報われない男の物語 作:羽付き羊
一次試験のペーパーテストは、とりあえず書けるだけ書きました。
……いや、違うんです。
最初から真面目に受けるつもりだった訳ではないんです。
ただ、試験官が怖かった。
答案用紙を前にして、さてどうしたものかと顔を上げたら、思いっきり睨まれたのだ。
あの目は駄目だ。人が死ぬ試験の試験官をしている人の目だった。
いや、実際そういう人なんだけど。
とにかく、目が合った瞬間に背筋が伸びて、気づいたら普通に問題を解いていた。
今まで勉強したことが、こういう時に限ってすらすら出てくるのだから困る。
何というチキンな俺……。
女王騎士の入団試験を受けるような人間なんて、肝の据わった奴ばっかりなのだろう。
試験官に睨まれただけで真面目に受け始めたのは、たぶん俺くらいだ。
何せ、試験の最中に寝ている奴までいたのだから。
あの状況で寝られる?
俺なんて、ペンを止めるだけでも「何か言われるんじゃないか」とビクビクしていたのに。
あっちはもう、問題を解くことすらやめているのである。
肝の据わり方が違う。
俺なんて生まれたてのひよこだ。まだ羽毛も乾いてない。
……それとも、もう全部解き終わっていたのかな?
暗記系の問題ばかりだったし、知っていれば早く終わることもあるだろう。
そう考えると、何だか自分だけ無駄に焦っていたような気がしてくる。
まぁ、他人のことを考えていても仕方ない。
次の体力テストは、真面目にやってもどうせ落ちるだろうし――。
グサッ。
そんなことを考えていた時だった。
隣で試験を受けていたイージス君が、自分の太ももにペンを突き刺した。
……え?
血が、飛んできた。
えぇぇぇぇ!?
何で!?
ちょっと待って、これ何の試験だった?
筆記だよね?
自分の覚悟を血で示すとか、そういう試験じゃなかったよね?
そんなに問題を解けない自分が許せなかったの!?
思わず凝視してしまったが、試験官も驚いていたので、お咎めはなかった。
そりゃ見るだろう。
隣の人間が急に自分を刺したんだぞ。
これで「隣の答案を見ましたね」とか言われたら、流石に抗議する。
俺が見たのは答案じゃなくて太ももです。あと血です。
……いや、落ちるためなら、いっそカンニングしたことにすればよかったのでは?
そう思ったけど、それは駄目だな。
俺の評判だけならまだしも、実家にまで迷惑がかかるかもしれない。
試験に落ちるのと、不正をして追い出されるのは、流石に話が違う。
親父に言い訳できなくなる。
それにしても、あの時のイージス君は何だったのだろうか。
ペンを突き刺した後、何故か笑っていたのだ。
太ももから血を流しながら。
……たぶん、一時的にマゾになったのだと思う。
それ以外の理由は、ちょっと俺には思いつきません。
○
一次試験は、ペーパーテストと体力テストの二つで構成されている。
両方の成績を合わせて、次の試験へ進めるかどうかが決まる仕組みだ。
つまり、ペーパーテストを多少頑張ってしまっても、まだ取り返しはつく。
次に待っているのは、俺の苦手な実戦形式。
何人かのグループに分かれ、バトル・ロワイアルを行うらしい。
……これ、別に何もしなくても落ちるのでは?
いや、痛いのは嫌だ。
できれば始まる前に帰りたい。
でも、ここまで来て逃げる訳にもいかないので、せめて痛くない負け方を考えておこう。
そうだ、場外負けだ。
さっさと場外に落ちれば、体力テストの成績は最下位。
筆記がそこそこできていたところで、流石にそれでは通らないだろう。
これぞ、計画通りっ! という奴である。
思わずニヤニヤしていると、近くにいた受験者が少し離れた。
……そこまで引かなくてもよくない?
こっちは、ようやく無事に帰れそうで安心しているだけなんだけど。
そんなことを考えているうちに、組分けが発表された。
自分の名前を探し、同じ組の面々を確認する。
そして、ちょっと泣きそうになった。
ルカ君がいた。
よりにもよって、あのルカ君と同じ組だった。
いや、強い人と当たれば負けやすいので、それ自体は別に悪くない。
問題は、この子が俺のことを何やら凄く誤解していることである。
騎士学校では、俺は「カルマ君に認められた唯一の男」とか言われていたらしい。
何で?
