「すいません、今日は妖怪の山に行ってきたので少し遅れました。これ不可侵条約の契約書と条約内容です。お姉さま達もしっかり目を通しておいてください」
帰宅と同時にレミリアお姉さまへの報告をする。夕餉前に報告を済ませてしまいたかったので、妖怪の山での詳しい出来事の説明は省いた。私の報告を聞いたレミリアお姉さまと、横にいたパチュリー、フランお姉さまの顔は固まっていた。三人の様子を見てこぁちゃんが横から覗き込む。
「ごめんなさい、何かも唐突すぎて理解が追いつかないの。まずそれは何?」
「妖怪の山との不可侵条約です」
「・・・私とパチュリーの会話を聞いていたの?」
「いえ、パチュリーが私に話してくれました」
「・・・」
レミリアお姉さまとパチュリーの動きが被る。見事に目線を合わせない動作は惚れ惚れするほどだった。
レミリアお姉さまとの会話というのは、この幻想郷における勢力の把握についてだった。調停者の八雲家を除くと、妖怪の山、紅魔館、そして地底。地底に関しては地上との関係を断絶していると紫から聞いているので、実質紅魔館と妖怪の山が地上における大きな勢力だ。そこで妖怪の山との接し方をどうするかというのがレミリアお姉さまの悩みだった。弱く見られるわけにもいかないが敵対するわけにもいかない。そんな微妙な関係を保たねばならなかった。
しかし紫から天狗の内情を聞いていた私は今のうちに先手を打っておくべきだと考えた。その結果が今日の妖怪の山訪問だったのだが・・・。
「パチェ、どうして私の可愛い妹が大変な思いをして外へ出向かなければならないのかしら?」
「貴女の行動力が無いからでしょ」
「うぅ・・・」
容赦のないパチュリーの言葉に押し黙るレミリアお姉さま。別に私はお姉さまの行動力の無さがどうという理由で出向いたわけではない。しかしながら私も焦りすぎたかもしれない。あの様子なら当分外への干渉なんて出来ないし、天狗の実力も少々過大評価しすぎていた。
とは言え革新派といい関係を結んでおくに越したことはないだろう。この先生き残れるのはどう考えても革新派の方だし、いい加減紫も痺れを切らして手を加えるかもしれない。
「と、とにかく!こういうことは今度から事前に私に知らせて頂戴。当主として話し合いの場にいないというのは問題だわ」
「わかりました」
四人は契約書に目を通し終えるとそれぞれの席に戻った。それと同時にタイミングを見計らったように咲夜が料理を運んでくる。
「美鈴を呼んできますわ」
「ええ、5秒以内にお願いね」
いつも咲夜へのお願いは秒単位だ。そして美鈴が5秒以内に来れるはずもなく遅刻とからかわれる。もう何年も見てきた紅魔館のいつもの光景だ。
「リリィ、どうかした?」
「いえ、なんでもないです。ただ、なんとなく幸せで」
「?」
フランお姉さまが不思議そうに尋ねてくる。いったい私がどんな顔をしていたのかわからないが、何故かフランお姉さまの顔は心配そうだった。
「美鈴、2分遅刻よ」
「すいません、お待たせしました」
いつものからかい文句に笑顔の美鈴。変わらぬ日常が何故か急に愛おしく思えてくる。こんなに幸福に包まれているというのに私は心配されるような顔をしていたのだろうか。
「そろったわね、それじゃあ―――――」
「「「「「「「いただきます」」」」」」」
「こんばんわ」
「・・・紫、部屋に入るときはノックくらいしてください」
夕食の時間が終わりそれぞれが自分の部屋に戻る。私も地下室に戻ってきたのだが、部屋に入ってすぐに目の前の空間が歪み、スキマから妙齢・・・じゃなくて、金髪の少女が出てきた。何故か笑顔が怖くなった。
「何か用ですか?」
「ええ、貴女のおかげで今日は助かったから」
「また土下座しに?」
「貴女ちょっと失礼すぎよ・・・」
私がからかうと紫は拗ねたように唇を尖らせた。助かったというのは今日の妖怪の山でのことだろう。紫でも下手に手を出せないところに私が突っ込んだと考えれば今日の私の行動は相当危なかったのかもしれない。まあ過ぎたことなので今更だ。
「別に紫のためにやったわけじゃないですよ」
「あら、ツンデレ?」
「なんですかその・・・ツン?」
「外の世界で流行ってるのよ」
なんだかよくわからない位置づけをされた気がする。とにかく私は紫のためにやったわけではないので、お礼を言われるのはなんだか気が引ける。
「お礼は断るもんじゃないわよ」
「なら有難く受け取っておきます」
彼女と付き合いは浅いのに話してるとなんだか落ち着く。心のスキマに入り込むとでも言いたいのだろうか。
「・・・相変わらずぼろぼろの部屋ねぇ」
「自業自得・・・とは言いたくないですけど」
紫は私の部屋を見回すと複雑な表情で呟いた。私もそれに倣うように自分の部屋の天井や壁を見る。
爪痕や刃物の後でボロボロの天井。不自然に力の加えられた跡が残る壁。原形を留めていないぬいぐるみ。そして部屋に染み込んだ紅色。可愛らしい女の子の部屋とは程遠い殺人現場のような見慣れた自室だ。
