報われない男の物語   作:羽付き羊

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2話「落ちるにしても落ち方を考えたい」

一次試験のペーパーテストは、とりあえず書けるだけ書きました。

 

 ……いや、違うんです。

 最初から真面目に受けるつもりだった訳ではないんです。

 

 ただ、試験官が怖かった。

 

 答案用紙を前にして、さてどうしたものかと顔を上げたら、思いっきり睨まれたのだ。

 あの目は駄目だ。人が死ぬ試験の試験官をしている人の目だった。

 

 いや、実際そういう人なんだけど。

 

 とにかく、目が合った瞬間に背筋が伸びて、気づいたら普通に問題を解いていた。

 今まで勉強したことが、こういう時に限ってすらすら出てくるのだから困る。

 

 何というチキンな俺……。

 

 女王騎士の入団試験を受けるような人間なんて、肝の据わった奴ばっかりなのだろう。

 試験官に睨まれただけで真面目に受け始めたのは、たぶん俺くらいだ。

 

 何せ、試験の最中に寝ている奴までいたのだから。

 

 あの状況で寝られる?

 

 俺なんて、ペンを止めるだけでも「何か言われるんじゃないか」とビクビクしていたのに。

 あっちはもう、問題を解くことすらやめているのである。

 

 肝の据わり方が違う。

 俺なんて生まれたてのひよこだ。まだ羽毛も乾いてない。

 

 ……それとも、もう全部解き終わっていたのかな?

 

 暗記系の問題ばかりだったし、知っていれば早く終わることもあるだろう。

 そう考えると、何だか自分だけ無駄に焦っていたような気がしてくる。

 

 まぁ、他人のことを考えていても仕方ない。

 次の体力テストは、真面目にやってもどうせ落ちるだろうし――。

 

 グサッ。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 隣で試験を受けていたイージス君が、自分の太ももにペンを突き刺した。

 

 ……え?

 

 血が、飛んできた。

 

 えぇぇぇぇ!?

 何で!?

 

 ちょっと待って、これ何の試験だった?

 筆記だよね?

 自分の覚悟を血で示すとか、そういう試験じゃなかったよね?

 

 そんなに問題を解けない自分が許せなかったの!?

 

 思わず凝視してしまったが、試験官も驚いていたので、お咎めはなかった。

 

 そりゃ見るだろう。

 隣の人間が急に自分を刺したんだぞ。

 

 これで「隣の答案を見ましたね」とか言われたら、流石に抗議する。

 俺が見たのは答案じゃなくて太ももです。あと血です。

 

 ……いや、落ちるためなら、いっそカンニングしたことにすればよかったのでは?

 

 そう思ったけど、それは駄目だな。

 俺の評判だけならまだしも、実家にまで迷惑がかかるかもしれない。

 

 試験に落ちるのと、不正をして追い出されるのは、流石に話が違う。

 親父に言い訳できなくなる。

 

 それにしても、あの時のイージス君は何だったのだろうか。

 

 ペンを突き刺した後、何故か笑っていたのだ。

 

 太ももから血を流しながら。

 

 ……たぶん、一時的にマゾになったのだと思う。

 

 それ以外の理由は、ちょっと俺には思いつきません。

 

     ○

 

 一次試験は、ペーパーテストと体力テストの二つで構成されている。

 両方の成績を合わせて、次の試験へ進めるかどうかが決まる仕組みだ。

 

 つまり、ペーパーテストを多少頑張ってしまっても、まだ取り返しはつく。

 

 次に待っているのは、俺の苦手な実戦形式。

 何人かのグループに分かれ、バトル・ロワイアルを行うらしい。

 

 ……これ、別に何もしなくても落ちるのでは?

 

 いや、痛いのは嫌だ。

 できれば始まる前に帰りたい。

 

 でも、ここまで来て逃げる訳にもいかないので、せめて痛くない負け方を考えておこう。

 

 そうだ、場外負けだ。

 

 さっさと場外に落ちれば、体力テストの成績は最下位。

 筆記がそこそこできていたところで、流石にそれでは通らないだろう。

 

 これぞ、計画通りっ! という奴である。

 

 思わずニヤニヤしていると、近くにいた受験者が少し離れた。

 

 ……そこまで引かなくてもよくない?

 

 こっちは、ようやく無事に帰れそうで安心しているだけなんだけど。

 

 そんなことを考えているうちに、組分けが発表された。

 

 自分の名前を探し、同じ組の面々を確認する。

 

 そして、ちょっと泣きそうになった。

 

 ルカ君がいた。

 

 よりにもよって、あのルカ君と同じ組だった。

 

 いや、強い人と当たれば負けやすいので、それ自体は別に悪くない。

 問題は、この子が俺のことを何やら凄く誤解していることである。

 

 騎士学校では、俺は「カルマ君に認められた唯一の男」とか言われていたらしい。

 

 何で?

