真剣で私に恋してください   作:猿捕茨

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それぞれの旅行最終日

 

翌日、一誠達は風間ファミリーと顔を合わせることなく観光にを楽しみに宿を出ていた。ちらりと川の方へと向かう姿が見られたが一誠が殊更観光へ向かおうと言ったためだ。

 

まるでなにかから逃げるかのように。それに対し三人はそれを了承した。昨日一誠が部屋に戻って来た時の様子は落ち込んでいた様子であったので何があったのか聞かなかったが風間ファミリーの誰かしらと何らかのトラブルが有ったのは明白だ。

 

わざわざその傷を抉る様な真似をする人物はこの三人に限って言えばいなかった。

 

元々三人が三人とも何かしらの形で一誠に手を差し伸べられた者達だ。彼を害することがあるわけがなかった。幸い、一誠の様子は宿を出てから回復し、純粋に旅行を楽しんでくれているように振る舞い、三人としては今回の旅行を楽しいものだと思ってもらえて良かったと思うのだった。

 

 

 

由紀江は一晩経って冷静になってから少々凹んでいた。一誠に対する怒りが減少した訳ではない。しかし一誠個人は元々武力を奮うといった行為を忌避しており、川神百代のような人物との触れ合いを拒むことは容易に予想出来たのだ。

 

一誠の行った所業は許せはしない、しないが……百代が一誠に挑発めいた勝負を挑んだ時に自分が間に入り、クッションの役割を果たせば今回のような結果にはならなかったのではないだろうか?

 

大和とクリスの意見の対立による勝負も進んでおり、そちらにも意識を割く中で考えていては内容も纏まらない。現在のところ百代は自らに発生しているだろう異変には気付いてはいないようだ。それもそうだろう。現在は旅行中であり、鍛錬をするにしても百代は無理に気を体内に流して強化するような場面にはなっていない。自らの異変に気付くとしたら旅行を終えた後になるだろう。

 

そして不調の原因はわかってもそれを行った相手に確証は得られない筈だ。それほどまでに一誠の気は曖昧で、感知能力に優れていたり、一誠自身の気に長年触れている者でなければわかる筈もない。

 

百代に真実を教えるべきなのだろうかという思考も巡らすが、百代は果たしてそれを信じるだろうか? 既に彼女は一誠に対する見切りをつけた。一誠自身の隠形の妙を考えれば今後ボロを出すような事態は考えられない。ちょっと強いけど由紀江よりは弱いと言った程度の実力であると偽装をし続けるだろう。気の印象すら操作しかねない。けれど、けれどだ。一誠の今回の所業を考えると許すことは出来ないが一誠自身が昨日言った内容を考えると百代程の実力の武術家であれば即座にその違和感に適応するとも考えられるのだ。

 

兄のような人の考えられない所業と、その被害者であるが同時に兄に不利益を与えかねない現在の仲間の一人。どちらも大切だから悩むのだ。一誠のことは許せはしない。けれどそうしてしまうのは理解できてしまう。また、百代の実力を把握しているのであればあの程度の気の打ち込みでは枷程度にしかならないだろう。一誠程の人物であれば場合によっては油断している百代であれば気を打ち込むことで彼女を二度と武術が出来ない体にもすることが出来たであろうに……

 

ああ、話すべきか話さざるべきか……

 

今後の自らの行動に悩みながら目の前で大和とクリスの勝負は決着を迎えた。

 

 

 

 

 

 

些かながら問題は発生してしまったが小雪達との旅行という意味では大成功と言ってもなんら問題ない形でGWを終了した。三人とは初日に集まった場所で別れ、自らの自宅へと戻っていた。深夜とまでは言わないが既に夕食も済ませてあとは風呂に入るか鍛錬をするかのどちらかといった時間に自らの携帯に光が灯る。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「あ、一誠さん。旅行はどうでしたか?」

 

電話を取る前に見た相手の名前はなかなかに馴染み深い相手の名前。黛沙也佳嬢だった。

 

その声を聴いて少々苦笑してしまう。まさか君の姉に軽蔑されるようなことをしたと言うのはどうかと思うのだ。

 

「ああ、それなりに楽しめたよ。周りが全員年下という環境もそれはそれで楽しいしね」

 

「そうですか。あ、お姉ちゃんも一緒の場所だったって聞いてますけど何かありました?」

 

「え? いや? 何もなかったよ。うん。何も」

 

勘のいい彼女の事だ。何かあったということは看破されてしまっているだろう。けれど彼女は何も言わない。ただ隣で電話の順番待ちをしていた自らの父に電話を手渡すのみだ。

 

