The Echo ~Reflection of The FullMetalPanic~ 作:手拭
騎士甲冑に身を包んだ女が、風を切り石段を駆け上がる。
壁にかかる松明のみが明かりの暗がりで、目標は慌てたようにたたらを踏みながら後ろを振り返った。
その、ものの僅かな時間がソレにとっての最期の時間となった。
詰め寄った追っ手は容赦なく手にした凶器を振り下ろす。
切り裂くというよりも、断ち切る形状をした凶器が確実にソレの命を刈り取った。
「――ッ!!」
断末魔もあげる間すらもなくソレは絶命する。
とたんに室内が、凶器が腐敗した血肉を掻き分けそれらが床や天井に飛び散る音と鉄と硫黄の入り混じった臭気とで包まれる。
返り血を浴びながらも油断無くその状況を作り出した者は対象が単なる死骸に変わったことを確認する。
「古代の屍鬼か・・・」
一振りし、己の武器にこびり付いた血肉を払いながら石造りの室内で床に転がるソレを見やる。
生前はさぞ高名な者だったのだろう。
特に感慨もなく、凶器を振るった人物はそう思った。
普通ここまでやってしまっては彼女の目的は達成できないのだが、
ことこういう手合であるのであれば話は別だった。
事実、飛び散った肉片はゴゾゴゾと蠢いている。
「シグナム。あと2時間ほどで日が暮れるわ」
暗がりから、見知った顔の女性が現れる。
「ああ分かっているシャマル。手短に済ませよう――――?」
動きを止め、シグナムと呼ばれた騎士は床に転がる屍鬼を注意深く観察しはじめる。
突然動きを止めたシグナムの様子をシャマルは訝しげに伺った。
「どうかしたの?」
「いや、この屍鬼が何か手にしているようでな」
そういうとシグナムは今しがた自身が手を下したそれに近寄ると、何かを拾い上げた。
壁にかけられた松明の明かりに、拾ったそれをかざす。
それは、一言でいうならば黒い真珠のような宝珠だった。
「・・・これはデバイスか?」
「ええ、そうみたいね。微かだけど魔力を感じるわ」
手にした黒い宝珠を見ながら、2人で僅かばかりの時間それを眺める。
「それ、どうするの?」
「捨ててしまうには勿体無いようだ。しかし我々には必要が無い」
「そうね」
「だがまあ、何かの役に立つかもしれん。お前に預けておこうシャマル」
そう、分かったわ。と、シャマルは興味なさそうにつぶやくと黒い宝珠を受け取りポケットへと仕舞い込んだ。
「はやく終わらせて帰りましょう。あまり遅いとはやてちゃんが怒ってしまうわ」
「ああ」
応じたシグナムがシャマルが並び立ち、空中に手を翳す。
すると一冊の本が彼女らの目前に現れた。
眺めているだけで不安を感じさせる禍々しいオーラを放つその本のページが、空中でひとりでにパラパラとめくられ始める。
それを確認した後、彼女らは揃って口にした。
「「 魔力蒐集 」」
石造りの室内を、本から放たれた光が満す。
その光は床に散らばるそれらを捕食するように包み込むと跡形も無く消し去ってしまった。
続けて彼女らは言葉を発する。
「「 転移 」」
風を巻き起こしながら、彼女らの姿が掻き消える。
室内を荒らす風によって灯された松明の明かりは消え、
誰もいなくなった室内は元の暗がりと静けさを取り戻した――
カタカタという音が断続的に響いている。
夕食と未だに馴染めない日本文化である風呂をすませたレナードは自室にてノートPCのキーボードを叩いていた。
ノートPCは近所の粗大ゴミから拝借し、部品を掻き集めてなんとか動作するようにした代物だ。
ノートPCの画面上に立ち上げられたコンソールの画面は3つ。
内2つのコンソール画面は何らかの処理を連続して行っている最中で、動作ログが流れ続けていた。
そして内1つにレナードはコマンドを打つ、もしくはパラメータを書き換える等して地道な作業を続けている。
いつもは落ち着いている彼であったが、今夜はどこか余裕がなかった。
「これは拙いな」
本来、予定外の作業を行うつもりは無かった彼だが念のためにとベリアルの他のデータを確認してみた結果がこの始末である。
予想以上にデータの破損が著しく、唯一の手がかりが失われかねない状況だ。
レナードは、バニ・モラウタとは違うタイプの人間だった。
微妙な例えではあるがバニがアッ○ル社だとするとレナードはマイ○ロソフト社だ。
