る。

  シロウは何故、彼女が此処までの傷を負ってまで自分を助けに来てくれたのか疑問に思った。あの致命傷では霊核にまで響いてるのは確か。どうしようとも消滅は免れない。なのに、這いずるような真似をしてでも何故ここへ───

 

  そう思って、頭を振る。

 

  今は思考に耽っている場合ではない。何故なら、こちらを先ほどから睨みつける者がいるのだから。

 

「貴方に怨みはありませんが」

 

「俺にはある」

 

 

 

 

 

  元より覚悟はしていた。

  この戦いはそういうものであれ、最終的には消えて去ることも。後悔、怨恨、屈辱を残して、何も成さずに消え去ることもあると分かっていた。分かっていた、つもりだった。

 

  魔力供給の為に生かされ、生かし尽きさせられる。それが自分が生まれた意味だった。

  虚無に、無意味に恐怖を覚え、足掻いて生き延びた。誰よりも弱い癖に人間らしく英雄らしい少年に救われて、探す為に生きろと賢者から教えられ、妻である少女に恋焦がれる青年に命を繋ぎとめられた。

 

  そして、君に出会った。

  最初の出会いはとても素っ頓狂なもので空腹に苛まれている可笑しな人だった。

  見惚れるほどの美しさで今でも鮮明に思い出す。君が語ってくれた言葉を一言一句忘れていない。それはホムンクルス故の性能なんかではない。魂が君の想いを、君の魂の美しさを覚えている。

 

  また会いたい。そう思って勝ち抜いた。あの“赤”のランサーに打ち勝ち、君の元まで駆け抜けた。

  再会した時には挫けそうな顔をしていたが───そんな顔は似合わない。

  彼女は立ち上がった。折れそうな彼女の問い投げられた質問に、俺は心の内をそのまま伝えた。

 

  ───俺はまだ考えている。そして、考え続ける。人の悪性と善性を。人間そのものを、少しでも解りたいから。

 

  ───ジーク君は、大丈夫です。

 

  何があったかは分からない。だけど、彼女の助けになれた。彼女は少なくとも彼女なりの答えを抱き、信じて前へ踏み出した。

 

  その決意は焔となった。聖女の焔、彼女の心象風景が焔となって───それが彼女の最期となった。

  あの焔こそ自身さえも焼き尽くし、敵さえも塗り潰す宝具。

 

  ───また会いたい

 

  ───必ず、会いにいきます

 

  その約束と共に、彼女は座に帰還した。

 

  そして、あの男は生き残った。あの焔を受けてなお大聖杯の力を駆使し、片腕を亡くしながらも生きていた。

  その姿を見た時、心臓の奥が煮え滾るのを覚えた。とてもとても熱く、暗い感情。この思いは始めてだったが、言葉にすべきではないとも悟る。

 

  だから───

 

 

 

  このホムンクルスに嫌悪を覚えた。自身が理想とする人間像。絶望も渇望も希望もなく、生を求めず悲劇を生まない存在。

  生きたいと思うからこそ、人は悲劇を呼ぶ。ならば生を固定し、死を取り除く。そうすればありとあらゆる絶望は消え去り、誰もが救われると信じた。

 

  それに反し、このジークと言うホムンクルスはどうだ?

 生を求めず、絶望を知らない存在が───生を求めて、生き足掻く。人を知り、考え続ける。

 

  理想とした者が、理想と離れていくことにどうしても嫌悪感を隠せない。許せないのではない。怒っているわけではない。ただ、どうしても相容れない。

 

  そして、その存在が願望成就を前に立ちはだかる。剣を持って、こちらに苛烈な感情を浮かべた目をして、敵意を滾らせている。

 

  ───ここまで来て、負けられるか。

 

  六十年間、この肉体で生きてきた。この時の為に肌の色を変え、彼女を喚びだす為に長い時を異国の地に根を張った。

  女帝である彼女が最期の力を振り絞っている。最期の最期まで俺をマスターとして認めてくれている。

 

  ───ここまで来て、負けていられるか!!

