『ファンロンの悲劇』。
それは、賊による農村の襲撃だけではない。
この日、多くの血が流れ、大切なフットボールの原石達が数多く命を落とした。
この報を聞いた袁術は急いで荊州の兵に伝令を通達し、軍を率いて張勲と共に賊討伐に出陣した。無論この戦には馬超、趙雲も参加した。
「くそったれ! なんでこの時期に!」
「言っている場合か翠! 急げ!」
馬超、趙雲は騎馬隊を率いて急いで農村部に向かい兵達を走らせた。
もちろん、達海も万が一のために張勲と共に袁術と同行している。袁術はあまりの出来事に戸惑いを隠せないでいた。
雪。彼女もまた、ユースの仲間たちと農村部に帰っている。嫌な予感が渦巻いていた。もし彼女に何かあれば自分は…。
だが、軍の指揮を執っている以上は責任を果たさなければいけない。
達海も雪やユースの仲間たちを心配する袁術の心情を理解していた。
「美羽…無理すんなよ」
「わ…妾がみんなを助けないと…だって…」
「あぁ、そうだな。助けよう。まだ間に合うかもしれない」
達海は道中、動揺する袁術にそう語りかけながら優しく抱き寄せて撫でてやった。
そうでもしないと彼女は壊れてしまうかもしれない、そう感じたからだ。こんな出来事は監督になった達海にも初めての出来事だった。
達海も同じ気持ちだ、ユースの子達や雪は彼からすればみんな大事な教え子たちである。
フットボールに夢を見て、フットボールのスタジアムに立つことを目指して日々練習をしていた。
そんな娘達が一体何をしたというのだ。
達海は込み上げてくる感情を押し堪える。彼の隣には掛け替えの無い友人達の安否を心配する袁術がいるのだ。
達海が感情を露わにしてはいけない。だから、彼は堪えた。
そんな二人を張勲は心配そうに騎馬に乗りながら見ていた。
「達海さん…。伝令の様子からして結構時間が経っていました……」
「七乃、お前が言いたい事はわかる。わかるが、今は口に出すな。いいね」
「ですが、美羽様はまだ…」
「妾は民を…みんなを守らなければならぬ! 聞きとう無い!」
「…わかりました。では、全軍! 急げ!」
そう言って、進軍のスピードを上げるように全軍に通達する張勲。
雨が多く降る中、彼女達は急いで襲撃を受けたであろう農村部を目指す。大量に降り注ぐそれはまるで涙のようだった。
それから暫くして。
騎馬隊で先行した趙雲と馬超の二人が兵士達を率いてこちらへと引き返してくる光景が達海達の目に飛び込んで来た。
趙雲は首を静かに振っていた。それは、おそらく既に間に合わなかったのだろう事を達海に悟らせるには十分であった。
そして、馬超に抱き抱えられる様にして雪が腕の中で力無く横たわっている。
彼女の背には弓矢が突き刺さっており、苦しむ様に馬超の腕の中で咳き込んでいた。
「…あ…あぁ…。ゆ、雪ぃ!」
美羽はその光景を見るや否や、すぐさま、雨に濡れるのも構わず馬超が抱き抱えている雪に向かい一目散に走り出した。
眼には涙を溜めている。嘘だと思いたかった。
趙雲は騎馬隊をそのまま待機させ、達海の元へと向かう。
「すいません…。我らが到着した時には既に…」
「他のユースの子達は…」
「ダメでした…。全員…殺されていました」
「そっか…」
達海はその言葉を聞いて溢れ出てくる感情を露わにする事なくグッと抑え込んだ。
全員が夢を抱いていた。子供達の未来は希望に満ち溢れている。それを、こんな風に失う事になるとは思いもよらなかった。
賊の襲撃なんて事は予測できなかった。家族の元で彼女達は再び楽しく一週間過ごして帰ってくるとばかり思っていた。
達海は雨に濡れる中、地面に足を下ろすと趙雲に一言だけこう告げる。
