そこは、暗黒だった。
「黒」としか例えようのない暗闇。
天井は無く、逆さの奈落が広がっていた。
上条は目を覚ました。
先のエルフライダー戦でゼクスアサシンの力を使い、その後倒れたことはわかっていた。
あの時、彼には意識があった。
勝手に動く肉体を内側から見ていた。
そして、目を覚ますとここにいた。
「なんだ、ここ……」
半開きの目を擦り、辺りを見渡す。
よく見ると、そこは谷だった。
ごつごつとした青白い岩場。
それは、とても冷たく感じた。
「あれから一体、なにが…?」
「何も起きてはいない」
虚空から声がした。
現れたのは、一人の巨人。
2mを超えるその長身に黒いローブを被り、その奥から青白い瞳が輝いている。
大剣を地面に突き立て、悠々と語る。
その声に、覚えがあった。
「お前が……ゼクスアサシンか」
「如何にも。最も、ゼクスアサシンなるものは異名の1つに過ぎぬ。我に名は無く、どう謳われようが構うまい。強いて言うなれば、”山の翁”と名乗ろうか」
”山の翁”。
上条に力を貸し与えていた存在にして、六騎目のアサシン。
だがそれは貸与に非ず、力を見定めていただけだ。
「何のようだ、俺をこんなとこに呼びやがって」
「呼んだのではない、汝が訪れたのだ。此処は汝が心象世界。我と一体となり暗く染まった
「俺の心……?」
心象世界なる場にて、”山の翁”は語る。
此の場の全ては彼に平伏し、彼に従う。
彼は最早生と死を超越した生霊。
「即ち、幽谷なり」
「幽谷……」
上条は問う。
何故俺は
「汝は我が権能を使い過ぎた。いくらその右手といえど、我が権能を率いるには脆い。故に汝は倒れた。目覚めたくば我を制しよ。そして我を飲み込むのだ。その肉体に、その右手に、我を「己」として刻みつけよ」
わけがわからなかった。
この右手は異能を打ち消すだけだと思っていた。
いや、そのはずだった。
なのに、この世界に来てから妙な進化ばかり訪れる。
刹那、地面の一部分が燃えた。
青白い炎は焚き火のようにも見え、そこには一本の剣が突き立てられていた。
「剣を取れ、殺戮者よ。この谷にて、貴様の右手は役を成さぬ。貴様の剣の腕のみが、生きる術なり」
「ちょ、待てって。俺がお前を取り込む?そんなこと_____」
「不可能、と云うか」
”山の翁”が上条の言葉を遮断した。
「構わぬ、不可能と云い続けるが良い。だが、我は貴様を斬り捨てる。どちらにせよ、貴様は目覚めぬ」
上条は後退った。
彼の者は暗殺者の王、殺すのは容易だろう。
「殺す」立場であった上条は、「殺される」ことを恐れる。
だが、覚悟を決めた。
「……そうか。ここで俺が死ぬと、外での俺も死ぬんだな」
「然り」
「なら……ああ。なら、そうしよう」
上条は焚き火に向かって足を踏み出した。
その目に、狂いはない。
ただ、確固とした決意があった。
「俺にこれ以上の力はいらない。望まない力を持っても、只々邪魔なだけだ」
「否、業である。殺戮者としての業を、貴様が背負うのだ」
「それもお断りだ。そんなでっかいもんに、俺じゃあ耐えきれない。だから_____」
そして、柄を掴み、剣を引き抜いた。
巻き上げられた青い火花が、上条を覆った。
「お前をぶった斬って、いっその事その業ごと消し去っちまえばいいんだろ!」
「_____笑止。実に期待はずれだ、小僧。我とて、手加減はせぬ」
”山の翁”も剣を引き抜き、上条に向ける。
剣筋は交差し、互いの心臓を捉えていた。
「最大の試練を、貴様に与えよう。来い」
上条は駆け出した。
”山の翁”は一切動きを見せない。
ヤツの実力がどれ程のものかはわからないが、チャンスだ。
上条は”山の翁”の腰を狙い、剣で薙ぐ。
その長身に対して、上条の行為は胸を斬るのに等しい高さだった。
「ぬるい」
だが、”山の翁”は剣を振り上げ、上条の剣を弾く。
反動でよろめいた隙に、”山の翁”が剣を振り下ろす。
「ぐっ!?」
大きな動きは上条でも先を予想でき、剣を構えて防いだ。
しかしその剣筋は青い炎を放ち、それに圧倒される。
”山の翁”と上条との純粋な力の差もあってか、大きく仰け反った。
「強っ……お前、本当に暗殺者かよ!?」
「我、ハサンを殺すハサンなり。故に我に隠密は意味を成さず、愚かなるハサンがいるならば即座に断つのみ」
