黒い煙のようにも見える力がサタンを飲み込む。やっと、やっと終わったんだ。私は宿命に抗ったか、それともこうなる運命だったのかはわからないが、この呪縛から解き放たれることが出来るのだ。約500年、それが私の費やした時間。私はこの時からようやく私の生を歩み出すことが出来るのだ。自分の生きたいように、やりたいように余生を過ごせる。
今なら思い出せるお父様の言葉、このスカーレットの呪いをどうか恨んでほしいという言葉。恨んでいないと言えば嘘になるが、それでも私を構成する一つの要素であったことに変わりはない。だとすればこれもまた日常に収束する数多くの事件の一つであって、私の生を潤す一つの出来事だったのだろう。それでいい、過去は引き摺らず今を生きる、それだけで私は満足だ。だから――――。
「ごぼっ」
突然口から液体が噴き出す。それが自分の血だと気づくのに数秒かかった。自分の体を見下ろすと、腹部に深々と槍が刺さっていた。すぐに成分分析を始めるがノイズが掛かって読み込めない、きっと自然の法則に則ったものではないのだろう。だとしたらこれは当然、ヤツが創り出した物だろう。
「リリィ!」
遠くから声がする。レミリアお姉さま?誰?ダメ、今こっちに来ちゃいけない。完全に油断していた、相手が本来格上であることを忘れていたのか、自分のものではない力に酔いしれてしまったか。ダメだ、負けちゃダメだ。こんなところで挫けたら今までの努力が水の泡になる。私だけじゃない、みんなの努力を無碍にしてしまう。それだけは、それだけは絶対にしたくない。
「おえっ・・・血、止まらな・・・」
体の自由を奪われるような感覚、止まらない血、癒えない傷。割とまずい攻撃を受けてしまったようだ。足に力を入れてどうにか崩れ落ちないように踏ん張る。意識がとびとびになるのを抑え、どうにか目の前の状況を把握する。どうやら悪魔の力を取り入れすぎたのがここに来て私の体への負担を加速させているようだ。
ずるり、と。ケルベロスの中から腕が伸び、槍を引き抜く。ケルベロスの魔力が足りていないのか、否、あれは魔力で動く生物ではない。性質が異なる魔力、地獄の番犬は当然地獄の力で動くのだ。だから私に制御できるはずもない、目の前の獲物を食らい尽くし虚無の深淵に突き落すまで止まることはないはずだ。何故その中に取り込まれても動いているのか。
「かはっ・・・は、ふはははははは!!!最後の最後に運は私に回ってきたようだな!貴様の体から引き剥がすために使われた人形がこんなところで役に立つとは思わなかったぞ!」
声の聞こえる方向も正確にわからないが、これは紛れもなくヤツの声だ。どうやら人形の魔力を吸収する力がケルベロスの『暴食』の効力を打ち消しているようだった。人形一個分なら喰い潰せる計算だったはずだが、まさか計算が狂ったのか?それとも私の体から剥がすのに2個以上の人形を消費したのだろうか。
考えろ、人形ごと食らい尽くすにはもう遅い、ヤツの力は完全に人形と一体化している。私が力を吸われなかったのはそれと同等の力を借りていたからだ。しかし奴の内部の話になればそれは別、力の均衡が傾きケルベロスの力が上手く働いていないのだとしたら、それを釣り合せるだけでなく此方側に寄せなければならない。幸いにもケルベロスの力は働いており、ヤツが内部から出てくるには時間がかかりそうだ。それまでにこの劣勢を巻き返さなければならない。
まだ大丈夫、まだ戦える。先程まで優勢だったのだから、次は押し切れる。自分に言葉をかけ必死で奮い立たせる、そうしなければ今にも諦めてしまいそうだった。万策尽きたといっても過言ではないこの状況、さらにはそれを仲間に伝えようにも上手く声が出ない。
ここで終わり?
ここまで頑張ったのに?
死ぬ? 私が?
