碧く揺らめく外典にて   作:つぎはぎ

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此処よりは死地

疾走に挑め




大英雄

  削れる、削がれる、削られる。

  払い、突き、振り下ろす。

  突かれ、叩かれ、蹴り飛ばされる。

 

  圧倒的な戦力差が、技量の差が、経験の差がある。

 

  生きた年月も、駆け抜けた年月も違う。ただ先に生まれただけだ。怪物や好敵手もいない。ただ穏やかな幼少期と愛に貫かれた青年期、理想を担い続けて終えた老年期があった唯の人に過ぎない。

 

  笑えるほどに弱く、勝てる見込みなど一切ない。

 

  けれども、諦めきれない。機会があるのなら嚙みつこうと決めた。決して届かなくても、手を伸ばしたい人がいたのだから。

  だから、だからこそ───この聖杯大戦は本当の本当に幸運だったに違いない。

 

 

 

 

 

  見せられている戦いに、ふと感嘆がある事に気づいた。

  “赤”のライダー、アキレウス。英雄の中で最も速く、人間において最も早いと謳われた私さえも追い越す走力を誇っている。

  “黒”のアーチャーに踵を貫かれ、不死生と敏捷を失っていても大英雄と渡り合えるその技量に感嘆を覚えずにはいられない。

 

  私の夫であっただけのヒッポメネスとトロイア戦争の大英雄では、勝敗など明らかだった。弱点を突かれ、全力でなくてもどちらが勝っているなど語る必要が無いほどだ。

 

  どれだけヒッポメネスが槍を振るおうともアキレウスは弾き、流し、受け止めて反撃でヒッポメネスを追い込んでいく。

  アキレウスが槍を振るえば、ヒッポメネスが弾き切れず、流し切れず、受け止めきれず死にかけていく。

 

  賢者の教えと天賦の才と戦場の疾走が猛威を振るう。ヒッポメネスの肉体を切り刻み、抉り削り、叩き折っていく。

  血は満遍なく衣服に滲む、呼吸が乱れ、意識が朦朧となっていくヒッポメネス。対してアキレウスは変わらない。鎧と肉体に走る傷は全て“黒”のアーチャーとの戦いによってつけられたもの。ヒッポメネスは未だ、彼に届いてさえいない。傷一つさえ負わせていない。

 

  負けるはずだ。負けてしまうはずだ。風前の灯。天災の前に人が叶うはずがなく、吹けば耐える暇も無く消し飛んでしまう。

 

  ───なのに何故、ヒッポメネスは生きている?

 

 

 

 

 

  最初に答えに辿り着いたのはアキレウスだった。目の前の男を本気で殺すつもりで仕掛けている。心臓を、脳を、喉を穿つつもりで奔らせた槍の一刺しは全て寸前で躱された。肉を削られ、身体を傷つけられながらも致命傷だけは避けられている。

 

  あり得ない。

 

  初戦で彼の実力は把握している。“黒”のセイバーの助力があってようやく自分の身体に傷をつけられる程度の技量だ。逃げて、避けることだけに専念しているだけならばまだ分かる。真っ向からの勝負ではなく、魔術や小細工で策を弄する戦いならばもしかしたら───ほんの一欠片の可能性だが自分を殺せるに至るかもしれない。

 

  だが目の前の男は真っ向から挑んでなお、自分の前で槍を必死に振るっている。

 

  何度殺せると確信しただろう。

  だがその度に結果を覆し、懸命に生き延びる。苛立ちは無い、ただただ疑問が思い浮かぶ。宝具か、スキルか。そのどちらかがこの男を生かしていることだけが確かだった。

  だが幾度となく窮地を脱するほどの術を身に宿しているのか? 否、違う。振るう槍で奴の実力を理解する。戦いに明け暮れた者の槍では無い。ならば何故、生きていられる。大英雄と名を残す自分を前に、未だ敵意を抱け続けていられるのか!

