果たしてロリコンなのか!?
目が覚める。
身体をゆっくりと起こし、辺りを見回す。
いつも通り、橙の光に照らされたアイリの寝室だ。
「んん…ふあ……」
あれからどれだけの日数が経っただろうか。
枕元の電子時計を見る。
曜日は(金)と表示されていた。
あの遭遇から。
一週間、経ってしまった。
「そう………もう、金曜日なのね」
いつもハイテンションの化身のような存在だったアイリが、寂しげに呟く。
本当に、あの青年はやってくるのだろうか。
それとも、ただのハッタリだったのか。
「………その時は、その時ね。それに私には___」
___魔術がある。
彼の力ですら対応しきれないであろう拘束型。
あの力が魔術かどうかは知らないが、恐らくカマイタチを利用した遠隔攻撃型。
それに、力の発現にはチョーカーの電源をオンにする必要があるようだった。
つまり、相手が電源を入れる前に拘束すれば、勝ち目はある。
「まあ、まだ来るともわかってないし………もう三時。お茶でも飲もうかしら」
心を一新したアイリは、いつもの元気を引き出して、服の袖に腕を通しながらリビングへと向かった。
「にしても、よかった。元気で」
「ええ、ありがとうリズ。この通り、もうバッチリ元通りよっ!」
紅茶の入ったコップ片手に、ガッツポーズで今の調子を示してみせる。
安心したのか、普段無表情なリズも笑顔だった。
「でも、どうしたの?一週間も、寝込むなんて」
「ええ、ちょっとね。あの後すぐに収まったのだけれど、まだちょっとだるくて……」
青年のことを話す訳にはいかないアイリは、家族には体調不要と偽っていた。
普段のアイリでは信じられないことだが、家族は皆それを受け入れてくれた。
その辺り、アイリは家族に信頼されているのがよく分かる。
もちろん、舞弥と、上条からも。
すると、
ピンポン、とチャイムが鳴った。
「あら、お客さん?」
立ち上がろうとするアイリ。
だが、舞弥がそれを静止した。
「いえ、マダム。病み上がりなのですから、どうかゆっくりしてください。セラさん、客の相手をお願いします」
「わかりました。奥様、まあお茶でも飲んでいてください」
優しい言葉とともに、セラは玄関に向かう。
「ごめんなさいね、迷惑かけちゃって」
「そんなことはありません。マダムが寝込んでいる間、他のみんなが家事を手伝っていてくれていましたから。士郎くんはもちろん、イリヤちゃんにクロちゃん、当麻くんも。みんな、本当にいい子です」
「でしょう?例外はあれど私とキリツグの子どもたちですもの、いい子に育たないわけ無いわ♥」
「ふふ、彼も良き妻を持てて光栄でしょうね」
「あっらヤダ、良き妻だなんてっ…♥」
二人はいつも通りの仲睦まじい会話を繰り広げる。
アイリは、嬉しかった。
家庭教師の立場ながらも家族のようにアイリを心配する舞弥。
いい子になったという、士郎、イリヤ、クロ、上条。
これが私のいるべき日常なのだ、と。
この世界への帰還を、心から喜んでいた。
そんな会話をしていると、玄関からセラが戻ってくる。
「奥様、お客様がお呼びです。鈴科、という方が」
「鈴科?誰かしら…」
「客直々の指名ならば仕方ありません。どうぞマダム。心配せずとも、お菓子は食べませんので」
「ホントそれ、舞弥さんは甘いものに目がないものね!ちゃんと、残しておいてよ?」
そう警告し、席を立つ。
廊下に出てみると、玄関の扉は空いたままだった。
「もうセラったら、いくらこの短時間といえど不用心すぎじゃないかしら…」
セラの心配をしつつ、玄関に出る。
そこには、真っ白いパーカーを着込み、コンビニ袋を持った人物がいた。
あまりにも中性的で、体格から性別は判断できそうにない。
袋の中身はブラックコーヒーだろうか。
「すみません、お待たせしました。アイリスフィ__」
「口上はいいンだよ、本題に入ろうぜ」
その声は、聞き覚えがあった。
鈴科がパーカーを脱ぎ、素顔を露わにする。
白い生地に黒いラインが入った独特なデザインのシャツに、真っ白な髪と肌。
奇妙な造形の松葉杖。
その真っ赤な瞳を、彼女は覚えている。
「たしか………
「さァな。俺の本名だとか騒がれてたが、ンなもン知ったこっちゃねェ」
無駄な話を省き、
「さて、期限の一週間が経っちまったわけだが、今ならまだラストチャンスだ。クラスカード全て、美遊・エーデルフェルト、上条当麻。出せよ」
もはや交渉する気すらない
彼のその態度に寒気がしたのか、アイリは服のポケットに手を突っ込む。
「ええ、そうね。ちゃんと差し出さないと」
否、手を入れたのは寒気がしたからではない。
「____キリツグを名乗って命令した人に、あなたの身ぐるみ剥がされた可哀想な姿をね!」
“武器”が、あるからだ。
「チッ、交渉決裂だ__!」
「
手を入れていたポケットから、針金を取り出す。
その針金が鳥の形を作り、
一方の
しかし、手が電源に届きかけたその時、
アイリの作った針金鳥が、変化したのである。
「クソッ、しくったか………!?」
「ええ、しくったわね!これであなたは電源を入れても攻撃に移ることはできない。大人しくしてなさい!」
バランスを崩して屈む
普段の温厚な自分を捨てて、アインツベルンのホムンクルスとしての姿を表に出した、魔術の秘匿の義務を破った決死の一撃だった。
「やれるものならやってみなさい!その姿勢で、カマイタチが出せるとは思えないけれど!」
「キヒッ」
掠れるような、笑い声。
アイリの表情が変わる。
彼にはまだ余裕がある。
「クヒヒッ……あァ、甘ェよ。JKに大人気の原宿スイーツかよ、オマエは」
「何、を。笑っているの………!?」
アイリの頬を、一滴の水滴が伝う。
冷や汗。
彼の異常なまでの余裕に、恐れている。
「まァ、さすがはホムンクルスってところか。あの時カマイタチで攻撃したってのは正解だ。けども____」
予想だにしなかった事実を、告げる。
