「んぅっ!……ぐっ、あぁっ!」
木組みの家と石畳の街。
その街にあるとある産院の分娩室に、悲鳴とも呻きともとれる声が漏れ出していた。
分娩台に乗せられた白色の髪をした女性が顔に苦悶の表情を浮かべ、歯を食い縛っている。
ハンカチを口に挟んでおかなければ歯を砕いてしまうような勢いであった。
「大丈夫だよ。俺がいる、俺が付いてる」
出産痛みに耐えている女性の右隣に立っている男性は、その右手を強く握り安心させようと励ましの言葉を送り続けている。
その顔はとても心配そうであった。
「ね、ねぇっ、あなた……」
脂汗を流しながら、微笑みの表情を作った女性が男性に話しかける。
「なんだ?」
「私、今とっても痛いけど、それ以上に嬉しい。チノに弟が出来ると思うととっても嬉しいの」
「っ! ああっ、あの子は寂しがりやだからね。きっと喜ぶよ」
「ええっ、早く顔を合わせたい……っ!!」
更なる激痛が襲い、声にならない悲鳴を上げながら無意識に腰を浮かす女性。
そんな彼女に、 分娩台の下で出産の補助をしている助産師が叫んだ。
「赤ちゃんの頭が出てきました!お母さんもう少しです、頑張って!」
☆
白い廊下が続いているのを覚えている。
白い服を着た女の人やパジャマのような服を着た人とすれ違う。
そんな人たちを物珍しそうに見つめながら、おじいちゃんに手を引かれながら歩いていた。
「あのっ……おじいちゃん、はやい……」
吹けば飛ぶような小さい声。
それでも、おじいちゃんの耳には届いた。
「ん? ああっ、すまんすまん。つい早足になってしまった」
すまなそうな顔をし、そして微笑みかけながらその歩みを合わせてくれた。
ただ、幾分か緊張しているとなぜか分からないが感じた。
「チノ、緊張するか? おまえの弟に会うのが」
自分の緊張を棚に上げ、自分に問いかけて来たのもまた、覚えている。
「きんちょうしてるの、おじいちゃんのほう、ですっ」
「はっはっはっ、こりゃ痛い所突かれたのぅ」
おじいちゃんは空いている左手で頭を掻きながら、苦笑いをしていた。
図星を言われて照れているのだろう。
「おっと、ここじゃここじゃ」
おじいちゃんがそう言うと、立ち止まる。
急に立ち止まったせいでおじいちゃんの足に鼻をぶつける。ちょっと痛い。
「さぁ、チノ。覚悟はええかの?」
頭を撫でてくれながら、舌をぺロリと出すおじいちゃん。
その仕草に鼻を押さえながらむぅっと顔を膨らませる。
そんなささやかな抗議をしってかしらずか、おじいちゃんは個室の扉をガラガラと開けた。
「ああ。親父、チノ、来てくれたか」
二人揃って個室に入ると、お父さんが迎えてくれた。
奥には、ベットで半身を起こして微笑んでいるお母さんの姿が見える。
「おお、スマンな。仕事で出産に立ち会えんかったわい。チノの時には立ち会えたのじゃがのう……」
「いいえっ……チノの事もありますし、お養父さんにはとても助かってます」
お母さんとおじいちゃんが何かを話しているが、その内容は良く覚えていない。
お母さん……正確にはお母さんの手に包まれているモノに私の全てが集中していた。
見つめるその瞳には、きっと星が映っていたことでしょう。
「あら……チノ、こっちにいらっしゃい」
ジッと見つめているのに気が付いたお母さんは優しい声で招いた。
その声が合図で、小走りでベットに近づく。
なんだか分からないけど、胸がドキドキしていた。
「ほら。あなたの弟よ、チノ」
「わぁっ……」
それを見た瞬間、感嘆とした声を上げていた。
お母さんが見せてくれたのは、くるくると巻かれた布の中に入ったちいさな赤ちゃん。
その赤ちゃんは、急に表れた私の顔をほけっとした顔で見つめていた。
そんな姿が無性に可笑しく、クスっと笑ってしまう。
「とっても、かわいいですっ!」
無意識に、口走る。
頬が釣り上がるのが感じられ、それがとても心地よい。
それと同時に、”触ってみたい”という気持ちが湧き上がってきた。
「さ、さわってみても、いい……?」
「ええっ、良いわよ」
返事がくるやいなや、恐る恐るといった感じで手を伸ばす。
どこを触ればよいかしばし手が宙を舞う。
そして意を決したように手を止め、さらに手を伸ばす。
目標は、赤ちゃんの小さな手。
ぷにっ
「わっ……!」
触った瞬間、暖かくてぷにぷにとした触感に驚き手を離す。
が、すぐに手を戻し、赤ちゃんの小さな手をにぎにぎと握る。
とてもぷにぷにで気持ちの良い触感。
思わずずっと握っておきたいと思ってしまう。
ぎゅっ
「あっ、に、にぎりかえして、きた」
夢中でにぎにぎとしていると、小さな指が閉じられ私の手を包み込んでくれた。
大きさの違いで私の手の半分しか握られてないけど、その力は予想よりも強いと感じた。
そして、この子は生きているのだと意識が鮮明になった。