 

  その答えは奇しくも振るう槍で理解することとなった。

 

「───なに?」

 

  気づく。ヒッポメネスの槍捌きが、何処か変わっている事に。一挙一動を目にし、何処か既視感を覚えた。

 

 

 

 ───アキレウス、腕で振るうのではありません。脚にも注意するのです。

 

 

 ───ええ、難しいです。ですが指先にまで意識しなければ槍を振るうとは言わない。

 

 

 ───頭で考え、体で動かす。やがて精神と肉体が合わさり、貴方の技となるでしょう。

 

 

 

  生前の幼き自分と師を思い出した。殺し合いの最中、脳裏に過ることでは無い。一瞬の隙こそ致命傷となり得る。それを忘れたのか。忘れるわけが無い、それもまた師から賜った教えであり。

 

  ヒッポメネスが振るう技が師の教えと酷似していた。

 

「っ!?」

 

  距離を取るべく蹴り飛ばす。ガラ空きの胴体に入った鋭く重い蹴りは軽々とヒッポメネスの身体を浮かせ、吹き飛ばした。

  ヒッポメネスは地面に転がり、呻き、震えても、すぐに立ち上がる。砂だらけで、呼吸は早く、汗と血で身を汚しても、固めた決意早く衰えず朽ち果てんとする肉体を鼓舞している。

 

「どういうことだ?」

 

  彼は答えない。答えられないと言った方が正しいのだろう。肺に溜まった空気を吐き出させられ、換気するのに精一杯の状態で喋れるわけがない。ここで特攻したら、殺せるかもしれない。だがアキレウスはそれを自ら律した。

 

「何故あんたがその技を扱える?」

 

  その疑問だけは解明すべきだ。その思いだけが今のヒッポメネスを生かしている。

  酸素を取り込み、息絶え絶えになりながらもヒッポメネスは待ってくれている律儀な大英雄の問いに答えた。

 

「君の…師は、英雄屈指の…大賢者だっ……。君や、ヘラクレス、医術の神と…なった英雄も、あの人から…教わった……。そんな、人が、先生が……」

 

 

 

「こんな弱小の男に…ほんの僅かな、未来を、見出してくれる、可能性(スキル)があっても可笑しくない、だろう」

 

 

  それは、大賢者と呼ばれた彼だけが宿す事が許された特権に等しきスキル。

 

  『神授の智慧』

 

  ギリシャの神々から様々な智慧を授かった、賢者ケイローンの智慧を収束させたスキル。特定の英雄が持つスキルを除いた汎用的なスキルをA〜Bランクまで発揮できる賢者たる彼にこそ許された万能とも言える業の集大成。槍術から弓術、堅琴や医術、野外追跡の多岐に渡る技術を宿し、アーチャーのクラスに止まらない実力を顕現させれる。

  そして、このスキルの真骨頂は

 

  ───マスターの同意があれば、このスキルを他サーヴァントに授けることができることだ。

 

  この日に巡るまでの僅かな猶予期間(モラトリアム)。庭園が国境を越え、“黒”の勇者達が刃を下ろしていた数日間。英雄未満の英雄は英雄の師の元で技と智慧を授かった。

  宙空より堕ちる星の様な槍を、天の覇者たる鳥を穿つ弓を、野山に芽吹く花々を、根源から至った万象の理を、足らずばかりの未熟な器に詰め込んだ。

  それでも彼女に届くとは限らない。それでも想いを通すことが可能とは限らない。多くを知り、多くを学べても勝てるかどうか依然不明。だが───

 

  不明ならば、見えぬ未来があるのなら、最後まで諦めない。

 

 “そういう貴方だからこそ、私は貴方の背中を押したいのです”

 

  そうに語る賢者の声が、今も耳に響いてくる。

 

 

 

 

  ああ、成る程。道理なわけだ。

  そう言われて納得してしまう。飛行機での戦い、狭所で真っ向からの戦いであやつは私に挑み、地上へと叩き落とした。弓兵なれど、真っ向からならばヒッポメネスを叩き潰すことも容易だったのに、私は殺せなかった。憎しみで気づかなかった。あやつの動きに違和感も抱かなかった。

  いつの間に“黒”のアーチャーから授けられたのだろうか。最初からか、はたまた空中庭園に攻め込むまでの数日間の内に教わったのか。

  どちらにしろ、今のヒッポメネスは私が知る男ではなくなった。

  どこまでも弱くて、どこまでも足掻く癖に、どうしようもない程に強欲な男。なのに。

 

  ───……ああ、なんでだろう。

 

  ───どうでもいいと思っていたその背中が。

 

  ───今は、眩しくて敵わないな

 

 

 

 

「なるほど、な」

 

  さすが先生だ。どこまで人を導いて、背中を押すつもりなのだろうか。

  歯牙にもかけない弱者を、屈しない戦士へと変貌させた。こんな記憶にも残らないであろう短い戦争で、一人の男を英雄に昇華させた。

  父であり、兄であり、友である貴方に感謝を捧げよう。

 

「ならば、“兄弟子”として教えてやろう」

 

