三国志。
それは名だたる英雄が数多く活躍した時代。
関羽や張飛、劉備に曹操…
今も尚、語り継がれている有名な時代の物語だ。
関羽は軍神だった、曹操は乱世の奸雄だった、呂布は最強の武将だったと後世においても人々は口々にそう語る。
そして、誰もが想像した事があるだろう。「もし、こんな時代に現代の戦略家がいたら?」
もし、現代の知恵を持つ者がこの世界にいたらどうなるのであろう? と。
だが、それは幻想に過ぎない。妄想、空想の中の絵空事だ。
しかし、現代にも人々に幻想を魅せる者達が存在している。
時に彼等は一瞬にして魔法を起こす。
フットボール。
人々を魅了し続けるそれは時代が移り変わるにつれて進化していった。
だが、どの時代も、どんな時代でも人々の記憶からは彼等の栄光の姿が消える事はない。
人々はそんな幻想的で自分達を魅了させる、フットボールをする彼等の事を時に魔術師と呼び、怪物や天使と呼んだ。
そして、そんな者達の中で人々から尊敬の念を込めて神と呼ばれる者さえもいる。
夢や魔法を起こす彼等は人々から敬われ、幻想を届ける者達という意味を込めてこう呼ばれる。
『ファンタジスタ』と。
これはそんな、フットボールの神に愛され、また、彼自身もフットボールを愛した男が歩んだ外史と呼ばれる世界の記録である。
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広い森の中。
木々が茂り、自然豊かな森の中で彼は目を覚ました。静かな空間に鳥の囀りが辺りに響き渡る中、彼はゆっくりと上体を起こす。
「ふぁ…」
短い茶髪の短髪、そして緑のコート。
眠たそうに目を擦る彼は大きく背を伸ばし、肩に手を置くと首を左右に振る。
ポキポキと首の骨が鳴り、ふぅとため息を吐く男。
彼は寝ぼけた頭で辺りを見渡し、暫くして事の異常性に気がついたのか、呑気にこう言葉を溢した。
「…何処だ、ここ?」
彼は自身の後頭部をポリポリと掻きながら昨晩の事をゆっくりと思い出す。
確か、監督である自分が率いていたアマチュアチームのイーストハムがイングランドのフットボールの大会、『FAカップ』で勝ち上がり、それを祝ってチーム全員で祝杯を挙げた筈だ。
それでもって、確かイーストハムのオーナーである会長から自分は報酬の代わりとして、有名な中国産の鏡を貰った。
別にあまりそういったものに興味は無かったが、貰い物という事でそれを引き取った後。自宅に帰ってそれを部屋に飾り、そのまま寝た。
それで目が覚めたらこの場所にいたという訳であるが…。
「…何がなんだかさっぱりだけど、あれだね? このままじゃ試合に間にあわねぇな、こりゃ」
呑気にそう呟く彼はため息を吐き、上を見上げた。
どこをどう見ても知らない森の中だ。携帯端末は充電中で手元には無かったし、その上財布も無く、ここの場所すらわからない。
はっきり言って完全に詰んでいた。
それを悟っているのか、男は呑気に空を見上げるとこう呟く。
「こりゃ…完全にクビだな。あーあ、せっかく勝てるチームになって来たってのに…」
男は苦笑いを浮かべてそう呟くと、再び深いため息を吐いた。
折角、怪我でサッカーが出来なくなった自分が再び、違う形でフットボールに携われると思った矢先にこれだ。こんな状況に陥れば流石に落ち込んでしまうのも必然であると言える。
だが、男は開き直ったのか呑気に欠伸を一つするとその場から立ち上がった。
「しゃあねぇな…ま、どうにかなんだろ?」
とりあえず、プラス思考に物事を考える事にした。 確かにうじうじと今の状況の事を言っていてもキリがない。それよりかこれからどうするかの方が彼には重要な事だ。
まずは、使えるものが無いかを男は辺りを再び見渡し探し始める。
すると、彼は足元にある物が落ちている事に気がついた。
「……ん、サッカーボール? なんでこんなとこに?」
そう、落ちていたのは白黒の綺麗なサッカーボールが一つ。
しかしながら、男はふと思い出した。そういえば昨晩、酒を飲み過ぎて酔いつぶれた際、意識を失う間際に自分はサッカーボールを抱きしめていた事を。
よほど昨日、自分のチームが勝ったのが嬉しかったんだろうと彼は苦笑いを浮かべながら、その地面にあるサッカーボールを拾い上げた。
「…フットボールの神様もなんの悪戯かねぇ?」
男はサッカーボールを見つめながら寂しげにそう呟く。
自分にフットボールの才能を与えてくれたのは他でも無い、フットボールの神様だ。
