「次代のアテナさま。さっそくですが、私がここへ参りました用向きについて、お伝えせねばなりません。」
シジフォスは、真剣なまなざしで城戸沙織を見つめている。
ただならぬ緊張感。城戸沙織は思わず息を呑む。
「我々の聖域では、まもなく冥王軍との聖戦が始まるでしょう。少なくともこのひと月のうち、早ければ、1週間以内かもしれません」
二百数十年ごとに繰り広げられてきた、聖域と冥王軍の聖戦。
もう間もなく始まることはわかってはいたが、特に根拠はないながらも、もう少し先のことかと思いこんでいた。
それは、アルバフィカやアガシャ、レグルスが来ていることで、こちらの世界が穏やかな空気に包まれているから、なのかもしれない。
魔女や魔法少女に関する問題も解決にはまだ時間がかかりそう、そのせいで、まだ聖戦が始まって欲しくない、無意識のうちにそう思ってしまっていることもあるだろう。
「私がこちらへ参りましたのは、あの少女、美樹さやかを私たちの聖域へ、彼女の来訪を待ち望んでいるかの遺跡へとお連れするためです」
美樹さやかの夢に現れ、花びらを舞わせ招いている存在。
マニゴルドと志筑仁美によるコンタクトは認めつつも、核心に触れさせてはくれなかった存在。
先代の教皇、セージはこの存在が聖戦を、そして魔法少女と魔女の問題を解決するための鍵と見做している。
それでもなお、美樹さやかをそこへ送らないのは、城戸沙織自身にまだ迷いがあるからに他ならない。
しかし、聖戦がいよいよ始まる、そのような状況であるならば、急がなくてはならない。
「おそらく美樹さやかもまた、なぜ自分が行かねばならないのか、疑問に思うことでしょう。そして、そのような迷いを抱えた状況で行ったとしても、相手が受け入れてくれるとは限りませぬ。迷いを少しでも解いたうえで、おそらく1度きりの機会で事を成し遂げなければなりませぬ」
それはそうかもしれない。
しかし、どのようにして美樹さやかの疑問を解くのか。
「それは、彼女をその場まで護衛する、私の役目と考えております」
窓の外、抜けるような青空を見つめるシジフォス。
自信というよりは責任。
どのような難しい任務だろうと、必ず成し遂げる。
成し遂げなければいけない。
そのように生きてきた聖闘士だからこそか、言葉からも視線からも、強い意志が滲み出ている。
不思議と悲壮感を伴わない、青空のように澄み渡った爽やかな意思。
「わかりました。シジフォス、よろしくお願いします」
この男なら信じられる、安心して任せられる。
にっこりとほほ笑む、城戸沙織。
「そしてもう一つ、これは本当にただただ私の我がままなのですが」
シジフォスは、さらに城戸沙織に、ある望みを打ち明ける。
先代の聖域で数多の聖闘士を統率してきたが故に、我がままなどほとんど言ったことはないであろう、言えなかったであろう戦士が明かす、ほんとうに「個人的な」欲。
聞き終えた沙織。
どこか安心したような表情で、優しくシジフォスに返す。
「よいでしょう。それは決して貴方だけの望みではない、私はそう思います。貴方にとっても、そして先代の聖域で生きる全ての聖闘士たちにとっても、それはきっと必要なことですから。グラード財団の総力を挙げてサポートしますね」
ややしばらくして、シジフォスは見滝原に居た。
彼の目の前には美樹さやか、佐倉杏子、巴マミ、そして神闘士、日本組の青銅聖闘士たち。
