インフィニット・ストラトス ~迷い込んだイレギュラー~ 作:S-MIST
夏休み。とある日の夕方。
斜陽に照らされた人気の無いアリーナに、シャルロットは一人佇んでいた。
その表情にいつもの優しげな微笑みは無く、あるのは硬く閉ざされた、無感情な表情だけ。
呼び出された理由は既に分かっていた。何せ今まで全く接点の無かった相手、IS学園生徒会長直々の呼び出しだ。
タイミング的に要件は、先日会社から下りてきた命令以外に有り得なかった。
だからシャルロットは、心の中でそっと諦めの溜息を吐いて空を見上げた。
(………終っちゃったなぁ)
会社が自分を餌にしようとしているのは分かっていた。
統合防衛計画“イグニッションプラン”に乗り遅れたフランス政府が、何を期待して黙認しているのかも。
“天才”篠ノ之束に繋がる薙原晶を篭絡し、有用な技術を入手する。仮にそれが出来なくとも、
そんな事は分かっていた。他の国だって似たような事を考えているだろう。
だがそれを汚いと言うつもりは、シャルロットには無かった。人にはそれぞれ事情がある。世の中が綺麗事だけで回っていないのは、良くも悪くも大好きな母親が教えてくれた。
だから今シャルロットの胸中を占める感情は、善も悪もなく、ただ残念というものだった。
皆で過ごす楽しい時間が無くなってしまう。それが、只ひたすらに残念でならなかった。
そしてふと、シャルロットは自分が男装をしなくて良くなった切っ掛け、薙原晶の事を思い出した。
彼はハニートラップという命令をどう思うだろうか?
知られたら、薄汚い商売女と思われてしまうだろうか? もう見向きもされなくなってしまうだろうか?
そんな嫌な思考に陥りかけた時だった。
呼び出した張本人、更識楯無が現れたのは。
「はじめましてこんにちは。自己紹介は必要かしら? フランス代表候補生のシャルロット・デュノアさん」
この一言で、シャルロットは既に逃げ道が無い事を悟った。
わざわざこの場で“代表候補生”と言ったのだ。
以後の発言は、そういう立場の人間が言った言葉として扱うということ。そして噂に聞く生徒会長なら、全ての下調べは済んでいるだろう。つまり嘘や誤魔化しは、一切通じないという事だった。
「いいえ。必要ありません。IS学園生徒会長にして現ロシア代表、更識楯無さん」
「余計な手間が省けて何よりだわ。――――――ところで、呼び出された理由は分かっているのかしら?」
あくまで穏やかに、ニッコリとした微笑みで問う楯無。
だがその裏側に隠されているのは、獲物を前にした肉食獣のそれだった。
「それは………」
返答に困るシャルロットに、更なる言葉が投げかけられた。
それは優しい同情の言葉。
「酷い話よね。貴女はあんなに頑張って、勉強して、優秀な成績を残して、第三世代機相手に第二世代機で渡り合うという不利すら跳ね除けて今の立場を築いたのに、本国にいる人間はそれを理解してくれない。今の立場がどれ程得難いものかを全く理解していない。ただお金になる情報を上げてこないというだけで、それ以上のものを既に得ているという事に気付いていない」
無論楯無に、本心から慰める気など無かった。
ただ人間は秘密を持ってしまった時、無意識に理解者を求める。
誰かに話して楽になりたいという心理が強く働く。勿論全ての人間に当て嵌まる訳では無いが、そういう反応を示す人間がいるのも確かだった。
では、シャルロットの場合はどうだろうか?
成績優秀、容姿端麗、性格は穏やかで社交性もあり、ISパイロットとしての腕も悪く無い。むしろ第三世代機がひしめく専用機持ちの中、只一人第二世代機でついていってるのを考えれば、間違いなくトップクラス。
そんな彼女が、ハニートラップなんて命令を受けたらどう思うだろうか?