だから最初は、最悪起動しないかもしれなかったベリアルのAIのことを考えてもどこか楽観的であったし、
壊れたものは修理して後から使えるようにすればよいぐらいにしか考えていなかった。
故に道具に対して彼の思い入れはそれほど強くは無い。
だがその筈の彼は今夜はなんとしてもデータを保持しなければいけないという思いに駆られている。
原因はベリアルの残骸の状態を確認したことにあった。
本来十数メートルもあるサイズのベリアルだったが人間で言う胸部から上の部分しか残っていないほど大破していた。
AIだけ生きていても無機質な会話を楽しむぐらいの機能しかなくTAROSも健在ではあったが、
それだけではただの巨大な演算装置にしか過ぎなかった。
そして彼は、最悪粗大ゴミに出すためにと分解をはじめた時にそれを見た。
頭部に備え付けられていた人で言う両目の、双眼式メインセンサーが点灯していたのだ。
第3世代型アームスレイブのメインセンサーは光学式の画像データのみではなく音声データをも収集している。
――つまり、自身が気を失っていたあの戦闘時の記録が収集できるのだ。
彼はパラジウムリアクターに電源が残されている内にTAROS含めた残骸のうちで重要な部分のみを自室に退避させ、それから作業を連日行っていた。
そしてその連日の作業が今、水泡に帰しかねない状況なのだ。
彼が焦るのも無理もなかった。
そんな時に突然背後から2つの声がかかる。
「ほう。何が拙いんだ?」
「こんばんわ。レナード君」
レナードが驚いて振り返ると、そこに今しがた外から帰ったばかりであろう格好をした女性2人が立っていた。
「――シャマルにシグナムか。ノックもせずに人の部屋に入るとは趣味が悪いんだな君達は」
キーボードを叩き続けていた手を止め、イスの手すりに手をかけながら深くかけなおす。
突然現れた来訪者に内心驚きつつも彼は近くのベッドに腰掛けるよう彼女らを促した。
「まあ立ったままというのもあれだ。座って話そうじゃないか」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
「私はこのままで結構だ。それと、貴様の部屋でなく主はやてのものだ」
シャマルはベッドに座り、シグナムはドアの近くの壁に背中を預けながらそう言った。
ところでレナードと彼女達は、つまりシグナムやシャマル、ヴィータとザフィーラ達とは、特別仲が良いわけでも悪いわけでもなかった。
互いに似たもの同士というか――ある種の隠し事をして上手く生活している者同士の暗黙の了解というかで、互いに共感している部分はあった。
だがそれは『お前について深く触れないかわりにこちらの事をあまり探るな』というよう関係性だ。
レナードと八神はやて、彼女達と八神はやてとの関係のように特別何かの思いやりがある関係性ではなかったのだ――
故に彼女らが彼の部屋を訪れることは、音も無く部屋に入られたことともあいまって彼に警戒心を抱かせた。
また、作業を止められたことへの苛立ちもあったのかすぐに本題へと入る。
「まあいいか。それでなんだい?単に世間話をしに来た訳じゃないんだろう」
「ああ。お前さえ正直に話してくれるのならばすぐに終わる話だ」
「シグナム――ごめんなさいね。私達はあなたにどうしても確認しておかなければならないことがあるの」
シグナムの口調が唐突に厳しいものとなる。
シャマルにしても表面上はシグナムを押さえるかのような言動を取ってはいたが、その目つきがシグナムの意見と同様だと告げているのをレナードは見抜いていた。
部屋の気温が、下がるのを感じる。
だがこうした空気には慣れてた。
だからこう言うのだ。
「やれやれ、やけに物々しい言い方をするんだね。ふむ。それじゃあ扉の外の2人にも入ってきてもらおうか」
呆れたような口ぶりと、わざとらしい大仰なしぐさで両手を中空で広げながらそう言った。
とたんに2人の視線が鋭くなる。
「なんのことを言っている?」
「―シグナム。無駄よ、慣れているみたいだわ」
シャマルのその言葉に2人とも黙り込んだ。
互いに無表情で向き合い、部屋には一触即発の空気が立ち込める。
数秒間沈黙が続いたが、やがてため息を吐きながら見かねたようにシャマルが発言した。
「もういいわ。ヴィータ、ザフィーラ。入ってきなさい。彼にはこんなことをしても無駄だったわ」
