猫ちゃんが逃げる――
突っ込んで来たオリーブドラブの車体を横に飛んで避け、宙を浮かんでいる間に薫子とローズヒップは後ろ姿を見せるヘルキャットを目で追いながら、そう思った。エンジンを唸らせ、排気ガスを吹き付けられて服が黒ずんでしまおうが、そんな事はどうでもいい。
問題は会うのを楽しみにしていた“猫ちゃん”が去っていくことだ。服など所詮はテキトーに買ったサンダース高のパーカーだ。本来、聖グロリアーナの淑女としては服が汚されることは屈辱だが、どうでもよかった。今の二人は戦車道の乙女としての思考を巡らせていた。
それは私の戦車ではないのか、私の80kmではなかったのか? 何故、私達の手元から離れて走っていくのか? 高速戦車は言ってみれば私達にこそ任せるものだ。他の誰でもない。聖グロの韋駄天である、この私達が。正直なところを言うと、ヘルキャットに乗り、気にいれば聖グロにお持ち帰りできるようにダージリン様に頼むはずだった。なのに、奴はこの“私”からお逃げになりやがった――
いや、ヘルキャットに罪はない。人無くして戦車あらず、つまりどこぞの馬の骨が猫を攫っていたということだ。
これは、私への挑戦状だ。私への反逆だ!
コンクリートの床に身体をぶつける二人。普通なら、痛みでうずくまるかもしれない。だが、二人はすぐさま身体を起こした。脳からアドレナリンが分泌され、心に怒りと狂気を注ぎこむ。それはニトロとガソリンの混合液にダイナマイトを投げるような物だった。二人は目を真っ赤に光らせて、ケイが知覚できない速度で駆けた。
都合よくあった隣の大道具制作スタジオの扉を蹴破った二人は代わりの戦車を探し、目当ての物を見つけた。
「おい、君たち……」
「超ごめんあそばせ!」
何らかの映画の準備をしていたのか、ホッケーマスクにSM衣装の筋肉隆々の男子高校生が止めようとしたが二人はラリアットで彼の意識を刈り取り、続々と止めに来た男子、合計して8人をちぎっては投げ、ちぎっては投げて、最後の一人を薫子が“淑女のフォークリフトで沈めてやると、二人はM22ローカストを強奪――否、失敬。拝借した。
「おふざけになりやがって、どこの馬の骨かは知りませんが、私の子猫ちゃんを、80kmを取りやがりましたね!」
「薫子! 絶対に逃がしませんわよ! 白旗上げさせた後、ぶっコロコロして差し上げますわよ! 後頭部にキャタピラを刻んでやりますわ!」
やられたら、やり返す。過去、英国においてやられっぱなしは絶対に許してはいけないのだ。紳士は紳士らしくないことを紳士らしく行うのが英国なら、淑女だって同じことが言える。
なにせ、奪ったのはヘルキャット。聖グロのジャンキーとバカの組み合わせを前にしてタダで済むわけがないのだ。そんなことは彼女ら二人の恋人を奪っていくようなものだ。いや、実際二人にとってヘルキャットは恋人となりえた存在なのだ。
恋人を奪われたのならヤルことは誰だって一つだ。取り返して間男を二度と再起できぬ程度にボコボコにしてやるのだ。
一応の訓練しか受けていないはずのローカストをすぐさま起動させ、二人は復讐の女神となって追跡を開始した。スタジオの扉をぶち破り、組み立て途中の戦車やらセットもお構いなしにヘルキャットへと一直線に、だ。
斜面を乗り越え、舗装された道路に火花を散らして着地し、履帯の後を追っていくと、目の前にはあのヘルキャットが見えた。薫子が操縦主席の小窓から覗くと、そのヘルキャットは乗り手が未熟なのか、最高速度を出しきれていないようであった。
「お前……オ前! 手前ぇ! 貴様ァ!」
未熟者が駆る高速戦車。80kmの風と激しいサスペンションの上下運動を奪い、しかもソレを見せることも出来ないと言うのか。そんな腕で私の戦車を奪っていったのか――二人は益々狂気に駆られていった。
かつて、この聖グロのお嬢様二人をここまで“ご機嫌麗しゅう時”を奪い、狂犬じみた顔にさせたことはあっただろうか。このまま行けばサンダース高が真っ赤に、それもネギトロのようなグロテスクな惨状を見せてしまうかもしれない。だが、回りだしたタイヤが、歯車が、履帯が止まらないように全ては始まってしまった。