 

 

 

 

 

「天草四郎時貞。三池典太にてお相手する」

 

「ジークだ。ただの、ジークだ」

 

  この戦いの勝者こそ、聖杯大戦の覇者となり得る。

  極東の聖人か、生まれて一ヶ月にも満たない少年か。刀か剣か。互いの武器を振るい、思いを剣戟に乗せた。

 

 

 

  そして庭園の遥か下、其処で最後のサーヴァントの戦いが迫っていた。

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  ただ、二人は静かに寄り添う。小さな島の何もない海岸で波の動きを何もせず、見つめていた。

  こんなに穏やかなことはなかっただろう。ただの余暇。そんな余りある時間を無為に過ごす事に、人は喜びと意味を見出させる。

  僅かに触れる肌の温もりが尊い。それ以上の温もりは、少しだけ手を伸ばしにくい。だから二人は肩で触れ合うぐらいが丁度いいのだった。

  しかし、この時間がいつまで続くのか。彼らは英霊であり、亡霊であり、死人だ。過去の遺物、やがて去るべき運命。

 

  まだ聖杯戦争の途中。だから、ヒッポメネスは立ち上がった。

 

「行くのか」

 

  アタランテは立ち上がらない。いや、立つ力がない。魔獣の皮を被り、存在そのものが危ぶまれていたが彼女は五体満足だった。それはヒッポメネスの命を引き止める為に黄金の林檎を齧り、口移しした時に林檎の影響で肉体の崩壊は免れたからである。一命は取り留めても、戦える力はない。

 

「うん。僕はバーサーカーだ。この因果線(ライン)が繋がっている限り、僕は友のサーヴァントだから」

 

  遥か高みにある空中庭園、宙空に最も近い大地には友がまだ戦っている。力は無くても一族の誇りを持って、最後まで立ち続ける男がいる。ならばサーヴァントであるこの身も隣に立ち、剣を振るわねばならないだろう。

 

「…まあ、行くって言っても此処にいなくちゃダメみたいだけど」

 

「なに?」

 

  どういう意図なのか頭を傾げたが、アタランテは己の五感が近くにいた存在を捉えた。

 

「よう、もういいのか?」

 

  霊体化を解いたその者は少し離れた岩場の影から現れた。身につけている軽鎧は傷つき、纏っていた不死身の神性が薄れているのが一目で察知できた。

  聖杯大戦で最も英雄らしく、最も強き者として召喚されたその者の名は───

 

「やあ、“赤”のライダー(アキレウス)。覗きとは趣味が悪いね」

 

「出歯亀なんて趣味じゃねえんだがな」

 

「ライダー!?」

 

  最も疾い男の登場に対して場は驚愕が少なくなかった。驚愕は突然の登場ではなく、なぜ彼が此処にいるのか。空中庭園で戦っているものだと思っていたばかりに、僅かな動揺はあった。

  ヒッポメネスは臨戦態勢の為か、両手に小剣と槍といつもの姿で構えていた。

 

「君が此処にいるということはそういうことなのかな?」

 

「まあな。俺の勝ちだよ」

 

  ヒッポメネスの脳裏に浮かぶのは半人半馬の大賢者。勝ったというライダーは喜色を顔を浮かべるのではなく、落ち着いた様子で返した。

 

「そう、か。なら僕はますます分からないな。なぜ君が此処にいることが」

 

「二つあるが、一つは姐さんを迎えに来たこと。ちょいとばかり弱々しかったから慰めてやろうと思ったが…」

 

  ちらりとアタランテに視線を流し、次にヒッポメネスを見てライダーは気持ち良い笑顔を見せて、肩をすくめる。

 

「やれやれ、既に慰められちまったか。手が早いところは祖父譲りだな」

 

「ははは、なに言ったんだこの大英雄」

 

「…ライダー」

 

  分かりやすいほどの勘違いのフリに額に青筋を浮かせるヒッポメネスと呆れてため息が出るアタランテ。

  人懐っこそうに笑う姿に何人の女が振り向いたのだろうか。そんな場違いなことを思いーーー表情を変える。

 

「それで? 何故ここに来たんだい」

 

「俺は自分の言葉を捻じ曲げない」

 

  そう言ってライダーは槍の穂先をヒッポメネスへと向けた。

 

「言っただろう? 貴様の命は俺が獲ると」

 

  それは“赤”のバーサーカーの暴走により始まった戦いの終幕。“黒”のアーチャーと“黒”のバーサーカーのみが大英雄の肉体に傷をつけた。その歓喜に、アキレウスは高々に宣言した。

 

  次に相見えた時に貴様の首を戴く、と。

 

「…律儀な人だね。マスターの方はいいのかい?」

 

「あちらには主思いの女帝とランサーがいる。先生を獲った以上、俺の助太刀もいらねえだろ」

 