こっちが聞きたい。
できればカルマ君にも聞いてきてほしい。
そんな話を信じている相手と戦うとなれば、俺が何もできずに負けた時の空気が、何となく想像できてしまう。
……それは、ちょっと嫌だな。
負けたい。
負けたいんだけど、あまりにもあっさりやられると、それはそれで悔しい。
我ながら面倒臭いと思う。
でも俺にだって、多少は見栄というものがあるんですよ。
だったら、ルカ君の攻撃を一度受け止めて、その勢いで場外に落ちればいいのでは?
そうすれば、何もせずに負けた訳ではない。
ちゃんと戦ったけど、相手が強すぎたという形にできる。
帰ってからも、少し悔しそうな顔をして、
「頑張ったんだけど、やっぱり六大公爵家の人は凄かったよ……」
とでも言えば、親父だって納得するだろう。
いい。
それがいい。
落ちる。
でも、格好はつく。
後はルカ君に、できるだけ痛くない感じで飛ばしてもらえれば――。
「ディファイさん」
ビクッ。
「僕は、例えアナタにでも負ける訳にはいかないんです」
……急に話しかけないでくれないかな?
考え事をしていたところに名前を呼ばれ、危うく変な声が出るところだった。
何とか飲み込んだけど、心臓は普通に跳ねている。
俺は別に、誰とでも気軽に話せるような人間ではない。
むしろ、人付き合いは苦手な方だ。
そんな俺に、真剣な顔で決意を表明されましても。
いや、頑張ってね?
俺には遠慮しなくていいからね?
どうせ適当なところで場外に落ちるつもりなので、俺のことは気にせず、他の人と全力で戦ってください。
……とは、流石に言えない。
さっき考えた言い訳が、始まる前から使えなくなる。
それに、そんなことを家族に知られたら、帰ってからの俺の立場がない。
何か、当たり障りのない返事をしなくては。
「私には関係ない話ですね……」
……うん。
ルカ君の合否と、俺が落ちることは別の話だ。
嘘は言っていない。
それにしても、公爵家の人間と話す時に敬語を使うのは、やっぱり少し気恥ずかしい。
口では「私」とか言っているけど、頭の中はずっと俺なのだ。
何だか、普段の自分を知っている人の前で、よそ行きの服を着せられているような落ち着かなさがある。
……いや、もっと近いものがあるな。
学校のトイレで、大きい方をしている時の気分だ。
悪いことをしている訳じゃない。
生理現象なんだから、堂々としていればいい。
それでも、出たところで微妙な知り合いと鉢合わせると、何とも言えない空気になるだろう?
仲のいい奴なら「またお前かよ」で済むけど、そうでもない相手だと「ああ……」みたいな。
あれだよ、あれ。
分かるよね、ルカ君?
「その言葉、後悔させますよ」
……何でちょっと怒ってるの?
トイレの下りは駄目だった?
●
C闘場、第3組。
組分けを確認した僕は、その中にある一つの名前から目を離せなかった。
ディファイ=R=ボルト。
騎士学校では、カルマ=バンニールに唯一認められた男として知られている。
その彼と、一次試験から戦わなければならない。
「ルカ、お前の組に、あの〝仮面〟がいるとはな……」
隣からイージスが声をかけてきた。
彼も、僕と同じ名前を見ていた。
〝仮面〟。
ディファイさんが、陰でそう呼ばれるようになったのには理由がある。
普段の彼からは、実力が見えてこない。
強さを誇示することも、自分から誰かに勝負を挑むこともない。
けれど、それで弱いのかと聞かれれば、僕たちは頷けない。
そのことを決定づけたのが、カルマとの模擬戦だった。
「そうだね。でも、誰が相手でも負ける訳にはいかないよ」
僕は自分に言い聞かせるように答えた。
「例え、あのカルマを倒したディファイさんが相手でもね」
あの試合の光景は、今でもよく覚えている。
カルマが放った上段突き。
それに対し、ディファイさんは何かに躓いたかのように体勢を崩した。
誰もが、一瞬遅れたと思ったはずだ。
けれど、突きは外れた。
そして、崩れたはずの体勢から、ディファイさんの剣がカルマの胸へ伸びた。
ちょうど、心臓の位置を狙うように。
カルマも避けようとはしていた。
それでも避けられなかったのは、足を踏まれていたからだ。
攻撃を外させ、退くことも許さず、そのまま急所を突く。
使っていた剣が、木製の中でも軽い物でなければ、鍛えているカルマでも危なかっただろう。
それほどの一撃だった。
カルマは、最初の突きで決められると思っていたはずだ。
少なくとも、あの体勢から反撃されるとは考えていなかっただろう。
僕だって、そうだった。
相手に攻撃のタイミングを読ませて、その予測を外す。