「それ暗殺者って呼べんのか!?」
とツッコむと、地面から青白い火柱が立った。
”山の翁”によるものだろう。
そしてその炎は、上条を狙っていた。
「嘘つけこれ絶対暗殺者なんかじゃねぇって……!」
この戦いは、そもそも互いの力の差が開きすぎていた。
上条が用いるのは剣一本のみ。
今はただ生身で剣を振るうだけなので、特殊な戦闘能力も何もない。
対して”山の翁”は、同じ剣一本でも能力に差があった。
「死」が染み付いた大剣、青く燃え盛る炎、巨人の如き体格。
生身の人間が挑んで良い相手では決して無かった。
「其処か…!」
「な___ぐほぉっ!?」
大剣が、豪快に振り下ろされた。
上条はそれを剣で防ぐも、圧倒的なパワーですぐに押し負けてしまう。
「ッ……野郎ォッ!!」
全ての力を剣に集め、”山の翁”を斬る。
だが呆気なく躱され、反撃を喰らうだけだった。
「所詮はその程度か。いくら世界を救おうと、いくら悪を滅ぼそうと、それは貴様の力ではない。故に貴様は最弱の名を冠するに等しい」
「わかってんだよ、んなこと……俺は
そうか、と”山の翁”は一言。
その一言は慈悲というか、何というか、「同情」のようなものを感じた。
「ならば___」
だが、”山の翁”は上条を慰めたりはしない。
彼が己が道を進み続けるのなら、それを阻むだけだ。
「____
深夜、間桐邸。
「……」
少女が目を覚ました。
それに続いて、青年の声が少女に呼び掛ける。
「おい、桜!お前が勉強を教えてほしいって言うからわざわざ僕が教えてやってたのに寝るって、どういうことだ!」
「ああ……私、寝てたんだ………」
少し寝癖の付いた髪をとかしながら、桜は身体を起こす。
時間は午前三時、そして此処は兄慎二の部屋。
机に山積みになった古本が目に入る。
桜の部屋とは似ても似つかないインテリアの部屋だった。
「ごめんなさい。せっかく頼んだのに…」
「全くだよ。もう三時だぜ?僕はともかく、お前はテストだろ。さっさと寝ろ」
慎二は明日の支度をしているようだった。
こうは言っているものの、慎二もテストなのに変わりはない。
だが、桜はその場で固まっていた。
薄目で、ただぼーっとしている。
「………桜。聞こえなかっったのか」
「あっ、ごめんなさい!ちょっと、さっき見てた夢のことを思い出して……」
「夢、だ?」
「うん」
桜の表情は、暗かった。
「とってもこわい夢。みんな死んじゃって、誰もいなくなって…私は一人で泣いてた。周りには死体が転がってて、街が燃えて………」
「なんだそれ、そんな馬鹿みたいなことあるわけ無いだろ。どうせお前の自意識過剰なんじゃないのか?」
桜の話を面倒くさがるように言う。
そして、早く出てけ、と心無い一言。
だが桜はその言葉に傷付く様子はなく、慎二の言葉に只々従う。
「夜遅くまでごめんなさい。もう、寝ます」
「ったく、ごめんなさいばっかり言いやがって……」
ドアノブに手を掛ける。
部屋のドアを閉める直前に、慎二は桜に向けて言った。
「____言いたいことがあったら言えよ。一応、僕はお前の兄貴だからな」
はい、と、桜は返事を返した。
「……さて。早く寝なきゃ」
長い廊下を早歩きで進む。
だが次の瞬間。
脳裏に明確なイメージが浮かび上がり、桜はよろめいた。
「っ……!」
頭を抑える。
覚えのない光景に、恐怖する。
その青い炎から顔を覗かせる骸骨面は_____
「何、これ_____?」
そこで、イメージは途絶えた。
悪いことの予兆か、それとも夢の続きか。
そんな桜の頭には、何故か一人の青年の姿が浮かんでいた。
「…当麻くん…………」
何かを、感じ取っていた。
負の
「ぐ、っは………」
上条は倒れる。
全力で剣戟を繰り出したが、”山の翁”には全く通じなかった。
逆に上条は押され続け、傷付き、現在に至る。
「それが貴様の弱さだ。人を救うことしか貴様は知らぬ。故に自分のために戦うことに慣れていない」
「それが、どうした_____」
「殺すことを知らぬ剣は脆い。殺すことしか知らぬ剣は鋭い。貴様は前者だ。何も知らぬ、故に何事も成すことは出来まい」
事実だった。
能力は弱く、成績は悪く。
相手を中途半端に傷付ける拳しか持たない。
何も変わっていない。