  この“弟弟子”にケイローンの教えの窮極とは如何なものか。遥か高みの武芸とは何かをその身に刻み込んでやろう。

 

  空気が一瞬で密閉され、窒息しそうなほどの殺気に満たされる。吐く息は白く熱が籠る。両腕の筋肉が一気に膨張し、血管が脈を打った。

  目に込められた光は英雄の()()以外にありえない。

  遥か高みに存在する極致の武芸を、此処に放つ。

 

「これがーーー大英雄だ」

 

 

 

 

 

 

  空気が一度死に、生き返った瞬間に大量の赤い花が咲く。

  刹那で十撃、一呼吸で十五斬、一手で三十突。

  捌ききれなかった英雄殺しの槍の閃光にヒッポメネスの肉体から血が溢れ出す如くに攻め続けられる。

  瞬きも許されない。

  無拍子で最高速度、そして鋼を穿つ威力の刺突に肩の肉が抉れる。苦痛を漏らす空気すら吐いてはいけない。呼吸する暇で命を穿ち削られる。

  神経をすり減らし、血肉を沸き立たせ、魂を膨張させる。

 

  死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな!!!

 

  槍を振るうことなど忘れろ!生きることを優先しろ!ただただこの瞬間から生き伸びろ!!

  生存本能が筋繊維の一本全てにまで呼びかけて、刺突の雨から逃れるように骨と筋肉に鞭を打つ。

 

  考えながら考えるな!!

 

  矛盾だと分かっている。どうすれば生き延びるか、最善を選択するため突きつけられた選択肢をすぐに掴み取る。間違えれば死ぬ、だから間違えないように考えろ。だが悩む時間は取らせない。

  まるで奈落の底の上に引かれた線の上を歩いているような感覚。じっとしていられない、動かなければ落ちてしまう。恐怖など忘れてしまわねばやっていられない。

 

  もう少し、あと少し!!

 

  数秒か数十秒か数分か。もしかしたら数十分かもしれない。槍の壁を前にしてギリギリで生き抜いてきた。相手も人間だ。やがて終わりは来る、終わった瞬間に退がる。

  何もかも限界に達してきた肉体に酸素でも冷気でもいい、とにかく“間”がほしい。一瞬の休息を求めて、意識を手放さない。

  大英雄の槍捌きを前に、傷を負いながらもなんとか前に立てていた。そして、嵐ともいえる連撃に僅かな隙間を目にした。

  ヒッポメネスはこの絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。何としても掻い潜り、反撃の一突を放たなければ終わってしまう。

  だからヒッポメネスは叫び、踏み出した。絶対に負けられるか! 此処で…勝つ!!

 

 

 

  一歩踏み出し、胸が爆発した。

 

 

 

「───がふぉ」

 

  喀血してしまった。

  油断した。釣られた(フェイク)だ。

  槍の乱打の終わりと思わせ、胸板へと鉄拳が抉りこみ、肋骨に罅が走って数本が砕けた音と衝撃がした。臓器が破裂するような音はしなかったが、心臓の上にあった左肺は少なくとも凹み、脳に送るはずだった酸素を遮断させる。

  視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚。外界を刺激として伝える機能がストップする。生命維持の痛覚でさえ停止寸前まで追いやられる。

  心臓の鼓動が何処か遠くに聞こえてくる。あれほど活発に休む事無く動いていた胸が、徐々に止まり、冷えていく。

 

  見えない、暗い。何も感じない。時間が流れているのか止まっているのかも分からない。停止だ。只の停滞だ。周りにあったもの全て無くなった。前の敵も見えない。命の危険さえも感じない。

 

  一度死んだ身だが、死にゆく感覚はあっても死んだ実感はない。

 

  これが死か。僕はもう……終わったのか。

 

  張りつめられていた感覚を解き、下がっていく瞼を自然に降ろし───

 

 

 

 

 

「さらば、殉愛の英雄よ」

 

  ヒッポメネスの胸に叩き込まれた一撃が雌雄を決した。肉と骨が潰れる音が夜闇に響き、ヒッポメネスの身体はアキレウスの拳によって支えられている。

  槍の猛攻撃、終わりの瞬間に拳打へと切り替えたその技量はまさに究極の一。英雄として生きた者に許された領域に、ヒッポメネスは踏み込めなかった。

 

  意識がない。あの一撃で残りの全てを持っていかれた。あやつの目には光が灯っていない。もう声も届かないだろう。

 

  終わった。アキレウスが勝ち残り、ヒッポメネスが敗れた。

  “赤”のライダーが勝ち、“黒”のバーサーカーが負けた。結果としてそう残るだけ。

  当然の結果で、そう決まっていた。それで違いない。間違いなど、あるはずがない。

 

  それなのに、なぜ私は目を逸らさない。

 

  もう動くはずないのに、それなのにまだあの平穏そうな顔を直視している。全霊をかけて敗れた、誉れある死体にまだ意義を求めている。

  死んだ。終わった。停止した。当たり前の摂理に私は反逆を望んでいる。

 

  ここまでなのか? お前はここで眠るのか?

