一誠が年末に家に帰ると今年の正月はうちで和やかに行われることが決定したと母親から言われた。
例年道りであれば正月は黛家で過ごすのだが今年と来年は黛の家で行うことはないのだそうだ。些か疑問には思ったが母親がニヤニヤしながら報告してきたのを見て何かよからぬのことがあるのだろうと判断して素直に従っておくことにする。
道場に顔を出すと由紀江の顔は見つからず、鍛錬を終えてから母屋に顔を出しても奥方が出てくるのみで大成さんと由紀江は出かけているとのことだった。
大学に入って以来由紀江とは会ってないので土産話でもしながら話そうかと思っていたのだが……これは母親の反応から考えるに来年もこのような状況になるのだろうか?
俺、黛家の人々に何かやったっけ? などと首を傾げながら年末年始を迎え、家族のみでの団欒を過ごすのだった。
一誠が首を傾げている頃、大成は川神院にいた。
というのも由紀江が川神学園に入学することは確定しているので川神学園の学長も兼任する鉄心に挨拶をしに来たのである。
気が早いということなかれ。親からすれば娘の成長は早い。由紀江も後二年後には川神学園の生徒となってしまうのである。
道中、既に武神という名称で呼ばれている川神百代に対戦を望まれたが一緒に稽古をするということだけ伝えて対戦は控えて貰う。
大成としてはもし対戦するならば二年後入学する娘とやって欲しいと思っていたのでそれを伝えたところ快諾されたのだ。
そして現在、大成は鉄心と将棋を指しながら雑談に興じていた。
「ほ、中々の手だの」
「ま、これくらいはできなければ」
「えげつない手を打ってくる人間の言うことじゃないじゃろ」
「いえいえ、川神院の院長がそのようなことを言うものじゃないですよ」
にこやかながら微妙な空気を醸し出す二人。ふと鉄心が視線を盤上から大成へと向ける
「それで? 娘さんのことを頼みに来ただけじゃないのじゃろ? 本当の要件をいいんしゃい」
その言葉に苦笑してしまう大成。別段隠していたわけでも娘のこともついでではないのだが。
「いえね、あなたのお孫さんのことです」
「百代か」
「ええ、あの娘さんは危ういものを持ち合わせていますね」
「まあの。同年代で百代と張り合える者がおらなんで欲求不満に陥っておる。お前さんとこの娘は結構な力量と聞き及んでおるが?」
「ええ、まあ近い内に私を超える存在となるでしょう」
「なんと!? それほどの才か?」
その驚いた様子に苦笑が漏れてしまう。直系の娘である由紀江も確かに大成を超える才を誇り、居合いの腕も見事なものになっている。壁も超え、優れた剣術家と言って差し支えないだろう。しかしそれも彼には霞む……
「ええ、娘の性格上お孫さんと対戦を望むかというかと疑問ですが仮に対戦となった時はお孫さんを満足させられるだけのものを持っています」
それを聞いて安堵する鉄心。友人たちに恵まれたが故に戦いに対する欲求は緩和されているがなくなったわけではない。
「……けれど彼の異常な才に比べれば娘も霞んでしまう」
小声での呟きも優れた聴覚を持つ鉄心は捉えていた。
「ほう、彼とは以前儂もあったことのあるおぬしの秘蔵っ子かの?」
鋭い目つきで大成を見やる鉄心。孫娘の相手は優れた者であれば優れた者であるほどいい。
殆ど情報は入ってこなかったが以前、小雪という少女が縁で一度顔合わせをした少年は完璧な隠形を行っており、鉄心程の実力者でもその力量を測ることは難しかった。筋肉の付き方やふとした時の所作からかなりの実力者ではあると考えていたが……
鉄心がそう言ってみると大成は苦笑する。なんだか疲れたような笑みだ。
「既に私では彼に打ち勝つことも出来ません。黛の剣でないとは言ってもあそこまでの強者の剣は見ていてすがすがしいものがありますよ」
その言葉に瞠目する鉄心。剣聖と名高い黛大成がそこまで言うほどの者ならば百代の対戦相手として申し分ない。けれど続く大成の言葉に苦い顔になる。
「けれど、彼は娘の由紀江以上に争いごとを好みません。それに女性に自らの剣を振るうことも良しとしないでしょう。彼のことを漏らしたのは彼の情報をあなたに話すことでそれとなくお孫さんと触れ合わないようにして欲しいというお願いなのですよ」
大成から見ても一誠の剣は世に出るべき剣であると思う。けれど一誠の性格上それを望むかというと大成でも首を傾げる。恐らく、望まないだろう。だからこそ大成は釘を刺して置く意味もあって川神の地に来たのだった。
それからは苦い顔をする鉄心と苦笑する大成で状況は膠着し、将棋では油断した鉄心を大成が降した。
由紀江は一誠が大学へ帰るまで祖父母の家に宿泊していた。
女を磨くと決めた以上、川神学園に入学するまで一誠と会うわけにはいかない。本日は祖母に女性としての優れた所作を習っているところである。
和服の着付けに始まり、しっかりしていたと思っていた茶の入れ方に始まり、楚々とした佇まいといったことまでしっかりと教わっているのだった。
「お婆様! これはどうしたらいいのでしょうか?」
「はいはい、これはですね」
その孫娘の様子を見守る祖父はあの引っ込み思案だった孫がここまでの積極性を見せることになるとはと驚いている。
それも男の為にここまでするというのだから恐れ入る。素材がいいので妻も張り切っているが孫をここまでさせる男とはどういう男なのだろうかと祖父は思いにふけるのだった。