新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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日守連盟2

「あの……」

 

 クラシックが流れる情緒的な仄明かりの室内、余裕を持ったスペースで間取られたテーブルが配置されたレストランの中。土御門祈と森旭はテーブルを挟み、向かい合って座っていた。旭は食前酒のグラスに注がれた白いワインを照明にかざすように眺めている。

 

「ん?どうした?」

 

「あ、あの、こういう所って高いんじゃ……」

 

 祈が見やった店内の壁面は地上65階の大パノラマの窓となっており、其処から見える夜景はまるで強者が弱者を見下ろす様に。優越感、余裕ある物は高い、上からの景色を嗜むものなのか。

 

 だが、オシャンティな所に慣れていない祈は、おずおずと不安そうに旭の顔を窺う。旭はグラスに口を付けると、ほんの少ししてそのグラスを机に置いた。グラス内のワインが僅かに揺れる。

 

「それは君が気にすべき所じゃない。なあに、出世払いで構わない」

 

「あ、はは……出世出来るんですかね、私」

 

「冗句だ。俺は君に期待してるけどな」

 

 軽い笑みを浮かべる旭に対して祈は凝り固まった歪な笑顔で返すしか出来なかった。

 

 お……落ち着かない!私はなんで、こんな所に居るんだろう!?

 

 というのも。アクアマリン観光協会「湊岬」代表の土御門祈は、神道の先輩である日丸エンターテインメント「屋久屋」代表の森旭に誘われて日守連盟の会合の後に二人で食事に来ていた。ただそれだけの話だが、如何せん。祈にはこういう経験が無い。普段は海女業と巫女業を兼業として行い地元でのんびりと暮らしていく生活。ビールとポン酒があれば生きていける。そもそも、日守連盟に代表者として参加したのもつい最近の出来事だ。こういう御高い場所に入るなど、人生初で。それも、人として信頼している旭の誘いじゃなかったら断っていたろう。

 

 しかし、まさかの集会でついいきり立ってしまった……。これ、怒られるのかな……。

 

 落ち着かず辺りにあたふたと眼を泳がせる祈に、対して旭は祈を静かに見据えた。

 

「あの時。君があの場で八雲鳳世に言ったこと、間違いじゃない」

 

「あっ、え?」

 

 予想とは反した言葉に、祈は眼をぱちくりさせる。

 

「元来、日守にとって「教会」「イクシーズ」は敵だ。商売敵なんて生易しい物じゃない、それこそ……親の敵と言っても良いほどに恨むべきのな」

 

 親の敵。そういう答えが出るっていう事は、もはや身を焦がすほどの憎悪が伴う。目の前の森旭はしかし落ち着き、しかしそれが嘘じゃないと眼で語っている。

 

「君は間違っちゃいない。おかしいのは八雲鳳世の方だ。一つ、言わせてもらえば。世の中の汚さを知らない君はまだ子供だ」

 

「はぁ……汚さ……ですか」

 

 あの時も八雲鳳世に言われた。「貴女はまだ、子供のようだ」と。……確かにそこまで頭を回せているつもりは無いが、そんなに子供かなあ私。

 

「あの手は汚い。しかし大人は汚い物さ。子供に比べてずるい。君はずるさを知るべきだ」

 

「……面目ない」

 

「愚直なのは君という美徳でもあるがね」

 

 ……褒められているんだろうか。これは。抽象的な言葉を並べられ、脳の稼働を止める祈。こういう言われ方は私には考えても分からんのだ。ならば考えるのをやめる。深く考える意味が祈には無い。とは、言ったら怒られるんだろうな。あ、そうか。これを言わないって事が大人か。成る程、大人とは「逃げる事」か。

 

 そんな事よりも、知れる事を知ったほうが先に進める。増やせる知識は増やさねば。

 

「あの、八雲鳳世って何者なんですか?」

 

 此方の方が先決だろう。あの阿呆みたいな格好の男。それでいて何処か気品が有り、圧倒的な自信を持ち、麒麟様からの信頼とその他大勢からの不信を持つ……ちぐはぐ過ぎる。余りにも不明瞭だ。

 

 祈が口に出したその名に、これまで静かだった旭の眉が一瞬だけ吊り上がった。

 

「……「二代目鳳世」だよ。叢雲家のな」

 

「はあ、二代目……」

 

