戦車の整備は地味で辛い。履帯を巻きなおしたり、閉鎖器を磨き、砲身を磨き、ダンベルよりも重い砲弾を磨いたりetc etc……退屈で重労働である。
これが戦時なら命令や自分の命の為と必死にやるだろうが、乙女の戦車道はちょっと違う。正直、やりたがらない。何故かと言うと華の女子高生だからである。
「またコレの整備か……」
「なんか気が滅入るよね」
黒森峰女学院の黒いパンツァージャケットを着た女子たちがため息を零した。手にバケツやブラシを持つ彼女等の目の前には自分達が駆る三号戦車J型が無言のまま佇んでおり、御大層な鉄の巨体は彼女達を見下ろしている様であった。
――弱そう
周囲に存在する戦車、パンター、ラング、ティーガーⅠ ティーガー2などと見比べ、彼女達はぐるりと“貧弱”そうな車体を一周し、もう一度ため息をついた。
「なんかさ。やる気でないよね」
「ね。三号だし……あーあいいなぁ先輩たちはこんなのよりも強いの使えてさ」
「こんなの売っちゃえばいいのに」
口から出て来たのは不満であった。実は彼女等は一年生で戦車道を履修したばかりであり、三号に不満を抱いてやる気が出ないでいた。
それも当然。何せ此処は黒森峰。隣をみればパンター5号戦車、フェルディナンド重駆逐戦車、ティ―ガー、ティーガーⅡと化け物揃い。
主砲は小さい。装甲は薄い。取り柄は乗りやすさ、あと可愛いだけ。
いくら新人だからと言って、こうも性能差が違いすぎると、扱いに愚痴も言いたくなると言う物だった。
「ま、仕方ないかエリカ先輩の御指名だし」
「あの人怖いしね~。あーあ早くあっちの戦車に」
「無理無理。狂犬エリカさんがそんな簡単に認めるわけないって。今日だって他の先輩たちとどっか行ってんだから」
「お偉いさんが来るからでしょ」
掃除もせずに駄弁っていると一人がリーダ格の女子の袖を引っ張った。
「失礼……ですゎ……いや、失礼」
声のする方を見やると、先輩と思わしき二人の姿があった。一人は派手な赤毛で略帽を被っており、もう一人はブルネットの綺麗な黒髪をしていた。
あれ? こんな人いたっけ? 面々は思ったが、履修者も多いだけあって初対面の方だと考えてしまった。
「お、お疲れ様です!」
「お疲れですわ、じゃなかった。お疲れィ」
赤毛の変な口調にブルネットがひじ打ちし、ズイと前に出て来た。
「ご苦労様です。整備は全て終えました?」
「い、いいえ」
「まだです!」
「あ? まだ?」
一瞬黒いオーラが見えたが、今度はブルネットが赤毛にひじ打ちされ黙った。咳払いを一つ、黒髪は襟元を正し聞いた。
「では終わっている三号はありますか?」
「あちらのでしたら」
「ガソリンは?」
「入ってますけど…まだだ―」
と答えると黒髪がじゅるりと舌なめずり。赤髪の先輩は瞳を宝石のように煌めかせた。
なんか怪しいな――黒森峰のルーキーたちが顔を見合っていると
「そうですか、では」
件の二人は駆け足で三号に入り込んだ。その動きは実に手慣れており、すぐに点検を済ませたのかエンジンを吹かしだした。
流石慣れているな――先輩に感心するも、突然ハンガーの扉が勢いよく開かれた。振り返ればプラチナブロンドの鬼女先輩の逸見エリカが顔をテールライトのように真っ赤にしていた。
いつも規律正しく制服を皺ひとつなく着ていたが、その時は違った。サイズが合わないのか胸元がギチギチで動けばヘソが見えそうなほどにセクシー。だがその手に車載用のMG34を二丁引っ提げ、脇にパンツァ―ファウストを三本抱えたウォーマシンであったのだ。
「逃がすか! バカコンビィ!」
「バレましたわ!」
赤髪がすかさず、閃光手榴弾を二個放り投げ、目をくらませる。それに対し、エリカはすかさずMGをフルオートでぶっ放した。赤髪の少女はキューボラに引っ込み、三号がエンジンを吹かしだした。
「せ、先輩!」
「どきなさい!」
「それ私達の! 撃っちゃダメ!」
逃げられると直感したエリカがパンツァ―ファウストに手をかけるのを一年生が必死で止める中、「いたぞ!」と小銃を担いだ黒服の少女達が来た。彼女等、黒森峰保安部が来たらしかったが、それに対し赤毛の偽生徒――ローズヒップは臆することは無かった。
「薫子前進! ぜんしーん!」
「ハイハイ! アレ? どっち?」
三号戦車は豪快に排煙をまき散らし、全速力で前進、ではなく後進した。泡を喰らった黒森峰生は悲鳴を上げて全力で逃げ出し、三号戦車はハンガーの内壁に派手に衝突した。衝撃でドラム缶や工具がぶっ飛び、ハンガー内は大いに揺れる。
「どっちへ向かってるんですの?! 前! ゴーアヘッド!」
「すいません! マニュアルしか読んでなくて!」
「マニュアルが逆さまなのですわ!」
「ドイツ語難しいです!」
車内で二人がひとしきり、コントをした後に履帯が回り出し、今度こそ三号は前進した。
「こらあ! ぶつけるな!」
「未成年の暴走だと思って許してくださいませ! めっちゃごめんあそばせ!」
二年の抗議を差し置いて三号が走り去り、後からエリカが時速20kmで走りながら乱射する。
「副隊長は撃つな!」
「非常時! バカ腹立つ! だから許せ!」
「偶にバカになる癖止めてください!」
様々な戦車が存在して狭い中を器用にすり抜け、且つエリカの猛烈なMGと対戦車兵器の追撃を避け、猛然と外へと走り抜けていった。
「……あ~あ」
床に刻まれた履帯跡。騒然とした格納庫を後にした三号と肩で息するエリカを一年生たちは惨状に天を仰いだ。整備終了から10分も満たない強奪劇。戦車の剥がれた塗装跡が再塗装の必要性を訴え、目の前にはやたらとキツキツな制服着たお色気狂犬エリカ先輩。
――何この状況?