だが、同時に自分から怪我という災いにより自分からフットボールを奪ったのもフットボールの神様。
ましてや、今度は違う形でフットボールに携わった筈の自分の作ったチームの試合すらも取り上げる。
彼にはそれがどうしようも無く虚しく思えた。
「…もし? どなたかいらっしゃいますか?」
「ん…?」
「あら…気のせいだったのかしら?」
森の奥から聞こえて来た声に思わず振り返る男。
彼はサッカーボールを脇に抱えたまま、その声のした方へとりあえず声を出して問いかけてみる事にした。
どちらにしろ、ここが自分が昨晩までいたイングランドの自宅で無い以上はここの土地に詳しい、もしくは地元の人に場所と道を尋ねるのが一番だ。
彼がイングランドに初めて来た時もそうだった。
「誰かいんのかー?」
「ひゃっ!? あ、あら、やはりいらっしゃったのですか」
男が掛けた声に対して驚いた声が聞こえると、森の茂みの中から女性が現れた。その凜とした風貌と物腰はどこか落ち着いた様な雰囲気を醸し出している。
彼は恐る恐る森の中から現れたその女性に首を傾げてこう訪ねた。
「何してんだあんた、こんなとこで?」
男が投げかけた質問であるが、彼が置かれている状況を見るにそれは彼にとってもかなりブーメランに近い質問であった。
しかし、女性も寛容なのかそんな男の質問に苦笑いを浮かべつつも忠告するかのようにこう話をしはじめる。
「いや、その…貴方もこんなとこで何をしているのですか? ここは山賊が良く出るので危ないですよ?」
「山賊? 今の時代に? 冗談だろ?」
「? …いえ、賊は今のご時世なら珍しく無い気はしますが…」
「ふーん。イングランドはそうなのかな? よくわかんねーけど」
「いんぐらんど?」
女性はそう言って首を傾げる。
女性には『イングランド』なんて言葉は聞き覚えが無い。しかしながら、彼はどうやらここがイングランドという場所と思っている様だった。
とりあえず、どちらにしろこの場所で長居をして話すのは好ましくは無い。
そう判断したのか、ひとまず場所を移す様に変わった格好をした彼にこう告げる。
「ひとまず、移動しましょうか? 私も旅から帰る途中ですので」
「何? あんた、1人でイギリス旅行でもしてたのか? 治安とか危ねぇんじゃねーか?」
「はぁ…」
「ま、いいや。んじゃ、道案内よろしく」
またまた聞き覚えが無い言葉にポカンとする女性。
男はその場から離れる様に自分に促して来た女性に道案内をそうお願いすると、サッカーボールを抱えたまま山道を後からついて行く。
しかしながら、その道中。男は辺りを見渡しながら思った。
この場所や雰囲気はなんだか自分が知っているイングランドの気候や空気とは異なっていると。
拭いきれない違和感を感じつつも、そんな中、サッカーボールを脇に抱えた男は女性から話を掛けられた。
「あんな山中に人がいるなんて驚きました」
「まぁね、俺も驚いたよ。なんであんなとこにいたんだか…」
「覚えてないのですか?」
「寝て起きたらあそこにいた。そりゃ驚いたよ」
「あらら…。それは災難でしたね?」
「全くさ。試合には間に合わねーだろうし散々だ。酒は飲み過ぎるもんじゃないね、本当」
「あらあら…」
そう言って、軽口で苦笑いを浮かべて話す男の言葉にクスクスと笑みを浮かべる女性。
ひとまず、あの場所にいて山賊に襲われなかっただけでも幸いなんだろうがどうやら彼にとってはそうでも無いようだ。
「あ…そう言えば名を伺っていませんでしたね。私は水鏡と言います、貴方は?」
「あ、思いっきりなんか漢字な名前が出てきたね。達海、達海猛だよ」
「えっと……達海猛? 随分と変わった名ですね?」
「達海が苗字だから、猛が名かな? よくわかんねーけど、確かそんな感じだよ」
「はぁ。えっとじゃあ…達海さん、かしら? よろしいですか?」
「お好きな様に」
そう言って達海と名乗る男は水鏡にそう告げると、彼女の後ろで大きな欠伸を一つ入れる。
水鏡はそんな呑気な達海の様子に笑みを浮かべたまま、続けて質問をしはじめた。
「達海さんはどんな職業の方なのですか? 随分と変わった格好をしていますが…?」
「ん…。コレ、そんなにおかしな格好?」
「ええまぁ、普通はそんな服を着た殿方は見たことがありませんので…」
「まぁ…確かに変わった格好と言えばそうかもしれねーけど。スーツは堅苦しいからあんまし着たくないんだよね」
「すーつ?」
「んで、俺の仕事だっけ? 監督だよ、フットボールの監督」
そう言って、達海は抱えて持っていたサッカーボールを水鏡に見せながら笑みを浮かべる。
