「学園について何か一言」
「ああ、聖グロには行くな」
天上から吊り下げられた液晶TVでボロボロのスーツに身を包んだ傷だらけの紳士がインタビューに答えているのをローズヒップは何となく見て、どこかで会った気がする紳士の顔に首を傾げていた。
「どうかなされてローズヒップ?」
「いえ、何でもございませんわ」
そう、と答えてマチルダの砲手の女子は自分の友人たちが居るテーブルへと向かう。ローズヒップはティーカップの紅茶をしげしげと見て友人である薫子を待っていた。彼女が居るのは古き良きコーヒーハウスを意識した休憩室であった。
「パンジャンドラムって戦車道に出せないかしら?」
「無理ですわ。此処はゴリアテをですね……」
「聖グロに下品なドイツは不要です。私はアーチャー自走砲を」
聖グロリアーナらしいお嬢様の上品な会話が休憩室に溢れ、茶菓子のほかにマーマイトを塗ったクラッカーやニシンが飛び出たパイを口に運ぶ。聖グロリアーナ女学院の戦車道履修者達は各々でグループを作ってテーブルを囲んで紅茶やコーヒーに緑茶、それに茶菓子と会話を楽しんでいた。
イギリスは紅茶と言うイメージ、聖グロリアーナ女学院も紅茶というイメージが根付いているが、イギリスの茶の歴史をたどっていけば、始まりは中国のウーロン茶や緑茶であり、縁が遠く感じられるコーヒーもよく盛んに飲まれていた。
聖グロリアーナ女学院がイギリスと縁があるとはいえ、日本人が圧倒的多数を占めるので紅茶以外を好む者も少なくないこともあって、この休憩室の光景は他校の者にとっては驚くものかもしれない。
聖グロリアーナ生徒にとっては馴染の光景であったが、四六時中走り回っているようなイメージが付きまとう彼女に関しては別であった。一人優雅に茶に口をつけていた。銀のケーキスタンドに盛られたマカロンに手を付けず“静かに”薫子を待っているのだ。
その姿は普段からは想像もつかないもので、流石の聖グロリアーナ戦車隊のメンバーたちも違和感を覚えてしまった。いつもなら馬鹿みたいに元気で楽しいがうるさい“あの”子が今日はお嬢様らしく振る舞っている。
茶を飲むことを止め、各々が勝手に妄想する。ダージリンによる躾がようやく実ったのか、クルセイダーに不満を持ったのか、はたまた薫子との関係がマンネリであるとか、朝にガソリンを呑み忘れたなど様々であった。
「どうしたのかしら? あの子」
「こんな時にダージリン様が居れば……」
誰かがそんな事を言ったが皆がソレはない、と首を横に振った。頼りになる尊敬すべき隊長だがこういうことを面白がるに違いない。九七式の鉢巻アンテナなどの訳の分からない物を好み、味覚も英国人準拠で二枚舌で悪ノリが大好き。正直な所、罪深き英国面の体現者であると言っていいからだ。
「ダージリン様が来たら、ややこしくなるわ」
「あの人は……今はダメね」
ダージリンの悪ノリでローズヒップがどんな行動に出るか、想像しただけで彼女らは震えた。彼女らにとってローズヒップはバネのような人間で、常に飛び跳ねてるか、今は抑えられているだけかの違いである。
「私のマチルダが……」
「しっかり、ルクリリ」
マチルダⅡの車長のルクリリが心臓を抑えて苦しみだす。彼女は以前、ローズヒップが大洗の虎殺しのターンを試したいと言い出した時に仮想標的にされたのだ。運悪くダージリンとローズヒップが交渉中の時に横を通り過ぎたばっかりに選ばれ、クルセイダ―の全力体当たりと六ポンド砲を受けてしばらくひしゃげた愛車を眺める羽目になった。
「ルクリリさんはついてない事が多いですものね」
「準決勝は88mmの最初の餌食でしたし」
「大洗戦以降、後ろに敏感になって……おいたわしや」
大洗の八九式からケチがつきだした彼女に襲い掛かる不幸の連続。練習でも後ろが気になって仕方ないらしく、ダージリン車に向かって「私の後ろにいないで!」と叫ぶくらいにノイローゼ気味になっていた。
それでも頑張るルクリリは最近一部の女子からグロリアーナのボコられグマと呼ばれているらしいことをヒソヒソと周りは話し合っているのにルクリリが悔しさからハンカチを噛みしめる。
はあ、とため息をついていると休憩室に待ち人がやって来た。髪の毛を弄りながら薫子が浮かない表情のままローズヒップの待つ席に座った。
「どうでしたの?」
ローズヒップは薫子に身を乗り出して聞いた。何やらただ事ではない様子で周囲の戦車道メンバーたちも気になって二人の動向を見やる。すると、薫子は首を横に振って力なく答えた。
「一度オーバーホールしないとダメみたいです」
「そんな! と言うことは!」
「明日は別の車両になるかもしれませんね」