 

 こっちが聞きたい。

 できればカルマ君にも聞いてきてほしい。

 

 そんな話を信じている相手と戦うとなれば、俺が何もできずに負けた時の空気が、何となく想像できてしまう。

 

 ……それは、ちょっと嫌だな。

 

 負けたい。

 負けたいんだけど、あまりにもあっさりやられると、それはそれで悔しい。

 

 我ながら面倒臭いと思う。

 でも俺にだって、多少は見栄というものがあるんですよ。

 

 だったら、ルカ君の攻撃を一度受け止めて、その勢いで場外に落ちればいいのでは?

 

 そうすれば、何もせずに負けた訳ではない。

 ちゃんと戦ったけど、相手が強すぎたという形にできる。

 

 帰ってからも、少し悔しそうな顔をして、

 

 「頑張ったんだけど、やっぱり六大公爵家の人は凄かったよ……」

 

 とでも言えば、親父だって納得するだろう。

 

 いい。

 それがいい。

 

 落ちる。

 でも、格好はつく。

 

 後はルカ君に、できるだけ痛くない感じで飛ばしてもらえれば――。

 

「ディファイさん」

 

 ビクッ。

 

「僕は、例えアナタにでも負ける訳にはいかないんです」

 

 ……急に話しかけないでくれないかな?

 

 考え事をしていたところに名前を呼ばれ、危うく変な声が出るところだった。

 何とか飲み込んだけど、心臓は普通に跳ねている。

 

 俺は別に、誰とでも気軽に話せるような人間ではない。

 むしろ、人付き合いは苦手な方だ。

 

 そんな俺に、真剣な顔で決意を表明されましても。

 

 いや、頑張ってね?

 俺には遠慮しなくていいからね?

 

 どうせ適当なところで場外に落ちるつもりなので、俺のことは気にせず、他の人と全力で戦ってください。

 

 ……とは、流石に言えない。

 

 さっき考えた言い訳が、始まる前から使えなくなる。

 それに、そんなことを家族に知られたら、帰ってからの俺の立場がない。

 

 何か、当たり障りのない返事をしなくては。

 

「私には関係ない話ですね……」

 

 ……うん。

 

 ルカ君の合否と、俺が落ちることは別の話だ。

 嘘は言っていない。

 

 それにしても、公爵家の人間と話す時に敬語を使うのは、やっぱり少し気恥ずかしい。

 

 口では「私」とか言っているけど、頭の中はずっと俺なのだ。

 何だか、普段の自分を知っている人の前で、よそ行きの服を着せられているような落ち着かなさがある。

 

 ……いや、もっと近いものがあるな。

 

 学校のトイレで、大きい方をしている時の気分だ。

 

 悪いことをしている訳じゃない。

 生理現象なんだから、堂々としていればいい。

 

 それでも、出たところで微妙な知り合いと鉢合わせると、何とも言えない空気になるだろう?

 

 仲のいい奴なら「またお前かよ」で済むけど、そうでもない相手だと「ああ……」みたいな。

 

 あれだよ、あれ。

 

 分かるよね、ルカ君?

 

「その言葉、後悔させますよ」

 

 ……何でちょっと怒ってるの?

 

 トイレの下りは駄目だった?

 

     ●

 

 C闘場、第3組。

 

 組分けを確認した僕は、その中にある一つの名前から目を離せなかった。

 

 ディファイ=R=ボルト。

 

 騎士学校では、カルマ=バンニールに唯一認められた男として知られている。

 その彼と、一次試験から戦わなければならない。

 

「ルカ、お前の組に、あの〝仮面〟がいるとはな……」

 

 隣からイージスが声をかけてきた。

 彼も、僕と同じ名前を見ていた。

 

 〝仮面〟。

 

 ディファイさんが、陰でそう呼ばれるようになったのには理由がある。

 

 普段の彼からは、実力が見えてこない。

 

 強さを誇示することも、自分から誰かに勝負を挑むこともない。

 けれど、それで弱いのかと聞かれれば、僕たちは頷けない。

 

 そのことを決定づけたのが、カルマとの模擬戦だった。

 

「そうだね。でも、誰が相手でも負ける訳にはいかないよ」

 

 僕は自分に言い聞かせるように答えた。

 

「例え、あのカルマを倒したディファイさんが相手でもね」

 

 あの試合の光景は、今でもよく覚えている。

 

 カルマが放った上段突き。

 それに対し、ディファイさんは何かに躓いたかのように体勢を崩した。

 

 誰もが、一瞬遅れたと思ったはずだ。

 

 けれど、突きは外れた。

 

 そして、崩れたはずの体勢から、ディファイさんの剣がカルマの胸へ伸びた。

 ちょうど、心臓の位置を狙うように。

 

 カルマも避けようとはしていた。

 それでも避けられなかったのは、足を踏まれていたからだ。

 

 攻撃を外させ、退くことも許さず、そのまま急所を突く。

 

 使っていた剣が、木製の中でも軽い物でなければ、鍛えているカルマでも危なかっただろう。

 それほどの一撃だった。

 

 カルマは、最初の突きで決められると思っていたはずだ。

 少なくとも、あの体勢から反撃されるとは考えていなかっただろう。

 

 僕だって、そうだった。

 

 相手に攻撃のタイミングを読ませて、その予測を外す。

 言葉にすれば簡単だけど、実際にできるかどうかは別の話だ。

 