仮に実行したら、今まで築きあげたもの全てを失いかねない無謀な命令だ。
当然葛藤があるだろう。だが受けた命令故に、誰にも相談出来ない。
そうして心に溜まっていったストレスは、彼女のような多感な年頃なら、必ず理解者を求めさせると楯無は読んでいた。
そして、それはその通りだった。
吐かれた言葉は、麻薬のような甘美さをもってシャルロットの心に染み込み、心の奥底にしまい込まれていたはずの、本音の一端を引きずりだす。
「僕は、ちゃんとやっている。なのに・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・」
「ええ。私は良く分かっているわ。今の1年生の専用機持ちがチームとして機能しているのは、貴女のおかげだもの。大体皆、人を見る目が無さ過ぎるのよ。確かに何かと注目されるのは、あなた方を鍛えた薙原晶と直弟子である織斑一夏。だけど、専用機持ちがチームとして機能するのは貴女のお蔭。皆が仲良くやれるように気を使い、仲を取り持ち、実力を発揮出来るようにサポートする。誰にでも出来る事じゃないわ。私が貴女の敵なら、真っ先に狙うのは間違いなく貴女。現ロシア代表の私にそう言わせるくらい、貴女は良くやっている。――――――でも、本国の人間はそれを理解していない。勿体無いわよね。あの命令は、そうして築き上げた全てを台無しにするのに」
そうして漏れた言葉に更なる理解を示す事で、楯無は自身を味方だと錯覚させていく。
「・・・・・・・・・分かってくれる人も、いるんですね」
俯きながら答えたシャルロットの声は、普段からは考えられないほど沈み込んでいた。
「勿論よ。というかフランス本国の人達って、何でこんな簡単な事が分からないんでしょうね。ねぇ、どうしてだと思う?」
ここで楯無は力強く肯きながら同意。
更にこの一件の原因を考えさせる事で、思考の誘導を始める。
恐らく本人が、意識的に考えるのを避けていた部分へと。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
沈黙。だがそれは、楯無にとっては理解しているというサインに他ならなかった。
何故なら、言えるはずがないからだ。
聡明なシャルロットが、今の立場と状況を理解していないはずがない。
ここで答えてしまえば、身辺に問題を抱えているというのが知られる事になる。
言葉を濁すという選択肢も無くはなかったが、現在の理不尽な状況を強く認識させられ、自由な発想を奪われているシャルロットに、“人たらし”とまで言われた百戦錬磨の実力者、更識楯無とやりあえるような台詞は浮かんでこなかった。
故に続く言葉は遮られず、シャルロットの思考を誘導し続ける。
「仮に貴女の生まれが真っ当であったなら、こんな命令を受ける事なんて無かったでしょうね。貴女は優秀なのだから。でも実家に居座るのは、金で本妻の座を奪い取った無能者とその子供達。悔しくない?」
今回楯無がシャルロットを即刻排除しなかった理由は、何も報告を受けた時に機嫌が良かったからだけでは無かった。
フランスから彼女を切り離し、こちらの手駒とする為に丁度良かったからだ。
何せ彼女はスパイとなる為の条件を完璧なまでに備えている。本人はこの上なく優秀。親しい身内はいない。代表候補生という立場にも関わらず、母親が愛人という悪条件の為に祖国での扱いはそれほど良くない。
少しばかり理性のタガを外させ、祖国以外に拠りどころとなるものを作ってしまえば、恐らくは簡単に“墜ちる”。
楯無はそう読んでいた。
「悔しくなんか・・・・・・・・・・・・」
無い。
シャルロットは、その最後の一言が言えなかった。
一度だけ本邸に呼ばれた時の、本妻の言葉が脳裏を過ぎる。
―――この泥棒猫の娘が!!
そして殴られた。
今まで心の奥底に、必死に押し止めていた感情が沸き上がってくる。
あんな人の為に僕は友達も立場も、
嫌だ!! そんなのは嫌だ!!
