新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:キングオブコージ
胸に違和感。一瞬遅れて来た激しい痛み。けど、それはすぐにどうでもよくなった。何より、立っていられなくなった。凍えるようなアスファルトの地面に崩れ落ちる。
つめたい、うるさい、まわりがうるさい。なんだろう。一体何が起きたんだろう。
どくどく、胸から温かい何かが皮膚を伝ってこぼれ落ちていく。それにつれて、自分の体が冷めていくのが分かる。
気づいた。そうか。この温もりは。自分の中から流れ出ているんだ。
えっ、なんで。だめ。それはだめ。どうして。
『お嬢様!お嬢さ──』
「か……ひゅっ」
あれ、喋れない。返せない。永親が何か言ってるのに。
何も見えない、聞こえない。意識が、黒に飲まれていく。気付いた。
そっか、私。死ぬんだ──
──佐藤麒麟 享年16歳
「それでは。見事に刑部之也を打ち破り、
「……乾杯」
カァン!福音が鳴り響き、中ジョッキに注がれた黄金色が揺れる。仕事終わり、いつものスーツ姿……というには少し、
「今日は日守まで来ていただきありがとうございます。ふふ、お話したいこといっぱいあって待ち遠しかったんですよ」
程よい長さの桜色の髪が目を引く、想定される年齢よりは幼めの顔立ちに見える、しかし漂わせる雰囲気は凛と麗しき「日守の姫」佐藤麒麟。今日は白黒赤の三色で描かれた不死鳥柄のゴシックドレスを身に纏っていて。
「……ああ」
お話、か。含みがあるようにも聞こえてあまり良い予感はしないイオリ、心境を整えようとこの場に座っている状況をほんの少し遡って──
──憂鬱だ。
業務を終えたイオリ・ドラクロア。病み上がりで迎えた一週間ぶりの出勤日でありながらも、統括管理局のスケジュールの都合で明日は休みである。
ので。所謂花金……であるのだが。それだけでは終わらず、何より今の彼を悩ませるのは。
『そうですね。次の金曜日、ご馳走させていただけませんか?あっ、その時は女性の姿で来てくださいね♪』
「っっっはぁ~~~…………」
誇張してたかもしれないが、個人的には語尾に音符も聞こえたと思う。佐藤麒麟からの「祝勝会」の誘い。それも、二人で。
気まずい。何が気まずいかって。彼女は祝勝会、と言っていた。言っていた筈だ。だが、それを鵜呑みにするのはこう……違う。絶対に違う。
イオリ・ドラクロアは妖怪横丁の一件で出来うる最大の仕事をした筈だ。それは自負がある。だが、その過程で雇い主である佐藤麒麟の機嫌を損ねてしまった──そこまでは確定だ。
……3億の依頼だぞ!?
依頼を提示されたときに疑問はあった。が、内容が内容で、理にはかなっていると引き受けた。それを達成して。その次。
調子に乗って、出来そうな事を全部した。“雇い主の指令を無視して”まで。馬鹿か。あの時の佐藤麒麟の顔が今でも脳裏によみがえる。眉間に皺を寄せ、瞳も暗く、いつも薄ら笑いを浮かべているあの小娘が、冷たく俺を見ているのを。ははっ、繰り返す。
……3億の依頼だぞ!??
「……いや、背を向けてもしょうがない」
出来る事はした。その内容が雇い主の意向に沿えなくとも。苦言は呈されるかもしれないが、流石に違約金とかそういう話にはならないと思う。……報酬を下げられると辛いなぁ。そんな気分で、身支度を整えるしかなった。
ひとまず自宅に帰宅し、熱湯のシャワーで冷えた体を流しきって冷水で目を覚ます。これ以上の失態は許されない。体の水分を拭きとり軽装に着替えて覚悟をしたイオリはアルトに「天邪鬼」をお願いする。嫌悪感がとめどないが、背に腹は代えられない。
『なんだお前、もしかしてハマったか?』とか言われたが、本当に勘弁してほしい。服の上からでも自分の体が男から女に変わるのは……正直な所、意識したくない。羞恥で死にたくなった。瞳を閉じ、裸体にて。人生で初めて女性用下着……“ブラジャー”というものを着けたが、
身支度を終え、イクシーズの海岸線から繋がっている海上新幹線にて日守の地へと向かう。地図上を参照すれば、日本では中部とされる愛知県常滑市から三重県伊勢市への直行便となる。
科学力の試験的運用の一部、と名目はされているが。この夜を乗り越えたイオリには幾つかの思惑が見えはする。「イクシーズ」と「日守」を結ぶ線路……まあ、あくまで可能性程度だ、今は気にはしない事にしよう。
その海上新幹線を目前して最初に一つの疑問。まず普通に。「帯刀してては乗れないのでは」?