 ましてや、相手はカルマなのだ。

 

 その心理も、動きも理解した上でなければ、あんなことはできない。

 

 けれど、ディファイさんは自分の反則負けだと申告した。

 

 確かに、足を踏む行為は反則だったのかもしれない。

 それでも、見ていた生徒たちは皆、カルマが負けたと思っていた。

 

 カルマ自身も、そう受け止めていたのだろう。

 

 後でジェダが、

 

「兄貴のあんな悔しそうな顔は見たことがない……」

 

 と言っていた。

 

 そしてディファイさんは、カルマに謝っていた。

 

「まさかこんなことになるなんて……私が悪いです」

 

 その時の彼の顔には、表情がなかった。

 

 勝ったことを喜んでいる様子もなければ、あのカルマを倒したことに興奮している様子もない。

 ただ、自分が悪かったと謝っていたのだ。

 

 ……何が、悪かったのだろう。

 

 少し本気を出したら、思っていたより簡単に決まってしまった。

 相手を買い被っていた自分が悪かった。

 

 そんな意味だったのではないかと、僕は考えている。

 

 そうでなければ、あの結果を前にして、あんなにも表情を変えずにいられるだろうか。

 

 彼が本当は、何を考えているのか。

 どこまでの実力を持っているのか。

 

 それが、まるで分からない。

 

 だから、〝仮面〟。

 

 誰が最初に言い出したのかは覚えていない。

 けれど、その呼び名は、騎士学校に通っていた者たちの間に自然と広まっていった。

 

 そして今、僕と同じ組になったディファイさんは、笑っていた。

 

 組分けを見て、一度は表情を強張らせたようにも見えた。

 けれど、その後で僕の方を見て、口元を緩めたのだ。

 

 何か、考えがまとまったように。

 

 ……僕なら、どう倒すか。

 

 もう、そこまで考えているのかもしれない。

 

「あれって、顔引き攣ってるだけじゃねぇの?」

 

 エルト君の言葉に、僕とイージスは思わず苦笑した。

 

 何も知らなければ、そう見えるのだろう。

 

 確かに、マナの量や身体能力だけを比べれば、ディファイさんはエルト君に及ばない。

 あれほど巨大なマナの剣を出した彼からすれば、特別強い相手には見えないのかもしれない。

 

 けれど、僕たちは知っている。

 

 ディファイさんの恐ろしさは、そこにはない。

 

 相手の動きを読み、意識の隙を突き、勝つための形を作る。

 あのカルマにさえ、それをやってのけた。

 

 力の大きさだけでは、彼の実力は測れないのだ。

 

「うーん……俺にはよく分からないな」

 

「お前には分かるまいな」

 

「っるせぇ!」

 

 イージスに呆れたように返され、エルト君が頬を膨らませる。

 

 その反応に、少しだけ気が緩んだ。

 

 でも、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 

 僕はグラム家を立て直すために、ここへ来た。

 シェリーのためにも、この試験だけは落ちる訳にはいかない。

 

 相手が誰であろうと、それは変わらない。

 

 そう、自分に言い聞かせてから、僕はディファイさんへ歩み寄った。

 

「ディファイさん」

 

 彼の肩が、僅かに動いた。

 そして、ゆっくりとこちらを向く。

 

「僕は、例えアナタにでも負ける訳にはいかないんです」

 

 自分を奮い立たせるための言葉だった。

 

 相手が強いことは分かっている。

 それでも、戦う前から負けを認めるつもりはない。

 

 けれど、彼の返事は短かった。

 

「私には関係ない話ですね……」

 

 淡々とした声だった。

 

 僕の決意を聞いても、彼の態度は変わらない。

 励ますでもなく、挑発を返すでもなく、ただ僕の顔を見ていた。

 

 関係ない。

 

 僕がどんな事情を抱えていようと、どれだけの覚悟でここに来ていようと、戦いの結果には関係ない。

 

 そう言われた気がした。

 

 ……分かっている。

 

 事情があるからといって、勝ちを譲ってもらえる訳じゃない。

 そんなことを頼むつもりもなかった。

 

 それでも、腹が立った。

 

 まるで、僕が何を考えていようと、自分が勝つことに変わりはないと言われたようで。

 

 彼は、まだ僕を見ている。

 

 何かを考えているようだった。

 けれど、その表情からは、やはり何も読み取れない。

 

 僕の決意を聞いた上で、もう次のことを考えているのだろうか。

 

「その言葉、後悔させますよ」

 

 思っていたよりも、強い声が出た。

 

 僕だって、何もしてこなかった訳じゃない。

 

 技術を磨いた。

 体力もつけた。

 勉強にだって励んできた。

 

 学校の成績なら、ディファイさんに勝っている。

 それだけで戦いに勝てるとは思わないけど、積み重ねてきたものまで、彼に劣っているとは思いたくなかった。

 

 何より、僕は負ける訳にはいかない。

 

 グラム家のために。

 

 シェリーのために。

 

 彼にとって関係のない事情でも、僕にとっては、この試験を受ける理由の全てなのだから。

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