「_____だァれが攻撃系の能力だっつった」
ピッ、とチョーカーの電源を入れる。
瞬間、彼を拘束していた針金が弾けた。
銀の雪と化した針金が、
その姿はまるで、
死を告げる天使のよう。
「そん、な__どうして______ッ!?」
「まだわかんねェか。俺の能力は強いて言えば”防御系”なンだよ」
「何で………一体何をしたの!?」
「ンー、そォだなァ……」
彼女の決意を嘲笑い、
彼女の喜びを嘲笑い、
彼女の「全て」を嘲笑うように。
「………果たしてナニをやっているでしょォかァ?」
ぱりん。
「あっ、やっちゃった……全く、これでは奥様のご期待に答えることなど…」
手を滑らせたのか、珍しくセラが皿を落とし割ってしまう。
念のために掃除用のちりとりと小ぼうきは常備してあった。
「でも、よりによって私が割ってしまうなんて…今日何かあるのかしら………」
嫌な予感を感じつつ、皿の破片を拾う。
その予感は、間もなく的中することとなる。
破片をあらかた拾い尽くし立ち上がると、嫌な音がする。
また、割れてしまったのだ。
しかし、今回は皿ではなく、
家の玄関扉が、だが。
「___!?」
近隣住宅にも響くであろう音を立て、扉の破片が廊下に飛散する。
どさっ、と何かが床に叩きつけられるような音もした。
アイリだった。
一体どんな一撃を受けたのか、口からは血を流している。
「ッ…二人共、こっちに!」
急いで舞弥とリズを台所へと隠れるよう促す。
二人も慌てた様子で台所に隠れた。
ここならば、あの廊下から目視はできまい。
「ぅ___が、こふっ__」
口から血が止まらない。
こんなに苦しい思いをしたのは、彼女にとって初めてだった。
玄関の扉がない。
扉があったはずのところからは、美しい太陽の光が差し込む。
その光が宙に舞う破片や埃を照らし、神秘的な風景を創り出す。
そして、
「答えはベクトル変換。運動量、熱量、電気量。全ては俺の皮膚に触れただけで向きを好きに変えられる。この能力が防御系ってのは、デフォで反射に設定してあるからだな」
意味の分からない単語が、
ベクトルの変換?
反射?
そんなことが、本当に可能なのだろうか。
「そんな、こと___ぐっ__魔法の、域にまで_達して______っ」
「あァ、
「ちょう、のうりょ___く?」
こんな力が、人の手によって開発されたものだなんて。
アイリには、とても信じられなかった。
「ま、どうでもいいか。オマエは俺の
「いや___いやぁ______やめ、て__どうか、お願い_________!!」
血を吐き、涙を流しながら許しを請う。
しかし、今の彼は内面激昂している。
そんな彼が、許すはずもなく。
「不正解者には罰ゲームとして、安らかな眠りを♪」
ぐちゅり。
これ以上ない嫌な音が、アイリの中から響いた。
「あ、おぐ、ぶっ、がぁぁああああああっ!?あああっ、あああああああああああああっああっぶぶぶぶぶ!!!」
マーライオンにも負けない勢いで血を吹き出す。
それだけではなく、
「オイオイ、ホムンクルスってなァこンなに脆いのかよ?もう少しでお腹と背中がペッタンコ・ザ・リアルだぞ」
ぐりぐりと、踏みつけた腹を抉る。
しかし、アイリは声を上げない。
先程の一撃で、意識を失っていたのだ。
もはや目も閉じず、出血もひどい。
すぐにでも死んでしまうかもしれないし、もうショック死しているのかもしれない。
そんなこと、彼にはどうでもよかった。
ただ、暇ができた。
それだけのくだらない認識だった。
「はァ……おい、いンだろ!まだ殺ること殺ってねェンだ、とっとと済まさせやがれ!」
大声で叫ぶ。
その声は家全体に響いただろう。
これで誰か出てこなければ、彼は家ごと潰しかねない。
だが、そんな男の前に誰かが出ていくわけもなかった。
「ふはァっ……クソッ、遅くまで起きすぎたか?まだアクビが出ちまう」
口を大きく開けて
しかし、そんな行為を行ったところで、彼がまともに見られることはない。
「ったく…………ん?」
扉の先のリビング。
そこの床に、何か白いものが転がっていた。
セラが割ってしまった皿の破片である。
「なンだ、いンじゃねェか」
一方通行はリビングに入り、辺りを物色する。
リビングに階段があるのは彼の世界では珍しいパターンだったので、実のところ興味があったのだ。
「へェ、なンとご立派な。ふむ、こっちに庭が……」
それに、間取りを把握するのも、隠れた対象を探すには大事だ。
軽く覗いてみたが、庭には誰も居ない。
鍵はかかっている。
この短時間で外に出るのならまだしも、内側の鍵を外側からかけるなど魔術か能力でもない限り不可能だ。
ふと、意識が庭に向いた瞬間だった。
背後から、恐怖で今にも泣きそうなリズが長い竿を振りかざしてきたのだ。
「____ッ!!」
外干し用の竿が、ちょうど台所に立てかけてあったのだ。
セラ達はリズを静止しようとしたが、リズは聞かない。
「おっとォ、危ねェぜ?」
その一撃を
力のこもったその一撃は窓ガラスに直撃し、粉砕した。
「____出てって!」
「ンだァ、その持ち方は。ハルバードでも持ったつもりか?でも___」
振りが甘い。
リズはもう一度、我を忘れて竿を振りかざす。
またもや全てのエネルギーを力に回しており、素人でも避けるのは容易かった。
力任せに振り下ろしたため、床に当たった時の振動が竿を伝ってリズにも響く。
「っ…………うああっ!!」
ほんの少しだけ怯んだが、リズはそのまま竿を横に薙ぎ払った。
しかし、その
スイッチを入れた
そのエネルギーは先程と同じようにリズにも伝わり、リズの両手を無惨に砕く。
リズの両手は原型をとどめられず、機能を失っていた。
「ああああっ!痛い…………いた、い………!!」
「いたい?そりゃ必要な痛みだ。でも、まだ足りねェ」
とん、と。
リズの胸の谷間を平手で突いた。
「あ、かっ_____」
見た目に反して高威力の突きを受けたリズは、空気の塊を吐き出す。