なんと言い表せればよいのか分からない。だけど、きっと感動している。
そんな私と赤ちゃんを微笑ましく見ていたお母さんが、「そうだ」と言い私に話しかけた。
「チノ、抱っこしてみる?」
「わたしが、いいの……?」
「うん。あなたは、お姉ちゃんなんだから」
お姉ちゃん。
お母さんの言ったこの言葉に、私は一瞬気後れした。
弟ができる。
その言葉は、お母さんやお父さん、おじいちゃんに散々言われてきた。
私は、そうなんだと思った。
だけど、今この子を見た瞬間、自分はなんの気持ちの整理もできていないと思わされた。
―――私は、お姉ちゃんになれるのか
なんとも言えない、不安が襲う。
「ほら、手を出して」
「う、うん……」
そんな葛藤があるとも知らずに、お母さんは私に赤ちゃんを預けにくる。
戸惑いながらも両手を前に出すと、その上に赤ちゃんを優しく置いた。
ズシッと赤ちゃんの重みが両手に伝わる。
見た目に反して結構重い。
ヨタヨタとその場で足踏みをしてしまうが、しっかりと足を踏ん張り耐える。
「えっ、えっと……」
赤ちゃんは受け取った。
けれども、そこからなにをすれば良いのか分からない。
オロオロと、顔を回す。
赤ちゃんが私を見つめてくる。
何かしなければ。
どうして何かしなければならないのか分からないけど、自然とそう思った。
「よしよし、よしよっ、し」
ゆさゆさ。
気が付くと、手を上下に動かし赤ちゃんを揺らしていた。
まだ私も小さかった頃、こうして揺すられると楽しかった記憶がある。
この子も、喜んでくれるかな――という咄嗟の判断。
冷静に見れば滑稽に見える程、私はガチガチになりながら必死に赤ちゃんをあやす。
きゃっきゃっ
幼い、笑い声が聞こえた。
ハッとなり顔を下に向けると――――赤ちゃんが笑っていた。
「わらったっ!」
自分の手で赤ちゃんを笑わせた事による嬉しさか、それとも安堵か。
私にしては大きな声で思わず叫んでしまった。
そして赤ちゃんを刺激してしまったと思わず口を閉じる。
けど、気にせず笑い続けてくれた。
そんな様子に、私も釣られて笑ってしまう。
「あらあら、もう仲良しさんになったのね」
「なんじゃ、ちゃんと良いお姉ちゃんしとるじゃないか。心配は杞憂だったみたいじゃな」
「俺は親父が心配のし過ぎでまともに寝れてなかった事の方が心配だったけどな」
「なんじゃと!? おまえ相変わらず減らず口を!!」
はははっと、みんなの笑い声が響き渡る。
私もくすくす笑う。赤ちゃんもきゃっきゃっと笑う。
ちゃんとしたお姉ちゃんができるのか、不安は残る。
でも、大丈夫。きっと。
この子の笑顔を見ると、そう確信できた。
――――私は香風智乃。あなたのお姉ちゃん、です。
―――――****―――――
ピピッピピッ
「んぅ……」
目覚まし時計の鳴る音で目が覚め、窓から差し込む朝日がまぶしく目を瞑る。
そして半身を起こし、しばしぽけっとする。
「夢、でしたか……」
周囲を見渡し、そこが自分の部屋であると認識したチノは、そう呟いた。
(懐かしい夢を見たものです)
あの出会いから、既に9年が経過している。
チノがまだ4歳の頃の話だ。その頃の記憶などそれほど残っている訳ではない。
だが、あの出会いは一度も忘れた事が無かった。
懐かしさに頬が緩む。
そうして懐かしんでいると、ふと左手に違和感を感じた。
視線を右に向けると、そこにはチノの左手につないでいる手があった。
その手の持ち主は、まだスヤスヤと寝音を立てている。
チノと同じ薄水色の髪で、身長もまだチノより10cm以上小さい。
だけど、その手はあの時のように半分ではなく、チノの手全体を掴んでいた。
チノはその光景をしばらく見つめ、そしてクスっと笑う。
「まったく、寝ぼすけさんですね」
しょうがない子です。
そう言うとチノは身を翻し、空いてる右手で揺すって起こし始めた。
「ほら起きて、朝だよー」
ゆっさゆっさと揺らす。
すると、元々目覚めは良いほうなのか、小さな呻きをあげながら目を開けた。しょぼしょぼな目ではあるが。
「ぁぅ……」
まだ眠いのか、大きな欠伸を漏らしている。
半身を起こし、しょぼしょぼとした目を擦る。
そして、自分の右手がチノの左手につないでいると気付いた。
5秒くらいその手を見つめ、離す事はせず逆にぎゅっと力を入れる。
身体をチノに向け、にへらっと笑う。
「おはよう、お姉ちゃん」
自分の弟にあいさつされたチノは、お返しに左手にきゅっと力を込め、そして釣られて微笑みながら言うのであった。
「おはよう、ニロ」
人物紹介
香風 ニロ
本作の主人公。チノとは4歳年下の9歳で、とても優しい性格をしている。
チノと同じくおとなしいが、表情は豊か。優しい姉であるチノを非常に慕っている。そしてチノが唯一タメ語で話せる人物。
タカヒロの軍人時代の話やリゼの影響もあり、ミリタリー系が好き。