言葉巧みに思考が誘導されているとも気付かず、彼女の思考はそこへと行き着いてしまった。
だがここで、イレギュラーが発生する。
この場に乱入者が居なければ、楯無の目論見通り、シャルロットは都合の良い手駒に成り下がっただろう。
しかし下された命令を、察知していた人間はもう1人いた。
篠ノ之束だ。
あの彼女が、学園内で常に薙原晶の傍らにいる人間に対して、網を張っていないなど有り得ない。
にも関わらず今回全く動く気配を見せていなかったのは、1つは更識楯無が以前の約束を果たす気があるのかを確かめる為、1つは最高のタイミングで邪魔してやる為、そして最後に“借り”を返す為だ。
特定の人間以外の感情には極端に鈍い彼女だが、そこに理が絡み益が絡み、行動を式に当てはめる事が出来るなら、彼女に解けぬ道理は無い。
即座に目的を見抜いた束は、楯無のお膳立て全てを横取りする最高のタイミングで、晶をこの場に乱入させた。
無論、全ての情報を伝えた上で。
「――――――そのくらいにしておけ」
投げ掛けられた声に2人が振り向けば、アリーナ入り口に、普段と変わらぬ制服姿の薙原晶が立っていた。
そして彼は、客席の階段をゆっくりと降りながら、続く言葉を口にする。
「楯無、俺が以前契約の時に言った言葉を言ってみろ」
「晶、これは――――――」
「言ってみろ」
反論を許さない強烈な言葉に、楯無は本能的な恐怖を感じた。
何せこの男、生徒会長室に問答無用でNEXT兵器を撃ち込んだ前科がある。
そして契約した時の言葉は、
「――――――し、篠ノ之束と薙原晶に迷惑を掛けない事。そして織斑千冬、織斑一夏、篠ノ之箒とその友人達の安全」
「だよな。なら、コレは何だ?」
俯き、涙を浮かべるシャルロットの傍らに立った晶の表情は、全く笑っていなかった。
むしろその無表情さが、爆発寸前の火山を容易く連想させる。
だがここで素直に引き下がる程、楯無更識という女性は弱くない。
「・・・・・・・・・何を勘違いしているのかは知らないけど、私は別に苛めている訳じゃないわ。むしろ契約を忠実に遂行しているのよ。だって彼女――――――」
「止めて!!」
俯いていたシャルロットの悲鳴のような声。
だが、楯無の言葉は止まらない。
「――――――
ビクッとシャルロットの両肩が震え、この場から逃げ出そうと両脚が動き出す。
だがそれは適わなかった。
晶が彼女の手を掴んで逆に引き寄せ、逃がさないとばかりに、両腕の中に捕らえたからだ。
「は、離して!! 僕は――――――」
「嫌だね。そしてハッキリ言っておくぞ。俺の意志は俺のもので、誰のものでも無い。ハニートラップ? 上等だ。仮に仕掛けられても、目の前のご馳走は美味しく頂くが、相手が欲しいものなんて何一つやらない。大体な―――――――――」
「な、なに?」
後ろから抱きすくめられ、耳元で囁かれるという状況を認識したのか、シャルロットの顔は赤くなっていた。
「これくらいで真っ赤になってるお前が、俺を骨抜きに出来るくらい床上手なのか?」
「そ、そんなはず無いでしょ!! 男の人なんて、まだ知らないよ」
「だろう? なら実害0だ。何も問題無い」
「でも、出来なかったら僕は――――――」
「強制送還も有りえるって脅されたか?」
無言で肯くシャルロット。
晶は考える。間違いなくブラフだろう。
IS学園特記事項第21、本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意が無い場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする。
これを盾にする事も出来るが、本国に帰還させる手段が全く無い訳じゃない。
戻されれば碌な人生が待っていないと分かっているシャルロットに対しては、そういうカードも切れると匂わせるだけで、十分なプレッシャーになるだろう。
だがそれも今日までだ。
「楯無、お前に1つ仕事を任せる。それで今回の一件はチャラだ」
「任されるのは嬉しいけど、チャラってどういう事かしら? 私は忠実に契約を遂行しただけよ」
「都合良く解釈すればな。だが、シャルロットが俺の大事な友人という事は知っていたはずだ。なのに一言も相談が無かったのはどういう事だ?」
誤魔化しは許さない。
そんな意志が込められた強烈な視線が、楯無を射抜く。
「それは・・・・・・・・・いえ、確かに無断で動いた私が悪かったわ。でも勘違いしないで欲しいの。彼女自身を悪いように扱う気は無かったわ」
「・・・・・・・・・束の言葉もある。今回はそういう事にしておこう」
聞き捨てならない言葉だった。
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。今回、あいつはお前の行動を読み切っていた。そしてあいつからの伝言がある。――――――『これで貸し借り無し』だとさ。良かったな。あいつがそう言う以上、俺から言う事は無い」
瞬間、楯無の脳裏を駆け抜けるものがあった。
やられた!!
