一誠が大学2年生になるころ、黛の家を訪ねる女性が一人。
先日、『武神』川神百代に勝負を挑み、敗れた武道四天王である橘天衣である。自らの未熟を痛感した天衣は武者修行の旅に出て、幾人かの武道家と戦い、そしてそれを破って来た。
けれどそれは恐らく壁を超えた者と言える存在ではなく、武神程の脅威を感じなかった。その為に百代同様に壁を超えた者とされる剣聖に勝負を挑もうと黛家を訪れた次第である。
なれど剣聖は天衣を見てから対戦を拒否し、自らの娘である由紀江を対戦相手として用意してきた。
憤慨やまないのは天衣だ。
確かに自分は百代に敗れはしたが手加減の相手ともとれる娘を対戦相手として用意されては怒らない方がおかいしい。
天衣は即座に勝負を挑み───────そして敗れた。
そもそも剣聖ともあろう人物が生半可な対戦相手を用意するわけがないのだ。
それを察することが出来なかったのが天衣の未熟さだろうか。
「は、はは、はぁ……」
思わず落ち込む。今回のことで武道四天王の座は剥奪されるだろうし、それでなくともこれだけ年下の娘に敗れたのだ。
落ち込まないでいられようか。
こうなったらせめて自分の力を生かせる場所を求めようかと考えていたところ剣聖に呼び止められた。
「ああ、天衣君。よかったらこの住所の場所に住んでいる男と一緒に稽古をしてみるといい。彼も君と同じく速さを武器にする武芸者だからね。いい刺激になると思うよ」
そう言って手渡される一枚のメモ。そこにはとある住所が書かれている。大成氏からそのメモを受け取るときに後ろで先ほどの対戦相手だった娘があわあわと挙動不審になっているのがちょっと気になったが気にしないことにしてそのメモに目を通す。
手渡されたそれを見つめどうしようかと思案するが剣聖と名高い人の意見だ。素直に従っておくことにしようと考え黛の家を出た。
尚、黛家から一歩外に出た瞬間に偶々掃除の為に蓋を開けていた排水路に脚を嵌めることになり、黛の家の風呂場を借りることになったのは一興である。
「父上! なぜあの人に一誠さんの居場所を!?」
「いやなに、彼女は自身を無くしてそうだったからね」
「けどあれほどの美人が訪ねて一誠さんが彼女を好きになったらどうするんですか!」
「いやあ、多分大丈夫だと思うよ。今まで同年代の人と浮いた話の一つもない一誠君なんだから」
その言葉に呆れる由紀江。どーか一誠が彼女を好きになりませんようにと願うのだった。
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大学の講義を終え自宅となるアパートに帰るといつぞやのように部屋の前に女性がしゃがみ込んでいた。
俺の家は女を呼ぶ魔性にでも取りつかれているのだろうか? 前例が一回だけとはいえ二度もこんなことが起こると疑いたくもなってくる。
しかも前回は小雪だったが今回は本格的に知らなさそうな同年代らしき女性だ。一応髪の色は小雪に似通っているがしゃがみ込んだ姿から推測できる範囲では小雪よりもいくらか背丈が高い。
溜息をついて頭をかくと意を決して女性に話しかけることにする。
「すいません。どうかしましたか? そこ自分の部屋なので何か用がないなら退いて欲しいんですが」
かけられた声にバッと顔を上げる女性。んー、顔を見た限りどこかで見たことある様なないような女性である。
「君が一誠くんかっ!?」
「あ、はい。一応この世に生まれてからそのように名乗っていますが……どちらさんでしょうか?」
「事情は後で言わせてもらう。だからすまないが……」
そこでくしゃっと顔を歪め、お腹に手を当てる女性。
「ごはんを食べさせてはくれないだろうか」
くぅー、と可愛らしい音がなっていた。