何も。
「貴様の右手は世界を不幸にする。貴様と関わった人間は、総じて不幸に遭っている。違うか?」
「ああ______」
確かにそうだ。
御坂美琴にも、インデックスにも、両親にも、迷惑ばかりかけてきた。
そして、皆辛い目に遭ってきた。
「____だけど、てめぇはどうなんだよ」
「む」
杖のように剣を突き立て、ぼろぼろになった肉体を起こす。
ろくに歩く力もなく、ただ言葉を発するだけだった。
だが、上条にとって。
言葉は第二の武器である。
「お前のその大剣には「死」が染み付いてんだろ?つまり殺すことしか知らないってことだ。そんなお前に、人を救う気持ちがわかるか?確かに、結局は悪い目に合うかもしれない。ぶっ倒した敵だって、その先不幸になって苦しむかもしれない。だけどな、誰かを救うってことは、自分の為でもあるんだ。インデックスを助けた時、
「______必要なし」
「当たり前だ。だってその大剣は「救うこと」を知らないんだもんな。殺す相手を見つけては殺して、後は何してた?殺し続けて人生オシマイってか?んなのつまんねぇだろ!誰かを助けてこその人間だろ。どうなんだよ、”山の翁”。誰だろうと心はあるんだ。お前だって、救いたい人、愛した人の一人や二人いたはずじゃねぇのか!」
「____」
”山の翁”は口を閉ざした。
殺し続けてきた人生に、生など無い。
「死」に産まれ、「死」に生き、「死」に死ぬ、それが彼だった。
救いたい人など________
「コイツだけは守ってやりたい、そう思う奴がいたんじゃねぇのか?お前にとってのかけがえのない存在は、確かにあったはずだ!」
(_____じいじ。きょうは、なんのおはなしをきかせてくれるの?)
(うむ。ならば今宵は中東の大英雄__アーラシュ。彼の話を聞かせよう)
「______
「お前はそれを守れたか?いいや、守れるハズがない!そんな殺すだけの大剣で、何が守れるってんだ!」
(___みんな、しんじゃった。じいじ、こわいよ…さみしいよ……)
(恐れることはない。汝が涙を流すならば、我が拭おう。汝が悲しみに凍えるならば、我が廟が暖めよう)
「______
「お前は、俺が人を救ったんじゃなくて殺したんだって言ったよな。ならお前は俺と同じだ。そんな
(____わたし、いつかじいじのおよめさんになる。えへへ、わたしの「ゆめ」なんだ!)
(そうか。汝が我が妃となり、互いに愛し合う。それは____存外、良きことやもしれぬな)
「____________
叫びが、幽谷に響いた。
今までの”山の翁”らしからぬ発言から見るに、かなり動揺していた。
「図星か。そう、お前は死に囚われた生霊でも、死を告げる天使でもない。………とても弱い、どこにでもいる一人の人間だ」
”山の翁”はただ呻く。
上条の言葉を否定したい、でも否定できない。
それが、事実だから。
「______笑止、笑止笑止笑止笑止笑止!貴様のような愚者に、我の何がわかるか!そのような戯言は、聞くに値せぬ!」
「でも聞いてたんだろ。聞いてるから、お前は動揺してるんだ」
「貴様___貴様はことごとく我を愚弄した。その罪、「死」を以てですら償えぬと知れ!!」
青白かった瞳が、怒りの紅に染まった。
”山の翁”は駆け、上条へと剣を振り下ろす。
「どうした、さっきまでの的確さがまるでねぇぞッ!」
だが、僅かな隙を突いて上条は脇腹を剣で切り裂く。
「ぐ、ぬおおぉぉ……!?」
「隙だらけだ!」
先程とは打って変わって、上条の一方的優勢だった。
上条も恐らく限界なのだろうが、それでも”山の翁”に攻撃させる暇を与えなかった。
まるで、”
「何故、何故だ!!剣の何も知らぬこのような子供一人にぃ……!!」
「ああ、確かに俺は剣の何たるかも知らない。剣なんて、授業で剣道をちょこっとやったくらいだ」
だが、上条は確かに知っていた。
”山の翁”が決して知り得ぬ真理、剣よりも強い武器。
「人の心」だった。
互いの生命のあり方は同じかもしれない。
ひょっとしたら上条は、かつて実在した”山の翁”の生まれ変わりだったりするのかもしれない。
だが、歩んできた道の質で言えば。
上条と”山の翁”には文字通り天と地ほどの差があった。
「良かろう!ならば、我が至高の一撃を以て貴様を葬り去る!