「と、いうわけで、今日よりこのシジフォスが君たちの力になる。こちらの時代は不慣れなゆえ迷惑をかけることになるかもしれないが、よろしく頼む」
突然現れた先代の黄金聖闘士。
とりあえずの顔合わせを済ませたが、迎える側の表情は様々だ。
青銅聖闘士たちは明らかに羨望と尊敬のまなざしで彼を見ている。
会うことこそ叶わなかったが、間違いなく彼らの道しるべとなり、心の支えとなっていた当代の射手座黄金聖闘士アイオロス。
彼と同様、聖闘士のリーダーたる頼もしさと包容力を兼ね備えたシジフォスに、アイオロスの面影を重ねているのであろう。
神闘士2人もまた、信頼に足る聖闘士の来訪を頼もしげな視線で迎えている。
一方、魔法少女勢は。
巴マミはなぜか耳を真っ赤にして、目をそらしている。
佐倉杏子は、レグルスが彼に懐いている様をどこか微笑ましそうに眺めている。
美樹さやかは、シジフォスがやけに自分を見てくる様子に気が付いて、若干戸惑っているようだ。
顔合わせが終わり、集まった者たちはそれぞれその場を後にしていくが、仕切り役の辰巳は美樹さやかに近づくと彼らしくない小声で話しかける。
「美樹さやか、ちょっとの間でいいからこの場に残るように」
なんだろう。辰巳が魔法少女に直接声をかけることは、これまでめったになかった。
事態がつかめないながらも、佐倉杏子たちに先に戻るように伝えると、美樹さやかは与えられた椅子にとりあえず腰かけた。
向かいには、神妙な顔をしたシジフォス。
ほんの一瞬の沈黙。
それを破るのが心苦しい… できることなら話したくない… 美樹さやかへの心遣いをその表情に滲ませつつ、シジフォスはおもむろに口を開いた。
さやかの夢に現れる、花びらを伴う声の正体、どうしてさやかでなければいけないのか?
ワルプルギスの夜の秘密…
魔法少女と魔女の関係については巧みにはぐらかしつつ、シジフォスは誠実に答えていく。
さやかは息を呑む。
「私たちは、君を無理やり連れていくつもりはない。君の意思に関係なく連れて行けば、責任は全て私たちが負うことが出来る。しかし、それは許されない。君が納得して、行くことを決断してくれたなら、私たちは命に代えても君を守り抜くことを誓おう。だから君は自分が行くかどうか、とことんまで考え抜いて欲しい」
先代の聖域へ戻る明後日に答えを聞くこと、それまでシジフォスは現代のあちこちについて調査任務に就いていることを伝えると、シジフォスはいずこかへ去っていった。
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「さやかさん? 美樹さやかさん!」
早乙女先生の強い声でさやかは目を覚ます。
どうやら授業中、居眠りしてしまったようだ。
無理もない。シジフォスから投げかけられた問いについて一晩中悩み、やっと寝付いたと思ったらまたあの「金色の羽根」、しかもこれまで以上に明瞭な声とイメージで呼びかけてきたのだ。
明け方近くまで眠れず、ふらふらになりながら登校してきたのだから仕方がない。
今日このあとは参観日。さやかの両親も来るので、あまりカッコ悪いところは見せられない。
ほお2~3回叩いて、自分に活を入れる。
次の授業。
教室の後ろには、さやかやまどかの両親たちがずらりと並んでいる、が。
ざわ… ざわざわ…
なにやら後ろが騒がしい。
早乙女先生もいつも以上に落ち着きがない。
なにが起きてるんだろう?