人は、脳震盪を起こす。
脳に強い揺れが起こることにより引き起こされる症状だ。
同様に、心臓震盪と言うものも存在する。
発生条件はほぼ同じだ。
脳震盪が起きると、眩暈や意識障害、記憶障害などが発生するが、どれも命に関わる症状ではない。
対して心臓震盪が起きると心臓が停止し、命の危険に晒されてしまう。
そして、今のリズにとって最も問題なのが___
____心臓震盪は、子供が蹴ったボールが衝突する程度の衝撃でも発生するということ。
「はっ__!?がぐっ、ぎ、ぃっ_________」
魂が抜けたかのように倒れる。
心臓震盪が発生したのだ。
この突きの威力では、心臓震盪が起こるのは当然だった。
心臓震盪が起きた場合、救急隊員やAEDの指示に従って適切な順序で蘇生を行う必要がある。
しかしここにはAEDも、医療知識のある善人も存在しない。
リズを助ける術は、ない。
「_____オマエは、利口みてェだな」
背後で手を組み、抵抗する気を一切見せていない。
「ん?そォか、オマエがアイツの相棒ってやつか。ご苦労なこった」
「___________」
「___つっても、オマエはコイツらにつくみてェだけどな」
「その通り………!」
手を組んでいた背後から片手サイズのナイフを取り出し、突撃する。
台所に保管してあったナイフだった。
それを
防ごうとした
しかし、
舞弥は、一切身を引かない。
「………なンだ。てっきり反射が効かねェのかと思ったが、ここで刃が止まってる辺り、我慢強いだけみてェだな」
「…………っ!」
刃は
舞弥は反射によって弾かれるのを、自らの力で抑えているのだ。
要は鍔迫り合い。
しかし、その分舞弥への負担は大きい。
「にしてもここまで耐えるなンてな。とても家庭教師って感じじゃねェぞ、オマエ?」
「黙りなさい__ッ!」
ついに耐えきれなくなったのか、舞弥はナイフを
そしてまた駆け出し、今度は横に切り払う。
狙うは、恐らくこの能力の核となっているであろうチョーカー。
(あの電極を見た限り、アレは代理演算装置。アレを破壊すれば、あるいは____)
「____なンて、考えさせねェよ」
いずれ誰かがチョーカーを直接狙ってくるだろうとは思っていた。
だから、首が狙われた時の対処はバッチリだった。
手を挙げるように上に振り上げ、ナイフを弾く。
反射されたエネルギーに舞弥は姿勢を崩す。
その隙きを逃さず、
先程の鍔迫り合いで消耗していたのか、ナイフはいとも簡単に砕け散ってしまった。
とっさの判断で腕を引いたため腕へのダメージは軽かったが、考えが甘かった。
ナイフを引き寄せたため砕けた破片も舞弥の方に飛び散る。
頭部を中心とした上半身の広範囲に、破片は突き刺さった。
「っ、あぁ___!」
「遅ェ」
ただそう告げ、舞弥の頭を掴む。
そして、その頭をフローリングの床に叩きつけた。
叩きつけたのは顔面。
破片がさらに奥まで入り込み、舞弥を傷つける。
「あ___っ、がはっ………」
あまりの衝撃で脳が揺さぶられる。
もはや視界も定まらず、意識も朦朧としている。
頭部に何やら温かい感触を感じる。
人の肌のようだが、どこか冷たい。
もはや、それすら判断できなくなっていた。
「おねンねしてろ」
がつん、と。
痛々しい音が床を伝う。
同じように叩きつけられた舞弥は、今度こそ意識を失った。
うつ伏せの顔から、赤い水溜りが広がっていく。
鼻でも折れたのだろう。
「ったく、雑魚共め」
コンビニ袋をぷらぷらと揺らしながら呟く。
誰も話さなくなった静かな空間。
そんな中、誰かの荒々しい呼吸が聞こえる。
台所の方からだ。
「なンだ、まだいンのか?」
台所を覗き込むと、セラが膝を抱えてがくがくと震えていた。
舞弥やリズはともかく、彼女には一切の戦闘能力がない。
「オマエは、自分の立場がわかってるみてェだな」
「………………………………」
何も話さない。
「ンじゃまァ、一応みんなやっちまったンでな___」
「____オマエもああなってもらうぜ」
セラの首を掴んだ。
「ッ____あ、が__」
「細ェな、本当に細ェ。少し力を込めただけでぽっきり折れちまいそォだ」
自身の掌に返ってくるベクトルを反射して首を絞める力を増大する。
セラの首は更に絞まり、みしみしと軋む。
「___ふ、ぎっ_」
「あァ、なンだって?よく聞こえねェよ」
セラがばたばたと足をばたつかせる。
顔は変色し始め、もはや何も感じられない。
「だ、ず__げ_______で、___」
セラは助けを乞う。
「そォか。じゃあ、楽にしてやる」
そして、セラから一切の動きが無くなった。
こうして、衛宮家は地獄と化した。
「まだ学校の時間か。上の奴も下の奴も帰ってきてねェ」
ふと、テーブルの上を見る。
そこには、一口サイズの菓子が置いてあった。
バウムクーヘンをアレンジしたような、小洒落た菓子だ。
「コッチにはこんなモンもあンのか。どれ………」
単純な興味から、その菓子を口に放り込む。
なかなかの味だ。
「ほォ。菓子ってのもいいかもしンねェな」
せっかくなので、傍にあった茶と一緒に菓子もつまむ。
一口サイズの、その菓子。
そう、それはまるで___
____無惨にも
午後四時過ぎ。
イリヤ達は友達の家に寄ってから帰るとのことで、上条と士郎が先に帰路についていた。
「もうテストまで一週間無いのか……確かテスト一週間前からは部活も無いんだったっけ?」
「ああ。テストは大事だからな、部活なんてやってる暇ないさ」
「そっか。俺は特に部活とか入ってなかったからなー…」
そろそろこの時間にも夕焼けが見えるようになった。
冬が近い。
「はぁ……帰ったら、やっぱり勉強かな」
「そうだな。でも、当麻は頑張ってるみたいだな。舞弥先生が言ってたぞ」
本当だよ、としんどそうに言う。
舞弥の
それは彼の資本となって、一生役に立つであろう。
そうしていると家が見えてきた。