 二代目。という事は先代がいるのか。……じゃなくて。二代目、っていう事はきっと意味の有る名……「祝福された名」だ。お馬鹿の祈でもそれぐらいは分かった。

 

「麒麟様と同期、そして当時の日守学宮(ひのもりがくぐう)のツートップだ。二人して最高成績を叩き出すのが恒例だった。天才二人……いや、秀才「麒麟」と奇才「鳳世」と呼ばれていたよ」

 

「へぇ……ってマジすか!?めっちゃヤバいヤツじゃないすかそれ!?」

 

 学宮の最高成績、そんなもの夢物語だと思っていた。祈は精々、赤点の少し上を連打するので精一杯……。基礎科目で手一杯なのに、陰陽五行の思想なんて、分かるかそんなもの。

 

「マジすかって……、まあ、勿論只事じゃない。八雲鳳世は才能だけは一級品だよ。だが、叢雲家の行動は余りにも目に余る。「あんな物」を神道等と呼べるものか……!」

 

 その言葉を吐いていく内に、段々と、旭の頬が皺を作る。歯が掠る音がした。

 

「あれは邪道だよ……「(まが)(もの)(かみ)」めが……!」

 

「ちょちょっ、落ち着いて落ち着いて!此処お店ですから!」

 

 テーブルの上の握り拳を震わせる旭を諭す祈。よほど忌々しい存在なのだろう、叢雲家というのは。

 

「むっ、スマンな……。大人気無かった。人の事は言えないな」

 

「ええ、いえ。……ところで、今回の件って、結局私達には何も出来ないんですかね?正直、何がなんだか……」

 

「そこでこれだよ」

 

 場を和ませるために笑みを作って話を逸らした祈に、ここぞとばかりに旭はスーツの懐から一冊の本を取り出した。とても寂れた表紙の、古い本……。一体、いつの時代の本だろうか。江戸時代?もっと前?表題は……。

 

妖怪百科(ようかいひゃっか)百物語(ひゃくものがたり)

 

 祈がその達筆で難解な字を解読する前に旭が呟いた。ええと、妖怪……百科?百物語、って……。

 

「平安時代に親神派を率いた男、叢雲(むらくも)鳳世(ほうせい)が作ったらしい本だ。この本は阿迦奢(アーカーシャ)製……五行の全てが詰め込まれていた原本の複製(コピー)。危険過ぎて日守が全て回収していたがな、偶然にも私は個人的にこれをコレクションとして持っていた」

 

「え、えぇ??」

 

 今、旭が喋った事が衝撃的過ぎて何回も脳内でリフレインした。が、祈が全て処理出来る訳無かった。ので、一番気になった事を直球で聞く。

 

「危険って、あの」

 

「神隠しだよ」

 

 ぬるり。

 

「この本は妖怪横丁(ようかいよこちょう)に繋がっている。人がこれを使うと神隠しに遭うんだ」

 

 一瞬、この場の空気が変わったのが分かった。なんというか、どろっとした温い風に包まれた気がする。とても、嫌な。そういう空気だった。

 土御門祈、神職としてこの空気は何度もそれらしき物を味わっていたりする。例えば、夜の海とか……。お盆の近い、墓……?夜の境内……。全体的に、「逢魔」なる刻。でも、その中の全てより、何より今の空気は。まるで、現実と空想の境界線が曖昧になったかのような。

 

 まるで、日常に非日常が溶け込むような。それは、それはとても嫌な空気だ。

 

「今回の件は麒麟様が思案なさるように、只事じゃない。……「名無きの妖怪」、その正体を知っているかい?」

 

「ええ。まあ……けれど、あれって全て隠語じゃあ」

 

 旭が机に肘を着き組んだ手で口元を隠す。祈りは静かに、しかしうっかりゴクリと唾を飲む音を隠せなかった。

 

「……全て現実さ。比喩じゃない。我々の敵は妖怪そのものだ」

 

「……嘘でしょう。だって、だとしたら、私達の敵は神其の物……!?」

 

 そこで、祈はなんとなく話が見えてきた。

 

 現界したのは「名無きの妖怪」。彼が鬼門を通って現れた。潜伏先は、話を全て本当とするなら「妖怪横丁」。危険だとされるのは、この本が「妖怪横丁」に繋がっているから。「名無きの妖怪」がこの世に幾つもの鬼門を開いたとしたら、その結果はどうなるのか……。