すると開けっ放しになっていたドアから2人が続けて入ってきた。
「おまえ――!!」
「まさか気がついていたとはな」
レナードは無言で部屋に入ってくる2人を一瞥すると、シグナムへと向き直り無表情でこう言った。
「こう見えて僕もいろいろな経験はあってね。驚いたかい?」
「ああ。ますますお前が信用ならなくなったな」
ヴィータとザフィーラが部屋の外で待機していることを見破っていた時点で彼女らの警戒心も最高レベルに高まっていた。
「おまえいったいなんなんだよ!はやてに何かするつもりなのか!?」
ヴィータが声を荒げて問いただす。
座ったままのレナードの胸倉を掴むとそのまま壁へと押し付けた。
ドンッという音が部屋に響く。
「まったく・・・突然何を言い出すのかと思えばなんだいそれは?それじゃまるで僕がハヤテに悪さをするヤツみたいじゃないか」
「はぐらかさないで。正直に答えるのならあなたに何もしないわ」
ヴィータに壁に押し付けられたままのレナードに対して、あくまで真剣な表情でシャマルはそう告げた。
シグナムは壁に預けていた背中を離し、ザフィーラは悟られないよう拳を握り締める。
そんな中、自らの体を壁へと押し付けるヴィータをつまらないものを見るような目でみつめながらレナードはつぶやた。
「やれやれ。君達とはもっと上手くやれると思っていたのにな・・・」
「―なに?」
――ヴィータが疑問を口にした瞬間、部屋の明かりが消えた。
突然訪れた暗闇にヴォルケンリッター達は全員が身構え、体を硬直させる。
が、すぐに部屋の明かりは戻った。
しかし、部屋の光景は先ほどまでと同様とはいかなかった。
レナードはヴィータの前にはおらず、ベッドの上にいたはずのシャマルは少し離れた位置で床に押さえつけられていた。
彼女の首筋にはスペツナズナイフ――刃渡り8cmほどの軍用ナイフが突きつけられている。
「シャマル!!」
「黙れ――静かにするんだ、ハヤテをこの場に呼びたいのか?」
「――ッ!」
ヴォルケンリッター達は誰も動けなかった。
正直なところ、魔法さえ使ってしまえば普通の人間でしかないレナードなど相手ではない。
それこそものの数秒でその命を散らせることが可能だろう。
だが、目の前にいるこの男は厄介なことに自分達と"同類"だったのだ。
あれに自分達の優しい主は全く自分達へ向けるものと同様の思いを向けている。
そう、彼は自分達と同じ八神はやてにとっての家族であったのだ。
故に、殺せない。
主の悲しむ姿を考えると彼女達には彼を殺めることなどできない。
そして何も出来ないのはレナードも同じだった。
シャマルを捕らえ人質にするまでは良かったが多勢に無勢だ。
それに彼は気がついていた。
彼女達が本気になればおそらく自分などなすすべも無くすぐに跳ね除けられるだろう。
重症から復帰したばかりで体のあちこちはおかしかったし、それになにより勘というかが告げていた。
彼女達には勝てない。
まったく根拠のない勘だったが自分とて曲がりなりにも命をやり取りをしたことのある者だ。
事実、彼女達全員が古代ベルカの戦場を駆け抜けた戦士の生き写しだった。
闇の書のプログラムとはいえ――その体に染み付いた経験、
長年の血の匂いはかつてサガラに戦士ではないといわれたレナードをしても嗅ぎ付けられるほど濃厚なものだったのだ。
故に提案する。
「ふう。まあ悪ふざけはこのぐらいにしようか」
そういうと彼はあっさりとシャマルの拘束を解いた。
「は?」
ヴィータが間の抜けた声をあげる。
まるで理解できない。といった風だ。
ヴィータだけではなくシグナムやザフィーラまでもが面食らった様子だった。
沈黙が流れる。
凍りついた時間に堪えかねたのか、今度はレナードが沈黙を破った。
「いや。あまりにも君達の芝居がつまらなくてね。即興で僕がアドリブを入れてしまっ――」
そう言いかけた瞬間、ヴィータから受けた衝撃よりもより強い衝撃が彼を襲った。
気がつけば体ごと持ち上げられ、またも壁へと押し付けられている。
疾風のごとく動いたのはシグナムだった。
「問うぞ。貴様は主はやての何だ」
押し殺した声でシグナムは問う。
「・・・」
レナードは何も応えない。
掴む力を徐々に強めながら、シグナムは再び問う。
「貴様は主のなんだと聞いているんだ」
