『薫子! お前はまたこんなものに手を出して!』
ピコン、と音が鳴って薫子がふかふかな絨毯に尻餅をついた。薫子はキッと叩かれた頭を抑えつつ、ピコピコハンマーを持って巨人のように立つ父を睨んだ。
『そんな物をやるのはお馬鹿さんだけだ!』
再びピコピコハンマーを振り被る父に対して薫子はあらん限り大きく声を張った。
『私を殴る気ですか!』
薫子の父は目を見開き、振り下ろそうとしたピコピコハンマーをピタリと止めた。父はグッと自分の衝動を抑えて、ピコピコハンマーをゆっくりと下ろして、薫子から視線を逸らした。
だが、その行為が薫子にとって気に食わなかった。
『殴りたければ、殴ればいいでしょう! 私は貴方の娘なのですよ! 何か言ってください!』
だが、父はもう二度とソレを振るおうとしなかった。父は娘の糾弾にも応えず。ただ悲しそうにそっぽを向くばかり。視線を合わせられないのか、あるいは合わせたくないのか、それは薫子には判断できず、彼女は自分と向き合おうとしない父に叫んだ。
「何とか言ったらどうなんですか! お父様!」
だが、やはり父は答えず。薫子は耐えきれなくなり、部屋を出て行った。そして、薫子の出て行った部屋には父と「週刊 高速戦車道 ○月号 特集 英国巡航戦車に見る速さと優雅さの融合・稲妻のブリティッシュ・グレネーディアズ編」という雑誌とその付録のクルセイダー戦車フィギュアだけが取り残された。
△
「それで、貴女のお父様のGT2000で敷地内を爆走してクラッシュさせた、と」
「ええ、お恥ずかしながら。でも、なんと言いますか、妙にスッキリしたというか、何というか……」
「まるでジョークみたいな話ね」
「でしょう? ところでアッサム様、私の異動願いなのですが」
「諦めなさい」
「い……嫌です!」
ブルネットの美しい黒髪の女子校生に額を出して絹の様な金髪をリボンで後ろで纏めた女子が詰め寄る。前者は肩をワナワナと震わせ、後者は毅然とした態度であったがどこか憐憫の情が見て取れた。
いや事実、金髪の少女アッサムは目の前にいる薫子に哀れみの感情を持っていた。真実は時として残酷で、受け入れがたくもある。だが、それも真実だ。それを受け止めなければ人は前進できないのだ。だから、アッサムは心を鬼にして言わなくてはならなかった。
彼女達の隣には停車したチャーチルⅧがあり、鉄の騎兵は悠然と二人を静観しているようにアッサムには見える。自分が乗り込んだ戦車が真実を告げるべきだ、と主張しているようにすら。
明日の聖グロリアーナ戦車道クラブの為にも、そして薫子自身の為にも。冷酷に”真実”を告げ、彼女に認めさせなくてはならないのだ。
「貴女はもう手遅れよ。もうチャーチルに乗っても満足しないのよ」
「いやぁぁ!」
薫子は崩れ落ちて、頭を激しく振った。傍目から見れば、ライバルのお蝶夫人に負けた主人公という少女漫画の一コマとまるで一緒だ。
「前にも同じことしてませんでした?」
オレンジペコがチャーチルの車体に座って二人を見て言った。彼女の言う通り、前とまったくおなじ状況があった。だが、明らかに違うのは周囲のチームメイト達が昔のように同情しておらず、むしろ「そりゃそうだ」と頷いたり、呆れたりしている。
「私は普通の! 女の子です! 決してチャーチルの優雅さが分からなくなったわけでは……」
「マチルダ、チャーチル遅いとか言ってたろ」
「あれは“本当に遅い”、“だけ”です!」
「よし、その喧嘩買うぞ~」
「落ち着きなさい」
ルクリリが通りすがりに言ったが、薫子の発言に頭の血管を浮き出させて唸りだしたのをアッサムが制する。ジャンキー薫子&バカ筆頭ローズヒップの宿命のライバルであるルクリリとしてはまたとない“クルセイダーをボコボコのスクラップにする”チャンスだったが、アッサムには逆らえなかった。
「……練習後、ツラ貸せよ。フザケタ巡航戦車を二度と走れなくしてやる」
「ハッ! ご自慢の2ポンド砲が当たるといいですね」
「言ってろ」
「貴女達、自分が“どこ”の生徒か覚えてらっしゃる?」
しばしのにらみ合いのあとに舌打ちして二人は顔を背ける。こんなのでも、血統書付きお嬢様と言うことは忘れてはならない事実だ。そして日ごろからヤッテヤラレテ、を繰り返す者同士、出会えば“淑女の決闘”も辞さないだけである。
「とにかく、貴女はもうアレ以外受けつけなくなってるのは事実。自分の性をお認めにならないと、後が辛いですわ」
「な、何を! 私はただ、あのエンジンの振動が快感とか、砲弾の飛来する音にドキドキするとか、そう言うのではなくて! ただ一人の淑女として!」
「その言葉を貴女の周りで言うヒトがいて?」
「ろ、ローズヒ……!」
「ローズヒップ抜きで」