しかし、そんな彼の言葉とは裏腹に水鏡は首を傾げて、そのフットボールが何かということ自体理解していない様子だった。
「その…ふっとぼーるとは何でしょうか?」
「何? あんたフットボールしらねぇの? あちゃー…そりゃ半分くらい人生損してるぜ?」
「はぁ…」
「フットボールっつうのはさ、11対11でこいつを足でゴールに叩き込むイギリスが発祥の世界的に有名なスポーツさ」
「す、すぽーつ?」
そう言って、水鏡から連れられた達海は暫くして平坦な道に出ると、彼女の目の前に抱えていたボールを地面に落としながら告げる。
そして、水鏡の目の前でボールを軽く浮かす様に蹴り上げると、続けるようにこう話をしはじめた。
「どんな貧しい国でもゴールとこいつがあれば出来る。俺はこれを使って戦う奴らの戦術とかを考えたりする仕事をしてんだ。…よっと!」
「わぁ…!」
「んっと、引退して随分経つけど割と鈍ってないみたいだな。まぁ、あれだ、つってもアマチュアチームの監督だよ。次のFAカップでうちのチームがプレミアのチームとやり合う予定だったんだけどね。…はっ!」
そう言って、簡単にボールを使って綺麗なリフティングを水鏡の目の前で披露する達海。
そのリフティングの一つ一つが芸術的であり、まるで彼の周りを舞うように飛び交う。水鏡はそんなボールと達海に思わず見入ってしまった。
しかしながら、暫くして。冷静になった彼女は達海が言った言葉が引っかかったのかこう達海に訪ねる。
「…ん? 戦術? …ということは貴方は戦術家ということでしょうか?」
「そんな大層なもんじゃないよ。よっと…」
達海はそう言いながらボールを簡単なように高く蹴り上げると、ストンと落ちてきたボールを難なく両手でキャッチし、水鏡に向き直りながら告げる。
「戦術家ってほどじゃないけどさ、有名なフットボールの監督なんてのは世界から王佐の才の持ち主なんて呼ばれたりするよ。すんごい世界さ」
「王佐の…才…」
「中には『スペシャル・ワン』なんて自称する監督なんてのもいるね。まぁ自称だけどさ?」
「す、すぺしゃるわん?」
「あ、もしかして、アンタ英語わかんない感じ? 『特別な1人』って意味さ。英語って国際的な公用語だと思ってたけど存外そんな事も無いんだな」
「はぁ…。な、なるほど」
「ま、俺はそんな感じで試合の戦術を組み立ててチームを勝たせる仕事をしてるわけだ。勝敗は結局、選手次第だけどね?」
そう言いながら達海は笑みを浮かべたまま、嬉しそうに自分が携わる仕事について水鏡に語る。
そして、水鏡はそんな夢の様な話を語る達海を見ながら思わず笑みを浮かべた。
彼がフットボールを語る目にはキラキラと子供の様な無邪気さが含まれている。それが、水鏡には眩しく映っていた。
「楽しいですか? その…ふっとぼーるというものは?」
「あぁ、最高だね。サポーターや選手と勝った時の喜びを分かち合う時なんて特にさ」
「ふふふ…。変わった方ですねほんとに」
そう言いながら2人は楽しそうに笑い合いながら平坦な山道を歩く。
そして、達海はあることを思い出したのか、ふと、彼女にこう話をしはじめた。
「あ、そういや、ここらへんバスか電車ってない? とりあえず今からでも行けば試合に間に合うかもしんねーし」
「…でんしゃ? ばす?」
「そうそう。ここがイギリスのどこかは知らないけど…」
「そんなもの無いですよ? いえ、というより何でしょうか、それは?」
「…は? 冗談だろ? いつの時代だよ?」
「はぁ…今は漢王朝ですが…?」
「…なんだって?」
「いや、だから漢王朝ですよ? いつまで続くかは見当付きませんが…」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべて達海にそう告げる水鏡。
流石の達海もいきなり自分が知らない時代の名前を挙げられ、困惑が隠せなかった。
いや、厳密には知ってはいる。
小学生の頃、暇がある時に図書室やなんやらを読んでいた時の事だ。
達海は三国志とかいう本を読んだことがあった。漫画本程度であるが。
最近では三国志のブームもあり、知らないことは無い。だがしかし、こんな展開が果たして予想出来ただろうか?
何がどうして自分がこんな場所に居るかすら意味不明だというのに時代が違うと言われれば僅かな希望すらも無い。
「…まじかよ」
この時の心境はチャイナマネーに連れられて中国に移籍した最近の選手たちみたいだったと、のちに達海は語った。