その一言に尽きた。
シャルロットへの命令に使われたルートのセキュリティが、“並”という時点で警戒してしかるべきだった。
あの
なのに今回全く動かなかったのは、
だが何故シャルロットを助けさせた?
数瞬の思考の後、楯無は答えに辿り着く。
同じなのだ。
シャルロット・デュノアというとびっきり優秀な人間を、自分の影響下に置く為だ。
特に今回みたいな場合、あのタイミングで割り込まれたら、心情がどっちに傾くかなんて考えるまでも無い。
あの瞬間、あのタイミングで薙原晶が現れた。それは
完敗という他無かった。
「・・・・・・・・・・・・彼女に伝えて、『貴女のお蔭で過ちを犯さずに済んだ。ありがとう』って」
なので楯無は素直に引き下がる事にした。
台詞自体は言いたくもない内容だが、今回は仕方が無い。
ここでわめき散らすなど、無様以外の何ものでもないのだから。
「分かった。確かに伝えよう。――――――任せる仕事については、後で生徒会長室に行くから、そっちで待っていてくれ」
「分かったわ」
そうして楯無はアリーナから去り、後には晶と、後ろから抱きすくめられているシャルが残された。
「あ、あの、僕――――――」
何か喋ろうとするシャルだったが、晶の言葉の方が早かった。
「全く、話を聞いた時は流石に肝を冷やしたぞ。初めての友人と命の恩人を、あんな下らない命令で失うところだった」
「え?」
「え? じゃない。どれだけ心配したと思ってる」
「その、心配してくれたの? 僕、愛人の子だよ。実家で泥棒猫の娘って言われたんだよ」
「そんなのお前に全く、これっぽっちも関係無い話だし、そもそも初めから知ってる。大体、人間生まれは選べないんだ。そこにケチを付けるなんて何様のつもりだ」
「知ってたの?」
「俺みたいに色々厄介事抱えてる人間は、用心深くないといけないからな。周囲の人間の身辺調査は済ませてある。その上で俺はお前の友人でいたいと思った。そっちの事情なんか知らん」
「強引だね」
クスッとシャルは笑った。
「嫌なら逃げろ。離してやらないけどな」
「凄い殺し文句。でも、ありがとう。関係無いって言ってくれて」
「当然の事を言ったまでだ」
「そう言える人って、結構少ないんだよ」
「ここにいるから問題無い」
この時晶は、割と本気でシャルに手を出そうかどうか悩んだが、結局手出しはしなかった。
彼女の傷心に漬け込むようで、気に食わなかったからだ。
なのでシャルを手放し、向き直らせた晶の口から出た言葉は、今後の対応についてだった。
「―――1つ、お前の意志を確認しておきたい」
「実家の事?」
「そうだ。俺の周囲に手を出した。それがどれほど高くつくのかを教育してやる必要がある」
「やらないっていう選択肢は?」
「ない」
晶は即答し、更に続けた。
「こういうのは、舐められたら終わりなんだ。やられたくない事には断固とした態度で臨まないと、同じような事を考える輩が無数に出てくる。だから悪いが、お前が何と言おうがやる。だが手段はまだ決めていないから、お前の意志をある程度反映させる事は出来る。どうする?」
しばし俯いて考え込むシャル。
「・・・・・・・・・・・・なら1つ、父さんに確認したい事があるんだ。それはね――――――」
そうして語られた内容は、愛人の子が思う事としては十分に有り得るものだった。
これを受けて晶は、考えを少し変更。
今回の一件を今後の火種としない為にも、シャルを伴って生徒会長室に向かうのだった。
◇
日が沈み、月明かりに照らされるIS学園。
本来ならば夏休み中という事もあり全ての電気が消えているはずの時間だが、ついている明かりが人の存在を告げていた。
場所は生徒会長室。
居る人間は、薙原晶、更識楯無、シャルロット・デュノアの3人。
晶としてはすぐに本来の用件に入りたかったが、その前に、楯無とシャルロットに話をさせておく必要があった。
何せシャルロットは、人生そのものを壊されかけたのだ。
暗部の人間である楯無にとってはいつもの事かもしれないが、やられた方にとっては絶対に違うだろう。
