見られている。
背筋にひやりとするものを感じさせる視線が一誠に向けられていた。誰と考えなくても武神である百代だ。けれどその視線は終始探るような視線であり、挑発的なものでも、戦いを望むものでもなかった。
一誠としてはありがたいような、ありがたくないような微妙な状態だ。場合によっては悪い結果と言えなくもないかもしれない。本来、予想される武神の行動は勝負を挑んでくるか、それとも無関心かのどちらかだろうを取るだろうというのが一誠の私見だ。実際に考えてそれは間違ったものではないと一誠は思っている。
由紀江の隠した実力を大まかながら把握出来るだけの判断能力はあり、そして戦いに飢えている彼女の求めるものは強者との試合だ。今のところ一誠は隠形を使用し、自らの体から漏れ出る気の量を調整し、更に気の総量を誤魔化している。
一誠の隠形は大成をして見破るのに一誠の実力を知っていなければ気付くことが出来ないと言われ、自信のある技術であるので武神に感づかれた様子は見られない。
その為に由紀江の関係者なれど武神の求める実力者ではないと判断されることで無関心を貫いてくれるのではないかと考えていた。その為に普段は一本の芯が通ったように伸びた背筋を曲げ、習慣として身についてしまっていた歩法を崩したのだ。
けれどそれだけしても武神が一誠の実力を疑って勝負を仕掛けてこないとは限らない。その為に勝負を所望してきたらその勝負を受けようと一誠は考えていた。
ただし、一誠の剣ではない。黛の正統な剣術を用いて、だ。
そもそも一誠は自らの剣術を身に着けているがそれは自らの肉体的適正や気の運用によってそれが一番であると判断されたが故である。けれど一誠の対戦相手は常に黛大成という黛の剣術において頂点とも言うべき存在なのだ。身体の運用において類い稀なる器用さを持つ一誠は大成の動きをトレースすることは難しくない。まぁ、トレースしたとて強いかと言われれば本気でない由紀江にも負けるだろう程度の実力になってしまうというのが正直なところだ。
だからこそ武神を偽るには最適であるともいえる。
既に由紀江から武神に行ってしまった情報は把握している。一誠が由紀江と同じ同門であることや由紀江とは家族ぐるみで仲がいいことなどは把握されてしまっている。
だからこそ一誠が由紀江と同じ構えや技を使おうと彼ら、彼女らは一誠の使う剣技に疑問を挿まないはずだ。
これで原作におけるヤンキーたちのように軽く吹っ飛ばされれば武神は一誠に対する興味を無くすだろうと考え、覚悟していたのだ。
なれど、武神は疑念がつきないのか釣りをしている一誠に未だ話しかけもせずに探るような視線を向けている。それも一誠でなければ気付かないほどに気配を殺した視線だ。
どうする……彼女がこちらに来た場合は自分も一端の武人であると増長した若者を演じて彼女に手合せを所望すべきだろうか? そうすれば先ほどまで考えていた案に修正を加えなくとも行動できる。自分は風間ファミリーにバカにされるとまでは行かないまでも、侮られるかもしれないが今後もし武神に自らの実力がばれた時の被害を考えれば些末事だ。
いやはや、どうしたものか……一誠は適度に魚を釣り上げながら百代の視線に気づかないふりをし、小雪たちと笑って話し合うのだった。
大和や岳人たちに適度に構いながら百代は視線を川で釣りをしている人物たちに向けていた。石蕗一誠、黛由紀江の兄のような存在であり、恐らく由紀江よりも実力の低い存在と思われる男。
彼が川に着いた時には既に百代たちは釣りを開始しており、直接言葉を交わしたのはファミリーの中では由紀江とクリスのみで自分とは話さなかったが朗らかな雰囲気が周囲を包んでいる。由紀江の言っていた面倒見の良い人というのは正しいようだ。
しかし、由紀江があそこまで懐いた雰囲気を出しているのも気に入らなければ隣に陣取っている小雪が彼にくっついているのも気に入らない。美人は全て私のものだ。
いや、話が逸れた。けれど何故あそこまで二人が懐いているのかわからない。確かに顔は良い。認めよう。けれどいくら探ってみても、いくらその動きを見ても由紀江より弱いという結論しか出てこない。戦いを挑めば場合によっては楽しめるかもしれないがそれも基本的には普段挑んでくるものと同じくあっけないものになるだろう。
どうするか……実力を偽っている可能性もあるだろうが、それでも由紀江のように隠していようとも実力者という存在はその実力が高ければ高い程にその力を隠しきることが難しくなってくる。
さて、挑むべきか……それとも……
今後の行動を思案していると大和にからかわれ、追うと先ほどまで考えていた存在を忘れられる程度には怪しい奴らが山を徘徊しているのを感じた。適度に撫でにいってやるとしようか。
武神につられるようにして風間ファミリー達が森へと入って行く。その際、由紀江はこちらをチラチラと見ていたが一誠が手をひらひらさせると仕方なくファミリーの方へとついて行った、なんか原作でイベントがあったような気がするがもはや原作に関して気にしていない一誠は関与する気もなく釣りを継続していた。