「そいつを返しやがれ! さもなきゃ、つぶれた真っ赤なイチゴみたいなお姿にしてさしあげる!……でございますのよ!」
滅茶苦茶な口調の脅し文句の後に開始の合図が放たれた。37mm戦車砲が木霊した時、戦車道の乙女が動きだす。ちょうど、此処に来ていた残り5人を招く呼び鈴として、後に語られる事件の始まりのゴングが今鳴った。
△
『戦車は元々女子の物というが、何故男が疎外されるのか? そもそも、状況判断において男の方が優っており……』
「ハア?」
多方面に喧嘩を売り込んでいる男の放送にエリカは片眉を吊り上げていた。先ほどから革命軍と名乗る連中と来たら言いたい放題で、女子のみならず男子まで不快にさせていたのだ。スピーカーからは男の優位性とか、理想の女子像などが垂れ流しで、この放送の主がいかにナルシストのスカした野郎であることがエリカには腹立たしい限りだった。
『我々勇猛な――』
「勇猛なら生身でティ―ガーⅡ潰しに来るくらいしなさいよ。戦車にのるなんて女々しい」
「来たらどうするんです?」
「SマインとMG34で粉みじんにしてやるわ」
「胸がスカッとしますね!」
「アンタ、意外とエグイわね」
優花里がワクワクした様子でエリカが鼻を一つ鳴らす。エリカは周囲と近くで無線で連絡を取り合うサンダースの戦車道メンバーを見ていた。通信の様子から、例のパレードやらでメインストリートにM4シャーマンを運び込んだ後で、ハンガーに待機していた車両も含めて弾薬を積み込んでいないことを聞いていた。そして、遠くから聞こえた砲声も併せて、件の革命軍のやりたいことを推察していた。
彼らは革命を起こす、などと言うがサンダース校の戦車とまともに戦う気がない――それがエリカの判断だった。映画部には弾薬が積み込まれているが、サンダースにはソレがない。このパレードと言う時期を狙って、不戦勝でも勝ち取る気なのか。あるいは、サンダースが空の時を狙う気なのか。どちらかだろう、と踏んでいた。
「イラつくことするじゃない」
ギリっと歯ぎしりをして声が流れるスピーカーを睨んだ。戦車道の革命? フィールドでの戦術ではなく、陰湿な方法で勝とうとする。いけ好かない奴だ、とエリカは心の中で唾を吐いた。
「全くです!」
すると、望外にも優花里がエリカの言葉に頷いた。エリカは皮肉そうに笑って優花里の方を見た。
「何よ? アンタ、私に賛同するの?」
「逸見殿は苦手ですが、彼らのしていることは戦車道ではありません。ハッキリ言って陳腐な戦争映画の悪役のようです。それに――」
『西住流などという、おままごとの戦車戦に現を抜かし、しかも西住みほはフザケた調子で戦車を動かし、仲間だとか綺麗事しか言えない戦車戦を舐めている女など――』
周囲を見ていたエリカと違い放送をしっかりと聞いていた優花里はこめかみを引くつかせ、元気ハツラツな声には若干の苛立ちが含まれていた。
「こんな事言われた、もう戦争しかないでしょうが! かくなる上は不肖、この秋山優花里が不届き者一人一人に鉄と血の鉄槌を下して、きゃつ等の主砲を再起不能に真っ二つに折ってやる所存で――」
「なんてこと口走ってんの。女の子なら慎みを覚えな……」
『姉のまほも同様に甘い女だ。所詮家柄のみの女で性能差でごり押しすることしか――』
「野郎どもの肉を88mmでミートパテと腸詰めにこしらえてやるゥ!」
礼節正しい戦車道の乙女はどこへやら。敬愛ではなく、盲信の域に達しているのか。二人は西住姉妹に関して言及され、憤怒した。二人はお互いに手を取り合って、映画部の戦車を探し出した。どかどかと靴音を鳴らす二人は現在仮装中で、二人仲良くお揃いでSS戦車兵の格好でおどろおどろしいオーラをまき散らしながら歩き回るもので、映画部は彼女等を見るなり脱兎のごとく逃げていく。
さながら、ジーク・ハイル。ジーク・西住姉妹。屈辱には88Flakで返す、恐るべき西住親衛隊が戦車を探すべき、逃げようとする映画部の女子一人を捕まえて、詰問した。
「一ついいかしら?」
「ハイ?!」
「戦車はどこでありますか? できるならIS2やT28のような強力な奴を!」
「強力かは知りませんが、強そうなのはそこに!」