今は平然とした顔をしているが、内心ではどんな感情が渦巻いているか分からない。
なので身近に問題を抱え込みたくない晶としては、今回の一件はここで片付けておく必要があった。
こんな問題を長引かせたら、何処から横槍が入って、何に利用されるか分かったものじゃない。
「とりあえず――――――」
「ねぇ、ショウ。生徒会長ってどんな人なの?」
何かを言おうとした晶の言葉を遮り、他の2人が驚く程はっきりとした声でシャルが尋ねた。
「どんな人、か。平たく言えば周囲の人間の警護を頼んでいる相手だ。俺自身は狙われても問題無いし、束の警護は俺がする。だが俺1人では、束が大事にしている人間までは手が回らないからな」
「そっか。なら生徒会長さんが僕にああしたのも仕方が無いね。あんな如何わしい命令を受けた人間なんか、大事な大事な依頼主の近くに置いておく訳にはいかないもんね」
この時、驚くべき事にシャルロットは、既に自分の精神を立て直していた。
出来た理由は幾つかある。
1つは薙原が「初めての友人」と言ってくれた事。“初めての友人”だ。あの束博士よりも早いというのは、何故だか随分気分が良かった。
1つは「生まれなんて関係無い」と言ってくれた事。愛人の子という引け目を持っていた彼女にしてみれば、それを気にしなくて良い相手というのは嬉しい限りだった。
だが実のところ、何よりも彼女の精神を立て直させた原動力は、楯無のような人間が晶の傍らにいるという“怒り”だった。
何故か?
シャルロットは、薙原が最も傷ついている時の事を知っている。
ボロボロで血だらけで、それでも人に助けを求められなかった時の事を知っている。
あの時、彼は間違い無く重傷だった。死ぬ直前だった。
彼の秘密に関係するだろう人間離れした回復力で、一命は取り留めたけど、それも手当てがあったからこそ。
あの気を失った状態で、冷たい雨に撃たれ続けていたらどうなっていたか分からない。
なのに彼は、目が覚めたらすぐ出て行こうとした。
喋るのも動くのも辛かったはずなのに、他人の安全を気遣った。
そんな優しい彼の傍らにいるのが、他人を簡単に壊せる人間というのが、何故だか我慢ならなかった。
理性的には、そういう人間が必要なのは分かる。
でもそんな人間しかいないなんて寂し過ぎる。
だからシャルロットは、迷う事無く自分の感情に従った。
「そう。“只の”警備員さんなんだね」
強調された言葉の意味は、余すところなく正確に楯無へと伝わったようで、彼女の眉が急角度に跳ね上がった。
「言うじゃない、小娘」
ストレートな物言いが、彼女の怒りの程を現してした。
が、シャルロットの言葉は止まらない。
「うん。言うよ。彼の隣に貴女みたいな人間が、我が物顔で立っているなんて我慢ならない。だから、2番目は僕が貰う。貴女は3番」
間違えようの無い、明確な宣戦布告だった。
そしてシャルロットの利口なところは、“2番目”と言ったところだ。つまり篠ノ之束と張り合う気は無いというメッセージ。
晶を通してこの会話を聞いていた束は、一人ほくそ笑んでいた。こういう身を弁えた子は大好きだ。
ご褒美をあげても良いかもしれない。
「貴女じゃ能力不足。彼の傍らに立つなら、綺麗事だけでは済まないのよ。今回みたいに」
楯無の言葉は事実だった。相手は実力主義とも言える薙原が選んだ人、その手の能力に信頼がおけるのは分かっていた。
なので張り合うのは別のところ。だがこれをやってしまえば、もう後戻り出来ない。だけど構わなかった。たった今、目的が出来たのだから。
「ねぇ、晶がやろうとしてる事って、沢山の人と物が必要なんだよね?」
「ああ。最終的にやりたいのは宇宙開発だからな。途方も無い規模で必要になる」
「なら僕が協力する。今回の一件を使ってデュノア社を手に入れれば、晶と束博士だけでは出来ない事が出来るようになる」
「お前、それは……………」
全く予想していなかった台詞に、晶は言葉に詰まる。
