インフィニット・ストラトス ~迷い込んだイレギュラー~ 作:S-MIST
今のドイツにとって、ラウラ・ボーデヴィッヒは最重要人物の1人となっていた。
何故か? 理由は彼女がIS学園1年生の時に起きた2つの事件にある。1つは薙原晶が義妹達を引き取る遠因となった違法地下施設の件*1で、1つは
5年ほど前の話だが、そんな事件を立て続けに起こしたドイツは、国内外から相当に叩かれていた。当時どれだけ国内で粛清の嵐が吹き荒れ、どれだけ国外から叩かれて政治的・経済的ダメージを負ったかは想像に難くないだろう。特に渦中の真っ只中にあった政府や軍関係者にとって、あの記憶は強烈なトラウマとなっていた。
そしてラウラ・ボーデヴィッヒは元々、ドイツにとって最重要人物という訳ではなかった。軍人として優秀なのは事実だが、唯一無二という訳ではない。加えて
これが変わった切っ掛けは、彼女が卒業後の進路としてカラードを希望した事だった*3。政府や軍も当時の判断として悪くないと考えたので許可は下りたが、この時点でも方針は変わっていなかった。別命あるまでカラードに出向という形で、軍中枢に入れるつもりは欠片も無かったのだ。
全てが決定的に変わったのは、薙原晶からの連絡である。
『ラウラ・ボーデヴィッヒはIS学園卒業後、こちらで貰い受ける。そちらが本国のIS配備数を気にするなら、彼女の専用機は無くても構わない。こちらで用意する』
当時既に絶大な影響力を持っていた彼にここまで求められたのだ。差し出した方が遥かにドイツの為だろう。また彼の周囲には見目麗しくかつ優秀な女性が多い事から、埋もれない為の武器が必要と考えた者がラウラに対する将官教育を提案した。これは軍中枢への道を開く事と同義であるため当初の方針とは反するものだったが、同時にドイツ軍人をカラード中枢へ送るチャンスにもなり得るという判断から許可が下り、結果は大当たりであった。
IS学園卒業後に発表された人事で、ラウラ・ボーデヴィッヒに割り当てられた役割はカラード戦闘部門長。地球文明圏最多のIS保有数を誇る組織の武力を統括する立場だ。更にその後に行われた外宇宙ミッションで、カラードは宇宙文明ですら最高難易度と言われる惑星表面へのホットドロップ戦術*4を使える事が判明する。
今の地球文明では、決して防げない一手を命令出来る立場にドイツ軍人がいる。これは過去の失敗を帳消しにして余りあるものだった。無論、ホットドロップ戦術を使える潜行戦隊は薙原晶の強力な影響下にあるが、彼女が影響力を行使できる立場にあるのも事実だ。
このためラウラは出張などの所用でドイツに向かうと、最高待遇で迎えられるようになっていた。
尤も当人にとっては――――――。
(ふぅ。毎回思うが、ここまで丁寧にされると逆に疲れる)
(お前がそう言うって事はよっぽどだな)
(私としては一般的なマナーを守ってくれればそれで良いんだがな)
(お前から一般的なマナーなんて言葉を聞くと、ちょっと感慨深いものがあるな)
(茶化すな)
(悪い悪い)
ラウラは移動用の足兼ホテル代わりに使用している
そして晶の軽い返事を聞きながら、何となく壁に備え付けられている大きな鏡に視線を向けた。映し出されている自身の姿を見て思う。随分成長したものだな、と。昔は背も小さく起伏も少なかったのに、今では人並な身長と平均以上の起伏がある。お陰で性欲大魔神の相手が大変だが、求められて悪い気はしない。むしろもっと――――――と夜のアレコレで思考が脱線しかけたところで思い出した。コアネットワークが繋がったままなのだ。もし思考が漏れていたら、ベッドを共にした仲とは言え流石に恥ずかしい。
ラウラは取り繕うかのように尋ねた。万一に備えて確認しておきたい事があったのだ。
(と、ところでだ。1つ聞きたいんだが、良いか?)
(なんだ?)