二人がガタガタ震える少女の指さす方に目を見張ると、確かに強そうな戦車があった。全体的に四角い車体で傾斜装甲など見当たらない。車体後方には二つの大きなマフラーが二本。砲身は太く、そして長い。先端の大型なマズルブレーキがつけられていて大口径の対戦車砲であることは疑いようが無かった。
優花里はしばらくウットリとした顔で眺めた後で、すぐにハッとなって女子の両肩を掴んで大きく揺らした。
「もっと強いのはないんですか?!」
「生憎これ以外の大きいのは無くなっちゃって……」
「何を悠長に笑ってるんですか?! 西住殿ですよ! 西住殿なんですよ! 侮辱した彼らを蹂躙した後で、シュマイザーでなぎ倒そうって時に! クリーク! 戦争なんだぞ! 西住みほ殿なんだぞ!」
「サンダースの癖にケチな事するんじゃないわよ! アンタ達から資本とったら何が残るってのよ! こっちも西住まほ隊長だってわかってんの?!」
「知りませんよ! そんなことぉ!」
女子は耐えきれずに泣き出した。だが、これ以上文句を言っても、アレ以上の戦車は望みようが無かった。例の革命軍とやらは強そうな戦車を目で見える範囲で片っ端から奪っていったのだから。
親衛隊二人はギャンギャンと問い詰めるが、無い物は無い。ない袖は振れぬ。
「大体、二人じゃ動かせないじゃないですか!」
そして、映画部の女子の言う通り、乗員がいなければ戦車も動かない。ここには装填手の
優花里と車長のエリカしかいない以上、戦闘行動なんてほぼ不可能。精々が動くトーチカ程度が限界だろうことは明らかだった。
「私はエリカだぞ!黒森峰の副隊長で、悔しいけど準優勝二回に、ティ―ガーⅡの車長! やってやれないことはないわ!」
「そんなの幻想です~!」
そう、革命軍が狙った通り。人員がいないのだ。
「何してんだ? 何かお祭りでもすんのか?」
否。はずだった。その時、パスタ屋の屋台を引いて、ニコニコ笑うコック姿の操縦手が来た。
「やっぱり、ここにあるじゃない。戦車が」
否、居ないはずだった。パンツァ―ジャケットに身を包んだ。サンダース屈指の通信手が。
「やあ、風に流れて連れて来たよ」
いるはずが無いはずだった。チューリップハットをかぶったトリックスターが真っ白なウエディングドレスでロシア語を小さく呟く砲手を連れて来た。
ここで揃ってしまった。車長、装填手、操縦手、砲手、通信手の全てが揃った。彼女等五人はお互いに見合った。学校も立場も違う、ついでに目的も違う者同士の顔を見た。
目的は全員が違う。復讐、制裁、楽しみ、八つ当たりに鎮圧。この五人が運命共同体や家族とはとても言えない、皆がバラバラだ。だが、一つ共通している時点で全員のやることは決まる。
唯一つ。討つ相手がいるということだ。
五人はそれぞれ無言の内に役割を分担させ、乗り込んだ。
△
広く、森や隆起した丘に、稜線や塹壕、草原と撮影用の広いフィールドには戦車の大群があった。戦車には本来ありえないはずの男が乗っており、様々な国の戦車と様々な体型の男子たちが半狂乱で騒いでいた。
その中央でパーシングによく似た車両のキューボラから姿を見せるハンサムな男子が彼らを焚きつけていた。
「お前ら! これで我々の勝利は確実だ!」
彼の名は峰 六郎。またの名をローレンス、「微笑みのローレンス」と言う。彼は山賊のお頭のように周りを鼓舞し、ひたすら戦車道の乙女を下に見た発言を通信で送っていた。その通信がどういう効果を及ぼしているかは知らなかったが。
「でも、勝てるのかローレンス?」
「何、ちょろいもんよ。女なんて論理的思考ができない生き物で、感情優先。男の言うこと聞いてりゃいいのにな」
彼は革命に参加した同級生にそう答えた。ローレンスは典型的なナルシストだった。自分の甘いマスクを利用し、これまで数多くの女子をオトして来た故の発言だった。自分が優しくしてあげたり、微笑めば必ず女の子は惚れるもので、そして、そんな自分は優秀であることを疑ったことは無かった。
故に戦車道の女の子が気に食わなくなった。そもそも戦車道は乙女の嗜みであり、そこに男子の介在する余地はなく、また女がデカい顔をしていることに反感を覚えだしたのだ。
ある女子によって。
『バウバウ、犬の鳴きまねよ。聞こえるー?』
