ありがとう
唐突に床が揺れ、パラパラと天井から瓦礫が落ちてくる。突然の異変に泣いていたライダーが顔を上げ、顔色を青くする。
「な、なに!?」
「…そういうことか」
バーサーカーはこの広場の中央に座する巨大な建造物を見た。鳴動している。光を強く放ち始め、今にも起動せんと鼓動を鳴らしていた。
「こ、これは…」
「動き始めたんだ。天草四郎の願望───人類救済が」
既に願望機としての役割を終え、人類救済機へと変貌した聖杯は起動していた。八割という損傷を負ってもなお動こうとするその姿は、天草四郎の執念を現しているようだった。
「出よう、此処にいたら上空七千五百メートルから墜落する」
ライダーの言葉にカウレスは文句を言うこと無く頷いた。こうなってしまった以上止められない。この大聖杯を止められる手段など此処にいる者全て持ち合わせていなかった。
どうしようにも、結果は天草四郎の勝利。そしてジーク達が敗者だった。
生きて帰る。もうそれしかなかった。
ジーク以外の者達は。
「いや、俺は此処に残る」
その言葉に震えたのは“黒”のライダーだった。
「なに言ってんだ!! 無理に決まってるだろ! こうなった以上どうする事も出来ない! ああ、負けさ負けたんだ! 悔しいけどあいつらの勝ちだ! それでいいだろ、もう帰ろう! 帰って幸せになろうとしろよ!!」
その慟哭は切なかった。希望を前にし、絶望に打ちのめされることなく大聖杯を前にして立つジークの姿に“黒”のライダーは不安を隠せなかった。
生きるチャンスがある。これからは自由で生きていけるかもしれない。自由の可能性を捨てる覚悟がジークの横顔から見えてしまった。
「ーーーすまない」
「なにが、すまないだよぉ!!」
「ライダー…」
なにがあっても、テコでも動きそうにない。ジークのその姿勢に目尻に涙を溜めるライダーだった。どうしようと困ったところ、ライダーの肩に手が置かれた。
「ライダー、君が助けた少年はとんでもない頑固者になっちゃったね?」
「バーサーカー…」
苦笑いここに極まりと言わんばかりに疲れた笑みをしていた。だが、すぐにその表情をしまいこみ真面目な顔へと変わった。
「だけどねジーク。策はあるのかい?」
「ああ」
ジークは右手を見せつけるように掲げた。右手に浮かぶ黒い痣。だがそれは“痣”ではない。目を凝らすと分かる、その痣の本当の正体が。それが分かりライダーは息を止め、バーサーカーは観念したように目を閉じた。
「…そういう、ことか」
「最初から答えが出ていた。貴方に身体の様子を調べてもらった時から、令呪を使い切ったらどうなるかは予測できていた」
三分間だけの限定召喚。三分間だけジークフリートを憑依させ、肉体を竜殺しへと成させる。その三分間の時間、竜の、幻想種の頂点の血がジークの身体を駆け巡る。ジークフリートならば耐えられる血の重圧。ジークの体が耐えられる筈もない。
だが、その血に対抗できる手段をジークは得ていた。それが不老不死の果実。竜の血がジークの身体を穢し、力の代償を払えと迫るが不老不死の果実がジークの肉体を令呪を使用する度に修復していた。
それでもいつか限界がくる。五回目の令呪の使用の時、竜の血がジークの身体に深く濃く根付いた。血の濃度が上昇した時、肉体を最高峰にせんと働いていた不老不死の果実は自我なき意思で判断した。
ーーー排除ではなく、さらなる進化を
その進化が促される。竜の血と黄金の果実が混ざり合い、ジークの肉体は“人間”のものではなくなりつつある。
ジークの右手、黒い痣から“鱗”が生えていた。
「…でも君が“成る”時間が足りない」
「完成間近の聖杯なら、僅かな願いを叶えてくれるだろう」
完敗だ。そう言いたげにバーサーカーは自分の髪を乱暴に掻いた。
完敗間近の聖杯は願望機としての機能を少しだけなら備えてくれている。その少しの機能で、小さな願望を成就させてくれる。
ここまでの材料が揃っている今、ジークを引き止められない。
「…どうしてもやるのかい?」
「ああ、自分で決めたことだ。俺が選び、俺が決めーーー」
「大反対だよ!!」
ライダーは叫ぶ。心の何処かでそれが無駄なんだろうなと分かっていながらも叫んだ。
「君には幸せになってほしかった! こんな戦いから離れて、当たり前に笑って、最後には生きていてよかったっていいながら死ねる人生を歩んでほしかった! なのに、なのに…! これじゃあ君は…死ぬよりも恐ろしいことになるじゃないか!!」
ジークがしようとしていることが死よりも酷いことになることを察した。理屈は分からない、だがそれを理解できる。だから嗚咽も悲鳴も隠せない。守りたかったのに、こんな悲劇を招くなんて…!