「一昨日が最後でしたよ。最近はひどくもないみたいですけど」
「面倒なものを抱えてるようには見えないのだけれどねぇ」
「良い子ですから」
「ふふっ、自分で言うのね」
紫がくすりと笑う、いつもそんな笑顔ならもうちょっと敵も減るだろうに。自分で言うのもなんだが私はいい子にしてきた。少なくとも自分の好きな人の前ではいい子に見えるように努力してきた。結局紅魔館の皆には素性が知られてしまっているが、それでもこうして一緒にいられるくらいだ。
紫とも友人である以上いい子で接するつもりだ。ただ覗き魔には色々と見られていたらしくこの通りプライベートもあったもんじゃない。
「大丈夫ですよ、まだこの幸せを手放すつもりはありませんから」
「・・・そう」
私の答えを聞くと紫は私に背を向けスキマを開いた。律儀にお礼を言いに来てくれたのにもてなしの一つも出来なかったのはスカーレット家の末女としてあまり気分がいいものではない。
「お茶でもしていきますか?」
「いい子は寝る時間よ?おやすみなさい」
残念ながらお誘いは断られてしまった。ウインクを残して紫はスキマの中へと帰って行った。
微睡、眩暈、暗転。今朝は能力の暴走がひどかったせいか、寝つきがやけに悪い。眠りが浅いのか、はたまた寝覚めが悪いだけか。起きようとしているのか寝ようとしているのかすら、自分でもわからない。それでも、なんとなく自分が深く深く沈んでいくような感覚だった。どんどん深く、もっと深く、まるで自分の内側へ潜っていくような不思議な感覚だ。
流水が苦手な私でも平気、そんなわけはない。きっと夢の中だろう。夢の中のはずだ。それなのにどうしてこんなに息苦しいの?私の問いに答える者はいない。
「―――――」
何か聞こえた気がする。でもどんどん視界が暗く、暗く・・・・・・。
「―――■■■」
吸血鬼の聴力を以てしても聞き取れない。誰かが私に話しかけているような気がする、でも誰かも何を言っているのかもわからない。
「―――リリィ」
暗くなったはずの視界に光が差し込んだ。吸血鬼の私が当たっても平気なのだから太陽の光ではないのだろう。視界はそれでもぼやけたままだ。
「――――すまない」
声が聞こえた。そちらの方に目を向けるが、やはり視界がぼやけてはっきりと映らない。声の主は男だと推測する。低く響くような声はどこか聞いたことのあるような声だった。それにしてもなぜ彼は謝っているのだろう。
「仕方のないことなんだ。先祖もこうやって生きてきた」
私の理解が追いつかないまま男は話を続ける。話というかこれでは一人語りだ。私の方を向いているであろうその男は球に背が低くなった。椅子に腰かけたようだった。
「幸いにも私の能力は『禁じる』ことだ。それでも宿命から逃れることは出来なかった」
男は頭を抱えた。男の言葉の意味を考えようとするが頭に靄がかかって思考がまとまらない。まるで赤子になったように認識できる範囲が少ない。
何故この男は声を震わせているのか。何故男は私の名前を知っているのか。考えようとしても何も思い浮かばずに、ついに私は考えることを放棄した。
「どうか赦してほしい。そしてどうか恨んでほしい。呪ってほしい。この■■■■■■の宿命を、どうか――――」
男は私を抱きしめた。涙を流しているのだろう、声だけが聞こえる私の世界ではそれしかわからなかった。
やがて離れていく男へなんとなく手を伸ばしてみるが、そこで私は眩い光に包まれて何も見えなくなった。
「おはようございます」
「あらリリィ・・・ってどうしたのそのクマ」
朝、起きてから食堂に向かうとお姉さま達が既に席についていた。私の顔を見たレミリアお姉さまがぎょっと驚いた。
「なんだか寝覚めが悪くて・・・」
「だ、大丈夫?ご飯を食べたらすぐに休むといいわ」
やがて他の面々も私の方へ集まってくる。みんな私の方を見て心配そうな表情を浮かべている。
実のことを言うと何故こんなに体調が悪いのかわからないのだ。好調不調はあるにせよ私もそれなりに強い妖怪だ。パチュリーのように持病を患っているわけでもないので、人間が患うような病気にかかることもない。だというのに体調が悪いということは精神的なダメージを受けているということだ。寝たところで回復するとは限らない。
「咲夜の料理を食べれば回復するかもしれません」
「ふふっ、お世辞は無くても料理は出てきますよ」
とりあえず無理だけはしないようにしよう。これ以上お姉さま達を心配させるわけにはいかない。
それにしてもいったい何が原因でこうも弱ってしまったのだろうか。悪い夢を見た程度ではこんなことにならないだろうに。
「今日のメニューは・・・」
咲夜が料理を持ってきた。しかし彼女の言葉は私の耳に入らず、どこか心に穴でも開いてしまったような感覚に囚われていた。
結局私は咲夜の料理を食べ終わってすぐに自室に戻った。大切なことを思い出そうとして思い出せないような、そんな一日だった。