ローズヒップはショックのあまりにティーカップを落とした。重力に従って落ちるカップは艶のある木製の床にぶつかって割れて高い音を出した。ローズヒップは頭を抱えて、まるでこの世の終わりのような顔をした。
「信じられませんわ!クルセイダーが無いなんて! クルセイダーが無いだなんて!」
わんわん、と泣き出したローズヒップを尻目に他の部員が何事かと薫子に訊いた。その事情とはクルセイダーのエンジン不良であった。
「エンジン不良だなんて、“また”ですか?」
「そうなんです。クルセイダーがまたぐずってしまって」
「こんな時に! 私のクルセイダーが! 毎日磨いてあげてますのに!」
「貴女のじゃないわよ」
いつもピカピカのクルセイダーは明日からお休み。そのことがローズヒップをどん底に落とさせていた。巡航戦車として当時優れた高速性能とサスペンションを誇るクルセイダーだが、信頼性は決して高くはない。アフリカでは連続36時間稼働すれば奇跡など言われる始末であったのは聖グロリアーナとしては有名な話だ。
充分な整備を施すことができ、長時間過酷な環境に置かれる訳でもない戦車道ですら、このエンジンの寿命の短さは聖グロリアーナでは常に悩みの種で、「駄々っ子」「ソロバン玉」「金食い虫」等と揶揄する者も少なからずいる。そしてローズヒップには悩みの種通り越して死活問題である。
「いいじゃないですか」
ウナギゼリーの乗った皿を持ったマチルダ乗りの一人がそう言ってローズヒップを慰める。
「明日はマチルダやバレンタインに乗れば」
「いやですわ!」
明確な拒絶に幾人かの耳が反応する。
「バレンタインも! マチルダも! チャーチルも! 皆ドンガメですわ! ノロマですわ!もたもたしてるとダージリン様のお紅茶が冷めてしまいますわ! 私はクルセイダーがいいですの!」
「喧嘩売ってます?」
「ドリフトも出来ませんのよ!」
「普通はしないですわ」
ローズヒップの悪意なき言葉にマチルダ乗り達が鬼の形相で睨むが通じない。このある意味で純粋、ある意味でバカな彼女に察しろと言うのが無理だった。2月14日にダージリンの元にバレンタイン歩兵戦車で乗り付けて格納庫をぶち破って来るほどのすがすがしい程の“純粋”ぶりを発揮するのが彼女だ。
「イギリスと言えば! お紅茶とフィッシュアンドチップス、それにスコーン! そしてクルセイダーですわ! クルセイダーなしのイギリスなんて!」
「ほほう、つまり他はイギリスでないと?」
「そうではありませんが一番はクルセイダーですわ! そうでしょう薫子!」
「そこで私に振りますか」
薫子はいつの間にか注文していたコーヒーにミルクを入れながら言った。聖グロリアーナで数少ないコーヒー好きの彼女に他の部員たちが目を赤く光らせて睨む。お前もこのバカと同じことは言うまいな、と無言の内に威嚇しているのが薫子には分かった。
「ま、いいじゃありませんか。偶にはゆっくりとした戦車に乗るのも」
コーヒーに角砂糖を入れてティースプーンでかき混ぜる。
「チャーチルの方が優雅ではありませんか。クルセイダーのうるさい駆動音とエンジンのご機嫌伺いから離れるのも必要です。明日は不整地で時速20kmも出ないマチルダやチャーチルに乗って聖グロリアーナらしく行こうではありませんか」
口から出たのは聖グロリアーナの戦車道チームとして模範的回答だった。ゆっくりと、そして整然と浸透戦術を使用するお嬢様学園の生徒なら百点満点の回答だ。いかに巡航戦車の乗り手だからとてローズヒップのように取り乱さない、そういう姿勢が見られた。
「薫子さん、薫子さん」
「何ですか?」
「手が震えてますよ」
ただし、病的に震える手を見なければの話だ。カタカタと激しくティーカップが震えて止まらない、その姿はまさしくアルコールの切れた中毒者のソレとよく似ていた。これぞまさしくクルセイダー乗りが陥る英国面の一つだ。
「ふ、震えてなんかいません。私は……普通です! 普通の女の子です! は、速さが何だって言うですか!ちょっとくらい遅くたって……」
「時速25km、時速24km」
「く、クルセイダーだって不整地ならそのくらいですし……」
「私達は整地でこの速度よ」
がしゃん、とティーカップがまたしても砕かれた。薫子は息切れし激しい動機に胸を抑え始めた。ローズヒップも同様にうめき声を上げて苦しみだした。彼女ら二人は最早可憐な女子高生ではなく、クルセイダー乗りであった。絶えず泳いでいないと死ぬマグロと同様だ。今やガソリンとスピードをこよなく愛するお嬢様なのだ。
「スピード狂いね」
「でも、クルセイダーだって60km程度じゃあ……」
「馬鹿ですか! あの狭い窓で踊る60km舐めてんですか?! そりゃもう怖くて怖くて!」