そっと後ろを振り向いたさやかの目に飛び込んできたのは…
「(あんたなにやってんの!?)」
教室の後方中央にどんと構えている男が一人。
流れるように美しい金色の髪、海外の俳優を思わせる美男子かつ美丈夫な男、シジフォスが笑顔でこちらを見ているのだ。
若干ざわついている生徒や親に説明しなければと思ったのか。
「今日は特別に、ギリシャ政府から保健体育大臣秘書付駐在武官の方もこの授業を視察に訪れています…」
早乙女先生は淡々と説明する…
そんな役職が本当にあるかどうかはわからないし、なぜそんな人物が参観日に来ているのか。
ただ、そういうことならば、と親も生徒も自分を納得させたのか、いつも通りの参観日に戻っていく。
いつも通りの子、いつも以上に張り切っている子、変わらずマイペースの子、居眠りしかかっている子。
そんな彼らをシジフォスは変わらず笑顔で見守っている。
緊張の一時間が終わる頃、シジフォスの姿はいつの間にか消えていた。
学校も終わり、さやかは魔女パトロールのために街へ出る。
今日は杏子やレグルスと一緒に、例の魔女を待ち伏せすることになっている、のだが…
「ふぇっ! あんたまた何やってんの!?」
視線の先、そこには… 野菜売りのお婆さん、その背中の大荷物を背負ってあげている、シジフォスの姿があった。
どうやら、腰を痛めてしまったお婆さんを手助けしているようだ。
なんなら、腰を痛めないような荷物の背負い方、まで伝授している。
唐草模様の風呂敷に包まれた大きな箱を背負っている金髪長身ヨーロッパ系男性、というだけで、なんとも異様な光景ではあるが、彼は全く意に介する様子はない。
迷惑かけるどころかお婆ちゃん嬉しそうだし、まぁいいか…
さやかは気にしないことにした。
その後も、
学校グラウンド裏のスズメバチの巣を撤去(巣は迷惑にならない場所へ移動)、
側溝にタイヤを落とした車を救出
駅で具合の悪くなった少女の介抱
スリの犯人を追いかけて、盗まれたバッグを持ち主に返したり、
急に欠員の出たバンドに飛び入りしてドラムを叩いたり…
いたるところで、人助けをしているシジフォスの姿。
いったいどこまで人がよいのだろう。
「余計な手出ししてくるんじゃねぇ!」「頼んでも居ないのになに善人ずらして!うざい!」
時にはうざがられたり、あからさまに悪意を向けられることもあった。
が、それにも彼らしく誠実に対応している。
それでいて、さやかたちが魔女と戦う時にはいつのまにか駆け付け、さりげなく戦いをフォローしている。
そんな彼に刺激されたのかどうかはわからないが…
「ティロ・フィナーレ・インフィリートっ!!」
いつものティロ・フィナーレよりかなり豪勢な新技まで繰り出し、どう?すごいでしょ!とばかりにわんこのような目でシジフォスのほうを見ている、巴マミ。
そんなマミの気持ちに気付いているかどうかはわからないが、なにか返したほうがいいのかと自分なりにとびきりの笑顔を返すシジフォス。
「ぐはぁっ!」
「どうした、具合でも悪いのか?」
「…きゅぅぅぅっ… えーと、刺激が強すぎて心臓に悪いかも、です…」
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その夜。
「ねぇ、いつ来てくれるの? ずっとずっと待ってるのに…」
ここのところ、毎夜のように彼女の夢に現れる、いつもの声。
ただ、今晩はいつもと少し違う気がする。
今までは、ただひたすらに招く声。
ときに明るく、ときに妖しく、さやかの来訪を乞い願っていたのだが。
今晩は、どこか切実そうな、悲痛感すら漂う声で訴えかけてくる。
ただ来て欲しい、ではなく、早く、早く、と。
「お願い、早く来て… そうしないと、手遅れになる…」
先代の聖域がまもなく聖戦を迎える…そのせいなのか?
「お願い、はやくしないと、あの子が…ワルプルギスの夜が、いってしまう…そうしたら…」
「私の愛するあのお方… もう… 永遠に… 今度こそあきらめないと、いけなくなる…」
ワルプルギスの夜? やはりシジフォスが言っていたことは本当なのか?