何があったのかわからないが風間ファミリーが森から戻って来ると特にこちらに干渉してくるでもなく釣りを再開し、風間に限っては釣れた魚を川下の釣り人たちに売りつけにいこうと行動している。
「まったく、おじさんはそんな元気ないよほんと」
「いっせー、4つしか違わないのにそんなこと言わないほうがいいよー」
「うっせ、二十歳超えると色々あるんだよ」
それなりに魚を釣れたところで昼食の準備に入る。車から持ってきた飯盒や折りたたみの机やら携帯コンロに薪などを取り出し、魚に買ってきた野菜などを並べる。
「二人は竈の準備と飯盒頼むわ」
「ええ、了解しました」
「ま、美味い飯の為です」
準と冬馬に米を頼んで一誠は小雪を助手に料理に取り掛かる。風間ファミリーが飢えた目でこちらを見てくるが意図的に無視をする。由紀江が手伝いを申し出たが調理用のスペースは二人が使う程度でギリギリだったので丁重に断り、二人で作業を進めていく。
作ったのは川魚の塩焼き、魚のから揚げの餡かけ、アラ汁といったもの。
四人分の食器を並べようとしたところ声を掛けられる。
「なぁ、私があんたに勝ったらその料理分けて貰えないか? こっちの食材も分けるから」
ニヤリとした表情で提案してくる百代。その提案を受けて三人の方を見るとどちらでも、と言った感じで肩を竦める。実際料理の量は四人で食べるには少々多い。余るくらいなら一誠が残ったものを全て食べるつもりだったが。風間ファミリーのバーベキューとシェアしても問題ない。
「別に勝負しなくても分け合うのは大丈夫ですけど……」
そう言ってから少し考える。このまま料理を差し出すのは問題ない。ただ、先ほどの探るような視線が今後も続くことを考えれば今対戦をすることで実力を印象付け、今後絡んでくるような事態を減らすという考えも出来る。
ここは……やるべきか。
「わかりました。受けて立ちますよ」
「そーこなくっちゃな!」
ここに、武神川神百代と石蕗一誠(手加減)との勝負が開始されることとなった。
ラップで出来上がった料理を包んで被害が出ないようにし、武神と相対する。
百代の後ろではファミリーのメンバーが気だるげにしている。その表情を見る限り百代が負けることはないだろうといった雰囲気が溢れている。まぁ、それで正解だ。勝つつもりなどない。
一応の声援は投げかけられているが、男子達の視線の先は相対する二人ではなく一誠と小雪の作った料理に注がれている。
「えー、それでは昼食の権利を賭けた勝負を開始します。姉さんと一誠さんは前に」
審判の代わりとして大和が中間に立つ。けれどその視線はこちらを小馬鹿にしているように見えるのは俺の個人的な恨みからくるものか。
生憎と旅行先にまで刀を持ってくるような人間ではないので由紀江に刀を借り、武神と対峙する。
「これで昼の一品が増えたな」
「そーですかい」
武神の言い様に呆れた声が出てしまう。確かに勝つつもりもないので一品以上増えるのだろうが対戦相手に礼を失してるとは思わないのだろうか? いや、俺から挑んだわけでもないからいいのかな。
「それでは、はじめ!」
大和の開始の声と同時に武神が突撃を仕掛けてくる。
ただの拳が異常とも言える圧力を湛え迫るがこれくらいは避けて警戒させなければならない。先ほどまで出していた気や動きから想定出来ない動きして武神を驚かせる。この程度までは実力を隠していたのかと思ってくれれば重畳。
「ふっ!」
納刀状態から抜剣し、峰で武神の首を狙う。その斬撃の数は同時に8。その速度も斬撃の数もは武道をたしなんでいないものからすれば十分素晴らしいものを持っていたと思わせるものだったが武神は先ほどの回避によって喜色を浮かべていた顔に落胆の色を見せる。
「川神流 無双正拳突き!」
一瞬にして体勢を整えた百代が多くの挑戦者を屠ってきた技を繰り出す。その攻撃に対処出来ずに吹き飛ぶ一誠。
殆ど時間を使わずに石蕗一誠と川神百代の勝負は決し、一誠達の作った料理と風間ファミリーのバーベキューは均等に割り振られることとなった。
「ねぇ、大和」
「ん? どうした京」
百代に吹き飛ばされた一瞬。弓を扱う者として目の良い京だけが見ていた。
吹き飛ばされた一誠が意地の悪いような笑みを浮かべていたのを。
けれど吹き飛ばされる時に笑みなど浮かべるのだろうか? その考えが京の中に渦巻く。
「いや、やっぱりなんでもない。結婚して」
「そう、お友達で。それよりもこの料理美味しいから食べてみな。あの人強くはないみたいだけど料理の腕はまゆっちなみだよ」
川釣りのひと時は過ぎ去っていく。
尚、この勝負の後、部屋に戻るまで小雪の機嫌はすこぶる悪かったとだけ言って置こう。
秘密にしておくつもりだった事情を一誠が部屋で説明するまで小雪の機嫌は悪いままだった。