「…きっと、ルーラーも同じ想いだったから俺を遠ざけたかったんだと思う」
「じゃあなんで…!」
「ルーラーが信じた人間、ライダーが信じた人間。俺は二人が信じた人を信じてみたいんだ」
悪も正義も巨悪も善も兼ね合わせ、一つの信仰でも多数の価値観が生まれて争い殺す、醜くも美しい生命体。成長は遅く、理性的なのに本能に忠実な愚かさ。絶望を覚えて嫌悪する者もいる。
だが逆に愚か故に学び、悔いては立ち上がり、前へ進もうと足掻き続ける人間の魂はなんと美しいことかーーー
人を愛したジャンヌ・ダルク、人を肯定するアストルフォ。この二人に導かれたこそジークは今ここに立っている。そして、自らが成したいことを見定めたからこそジークは歩み始めた。
「…じゃあ、ここでお別れか」
引き止める言葉は無駄であり、彼の決意に水を差すと分かった。ならば、言うべきことは決まった。
「さようならジーク。また会えるといいけど…その時は妻を紹介するよ」
「ああ、是非紹介してくれ」
そんなやり取りが可笑しくて少し笑って、バーサーカーは踵を返した。あとはライダーとの話でいいだろうと思ってのことだった。バーサーカーがもっと話さなければならないのは───
レティシアを抱え、すぐにでも脱出できるように準備する。といっても“黒”のライダーがピポグリフを召喚してくれなければ話も準備も何もない。ただジーク達の会話を待つばかりだったのだが。
「カウレス君」
自分のサーヴァントだったバーサーカーがやってきた。
「奥さんとはどうだった?」
「ああ、うん。おかげさまで仲直りできたよ」
「そりゃあよかった。あんなめちゃくちゃな内容で令呪使ったんだ、それなりにやってもらわなきゃ意味がないからな」
「ははは、だよね」
別れの言葉はーーー不要だった。その言葉なら既に空港で済ませてある。終わり間近に余ってしまった一時に過ぎない。
「……うん、でも本当、よかった。本当によかったよ。君にもアタランテを紹介したかったけど無理みたいだ」
「…そうみたいだな」
時間がない。大聖杯が起動し、ジークが聖人の願いを成就させようとしている今では時間が足りなさ過ぎた。
本当に申し訳なさそうにしているバーサーカーにカウレスは苦笑いする。
「ごめん、お待たせ!」
間も無くしてライダーがピポグリフに跨りながらカウレスの元まで駆け寄った。まずは眠っているレティシアを乗せ、次にカウレスがピポグリフに乗った。
「じゃあ、アストルフォ。カウレス君をよろしく」
「…君は来ないの?」
「僕には先約があるからね、君ともここでお別れだ」
「そっかぁ…」
分かっていた、いずれそうなるとは。それでも別れは辛いもの。それを隠さないこの少年のこういうところに好意を抱く。
そして、ふと思いついた。それはとんでもないことで、誤ればどんな被害を与えるか知れたものではない。
だがバーサーカーは、ヒッポメネスは知っている。この目の前の少年は底抜けの善人であることを。理性が蒸発して予測不能なのが不安だが…それでも信じられる大馬鹿者だ。
だからこそ、バーサーカーは決断した。
「ねえアストルフォ」
「ん、なに?」
「いい物あげるよ」
残り僅かになりつつある魔力を消費し、ある物を喚びだす。それを手に取り、ライダーへと投げ渡した。
「え!? ちょっ、これ!?」
「おいおいおい、マジかバーサーカー」
ライダーもカウレスも瞠目する。投げ渡された“ソレ”は本来ならば譲ってはいい、というより譲る筈がないモノ。
黄金に輝く魔性の果実、バーサーカーの象徴たる宝具、“黄金の林檎”だった。
「僕にはもう不必要な物さ。それは幸福を呼ぶが災いも呼び寄せる。…特に邪な者にね」