取り敢えず、という形で家にあげようとするとそれを断りどこか別の場所で食べるか公園のような開けた場所で食事にして欲しいとか言われてしまった。
個人的には外食はあまり好きではないし、先ほどの彼女の言葉から考えると一誠が金を出すことになるので出来れば一誠の部屋にある物で済ませたいと言ったのだが彼女は深刻そうな顔をして言ってきたのだ。
「実はな、私はとてつもない不幸体質なんだ。他人の部屋に入ろうものならその家に隕石が降ってくるくらいの……」
と返されてしまった。かなり胡散臭いがあまりに深刻そうな顔をしているのでしょうがなく近くの公園に行き、道中にあるコンビニで適当な昼食を買っていく。
尚、ここに行くまでに彼女の言っている不幸体質は確認出来た。彼女の身体能力故に避けていたが上空を飛ぶ鳥に爆撃を食らう回数が公園に着くまでに4回もあれば納得するというものだ。ここらへんは別段害鳥が多い地域ではないのにその回数というのだから納得せざる得なかった。
ボソボソとして大して美味くない菓子パンを食べながら横目に隣で結構な量の弁当三つを消費していく女性を見やる。
やや鋭い瞳は今は食事に夢中なのか弧を描いている。この食事も彼女が最初に取った弁当は全て消費期限が過ぎかけていたというのだから不運属性というのも筋金入り。
少々煩い蝉の声に辟易としつつも彼女が食事を終えたのを確認して一誠は彼女にここに来た理由を問いただす。
「で、流石に弁当三つも食べなきゃならない程困窮した人を放っておけなかった訳ですが、結局のところあなたは誰で、何が目的で自分のところに来たのでしょうか?」
それに対し目をぱちくりとしながら冷たい飲料水を飲んでいた彼女はペットボトルを置き、その問に応える。
「えーと、まずは私の名前からか。私の名前は橘天衣。目的は……剣聖の娘に敗れてな。その後に剣聖に君を訪ねてはどうかと勧められてここまで来た」
ふむ。聞いたことのある名前である。もはや忘れていると言ってもいいくらいに曖昧な原作の記憶の中で確か由紀江に敗れたというキーワードで検索をかけてみると確かにそんな名前があった気がする。
「うちの家の前で黄昏ていたのはなぜですか?」
その問にはギクッとしたような、むしろ聞いて欲しくない空気を滲ませながらもしょうがなく言ってやるよといった何とも言えない表情をしながら。
「君の家に着いたのは良かったのだが君が留守だったからな。待っていたんだが道中の疲れやら朝食を食べ損ねたやらで力が抜けてて……」
「そのまましゃがみ込んでいた……と」
一誠の言葉に首肯で答える天衣。一誠としては少々呆れが漏れるが言ってもしょうがないことなのでこの話題は流すことにして本題に移る。
「えーと、大成さんが俺を訪ねるようにとのことですが具体的に何か伺ってますか?」
それに対しては首を振る。聞いてみたところ稽古してみてはどうかとは言われたらしいがそれ以上の事は何も言われてないのだそうだ。取り敢えず稽古している時にまでその不幸体質は影響するのかと聞いてみたらそこらへんは不思議と大丈夫らしい。何ともわからん。
ここはとりあえず稽古の件は了承して鍛錬をいつも行っている場所と時間を指定して別れ……ようとしたら天衣に声を掛けられた。
「その、どこか泊まるにいい場所を教えて貰えないだろうか。ついでに持ち合わせがあまりないので格安で泊まれるような場所を……」
……拾ってはいけないものを大成氏に押し付けられた気分になった一誠であった。
取り敢えず小雪が以前来た時、今後も来るかもしれないと考えていたので近場の宿泊施設は殆ど調べてある。その中で一番安い宿に車で天衣を送り届け、諸経費として諭吉さん二枚を溜息交じりに渡して別れるのであった。
この後、一誠が大成に連絡を取り、送ってきた責任を取るという形で支払いを大成がしていくのはここだけの話である。