「佐倉杏子、あなたに聞きたいことがあるの」
時間がない、とばかりに暁美ほむらは単刀直入に質問を投げかける。
「美樹さやかが過去へ飛んだ… 聖域の意図が何なのか、それはわからないし、私にとっては今のところどうでもいい…」
「あなたに聞きたいのは、なぜあなたが美樹さやかが行くことを認めたのか、ということ」
「いきなり何を聞いてくるかと思ったら、そんなことか。アイツが行きたいってんだから、私が止めるわけにもいかねーだろ。止めたって聞くヤツじゃねーしな」
「何が目的なのか、何が待ち受けてるのか、わからないというのに?」
「まぁ、聖闘士って連中の何から何まで信用してるわけじゃねーけどな… それでも、レグルスがあれだけ信頼してる、それだけでも、あたしにとっては十分だ。さやかだって、今のアイツならきっと大丈夫じゃねーの?」
杏子の視線に迷いはない。
「そう、あの人たちのこと、ずいぶんと信用してるのね?」
「だってさ、もう一度、未来を信じる気持ちになれたんだ。あいつらのおかげでさ。なら、突っ走るしかねーだろ?」
「そう… 未来… ならもう一つ。あなたにとっての「未来」… それはどういうものなのかしら?」
杏子の口から出てきた、意外な言葉。ほむらの表情には微かな驚きが滲んでいる。
「未来… 正直あたしもまだよくわからない。自分にとって一度は無価値になったものだしさ」
「でもさ、レグルスがあれだけ無邪気にあたしたちの未来をいいものだと信じきってるのを見たらさ。あいつ、そのためにもうじき死んじまうのが決まってるのに…それでもあんなに楽しみにしてくれててさ。あんなにフラフラグラグラしてたさやかまで、見違えるようにたくましくなって、未来のため、可能性のため頑張ってみるとか言い出すし」
「アイツらの顔見てたら、なんだか力が抜けちゃってさ。それがどんなものなのか、正直想像もつかねーけどさ、あともう一回だけ、自分の未来にも期待してみたくなった。あたしのなかではっきりしてるのは、それだけだ」
杏子の表情に溢れるのは、自分は彼らを信じる、という強い意志。
「あんたも、そうなんじゃねぇの? そんなこと聞いてくるあたりさ?」
「杏子… そうね… 私ももう一度だけ、未来を信じて見たくなった… 美樹さやかも、巴マミも今回はきっと… まもなく、この街には恐ろしい魔女、ワルプルギスの夜がやってくる。もし、私たちの未来のために私と一緒に戦って欲しい、そう言ったらあなたは戦ってくれるかしら?」
「あー、聖域の連中もその名前を口にしてたな… 戦わなきゃ未来が来ないんなら、そりゃぁね。たださ、その前に言いたいんだけどさ。あんた、もうちょっとあたしらやあいつらを信頼してもいいんじゃねーのか? なんだか訳知りみたいだし」
「…?!」
「あたしにだってわかる、あんたのその、外の世界からあたしらを眺めてるような視線とか、あたしらの知らないあたしらを知ってそうな口ぶりとかさ。あんた、嘘ついたり誤魔化すの、自分が思ってるより遥かに下手だってこと、ちょっとは自覚したほうがいいと思うんだ」
ほむらは押し黙ったまま、言葉を返さない。
「あとさ、あんがとな」
「?」
「あのラダマンティスって奴とレグルスがぶつかったとき、あたしたち助けてくれたの、あんただろ?」
「杏子、あなた…」
杏子の表情には微かな笑み。
「(デジェルも、わたしの未来を信じて、あの人の「夢」をわたしに託してくれた…)」
満天の星空のもと、デジェルと二人歩いたあの夜の事が、昨日のことのようにほむらの胸中に蘇る。
ほむらの瞳に、かすかに光が灯る。
「気づいてたのね。 そう… 今回はきっと… 今度こそ、わたしたちはその先へ進めるのかもしれない…」
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243年前の聖域。
今のところ、今日にも聖戦が始まるというわけではなさそうだ。
かといって時間に余裕があるわけでもない。
シジフォスは手際よく、さやかと自らの旅支度を進めている。