「そろそろだな。はぁ、暑い…」
「セラさん、アイスでも買っててくれねぇかな………」
そんなことを言っていると、あるものが目に入る。
上条達の自宅。
その玄関前の道路にこびりついた、僅かな血痕。
「あれは………血?どうして…」
「……………士郎、来るな」
「あっ、おい当麻!」
士郎を抑えて真っ先に家へ駆ける。
嫌な予感がしてならない。
玄関前に到着し、その予想が当たっていることがわかった。
玄関の扉が粉々に砕かれている。
そして、その先に横たわっているのは_____
「ッ…………アイリさんッ!!」
ぼろぼろになったアイリを見て思わず駆け寄る。
目を見開きながら気を失っている。
そして、腹部は血塗れで、目に見えるほど陥没していた。
「くそッ……誰が、こんな………!!」
「俺だよ」
リビングから、乾いた声が響く。
何処かで聞いたような、聞かなかったような。
いや。
この声は、確実に聞いたことがある。
上条はリビング向き、声の主を確認する。
白い頭髪に、病的な程に蒼白の肌。
その細いシルエットからは、もはや性別すらも判別できない。
血のように真っ赤に染まった瞳のその少年は____
「やっと会えたな。
「_______
再び、出会った。
再び、出会ってしまった。
床には、更に三人が転がっている。
両手の歪んだリズ。
うつ伏せの顔面から血を流す舞弥。
真っ青に顔を鬱血させたセラ。
あの惨たらしい殺戮が、上条の脳裏に蘇る。
例えるなら、まさに地獄。
いや、例えるまでもなく、これは地獄だった。
「てめぇ………何しやがった!!」
「何って…お偉いさンの命令に従っただけだ。真っ当な社会人のすることだろ?」
「何が真っ当だ!そりゃあ真っ当でもなんでもねぇ、ただの異常だ!!」
「あァ、そォだ。俺は異常だよ。わかってないとでも思ったか」
睨み合う上条と
空気が淀む。
邪気で溢れる。
彼は、再び倒すべき敵となった。
「この野郎___ッ!!」
痺れを切らした上条が
かつて彼を下した右手で。
しかし、同じ手に何度も引っかかるような
「はン。今更そンなンがなンになるってンだよォ!」
受け流すようにして上条の拳を躱す。
余った左手で上条の腹を叩いた。
ベクトルが反射された一撃は、確実に響く。
「ご、はぁッ___!?」
「変わンねェなァオイ!!」
よろめいた上条の腹を、更に膝で蹴る。
上条は吹き飛び、壁に激突した。
「かっ、ぁ___!!」
「そンだけかよ……リアクションがワンパターンなンだよオマエはァ!!」
ふらふらとよろめく上条の頭を掴み、地面に叩きつけた。
バスケットボールのように乱暴に扱われ、上条の脳が揺らぐ。
「ッ、あぁ____」
「オイオイ、ご自慢の右手がなけりゃただの
「うる、せぇ__」
倒れながらも上条は
しかし
「ぐあっ……!」
「やっと人間らしい悲鳴を上げてくれたじゃねェか。その調子でドンドン鳴いてくれよなァ!」
ぐりぐりと、肘を踏みつける杖に力を込める。
骨が潰れてしまいそうだ。
「ああっ!あっ、があぁっ!!」
上条はただ悲鳴を上げることしかできない。
今の
悲鳴を上げるだけ無意味だった。
しかし、
上条は一人ではない。
「
「おっと?」
背後から迫る斬撃を躱すために、
同時に、上条の肘を踏みつけていた杖も離れた。
「この声は…イリヤ!」
「大丈夫、とうま!?」
そこにはイリヤ、美遊、クロの三人がいた。
三人とも変身していて、準備は万全だった。
「お目当てのお方が自ら出てきてくれるとはなァ……美遊・エーデルフェルト」
「私が……?」
さらに、
「そっかァ。エーデルフェルトってのはオマエの姓じゃなかったな。なンつったか……」
美遊は驚愕した。
この男は、自分がエーデルフェルトの人間でなかったことを知っている。
それに、今、本名を思い出そうとしている。
禁忌としている、その名を。
「そォだ、思い出したぞ。じゃ、訂正させてもらう____」
彼は、知っていた。
「____大人しく来い、
サファイアが、美遊の手から落ちる。
かたん、と音を立て落下する。
美遊はその場にうずくまった。
アレを、思い出したくない。
あの悪夢を。
ずっと、この世界で。
エーデルフェルトで、いたかった。
「う、ぅっぅぅうぅううぅぅぅうう…………っ!!!」
「美遊っ!?」
「てめぇ、美遊に何を!?」
「いや、なンにも。ただ
とぼける
上条の怒りは、更に増大していく。
すると、美遊が立ち上がる。
「大丈夫です………私には、みんながいるから……」
「ほォ、いい子だ」
友達想いな美遊に、
「っつゥか、ここじゃ魔術の秘匿も無理だろ。場所を変えンぞ」
唐突に、
一瞬、こちらを向いた。
「ちゃんとついてこい」、ということだろうか。
「………俺は行く。やっぱり、アイツは許せない」
「うん。私も、とうまについてく」
四人は
人目のない所にでも連れて行くのだろう。
そうして、
上条も、薄々気付いていた。
円蔵山なら、誰にも迷惑はかけないだろうと。
実際、あの時
予想通り、連れてこられたのは円蔵山だった。
「ここなら、他人の目にも入ンねェだろ。要点だけ言う、クラスカードと
「んなもん、断るに決まってんだろ。人をなんだと思ってやがる!」
「…………交渉道具?」
てめぇ、と、人を馬鹿にするような
それに対して
「あのなァ……俺がどんな人間か、俺を除いてこの場で一番詳しいのはオマエだろォが。俺を三下とか言って殴り倒しといて、何を今更」
「確かに、そうだけども………それでも、あの答えは人道的に論外だ!」
「そォだな」
ただ退屈そうに肯定する。
恐らく、上条が何を言っているのかすら聞く気はないだろう。
「で、注文の品を寄越すのか、寄越さねェのか」
「断る」
確固とした答えが
よし、と彼は一息ついて、
「ンじゃァ、死ンどけ」
駆け出した。
「ッ、来るぞ!」
と、警戒を呼びかけた頃には、既に
(何だ………コイツのパンチ、キレが良すぎる………まさか!)