反応がいつもと変わらない。良かった。多分、漏れてはいなかったのだろう。安堵しつつ、話を続ける。
(私はお前に貰われた身だから、もうどこまでも付いて行く気だが、黒ウサギ隊は今後どういう扱いになるんだ? 私自身が引き抜いてドイツにはカラード傘下で動く事を認めさせた*7が、もしドイツが何らかの理由で、強引に自国の部隊だと主張して撤収命令を出してきたら少々面倒な事になると思うんだが)
(ああ、それか。確かに向こうが強引に主張してきたら面倒な事になるな。だけど所属問題は最終的に本人達が何処に所属したいと思ってるかって話になるから、本人達がこっちに所属していたいって思うような環境とか福利厚生を作っておけば大丈夫じゃないかと思ってる。ほら、ウチって人材は人財として大事にするがモットーだから。で、だ。その一環として黒ウサギ隊には強化処置を提案しようと思っているんだが、後の事を考えると本当にやって良いのか迷ってる)
(一度処置をしたら、実質祖国には戻れなくなるからか?)
カラードの中核メンバーには、強化処置がどんなものかが知らされていた*8。強化段階により差異はあるが、思考能力や身体能力が向上して健康寿命が延びる。数百年単位で。外見も殆ど変わらなくなる。地球の歴史で数多の人間が夢見た不老と言って良いだろう。今後10年以内に公開予定とは聞いているが、技術の公開ではなく、「こういう事が出来ますよ」という結果の公開なのだ。となれば成功例を拉致して、人体実験をして技術解明しようという輩が出てくるかもしれない。いや、必ず出る。もし拉致されずに過ごせたとしても、長い時間が経てば他人との違いから気付かれるだろう。そうなれば結局危険が迫ってくる。こんな未来が容易に予測できるだけに、安全に暮らしたいなら生活環境の確保に力を入れているカラードの元に居るしかなくなる。強化処置を受けた時点で、選択肢などないのだ。
(そうだ。帰れても護衛付きの一時帰国が精々だろう。祖国に帰ってのんびりとした老後を過ごす、なんて事は出来なくなる)
(整備艦の修理チームには、確かAV-98イングラム*9を張り付けているんだったか?)
(1人につき1機な。後はアーマードヘッドシリーズ*10をチームに数機配備して、本社から遠く離れる時に連れていってもらうようにしている)
(同じ対応をしてくれるなら、私としては良いと思うぞ)
随分アッサリした返答に、晶は思わず聞き返してしまった。
(良いのか?)
(元々特殊部隊の隊員というのは、何かにつけて狙われ易い。機密情報に触れやすい立場と仕事だからな。それにあいつらは、機密の塊であるアリコーンに乗せられる面子として知られてしまっている。もうどう足掻いても、何の護衛も無しに平穏無事な人生なんて無理だろう。だからむしろ、強化処置まで行ってしっかりとカラード傘下に組み込んでくれ。その方が安全だ)
ラウラの言葉に、晶は暫し考えてから答えた。
(………そうか。分かった。説明は俺の方からしておこう)
(いや、私が)
(いいや。ある意味で人間を止めてもらう上に、これから先の人生全てをカラードに捧げてもらう事になるんだ。俺から説明するのが筋だろう)
かつて自分を育ててくれた仲間達に、誠意を持って接してくれる。嬉しくない筈がない。だからラウラは、思った事を素直に口にした。
(ありがとう)
(言ったろ。人材は人財として大事にするって)
ラウラは思った。こういう対応が出来る男を良い男というのだろう。いや、だろうではない。実際良い男だ。漢気も甲斐性もある。何せ「身一つで来たって大丈夫」と言ってくれたくらいだ*11。何度思い出しても嬉しくて頬が緩んでしまう。もしかしたら赤くなっているかもしれない。誰かに見られたら恥ずかしいが、此処は個室で誰もいないのだ。取り繕う必要も無ければする気もないので、もっと考えてしまう。昔の私は、求められるのがこんなに嬉しいだなんて知らなかった。もっと求められたい。役に立ちたい。その為に明日もしっかり頑張ろう――――――と気持ちを入れ直したところで、とある可能性が脳裏を過ぎった。漢気も甲斐性もある男がモテるのは当然のこと。そして黒ウサギ隊は女性のみで編成された部隊で、見た目も悪くない。まさかあいつら、ちょっかい出したりはしないよな? あいつは愛多き男で据え膳は頂く人間だが、逆は駄目だ。私の時間が減る。少しばかり考えた彼女は、珍しく独占欲溢れる決断をした。
この後2人は暫し雑談を続けてから、通信を終えたのだった。
◇
翌日。雑談のお陰かよく眠れたラウラは目を開けると――――――何故か笑顔の束博士の顔がドアップだったので速やかに二度寝を決め込んだ。有り得ない。夢だろう。
「こら。私を前にして二度寝とか良い度胸してるじゃない」
ビシッ!!
