人は障害物を乗り越える生き物である。それは様々な意味で言うことが出来る。例えば、言葉の壁。グローバル化も進む世界なら、英語は話せて当然となるかもしれないし、もし海外の妖精の様な御仁とお付き合い(突きあいとも言う)したければ、最低限の会話スキルは習得しなくてはならない。
あるいは恋路か。それとも、次なる高みを阻む壁か。ともかく、人は障害物を乗り越える者であることには間違いない。では、此処で一つ簡単な問いを一つ、物理的に乗り越えなくてはならない障害物と出会った時、どうするか?
これはそんな問いに答えた戦車と少女たちの話である。
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「困りましたわ」
「困りましたね」
聖グロリアーナ女学院、今日もお昼の食堂はごった返し。珍しいことに元アンツィオ生のシェフが来たと言うことで、いつもの英国面な料理ではなく、イタリアンであった。トマトとモッツアレラのカプレーゼを口に運びながら、話し合うのはブルネットの髪が美しい吉田薫子と赤毛のチャーミングなローズヒップである。
二人は戦車道用のフィールドの地図とにらめっこしていた。子供の落書きみたいな簡易な地図を相手に二人は長考し、策を練っていた。
「このままではルクリリさんに負け越してしまいますわ」
「あの人、もう手段を選ばなくなりましたからね。あのポンコツ、低速サイドテールと来たら、よりによってこんな地形を陣取るなんて……」
「口悪いですわ薫子」
その地図の真ん中には塹壕があった。そして二人にとってこれが難問である。事の発端は四日前にさかのぼる。いつものように、ルクリリ車との通算85回目のミッドナイトデスマッチを行ったのだが、ルクリリは卑怯にも塹壕を挟んできたのだ。
塹壕の幅およそ3mで、深さは2mと少しだったはず。しかし、気が付けば、より深く掘られて周囲を角材で補強したらしく、カヴェナンターだと微妙に超えられない程に広げられてしまい、これで負け越しを記録した。
「悔しいですけど、地形を利用するとは流石はルクリリさんですわ」
「あんな物をいつ、どうやって掘ったかは知りませんが、中々巧妙ですね。後ろは森ですから、高速さを生かして回り込もうにも木々が邪魔で無理ですし……」
そう、走り屋の二人の最大の敵、それは超えられない塹壕である。戦車が元々塹壕を超えるための兵器であるのは間違いない、しかし第一次大戦時のドイツ軍などは超えられない塹壕を用意し、止まったところを野砲でぶっ潰したと言う。ルクリリはこの策に倣ったらしかった。
聖グロリアーナが酢キャベツの、“制服だけ“はカッコいいジャガイモ国の戦法を取ろうとは、情けない。薫子は緑茶を飲み、この打開策を練る。走れない道こそが走り屋の最大の敵なのだ。駆けるための俊足無くして、何が猟犬か。
「このまま負けるわけにはいきませんね」
「そうですわ! 明日も明後日も五年後も、ルクリリさんのマチルダをへこましてやらなくてはなりませんわ。クルセイダー魂にかけて」
「ええ、当然です……いっそニルギリさんのクロムウェル借りましょうか?」
「ニルギリさんにメーワクがかかりますわ!」
「それもそうですね」
コメットやクロムウェル巡航戦車もあるが、それはニルギリの戦車なので、借りることが出来ない。あくまで、倉庫で埃のベッドの中すやすや眠っていたカヴェナンターのみを使えるのだ。
「重装甲化」
「遅くなりますわ! とてもじゃないけど、容認できませんわ! この世で最も尊ばれるのは?」
「スピード! スピード! ならエンジン交換!」
「予備のエンジンなんかありませんわ! 第一面倒ですわ!」
「Jesus! そりをつける! バレーボールで武装する!」
「そんなのルクリリさんがキレるだけで意味ありませんわ……いや、使えるかもしれませんわ!」
テーブルをバンバン叩き、二人は激論を交わす。真夜中のルクリリタイマンバトルの勝利の方程式を探し続ける。あの男口調のお嬢様め。外ではお淑やかな面をして、校内では口悪い癖に。因縁の相手に対して、内心毒を吐き、歩兵戦車をボコボコにしてやることを心に決めるも考えは纏まらず。
思いつくことが出来ないのか、と二人が悩んでいた。その時だった。
「お困りのようだね」
二人の席の裏側から声がした。その声に二人は聞き覚えがあった。
「その声は!」
「いつぞやの、名無しさんですわね!」
「覚えてくれているとは嬉しいね。何やら二人で悩みがある様だね」