イオリ・ドラクロアはイクシーズ内では許可を得て帯刀していた。二振りもだ。それを、外出する際。いくら許可を取っているとはいえ、そのまま電車に乗っていいなんてある訳が無かろう。
その事に遅くも駅の窓口で気づいた(逆に構内で目を引く程度でさほど問題にならなかったのだが、そういう都市なんだろう)が、それは統括管理局職員の権限により列車の個室に案内され事なきを得た。自分が受けている待遇の良さを実感する。
ホルスターから外して抱えたドウタヌキとワタヌキと共に海中トンネルの中で揺られ、静かに待つこと数十分。孕む不安に押され、イクシーズとは違い賑やかさとは無縁の、厳かな灯が街を明かす夜の「日守の地」に降り立つ。
来るのは二回目だが……改めて見ると、とても物静かだ。
それもその筈。「神の根城」と呼ばれる日守は日本の中でも有名な観光地とはいえ、その姿を見せてくれるのは催事以外では夕方前まで。時刻にして夜の七時を過ぎていては、その興業もなりを潜めている。だから、この時刻に此処を訪れるものは少なく。海上新幹線の便も日中を過ぎれば一時間に一本程度であり、わざわざ好んで夜に行き来をするようなものではない。
ふむ、終電、間に合えばいいがな……。
「ここ、か」
予めSMSにて佐藤麒麟に提示されていた店名と位置情報をスマートフォンで確認し、間違いないと判断してまるで屋敷のようなその店に入る。迎えてくれた着物姿の老齢のおばさまに「二名で予約している佐藤の連れですが」と伝えて。
「ああ、姫様の。お待ちしてました」
姫様。聞き間違える筈がない、そう確かに聞こえた。常連……と考えるよりは、素直にこの地であいつの存在がそれだけ大きいと捉えるべきか。
改めて佐藤麒麟が何者かを垣間見る。木造の廊下を歩いていき、連れられるままに向かうと。
「さ、此方です」
「遠路はるばるお疲れ様でした、イオリ殿」
おばさまに連れられて着いた部屋の前には依然見たピリッとしたスーツの青年が見えて。爽やかであり相手に好印象を与えるだろう、立派な立ち姿だ。
「ああ、佐藤の付き人の。
「覚えていただき光栄です。私、姫様の補佐を勤めている
おうみ……なんて?長い名前だな?
頭を下げた彼から差し出される名刺。其方には“
これはおうみ、これはこのえ、……いや、ややこしい字体だな!?
「気軽に永親とお呼びください」
まあ、そうするだろうよ!?提示されなければあまりにも呼び方が困る!
「よろしく頼む、永親」
そうとしか答えられないイオリ。間のこの近衛……はミドルネーム?なのだろうか、苗字か名前の一部なのだろうか。が、この場でそれを聞くのは憚られる。
「スーツと刀をお預かりします」
「ありがとう。けどスーツはいい、落ち着かないのでな」
イオリは両腰に携えていた二振りの日本刀を渡す。念のためにと此処まで持ってきてはいたが、食事をするときにまでぶら下げるほど無粋ではない。遠慮なく彼に任せる。
が、これから会う者に。気を引き締めた方がいいと、スーツはそのままで。
「承知しました。それでは、お楽しみください」
部屋の襖が開けられ、中には既に1人の女性が席に着いていた。
「こんばんは、イオリさん」
「……こんばんは。1週間ぶりだな、佐藤」
柔和な笑み、幼く見えるも麗しき顔。桜色の美しい髪。あの夜の雇い主、佐藤麒麟に迎えられ──
──くぴ、くぴと味わうようにビールを嗜む佐藤麒麟。イオリもそれに倣い、様子見でクイ、と喉を潤す。
いつもなら一口で三分の二はいくが、この場を飲み会だなんて思ってはいない。雇い主との二人きりの場、それ相応の
「綺麗ですよね、イオリさん。飲む姿もカッコよくて……なんだろう、頼りがいがあるっていうか」
一杯の後の開口一番。……何、なんだそれは。どう返せばいい?
「あまりこの姿は好きではないが……そういう話だったからな」
「あっ、そうだったんですね?ごめんなさい、それほどまでに綺麗だから、てっきり快く変身してくれてるものだと……!」
口元を覆い失敗を恥じる佐藤。……はっ、絆されんぞそれ如きでは。此方は苦渋で
「いや、いい」
そうは言えず。ビールを一口飲んで落ち着く。……やっぱり美味いな、一番搾り。
ノックの後、襖が開いておばさまが料理を持ってくる。机に並ぶは。
「お待たせしました、鯛です」
黒い皿の上に映える、淡く透る厚切りの身。光に照らされ、きらりと輝く。ほう、これは……。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせた佐藤に次いで、イオリも合唱。その刺身を軽く醤油に掠め、口に運ぶ。
……舌の上に乗っただけで刺激される味蕾。噛み締めて広がる、荒波を彷彿させるような味わい。
「美味い」
跳ね返るほどのしっかりとした弾力に、あふれ出る濃厚な旨み。これが白身と云うのか?鯛自体を食す事は多々あれど、これほどに鮮烈に衝撃を与えてくるのはコイツが始めてだ。
「伊勢志摩の海で丁寧に育てられたものです。イオリさんに是非味わっていただきたくて」
成る程、地の物という訳か。道理で美味い訳だ。
そんな美味を味わっては中ジョッキなどあっという間に空に。すぐに襖がノックされ、そしておばさまが部屋に鍋と大瓶を持ってきた。
「こちら、失礼しますね」
コンロがついたテーブルの上に鍋が乗せられ、火が付けられる。それとは別に、二つのグラスと濃い茶色のビール瓶が二本も机に置かれ、おばさまは再び去っていく。
「キリンラガー。この世で一番美味しいビールです」
佐藤が自信満々に此方のグラスにビールを注いでくれる。……いや、その発言は流石に火が強すぎでは?と思いつつ、イオリも返すように佐藤のグラスにビールを注いで。
「この店はキリン推しなんだな。でも、分かる。吾もキリンは好きだ」
グラスを握り、注がれた美しいビールを愛しく眺めてそう偽りなく発した。
「……ふぇっ?」
素っ頓狂な声をあげる佐藤。その反応に、何か失言したか?と顔色を窺っていたイオリ・ドラクロア。短くも長い7秒間、いつもの余裕を失った佐藤は慌てて場を取り繕うように言葉を発した。
「ねっ!そうですよね!イオリさんもこちら側でよかったぁー、美味しいお酒が飲めます!」
「あ、ああ」
目線を斜めにする佐藤だが、好みを共有出来たのがよほど嬉しかったのだろう。よかった、機嫌を損ねたのかと思った。この祝勝会、最後まで気は抜けんぞ。