「諦めなさい」
質素だが故にわびさびを感じる室内で美しい音色を伴った声が響いた。その後すぐに陶器が割れる音が続いた。ラウンドテーブルに座る一人の女子高生がティ―カップを落としたのだ。
「あ、あの」
「もう一度言うわ。諦めなさい」
諌めるような口調ではあるが聞くものにとってはあまりに残酷なひと言が述べられた。その声が小鳥がさえずるかのような綺麗な女性の物であるのを幸福と言うべきか、不幸と言うべきか。いや、どの道聞きたくなかったセリフなので結局不幸だろう。
「そ、そんな!」
宣告された美しいブルネットのロングヘアーの少女はその場にへたり込んでしまった。青を基調とした聖グロリアーナ女学院の制服を着る彼女、吉田薫子は顔を真っ青にして現実を否定しようとするが、オールバックの長いブロンドと大きなリボンを特徴とした女子高生アッサムは彼女の両肩をしっかりと掴んで告げる。
「でも現実はしっかりと受け止めなくてはなりませんわ。貴女はもうソコまで来てしまったのだから」
「私は……ずっと夢見て来たんですよ! なのに! なのに!」
すっかり取り乱す二年生をアッサムは優しく抱きしめた。彼女はよく知っていた。戦車道を選択したもの全てが望み通りの道を歩むことはない、と。
彼女たちの誇る聖グロリアーナの隊長ダージリンなら「世界は辛いことでいっぱいだけれども、それにうちかつことでもあふれている」と激励の言葉を送るだろう。
事実、薫子は努力を怠たることもなければ才能が皆無なわけでもない事をアッサムは知っている。むしろ特異な才能があると聖グロリアーナ戦車道チームの誰もが知っていた。彼女の望む物かどうかは別として、だが。
「確かに貴女の思い描いた道とは違うかもしれませんわ。でもこれがダージリン様の出した結論である以上、貴女は認めなくてはならないわ。そして自分の“戦車道”を見直す機会として受け入れるべきよ」
嗚咽を漏らして泣く彼女と慰めるアッサム。その周りにいつの間にか彼女たちの同胞たちが集まって二人を見守っていた。優雅で情熱的な赤のパンツァージャケットを着る彼女達の中にはハンカチを取り出して涙を拭く者すら出る。
「だから……」
アッサムは懐から何通かの書状を取り出して薫子に手渡す。その数は30を超えており表面には「異動願い」と書いてあった。
「これからもローズヒップ車の操縦手を……」
「嫌ですう!」
バンバンと床を叩き駄々をこねる薫子にアッサムは小さくため息を一つ。そして周りの仲間たちはそれを皮切りに涙腺を崩壊させた。
「いい加減お認めになりなさい。どう考えても貴女以外にあの子の満足のいく運転はできないのだから」
「嫌です! 嫌です! もうローズヒップさんの無茶には耐えられません~!!」
薫子の叫びに誰もが同情する。薫子は元華族の出身でゲルマン系の血が4分の一ほど入ったクォーターでいわゆる血統書付きの由緒あるお嬢様である。故にか、入学前にダージリンと彼女の乗るチャーチルに惹かれ、戦車道を選択した。入学当初、いつの日かチャーチルに乗り真の淑女たるダージリンのように、と夢見ていたのだ。
しかし現実は彼女の夢の悉くを打ち砕く。類まれなる運転技術を先天的に持っていたため、速攻でクルセイダ―乗りに配属され、よりにもよって“あの”ローズヒップに気に入られてしまったため半ば強引に彼女の操縦手としてレギュラーメンバーに抜擢されたのだ。
「でもクルセイダ―も悪くないでしょ?」
「毎日ドリフトでコーナーギリギリをせめてもですか?」
「レーサーになれますわよ」
ある人曰く追突が8回、スリップした14回、横転してひっくり返ったのが5回である。池ポチャ2回、ルクリリのマチルダを大破が1回である。
「チキンレースをするのも?」
「度胸は淑女にも戦車道にも必要ですわ」
アンツィオとの練習試合時にパスタ大好きっ子と交戦し、CV33三台と共に盛大なクラッシュをした。オレンジペコ曰く「ダージリン様のカップの持つ手が震えていた」とのこと。
「後ろから紅茶がかかるんですよ! 零していいんですか?! 聖グロ的に!」
「彼女もまだまだこれからですから」
“たとえ、どんな走行をしようが紅茶を一滴も零さない”が信条たる聖グロで許された特例として残るかもしれない。見方によってはある意味“伝説”である。
「準決勝ではパンターにティ―ガーⅡに突撃したんですよ!」
「あれは……か、攪乱の意味もあった……と思いますわ」
此処までポジティブシンキングだったアッサムも流石に目線を横にずらす。機動性による包囲をしたものの、正確な射撃と圧倒的火力で包囲網を食い破られようとした時彼女たちが立ち向かう姿を観客たちはこぞって褒め称えていたが、その実ローズヒップの負けん気から来た特攻だと知る聖グロリアーナのチームメイトたちの表情は微妙だった。
そしてローズヒップの指揮のもと薫子は目をグルグル回しながら恐竜じみた巨大さを持つドイツ重戦車群の中で大立ち回りを演じてパンター二両とヤークトティ―ガーの履帯を破壊し四号駆逐戦車ラングを撃破し、黒森峰の隊長大好きな忠犬駆るティ―ガーⅡに体当たりされて横転し撃破されたのだ。
その時の通信のうるささと来たら、薫子の悲鳴とローズヒップのアドレナリン全開の笑い声のミックスでにぎやかさだけなら全国ナンバー1だったに違いない。ちなみにこの時ダージリンは「戻りなさい」と言わなかった。