「何故分かるんですの?」
「風が教えてくれるのさ」
風なんて空調の利いた食堂で起こるのか。薫子は首を傾げ、彼女を見た。後ろ姿のみだが、サラサラとした薄い色の長髪に、聖グロリアーナの青い制服がマッチしており、きっと美人であることが想像できる。
「あの、お顔を見せてはくれないんですか?」
「顔を見合うことに意味なんてないさ。大事なのは理解しあうこと、だろう?」
不思議な雰囲気だが、ひねくれている気もする。そもそも、どこかで聞いたことがある気がしたのだが、薫子とローズヒップはこの際無視した。そんな事よりも今は問題の解決が最優先であるからだ。
二人は事情を話し、その助言を請うことにした。謎の“名無し”は楽器を持っているらしく、時折弾いていた。楽器の音色に既視感を覚えつつも、薫子たちは答えを聞く。
「別に難しい話じゃないさ」
「マジですの?!」
「マジですか!?」
「ああ」と名無しは答えた。余裕を感じさせる答え方に二人は驚き、そして抱き合った。これで、奴を倒せる。韋駄天で猟犬である自分達が歩兵戦車乗りの卑劣な策略を打破できると知って、衆目も気にせずに喜びを分かち合った。
「で、どうするんですの?!」
「その前に少しお腹が空いてしまった。お話はご飯を食べてからで」
「いくらでも奢りますから! 教えてくださいね!」
こうして二人は名無しの大量のご飯を奢り、その突破口を見出すことが出来た。それは二人にまさにピッタリな作戦であり、兵器であった。
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時間は深夜1時。月明りのみが夜空を照らし、その下でエンジンを起動させた歩兵戦車マチルダⅡがライトを照らし、手掘りの塹壕の前に鎮座している。サンドカラ―の車両の上では車長ルクリリがネットオークションで競り落とした暗視スコープを利用し索敵していた。
「眠い……」
「気を緩めるな。そろそろ、開幕の時間だぞ」
「そんな事言われましても……」
車内の四人は各々が寝間着の上にパンツァ―ジャケットを羽織り、戦闘に備えていた。終わったら、すぐに寝るためである。そのせいか、ナイトキャップを被っていたり、ウサギのぬいぐるみを持っていたりと、車内はファンシーになっていた。
「一ついいですか?」
「何だ」
ネグリジュの上にジャケットと言うルクリリを見上げ、操縦手が問う。
「これ、もう止めませんか?」
「もう一遍言ってみろ」
「だって、やるたびに睡眠時間減りますし、装甲がへこむじゃないですか! もう止めれば、こんな事起こらないじゃないですか!」
「馬鹿野郎!」
ルクリリは操縦手を持ち上げ、叱咤する。それどころか、他の乗員も加わって操縦手に反論する。
「此処で逃げ出したらアイツらの勝ちになるだろーが! それだけは絶対に嫌だ!」
「ルクリリさんの言う通りよ! この心に渦巻く復讐心が消えない限り、奴は倒す!」
復讐心に魅入られたお嬢様方に操縦手は怯えた。これが戦車道の乙女の行先なのか。末路か。最早鬼と化した皆にお前は狂っていると言われんばかりの言いざまに操縦手は涙目になるしかない。
悪夢だ、と操縦が呻いているとルクリリが砲塔の上に勢いよく立ち、叫びだした。
「草は何で育つ!?」
「ブラッド! ブラッド! ブラッド!」
「私達の仕事は何だ?!」
「キル・ローズ! キル・ローズ!」
「私達の使命は何だ!?」
「キル・ジャンキー! キル・ジャンキー!」
殺せ、殺せと叫ぶ三人の目は狂気と睡眠不足で血走り、戦車狩りに楽しみを見出しているではないか。最早、紅茶のカフェインがなくとも、操縦手の眠気は消え去ってしまった。圧倒的な恐怖に目を離せなくなったからだ。
「何なの? 何なんですの? 馬鹿ばかりじゃないか! 貴女方はおかしい! 絶対におかしい! こんな事何故平気なんですか! まともなのは私だけかぁ!」
集団の中の一人の叫び程空しい物はない。声は大声にかき消され、その意志が伝わることが決してないからだ。此処にいるのはローズヒップに装甲をへこまされ、朝泣きながら装甲を張り替える怒りに燃える者達。
「そのために助言だって! アレ誰なんですか?!」
「名無しさんだ。私達に勝利を教えてくれた親切な名無しさんだ」
「いや、誰ぇ?!」
この策を聞くためにルクリリ達は名無しと名乗る人物に合計して一万五千円分の食事をおごったと言う。操縦手はその名無しを恨んだ。余計な事さえ言わなければ、こんな夜を過ごさなくて良かったのかもしれないのに!