あの能力が発動している状態では、上条は右手でしか対処できない。
チョーカーのバッテリーの限界まで耐久しようにも、この攻撃はそんなに耐えられない。
(コイツ、能力が制限されたのを受けて、自らを鍛えてきやがったな……!)
「ッ、魔術だ!三人共、魔術でアイツに攻撃しろ!」
「ええ、こっちはやれるわ!イリヤ、美遊、アレ、行ける?」
「美遊!」
「うん、イリヤ!」
クロが矢を放つ。
そして、イリヤと美遊も、かねてより練習を重ねていた大技を放つ。
「
「
二人で一斉に魔力を放つ斉射。
大地を抉る程の光線が、
しかし、
「キヒッ…三下ァ、オマエ俺の力の仕組みを理解できてねェなァ?」
「何…………ッ!!?」
斉射と矢が、
瞬間、その軌道を逆行する。
「コレはな、「反射するものを設定する」だけじゃねェ。「反射しないものを設定する」ってのもできンだよォ!!」
飛行した弾道をそのまま遡る。
コレが弾丸であった場合、間違いなく銃口にそのまま突っ込んでいくであろう正確さだった。
「ッ、避けろ!!」
上条の警告で、少女三人は一斉にその場から飛び退く。
目標がなくなった斉射と矢は虚空へと飛翔し、勢いを失っていった。
反射に気を取られているスキに、
目標は、美遊。
「よォ、朔月」
「私は、朔月じゃない………っ」
魔力の足場を作り、
そして、自らの意思を語る。
「私は………美遊・エーデルフェルト!友達がいて、家族がいる!私は、
「…………あのよォ」
しかし、
たかが一人の幼女の言葉に惑わされるような人間ではなかった。
「そォいうの、いらねェンだよなァ」
現実を突き付ける。
そして、手に持っていた杖を平行に投げる。
びゅん、と風を切る。
それはきっと、弾丸にも匹敵する速度であろう。
ぐちゅり、と、杖が美遊の肩を貫いた。
「が、っ____!!?」
「美遊っ!!」
「くっそ……美遊、
聞き慣れない単語を耳にして、
だが、止めなければいけない気はした。
そこに、クロが立ちはだかる。
「オンナノコばかり狙ってんじゃないわよ、この
「…………オマエもそのオンナノコだろォが」
この程度の子供、
しかし、時既に遅し。
美遊は光を放ち、
ふと、
『これから君が回収に行くことになるクラスカード。魔法少女達は、そのクラスカードに封じられた
そう、その「力」こそが、この
「
青いタイツを身に纏い、朱槍を手にした美遊が降り立つ。
しかしその肩には未だに杖が突き刺さっており、彼女自身もとても辛そうな表情をしている。
「ツヴァイランサーのスキル「戦闘続行」…………」
肩に刺さった杖を空いていた手で持ち、力を込める。
「ふんっ………っ……あ、…………ん、あ”ぁっ!」
苦しみながらも、杖を引き抜く。
血塗れになった杖を投げ捨て、宣言した。
「………今の私なら、岩に身体を縛り付けてでも戦ってやる!」
「ほォ……面白ェ、かかってきな」
美遊は女子小学生にあるまじきスピードで駆け出す。
先程の
朱槍ゲイ・ボルクで、
しかしゲイ・ボルクに無効化系の能力は備わっておらず、
(クソッ………やっぱり
つまり、ゲイ・ボルクと
「…………ま、傷つかねェンなら問題はねェなァ!」
槍が反射できないのなら、他をやってしまえばいい。
一瞬よろめいた美遊の腹を的確に狙い、蹴り飛ばした。
「ごふっ」
血の塊を吐く。
あまりの衝撃で、美遊は文字通り大木を破壊する勢いで吹き飛んでいった。
「戦略家め………イリヤ、クロ!アイツの能力を発現させてんのは、多分あのチョーカーだ。アレをぶっ壊せ!」
「わかった!ノインキャスター、
「おっけー、お安い御用よ!」
イリヤが
あそこで上条が大声で二人に作戦を伝えたのも、また作戦だった。
この作戦が
そうなると、
ここで、
そうすれば、イリヤが万全な状態で
「
イリヤが、新たな姿で舞い降りる。
道化師のようなローブに人の皮膚でできているであろう
不衛生な白い髪は、まさにあの日のノインキャスターそのものであった。
そして、ノインキャスターは大量の海魔を従えていた。
「今だ!行っけぇ、タコさん達!」
可愛らしい呼び方だが、海魔は何一つ可愛くない。
見方によっては可愛いのだろうが。
それを利用して、大量の海魔で奴を絡め拘束する、という作戦だ。
作戦は成功。
キレイに引っかかってくれた。
「ッ…………そォ、か。考えやがったな…三下ァ!」
この好機を逃す訳にはいかない。
クロは干将と莫耶を構え、
狙うは、もちろんチョーカー。
「御首、頂戴……っ!」
干将と莫耶を平行に構え、横に斬り払う。
これで
だが、当の
「そォいう訳には、いかねェンだよ…!!」
斬撃は首ではなく頭頂に命中し、ベクトル反射ガ適用される。
クロは斬撃と逆方向に吹き飛び、干将と莫耶も原型を保てず崩壊する。
クロの手首も、少し変な方向に曲がった。
「く、あっ___!?」
ずさあ、と砂煙が舞う。
クロの身体は、砂まみれになった。
そして、落下時に擦りむいたのか、頬からは血が流れている。
「____っし、掘れたッ!」
拘束されたときから、僅かに動いた足を使って地面にくぼみを掘っていたのだ。
くぼみで充分なスペースができて、思い切り地面を踏みつけた。
瞬間地面に大きなクレーターとも言えるものが発生し、海魔達と地面との間に隙間ができる。
海魔達がよろめき、拘束が解かれる。
こうなってしまえば、ここからはもう
「この、っ……待ちなさい!」
体勢を立て直したクロが一気に飛び出す。
低い姿勢のまま、地面に足をつけることなく
しかし、五体満足の
唐突の回避に、クロは今度こそ体勢を立て直せない。
「トロいンだよッ!!」
全力のその蹴りはクロの腹に見事に命中し、クロは身体を「く」の字に曲げる。
「ごっ____!!?」
吹き飛ぶ。
もはやそれは人間が吹き飛ぶ速さではなかった。