額に衝撃。デコピンだろうか? 意外と冷静にそんな事を思いながら目を開けて体を起こすと、やっぱり束博士だった。夢じゃなかったらしい。同時にセキュリティは? と思うが相手が相手だ。考えるだけ無駄だろう。
「あの、どのようなご用件でしょうか?」
強襲された理由が分からないので、取り合えず確認してみる。最近、失点らしい失点は無かったはずだが………。
すると意外な返答だった。
「最近頑張ってるみたいだからね。ご褒美をあげようと思って」*12
ニコニコと良い笑顔の束博士。何故か苦労しているセシリアを思い出したが、深くは考えないでおく。
「いえ。仕事ですので」
咄嗟に職務に忠実なだけ、という事をアピールしておく。しかし逆効果だったようで、ウザ絡みされた。
「え~、ラウラは私からのご褒美なんて要らないって言うんだ。ふ~ん」
「い、いえ。そういう訳ではなく」
何と言うべきだろうか? 良い言葉が思いつかず若干焦り始めたところで、束博士は笑い出した。
「ふふ、アハハハハハ。冗談だって。今の君に、そんな事で怒ったりしないよ。で、話を元に戻すけど、何か欲しい物とかってある? ご褒美をあげようと思って来たは良いけど、何が良いのか今一つ分かんなくてさ。どうせなら聞いちゃえと思って」
いきなり言われたところで出てくるものでもない。しかし頼まないというのも………と思い考えを巡らせて、思いついた。
「では、お願いがあります」
「何かな?」
「束博士の口からドイツに、今後黒ウサギ隊の所属については一切触れないように、と言って欲しいのです」
「あれ? その件ってもう晶と話がついてなかったっけ?」
「確かに話しましたし、仲間の事を考えた対応をしてくれています。ただ束博士の言葉があればより完璧で、今後所属問題が口にされる事もなくなるでしょう」
束は暫し考え、確認した。
「本当に、そんなので良いの? 晶は黒ウサギ隊を手放す気は無いって言ってたし、今後実績が積み上がれば既成事実化するから難癖もつけられなくなる。だからあんまり、賢くない使い方だよ」
「不安の芽を完璧に摘んでおきたい。それだけです。私自身に必要な事は、私自身でどうにかします」
「分かった。じゃあ、今日はラウラに付いて行こうかな」
今日の予定は朝から
「あの、これから着替えるのですが」
「ん? そうだね。女同士でしょ。気にしない気にしない」
部屋から出て行く気は全く無いようだった。むしろ、じーーーーーーーっと見られている。
仕方ないのでそのまま着替え始めると、束博士が喋り始めた。
「あ、私が作った下着、着てくれてるんだね」
「肌触りも着心地も良いですし、しっかりとホールドしてくれるので動き易いんです」
色は銀髪と白い肌に映える黒だがシースルーな部分もあり、上品に魅せつつもセクシーという一品であった。そして寝る時は外していたが、ガーターベルト&ストッキングもセットである。
「うんうん。流石は私。良い仕事してる」
こうして見られながら
◇
一方その頃。
大統領と会談予定だったラウラ・ボーデヴィッヒから、篠ノ之束博士が同行するという連絡があったからだ。喜ぶか恐れるかは人それぞれだが、粛清の嵐を経験している者達は後者であった。そして現大統領も後者である。あの時は別の立場だったが、国内がどれほど荒れたかは今でも鮮明に覚えている。むしろ忘れられない。
しかし非常に不本意ながら、アレがあったからこそ政財界で蠢いていた様々な―――ドイツにとっての―――不安要素を一掃出来たというのも事実だった。本当の本当に不本意な例えだが、一切合切を焼き払う浄化の炎だった、と言っても良いかもしれない。
大統領が執務室でそんな事を考えていると、部下から連絡が入った。2人が官邸外門付近に到着したのだ。椅子から立ち上がり、姿見でネクタイを確認して、出迎える為にロビーへと向かう。既に背中は冷汗でびっしょりだ。こんなに緊張しているのはいつ以来だろうか? もしかしたら初めてかもしれない。それほどの緊張感を持ってロビーに足を踏み入れれば、既に官邸に勤める職員達が出入口の左右に分かれて、一糸乱れぬ直立不動の姿勢で並んで立っていた。どうやら緊張しているのは自分だけでは無かったらしい。