「そんなもん僕に寄越すかなぁ!? というか、なんで君といいあちらのライダーもほいほいと宝具を渡せるの!?」
「君だってあの槍を生前に他の人に渡してなかったけ?」
「あ、そうだった」
「いやいや納得すんなよ」
少しだけ話がズレそうになったが渡された林檎を少しだけ悩んだがライダーは受け取ることに決めたのか、懐に仕舞った。
「…というかなんで僕にこれを渡すのさ? 宝具だよ? 君の半身みたいなものじゃないか」
「うん、僕の半身だから君に渡すのさ。君ならその林檎を間違いなく僕が望んだ通りに使ってくれると思ってさ。…まあ、言うならばささやかな心残りかな?」
「心残り?」
「カウレス君を無事にトゥリファスに帰還させてあげてくれ。そして、君がしたいようにそれを使ってくれ」
「…よく分かんないけど、分かった。でもあんまり期待しないでよ? 本当に意味わかんないんだからさ」
「大丈夫。君と
純粋な信頼の眼差しに、ライダーは首を傾げた。何をしてほしいのか、何に期待されているのか全く分からない。でも、バーサーカーはライダーなら信じられると言ってくれた。
「そんな風に信じられちゃったら…、応えるしかないよね!」
「いや、いいのかよそれで…」
なんとも能天気に答えるライダーに嘆息するカウレスだが、それに反してバーサーカーは優しげな目で可憐な騎士を見つめた。
そうして、バーサーカーは霊体化し始めた。これから落下し始める庭園の中で現体化しておくのはまずいだろうという対応だろう。
徐々に消えていく温厚な狂戦士の姿に、其処にいた皆が目を逸らさず見つめる。そんな戦争を駆け抜けてきた戦士達に狂戦士は、ヒッポメネスは腕を掲げて吼えた。
「───さらば、今生の友達よ!! 君達の行く道に幸あれ!!」
未来への福音、まだ見えぬ先へ祈り、雄叫びと共にその姿を消した。何も残らなくなったその場に、ライダーは腕を高らかに上げて応えて、ジークは振り返らずに頷き、カウレスは───
「じゃあなヒッポメネス!! お前と戦えて楽しかった!!」
先に駆け出した青年は後ろから聞こえる声に、小さく微笑んだ。
○ ○ ○ ○ ○
白く染まりつつある空を見上げると世界の終焉を思わせる風景を目にした。神代の時代を思わせる建造物が海へと落下してくる。植物や瓦礫、大小構わず降り落ちる旅に波が立ち、やがて津波となって地上に被害を齎すだろう。
あの建造物を知っている。あれが何なのかを知っている。そしてこの墜落が何を意味しているのか分かっている。きっと、失敗したのだろう。あの極東の聖人は人類救済を達成できなかった。主観は違ったが人を救いたい気持ちは同じだった為、嫌いではなかったが世界を救えなかったことに対して残念に思える。聖人の救済が自分の描く救済と同じものにならないと気づいた今だが、それでも可能性が潰えたことに何も感じないことはなかった。
少しだけ落ちてくる量が増える瓦礫に不安が過る。想像しうる最悪の未来を浮かべて、消すように念じる。大丈夫、大丈夫だ。約束した、だからあの人は必ず現れる。
黒が晴れる寸前の空をもう一度見上げ、超越した視力を持つ彼女の目には燦々と輝く星によく似た光源を見つけた
○ ○ ○ ○ ○
「……マジか」
思わずそう呟いた。呼吸をする事を忘れ、心臓も鼓動を忘れたかのようだ。先ほどまで味わっていた命の危機に怯えることも消し飛び、ただただカウレスは目の前の光景に全身が痺れた。レティシアを支え、必死にアストルフォにしがみついていても思わず落ちてしまいそうな程に。
黒く重みのある巨躯、大地を削りとれるであろう爪、炎や雷霆をも防ぐ鱗の甲殻、天を駆け風を裂く鋼の翼。全ての生命の頂点に立つその存在は現代から消え去った。
