学園艦。来たるべき国際社会のために広い視野を持ち大きく世界に羽ばたく人材の育成と生徒の自主独立性を養い、高度な学生自治を行うと言う巨大なシステムであり、艦である。
古くはローマから始まり、帆船から蒸気船と進み世界の常識となった今では大学に高校、中学までもがこの学園艦の形式である。聖グロリアーナ女学院もその例外ではない。補給のために停泊した聖グロリアーナ女学院はそこらの船とは比べ物にならない程大きく、高速道路から港町に向かっている薫子の車の中からでもよく見えた。
「もうすぐで学校につくぞ。薫子」
「ハイ、お父様……でも速度を落としすぎでは?」
「このくらいがちょうど良いのさ」
弱冠白髪が見えるが荘厳な顔つきで糊の利いたスーツを着こなす薫子の父は穏やかに答え、薫子は煮え切れないような声で返した。彼女は運転する父と速度メーターを同時に見つつ、訊く。
「ところで今日はどうしてお父様が? 運転手の新島さんに何かあったのですか?」
「いや、今日は無理を言って私が運転をな。偶には話を、と思ってな」
高速道路から降り、ETCでゲートを抜ける。薫子が何気なく周りを見やると、この先工事中の看板やコンビニエンスストアに時速50kmの速度制限の標識が目に入り、薫子は目を少しだけ鋭くした。
「学校はどうだ?」
「特に何も変わったことはありません。皆私と仲良くしていただいてます。それと此処は制限速度50kmです」
時速45kmで走る車の中で薫子はニコリと上品笑った。父は気が付かないフリをして「そうか」と穏やかに返しながら、助手席に座る我が娘を横目でチラリと見る。母譲りの綺麗な黒髪に灰色の瞳と知的な美しさで誇らしく思う一方で忙しく彼女の左手が膝の上で落ち着かない様子なのが気になって仕方ない。
やはり、と思い一瞬心に焦りが宿るが薫子の父は「焦ってはいけない」と自分に言い聞かせ、目の前の赤信号に従って車を停止させる。それに従って速度メーターがゼロを示す。
「あっ」
「どうした?」
「……いえ、何でもありません」
オホホ、と口元を隠して誤魔化す娘に父は不安を強くしていく。薫子の方も妙に落ち着かなくなっている。自動車と言う文明の利器に乗ること十年、赤信号で止まることなど数えるのも馬鹿らしい程経験したはずだと言うのに動かない車にモヤモヤとしたものを感じていた、と言うよりイライラしている。
「いや、何かあるだろう。言いなさい」
「別になんでも」
優しく問い詰めてくる父に反論しつつも、彼女は自分に疑問を抱いていた。薫子は何故自分が赤信号ごときでこんな気持ちになっているかも分からないでいた。フロントガラスの向うで光るあの赤い光がまるで親の仇でもあるかのように見てしまう自分に。
「薫子、私は前から君の事が心配で」
「私が何かしましたか? 青信号です」
「いや、そうではなくて」
「ハッキリ言ってくださいお父様。それと青信号」
青信号に変わった途端にその気持ちは収まった……かのように思えたが事もあろうに標識を見ると速度制限40kmに変わっており、さらには父の運転と来たらわざわざ時速38kmで走り出すので薫子は眉間にしわを寄せてしまう。
「一体どうしたと言うんだ」
「ですから、私はどうもしてません。速度上げてください」
「いや、だから」
「速度40kmに!」
「そこが心配なの!」
先ほどまでの威厳のあった父はどこへやら。遂に口調を取り繕うことすら忘れて声を張り上げ、ナイスミドルの親父が頬を膨らませてハンドルを叩く。
「新島の言った通りだ、お前はいつからそんな速度を気にするようになった?! それに止まるたびに動悸を激しくさせて、見てて怖いのっ!」
「私そんな女の子じゃありません!」
「嘘をおっしゃい! この間戦車道の方に電話したら『彼女も無事に英国面ですから』とか『クルセイダ―乗りが車に満足するのは1.0%』とか言われたの!」
「おのれノーブルシスターズ!」
父も父なら、娘も娘でお上品な装いをかなぐり捨てて口汚く罵った。二人は車内で騒ぎ、いつの間にか専用の駐車場に入っているのにも気づかないで言い争った。周りのお嬢様方は他人様のお家の中をのぞき込むのは不躾と知りつつも、やはり気になってしまうのか。遠くからチラチラと中を伺っている。
傍から見れば親子の喧騒で父が薫子を叱り、薫子がざめざめと泣きながら抗議しているので、ある者は昼ドラのような遺産相続を連想し、ある者は戦車道をやめさせるか、といわれているのでは、と考えた。