「じゃあ…もし、僕が臆病風に吹かれて降参したりしたら?」

 

「そん時は庭園に戻るだけだな。あとは姐さんと好きに過ごせや」

 

「そうかい。じゃあーーー」

 

  手の力を弱めて小剣を落とす。ストンと砂に突き刺さる小剣を見て、アキレウスは落胆したように眉を顰め。

 

  両手でしっかりと柄を握りしめ、槍を構えるヒッポメネスの姿を見て目を見開いた。

 

「最後の最後まで、みっともなく立ち向かわせてもらうよ」

 

  得意の型を捨てた。というよりも小細工は捨て、正面からの戦法を取ったことにアキレウスよりもアタランテが驚愕していた。

  あの小剣こそヒッポメネスが魔術を扱う為の魔術礼装だ。魔力放出とは違い、繊細自在な魔術の使用の為に必要な要。それを捨てるということは───真っ向からの戦いを所望しているに違いない。

 

「っ!」

 

  叫ぼうとして、言葉に詰まる。なんと叫べばいいのか。引き止める言葉が正しいのかもしれない。だが自分は“赤”のサーヴァントである。今更、彼の伴侶だからという理由で叫ぶのも烏滸がましい。

  何よりも彼はアキレウスと己の差を知っている。英雄としての格も、実力も数段以上の差が開いていることを。その上で捨て身に近い戦いに臨もうとしている。

  それを、遮ることをしていいはずがないのだ。

 

「…は、はは、ふははははははははっ!!」

 

  その不退転の決意を目にしアキレウスは笑う。嘲笑ではない。高潔な戦士と出会えた、相手を讃える気持ちのいい気分で思わず笑ってしまったのだ。

 

「いいぞ。ああ、此度の戦争は本当に恵まれている。生前より聞き行った狩人と出会い、師と死闘を演じ、最後にはここまで命を、愛を滾らせる戦士と立ち会える。───この疾走はまさしくオリンポスの神々より与えられた祝福に違いない」

 

「それは違うよ」

 

  祝福、それだけは正さなければならない。ヒッポメネスは厳としてその言葉を正す。

 

「この戦いは全て、魔術師(マスター)によって引き起こされた悲劇に過ぎない。その悲劇の中、偶然と必然により、僕達は幕間にだけ救われているんだ」

 

「つまり、あんたは救われたというわけか」

 

「いや」

 

 

 

「まだ救われ足りない。最後まで満たされないと、気が済まないんだ」

 

 

 

  強欲にも傲慢にも、二度目の命とここまでの軌跡が名残惜しい。まだ終われない、まだ彼女と触れ合っていたい。

  己が本命を果たし、“黒”のサーヴァントとして“赤”のアーチャーを無力化した。本来ならば此処で去ってもヒッポメネスは文句を言われることなく、座へと戻っていてもよかっただろう。しかし、まことに強欲にも、彼は望んでしまう。

  だから、戦うことを選ぶ。このやり方があえて彼女との逢瀬を崩してしまうことになるとしても、間違いだと分かっていても選んでしまった。

  そうしなければ、また失ってしまいそうになったから。

 

「───その意気や良し」

 

  その言葉だけで、後は必要ないとアキレウスは槍の穂先を上げる。既に戦いは決まった。後は決着の時が何秒、何分かかるかだ。

  勝者は、自然とアキレウスだと理解してしまう。それはこの場にいない者でも悟ってしまう。アキレウスから放たれる充溢する覇気が圧倒的な『英雄さ』を現していた。

  前に立つヒッポメネスの存在感はアキレウスと比べると哀れみを誘うほどに矮小だ。

  それでも、彼は静かに怯むことなく佇む。その姿こそ彼が最も信仰した神が彼を称した『嵐の前の静けさ』そのものだった。

 

  ヒッポメネスは手にする槍に魔力を込める。

 

  槍に仄かな魔力光が灯り、たちまち隣に流れ広がる海の一部が槍へと集結していく。

  海から集まってきた水流が彼の槍に馴染むように張り付くと、矛先が一つから三つに増幅される。

 

  三叉槍(トリアイナ)

 

  かの大海神の象徴であり、最強の矛。

  ヒッポメネスの持つその三叉槍は所詮模しているだけにすぎない。贋作でもなく、唯の模造品。偽物にも本物にもなれない、劣化品だ。

 