 

 「現世(げんせ)」と「妖怪横丁」が、混ざり合う。

 

「……!?」

 

 でも、それって。妖怪が、現実になるって事は……。

 

「日守にとって、得なんじゃ……?」

 

 日本から居なくなった神が、再び現世に戻る。それは、日守にとって喜ばしい……。

 

「じゃあ、教会の目的とは何だ?」

 

「え、それは、自分達を唯一神に……ああぁっっっ!!」

 

 そう。それが、悩みの種。教会が幅を利かせている中、日本の意思で日本の神が現世に降り立つとなれば。

 

 戦争。もう一度、世界戦争が起きる。

 

 事の重大さを本質的に理解した祈は、静かに、机の上に眼を落とした。何処を向けばいいのか分からない。背中を、嫌な汗が通る。表情が作れない。

 

 まさか、自分達の神を。異教の神と共に葬る事になるなんて。

 

「……これは君に譲ろう」

 

 スっ、と机を滑らせて「妖怪百科・百物語」が旭から祈の目の前に贈られる。祈りは、静かに早まる鼓動を隠せずにその本を受け取った。

 

「私は如何せん忙しくてな。君の可能性を信じて、それを託す。君なら、何かが出来るんじゃないかって信じている。何、全ては鳳世と麒麟様が為さるんだ。君は、君の答えを探したまえ」

 

 何処か、優しげな旭の顔。それを見て、少し安堵する。答えを出せとは言われていない。責任を貰った訳じゃない。しかし、期待はされている。ならば、私は……!

 

「わ、私は……っ!」

 

「お待たせしました。こちら、前菜となります」

 

 祈の覚悟が見えた所で、遂に給仕が食事を運んできた。目の前に鮮やかなサラダが置かれる。

 

「話し込んでしまったな。さて、では頂くと」

 

「旭さんっ!これっ、凄いですね!私、スナックが入ってるサラダなんて初めて食べました!シャキシャキとザクザクに玉子のとろとろが……っ!」

 

 旭が声を掛けるより前に祈は始まっていた。妖怪百科を自分の豊満な胸の中に仕舞い込み、先程までの悩みっぷりが嘘のように目の前の食事に釘付けに。

 あんぐりと、呆気に取られた旭が一口目をするより早く祈はサラダをたいらげ、そして一口も付けられていなかった白ワインをグビグビと喉越し(・・・)で飲む。……いや、そのワイン、そうやって飲むものじゃ……。

 

「はぁ~~っ、おいしっ……!初めて飲みました、こんな美味しいの」

 

 コトッ、と置かれた空のグラス。絶句。近くに居た給仕が、少し早足で追加の白ワインを持って来た時だ。

 

「あ、生大ってあります?銘柄って」

 

「はい、一番搾りで御座います」

 

「ではお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 空いた皿を手に取って給仕が下がり、そして別の給仕が持って来た次の皿は伊勢海老の丸焼き。真ん中から両断され割られたプリプリとした身が覗くその殻を、左手で鷲掴みにして祈は右手にスプーンを構えた。

 

「ああ、これ凄い……っ、海老の殻の香ばしさを立たせつつ伊勢海老の肉質が持つ味わいを死なせてない……!ソースも合う!凄い、凄い美味しい……っ!!」

 

 海老を堪能しつつ、白ワインをイッキ、直ぐに持ってこられた大ジョッキをグビグビと減らしていく。

 

 ……ま、まあ。これはこれで可愛げがあるか。

 

 旭は複雑な気分で、シェフに次の入店を断られる事を覚悟しつつ自分の分の食事も味わった。……彼女に喜んで貰えたなら幸いか。

 

 会計時、旭が給仕に小声で囁かれる。

 

「シェフから、伝言が」

 

 ……やっぱりか。そりゃ、あんだけ傍若無人に振る舞えば。

 

「「思う存分に味わってくれる女性を見て、失っていた何かを取り戻した。私は顔色を伺うばかりで作りたい料理を作れていなかった。しかし、彼女のおかげで気が付いたんだ。是非、次も彼女を呼んで欲しい」……と」

 

「……」

 

 想定外の答えに、旭は。

 

「マジすか」

 

 と、呟いた。


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