彼女は一気に力が抜けて両足を地面につき、悲痛な悲鳴を上げた。そして顔を上げて虚ろな目で天を仰ぎ見て言った。
「そんな、そんな女の子……い、な……い?」
「いませんわ。正確に言うと……」
アッサムは指をパチンと一回鳴らした。すると、ホワイトボードが薫子の前に現れた。ボードには円グラフがあって、その上には「隣のお嬢さんに聞いてみた! 巡航戦車にトキメキを抱くか?! In 聖グロリアーナ女子学園」と題名がつけられており、その何とも言えないセンスに聖グロ女子たちはヒソヒソとアッサムの趣味について議論を交わした。
実のところ、ダージリンがつけた題名であったがアッサムは真のレディなので、決してダージリンの名を口にはしなかった。彼女はコホンと咳払いを一つして、レーザーポインターでグラフを射した。
「このように、円グラフにするとNOと答えたのが60%、知らない、その他が38.9%、YESは1.1%程度」
「そ、そんな」
「オマケに言いますと、クルセイダー乗りから普通の戦車乗りになったのは24%。それ以外は例外なく高速戦車に乗らないと頭痛、吐き気、のどの痛みに鼻炎、発熱、息切れ、動悸、心臓発作とブリティッシュ・パンツァー・ハイを患ってしまうのよ」
「途中、ただの風邪じゃないですか!」
アッサムに薫子はツッコミを入れたが、侮ってはいけないことがある。ブリティッシュ・パンツァー・ハイは恐るべき病であるのだ。この病は英国生まれの戦車に乗ることで発症すると言われ、特に英国面を発揮した物には注意をしなくてはならない。
何故かはわからないが、英国戦車に無駄にこだわる様になり、あの手この手で英国面をかばおうとする。具体的な症例としては以下の様な物である。無駄に固い装甲ばかり褒めて、鈍足で今一な火力を他人に責められることを嫌がり、しまいには17ポンド砲を無理やりくっつけて自分の名前を付けた戦車を作ろうとする。
さらにはこの症例では小難しい言葉ばかり好むようになり、人を混乱させる極度のコミュニケーション障害も併発するという。患者の共通点としては紅茶の飲み過ぎによるタンニン中毒やカフェイン中毒を持ち、英国料理をこよなく愛する味覚障害があげられ――とにかく恐ろしい病なのだ。
しかも聖グロでは過去から現在に至るまで平均して部員の75%が発症して来たと言うのだから、薫子にとっても他人事ではないのだ。
「ま、まさか……私がそうだとでも!?」
「違うと? 貴女今まで自分が何回速さについて言及してきたか覚えてらっしゃる? なんならデータもありますから、お見せしますわよ?」
薫子は此処まで、自分がその病に罹ったと言われたような気がしてアッサムに抗議した。だが、その抗議は虚しい物だ。クルセイダーに狂わされた少女の否定は誰の目にも意味がないことは明らかだ。
麻薬中毒の患者と同じで、これまでの彼女の行動からソレが否定できない。あまりの哀れさにアッサムは涙を禁じ得なかった。同時に心の奥底でジョークめいた状況の薫子に何やら愉悦めいた感情も渦巻いていたが。
「では、クルセイダーを取り上げてもよろしいので?」
「そ、それは!」
「勿論無理強いはしませんわ。ただ貴女が“貴女が言うレディ”なら、断れるのではなくて? まさか、今になって否定派しませんわよね?」
「あ、アア、アアあ!」
薫子は頭を抑えて苦しみだした。震える脚で身体をどうにか支えながら、ペコの元に行ってカップに入った紅茶をもらいソレを一気に喉に流し込んだ。紅茶のタンニンやカフェイン、香りで自分を抑えようとしたようだが、一気に熱い紅茶が口いっぱいになったので、熱さに悶え、チャーチルの横で転がり、更に頭を装甲にガンガンと打ちつけ出した。
「何か怖いです……」
「この子、クルセイダーが関わらなければ淑女なのに、どうしてなのかしら? ねえ、ペコ」
「ダージリン様が頑なに降ろさなかったからじゃないですか?」
ペコが車体から薫子を見下ろす。薫子はぜえぜえと息を吐き、掻き毟るように芝生を掴んでいた。
「25,26,27,28、まだまだ足らない……35,36,37,38、もっと速度を……45,48,50……でもチャーチルはこの半分、神よどうしてチャーチルを高速戦車に作らなかったのですか?……貴女はチャーチルが生まれるとき寝ていたのか?……50、51、60、60! 60!!」
薫子は己と戦っていた。
「でも! 真の淑女は速度より優雅さ! 25、24、21、ハヤサより堅牢さ、私は普通の女の子だ、レディだ。そのはずなんだ……ゥう」
速度を求める自分の内側。それはいつしか育った彼女の闇だ。いつだったか、彼女はチャーチルに憧れ、毅然とした淑女を目指していたはずだった。だが気が付けば全くの正反対の自分。速度を求め、求め、求めて止まなくなった彼女に歩兵戦車の優雅さを感じさせるのは最早不可能、に見える。