いざ現実逃避しようとしたが、それを“かの先輩”がリーダー格の肩を掴んで命令により却下された
「追うわよ!」
「えエ……でも戦車の整備が」
「三号がまだあるでしょうが! さっさと準備!」
「てか何で、そんなセクシーなのを」
「御託はいいから!」
顔を真っ赤にしてエリカは叫んだ。一年生たちは条件反射で背筋をピンと伸ばし、敬礼。しかる後、せっせと準備に入った。
△
事件発生から約10分後。黒森峰が誇る訓練場の野原のど真ん中、青空の下で一台の三号戦車が悠々と走っていた。ダークイエローの車体は爆走した為に、所々塗装が剥げて焦げ付いている。しかし良好な整備により、快調に動いており、まさに歴戦の貌を見せていた。
見る者が見れば、きっと訓練された規律正しい黒森峰の模範となるような生徒が扱っているのだろう、と想像したことだろう。
「かおるこ、薫子、運転手~♪」「何ですか?」
「貴女のお家は何処ですか~?」「此処です♪」
「お家を聞いたら戦車の中~」
「名前を聞いたら、韋駄天ローズ~」
だが事実は違い、乗っているのは聖グロの問題児コンビ。犬のおまわりさんの物騒な替え歌を仲良く歌い、ハイタッチしている最中なのである。盗んだ三号で走り出し、またまた盗んだパンツァージャケットを着こなしているのだ。
二人共、サイズが合わず、袖が余ってブカブカだったが、気にしなかった。規律や気品なんぞ、ゴミ箱へ投げ捨て、ノリノリに乗り回していた。。
「イエーイ! やっぱり黒森峰の調査やってみてよかったですわ!」
「ええ! おかげでコレの実証がし放題ですし!」
薫子はジャケットの内ポケットからブツを取り出して見せた。それは文書で、キリル文字で書かれたそれは今回の二人の蛮行のきっかけであった。それにはこう書かれていた。
『三号戦車は時速65kmを出した』
その言葉の羅列は二人のエンジンをかけるのに十分すぎる程効果的であった。神の悪戯か、ちょうどスパイ役であるアッサムが謎の高熱を発して伏せっているので、思い切ってダージリンに名乗り上げた所、コレが見事採用。
文書には確たる証拠もなかったが、そんな物は向うで試そうと意気投合し、クレヨンで書いた雑な作戦を立案し、これもダージリンに採用。
ゲットスマートもびっくりなスパイコンビが誕生し、今に至るわけである。
「ホントでるんですかね? 三号戦車で時速65kmって」
「やってみる価値はありますわ!だからこそ、ジャケット取ってまで潜入しましたのですわよ!」
「時々思いますけど、ローズヒップって天才なんじゃないんですかね?」
「褒めても何も出ませんわよ~!」
ひとしきり大笑いした後、薫子は加速を掛けた。三号は駿馬のように速度を上げ、二人の期待に応えてみせた。その軽やかはクルセイダーに負けず劣らずで、羽毛のよう車体が軽い。
「ヒャッホウ! 最高だぜぇ!」
「それ別の方の台詞ですわよ!」
本来の乗り手なら絶対やらないドリフト、アクセルターンをやりたい放題。草生い茂る地面を巨体で踏み荒らし、小高い丘でジャンプ。車軸がいかれてしまうのではないかと思う程の急旋回をひとしきり楽しんだ。
「黒森峰ってサイコー!」
「行儀悪くても怒られませんわ!」
「胸のトコがダボダボでも~?」
「気にしないですわ!」
グロリアーナにあるまじき不良的発言をして大笑い。とてもではないが、アッサム辺りには見せられない言動を繰り返しまくっていた時、ふと薫子が気付いた。
――そういえば、何でローズヒップの服がこんなにも大きいのか。
「ところで、ローズヒップ。その制服はどこから……」
「え? スパイチョップでお間抜けな黒森峰生から失敬しましたわ」
「ああ、だから……」
そこまで言って薫子は突如として三号戦車を停止させた。「アタタ」とローズヒップがバランスを崩して砲眼鏡に頭をぶつけた。
「何で止まるんですの?!」
「ローズヒップ……」
薫子は青い顔で振りむいた。冷汗で額はびっしょり、手はカタカタと震えているのに
ローズヒップは訝しんだ