「何をおっしゃいますの!? 砲弾が飛んでこなくては物足りませんわ!」
ついでにスリル中毒でもあるようであった。血液がガソリンではないかと疑うほどの中毒ぶりにはさしものメンバー達も呆れ顔であった。この二人はまともではないが自分はまともであると信じているのだ。英国的に例えるならMrビーンがモンティパイソンを見て変人だと思うようなものだろう。
「聖グロ一の俊足として私がクルセイダーに乗らずしてどうしろ、とおっしゃいますの?! この世で大切な物は実のお父様でもなければお塩でもない、クルセイダーですわ!」
ローズヒップは身軽そうにテーブルの上に飛び上った。断固とした意志を瞳の中で燃やし、演説しだした。クルセイダー乗り達はこぞってローズヒップを祭り上げ大盛り上がりしていく。
「とりあえず聖グロリアーナはクルセイダーをもっと多く増やすべきですわ! 情熱や理念や思想が足りても速度が無ければ意味はありませんわ! ですからクルセイダーを! もっともっとクルセイダーを! もしくはクロムウェルですわ!」
だが返ってくるのはブーイングの嵐だ。歩兵戦車組の面子は席から立ち上がって猛抗議を開始しだした。
「ブラックプリンスの方が先でしょ!」
「引っ込め! 金食い虫! 走り魔! 薔薇尻! じゃじゃ馬娘!」
「今クルセイダーの悪口言ったのは誰ですか!」
一触即発。コレを機会に誰が本当の“淑女”なのか決めようという雰囲気が出来上がって来た。古代より物事を決めたのは言葉ではなく拳である。マナーは紳士を作ると言ってマナーの分からない輩には直接体に叩き込むのが英国流である。
ともすればこの場で誰が一番の聖グロの淑女なのかを決めるのも拳であると言う図式が成り立つと言う物だ。紳士らしくないことを紳士らしく行うのが正義なら淑女だって許されるものだ。
「お待ちなさい」
そこへ一人の凛とした声が響いた。巡航戦車組と歩兵組の二つの派閥の間をモーセの如く割って入る二人。金髪の青い瞳の少女ダージリンと副官である緋色の髪のオレンジペコであった。ダージリンはいつも通りの制服姿でオレンジペコは何故かヘルメットを被ってその小さな体にブレン軽機関銃を抱えていたが今この場にいる者達の関心はそこに向かなかった。
「一体何をしているの? 我が校のレディとして相応しい行動をとるべきだというのに。拳で語り合うのはあまりに野蛮ですわ」
「隣に軽機担いでいる人がいますけどね」
「気にしないの」
ほんの少し前に娘を救うべく学園艦に潜入してきたどこぞの親父をゴム弾入りのブレン軽機関銃で迎撃させたダージリンの台詞にオレンジペコがため息交じりに言ったがそんな事で口をつぐむダージリンではない。そんな事では聖グロリアーナの隊長は務まらない。故にダージリンはゆっくりと話しだした。
「拳で語り合うのはお馬鹿な男だけで充分。我が聖グロリアーナは女子校。それをよく考えて行動すべきよ」
「ダージリン様……」
「ところでこんな言葉を知っている?」
皆が彼女のレディとしての振る舞いを説かれ、争いを止めようとしたその時、ダージリンがいつもの名言を送ろうとするのを察し戦車道履修者達は姿勢を正してその言葉を待った。
「『「敵を作らざる者は決して友を作らず』と言う訳で殴るのは感心しないけどパイ投げやハリセンに限り許可するわ。ちなみに勝った者の望みは叶えることを誓いましょう。私が勝ったらチャーチルに17ポンド砲を乗せたダージリン戦車を作ることを宣言するわ」
「物理的に無理です」
「ケチなペコ……ではゴングを」
甲高いゴングの音がどこからともなく鳴った時クリームパイとハリセンの応酬が始まり、
ここに聖グロリアーナの内乱が勃発した。
「尋常に勝負!」
「時速60kmの戦車は私の物です! くたばれ!」
ハリセンの乾いた音と空飛ぶたらい型のパイ。クリームパイに不味いマーマイトを混ぜた殺人兵器が飛び交い、直撃を受けた女子生徒がぐったりと倒れ、仲間が涙を流して仇を討とうと突撃する。
悲しみと飯まずの連鎖の果てに、最後に立っていたのはオレンジペコのみであった。
「『話せばわかる』ですよ。ダージリン様」
犬養毅の言葉を呟いてパイを投げた彼女の顔には暗い笑顔があったと後に語られた。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
今日も聖グロリアーナは平和。
次回は前編と後編の二本立ての予定です。投稿がいつになるか分かりませんが楽しみに待っていただければ嬉しいです。
尚、ここでの図式は
ローズヒップが火をつけて、ダージリンがガソリンをぶちまけ、オレンジペコが火を消すと言ったところでしょうか。
感想お待ちしています。