「来たぞ!」
「見つけた、アイツらバレーボールなんか装備しやがって!」
塹壕のはるか向こう。バレーボールをしこたまくっ付けたカヴェナンター戦車が猛然と突っ込んでくる。「撃て!」とルクリリが怒りに任せて命令し、2ポンド砲が轟音と共に発射される。
発射、排莢、装填の三リズムを繰り返し、カヴェナンターを狙うが、流石はローズヒップ車。危機察知に優れているため、ギリギリで砲撃を避ける。徹甲弾は草木を切り倒し、草原を抉るばかりだ。
「おのれ!」
『こんばんは! 聖グロ1の俊足ただいま参上ですわ! こそこそと塹壕に隠れるルクリリさんをぶっ飛ばしますわよ!』
「黙れ! 勝つのは私達だ!」
『なら、尋常に勝負!』
「上等だ! 操縦手! 塹壕のギリギリまで近づけろ! 奴らが落ちたところをゼロ距離で仕留めるんだ!」
「はーい」
もう、どうにでもなれ。操縦手は気の抜けた返事と共に車体を前進。塹壕の一歩手前で停車し、首の後ろで手を組んで動向を見守ることにした。
踊れ、踊れ、愚か者どもめ。操縦手は栗色の髪の毛を櫛でとき、他人事のように振る舞った。カヴェナンターが真っ直ぐ突っ込んでくるのを車窓から見ても、何も考えなかった。どうせ、いつものようになるだけだ。
いっそ、この戦闘で向こうが、もしくはコチラが飽きてくれればいい。そう思ってカヴェナンターを何の気なしに眺めていた。その瞬間、不思議な事が起こりだした。カヴェナンターの両側面が光り出したのだ。
「何?」
そして、何とカヴェナンター視界からフッと消えたではないか。どこへ行ったんだ? 脳が現状に追いつかないでいると、ルクリリが叫んだ。
「敵車直上!」
戦車道の試合で一度だって聞いたことのないセリフを。
△
「行きますわよ! 薫子!」
「ホントに、本当にやっちゃうんですね?!」
話は少し時間をさかのぼり、カヴェナンター車内。車内温度は40℃を越して、熱々である。この事態に対応するために二人は水着の上にジャケットを羽織ることで解決し、カヴェナンターを走らせているのだが、いつもとは様相が違った。
「ローズヒップ! こんな事して壊れちゃわないでしょうか!」
「その時はその時ですわ!」
「駄目! 絶対壊れちゃう!」
ローズヒップの手には何かの起動スイッチが握られていた。そして、その正体に薫子は恐怖し、興奮していた。アレを起動すれば、“壊れてしまう”。何が、とは言わないが、とにかく壊れることは必須だ。でも、起動したら、どれくらい気持ちいいのか、薫子はそれを想像して、息を荒げ、目をハート形にした。
「行きますわ!点火ぁ!」
その時、車体が持ちあがった。カヴェナンター戦車は塹壕をジャンプし、そのまま飛んだ。そう、飛んだのだ。車体両側面に装備されたロケットブースターによって推力を得た巡航戦車は、大空に向かって、18tの車体を羽ばたかせたのである。
これぞ、英国の発明品「ジャンピングタンク」である。乗り越えられない障害物があるなら、飛び越してしまえばいい、と言う革命的発想の品である。バレンタイン歩兵戦車用の装備であるが、それをカヴェナンターくっ付ければ、高速で空を飛ぶ戦車になるという夢の代物になるのだ。
戦車を空に、それもロケットで飛ばそうなど、英国以外に考え着くだろうか。いや、いない。この偉大なる発明の力を得て、ローズヒップたちは遂に空を飛ぶと言う戦車道で誰もやったことのない偉業を成し遂げたのだ。
「空を! 空を飛びましたわ! 薫子ぉ!」
「『鳥は飛べると思うから飛ぶのだ』です!」
「ローマの詩人、ウェルギリウスですわね! アレ?! でも変ですわ!」
二人は大気圏すら突き抜けるテンションで空を飛ぶが、一つ変化が生じていた。飛んで無重力だった中、急に重力が仕事をしだし、しかもその向きが逆さになっている。まるで逆さまになっているように。
おかしいな? と二人が思うのも無理はない。本当に空中で逆さまになっているのだから。
さて、此処でもう一つの疑問を解決しよう。何故、戦車が今の時代ロケットで飛ぼうとしないのかと言う点である。答えは作り出した英国自身が実証していたからだ。戦車をロケットで飛ばすとどうなるのか。
答えはひっくり返る、である。
ひっくり返ったカヴェナンターはマチルダⅡに頭突きをするように衝突し、二台は大きな土煙の中に消えた。しばらくして、二両から白旗が終わり、初の引き分け判定が出たと言う。
そして、乗員は全員もれなく気絶し、次の日にはSNSで世界で最もフォロワ―数を稼いだ写真を提供し、ギネスに乗ったと後の者は語ったと言う。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
戦車を飛ばそうという発想。目の付け所がシャープな英国面を称えましょう。