 

  二度目の生の終着点が英雄らしく散るならば本望だろう。

 

  ただの英雄なら、そうだったのだろう。

 

  お前は違う。お前は自分で言っていた。自分はただ私の夫だけだったのだと。英雄なのではない。

 

  そういうのであれば───

 

 

 

 

  私を、置いていかないでくれ

 

 

 

 

  ───瞼を降ろさない。

 

「なにっ!?」

 

  止まる寸前だった心臓に、微かな黄金の輝きが灯る。それは、あの因縁の果実の色と酷似していた。

  純潔の狩人からの口移し、カケラ程度の黄金の林檎が一時の治癒活性を促進させる。止まりかけた血流を、破損して砕かれた骨を、断裂しかけた筋繊維を驚異的な速さで復活させ、死の淵から彼を呼び戻す。

  胸に置かれた大英雄の拳を逃がさないと握りしめる。込み上げてきた血を吐き出し、両足の指で地面を掴む。

  目の前の大英雄を睨みつけ、弛緩した指を丸める。歯の奥が砕けるまで嚙み締めた。そして僅かに視線を逸らし、こちらを見守り続けてきてくれたアタランテを見た。

 

  この戦いを見守るその女は毅然とした面持ちをしていた。何時もと変わらぬ冷然さと自然の美しさを秘めていた。

  変わらない、本当に変わっていない。

  きっと、聞こえてきたあのか細い呟きは都合の良い幻聴だったのかもしれない。

 

  それでもいい。

 

  置いていかない。もう一人にしない。疲れたなら受け止めるし、飛びたいなら先に飛んで導いてみせる。

 

「…………大英雄(おまえ)なんかに」

 

  地獄の最中だろうと、世界の終わりだろうと、大英雄との殺し合いだろうと。

  アタランテがいるこの時間を、出会いを、奇跡を。

 

「奪われてたまるかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」

 

  全身全霊、その身に宿る魔力と魂、全てを震わせた最後の一撃。槍を捨て、拳一つに纏めたその拳打は迷うことなく一直線に放たれた。

  迫る一撃を前にし、大英雄は拳の軌道を確実に捉えた。当たるまでの距離は長く、反らせば外れるであろう愚直一心の拳。それを見てアキレウスは───笑った。

 

  吸い込まれるように大英雄の頬へと拳が突き刺さる。鈍い音が発せられ、その威力の余波が空気を揺らす。海の波を立たせ、大樹の木の葉を揺り落とす一撃は正に英雄の拳。誰にも否定させない渾身の一撃をここに完成させた。

 

「───見事」

 

  その拳を受けてなおアキレウスは倒れない。口元から血を流しながら、自分に血を流させた男を賞賛した。

  怯む事はない、倒れる事も全くない、ただ拳を入れただけ。大英雄を屠ることはできなかった。

  それを見て、ヒッポメネスは次こそ崩れ落ちた。

 

「ヒッポメネス!!」

 

  アタランテの叫びに反応できなかった。

  死んではいない。だが限界だった。

  折れかけた身体を気力のみで支え、残る体力を出し切った。意識を保てるのが幸いないぐらいだ。

  地面に横回りながらも立ち上がろうとするが、力が入らず立ち上がれない。

  勝敗の時は来た。もう抗う術がなく、勝者が敗者に剣を振り下ろすだけ。

  なのに、アキレウスは笑うだけ。笑って、手に持つ槍を握るだけ。

 

  そして、前触れもなく握っていた槍は霧散した。

 

「…なに?」

 

「不思議なことじゃねえよ姐さん。ほら、集中してみろよ」

 

  瞠目したアタランテにアキレウスは当然の如く促した。

  言われるがまま、何に集中するのか分からずに集中する。集中し、ふと気づく。

  サーヴァントを現界させる為のマスターからの魔力供給が成されていないことに。

 

「これは」

 

「さてね。シロウが負けたか、大聖杯が破壊されたか。だがそれがこの結果だ」

 