言葉にすれば簡単だけど、実際にできるかどうかは別の話だ。
ましてや、相手はカルマなのだ。
その心理も、動きも理解した上でなければ、あんなことはできない。
けれど、ディファイさんは自分の反則負けだと申告した。
確かに、足を踏む行為は反則だったのかもしれない。
それでも、見ていた生徒たちは皆、カルマが負けたと思っていた。
カルマ自身も、そう受け止めていたのだろう。
後でジェダが、
「兄貴のあんな悔しそうな顔は見たことがない……」
と言っていた。
そしてディファイさんは、カルマに謝っていた。
「まさかこんなことになるなんて……私が悪いです」
その時の彼の顔には、表情がなかった。
勝ったことを喜んでいる様子もなければ、あのカルマを倒したことに興奮している様子もない。
ただ、自分が悪かったと謝っていたのだ。
……何が、悪かったのだろう。
少し本気を出したら、思っていたより簡単に決まってしまった。
相手を買い被っていた自分が悪かった。
そんな意味だったのではないかと、僕は考えている。
そうでなければ、あの結果を前にして、あんなにも表情を変えずにいられるだろうか。
彼が本当は、何を考えているのか。
どこまでの実力を持っているのか。
それが、まるで分からない。
だから、〝仮面〟。
誰が最初に言い出したのかは覚えていない。
けれど、その呼び名は、騎士学校に通っていた者たちの間に自然と広まっていった。
そして今、僕と同じ組になったディファイさんは、笑っていた。
組分けを見て、一度は表情を強張らせたようにも見えた。
けれど、その後で僕の方を見て、口元を緩めたのだ。
何か、考えがまとまったように。
……僕なら、どう倒すか。
もう、そこまで考えているのかもしれない。
「あれって、顔引き攣ってるだけじゃねぇの?」
エルト君の言葉に、僕とイージスは思わず苦笑した。
何も知らなければ、そう見えるのだろう。
確かに、マナの量や身体能力だけを比べれば、ディファイさんはエルト君に及ばない。
あれほど巨大なマナの剣を出した彼からすれば、特別強い相手には見えないのかもしれない。
けれど、僕たちは知っている。
ディファイさんの恐ろしさは、そこにはない。
相手の動きを読み、意識の隙を突き、勝つための形を作る。
あのカルマにさえ、それをやってのけた。
力の大きさだけでは、彼の実力は測れないのだ。
「うーん……俺にはよく分からないな」
「お前には分かるまいな」
「っるせぇ!」
イージスに呆れたように返され、エルト君が頬を膨らませる。
その反応に、少しだけ気が緩んだ。
でも、いつまでもそうしている訳にはいかない。
僕はグラム家を立て直すために、ここへ来た。
シェリーのためにも、この試験だけは落ちる訳にはいかない。
相手が誰であろうと、それは変わらない。
そう、自分に言い聞かせてから、僕はディファイさんへ歩み寄った。
「ディファイさん」
彼の肩が、僅かに動いた。
そして、ゆっくりとこちらを向く。
「僕は、例えアナタにでも負ける訳にはいかないんです」
自分を奮い立たせるための言葉だった。
相手が強いことは分かっている。
それでも、戦う前から負けを認めるつもりはない。
けれど、彼の返事は短かった。
「私には関係ない話ですね……」
淡々とした声だった。
僕の決意を聞いても、彼の態度は変わらない。
励ますでもなく、挑発を返すでもなく、ただ僕の顔を見ていた。
関係ない。
僕がどんな事情を抱えていようと、どれだけの覚悟でここに来ていようと、戦いの結果には関係ない。
そう言われた気がした。
……分かっている。
事情があるからといって、勝ちを譲ってもらえる訳じゃない。
そんなことを頼むつもりもなかった。
それでも、腹が立った。
まるで、僕が何を考えていようと、自分が勝つことに変わりはないと言われたようで。
彼は、まだ僕を見ている。
何かを考えているようだった。
けれど、その表情からは、やはり何も読み取れない。
僕の決意を聞いた上で、もう次のことを考えているのだろうか。
「その言葉、後悔させますよ」
思っていたよりも、強い声が出た。
僕だって、何もしてこなかった訳じゃない。
技術を磨いた。
体力もつけた。
勉強にだって励んできた。
学校の成績なら、ディファイさんに勝っている。
それだけで戦いに勝てるとは思わないけど、積み重ねてきたものまで、彼に劣っているとは思いたくなかった。
何より、僕は負ける訳にはいかない。
グラム家のために。
シェリーのために。
彼にとって関係のない事情でも、僕にとっては、この試験を受ける理由の全てなのだから。