  しかし、彼はその槍を()()()()()()()()()()

 

  ヒッポメネスは直に三叉神槍(トライデント)を見たことがない。しかし、見たことがあるのだ。間接的に()()()()()()で本物を知った。

  海の記憶、海の存在、海の脈動、海の深淵、海の真名。

  原初から終焉まで、彼は知ることができた。生涯を賭けても人が辿りつくことができない領域を、()()の気紛れにより夢の中で垣間見たのだ。

  本物の様に偽物を振るう。それはきっと無様なのだろう。贋作と罵られても可笑しくない。しかしその槍に培われた技と記憶は彼の絶対唯一。

  海を振るうは大海神の技。大水流を振るうのがヒッポメネスの技。知らぬ者はそれが大海神の技だと知るわけがない。ヒッポメネスもそれを祖父の技と言うつもりはない。これはヒッポメネスだけの()()()()だ。

  彼だけの全てを───大英雄一人に対して集結させた。

 

  一抹の勝利を望み、死ぬ覚悟もある。後は彼女だけだ。少しだけアタランテを見る。秀麗な顔は僅かな困惑に歪んでいた。

  ヒッポメネスはそんな困惑の表情でさえ、愛おしいと思ってしまう。場違いなのは理解している。

  六十年だ。生き別れた時には二十年、理想を追って六十年。生前八十年の形が今のサーヴァント(バーサーカー)だ。自分に向けてくれる感情や表情、言葉でさえ、ヒッポメネスの心を溢れさせる。

  アタランテの全てを許し、許容するヒッポメネスだがそれでも彼女に似合わない言葉があることなど承知している。少なくとも彼女は自分とアキレウスの戦いを止めることはない。二人の間に割り込む言葉など無粋と理解してくれる。

  その事を踏まえ、ヒッポメネスはアタランテに望む。この場に相応しき言葉を、戦士達に贈る賞賛を───

 

 

 

  アタランテはこちらに優しく微笑み、決意の静かな焔を瞳に灯した彼の意図に気づく。アタランテは生前、英霊になった後でも、一度たりともヒッポメネスの内に気付いたことも、覗こうとしたこともなかった。だが、今だけはわかる。彼が自分に望むことを。

 

「…そうか」

 

  誰にも聞こえない程度に呟く。

  決意を理解した。その信念に準ずるならば、応えようと思った。その結末が死だと分かっていても。それが今生の別れになるとしても。

 

  告げられた愛の言葉、婚姻の申し出。真っ直ぐな恋慕の想いに返事できなかった。あまりにも予想外で、思いもよらなかったことに微睡んでしまった。

  不誠実なのだろう。ここまで尽くしてくれたのに、まだ言葉にできていないなんて。

 

  なら…せめて、妻らしく振舞ってみよう。

 

  返事するにも、何かするにも遅くなりすぎた。取り返しがつかないぐらいに、時は戻らない。ならば、狩人という在り方は一時収め、唯の妻として、彼の望みを叶えよう。

  …らしくない、本当にらしくない。こんなこと思うなんて、生前でも考えなかっただろう。そんなことを内心で笑い、心身を引き締めて告げる。

 

  全てを今に持っていき、過去を踏み砕き、未来でさえも棄て去った。

  この場にある全ての者に祝福を、高潔と強欲を持って相対する敵に賛辞を、敗北と亡骸をもって勝利の咆哮を。

 

「双方、構え」

 

  凛と響く声に二人の男は互いの槍を握りしめた。

  戦いに必要な最後の要素は『名乗り』と『宣言』。それ無くして、戦いは始まらない。

  最後の要素は麗しの狩人に託し、男達は命を滾らせる。

 

「大海神ポセイドンの孫にして純潔の狩人の夫、ヒッポメネス」

 

「英雄ペレウスの子にして大英雄、アキレウス」

 

  名も無き島の、大地の上。

  最後のサーヴァント戦が始まる。

  息を大きく吸い込んだ見届け人の狩人が、声を張った。

 

「───始め!!」

 

  英雄殺しの槍と模造の三叉槍が交差する。刹那と散った火花が、槍を交わした男達の相貌を激しく照らした。

 

 




流した血でさえ花となる。
ならば人の為に流した涙は大樹となるだろう。
血と涙も意味はある。 意味にしたいのなら、溢れんばかりの生き様を晒せ。

初歩の初歩もわからん奴に、英雄を語らせるわけにはいかんな。
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