「もう! もう、もう耐えられません! 次はきっと列車砲やら臼砲に突っ込んだり、川を飛び越えろとか、真っ赤なイチゴを持った殺人鬼に立ち向かうとか、先っちょのとんがったモノに対抗するとか言われるに違いありません! そうなる前に! 早く!」
前半はともかく後半の発言にアッサムは一瞬噴き出そうになった笑いをどうにか堪えて必死に懇願する薫子に言う。
「落ち着いて。臼砲なんて戦車道で使われないわ」
「ああ、やった。これで安心……なんて出来るかぁ!」
薫子の口調はついに粗暴な物へと変わり、わんわん泣き出した。見かねたチームメイトがなだめようとしたが「同情するなら代わってください!」の一言でそそくさと去っていく。真、薄情な連中である。荒れて荒れてどうしようもない薫子に対してアッサムは目元を一回抑えて再び説得を試みようとする。
アッサムとしても聖グロリアーナとしても貴重な機動力を持つクルセイダ―乗りをむざむざ下ろす事はない。なにより“あの”ローズヒップを満足させることの出来る操縦手だ。手放してはならないのである。
「そうは言うけども……こんな言葉を知っている?」
「ハイ?」
「クルセイダ―乗りはクルセイダ―以外で満足しない」
「それはどういう……?」
「貴女」
一拍つけてアッサムが訊く。
「今チャーチルやマチルダに乗って満足するとお思いで?」
ピタッと薫子の動きが固まった。まるで石像のように固まった彼女にアッサムは恐ろしい事実を突きつける。
「マチルダⅡ時速24km、チャーチル約25km……この聖グロリアーナ女学院なら誰でも知っているデータですわ。悲しいけど、貴女はもう、きっとクルセイダ―以外で満足できるレディではないのよ」
「そ、そんな」
口をカタカタと震わせて顔を青くする薫子は壁際まで後退し叫ぶ。
「私、そんな女の子じゃありません!」
「認めなさい。クルセイダ―乗りがクルセイダ―以外で満足した確率は過去平均で2%よ。もう貴女は普通の子じゃないのよ」
「いやあ!」
古めかしい少女漫画よろしく追い詰める金髪のお嬢様に追い詰められるお嬢様の図。一部の台詞に誤解を生みそうなのはさておき、このデータは薫子には絶大な効果があった。
これがアッサムの切り札。時速43km、リミッター解除で60kmをはじき出す巡航戦車クルセイダ―mkⅢを味わった者はそれ以外で満足できなくなる。仮に三号戦車でもあればよかったが英国面に堕ちた、いやイギリスと伝統が大好きなOB・OG様方がジャガイモと酢キャベツの国の戦車を認めるわけはない。
そして、“あの”ローズヒップの元で運転する薫子に鈍足もとい優雅なチャーチルやマチルダⅡの速度に、サスペンションの振動に満足するだろうか? いや、しない。一年にして行くところまで行った、あるいは堕ちるところまで堕ちてもう手遅れなのだ。
そんな時扉がバンと勢いよく開かれた。その場にいる全員が視線を移すと、濃いピンクの髪を真ん中で分けた噂の少女がそこにいた。
「皆さま、ごきげんようですわ! ローズヒップただいま参りましたのよ!」
相も変らぬハイテンションな彼女は薫子にとっては死神めいた姿に映っているのか、悲鳴を上げてバタバタと手足を動かしてカーテンの裏側に隠れようとしたが時すでに遅し。ローズヒップにがしりと腕を掴まれてしまう。
「あら、ここにいましたのね薫子! さあ、今日も張り切って練習いたしますわよ! 次は川を飛び越えるジャンプをいたしますわよ! 明日も明後日も明々後日も練習と実践あるのみですわ!」
「そんなの使い道無いですよ!」
「絶対ありますわ! では 皆さま御免あそばせー!」
「がんばれ~! 自分! 負けんなぁ~……」
テンション爆超のままのローズヒップと抵抗虚しく連れていかれ、遂に自棄になった薫子を皆が手を振って送った。哀れな薫子に涙を呑みつつも、自分は安全だとホッと胸をなでおろしていたのはこの場にいる者達だけの秘密だ。
「あれで戦車道以外の文句を言わない辺りきっと仲がいいと思いますけど……」
すこし遠くから見守っていたオレンジペコが二人をそう評しつつ苦笑してしまう。そしてすぐ隣で紅茶を一口飲んだダージリンがニコリとほほ笑んだのを見て、「もしかしたら自分も彼女と同じなのかもしれない」と胸の内側で思った。
「こんな格言を知っている? 『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』」
「チャールズ・チャップリンですね」
「あの二人の関係はもしかしたらそう言う関係かも知れないわね。いつの日か、今日この日の事を笑いあえる友人は貴重なもの。ローズヒップもいい友人を持ったわ」
「はあ」
果たして本当にそうなのか、オレンジペコは微妙な顔で敬愛するダージリンの言葉に応えた。
なんだかんだで付き合っている薫子と言えば確かにそうなのかもしれない、そう思いつつ紅茶の香りを楽しむダージリンの横顔を見る。しかし、この優雅な時間も川に頭から突っ込んだクルセイダ―が見つかるまでであり、偶然目が合ったオレンジペコとアッサムは互いにため息をついた。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
やはりコメディは難しいですね。どうしても自分でこれが面白いかが不安になります。
ミリタリー知識が不足、または何らかの不備やアドバイス等あれば教えてほしいです。