人は過去から縛られる生き物である。それは知性を持つ生物故の宿命といえるかもしれない。本能に忠実な動物ならば、過去を思い出す暇などなく、ただ現実の、目の前の食い物にありつくことだけを主とするが、人間は過去と現在と未来に思いを馳せるものだ。
そう言った中で過去を嘆き、今を楽しむと言った人はしばし存在するのは自然の摂理と言える。例えるなら、彼女とデートを楽しむ一方で時々元カノのメアドを見ては懐かしの日々を思い出すと言ったような具合である。だが、時として人は過去と向き合わなくてはならないのだ。
その一例として、聖グロリアーナの戦車道クラブ、クルセイダー隊ローズヒップ車操縦手である吉田薫子は一人戦慄していた。目の前に自分とそっくりなブルネットの美しい髪を持つ少女と対面していた。不思議な事に周囲は真っ暗で彼女達の姿のみがはっきり見えていた。まるで、宇宙空間にいるような浮遊感の中、薫子はその少女に問いかけた。
「貴女は誰ですか? 此処は何処ですか?」
「質問が多いですね。ソレも彼女のせいなのですか?」
少女は人差指を左右に振って、薫子を詰った。だが、薫子は動じることは無かった。この程度の恫喝など、数々の戦車砲から発せられるマズルフラッシュに比べれば、どうと言うことは無かった。
「答えなさい。 無礼でしょう」
「私は貴女だ」
「はい?」
唐突な言葉に薫子は虚を突かれた。薫子が目を凝らしてみると、それは確かに自分の顔であった。知的な美しさのブルネットの黒髪、自分でも自慢の端正な顔、まだ慎ましい胸、それどころか声すら同じであることに気が付いた。だが、奇妙な事にもう一人の彼女の制服は聖グロリアーナの青を基調としたものではなく、紺のブレザーで中学時代の姿であった。
「ば、馬鹿な……そんな事が……でも、何故か私は、貴女が私だと分かる」
「そうでしょう。何せ私は貴女だ。ただし、貴女が捨てた私です」
薫子は非現実的な事態に直面し、肩で息をした。否定したいと言うのに、彼女が自分であると言うことが滝のように頭に流れ込んできて拒絶できない。
「なら、何故貴女が! 私に何の用があって現れたのですか?」
「全ては貴女の為ですよ薫子。貴女はやり過ぎた。やり過ぎてしまったのだ」
「何を?!」
「ハッキリ言いましょう。貴女はレデイではない!」
人差し指を射されて、薫子(高校)はたじろいだ。最初こそ、「そんな馬鹿な」と嘲笑さえしたのだが、記憶が蘇るたびに、確信が疑念に変わっていった。ここ数か月を思い出してみると中学の頃の自分とかなり違う気がした。
週に四度は行うクルセイダーの整備の度に泣き、走れない悔しみをカヴェナンターと共にルクリリ車にぶつけ、狩った(勝ったとも言う)喜びをローズヒップと共にダンスで表現する。エンジンを起動して、荒くなる吐息と高鳴りする心臓のビートに乗せられて、喚いて笑って、特攻! 大和撫子の大和魂!と言わんばかりにノせられていく自分を俯瞰で見て、薫子は思った。
「もしかして、私は……レディじゃ、いや、それどころか普通の乙女じゃない?」
今に至るまで何千、何万と繰り返された問いの前に改めて立つこととなり、中学の自分が腕を組んで言った。
「当り前です! 真のレデイたるものクルセイダーに乗って涎タラしたり! 速度が遅いと震えたりはしないのです! 今一度言いましょう! 貴女は変わり過ぎたのです!」
「違う!」
「何が違うと言うのです!」
薫子(高校)は薫子(中学)に反論しようとした。しかし、これまで彼女がレデイとして見られていたことがあっただろうか? 薫子は周囲の人物の答えを一人一人思い出していた。
小さなノーブルシスター、オレンジペコが曰く。
「レ、レデイだっていろんな人がいてもいいと思いますよ……薫子さんの事だって認めてくれる人だってどこかに一人くらいは……」
データ至上主義のオールバックの少女アッサム曰く
「では、今すぐ学内ネットを使ってアンケートをしましょう。それで結果はハッキリしますわ。それでもやります? 薫子」
男口調の三つ編みお嬢様 ルクリリ曰く
「お前は狼がチュウ、と鳴けばネズミだって信じるか? つまりは、そう言うことだよ」
車長および元凶その2のローズヒップ曰く
「え? お嬢様? 薫子ってそうだったんですの?」
そして、元凶その一こと、現聖グロリアーナの隊長にして英国面の暗黒卿およびボス、そして紅茶フリークスのジョンブルで、愉悦好きの美貌のレデイ。ダージリン曰く
「こんな言葉を知っている?『運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ』貴女の場所はもしかしたら運命づけられているかもしれないわね。 え? レディ? 果たしてそれが貴女の場所である必要があるのかしら?」