ドアが開けられ、2人が入ってくる。先にラウラ・ボーデヴィッヒ、次いで篠ノ之束博士。
大統領は声が震えないように注意しながら口を開いた。
「ようこそおいで下さいました。篠ノ之束博士。ラウラ・ボーデヴィッヒ戦闘部門長」
すると束博士が口を開いた。
「出迎えありがとう。で、始めに1つ言っておこうかな。今日の私はラウラにくっついて来ただけだから、メインは彼女だよ。間違えないようにね」
「分かりました。――――――では、応接室にどうぞ」
大統領の案内に2人が続いていく。
因みに政治家特有のポーカーフェイスで涼しい顔をしている大統領だったが、脳内は超高速回転中だった。考えているのはたった1つ。束博士は何故来たのか? まさか、また国内で何かあったのだろうか? いや、大丈夫なはず。少なくとも束博士の逆鱗に触れるようなものは徹底的に潰してきたはず。大丈夫、何も無いはず………と脳内であらゆる案件を思い返していく。恐らくこの数年で、一番脳みそを働かせているだろう。
そして後ろに続くラウラも涼しい顔をしていたが、こちらも内心では気が気ではなかった。何せ遥かな上位者である束博士本人が、主たる交渉相手はラウラだと宣言してしまったのだ。下手な事を言えば後で何を言われるか分かったものではない。なので今日話す予定だった内容や関連する周辺事情を、もう一度頭の中で思い返していく。思考加速まで使って念入りに、だ。
ラウラの隣を歩く束はお気楽なもので、次は何処の星に行こうかなぁ~等と考えていた。頼まれた事は会談の一番最後に言ってあげるつもりだが、それ以外で何かを言うつもりは無いのだ。
こうして随分と温度差のある3人が応接室に入ると、ハーブティーが運ばれてきてそれぞれの前に置かれる。給仕が退室したところでラウラと大統領の話し合いが始まり――――――拍子抜けするほどアッサリと終わった。
元々話し合う内容が伝えられていたというのもあるが、当事者達の心情として、束博士の前で下手な駆け引きなどしたくなかったのだ。
最後に、大統領が確認する。
「………これで予定していた内容は終わったと思うが、他に何かあるかな?」
ラウラが答える。
「いいえ。私の方からはありません」
今回決まった内容はカラードが紛争・貧困対策の一環として介入している地域の1つ、イエメンへのドイツ軍駐留についてだった。
同地域はアラビア半島南西部に位置している国で、紅海に面している。そして紅海はスエズ運河に繋がっており、この航路は世界全体の貿易量の約10%、年間約1万7000隻の船が通る世界貿易の要所だ。しかし世界貿易の要所でありながら、狭くて逃げ場の無い紅海は海賊にとって絶好の狩り場でもあった。
このためカラードは介入活動の一環として、同地域の海賊狩りを行っていた。安全な交通なくして地域の安定は有り得ないのである。また本気で介入すると決めたカラードの対応は、これまで多くの国が行ってきた軍艦を派遣して海上警備だけを行う、という場当たり的なものではなかった。
イエメンという国そのものを作り直すかのような大規模介入だ。
戸籍管理、食料供給、生活インフラ、教育者が働ける環境、工場・港・空港の建設で持続的な雇用の創出等々。長い時間はかかるが誰かがやらねばならない社会基盤を作り、海賊が生まれやすい環境そのものを潰していく。同時進行で他企業との取り引きで灯台兼防衛用兵器として巨大兵器の一種であるL.L.L*13を投入して、近隣を通る船の誘導や海賊の活動に目を光らせる。更に港と空港にはセントエルモとRAIJINが配備され、制海権と制空権ががっちりと確保されていた。また巨大兵器だけでは小回りが利かないため、