その声に問いかけて直接確かめたい。
そう思ったさやかは慌てて夢の中で言葉を返そうとするが、その声は瞬く間に弱く、かすれていき、あたりに舞っていた金色の羽根とともに、消えてしまった。
「…事態は私たちが考える以上に急を要するようだな」
「そうだね… って、うわぁっ!!!」
枕元に現れたシジフォスに、思わず声をあげるさやか。
「ここ、一応はレディの部屋なんですけど… あんまり勝手に入って欲しくないなぁ、なんて」
とりあえずの不満をぶつける、さやか。
「シジフォスさんなら、もうお見通し、ですよね… でも、だからこそ、本当にあたしなんかでいいのかなぁって思ってしまうんです。あたしが上手くやれるかに、地上の未来がかかってるなんて。シジフォスさん、こっちの世界でいろんな人に優しくしてくれてましたけど、もしかしたらあたし次第でそれが全部意味なくなっちゃうかもしれないんですよ…」
「それなら心配ない。こちらの世界で君を見てきた私だから言える。君なら間違いなく、事を成し遂げられるだろう。地上の愛と平和、そして果てしない可能性、それを守り抜き、さらなる未来へと繋ぐために。そして君たち魔法少女の未来のために。そのためにならばこのシジフォス、この一命を投げ出すことになろうと悔いはない」
「なんだかすごく過大評価されちゃってるみたいで、逆に心配なんですけど…」
シジフォスの、一点も曇りのない瞳。
彼ならほんとうに自分の命を投げ出してでも、さやかを守り通し、任務を成功へ導くだろう。
しかし、どうしてそこまで、地上に自分のすべてを賭けられるのか。
今日だって、シジフォスがせっかく優しくしても、相手から向けられた感情はよいものばかりではなかった。
地上って本当に守るべき価値なんてあるんだろうか?
さやかだって、魔法少女の仲間、友達、聖闘士や神闘士たち、そして恭介がいなければ…
ゴードン達3人の顔が脳裏にうかぶ。
もしかすると、彼らの側に立っていた可能性すらあったのだ。
「聖域ですら、地上に背を向けた者たちは居たのだから、無理はなかろう」
シジフォスは過去の聖闘士たちに思いを巡らす。
水瓶座のクレスト、教皇イティア…
地上を知り、人々を長く見てきたからこそ、彼らですら地上が守るべきものかどうか疑念に囚われ、歩むべき道を外れていったのだ。
「それでも、俺は地上の人々の可能性を信じる。俺たちの時代からたった243年。戦争はまだ無くならず、お腹を空かせた子供もまだまだ多い、よい人間ばかりではないことも今日一日でこの身をもって感じてきた。けれど、それでも人間はよりよき未来へと一歩一歩確実に歩んでいる… 俺たちの時代ならほとんどが親になるまでに命を落としていたであろう子供たちは、こちらの時代では貧富の差関係なく学ぶ機会を与えられて大人となり、喜び怒り悲しみ楽しみながら、助け合って生きている。一人一人の力は小さくとも、体を動かし頭を使い、出来ることやるべきことを為して、よりより未来を目指して歩んでいる… それをこの身で確かめることができたのはなんと幸せなことだろう。こちらの世界での記憶を胸に抱いて、俺は安心して、地上の未来のために、可能性のために、この命を燃やし尽くせるだろう」
なぜ聖闘士たちが、神闘士たちが、誰からも褒められるわけでもないのに、傷つき苦しみ、時には自分の命を賭してまで戦うのか。
このシジフォスの瞳こそが、そのその答えなのだ。
それならば…
「わかった。あたしも、本当にちゃんと出来るかどうかはわからないけど、頑張ってみる。あの声の人、なんだか他人の気がしないんだ。ちゃんと会って、話を聞いてみたいし…」
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一方、同じ夜。
レグルスと杏子は風見野の街に居た。
彼らが出会った翌日、ささやかながら楽しい時を過ごした、杏子のお気に入りのレストラン。
「そっか…いつかはこの日が来ると思ってたけど、明日、あっちに帰っちゃうんだな? レグルス…」
時に視線を宙に泳がせながら、時にレグルスを見つめながら、杏子がつぶやく。