「ご苦労だったね…。ありがとう星」
「…監督、あまり無理をされては…」
「いや、いいんだ、うちのマネージャーの姿が見たい…」
「…っ!…はいっ」
達海のその言葉に堪えられなくなったのか、彼から視線を逸らして趙雲はそう答えた。
それは溢れ出そうな涙を彼に見せぬ様に…。
一番辛いのは達海と袁術のはずだった。自分達よりも彼女達はユースの子達や雪と共にいる時間が長かった。
けれど、達海は教え子たちの死に涙を流さず。ユースのマネージャーであった雪の顔が見たいと言った。
馬超も達海に申し訳なさを感じながら、涙を流しながら駆け寄ってきた袁術にゆっくりと雪の身体を支える様に預けてあげた。
そして、雪は辛そうな面持ちの中、袁術の胸の中に横たわる。
矢の射抜かれ方からして、彼女がもう、どうやっても助からない事はその場にいた誰もが理解していた。
「雪…雪! しっかりするのじゃ! 妾と約束したでは無いか!? 次は大きな舞台で一緒に、と!」
「…え…へへ…。み…うちゃ…ん…」
「妾じゃぞ! そうじゃ! は、はちみつレモン美味しかったのじゃ! ま、また作ってたも」
袁術は次から次へと溢れ出る涙を拭いながら、必死に笑顔を作っていた。
いつも、雪が笑ってくれていたから、挫けそうな自分を励ましてくれたから、だから彼女が元気になる様に袁術は笑顔を作っていた。
袁術が彼女の手を見るとユニフォームが握られていた。あの試合でシュートを決めた時に自分が雪にあげたものだ。
10番。彼女はそれを離さない様にしっかりとユニフォームを握りしめていた。
「…と…ら…れ…な…かっ…た…よ」
「うん! うん!…わかっておる! 頑張ったな! 雪! 」
兵士達はそんな二人のやり取りを見ながら涙を流していた。
兵士達の中にもあの雪と袁術が抱き合った試合を観たものはいる。だからこそ、その二人がこの様な別れをするなんてことは誰も思いもしてなかった。
雨に濡れる中、張勲も口を抑えて涙を流していた。あんなに袁術と仲が良かった雪のその痛々しい姿と辛そうな袁術の作り笑いが彼女には堪えられなかった。
「さ…い…ご…だから…」
「…何故じゃ、大丈夫なのじゃ、妾が助けに来たのじゃ! し、心配しなくても良いのじゃ!雪!」
袁術は涙を流しながらそう告げる。
だが、雪はそんな袁術の言葉に静かに左右に首を振った。それは、自分の事を既に悟っているからだろう。
そんな中、袁術の後ろから達海が雪の前にスッと顔を出した。その顔はいつもの様に飄々としている様に見えるが周りには自然ととても悲しげに見えた。
達海は一言だけ、こう雪に告げた。
「今まで、ご苦労だったな雪。ありがとう」
雪はその達海の言葉にいつもの様な笑顔を見せてその言葉に応える。
そして、達海は優しく雪を抱き抱えている袁術に静かにこう悲しげな表情を浮かべたままこう告げはじめた。
「…美羽、雪の最後の言葉だ聞いてやれ」
「嫌じゃ…最後なんて嫌じゃ!」
「美羽」
「…妾は! もっと! 雪とフットボールがしたかったのじゃ! 嫌じゃ!」
「美羽…俺もだよ」
「……え?」
「俺も雪とお前とユースのみんなともっとフットボールがしたかった。だけど、雪はもう辛いんだ…。聞いてやれ、お前に聞いて欲しいんだ雪は」
袁術の肩を掴んでそう語る達海の眼からは小さな滴が流れ落ちていた。それは雨によるものなのかそれとも涙なのかは定かではない。
しかし、達海も袁術と同じ様に辛かった。毎日の様に笑顔を見せて楽しくフットボールをする教え子たちを達海も同様に失った。
そして今、目の前でその教え子の、一人の命の灯火が消えようとしているそれだけは確かだった。