誰が聞いても思うだろう。如何にカラードとは言え無茶だ。コストとして重過ぎる。しかしカラードから発表された企業としての収支報告は、黒字であった。イエメンと同規模の介入を他に4ヶ所も行っていながら、なお黒字である。流石に利益率は下がっていたが、赤字になっていないという事実に各国は焦りを見せ始めた。赤字になっていないという事は持続可能という事で、もしこのままカラード介入地域の復興が軌道に乗れば、今まで何をしてきたのかと思われかねないからだ。人によっては面目丸潰れと思うかもしれない。
そしてこういう時に一番簡単なのは足を引っ張るための
幾度かの事前交渉が行われ、本日の結果をもってドイツ軍はイエメンへの駐留が可能になったのである。
因みに本当であればこれらの交渉はイエメンとの間で行われるべきものだが、事実関係はどうであれ、イエメンとその他4つの介入地域は既にカラード直轄領と見られていた。
―――閑話休題。
「そうですか。では………」
大統領の視線が束博士に向けられる。ラウラの隣にいながら一言も喋っていなかったので、何かあるだろうと思ってのことだ。すると、予想通りだった。
「私が今日此処に来た理由は1つだけでね。ドイツは今後、ここにいるラウラ・ボーデヴィッヒと黒ウサギ隊について、所属に関する一切を主張しないで欲しいんだ。ラウラと黒ウサギ隊に関する全ては、今後カラードで面倒を見るから。――――――ああ、彼女らが持っているISコアについては、代わりの分をちゃんと上げるから心配しなくて良いよ。ついでに、そうだね。中継衛星をもう1機投入しようか。何か問題はあるかな?」
黒ウサギ隊には元々ISが3機配備されていた*15。所属変更でドイツから無くなる分を全て補充してくれる上に、製造業の多いドイツにとって電力確保は経済に直結する問題だ。そこに対する支援もあるとなれば、断る理由は無い。加えてトップ会談で決まったという事は、この電力確保は大統領だけの得点にもなる。笑顔で送り出すのが最善だろう。
「問題ありません。レクテナ施設の建造場所は後日連絡という事で宜しいでしょうか?」
「決まったらラウラに伝えて。その後の事はウチの電力部門でやるから」
「分かりました。では早急に決めて伝えたいと思います」
こうしてラウラ・ボーデヴィッヒと黒ウサギ隊は、名実共に完璧にカラードに引き抜かれたのだった。そしてドイツの大統領は、この引き抜きを前向きな意味で利用した。国民に向けて、こう発表したのである。
『ドイツ国民であるラウラ・ボーデヴィッヒと黒ウサギ隊の面々に関する戸籍情報の管理は、今後カラードが行う事となりました。これは将来発足するであろう統一政府に向けた試験的な取り組みです。ただ、多くの人は思うでしょう。戸籍管理なら自国でやれば良いだろうと。私もそう思っていました。ですが考えてみて下さい。人が
政治家にとって権利を蔑ろにする行動というのは、どんな理由があっても支持率を直撃する行動の1つだ。しかし今回は、極々小さな反発で済んでいた。理由はトップ会談で得た、中継衛星の追加投入にあった。1機で
◇
数日が経った頃。いつものリアルタイム配信されている会談で議題に上がっていたのは、束博士が先日申し込んだ案件についてだった。人員不足となっている保護惑星に、文明間協力と部下達に経験を積ませる目的で穴埋め用の人員を派遣したい、という内容で提案した時の感触は良かったのだが――――――*16。
『先日束博士が提案してくれた人員派遣ですが、本星に確認したところ少し事前学習をして欲しいということでした』
“獣の眷族”から地球に派遣されている大使、スノー・テールの言葉は感触とは違うものだった。しかし事前学習という事は、単純な拒否という訳ではなさそうだ。いや、事前学習というのは単なる建て前で、やはり来るなという事だろうか? 束が両方の可能性について考えていると、好意的な言葉が続けられた。
『先に言っておきますが、来るなという訳ではありません。むしろそちらの質を考えれば、一時的な穴埋め要員としてすぐに来て貰うよりも、ある程度仕事に必要な事を覚えてから来てもらった方が良いだろうという判断です。なので、派遣用の人員にこちらを渡して下さい』