彼の地をよく知るマニゴルドと志筑仁美が居れば心強いのだが、あいにく不在のようだ。
聖衣を与えられるにあたって、最後の厳しい修行へと向かっている、とのこと。
しばし離れていた仁美に会えるのでは、と期待していたさやかは残念そうだが、仕方がない。
慣れぬ地へとやってきたさやかを気遣ってか、サーシャやテンマ、デジェルやレグルスたちが、ささやかながら歓迎会の場を設けてくれた。
「なんだかずいぶん頼もしくなったんじゃねーか!」
テンマは久々の再会、そして以前とくらべたくましくなったさやかを見てとても喜んでいる。
さやかは、まんざらでもなさそうだが、そんな彼女を見て、嬉しく思いつつもどこか悲し気なサーシャ。
「そりゃーね! いつまでも守られるばかりじゃいられないしね~!」
サーシャの気持ちを察してか、さやかはつとめて明るく振る舞う。
ほんのひと時、つかの間の再会を喜んだのち、シジフォス、山羊座の黄金聖闘士エルシド、そして彼の地を知るもう一人の聖闘士、牡羊座の黄金聖闘士、シオンとともに、さやかは慌ただしく旅立っていった。
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243年前の冥界。その最深部、コキュートスのさらに最奥。
「君はそろそろ、地上に戻ったほうがいい、いや、戻って欲しい」
金髪の少年が、目の前の少女を穏やかな声で諭している。
少女の髪には、ヒナギクの花が一輪。
その花はいつのまにか色を取り戻し、まるでつい先ほど咲いたかのように生気を纏っている。
「どうしてわたしをこれからもおそばに置いてくださらないのでしょうか? 貴方はこれから大きな戦いに臨まれるというのに…もしかしたら、少しはお力になれるかもしれないのに」
少女は少しもあきらめる様子はなく、その優しい表情とはうらはらな強い意志で食い下がっている。
「だから、だからなんだ。エリザベス。僕はこれから先、ここを空けることが多くなるだろう。そんな場所に生者である君をおいておくわけにはいかない」
「でも、もしあなたの身になにかあったら… こんなわたしをお救いくださったアローンさまの力に、わたしはなりたいのです…」
アローン、そう呼ばれた少年は、穏やかな視線で彼女を黙って見つめている。
「君には… 誰よりも優しく、人を思いやることの出来る、そして地上で生きる苦しみもまた誰よりも背負ってきた君には、僕が為さんとしていること、それが地上で苦しみに囚われている皆にとっての救済であることを人々に伝えて欲しい。そして僕がテンマたちと戦っている間、僕の成し遂げようとしているそれ、ロストキャンバスの行く先を見据えていて欲しい。テンマやサーシャとの戦いは決して容易なものではないと思う。それでも大丈夫、戦いを終えて、地上の全ての人を迎え入れたあとで、君を必ず迎えに行くから。どうか僕の頼みを聞き入れて欲しい…」
アローンの意思も固い。
その優しく、それでいて悲しみが横溢するその瞳。
彼女を見つめるその瞳の奥に静かに燃える確固たる決意。
「わかりました。わたし、見届けます、ロストキャンバスが完成するのを。そして待ってます、アローンさまに迎えに来ていただけるその日を。だからアローンさま、必ず聖戦に勝って、わたしをロストキャンバスに迎え入れてくださいね…」
彼女、エリザベスの髪を右手でそっと撫でるアローン。
左手には、神々しい光を放つ何かが握られている。
「これは、僕からの餞別。地上に戻る君を、君の魂を、どんな敵からも必ず守ってくれるだろう。僕の願いとともにこれを君に託す。頼んだよ…」
左手のそれは、まるで溶け込むかのようにエリザベスの体内へと消えていった。
「いるかい? 輝火(かがほ)」
「ベヌウの輝火、ここに」
「この子を地上へ、送り届けて欲しい。かつて僕が過ごした地上へ。頼んだよ」
名残惜しそうなエリザベスだったが、アローンの穏やかな顔に笑顔を返すと、輝火に背負われ、冥界の最深部から、イタリアの地へと戻っていった。