袁術も達海の初めて見るその表情を見て、全てを悟ったのか静かに頷いた。
袁術は耳を寄せて、雪の言葉を聞こうとする。
そして、雪は袁術にゆっくりとはっきりとした言葉でこう告げた。
「私達の分まで。みんなに夢を見せて? …美羽…」
そう、最後の力を振り絞って袁術の手を雪は握りしめてそう告げると静かに事切れた。
力無く、袁術の手を握りしめていた手がパタリと地面に落ちた。
袁術は雪が静かに息を引き取るの確認するとユニフォームを握っていた彼女の亡骸を力強く抱きしめた。
その身体はとても冷たかった。
袁術は溢れ出る感情を涙と共に声に出した。それは、同じ夢を抱いて、同じ誓いを立てた親友が居なくなってしまった事への悲しみの声だった。
「──────ぁああああああ! 雪ィィィィ!!」
声にならない泣き声が雨の中に消えてゆく。
楽しかった日々も、過ごした仲間も親友も奪われた。
張勲はその袁術の光景を見て涙を流しながら、泣き崩れる袁術の代わりに全軍に通達した。
それは、これ以上、この様な悲劇を生み出す輩を野放しにしない様に張勲が今の袁術に対して出来ることといえばこれくらいしかなかった。
「全軍に通達! 賊軍を見つけ出し! 一人残らず駆逐せよ! 良いな!? 必ず見つけ出せ!」
「「「応っ!」」」
張勲が率いた軍隊は泣き崩れた袁術を置いていく様に進軍する。向かう先は農村部。
もう、賊達は引き上げているだろうが、張勲はそれでも草木を分けてでも見つけ出す気でいた。
自分の主人を悲しませ、この様な悲劇を生んだ奴らを生かしておくつもりはなかった。
しかし、皮肉な事に張勲はこの賊達を見つけ出し殲滅した後。この様な話を捕虜の話から聞く事になった。
賊軍の大半は袁術が強いた重税により、賊に身を落とした者達の集まりだった事。そして、略奪者と成り果てた彼等が緩和された税にも関わらず略奪者としての快楽に溺れていったという事を張勲は捕らえた賊がそう話したのだ。
つまり、袁術が強いた重税により生まれた賊に雪やユースの子供達の村が襲われたという事になる。
張勲は袁術にはこの話は伏せたが、達海には話した。
それは、良かれと思っていた重税の政策が張勲の大事な者を悲しませる結果になってしまった。
自分が重税を早くに止めていたら。そんな、罪の意識も張勲にはあったのだろう。
だが、達海は言った。
「過ちは誰にでもあるんだ、大事なのは次をどうするかって事さ。それにね、これはお前だけが抱え込む問題じゃない」
張勲にそう言った時の達海は辛そうな顔をしていた。
だが、前に進まないといけない事も事実だ。ユースの半分を失った。けれど、残っている者達もいる。
確かに教え子たちは何人も死んだ。殺された。
けれど、だからといって彼等が望んだ願いや夢を諦めて良い事にはならない。なら、代わりに自分達が叶えてあげないといけないのだ。
雪は事切れる前しっかりと袁術にこう言った。
『みんなに夢を見せて』と。
だから、達海は『ファンロンの悲劇』の後に試合を組む事にした。
チャリティーマッチ。この日の観客達は全員無料で試合を観ることが出来る。
試合は荊州ファンロンと馬超、趙雲のいるチームでの試合だった。
賭博ではない興行にも関わらず、この日、大勢の観客たちがスタジアムに足を運んだ。
控え室。
試合前に袁術をトップチームと共に連れてきた達海は彼女と二人で話をしていた。
それは、雪や仲間たちを失った袁術が失意によりフットボールの試合に出たがらないからだ。
だから試合前に達海は袁術と二人で話す事にした。
「美羽、試合だぞ」
「嫌じゃ…妾はもう試合を…」