束の元に文章ファイルが送られてきた。“獣の眷族”が使う言語の原文ままのものもあるが、ご丁寧に日本語、英語、ドイツ語など幾つかの言語に翻訳されている。内容にサッと目を通せば、保護惑星にいる生物の生態や発見した時の対応方法、違法ハンターを発見した時の対応方法など、確かに協力する上で知っていた方が良い内容が書かれていた。
そしてこういう物を渡されるという事は、命令を聞くだけの末端ではなく、ある程度自己判断で動く事を期待されているのだろう。
『評価してくれているのですね。ありがとうございます』
『これまでの外宇宙ミッションで、評価するに足るだけの結果を見せてくれたからです。今後とも、宜しくお願いしますね』
『こちらこそ、宜しくお願いしますね』
お互いがニッコリと微笑み合う。
因みに人類が“獣の眷族”の存在を知った当初のことだが、外見的特徴として神話や伝承に存在するような、獣の特徴を色濃く残した獣人を想像する者も多かった。しかしスノーが会談の場に姿を現すようになって以降、それは徐々に修正されていった。何せ彼女は人類の美的感覚に照らし合わせても、十分過ぎる程に美しいのだ。優し気な目元。頬から顎先にかけての整った鼻梁。長くクセの無い白髪。すらりと伸びた四肢。白と青を基調とした綺麗な着物。洗練された所作。頭部にある白い狐のような耳と背後の尻尾が無ければ、異文明の者とは分からないだろう。
今では
そしてこの会談に参加しているもう1人、“首座の眷族”の辺境議員アラライル・ディルニギットも十二分に整っている容姿と言えた。ただしスノーのように美しいではなく、ナイスミドルな渋さだ。金髪碧眼。地球人の年齢で考えるなら40歳後半程度の外見。細部に独特な意匠のあるグレースーツのような衣装。背筋は伸びていてスマートな印象を受けるが、良く見れば鍛えているだろう体格をしている。オジサマ好きには堪らないだろう。
2人の話が終わったところで、アラライルが口を開いた。
『束博士。こちらからも宜しいですか』
『なんでしょうか?』
『話は変わるのですが、カラードの隊員が身に着けていて、かつ機密レベルの高くない物、というのはありませんか?』
束が妙な質問だと思っていると、アラライルが事情を話し始めた。
『第3回外宇宙ミッションで救出された者の中に子供がいたと思いますが、その、何と言いますか、憧れと言ったらいいのでしょうか。同じ物を持っていたいと思ったようでして』
悪く言えば、公開されている席で尋ねる内容ではない。だが良く言えば、こういう事が言える程度には友好関係を築けているという証でもあった。そして束と、いつも通り斜め後方に立っていた晶は思った。地球の子供も
束が答えた。
『なるほど。ただ各個人によって持っている物は違うので………そうですね。社章をワッペンやキーホルダー、ネックレスなどにして送るというのはどうでしょうか。そうすれば、見る度に憧れてくれたシーンを思い出せるのではないかと』
『宜しいのですか?』
『構いません。送る数や作る材質については後ほど教えてもらうとして、届け先はそちらのスターゲート防衛艦隊*17で良いでしょうか?』
『はい。感謝します。子供達も喜んでくれるでしょう』
『いえ。やった結果が喜ばれる。憧れてくれるというのは嬉しいものですから』
こうして今回の会談は、ほのぼのとした雰囲気のままに終わったのだった。
◇
時は2週間ほど進み、カラード格納庫。
強化処置を施され事前学習に取り組んでいた黒ウサギ隊パワードスーツ部隊の面々は、キサラギから送られてきた挑戦状のようなパワードスーツを前に獰猛な笑みを浮かべていた。
型式番号はTYPE94-1C。日本名は