「なーに!なーに!キョーコ、もしかして寂しいの!?」
杏子の気持ちを知ってか知らずか、彼女をからかうレグルス。
「バッキャロー! んなわけ、ねーだろ… んなわけ…」
強がってはいても、寂しさを隠しきれない杏子。
レグルスと出会ったばかりの頃の杏子なら、こんなことはなかっただろう。
血は繋がっていなくても、まるで家族のように笑い合ったり喧嘩したり、素直に感情を向け合う間柄。
偽りの仮面はもはやすっかり融け落ちて。
「キョーコ…」
そんな杏子をみて、レグルスもまたこれまでの日々に思いを馳せる。
父であるイリアスが亡くなってから聖域に迎え入れられるまで、ただひたすらに孤独に過ごしてきた彼。
聖域での生活は楽しかったとはいえ、こちらに来て初めて、同じ年ごろの、心置きなく自分をさらけ出せる相手、杏子に出会うことが出来た。
杏子と過ごした1分1秒すべてが、レグルスにとって宝石のように美しい思い出なのだ。
「… うん、やっぱり「ゴメンね」は言わないよ。だって、それを言っちゃったら、一番最後の想い出が申し訳ない気持ちで塗りつぶされちゃう気がするから…」
一瞬だけ寂しそうな顔を見せたレグルスだったが、すぐに思い直していつもの無邪気な笑顔に戻る。
「そうだよな。あたしだって、思い出の最後は笑顔にしておきたいし、せっかくのハンバーグ、二人で美味しく食べたいしな」
いつもよりも心なしか大きなハンバーグ。
杏子とレグルスがそう頼んだわけではなく、店主夫婦のさりげない心づくしなのだろう。
家族を失ってからここを訪れることもなく、消息不明だった杏子。
そんな彼女が以前のような笑顔でまた店を訪れてくれるようになったのだ。
閉店時間もとっくに過ぎているけれど、そんなことはどうでもいい。
彼女たちが心行くまで楽しんでほしい。
店に再び笑顔を連れてきてくれた、彼女とレグルスへの、ささやかなお礼、なのかもしれない。
「ったく、あのときのレグルスったらねーよな」
「もー、キョーコだって人のこと言えないじゃないかー」
「そりゃそうだ! ハハハッ!」
人の温かみに包まれたレストランに、夜遅くまで二人の笑い声が響いていた。
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「マミさん、こちらではほんとうにいろいろ、ありがとうございました!」
「いいえ、お礼を言うのは私のほう。短い間だったけど、アガシャちゃんと過ごせてとても楽しかったのよ。」
巴マミの部屋でもまた、残り僅かな時間、別れを惜しむ二人の姿があった。
「マミさんのおかげで、勇気を出してアルバフィカさまといっぱい思い出を作れたんです…いっぱいおしゃれも教えてもらえて、美味しいお食事、楽しい時間、どれだけお礼を言っても足りないくらいです」
まもなく迎える聖戦。二人の間になにが起きるのか、頭ではわかってはいるけれど、つとめて明るく振る舞うアガシャ。
「それよりマミさん、もしかして、シジフォスさんのこと、気になったりしてるんじゃないですか?」
少し含み笑いしながら、悪戯っ子ぽい目でマミをからかう。
「え…そんなこと…」
「すかさず否定できないの、ますますあやしいですよね~。ほんとマミさん、わかりやすいんだから」
彼が来てからというもの、テンション高めで鼻歌混じりで家事をしていてお皿を割ったり、逆にぼーっとなにか考え事をしながら少しニヤついたり、なにかブツブツ呟いてたり。
これで気づくなと言うほうが無理だろう。
顔と耳を真っ赤に染めてうつむくマミ。
「シジフォスさん、明日には過去に帰ってしまうけれど… 今まで恋ってしたことがないからよくわからないんだけど、でも、もしこれが恋なのだとしたら、初恋っぽい気持ちになれたのがシジフォスさんでよかったなぁって。だって初恋って、一生の思い出になるでしょう? 」
「マミさんの気持ち、わかる気がします。私も、アルバフィカさまとの思い出、一生大事にしようと思います」
こちらの部屋もまた、夜更けまで話し声が止むことはなかった。
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「ほんとうに、それでよいのですね」