「したくないじゃない。お前はしなきゃいけないんだよ美羽?」
「何故じゃ!? 妾は!」
「仲間たちを失った。あぁ、そうだろうな。けどね、ここにきた観客たちはお前に夢を見せて貰いに来てるんだよ美羽」
「!?」
達海は静かな口調でそう袁術に告げた。
その達海の言葉に袁術はハッとさせられる。そうだ、雪も確かに言っていた。『自分達の代わりにみんなに夢を見せて』と。
だが、袁術は不安だった。こんな状況で自分が果たしてみんなに認められる試合ができるのかが。ミスやしくじりをしてチームが負けたらどうしようと。
「でも、妾は不安なのじゃ…。支えてくれた雪ももう居ない。妾はたくさん試合で失敗するかも知れないのじゃ」
「構わないさ」
「構うものか! 皆は妾の試合をみておる!」
そう言って達海の言葉に涙を浮かべながら食いつくように反論する袁術。
だが、達海はため息をひとつ入れるとゆっくりと袁術の目を真っ直ぐに見据えてこう話をしはじめた。
それは、チャリティーマッチで気負う袁術を楽にする為に。
「そのまま行け。何度でもしくじれ。その代わり、一回のプレーで観客を酔わせろ。敵のド肝を抜け。お前ん中のジャイアント・キリングを起こせ」
「!? …じゃ…じゃいあんと、きりんぐ?」
「大物殺しって意味さ。お前の中の大きな不安をぶっ倒せ。最初にも言ったろ? 試合を楽しめってさ」
そう言って達海は笑顔を袁術に見せてそう告げた。
達海のその言葉には確かに袁術の心を射抜いた。そうだった。試合を見に行く者達は夢を見て自分の試合を見に来ている。
なら、楽しく試合をしなければ見に来てくれた彼等に失礼だ。
それは、雪の願いもみんなの願いも全部背負い試合をフットボールを楽しむ事。
彼女は吹っ切れたような顔つきになり、真っ直ぐに達海の目を見てこう告げた。
「わかったのじゃ! 妾は…みんなの分まで試合で活躍するのじゃ!」
「そうだよ、俺が見たかったのはその顔さ。フットボールを楽しんでこい、美羽」
「うんっ!」
袁術はそう達海の言葉に頷くと流れ出そうな涙を拭き取り、その場から立ち上がった。
そして、達海は袁術にこう話をしはじめる。
「美羽、ユニフォームを着る前にちょっとアンダー貸せ」
「…? なんでじゃ?」
「いいから、ほら」
達海はそう言って美羽からユニフォームの下に着るアンダーを受け取ると、それに何やらしはじめた。
そして、しばらくして、アンダーを美羽に返すと彼女にこう告げる。
「今日の試合。シュートを決めたらみんなにこれを見せてやれ」
「!? ……っ…。うんっ! わかったのじゃ!」
「よし! なら行くぞ! みんな待ってる」
達海はそう言って美羽と共に控え室を出ると皆が待ってるスタジアムへと足を向けた。
湧き上がる歓声、広いピッチ。
この夢の舞台で袁術が学んだ事はたくさんあった。乗り越えた事もたくさんある。
この場所に立てなかった者達の分まで試合を一生懸命に楽しむ。袁術はそうやって雪と共に成長してきた。
この日、このチャリティーマッチで袁術はシュートを決めた。
皆の記憶に残るであろう綺麗なフリーキックからの得点だ。
彼女はシュートを決めた途端。自分のユニフォームを脱いだ。その光景に観客たちは唖然とした。
彼女のユニフォームの下には白のアンダー。
そのアンダーにはこう文字が書かれていた。
『このゴールを亡き親愛なる友人と仲間たちに捧ぐ』と。
この日、『ファンロンの悲劇』を知る観客たち全員はその袁術の姿に静かに涙を流し、拍手を送った。
そして、手を挙げて観客たちに応えるそんな袁術の手首には、雪と付けていた同じ色のミサンガがあった。