車両の如き速さで木の幹に衝突し、背中から発せられた何か痛々しい音がクロの身体を伝う。
「お、ご___あ_____っ」
ずりずりと幹からずり落ち、弱々しく地面に落下する。
ぴくりとも動かない。
戦えるメンバーはもはや後二人だけ。
「この野郎_____イリヤ、カードを!!」
「うん、………じゃあ、これっ!」
イリヤは一枚のカードを上条に投げ渡す。
そのカードで何ができるのか。
カードゲームのアニメではあるまいし、ましてや最近の特撮ヒーローモノでもあるまい。
それもそのはず、彼は知らなかった。
上条の力が、
「ぶっつけ本番!ツェーンランサー、ディルムッド・オディナ、
「何!?なンだ、そりゃァ!!?」
先程の美遊とイリヤのように、上条も発光する。
全く同じ光を放って。
まさか、奴も変身するのか。
異様な光景だった。
日曜朝の魔法少女アニメに、男子メンバーが紛れているようだった。
だが、まさにその通り。
上条も、クラスカードの力を纏うことができる。
「
変身した上条が光の中から飛び出す。
深緑色に変色し、逆立ちなびく髪。
日本人らしからぬ金色の瞳が、
そして、手には
その名は____モラルタ、ベガルタ。
すぱっ、と。
モラルタによって、
「な、に_____ッ!!?」
切れるはずがない。
ベクトル反射どころか、変換すら通用していなかった。
「驚いただろ?」
上条が、言葉を放った。
「モラルタは「一太刀で全てを倒す」。この剣の前にはあらゆる抵抗は無に等しい!…………らしい」
どこか腑抜けた解説をする。
(そンな………いや、馬鹿な…「一太刀で全てを倒す」、だと……?それは_____)
「______とンだ、戯言だなァッ!!!」
足のベクトルを反射し、猛スピードで駆け出す。
向かってくる
「この剣は我が怒り。魔を退け、愛を求む。我が怒りの赤薔薇______」
モラルタを横に構え、薙ぎの構えをとる。
この一撃で、
その決意が、彼の瞳には見えた。
「この_____三下がァァァあああああああッッ!!!」
「咲き誇れ_______
地面と平行に引かれた、一本の筋。
それは
「なに__ッ!!?」
あと少し遅かったら、確実に真っ二つだった。
実際、靴底が少し
この三下に、ここまで圧倒されるなんて。
未だに、信じられなかった。
「ぐ、けほっ……」
上条を見る。
しかし、あの場所に上条は居おらず、
「終わりだ、
上条はモラルタを握る右手に力を込める。
もはや慈悲などなかった。
もはや意識などなかった。
そして、上条が気付いたときには_____
_____黒い銃口が、向けられていた。
「え________?」
「俺が普段無防備だとでも思ったか」
ぱぁん、と乾いた音が林に響く。
弾丸は、確かに上条の額を貫いていた。
「っ……………………とうまっ!!!!」
イリヤが、叫ぶ。
だが、それにもはや意味などない。
上条当麻は、三度目の死を迎えた。
最初にして最期の「本物の死」だった。
「あ、あぁ_____あああぁっ_____」
ぺたん、と力なくイリヤは尻餅をつく。
「ッ、はァ、はァ、ったく、手こずらせやがる……………」
空港セキュリティ対策に、弾もそんなに入れてこなかった気がする。
予想は的中、落下した音からして
今なら彼を倒せるかもしれない。
だが、今のイリヤにそんな気力はない。
とん。
イリヤを立たせ、肩に手を置く。
すると、イリヤの足を何かが伝っているのがわかった。
足元にも、水溜りのようなものが。
あまりの恐怖に、失禁してしまっていたのだ。
「……………汚ェな、ガキか」
死んだような眼だった。
「じゃあ_____仕上げだな」
ばすん、と。
能力を発動させたまま、全力でイリヤの腹を殴った。
「_____足りねェ」
もう一度。
「_____足りねェ」
さらに、もう一度。
「_____まだ、足りねェ」
もっと。
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと。
「は、はハ………ヒッハハハハハハハハハハ!!アギャッハハハハハハッハハハハハハハハハハ!!!あァ、楽しい。楽しい!!こんなの始めてだ!!ただひたすらに蹂躙して、蹂躙して、蹂躙して!!この血も、俺の痛みも!!こんなの、あの乱造品共でも味わえなかった!!最ッッッ高だぜ、オマエらはよォ!!!」
何回ほど殴っただろうか。
いや、何十回か。
もしくは何百回か。
どうでもよかった。
こんなニも、タノシいのだカら。
「………………でもよ」
再び、顔を見つめる。
眼は虚ろで、口からは血を流し。
本当に死んでいそうな顔だった。
「もう_____飽きたわ」
最後の一撃を、
身体は、宙を舞った。
その顔面がどうなってしまったかは誰も知りたくない。
「…………ぐ、っはァ__」
美遊が抜き取った杖の方へ歩き、手に取る。
もう、ここでやることはない。
クラスカードとか、美遊とか、上条とか。
もう、いいと思った。
「あら…………私達、飽きられちゃった?」
声がした。
聞こえるはずのない声が。
ぎょっとして
そこには、
「はぁ…………全く」
さっき投げ捨てた拳銃を
「弾丸の投影なんて…消費する魔力、尋常じゃないんだから………ちゃんと、当たりなさいよね」
弾丸が放たれた。
緑色に輝く弾丸は真っ直ぐに飛び、
「かっ_______」
ぱたん、と、その場に倒れた。
「が、ごほ、ごほっ…………」
クロは痛覚共有の呪いを受けている。
イリヤの痛みは、そのままクロにも返ってくる。
今にも吐いてしまいそうな、死んでしまいそうな痛みが、クロを襲っていた。
それでも、倒れない。
イリヤなんかに、負けたりしない。
だって、
「ああ……当麻様、そんな……………」
上条の死を悲しむサファイアの声が聞こえる。
そして、こっちでも。