「やあ、一誠君」

 

その声が聞こえてきて一誠は思わず電話を強く握ってしまう。現在最も会話をしたくない相手である。師匠である大成に旅行先でのことを言うというのは中々に勇気のいる作業だ。

 

「一体、旅行先で何があったんだい?」

 

声の調子ではにこやかに、問いかけるような大成の言葉が電話口から聞こえてくる。一誠にその言葉に逆らう気概は存在しなかった。

 

 

 

 

 

大成が一誠から旅行先での所業を聞き届けると静かに電話を切った。一誠の所業は武道家(・・・)として見たならば許さざる所業であろう。しかし武術家(・・・)という面で見ればそれは叱責すべきではない。そして一誠の剣は武道ではなく武術。戦う為の剣術であり、黛の家も元々は武術の家だ。それを考えるならば一誠を叱責するのは筋違いである。むしろ一誠の温厚な性格故にその程度で済んだと言える。

 

相手が今後自らの障害となるのであれば相手の骨を砕く、喉を突くといった行為は武術家としてみればなんら問題ないものだ。むしろ今後を考えた戦術ともいえるだろう。それを許容できないのは由紀江の生来の真面目さ故か。それともそうなるようにしてしまった教育故か。

 

そもそも武術を扱っている者であれば修練の相手を誤って今後武術の出来ない身体にしてしまうといったことも不思議ではなかろうに……いや、由紀江の周りには由紀江が本気で挑んだからと言って武術家生命を断つような中途半端な者はいなかったか、と独りごちる。

 

しかし先ほどの一誠の言葉で聞き捨てならない内容が出てきた。川神の武神が一誠に挑んでくる? 既に大成自身が鉄心に釘を刺していたというのに?

 

思わずため息が出る。彼の川神鉄心といえど、孫娘は可愛いか。確認の為に大成は隣に残っていた沙也佳に川神院の電話番号を伝え、電話をかけて貰うのであった。

 

 

 

 

大成からの電話がかかって来たと聞いて鉄心は溜息をついた。既に旅行から帰って来た百代の様子や旅行先での話からこうなる予想は付いていた。そして大成にも自分が百代に一誠についての様々なことを黙っていたことが伝わってしまっているだろうこともわかってしまった。

 

「なんじゃ? こんな夜更けに」

 

あえて素知らぬふりで電話に出る。相手からは問い詰める声が響いてくる。

 

それに対しどう応えるのが得策か。鉄心としては大成の要望に一応は応えたつもりであった。仮に百代に彼の情報を少しでも洩らそう物なら即座に飛びついてくるだろうことは予想に難くなかった。その為、一誠自身の隠形に賭けることが百代の関心を最も引くことのない対処であったのだと。第一、弱いということを全面に押し出して百代に話そう物ならば疑ってかかって来るに決まっている。今まで弱いという者の話をしたことなどないのだから。―――――――と大成には伝えた。

 

勿論こんなのは茶番である。この話には続きがある。鉄心も人の親だ。百代の相手となる人物がいるとなれば相手をしてくれるに越したことはないのである。既に先手は大成に取られてしまったが一誠自身はこの川神の地にいるのだ。自ら口出ししなくても百代と仲良くしている黛の娘から彼に対する話題が出れば百代は鉄心からの情報がないまま彼に勝負を挑むだろう。そして感知能力の未熟な百代であろうとも触れ合う機会や鍛錬をしている姿を見れば彼の実力に気付くだろう。その為に今まで川神院での修行に誘ったり、ポケットマネーを出して商工会に働きかけ、箱根旅行に二人が出会うように仕向けたのだ。

 

だが蓋を開けてみれば百代は彼の実力を知ることなく、彼に勝負を仕掛け、そして鉄心ですら気づくか気付かないかという程の枷を嵌められた。もはやぐうの音もでやしない。

 

鉄心としての理想は今回の旅行で百代が一誠の実力に気付き、正式な勝負を申込み、勝負の後に大成からの問い詰めがあったとしてもその時は一誠の実力に百代本人が気付いたのだと言ってしらを切るというのが最善だったのだ。

 

だが今更何を言おうと無駄。ただ一誠という若者が百代よりも幾つも上を行っていたというだけのこと。

 

これは百代は修行と鍛錬のし直しだな。精神に対する修行が何よりも重要なのだということが今回のことでよくわかったわい、と鉄心は苦笑しながら電話を切るのだった。


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