ギリシャから見滝原へ駆けつけた城戸沙織が、さやかに改めて問う。
部屋には他にもシジフォス、アルバフィカ、レグルス、アガシャたち、巴マミ、佐倉杏子、そして美樹さやか。
聖戦がまもなく始まる、彼らはシジフォスと共に先代の聖域へ戻るのだ。
美樹さやかを伴って。
ほんとうは行かせたくない。
城戸沙織の心の奥底で燻る本音が、それを言わせたのであろう。
それを知ってか知らずか、さやかはいつも通りに元気に答える。
「はい! だって、あたしにしかできない事なら、あたしがやるしかないし、なによりあたしがこの手でなんとかしたいんです」
さやかが自らの意思で決意した、それを確認できたからか、城戸沙織の表情は穏やかな笑みをたたえている。
「シジフォス、くれぐれもさやかさんをよろしくお願いしますね。」
「はい、このシジフォス、そして先代の聖域は、さやかさんを守り抜き、無事にこちらへと送り届けましょう」
「レグルス、あんたがこっち来てくれてさ、ほんとよかったと思ってる… ほんとはまだもうちょっとこっち居て欲しいけど、行かなきゃいけないんだろ? お前なら大丈夫、聖戦、全力で頑張ってくれよな」
「キョーコもね!ちゃんとご飯食べて、ちゃんとお風呂はいって、他の子たちと仲良くするんだよ~」
「って、まるであたしが飯抜いて風呂も入らず喧嘩ばっかりしてるみてーじゃねーか! まぁ、できるだけ頑張ってみるよ。あと、さやかのことも頼んだからな!」
「アガシャちゃん、むこうへ戻っても、アルバフィカさんと仲良くね。アルバフィカさんも、アガシャちゃんをよろしくおねがいします」
マミにいきなり名前を呼ばれ、意表をつかれたかのようにポカンとしているアルバフィカ。
以前なら決して見ることができなかったであろう表情だろう。
「はい! マミさん。周りの目もあるから程々にはしますけど。アルバフィカさま… ね?」
「あ、あぁ… 善処しよう…」
さらなるレアな対応を目にしてアガシャは嬉しそうだ。
「えーと、それで、シジフォスさん?」
「ん? 俺がどうかしたか?」
普段なら抜群の直感を働かせるシジフォスなのに、こういう時に限ってはほんとうにニブい。
しかたないなぁ、とばかりにアガシャはマミのほうへと歩いていくと、こっちこっち、となにやら合図している。
みるみるうちに茹でダコのように真っ赤になる、マミ。
「…短い間ではあったけれど、マミと一緒に戦うことができたのは、俺にとって貴重なひと時だった。マミ、君に感謝する…」
彼なりにとっさに必死に考えたのだろう。なんとも微妙な言い回しではあるが、それでもマミは嬉しそうだ。
「名残惜しいのはわかりますが、そろそろよろしいですかな?」
鏡の向こうから、先代の教皇セージの、厳かな、それでいて少し嬉しそうな声が響く。
彼としても、聖戦を控え緊迫した状況で、このひと時は心休まるのだろう。
「ところで、あのことは大丈夫でしょうか?」
さやかがセージに声をかける。
あのこと… 243年前の世界に何日いたとしても、こちらに帰ってくるときは今から数時間後の世界に戻れるか。
何日も不在にしたら、親に心配をかけてしまう、とさやかは気になっているのだ。
「それであれば心配は無用。スクルドの鏡は確かに今と過去とを繋ぐものなれど、スクルドだけではなく他の三女神、この場合はヴェルザンディですな、かの神が司る現在を移動の際に調整すれば、何日こちらで過ごそうが、そちらでの経過時間は数時間でも数日でも数十日でも調整できる、とのこと。心置きなくこちらへ参られよ」
別れの時が来た。
先代の聖域から来た皆とさやかは鏡の前に並ぶ。
お互いに手を振り合い、別れの挨拶を交わし、やがてあたりを包んだ光とともに、彼らは鏡の向こうへと去っていった。
見送りを済ませ、街へと戻っていった佐倉杏子。
あーあ、ちょっとつまんなくなるかもなぁ、と軽くため息をついた彼女を引き留める声がする。
「佐倉杏子、ちょっといいかしら」
「なんだ、あんたか。ひさしぶりじゃねーか、どうした?」
「聞きたいことがあるの。手短に済ませるわ」
杏子は招かれるままに、木陰へと足を向けた。