  ───アキレウスの存在感が薄らいでいく。足元から徐々に魔力が失われ、この世に現界できる時間が終わりへと近づく。

  英霊をこの世に保つのは楔であるマスターの存在が不可欠。大英雄たるアキレウスの魔力消費量は多い。マスターであるシロウから離れすぎた現状、大聖杯からの魔力供給ができておらず、大量に魔力を消費すればやがて消えていく。それを踏まえた上でアキレウスは全力をヒッポメネスに打ち込んだ。

  アキレウスは存在し続けた。それは英霊としての矜持か、生前の行いであるスキルか。戦いの途中で去るということを許せなかったアキレウスは戦い続け、勝ったと確信した。ヒッポメネスが、復活するまでは。

 

「姐さんはアーチャーだからまだ大丈夫だろう。こいつもマスターとのラインが繋がっているからまだ現界できるはずだ。残りの時間がどう転ぶか知らんが、好きに過ごせばいいさ」

 

  「ま…て……」

 

  足首をがっしりと掴まれたのを感じアキレウスは視線を下げる。息絶え絶えとしながらも、こちらへの敵意を衰えさせないヒッポメネスを見てアキレウスは嘆息する。

 

「そういうの嫌いじゃないがここは黙ってろって。余計なことをして俺の気が変わったらどうするんだ?」

 

「まだ、僕は…終わって……」

 

「死にかけで何言ってんだ。変なところで狂戦士(バーサーカー)になんな」

 

  アキレウスが屈んでヒッポメネスの頭を軽く叩くと、ヒッポメネスは「ぐふっ」と再度倒れた。

  やれやれと頭を振る姿に今までの流れを見守る形に徹していたアタランテは尋ねた。

 

「よいのか?」

 

「あ? 姐さんもなんだよ?」

 

「汝は英雄らしく在ることこそ己だと言っていた。この形では汝は…」

 

「そりゃあ納得してねえさ」

 

  途中でアタランテの言葉を遮り、不貞腐れた顔になるアキレウス。恐らくは『敗者』という言葉を聞きたくなかったからだろう。

 

「俺の方が疾く、強かった。それは紛れもない事実で覆ることはない。実際俺の方が勝っていたし、俺が立っている。

  だが立ち続ける者だけが英雄じゃない。誰よりも鮮明に生き、己を魅せ続ける者も英雄の一つだ。

  …それに関して、今回だけはこいつの方が俺より優っていたってだけだ」

 

  ゆえに今回だけは勝ちを譲ったのさ、とアキレウスは言う。負けを認めたんじゃない、譲っただけだと強調した。その様子にアタランテは思わず吹き出してしまった。

 

「ふふっ…」

 

「…なんだよ姐さん。そんなに可笑しいのかよ」

 

「すまんな。汝が数多の勇者、美姫を惹きつけたのは武勇だけではなかった、のだと思っただけだ」

 

  男らしさだけではない、捨てきれない甘さと子供らしさが人を惹きつける。そんな男だからこそ、英雄から大英雄として語られるに相応しき逸話となったのだろう。少なくともアタランテは彼のことをそう思った。

 

「あー、もう分かった。俺はさっさと去る。あとは二人でどうにでもなれ」

 

「ふっ、そう不貞腐れるのではないライダー。…そうだ、一つ伝えなければならなかったことがあった」

 

「ん? なんだよ」

 

「汝との出会い、悪くなかった。さらばだ───アキレウス」

 

「───」

 

  そう名を呼ばれて、アキレウスは背を向けた。背を向ける僅かな隙にアタランテは見逃さなかった。嬉しそうに微笑んでいたところを。

 

「応、じゃあな()()()()()の姐さん。…んで、姐さん泣かすなよ? ()()()()()()?」

 

  「……うるさいなぁ」

 

  鬱陶しそうな呟きの後、大英雄は散っていった。塵芥と魔力の粒となり、解けて消えた。

 

  苛烈に現れて、多くの戦果を挙げて、潔く去っていくその姿に誰が憧憬を浮かべたか分からない。少なくとも彼を目にした者はその在り方に手を伸ばした者もいただろう。

  あまりにも颯爽とした生き方に人並みの幸せを享受することはできなかったのかもしれない。だが、駆け抜けた日々を振り返った時、人が得られる以上の物を得たと大声で笑えた。

 

  そういう生き方をこの戦いでもできた。

  此度の生でも笑えて逝けた。

 

  ゆえに、その後ろ姿に後悔はなかった。

 

 




夜明けは近い

ただ、日の出を待つ

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