ローレンスの車両に通信が入った。それはローレンスにとって憎むべき相手、ケイからのものだった。
「聞こえているさ」
ローレンスはあくまで爽やかに言った。通信機のレシーバー越しに『ゲッ』という声が聞こえたが気に留めなかった。
『ねえ? 一つ聞くけど。バカなマネは止めない? 学園祭でこんなholy shitなマネして皆メーワクしてるしさ』
「なら、僕の要求を呑むことだな。それともご自慢のフェアな戦車道で倒すかい?」
『それって……』
ケイは一拍置いて言った。
『あの三日前にデートのお誘いしてきた事? 断ったと思うんだけどね』
「何だと?!」
ローレンスは微笑みを捨てて、怒りの形相でケイに怒鳴った。
「君はボクを振ったんだぞ!」
ローレンスの言う、三日前の事件。それはもう、彼にとって屈辱的だった。彼はケイの抜群のボディに惹かれた。特に前を開けたパンツァ―ジャケットから見える谷間とホットパンツから伸びるスラリと長い脚に。
あわよくば、その日のうちにお持ち帰りして征服感を味わうために、付き合うように迫ったがケイは彼の言葉を冗談ごとのように思って適当にあしらったのだ。具体的に言うと、「僕のモノになることが女の悦び」などと言った歯の浮くようなセリフと共に脚とヒップにソフトタッチをした。しかし、ケイは笑顔のまま「恋愛だってフェアじゃなきゃイヤ」の一言で済まされ、しつこく追ったところで腕を捻られたのだ。
しかも、見かねたナオミがファイアフライの主砲を空砲で鳴らしたので、尻餅をついたあげく、水たまりにズボンの股を濡らし、それはそれは無様でケイが大爆笑され、「コメディアンはちょっとタイプじゃないかな」と言われたのだ。
忌々しい記憶にローレンスは声を荒げてケイを、戦車道の面子を罵倒したが一旦落ち着かせてケイに迫った。自分は明らかに優勢であることをアピールしなくてはならなかった。
「いいかな? ボクは戦車を今20両そろえているんだぞ? 対する君はほぼ0。おとなしくしないとどうなるか」
『いるわよ』
「強がりはよしなよ」
『ノンノン。ホントだよ』
だがケイの余裕は崩れなかった。それどころか楽しんですらいるような声でローレンスに言い放った。
『まあ、ウチの戦車は無いのは事実ね。皆弾薬も空だし。ナオミも今忙しいっていうしね~。でも、That’s 戦車道! 戦争じゃないから昨日の敵は今日の友! 貴女の言う軟弱な女の子っていないのよ。皆、皆誇りとか持っているのよ。だから今日、私達には頼もしい味方がいる』
「ふざけるな!」
『ふざけてなんかないよぉ。実際、アナタ達は大勢を敵にまわしちゃったし、私にも挑戦して来た。こうなったら、もうノンストップよ? アナタに負けないもの。ダージリンの真似で悪いけど”ほとんどの戦いの勝敗は、最初の一発が撃たれる前にすでに決まっている”特に今回はそうかもしれないわ』
ローレンスは焦りを見せてしまった。この状況下で全く動じないケイに恐れを抱きだしたのだ。それどころか、コチラを逆に脅しにかかっていたのだ。
「こっちには強力な戦車が――」
精一杯の強気を見せつけようとした時、砲声が聞こえ、一秒もしない内に集結していた車両の一台、三号突撃砲の後部から爆炎が上がり、撃破判定を出されていた。
驚いて車長席に一旦落ちてしまったものの、すぐに立ち上がって砲が来た者と思う方向に目を見張ると、そこには一目散に逃げるヘルキャットを追跡するローカストの姿があった。
『ホラ、キタ!』
高らかに勝利宣言をするはずだった革命軍の前に一台の軽戦車が現れる。ローズヒップは猛スピードで走るローカストから身を乗り出して、高らかに宣言した。
「私こそ、聖グロ一の韋駄天! 俊足! ダージリン様率いる戦車クラブの猟犬でございますわ! 私のヘルキャットちゃんを奪った不届き者に告げますわ! ごきげんよう! そして、“サヨナラ!“ でございますわ!」
たった一台の軽戦車。なのに、彼らは動揺を隠せなかった。
更新遅れて申し訳ありません。
相変わらず好き放題な作品ですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
次回戦車戦を予定していますが、お馬鹿なアクション映画なノリで行きますので、ご了承ください。