「イリヤさん、イリヤさん!起きて、起きてくださいよぉ!!」
「ルビー………イリヤ、は……」
「…イリヤさんは、その………」
こちらに背を向けるイリヤの反対側に回り込んでイリヤの様子を見る。
とても、言葉で表現できるような状態ではなかった。
「う……………」
あまりの惨状に言葉が詰まる。
思えば、自分だけ目立った損傷がない。
二人共身を犠牲にして戦っているのに、
「______私は」
自分だけ軽い傷で申し訳ないと思った。
上条も、死んでしまった。
守れなかった自分が情けない。
「………ねぇ、イリヤ。どうしたの?…わかった!きっと魔力が足りないのね?うん……いいわ。今回は特別、私がキスしてあげる」
「クロさん………イリヤさんは魔力が足りないんじゃ…」
「きっとそう」
きっぱりと、言い切った。
「そのはず、きっとそのはずよ。イリヤはあんなのに負けないもの。長い間戦ってたから魔力が切れて、それで倒れちゃったのよ。そうよ、それしかありえないわ」
「……………………クロさん」
今のクロの状態を、ルビーですら察していた。
クロはそっとイリヤの顔に手を添え、その唇に触れる。
唾液を分け与え、魔力を供給する。
「ん……ちゅ、んん…………」
イリヤの唇から、自身の唇を離す。
互いの舌が糸を引き、夕日で照らされる。
「ね…これで、魔力も溜まったでしょ?お願いだから、次はこっちにも魔力供給しなさいよね。お願いだから_____」
そして、優しくイリヤを抱き締める。
「____目を、覚まして……」
ただ、戻ってきてほしかった。
いつも通り、笑ってほしかった。
いつも通り、喧嘩したかった。
それが彼女の願望。
今は、それだけを望んでいた。
そして、声が聞こえる。
「く、」
掠れたような、声が。
「くか、」
少女のものではない、声が。
「くかき、」
悪魔のような、男の声が。
「くかきけこかかきくけききこかかきくここくけけけこきくかくけけこかくけきかこけききくくくききかきくこくくけくかきくこけくけくきくきくきこきかかかーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
瞬間、空気が歪んだ。
仰向けに倒れた
その光はとても強く、夕日の光を完全に塗りつぶしていた。
超巨大の、
「嘘…………なんなの、あれ……そもそも、アイツ、なんでまだ能力があるのよ…あのチョーカー、は………っ」
もはや全ての力と魔力を使い果たしたクロは、イリヤの上に被さるようにして倒れてしまう。
残ったのは、ルビーとサファイアだけ。
「助けを呼びに行きましょう、サファイアちゃん!もう誰も…戦えない!」
「くっ…………ええ、姉さん!」
ここでじっとしていたらこっちまでやられてしまう。
二人は助けを求め下山した。
誰も居なくなり、
「ッッヒャハハハハハハハハハハハハハハ!!ギヒャハハハハハハハハハハ!!!ついに戻ってきた!!俺の力が!!もう三十分じゃ終わらせねェ!!!ヒッ…今の俺なら、例え世界だって滅ぼせる………!!!!」
もはや風の音はせず。
笑い声だけが空気を震わす。
ごうごう、と、風が吹く。
上条のシャツが、髪が、強風になびく。
その風は、
彼の命をも呼び起こした。
「ん、んん…………」
ゆっくりと、瞼が開く。
「あれ、俺…………生きて……」
あの時、確かに銃弾は上条の脳を貫いた。
それで、生きていられる訳がない。
「一体、どうして_______」
ふと、上条の目にあるものが入った。
赤い剣。
ツェーンランサーを
そして、
黄色い
「これは………………ベガルタ?」
剣自体は、特殊な能力を持たない。
しかしその剣は異様なまでに頑丈だった。
伝説において、その剣は刃を砕かれた。
それでもなお、柄のみで相手の脳を貫いたという。
この宝具は、
いわば、
ベガルタが、上条を救ったのだ。
だが、これじゃ戦えない。
確かにモラルタは
きっと刃が
「おォ……?オマエ、なァンで生きてンだァ…?」
「ッ!?」
ついに目をつけられた。
もはや逃げることはできない。
「ま、いいか………今度こそ楽にしてやる」
間もなく、上条に攻撃するだろう。
上条に残された手といえば_____
「_____これか」
このクラスカード。
あの検証で失敗してm何度も何度も練習を重ねたが駄目だったカード。
恐らく今これで
しかし、100%ではない。
100%でない限り、0.1%の希望はある。
それに、賭けるしかない。
「ッ…………頼む……」
上条はカードを握り締め、立ち上がる。
目の前には巨大な
生き残る確率は0.1%。
この絶望的な状況を、乗り越えられるのだろうか。
______いや。
上条は今まで、これの比ではない絶望的な状況をいくつも乗り越えてきた。
求める死は
どうやら、休んでいる暇はないようだ。
「_____死ネ」
一斉に、
林全体を覆い尽くす程の電撃が、上条に襲いかかる。
あれは自然界のプラズマを収束させたもの。
例え魔術が消せても、魔術で砕いたコンクリートの破片は消せない。
このカードに、全てを託す。
そして、その名を名乗る。
「______ゼクスアサシン、
直後、上条を暗黒が覆った。
色で例えることのできない、ただどす黒い暗闇。
上条を包んだ暗黒は、
「ッ、あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああああああああああッッッ!!!???」
苦痛に、声が歪む。
その苦痛は、誰もわからない。
彼にしか、感じることはできない。
暗黒は徐々に深まり、ついに上条を目視できなくなるまでに達した。
「コイツ、は___!?」
先程とは違う邪悪な光に、何が本当かわからなくなる。
「……いや、今の俺に制限はねェ。アイツの右手の対処法も考えてある。このコンディションで、負けるはずがねェ……ッ!」