再度の問いにも何も応えないまま、ただシグナムを見つめ続けるだけのレナード。
いつまでもこの光景が続くかと思われる中シャマルがこう言った。
「やめなさい、シグナム。私達の負けだわ。あなただって分かっているでしょう?」
開放され床に座ったままのシャマルがそういうとシグナムは渋々彼の拘束を解いた。
「ふう。助かったよシャマルさん。さっきは悪かったね」
「いいえ、お互い様よ。気にする必要はないわ。ただ次からはレディに対する扱いを覚えておくべきね」
「ああ。肝に命じておくよ」
先ほどまでの出来事がまるで無かったかのようにシャマルは笑顔で話しかけ、それに対してレナードは肩をすくめながら答える。
だが当然のように部屋の空気は重いままだった。
納得のいかない様子でヴィータが騒ぎ立てる。
「なんで普通におしゃべりしてんだシャマル!そいつは!」
「私も同感だシャマル。そいつは危険だ」
それに同意するシグナム。
そのタイミングで初めてそれまで場を静観するだけだったザフィーラが口を開いた。
「それは違う、彼はもう危険ではない」
「なに?」
「そうね。少なくとももう彼は私達やはやてちゃんに危害を加える存在ではなくなったわ」
「!?―どういうことなんだよシャマル―むぐぐぐぐ」
「だから静かにしろと言っているんだが」
警戒を解いたシャマルとザフィーラになおも抗議するヴィータとシグナム。
抗議する2人のうるさいほうのヴィータの口元をレナードは手で押さえつつ言った。
「僕は君達に敵意はないし、その、なんだ――君達が外出している時に何をしていようと僕は一切追及するつもりは無いよ」
「「「・・・・・」」」
「むぐぐぐぐぐ、離せっていってるだろ!」
ヴィータが自分の口を押さえる手を振り払って強引に引き離す。
そのままぜぇぜぇという荒い呼吸を整えると、少し落ち着いた様子で皆のほうへと向き直った。
「それで、なんでこいつが危険じゃないんだよザフィーラ」
「それは簡単なことだ」
そういうと、ザフィーラが説明をした。
「彼はシャマルを殺さず、また逃れるための要求をしなかった。それが何よりの答えだそして―」
「そうだね。元々僕らは"家族"だからね」
「今は私が話しているんだが・・・まあいい。それと、さきほどの言葉の我々のことを追及するつもりはないという言葉で確信した。レナードは我々と"同類"だ」
家族という言葉に目を細めながら、ザフィーラは彼を自分達と同じ存在だと言った。
いうまでもない、そう思った。
自分とて大切なことは隠している。そして明かすつもりも無い。
ハヤテを思って隠し事をしているという点で彼女達もレナードも共通している。
だから、あえてそれを伝えるために彼は口にする。
「ああ。たぶん君たちと同種だ。ハヤテのことを考え、秘密を押し通すつもりだ。だから君達を追及するつもりはないし、むしろ"家族として協力"しているんだ」
結果として揉め事になってはいたがそれは本当のことだった。
視線を落とし、そう告げたレナードを見ながら他の全員が思い返す。
思い当たる節は山のようにあった。
明らかに不自然な汚れをつけたヴィータが弱りきった様子で帰ってきたとき、追求するはやての注意を彼が逸らした。
遅くまで帰ってこないシャマルとシグナムをはやてがしかろうとしたとき、計ったかのようなタイミングで彼が食器を割った。
はやてにむくれられ、慌てふためきうっかり口走ってはいけないことを言いそうになったザフィーラの話を彼が打ち切った。
間違いなく、彼は彼女らの秘密がはやてに知られないよう協力していた。
「だが同居人。お前はなぜそんなことをする?」
「言っただろう。僕はお前達と同じだ。ハヤテに害のあることをするわけが無いだろう」
さらに確認するようにヴィータが次のように続ける。
「その言葉信じていいんだな?」
レナードはその言葉に何も言わずただ頷いたのみで肯定した。
それから再び、しばらくの間全員が沈黙したままただ時が流れていた。
何をするまでもなくまるで通夜のように全員が黙って座り込んでいる。
何か言い出そうとするのだが、互いが何も言えず言おうとしてやめる。ということの繰り返しだった。
無理も無かった。
当初の問題であるレナードに向けていた疑いは部分的にだが晴れ、敵どころか協力されていたことが判明した。
それに加えて考えていることは自分達と全く同じ、ただ中身が違うだけなのだ。