ここまでで薫子は自分の仲間が誰一人として、自分の真剣な問いをグロリアーナジョークぐらいにしか捉えていないのを知り、叫んだ。
「味方がいない!」
「それはそうでしょう」
「自分すらも私を裏切ると言うのですか?!」
中学の薫子は冷然と撥ねつけた。
「裏切ったのは貴女です。貴女は私の夢を裏切り、クルセイダーに……いや、クルセイダーで走った。チャーチルはおろかマチルダにすら乗ることなく……唯走りに酔いしれる破廉恥な存在へとなったのです!」
「違う! 違うの!」
「嘘をつくな私!もう一度思い出してみなさい! 貴女が望んだのは……私の望んだのはそんな英国面ではなかったはずだ」
チャーチルもマチルダも英国面の一員ではないか、と言う疑問はこの際置いておくとして、もう一人の薫子が主張することは概ね正しいと言えた。華よ、蝶よと育てられたご令嬢ががに股で操縦席に座り込み、目をハートにしてはしゃぐ姿を誰が貞淑な乙女と言うことが出来るだろうか。
それも出身もよく分からないローズヒップという者に従っている内に変貌したとあってはいよいよ吉田家のお嬢様も堕ちたと言う物だ。かの父親は「信じて送りだした娘が英国面にドハマりして来た」という事実に毎晩ブランデーをラッパ飲みするか、妻に愚痴るかで慰める以外を知らないと言うのだから切ない。
「一人前のレディになるために私は聖グロリアーナに入ったはずです。思い出してください! あの日、チャーチルⅦに優雅に乗車していたダージリン様たちを! 貴女が、私が目指した理想郷は近くにあったはずです! 手を伸ばせば手にはいるはずだ!」
全ては遠き理想郷にあるのではない。夢は自らで望んで掴む物、ならば今すぐにでもダージリンに頼みこめば道は切り開けると言っているのだろう。薫子は膝をついて打ちひしがれた。自分はただ流れに任せていただけであったのか。
なら、今すぐにでも目の前の自分に従い、立ち向かうべきなのではないか。そうだ、自分は臆病者であっただけだ。ならばこそ……
「さあ、手を取ってください。今こそクルセイダーから、あの赤い悪魔から逃れる時です」
逃れる?ここで薫子は違和感を覚えた。 何から逃れると言うのか。勿論、それはローズヒップを指していることは彼女には理解できた。しかし、彼女から逃れる、それが勇気あるレデイのすべきことなのか。
いや、違う。ローズヒップは何からも逃げなかった。全てに果敢に立ち向かう彼女をレディではないと誰が言えるのか? 薫子は頭を冷やし、その真実を求めた。何が高貴で、何が気高い戦車の乙女なのか。
「いや、違う」
「はい?」
「それこそ、逃げることです」
薫子は力強く両足で立ち、もう一人の自分に向き合った。瞳には涙の一滴もついていない。その奥に揺らぐ火は大きくなり、やがて彼女そのものを大きく突き動かす炎へとなった。
「恥は逃げることです。クルセイダーの乗ることは恥じゃない。私は好きなのです。あの戦車が」
「バカな! あんなポンコツ戦車なんかに!」
「そうですね。クルセイダーは中途半端でしょう。壊れやすいエンジンに他校の物より劣る火力、ソロバン玉の砲塔に何となく不格好な砲塔前面。正直これで速くなかったら、私も乗らなかったかもしれません」
「なら!」
「しかし!」
しかし、と薫子は確かに言った。今の薫子はジャンキーでも臆病者でもなかった。もう一人の薫子はそれにたじろいだ。これ程確固とした意志で反撃されるとは夢にも思わなかった。
「その機動性は優秀。そして私の車長、ローズヒップは決してそんな事を言わなかった。あの子は相手が何であろうと立ち止まらないのです! 例えそれがT-28だろうと! 観覧車だろうと! 飛べるかも分からない川だろうと!」
性能差を覆す。それは戦車道において難問である。常識的に考えれば、クルセイダーmkⅢでチャーフィーはおろかT-28のような怪物じみた戦車に真っ向から挑みなどしない。だが、それがどうした? ローズヒップはいずれに挑み、いずれにも負けなかった。
それは戦車道を進む乙女の王道である。勝つために戦車を揃えるのなら金さえあれば誰でもできる。だがローズヒップの真似は違う。
「そうです! 貴女の言う通り思い出しました。私はダージリン様たちの優雅さにだけ見惚れた訳じゃなかった! 彼女等の姿にこそ意地と矜持があったからです!」
かつて誰もが言った。優勝候補は性能の優れた戦車を持つ黒森峰かプラウダしかないと。それは理にかなった評価であることは認めざるを得ない。しかし、聖グロリアーナはそれらに対抗していた。強豪として挑み続けた。