原型機となったTYPE94 不知火に対して、稼働時間の減少を容認する代わりに性能を向上させたタイプだが、技術のキサラギもとい天下のHENTAI技術者集団が外宇宙ミッションを見据えて弄り回した機体だけに、随分と尖った仕様に仕上がっていた。まず改善点として、フレーム、各部のアクチュエーター、装甲材質、電子部品、搭載バッテリー、跳躍ユニットといった各部をアップデートして基本性能を向上させた上で、原型機に搭載されていたエネルギーシールドの性能が強化されていた*18。これにより生存性が大幅に向上していたのである。また出力の増加によりレールガン系の武装も使用可能となったため、火力も大幅に向上していた。
しかしエネルギーシールドの強化やレールガン系の武装は予想以上の稼働時間低下を招き、原型機と比べて70%にまで低下してしまっていた。しかもエネルギーシールドやレールガンを使えば使うほど短くなっていく。背部兵装担架に外部バッテリーを搭載する事である程度は改善するが、何が起きるか分からない戦場で予備兵装が減るというのは考えものだろう。しかし欠点を腕でカバーできるパイロットにとっては、間違いなく強力な機体であった。
因みにHENTAI技術者集団の開発方針は、人間の限界に挑戦するようなカリッカリの調整をして、そこから逆算して普通のパイロットが使えるような性能にする、であった。テストするなら限界までブン回してくれの精神である。
「あんのメカヲタども。随分な機体を送ってきたわね」
「典型的な腕があれば強い。じゃなきゃ弱い機体よねぇ」
精鋭である黒ウサギ隊にとって、これはまさしく挑戦状であった。仕様書には色々書かれているが、「乗りこなせるなら乗りこなしてみろ」という言葉が聞こえてくるようだ。
指揮官であるクラリッサ・ハルフォーフがこの場にいないため、副官が命令を下す。
「総員。すぐに
「「「了解!!」」」
こうして着替えた黒ウサギ隊の面々が再集合したところで、晶・ラウラ・クラリッサが格納庫に入ってきた。3人とも
「お、搬入されてたみたいだな。これから慣熟訓練かな?」
気さくな態度で近づいてきた晶に、先程命令を下していた副官が敬礼をしながら答えた。
既に
「ハッ。これから各人で軽く流したあと、JIVESで仕様通りの性能か確認するところであります」
「そうか。じゃあちょっと見ていこうかな」
時計を見て余裕がある事を確認した晶は、強化処置を施された彼女らの腕が、どの程度なのか見ていく事にした。因みに言い出した当人は彼女らの腕を疑っていないので本当に只の見学のつもりだったが、見られる方にとっては気が引き締まる思いだった。何せ
こうして始まった
そして結果を見た晶の感想は、これまでに確認されている戦闘用ドローンなら何とかなる、低レベルな生体装甲でも戦術を徹底すればいけるだろう、だが中級以上の生体装甲とやりあったら全滅覚悟、というものだった。予測値でシミュレーションをしているので違う部分もあるだろうが、甘い見積もりは厳禁だ。加えて言えば強化した黒ウサギ隊のパイロット+現段階で最新型の
他に、何か検討する事はないだろうか? 晶が考えを巡らせていると、JIVESを終えた黒ウサギ隊の面々が近づいてきた。
「どうしたんだ?」
何かの報告であれば副官だけで良いはず。全員で来たということは、何か問題でもあったのだろうか? 幾つかの可能性が脳裏を過ぎるが、いずれも確率としては低そうだ。なんだろう?
そう思っていると隣に控えていたラウラが口を開いた。
「あいつらから、お前に言いたい事があるそうだ。聞いてやってくれ」
「言いたい事?」
すると全員が一糸乱れぬ姿勢で整列。敬礼してから先程話した副官が前に出てきて口を開いた。
「お時間を頂きありがとうございます。既にラウラ・ボーデヴィッヒ戦闘部門長とクラリッサ・ハルフォーフ部隊長から聞いているかもしれませんが、私達からもお礼の言葉を言わせて頂きたく思います」
「お礼? まぁ、取り合えず楽にしてくれ」
晶は内心で首を傾げつつ、敬礼の姿勢を解かせた。こんなに仰々しくお礼をされるようなことなどあっただろうか?