しかし、そんな中でただ一人「薫子が居た」というただ一点のみで嬉しくなってつい走ってしまう犬のような赤毛の少女が一人。猛然とそこへと走っていた。
それはもう、全力ダッシュで。
「もう止しなさい!」
「違いますう! 私普通の女の子です! パパのイジワル!」
「大体クルセイダ―なんかに――」
「その悪口は許しません!」
車内では二人の親子が胸ぐらをつかみ合って激論を交わしていた。悲しいことに父があれ程溺愛していた娘はおらず、クルセイダ―から降りたがっていたはずの少女はそこにいない。
ドライブと言えば「ベンツ、ボルボにクルセイダ―」、「ボルボにクルセイダーmkⅠとmkⅡ」、「mkⅢとmkⅡときどきクロムウェル」と言いそうなほどにすっかり英国面にはまってしまった薫子は最早いかなる手段を用いてもライトサイドには戻れそうにない。
父の涙をさらに誘ったのは薫子があくまで自覚なしと言うところだろう。言っても聞かない。それどころか反発する。それは中毒患者の典型的例であったのだ。
だが、そんな中毒者にも恐れる者はいる。
口げんかの最中に助手席の窓に張り付いた”例の少女”がコンコンと叩きだした。薫子が何事かと思い振り返ると、赤い悪魔がにっこりと笑っているではないか。。
「ごきげんよう。薫子」
元気に、そして素敵な笑顔であいさつするローズヒップに薫子は狭い車内で悲鳴を上げて後ずさった。ローズヒップとしては友達であり戦車道仲間として挨拶しただけなので悪意は無論ない。薫子にとっては別だが。
「どうしたんですの? 薫子、薫子さん?」
「どうして、貴女がっ」
「偶然見かけたからですわ」
父が気を利かせてドアガラスを下げると薫子は身を乗り出してローズヒップに詰め寄った。顔を青くして目尻に涙を溜めている彼女はローズヒップとあまりに対照的で「何事か」と周囲の関心を余計に引く事になっていた。
「き、今日は何をする気ですかっ」
「何のお話ですの?」
「とぼけないで下さい! この間の事を忘れたとは言わせないですよ!」
その言葉にお嬢様方は「おおっ」と驚き顔を赤らめ、父親は脳が焼きつかんばかりに混乱した。時代と先見性と予算の問題で奇怪な兵器を量産して人々を魅了する英国面に堕ちきった聖グロリアーナ女学院にすっかり取り込まれた我が娘に頭を悩ませていた時に二発目の衝撃が来たのだ。
父としては、どうにか娘を説得し、あわよくば戦車道の隊長に直談判をした後でイングリッシュ・パブに娘を連れて豚の皮スナックをつまもうと考えていたところだったがプランを変更し、この赤毛のお嬢さんと話をつける必要が出てしまった。
「アレは大揺れで楽しかったですわ! さすがは薫子のテクニックですわ!」
「嬉しくないです!」
「お次は空を飛ぶ勢いで!」
「話を聞きなさい! この駄犬!」
駄犬に大揺れ、テクニック、お空を飛ぶ勢いで――実際は大洗の遅刻魔が披露したティーガーⅠの後方へと回り込んだターンをリミッター解除のクルセイダ―で再現すると言う練習の事だったがそんなこと知らない父のハートを貫くには十分すぎた。大英帝国的に言えば17ポンド砲を飛び越えて 55口径120mmライフル砲クラスの衝撃である。
全国のお父さんの八割以上にとって、娘の「私彼氏が出来たの」と言うセリフは強烈で一人の父を復讐の神にまで昇華させるものだが、娘の「彼女が出来たの」はそれ以上なのだ。
心臓発作で死んだっておかしくはない。
実際、薫子の父は頭には娘との思い出が走馬灯のように駆け巡り、自宅に帰って沢山の“リンゴ”と“パイナップル”、ついでに“レモン”を抱えて死のうとすら考えた。
「でも薫子も笑っていましたわ」
「そ、そんな事ないです!」
「ダージリン様も褒めていらしたわ。それに私、そんな薫子が大好きですもの」
「ばっ、馬鹿な事を」
どこか満更でもない薫子にローズヒップは満面の笑みを浮かべた。キラリと光る白い歯によく整えられた赤い髪の毛。風が吹くたびに香るシャンプーと僅かな鉄の香り。真っ直ぐなローズヒップの魅力に薫子はあてられ、目線をわざとずらした。するとローズヒップが薫子の視界に入ろうと頭を動かす。
子供か、と薫子は思いつつ視線を合わせると笑ってくれるローズヒップに少し照れ気味だった。たとえ、心の奥底で「その女に騙されるな」と囁く自分が居ても彼女は構ってくれるローズヒップに悪い気はしなかった。そんなちょろい娘の百面相を前にして父はようやく現実へと帰って来て、勇気の全てを結集し事情を訊くことした。