「88mmが何です? 17ポンドがない? 装甲が薄い? それが何ですか?!勘違いしていた! 私が目指したのは高貴な戦車に乗ることではなかった! 高貴な戦車乗りになることだった!」
聖グロリアーナの車両は今一つ彼らに及ばない、だがダージリンもアールグレイも、聖グロリアーナ戦車道クラブは与えられた戦力で戦い抜いてきた。それは勇気と智謀、そして誇りがあったからだ。
「そしてローズヒップはその例です! 彼女はマナーや落ち着きこそ知らないけど! レディの第一の要素、勇気を持っているのです! その足になることに何を恥じるのですか? 貴女こそ見失っているのです!」
「バカなことを! 貴女は自分を肯定するために私を否定するのですか?!」
「そうです!」
薫子は拳を握り固めて言い放った。
「これが、私の、戦車道です!」
そして、目の前の悪魔を退ける為に駆けた――
△
「困ったことになったわ」
「どどど、どうしましょうダージリン様あ!」
深夜2時 聖グロリアーナの寄宿舎の一角で横に倒したテーブルの後ろに隠れた聖グロリアーナの面々が影からベッドの方を伺っていた。紅茶を片手に微笑むダージリンを除いて他のメンバーは十字架や数珠を握りしめて祈りを捧げていた。
ローズヒップに至ってはどこから持ちだしたのか、修道女のような格好でひたすら呪文を唱えていた。彼女等の視線の先にはベッドの上で自分で自分を殴ったり、激しく罵ったりしている薫子がおり、その様は悪魔のようであった。
「メディック! いやエクソシストを呼べ! お祓いするんだ!」
「アッサム。これもブリティッシュパンツァ―ハイの症状なのかしら?」
「データ上、この様な症例はありませんね。しばらくオーバーホールさせた分、禁断症状になっているのかもしれません」
寝間着姿でルクリリは指示を出し、ダージリンとアッサムは薫子の症状を呑気に分析していた。ナイトキャップと被ったオレンジペコは二人を苦笑いと共に見た後、謎の奇病にかかった薫子を観察し、涙を流した。
クルセイダーのオーバーホールを業者に頼んでと言うもの、薫子の様子はおかしくなっていた。いつもより、五割増しでお嬢様のように振る舞い、ルクリリにマチルダに乗せてくれと頼むなどの奇行が目立ったのだ。
あまりの豹変にルクリリは蕁麻疹を起こして一時期担ぎ運ばれたほどで、この事態を面白く見たダージリンは徹底してクルセイダーという単語を彼女に囁き続けるようメンバーに徹底させた。
そして現在に至ると言う訳である。今この様子をカメラに収めて適当な配給会社におくればホラー映画が一本作れることだろう。ダージリンは深夜に起こされたことに最初こそ憤りを感じたが、それ以上にお釣りがくるレベルの見世物を見ることができて彼女はご機嫌であった。
「彼女もまた英国面なのでしょうか?」
オレンジペコの問いにダージリンは優雅に答えた。
「ペコ。英国面などと言うけどそれは忌むべきことではないわ。『人間の心の中には、闇の力と光の力の間で永遠の戦いが激しく行われている』とあるように全てはバランス。英国面もコントロールすれば素晴らしいものよ」
「ガンジーですね。アレを見てもそう言えるダージリン様は流石です」
皮肉とも賛辞とも取れる言葉にダージリンは得意げな顔をして見せた。そうこうしていると、ドタン、バタンという騒音がピタリと止んだ。皆がハッとして薫子の方を見ると、何事もなかったかのように起き上がった薫子がいた。
「あれ? おはようございます。皆さんどうか、なされたのですか?」
お前がどうしたんだ、と言いたいのを堪えて皆は薫子を見た。そんな無事な彼女を見てローズヒップは彼女の元へと飛び込んだ。
「薫子ぉ!」
「ちょ、ちょっと」
「心配でしたのよ! 突然暴れたり、自分を殴ったりするものですから! 大丈夫ですの!? マジで?!」
「大丈夫ですって」
薫子はローズヒップの頭を撫でて言った。
「ちょっと悪魔を追い払っただけですから」
その発言にダージリンは笑いを抑えられず、カップを落とした。カップが甲高い音と共に割れた時、薫子はふと思った。アレはもしかして、悪魔ではなく自分を助けようとした天使なのではなかったのか、と。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院
久々の投稿になります。
遅くなって申し訳ありません。
今回は悪ふざけが多いです。
また質問なのですがこういうオリキャラってどんな風に見えているものなのでしょうか? 薫子がどんな姿かたちしているか、イメージではどんなふうに想像されているのでしょうか?