遠い、遠い、遠い………昔の夢を見た。
誰かの、遠い記憶の夢。
雨が降っていた。かなりの大降りだ。轟音、雷が近くに落ちたと同時に雨雲によって暗く包まれていた周囲が一瞬だけ照らされた。
水分を多く含んだ地面は紅く染まっていた。雨にかき消されず、鼻腔を強く刺激する鉄の匂い。
しかしそんなものはどうでもよくなってしまうだろう、目の前の存在を見れば。
照らされた辺りが再び暗くなろうと、影でその大きさは確認できた。巨大なものがあった。
山、と例えてもおかしくはないほど大きい。それは8つの頭を持っていた。そして8つの尾。
頭と尾を持つ山から、おびただしいほどの血が流れていた。それが地面を染めていた。
山の前に立つのは1人。雨の中傘も差さずそこに佇んでいた。右手に持つのは血と雨で塗れた一振りの刀。刀を地面に落とせば、鈍い金属音と共に血が混ざった雨水が跳ねた。
刀を落とし、空いた右手でポケットから煙草を出し咥えた。左手でライターを持てば火をつける。煙草に火は付かなかった。雨の中、舌打ちの音が微かに響き、消えた。
「流石にしけったか。」
遠い、遠い記憶を見た。
遠い、誰かの記憶の夢を見た。
燃えている。町が燃えている。見渡す限りの景色が炎に包まれている。熱気と焦げ臭さが息苦しく感じる。が、今はそんなものはどうでもいい。
今、目の前に『敵』がいる。4人の敵だ。今まで『自分』はどんな相手も圧倒的な力でねじ伏せてきた。そうだ、不敗だ。負けを知らない、恐れを知らない狂戦士なのだ。
だが今、自分は『恐れている』。具体的に言うならば4人の中の1人、炎に照らされ影のみが見える。一番背の高い影こそ自分が今最も恐れる『最強の敵』だ。影に映るのは長い外套と右手に持った剣。
対する自分は何も持たない。いや持っていた、けれど失ってしまったのだ。手に入れたはずの、一番欲していたものを失った。その原因は自分の無力さだ。
影が剣を振るい空を切る。風が吹き荒れるといきなり雨雲が現れ雨が降り出した。雨は町を包む炎を消しにかかる。その強さは次第に増して、数分後には炎を消すだろう。
地面に着いていた膝を上げる、拳を強く握る。力はほとんど残っていない、それでもやらなければならないのだ。失ったものの為に、この惨劇の始末を。
「世界は、悪意で満ちている。人間は同じことを繰り返して、繰り返して、繰り返してきた。俺はその度に現れては、清算をさせた。」
弱々しい声で言葉を吐く。親に怒られて泣きじゃくる子供の言い訳にも似た、とても弱々しい声。
「今回の清算は失敗しちまった、あぁ俺のせいだ。俺のミスだ。俺が悪だ。」
両手の拳を開いて、また強く握りしめると同時に言葉にも力を籠める。
「わかってたぜ、とっくに。こんなのイタチごっこだってことぐらい。だけどな、俺はそういう運命にある馬鹿野郎なんだよ。」
下を向いていた顔を上げる、影ではなく顔を見る。雨でしけたタバコを咥えた男は、ただ自分を見ていた。タバコを指で挟んで、息を吐く。
「自分の運命に、抗おうとは思わなかったのかい?」
男の口から放たれた言葉は自分の胸を的確に突きさす。的確過ぎて自虐の笑いが漏れ、溢れる。しゃがれた、無邪気にも思える自分の笑い声が雨の町に響いた。
「それも、そうだなぁ。アンタって奴はァ痛ェところ突いてくるじゃねぇか。」
「痛い所だったか、そいつは悪いことしちまったな。だけどな。」
指に挟んだタバコを掌に収めて握りつぶす。男の瞳には怒りと哀れみ、自分を映していた。
「抗おうとしなかった。それだけで、こいつは赦されることじゃない。お前が人類の悪意と罪であったとしても、だ。」
「赦されようなんて思ってねぇ、俺もそこまで愚かじゃねぇよ。」
自分と男の視線が交差し、対峙する。どちらの目にも決意が映る。自分の左手には剣が握られていた。残った力で作り出した剣だ、切れ味も耐久性も殺傷力もリーチもない。
だがケジメを付けるには十分すぎるほどの物だ。
「なぁ、知ってるか。世間一般ってヤツじゃあ、悪役は物語の最後に正義の味方に倒されるらしいじゃねぇか。」
「あぁ、知ってるよ。世間一般ってヤツのお決まりさ。」
剣の柄を握りしめる。これで終わらせる。
「俺の物語・・・この世の全ての罪と悪は、正義の味方とその仲間によって倒される。最高の締め方じゃねぇか。そう、思わねぇか?」
「さぁな。おじさん、そういうお話は最近読まないものでね。」
剣を構えて、踏み出す。右、左、交互に足で濡れた地面を踏みしめる。
男は構えず、立ったままで向かってくる自分を見つめている。
一閃、雨が反射して男の剣を映す。次に映すのは左肩から右の腰に掛けて切り裂かれる自分。
自分は全てがスローモーションのように見えた。雨と共に地面に降り注ぐのは自分の鮮血。自分を見つめる男の瞳からは怒りは消え、深い憐みだけが残っていた。
倒れる。地面に溜まった泥水に体がぶちあたり水しぶきを飛ばす。
指先から体が消えていくのを感じた。消えゆく体には言葉を紡ぐ以外の力は残っていない。
「また、人類は、同じことを、繰り、返す・・・。俺は、また現れるだろうさ・・・だからよ、おっさん。俺の、頼み、1つ聞いて・・・くれねぇ、か?」
「あぁ、いいよ。冥土への手向けだ、おじさんのできる範囲でな。」
「俺を、封印しろ・・・!あいつと、一緒に・・・!この地に、この大地に・・・!」
それは頼みではなく懇願。自分の目尻から流れるは雨ではなく、涙。血が混じった、後悔と悲しみの涙。すぐ近くで雨に打たれて冷たくなっていくであろう、愛する人への謝罪。
男は剣を地面に突きたてて、懐から新しい煙草を出しては咥えて火を付けようとして止めた。
「分かった、彼女と一緒に弔ってやる。だから・・・」
男の声は、子供の成長を褒める父親のように穏やかさと優しさで溢れていた。新しく咥えた煙草を咥えたまま、男は告げた。
「眠りな、この世全ての罪と悪。」
視界が黒く染まっていく。これが終わりなのだと実感した。やっと、終わる。
意識が遠のいていく。全てが閉ざされていく中、男の声が残った。
「だけど、覚えておきな。おじさんは正義の味方じゃない、それに今回はお前が悪役だっただけさ。次はお前が正義の味方役だといいな。」
それは無理な話だ、何せ自分は悪だと運命づけられているのだから。
また自虐の笑いが浮かんだ。また、運命付けられたものに抗おうとしなかった。
次、この世界に現れることができたのなら次は抗ってみせよう。運命に。宿命に。
全てが閉じた。自分が最後に心の中で呼ぶのは、生涯でただ1人、自分を理解し愛した女性。
誰よりも美しく、気高く、眩しかった、最愛の女性の名前を。
――――――――志月。
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