「はい。引き抜いた私達の立場を確定させてくれたこと。他の何処でも受けられないような福利厚生をもって迎え入れてくれたこと。実戦部隊である我々に最高の装備を与えてくれていることです。一番社長にお時間を使わせなくて済むタイミングをラウラ戦闘部門長に相談したところ、来られたタイミングでなら大丈夫とのことでしたので、今言わせて頂きました」
確かにドイツの特殊部隊だった頃よりも、給料も装備も福利厚生も相当に良くしていた。人材は人財として大事にする主義だし、今後色々やってもらうつもりなのだ。待遇をケチッて不安の種にはしたくない。――――――と、晶の立場からしてみれば、引き抜いた人材を有効活用する為の高待遇と言えた。ラウラが安心して使える部下という事で多少(?)色目をつけたのは否定しないが、これまでの働きを見れば十分高待遇に値する人材だろう。なので余り特別な事をした、という意識は無かった。
しかし黒ウサギ隊の面々は晶が思っている以上に高待遇だと思っていた。給料が相当に上がっている、というだけではない。実戦部隊である彼女達にとって優れた装備の支給と太い兵站がある組織というのは、どんな口説き文句よりも雄弁に「人材は人財」という方針を理解させるものだったからだ。また実戦部隊である以上は怪我と常に隣り合わせだが、約束された福利厚生には部位欠損時の再生医療すら含まれていた。サイバー技術を用いた義肢*21ではなく、生身の肉体の再生である。今の篠ノ之束なら健康体という設計図があるなら、欠損部位の再生など造作も無いのだ。
そしてこれほどの待遇で迎えてくれたなら、指揮官クラスだけでなく隊員からも言葉があるべきだ、という考えからの行動だった。後はミッションを完遂する、という結果で応えて行けば良い。
晶が答えた。
「ああ、そういうことか。期待しているから相応の待遇で迎え入れただけのことだ。そして今の訓練を見ていて思ったよ。引き抜いたのは間違いでは無かった。今後も精進していってほしい」
全員が一糸乱れぬ敬礼をもって答えた後、晶が再び口を開いた。
「ラウラ、クラリッサ。もう少し部隊の訓練を確認したら、後で報告してくれ。俺は先に戻る」
2人が了解の意を返すと、晶は踵を返してこの場を後にした。
すると黒ウサギ隊の面々しかいなくなったせいか、空気がフッと和らぐ。
隊員の1人が口を開いた。
「新しいボスって、さりげなく気遣いが出来る人なんですね。尤もらしい命令を出して私達だけにしてくれるなんて」
「訓練はスーパーハードだけどねぇ」
「前に一方的にボコられたの、未だに夢に見るんだけど」
「ブリュンヒルデとのコンビとか反則でしょ」
「でも強くて気遣いできる人って良くない? 私、新しいボスにだったらつまみ食いされても――――――イタタタタタタタ!!!!!! ラウラ部門長、痛いです!!!」
ラウラはつまみ食いされても良いと言おうとした隊員の顔面をアイアンクローしていた。割と本気で。
「余計な事は考えない方が身のためだぞ」
あいつの隣も周囲の席も既に埋まっているのだ。これ以上増えたら私の時間が減る!! 仲間とは言え、それは許せん。
凍てつくような視線に即座に黙る隊員達。だがラウラのこの行動は悪手も悪手だった。これまでこの手の話にはとことん無頓着だったラウラがこんな対応を見せたとなれば、色々妄想しない方がおかしいだろう。しかも女性ばかりの部隊で、この手の話に飢えている。妄想が妄想を呼び際限なく膨らんでいく無限ループだ。
実際、今日この時この瞬間以降、ラウラのいない場所で隊員達はラウラと新しいボスの関係をネタにして楽しんでいた。更に言えば時折クラリッサからもたらされる情報、「ボスの前では笑っていた」「最近さり気なくおしゃれになってきている」等の燃料が投下されればもう止まらない止まらない。昔のラウラを知るだけにノンストップである。だが決して侮っている訳ではなかった。昔の軍人である事が全てだった彼女が、良い意味で変わったと喜んでいるからこそなのだ。
因みに紳士諸君には全く(?)関係無い事だが、現実は隊員達の妄想よりもずーーーーーっと、アレである。
第207話に続く
ラウラと黒ウサギ隊は今後、ドイツ国民というよりもカラード統一政府の国民という扱いになっていくので、国籍の枠に縛られ辛くなりました。完全に無視できる訳ではありませんが、大分動き易くなるかと思います。
そして実を言うと作者的にも今回のドイツの動きは意外だったりしました。作者のクセに何言ってんだと思われるかもしれませんが、キャラクターが動くというか、場面がキャラクターを動かすと言いますか、当初の予定にはありませんでした。漠然とこの手の動きを一番始めに行うのは、更識が政権中枢に食い込んでいる日本だと思っていたのですが、ドイツが先行する形となりました。さて、この後はどうなっていくのやら………というところでしょうか。