だが、あらゆる神話をも繋がらせる聖杯戦争だからこそあり得た奇跡。永遠に見る事ができないその姿をカウレスは見た。
そして、永遠に忘れないだろう。その雄々しくも醜くも気高い現し身を───
竜の姿を。
ファブニールとなったジークの姿を。
大聖杯を口に咥えて、人類の希望を持ち去る悪竜の羽ばたきを。
───カウレスは、二度と忘れない。
○ ○ ○ ○ ○
聖杯か、と誰にも聞こえぬ声で呟いた。
あの聖杯は何処へ飛んでいくのだろうか。あそこにいた者が聖杯に手を加えたのか、遥か空の彼方へと飛んでいく姿をただ見送る。
さすがの純潔の狩人も上空七千五百の距離をずっと見つめることはできない。聖杯の光をやがて見失う。
だが一つ、見つけたものがあった。
庭園の残骸が雨の如く降り積もる中に、人を見つけた。
失墜する瓦礫の一つにしがみつき、瓦礫から瓦礫へ飛び移るように落ちていく一人の青年の姿を捉えて、安堵のため息を漏らした。
その青年はすぐに海へと落ち、他の瓦礫を避けながら此方へと泳いでくる。達者な動きで瓦礫を掻い潜り、波に乗ってやってくる。
待つ時間も短いだろう。そんな事を思いながらアタランテは彼の到着を待った。
「ただいま」
「ああ、おかえり。約束を守ってくれたな」
「当たり前じゃないか。君との約束は絶対守るよ」
「よく言える。約束などこれが初めてではないか」
「あれそうだっけ? まあうん、いいよね?無事帰ってきたんだし」
「まったく調子がいいことを…」
「ははは、ごめんごめん」
「……終わったのか?」
「ああ、終わっちゃったよ。全て終わって、後は時間が全て解決してくれるさ」
「そうか。もう吾々の力は必要ないか」
「うん、僕達の、魔術師達の聖杯大戦もこれで終焉さ。僕達も…あとは時間の問題だね」
「…そうだな」
「…あ、そうだ」
「?」
「……汝がしたい事はよく分からんな」
「そう? 前から一度してほしかったんだよね〜」
「はあ…まあいいがあまり動くな。こそばゆい」
「いいじゃないか。膝枕なんだし」
「だから動くなと言うておるにっ」
「痛っ!」
「……ねえ、アタランテ」
「……なんだ、ヒッポメネス」
「朝日が綺麗だ。とても綺麗だよ」
「ああ、太陽神が目覚められたようだ」
「月女神は眠っちゃったようだね」
「残念だな。アルテミス様を参拝したかったのだが…」
「また次に期待しようよ、その時にはこの分も入れてさ」
「……次、か」
「ああ、次さ」
「次があるとすれば地獄だろうな」
「地獄でもさ、太陽や月が無いとは限らないよ?」
「地の下に何を期待してるか…。まあ、そうだな。地獄でも天を仰ごう。いずれ、大地を超えて届くやもしれんな」
「手を繋いでくれ」
「うん」
「アタランテ、そろそろ行こうか」
「ああ、大丈夫だ」
「愛している。ずっと愛しているよ、アタランテ」
「……そうか。ありがとう、嬉しいよヒッポメネス」
○ ○ ○ ○ ○
粛々と魔力の粒子が風に舞う。どこまでも晴れ渡る白く澄み渡った空へと高みに昇る。
明けた海と空は白と青が混ざり合い、燦々と煌めきを放つ。其処に血も憎しみも怒りもなく、始まりの朝を迎えていた。
朝を向かい入れた小島の砂浜には大きな破壊が刻まれていて、誰か二人が寄り添っていた様に足跡が残っている。
いずれ風と波に連れ去られ、その痕跡すらなかったこととなる。誰もそれを気にしない。そして見向きもしない。
空へ、海へ、大地に散らばった魂は何処へ行くか。世界の外か、または世界となったか。それも分からない。誰も知ろうとしない。
二人は何処へ行くか、それも知らない。
だが───二人は一緒に飛んで行った。
さようなら、またいつか