しかも互いに抱える秘密について突っ込んだ話をでき無い以上、これ以上の時間は無意味だ。
にもかかわらず何かを言わなければいけない。何故かは分からないがその場の全員をそう思わせるような空気になってしまっていた。
しかし言葉は無い。
しまいにはコチコチという時計の音だけが部屋に響き、皆が皆誰かが何か言うのを待っている始末だった。
「そうか・・・すまなかったな同居人」
と、何を思ったのかシグナムが突如発した謝罪の声がやけに大きく響く。
それを聞いたレナードは少し驚いた顔をした後、実にいやらしい笑みを浮かべながら言った。
「まったくだ。おかげですぐに済まさなければいけなかった作業が未だに終わっていない。踏んだりけったりだよ」
その言葉に堰を切ったかのように次々と言葉を口にする。
「それについては私も謝るわ。本当にごめんなさい」
「ああ。そう思うんならみんな部屋に戻るんだな。ハヤテがみんなを探し始めたらどうするんだ」
「そうだな。我らも部屋で休むとしよう。行くぞシグナム、ヴィータ」
「わかったよ。今日はこのくらいにしといてやるよ」
そうしてシグナムは無言で、ヴィータは口を尖らせながらもシャマルとザフィーラに続いて部屋を出る。
全員が部屋を出るかといった時にふとシグナムは入り口で足を止めレナードを片目で捕らえながら言った。
「今日はすまなかったな」
本当にすまなそうな表情でシグナムはそう言っていた。
「それはもういいよ。さあ早く休もう。もう遅いんだ」
「ああ。それもそうだな――それと、もし気がむいたなら――君の話を聞かせてくれないか」
数秒答えに戸惑ったものの、こう応えた。
「ああ。そのうちそうさせてもらうよ」
無論そのつもりは全く無い。
恐らくはシグナムもそれを分かっている。
分かっていてこのやりを交わしたのだ。
互いの秘密には踏み込めないが、協力し合う奇妙な関係が生まれていた。
「そうか」
それだけ言うとシグナムも彼の部屋から立ち去った。
部屋に静寂が訪れる。
自分だけとなった部屋の中で荒れたベッドへ座り込んだ。
ふと机の上を見るとノートPCは画面がブラックアウトし電源ボタンが明滅していた。
触っていない時間が長すぎてスリープしてしまったPCを眺めながら半目でため息を吐く。
これはたぶんダメだ。
実は破損したデータなど不要なものを残さないようにハードを管理する処理がベリアルには働いている。
今から作業を再開しても間に合わないだろう。
本当に踏んだりけったりであった。
ドサッっとベッドに倒れこむ。
寝てしまえ。
どうせ間に合わないのだ。
一度消えてしまったデータを復元することは可能ではあるのだが、
それが特殊な構造をしたベリアルのハードで可能かは彼も調べて見なければわからない。
そのあたりのあきらめの良さは相変わらずだった。
「微妙な信頼を得て、手がかりを失ったか―」
天井を見つめながらそうつぶやく。
ひとまず目下の心配事であった衝突。
最悪どちらかが消えるまで終わらない、血を見たであろう"家族喧嘩"は回避できた。
ハヤテが彼女達を大切に思っていることは分かっていた。
だからいつかこんな時がきたとしても、元々協力関係に落ち着くつもりではあった。
だが内心、手がかりを得ることよりここでの生活を優先した自分に彼は驚いていた。
いままで誰も信用すらしていなかった自分が誰かを信頼するとは。
やはり気でも緩んでいるんだろうか?
そういえばささやきの声が聞こえなくなり、
既視感を感じなくなってから睡眠も安定し精神的にも落ち着いているのを感じていた。
ふむ。異常だった状態から開放され本来の状態に戻りつつあるのか。
ということは自身の精神状態はこちらが普通ということに――
ゆっくりと回転速度を落としていく自分の思考と、
ベッドの心地よさを感じながら自らにのしかかる睡魔に身をゆだねる。
それは八神家にきてからのいつも通りの就寝スタイルだった。
だがいつもと違う部分が1つだけある。
黒光りして部屋の照明を照り返す、黒い宝珠。
シャマルが落としていったそれはレナードの枕元でまるで機会がやってきた。とでも言うかのように一瞬だけチカ、と輝いた。
2.それは驚いたこと fin
2016.9.10
全話、あとがきを削除しました
バックアップは取っています。