再び、天に
あふれる紫の光が、弱まり始めた上条の暗黒を打ち払う。
そこには、黒い大剣を片手で持った、それ以外はいつも通りの上条が居た。
「…………は、ハッ!なンだオマエ、そりゃ不発じゃねェのかァ!?」
もはや容赦はしない。
再び
「最期の最期までカミサマに見放されて、とンだ不幸だったなァ三下ァ!!」
狂ったように笑う。
上条はこれで死ぬ。
上条の死を、限界まで笑い尽くした。
否、上条は死なない。
上条の振るった大剣は暗黒の炎を放ち、
「________はァ?」
先程とは違う、とぼけた声。
状況が理解できていなかった。
上条が顔を上げる。
黒いツンツン頭に黒い瞳、どこからどうみてもただの男子高校生だった。
右手に持った、血塗れの剣を除けば。
そして、
「__我は三下に在らず。その異名は、汝にこそ相応しい」
声自体は上条のものだった。
しかし、喋り方が全く違う。
これは、上条ではない。
「テメェ…………ナニモンだ!!」
「____我に名を尋ねるか。それは汝の死を意味する。否、汝は最早死し身、名を明かしたところで何にもならぬか」
奴は、誰だ。
あれは、上条じゃない。
訳の分からない恐怖が、
「___良かろう。死にゆく貴様に、我が真名を告げる。
我に名は亡い。強いて言うならば____”
名乗った。
瞬間、
やる気がなくなったとか、そういう虚無感ではない。
自分は生きているのか、死を察し、もはや生きる気を失った虚無感。
「__我は貴様を殺すべくして顕現した。故に、貴様に明日は亡い。そうであろう___殺戮者よ」
自らの肉体に、そう呼びかけた。
殺戮者、と。
「____クソッ!!」
この”山の翁”とやらを放っておくと命が危ない。
ここで、奴は殺すべきだ、と。
そう、思っていたのだ。
上条に手を伸ばす。
この手が触れれば、相手はたちまち崩壊する。
対して上条は全く動く気がない。
動けないのか、余裕なのか、策があるのか。
そんなことを考えている余裕は、
(やった___!)
これで奴は_____
「______死なねェ?」
ありえない。
この能力が右手以外にも効かないなんて、ありえない!
「__我は死を告げし者。貴様の異能は、我に触れた瞬間
思考が固まる。
次に思考が動き出した頃には、その大剣で、顔面に触れている右腕が切断だれていた。
「あ”ッ、がああああッァあああッッァァァァァァあァァ!!!!」
「苦しいか。その痛みは真だ。幻想ではない。幻想は既に死んだ。貴様は、この醜い現実で死を迎える。」
続いて、腹が切られる。
内臓が飛び出でんばかりの深い切れ目は、
「ッ、ァ_____!!?」
「____無様なことよ。我とて人の子、慈悲はある。貴様に、最高の慈悲をかけようぞ」
そして、右胸が貫かれる。
ただでさえ血塗れだったその大剣は、さらに血で上塗りされた。
「_________ッ」
「_____それは、死だ」
抵抗することもできない
「____聞くが良い。晩鐘は汝の名を指し示した」
剣が振り上げられる。
どうしようもない死が、
「告死の翅_____首を断つか!」
上条の目が、血の色に染まる。
その剣に慈悲はあらず、ただ死を与えようとしていた。
絶対的な、死を。
「
言葉の途中で、ふらりと上条は倒れた。
「ハッ!?」
上条は目を覚ました。
目の前には、何故か舞弥がいた。
鼻が腫れ、顔面が傷だらけの見るも無惨な姿で。
「先生___どう、して」
「そんなことはどうでもいいわ。今は周りを見て」
見てないものなんて
上条はゆっくりと起き上がり、目を擦る。
視界が広がり、そこにあったのは____
____
「ッ___!!?」
「彼をここで死なせるわけにはいかない。色々と聞きたいこともあるでしょ?応急処置はしてあるから、早く
「何でそれを____わ、わかりました」
上条はすぐさまフィーアキャスターを
「そうだ___イリヤと、美遊とクロと、あとアイリさん達にも___ッ、アイリさん達は!?」
「あの後オーギュストさんが応急処置をしてくださって、今は無事よ。でも、できるだけ急いだほうがいい」
「はい。_____
優しい光が、短剣から放たれる。
「___オーギュストさんからメールを受け取ったわ。三人は完治したみたい。それに__私も」
鼻に巻いていた包帯を取ると、腫れはすっかり収まっていた。
上条は、舞弥を治すことも忘れなかった。
「はい、よかったです___ところで」
「ええ。聞きたいことはだいたい分かる」
「私が目を覚ました頃、あの杖がいたの。ルビーと、サファイアだったかしら?最初はわけがわからなかったけど、全部聞かせてもらったわ。クラスカードのこと、クロちゃんの生い立ち………あなたがこの世界に来たこと」
「…………………」
「言葉が出ない?そうよね。魔術は秘匿が大前提なんだもんね。でも………正直、マダムから少し聞いてたの。一生懸命、立派に戦ってるんだ、って」
すると舞弥は上条のツンツン頭に手を置く。
そのまま、すりすりと頭を撫で始めた。
「な………」
「ごめんなさいね。教え子の助けになるのは先生の役目なのに……助けてもらっちゃったわね」
「いいんです、助けてくれなくても。俺には____みんながいるだけで十分ですから」
「……………そう」
一瞬、舞弥が悲しげな顔をした気がする。
気のせいだろうか。
「?先生、今…………」
「あら、オーギュストさんが来たみたい。この
「……そうですね。ちゃんと拘束もして」
「ええ。ああ、あと、マダム達の記憶は消しておいて。一応ね」
「はい、じゃあ____」
残酷な戦いの終わりを告げるように。
だが、上条は気付いていた。
ゼクスアサシンのクラスカードが、どこにもないことに_______
人生で一番ルビ乱用した回でした