その宝具の発動を、何かが阻んだ。
幽谷の宙からさす一条の光。
”山の翁”によって塗り替えられた幽谷の壁、それを打ち砕き蘇った上条の心象世界の断片だった。
「きさ_____ぐぅッ!?」
これまでにない大きな隙に、上条は剣を”山の翁”の腹に深々と突き刺した。
そして、突き飛ばす。
腹を貫かれれば、どんなに屈強な男であろうとよろめくはずだ。
「いいぜ、”山の翁”。てめぇに守りたい人がいねぇってんなら、愛する人がいねぇってんなら、」
”山の翁”が体勢を立て直す前に駆け出す。
その、ぼろぼろになった拳を握って。
「てめぇが、その腐った信念を譲んねぇってんなら_____」
多くの
黄金の錬金術師、学園都市の頂点、貧しき修道女、右方の天使。
「________まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!!!」
結局のところ、
上条にとって、拳は何よりも強い武器なのだ。
「……い……おい……おーーーい!」
耳元に響く叫びで上条は目を覚ました。
質素なインテリアの和室。
上条と士郎の部屋だった。
となると、上条を起こしたのは十中八九士郎だろう。
「あぁ……士郎………?」
「なーに寝惚けてんだよ。テストなんだろ、早くしないと予習とか出来ないぞ?」
「あ、そっかぁ………」
目を擦りながら身体を起こす。
士郎は既に制服に着替えていた。
「ん、士郎も予習すんのか……?」
「それもあるけど、弓道場の掃除当番なんだよ。テスト中だってのに、おかしい話だよな」
じゃあな、と士郎は笑いながら鞄を持って部屋を出た。
上条の意識はいまいちはっきりしていなかった。
最後の記憶は、あの戦いだった
「…………夢、か?」
(
「ファッ!?」
どこからか、あの忌々しい声がした。
正直、もう聞きたくなかった。
だが、辺りには誰もいない。
なのに、するのだ。
”山の翁”の声が。
「はぁ?えっちょ、どこにいんだお前!?」
(我に姿はない。己が右手を見よ)
そう言われ、右手を見る。
能力が宿っているだけで外見的には何の異常もなかった右手の甲に、赤い刻印が刻まれていた。
「これは…?」
(令呪と云う。我と汝の契約の証である)
「は?」
契約と。
今のは、上条と”山の翁”が契約を交わしたということだろうか。
(汝は我を打ち倒した。言っただろう。我を打ち倒した暁には、業を背負うことになると)
「えぇ……あれマジだったのかよ!」
(
………気のせいか、”山の翁”の対応が随分と緩くなっている気がした。
どうやら、”山の翁”は右手に宿っているようだ。
この右手もいつの間にか賑やかになったもんだと、上条は思う。
(我は今、汝の脳に直接言葉を送り込んでいる。そして、この技能は汝も同じ。あまり大声を出すと怪しまれよう、これより念話で会話せよ)
(おお、ホントだ……)
学園都市で言うテレパシーに近いものだろうか。
何にせよ、実体のない声と会話するなんていう異常な光景を繰り広げずに済むわけだ。
(では、改めて宣言する)
”山の翁”は改まって、自らの名を名乗る。
(サーヴァント、アサシン。”山の翁”なり。我が命運は汝と共にある、契約者よ)
サーヴァント。
話に聞いていた、聖杯戦争で用いられる使い魔。
いかなる経緯でクラスカードだった”山の翁”が意識を持ったかは不明だが、上条は一人のマスターとなったわけだ。
(我のことは好きに呼べ。通例通りであれば、クラス名であるアサシンと呼ぶのが適切だが)
(う〜ん、なんか愛想沸かないよな?なんか、道具みたいで。なんか馴染み深いというか、日常でよく使われるような呼称はないのか?)
(ぬぬ)
右手の中で、”山の翁”は顔をしかめる。
最もな疑問を投げつけられた。
アサシン以外の呼称なら幾つか存在する。
だが、日常会話としてはどれも使われないものだった。
「”山の翁”」は実に的確な呼び名だが、「の」という接続詞に違和感がある。
「キングハサン」というのも考えたが、あまりにも痛々しい。
後世のハサンからは「初代様」と呼ばれていたが、上条はハサンではない。
(ふむ、ならば_______)
だが、最後に一つだけ、思い当たる節があった。
上条からのオーダーにぴったりの呼称。
そして、”山の翁”自身もよく耳にしていた名前。
(_______「じいじ」、というのはどうだろうか)
じいじの独自設定が結構多い……多くない?