鳥にカメの真似をさせても鳥が喜ぶことはない。なぜなら、鳥は空を飛ぶことこそが本来の姿なのだから、カメのようにトロトロ歩かせることは性に反することになるからだ。これと同じことが薫子に言える。
「だから、だ、カ、ラ、耐えろ、耐えるんだ……!」
「戦車道は乙女のたしなみだったと思うんですけどね……」
「ペコ、あまり言ってはいけないわ」
必死になって耐える彼女、だが神は彼女の忍耐をあざ笑うかのように彼女の運命を弄んだ。
オレンジペコとアッサムが哀れみの目で薫子を見ていたところへ、リバティエンジンの音が聞こえ、彼女達の近くにクルセイダーMkⅢが停車し、ハッチから“奴”が出て来た。
「ごきげんようですわー! 今日も、明日も、一年後も、楽しく爆走! ローズヒップ参上ですわ!」
少々癖っ毛な赤毛を真ん中で分けた元気さで溢れたローズヒップが砲塔から降りた。薫子はその姿を確認すると悲鳴を上げて、後ずさった。
「やっぱり、デジャヴな気がします」
「いえ、前と同じよ」
ローズヒップがキラキラ目を輝かせて薫子の手を掴む。薫子は頑張って抵抗するが力ではローズヒップにまるで勝てない彼女はそのまま連れていかれて行く。
「さあ、薫子! 今度は島田流 チハ殺しターンを練習しますわよ!」
「相手がいないじゃないですか!」
「大丈夫ですわ! ルクリリさんが快諾してくれましたわ!」
「わ、私は普通の女の子になるんです! だからクルセイダーには……!」
そこまで言うと、ローズヒップの動きがピタリと止まった。薫子が何事かわからないでいると、ローズヒップは薫子の両手を掴んだ。
「私と一緒に乗ってくれないんですの?!」
涙目でローズヒップは薫子にそう訴えかけた。その時、薫子は自分のハートが撃ち抜かれたかのようになった。そして突如として襲い掛かって来た罪悪感に呻いた。
「薫子! 私とクルセイダーにもう乗ってくれないんですの?! 一緒にあの12気筒のエンジンの振動! 高速戦車の走りに! 飛び交う砲弾! なにより!」
薫子はローズヒップの語るクルセイダーの魅力にどんどん引き込まれて行っていた。ゆさゆさと肩を揺らされて、うるんだ瞳で引きとめようとするローズヒップに骨抜きにされて、尚且つ“口説き文句”に心を動かされ、彼女は吐息を荒くする。
ダメだ! ここで断らないと!――そう思って、グッと唇をかんで言おうとした。
「リミッター解除できなくていいんですの?!」
「も、もう仕方ないですね!」
オチた。
薫子はローズヒップを力いっぱい抱きしめた。
「そんなに言われたら、私だって断りませんよ! べ、別に貴女とか戦車が恋しいわけではなくて!」
「薫子!」
そうして、お互い抱きしめ合ってクルセイダーに入っていき、巡航戦車は加速してその場を去ってしまった。
「……なんでしょう? アレ」
「ちょろい、とはこういう時に使うのでしょうか?」
取り残された二人が呆れた顔で彼女等を見送った。正直な所、二人は酷い茶番劇を見せられた気分であった。
薫子の悲痛な覚悟? 普通の女の子? これらは一体どこへ行ってしまったのか。ローズヒップとクルセイダーmkⅢが来た途端、ポイ捨てしたのだ。何が淑女の誓なものか、出会って二分でサヨナラした薫子に二人はため息を一つ。
「こんな言葉を知っている?」
二人はその声にハッとして振り返った。そこには優雅にティーカップ片手に立つダージリンの姿があった。
「『我々が第一に戦わねばならぬ厄介な敵は、我々の内部にある』」
「ドン・キホーテの作者、セルバンデスですね」
「誰しも己と戦うのは難しい物よ。薫子も己に勝てない、ただそれだけのこと。でも、自分に真っ直ぐというのも長所ともなりえるのだから、捨てたものじゃないわ」
「はあ」とアッサムとオレンジペコは生返事をした。そして二人は決して言わなかった。
自分に正直に生きているのはダージリン様も、と言うことを。
夕焼けが空をオレンジ色に染める中、歩兵戦車と巡航戦車の戦闘音を耳にして二人は頭に逆さのカップを乗せたダージリンを見ていた。
――ああ、きっとこの人の操縦ではローズヒップは満足しなかったんだろうな
とも思いつつ。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
……如何なる時でも
久々のナンバリング無しの話。
ダージリンの戦車の運転は荒い可能性があるため、この様に書きました。
相変わらず、アホな話を量産していますが楽しんでいただけると嬉しいです。
感想、アドバイス等あれば書いて欲しいです。
なお、番外編での戦闘描写など上手く書けていたかも書いていただけると助かります。