確かに嬉しい申し出だが、それをやればシャルロットは、“本妻から全てを略奪した愛人の子”というゴシップ誌がこの上なく好きそうな汚点を、一生背負う事になる。
だが言った当人に迷いは無く、更に畳み掛けてきた。
「僕の意志は決めた。嫌だなんて言わせない。それにさっき言ったよね。『嫌なら逃げろ。離してやらないけどな』って。だから逃げない。僕はずっと君に捕われたままで良い」
ここまで言わせて、躊躇するような晶では無かった。
「ありがとう。そこまで言ってくれるなら、こっちも手加減無しの全力でやらせてもらう。――――――なぁ束、楯無」
三人の眼前、全員から見える位置に空間ウィンドウが展開された。
映し出されるのは、“天才”篠ノ之束。
『どさくさに紛れてしっかり告白してるところが気になるけど、“2番目”ってちゃんと自覚しているところが気に入ったよ。後、宇宙開発に協力してくれるのもね。だからこの一件、手を貸してあげる』
次いで楯無。
「貴方がやると言うなら否は無いわ。デュノア夫人を最高の悪役に仕立てあげて、略奪したなんて言葉、どこからも出ないようにしてあげる。世間が知るのは、今の本妻が略奪者という事だけよ」
こうしてデュノア社の全く預かり知らぬところで、会社の運命は決まった。
会社のありとあらゆるデータはハッキングされ、社長夫人の乱れた私生活が暴露され、十数年前にいた社長の恋人の存在が明るみに出る。
そして次に流れるのは、フランスの国防を担ってきた傑作ISラファールの開発秘話と、資金難に漬け込んで、社長を支え続けてきた恋人を追い落とした悪女の存在。
しかも悪女の方は社長夫人として豪遊三昧。追い落とされた恋人は、人里離れた山の麓で娘と寂しく暮らす。
恋人を想う社長は国防という大儀の為に、涙ながらに目をつぶるしか無かったという悲しいお話。
そしてここで、社長の昔の行動が活きた。
恋人と娘を影ながら援助し続けた事実が、社長の愛は本物だったと強烈に印象付けた。
更にここで社長夫人のスキャンダルが発覚する。
これが完全に止めだった。
社長夫人は社に対する影響力を完全に喪失。
のみならず今まで貯め込んだ資産も、有形無形合法非合法表裏、ありとあらゆる手段と方法で差し押さえられ、何の権力も持たない一般市民にまで身を落とされた揚句、刑務所にブチ込まれる事になる。
社長夫人に付き従っていた一派の末路も似たようなものだった。
どこからともなく不正の証拠が発見され、社に損害を与えたとして、恐ろしい額の損害賠償を請求される。
対して夫人一派に組していなかった日陰者は、今までの地道な仕事が評価され昇進に次ぐ昇進。
だがこれだけでは、シャルロットが会社に影響力を持つ事など出来ない。
よって束は、“2番目”と自覚している彼女にご褒美を与えた。
一度帰国させ、デュノア社経営陣総入れ替えの時に、ある発表をさせたのだ。
それは彼女のバックに誰がついたのかを認識させるのに、必要十分な威力を持っていた。
というより威力があり過ぎた。
何せシャルロットが発表したのは、篠ノ之束が作製した発電衛星試作二号機からの電力供給を、デュノア社が独占して受けられるというもの。勿論タダでは無かったが、実験扱いなので電力価格は市場の10分の1。軍需工場という電力を馬鹿食いする施設を抱えているデュノア社にとって、この贈り物は天の助けに等しかった。
そしてデュノア社の幸運は更に続く。
フランス政府が資金援助打ち切りを撤回したのだ。
発表では色々と小難しい理由を述べていたが、本心は誰もが分かっていた。
あの篠ノ之束と繋がる会社だ。多少の欠点など補って余りあるという意志が働いたのは間違いない。
更に言えば彼女と繋がっているという事は、あの最強の単体戦力、
政治家にとって、蔑ろにする理由など何一つ無かった。
そしてこれだけのバックアップを受けたデュノア社は、これを機に経営再建を軌道に乗せ、以後欧州の巨人として不動の地位を築いていく事になる。
また、この一件の立役者であるシャルロット・デュノアの名は、以後フランス国内において、特別な意味を持っていくのだった――――――。
第56話に続く