「その間抜けはどんな顔でした?」
「顔は見てませんわ」
「もしかして、あの人じゃあないでしょうねぇ? 例えば銀髪で、いつも目が吊り上がっているような」
ローズヒップはキューボラから身を乗り出し、車内に放置されていた双眼鏡を覗いた。一秒、二秒、と時間が経っていくが、それが妙に長く薫子には感じられた。薫子は思った。どうか思い違いでありますように、と。
しかし悲しいかな。上のローズヒップが「あ、ヤッベーですわ」と小さく呟いたのを彼女は聞いてしまった。ストン、と車長席に収まり二人は見合った。しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは薫子であった。
「……ローズヒップ? で、“誰”のを盗ったんです?」
薫子はギアを後退にし、前を見た。遥か彼方、稜線にならぶ黒森峰アニマルシリーズ――重戦車の黒い群れを。その中心の三号戦車の上でキツキツなジャケットを着こなし、怒り心頭な現副隊長を。
ローズヒップは大きく、「犬のおまわりさん」の音頭を取って言い放った。
「いっつみーエーリカさん♪ 怒ってしまってドンドン、ドドーン! 全速こうたーい!」
砲の遠雷が一斉に響き渡り、中央の三号戦車が猛進してきたのと同時に薫子は悲鳴を上げ、ローズヒップは叫んだ
「後進いっぱい! 全力でラン&ランですわ!」
「おバカヒップ! ドジヒップ! ダボヒップ! やりやがったな!」
「その悪口の陳列は何ですの?! 大体アッサム様のスパイグッズのサイズが合わないから、盗もうと言ったのは薫子ですわ!」
「知らなーいでーすーわー! 」
「後で校舎裏ですわ!」
8.8cm、7.5cm、12.8cmの大口径弾が次々と着弾し、黒煙と炎の中をローズヒップ車が全力で後退し、鮮やかなターンと共に逃げに入った。黒森峰にしては粗い砲撃が幸いして三号は焦げるだけで無傷であったが、乗っている二人はたまったものではない。
トークションバーは軋み、榴弾片が装甲をぶっ叩く音が騒々しい。一発命中すればオシャカになるのは確実のデスレース。砲弾が飛来するよりも早く判断し、回避行動をとるのはローズヒップの勘と薫子の運転技術で以て何とか実現しえていたが、容赦のない砲撃にコンビは喚きまくった。
「右に左に、ちょい減速! あとはリミッター解除ですわ!」
「そんなものないです!」
「ホントにシャイセですわね!ドイツ戦車!」「どっちへ行くんですか!」
「シャイセなのはアナタの頭です!」「あ、右ですわ!!」「遅-い!」
近くに着弾し、車体がふわりと浮かんで、大絶叫。また着弾しては横飛びに吹き飛んだ車体が崖を転がったが、奇跡的に横転しなかった。そうしている内に薫子が操縦席の窓から一台突っ込んでくる三号J型を見つけた。
この砲撃の嵐の中、砲塔から半身だして指揮しているエリカも同時にみつけ、その睨みに小さく悲鳴を上げた。
「エリカですわ!」
「分かってます! こうなったらヤルしか!」
「無理ですわ!」「何で!?」
ローズヒップの即答に薫子は涙目で叫んだ。ローズヒップは開き直ったかの如く、車長席に腕を組んで座り込み、自信満々に言った。
「弾なんて一発もないですわ!」
「WTF!」
そこで薫子は理解した。どうして車体が軽かったのかを。重荷が無ければ軽いに決まっているからだ。もうダメだ!――いっそ、ローズヒップを投げ捨てて車両を軽くしてやろうかと思うのも束の間、車内を衝撃が襲った。
何事かと見れば、相手の三号がラムアタックしているではないか。そして、そこには悪鬼がいた。
「久しぶりね」
そこには地獄からの使者のような顔をしたエリカがいた。
片手にワルサーを握りしめながら、こめかみをヒクつかせる姿は修羅そのもの。二人はあらん限りの声で悲鳴を上げた。
「妖怪キツキツエリカですわ!」
「そんなに怒らせたいのか?!」
ローズヒップの一言で更に怒った。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
続きます