嫌だ。 助けて。 お姉さま。
誰か。 まだ死にたくない。
こんなところで終わりたくない。
「た・・・・すけ・・・・・・・・て・・・・・」
「霊夢、もう貴女しかいないの!リリィを助けて、お願い」
私の言葉に珍しく狼狽える霊夢。助けを乞うたのに、それとも私が頭を下げたのに驚いたのかはわからないがその顔は珍しく困っていた。
「助けてって言われたって、私もどうすれば・・・」
「これ、貴女に返すわ」
時間が惜しいので霊夢の言葉を遮る。私の手にある糸状の物を見てさらに霊夢が怪訝な顔をする。
「何よこれ」
「これは貴女の運命。私が紅霧異変の時に貴女から勝手に拝借したわ」
「人の物を勝手に盗るな」
「別に霊夢が例外じゃないわ、ここにいるほぼ全員の物は貰ってある。だけどあなたは特別、私の能力に縛られない・・・行ってしまえば運命に抗うことも簡単にできてしまうような存在。それが貴女の能力ゆえのものかはわからないけどね」
「・・・つまり何が言いたいのよ」
「簡単な話よ、私が持っていても意味がないから貴女に返すの。そしてあなたしかリリィを助けられないの」
悔しさで奥歯を噛み締めてしまう。私ではリリィを助けられない、その事実がいかに私やフランにとってつらい事か。それでも安っぽいプライドなど今は何の役にも立たない。藁にもすがる思いで霊夢に助けを乞うているのだ。
「・・・はぁ。いいわ、異変解決に行くのは結局私だし」
「異変って・・・」
「異変よ。
霊夢は特に気にすることもなく、怖気づくこともなく、淡々と語った。その無関心な性格も今はとても頼もしかった。
「へへっ、その通りだぜ。異変解決は人間の役目ってな」
「魔理沙、あんたは・・・」
「仕方ないから今回は主役を譲ってやる。でも手助けくらいは勝手にするぜ」
さっきまで怯えてたくせに、と霊夢におでこを突かれる。しかし魔理沙はとぼけてなんのことやらと目を逸らした。
「咲夜」
「もとよりそのつもりですわ」
私は咲夜の名を呼んだ。あそこまで大見得切られては咲夜も手伝いたいだろう。
空気を読んで私達が加わるのは良くないとそれぞれが一歩退いていく。私達にも出来ることはあるはずだ、全力で彼女達を助ける。
「スキマで貴方達を死角まで送り込むは。そこからは全力で暴れてきなさい」
「やってやろうじゃないか、なぁ?」
「リリィ様を助けるんだから、そんな軽い気持ちでは困るわ」
「お前は硬すぎるんだよ」
「ごちゃごちゃ言ってないで行くわよ、この異変を終わらせにね」
運命と宿命の違いとはなんだろう。私の基準で言えばレミリアお姉さまが干渉出来るかどうか。そして彼女の言葉を借りれば『変えられるかどうか』。決まってしまった未来のことを宿命と呼ぶそうだ。
もし宿命であるならば私は助からないのだろうか、いつも私は考えていた。スカーレット家が代々末妹を処分して進んできたことを知っていたからだ。私の未来もその宿命に縛られているんだろうかとどこか諦めている節もあった。それでも諦めなかったのは皆が私のために頑張っていることを知っていたからだ。
『絶対に諦めないで。運命は変えることが出来るのだから』
いつか私に向けられた言葉だ。それが運命だったならと考えてしまったあの時。私の未来はあの時に閉ざされてしまったのだろうか。
「霊夢、咲夜!しっかり捕まってろよ!」
上から魔理沙の声が聞こえる。虚無の中空を見上げると魔理沙と霊夢、そして咲夜が箒に跨っている。
「狭い!咲夜は降りなさいよ!」
「私だけ置いていく気?どこまで能力が通じるのかわからないのよ?」
「あーもうお前らうるせえ!」
ぼーっと見上げていたがその異常な事態に気付き我に返る。一体彼女達は何をしようとしているのだ、あまりにも危険すぎる。大声で止めようとしたが喉から空気が出ていかずに咳き込む。しかも私の失態のせいで目の前の敵に気付かれてしまう。