「なあ、君ちょっと話が……」
その時都合よく学園艦の汽笛が鳴った。まもなく出港すると言う合図であることを知っている聖グロリアーナ女学院の生徒達は今後の展開をゆっくりと見れないことを口惜しみながら足早に船へと向かう。
「汽笛ですね!」
「なら急ぎませんと!」
薫子はドアから飛び出し、勢いよく飛び出した。それを追おうとする父の鼻っ柱に勢いよく締められたドアが直撃して悶絶しているのにも気が付かずに父の敵であろう娘に手を引かれて走り去ってしまった。
鼻を抑えながら最後に見た娘の姿は件の“お友達”と一緒にお手々を繋いで学園艦へと走る後ろ姿だった。一体娘に何があったと言うのか――あの一寸の虫にすら慈愛を与えられる優しい薫子が気が付けばスピードに一喜一憂し、戦車道の上級生を罵って、しかもあんな、じゃじゃ馬もといい元気過ぎる“お友達”がいるなどあってはならないことだ。
有り得ない、と父は思った。例えるなら、パンジャンドラムが現代兵器として蘇ったり、大洗の広報が砲撃を当てたり、聖グロの隊長がコーヒー派になったり、プラウダのどチビな隊長の身長が伸びると言った具合だ。つまり天文学的な確率が起こったのだ。
汽笛を鳴らして学園艦が去っていく。巨大な鉄の塊であり娘をどん底に落とした悪魔の城が今父の前から去ろうとしている。その時父の心に誓われた物は何か、無論復讐である。
父が険しい顔をしながら車のダッシュボードに手を伸ばした。そこは二重の仕掛けになっており奥にしまってあったワルサーPPKを取り出し、スーツの裏側に仕舞った。
「イギリス人は恋と戦争は手段を選ばない」という言葉がある。英国かぶれの薫子の父にとってはこれは戦争であり、親としての愛情故の行動なので最早手段など選ぶ気は無かった。かくなる上はロングソードとワルサ―で聖グロリアーナ女学院戦車道に巣食う悪魔どもを蹴散らす所存であるのだ。
聖グロリアーナに呪いあれ! クルセーダーよ、滅び去れ! そう誓って彼は愛車2000GTを急発進させて準備を整えるべく屋敷へと急ぐのだった。
○
「こんな言葉を知っている?『恋は目で見るものではなく、心で見るもの』」
「シェークスピアですね」
さて、その悲しき父の様子を学園艦上から見ているのが二人。聖グロリアーナ女学院のノーブルシスターズが二人、ダージリンとオレンジペコが猛スピードで走る2000GTを双眼鏡で観察していた。
「よく見れば薫子とローズヒップがそのような関係で無いと気づくはずなのに。時に父性は人を狂わせるのかもしれないわね」
「話している内容も聞こえないのによくわかりますね」
「これもちょっとしたカンと言う物よ。それが分からないようでは……ペコもまだまだね」
「はい?」
得意げな顔で語るダージリンにオレンジペコは一瞬イラついたがすぐに抑えた。言って分かる人なら苦労しない――目の前にいるダージリンがどんな人物か知り尽くしているからだ。
「でも、あのお方とても怒っていませんでした?」
「娘が同性に目覚めたと思えばああもなるでしょう。最も私としても薫子とローズヒップの組み合わせを解く気はないから、対策は必要ね」
ダージリンはまるで容赦がなかった。説き伏せる訳でもなく、真っ向から対峙する気でいるのだ。自分の戦車道を通すためにクルセイダ―のドライバーの父が傷心するのも厭わないと言うのだろうか。それとも、単純にノリがいいだけなのかオレンジペコは判断しかねた。
だが一つだけハッキリしていることが彼女にはあった。保安部へとフル武装で警護するように電話をかけているダージリンを尻目にオレンジペコは遠ざかっていく港を見てひとり小さくつぶやいた。
「どちらにせよ、厄介な人に巻き込まれましたね。貴方も――そして私も」
それは届くはずのない言葉であり、叶うはずのない願いが込められているかもしれない。
「ペコ、何か言った?」
「いいえ」
ダージリンの問いかけに応えつつ、オレンジペコは光の消えた瞳でどこまでも広い空を仰ぎ見た。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
とりあえずご好評を頂けたようなので続きを書いてみました。
コメディはへたくそなのでアドバイス等を頂けると助かります。
できれば、名言、格言、諺など特に。