「何やらしようとしているようだな。まだ暗くて見当もつかんが、今更無駄なことだろうに」
くつくつと笑うサタンの声。完全に勝ち誇ったものの余裕を感じる。討つなら今しかないが私は全て手を出し尽くしてしまった。既にケルベロスの効力も尽き果てサタンが中から這い出してくる。
「おい!あいつ出てきたぞ!」
「何とかして避けなさい!」
「それこそお前の能力を使えばいいだろ!」
魔理沙の言葉が途中で途切れ、3人の姿が消える。タイミングよくサタンが振り向いた時だった。サタンが再びこちらを向いた時には既に目と鼻の先にお祓い棒を構えた霊夢が迫っている。
「『夢想封印』!」
目を覆う七色の光。いつもの弾幕ごっこの威力ではないそれは、地面を削り小さなクレーターを作った。
「霊夢!まだだ!」
「頑丈すぎるのよ!どうにかならないの?」
そうだ、あいつが人形から出てくればケルベロスで喰らうことが出来る。それが出来そうなのは最早彼女しかいない。瞬間的にのどに応急処置程度の魔法をかけて声を絞り出す。
「霊夢!人形から
「う、浮かせる!?」
可能かどうかもわからないまま最後の望みを霊夢に託す。霊夢の方も決意を固めたようで、サタンの方に向き直った。
「邪魔をするなら貴様からだ!」
「ちゃんと浮きなさいよ!『夢想天生』!」
サタンの手が伸びる前に霊夢のお祓い棒が体を突く。それと同時に人形から黒い煙が噴き出した。
「な、何ッ!?」
「後は任せたわよ!」
もし宿命という言葉があるとすれば、それは私達の中の諦念が生み出した言い訳でしかないのだと。もし運命という言葉があるとすれば、それは努力をしたものだけに感じ取ることが出来るのだろう。そしてそれは私の目の前にあるのだろう。
ケルベロスの魔力が足りていないようだが、餌ならここにいくらでもある。魔力純度の高い私の体を好きなだけ持っていけばいい。
「『暴食』のケルベロスよ、喰らい尽くせ」
私が命令を下した瞬間に私のもう一枚の翼がケルベロスへと吸収されていく。案外代償は少なくて済むようだ。私の翼を食い魔力を得たケルベロスの双眸が赤く光る。
「――――――――――――――。」
悲鳴も聞こえない、咆哮も聞こえない。全ての音が閉ざされたような世界で、私の―――――私達の戦いは終わった。すべて出し切った、魔力もしばらく回復しないし暫くはまともに活動することも出来ない。でもそれでいいんだ、これでやっと終われる。これで―――――――
「リリィ!」
その場に倒れこむリリィ。翼を全て失ってしまい、魔力も感じられない。死んでいるようには見えないので、きっと力尽きたのだろう。
「・・・やっと、終わったのね」
先程の禍々しい気配もすべて消え、辺りにはちらほらと小さい妖気を感じる。弱小妖怪は本能で強い妖怪から逃げる。それが戻ってきたことにより私達の戦いが終わったことを実感できた。尤も私達がいるので近くには来ないが。
「お姉さま!すぐに紅魔館に戻ってリリィを・・」
「そ、そうね。美鈴、任せたわよ」
「御意」
私の身長ではリリィを背負うことは出来ない。なので美鈴にリリィを背負う役を任せる。
「今から太陽光を遮断していた結界を解除するから気を付けてね」
「ああ、感謝するよ」
戦いが終わってそれぞれが解散していく。改めてたくさんの者に助けられた戦いであったことを感じさせられる。
「射命丸、帰還するぞ。それから・・・」
「はいはい、天魔様に報告ですね。わかってますよ」
天狗達もまた妖怪の山へと帰っていく。あの男は本当に回収に来ただけだったのだろう。そして・・・。
「リリィ、お疲れ様。今はゆっくり休みなさい」
一番頑張った妹へと思いを馳せ、私達もまた帰るべき場所へ歩いていく。