Fate/Imagine Breaker   作:小櫻遼我

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お久しぶりでございます
ちょっとね、水星の魔女とかいうドデカコンテンツに浮気していましてね


Spell21[背面の痕 Scars_of_the_Deep_Night.]

 フュンフツェンアーチャーとの邂逅から、暫く。

 

 ある休日の昼前、上条当麻は自身が寝泊まりしている士郎の部屋に幽閉されていた。だが、彼がそれ程に重い罪を犯した訳ではない。隣には部屋の主である衛宮士郎が、神妙な顔であぐらをかいている。今、彼らがここから出ることは許されない。今のアインツベルン家リビングは男子禁制、少女の服を剥ぎ、故にこそそこに刻まれた傷に触れ、説教が行われているのだった。

 

 リビング。休日ということもあり──また事の重大性を踏まえ、アインツベルン家に住まう女性陣の全てが集合していた。イリヤ、クロエ、母親たるアイリスフィール、メイドのセラとリーゼリット、そして家庭教師として住み込んでいる久宇舞弥。重苦しい空気の中、全員が眉に皺を寄せていた。

 リビングテーブルに置かれたシャツと下着(ブラジャー)。クロエのものだ。そんなテーブルを前にクロエは両手で胸を覆い隠し、跪いている。その背後に立ち、セラが手に持った包帯の長さを調節している。

 ……イリヤとクロエは、忘れた訳ではなかった。ドライツェンアサシンとの戦闘で、クロエが背中に大きな一文字傷を負ってしまったことを。回復能力を持つフィーアキャスターのカードを上里翔流に奪われたことを。──故に治療ができず、フュンフツェンアーチャーとの一戦で傷が開いてしまったのだ。クロエも魔力で体を維持しているサーヴァントの亜種のようなものだ、傷の治り自体は早いが、それでも背中についた大きな傷は家人全員の目を引いた。

 いつもは二人を甘やかすメイドのセラとリーゼリット。しかし今回だけは、今まで二人が見たこともないような怒りと困惑の表情を浮かべていた。

「……改めて聞きますけど、クロエさん。この傷はどうしたんですか」

「その……人に言えるようなことじゃなくて……」

「もう通用しませんよそれは。全く、こんな大事になって」

 クロエは弱々しい眼差しでリーゼリットを見上げる。しかしリーゼリットも、何よりクロエ達の健全を案じていた。故に彼女も、今はセラの側に立っている。

「正直に話しなよ」

「リズ……」

 呆気なく突き放され、クロエは俯く。事情を知っているイリヤはなんとか二人からクロエを庇おうとするが、根拠のない主張は相手の神経を逆撫でするだけだった。

「お、お願い! セラ、リズ、信じて! クロは誓って、怪しいことなんかなんにも……!」

「だから、分かってるんですからね! 気づかないとでも思いましたか? 家族に黙って、深夜に家を出て行っているのを! 当麻さんも……あの人もです! 男子高校生が、女子小学生を夜な夜な連れ出して何をしているのかは知りませんけど──」

 そう言って、セラはクロエに包帯を巻く。斜めに入った傷に沿うように、肩から脇腹へと包帯を伸ばし巻きつけていく。その間に、端に立っていた舞弥が口を開く。

「……申し訳ございません。イリヤちゃんの部屋に寝かせてもらっている身でありながら、みすみす……」

「本当です。奥様の縁だか何だか知りませんけど、これ以上何かあったら契約は解除しますからね」

「……返す言葉もございません」

 冷静で、優しかった舞弥が、弱々しく頭を下げている。……この現状を作ったのは、自分達だ。夜な夜な黒化英霊(サーヴァント)に立ち向かい、傷ついて帰ってくる。魔術の秘匿はこの世界の基本原則ではあるが、それによって家族の心を傷つけ、家族からの信頼を無下にしてしまっている。勿論、直接的な原因はドライツェンアサシンの一閃だ。だがイリヤ、そしてクロエは、しでかしてしまったことの罪悪感に胸を締め付けられて、たまらなかった。

 セラが包帯を巻き終わる。すると彼女は立ち上がり、覚束ない足取りで後ずさる。

「ああ……どうしてこんな、不良に育ってしまったのかしら。私は何を間違えたと言うの……?」

 口を押さえ、決壊するように泣き出すセラ。双子同然のリーゼリットはイリヤとクロエを尻目に、セラの肩を抱き慰める。

 イリヤとクロエは、絶望していた。自分達の罪を否認する訳ではない。むしろ彼女達の言うことは最もだ。魔術の秘匿よりも大切なものだ。だが、それでも……もう一人の母親も同然に育ててくれたセラに「不良」と吐き捨てられ、我が家に居場所を無くしてしまったように感じたのだ。

「二人は、そっとしておきましょ。私からも話があるから、部屋に来て。舞弥さんも」

 アイリスフィールに先導され、三人は彼女の部屋へ向かう。彼女は──というより、アイリスフィールと舞弥は──イリヤ達の戦いのことを知っている、数少ない人物だった。だからこそ、セラとリーゼリットの前ではできない話が、山ほどあるというものだ。

 だが、決してイリヤ達の味方をしている訳ではない。アイリスフィールが浮かべる表情は、セラやリーゼリットのそれと何ら変わりなかった。

 

 あの後、上条もアイリスフィールのもとへ呼び出され、部屋には五人が揃った。いずれも、魔術世界を知っている者達だ。アイリスフィールは、舞弥は、イリヤ達三人が何と戦っているかも知っている。

「まず……傷は大丈夫なの?」

「うん、ちょっと最近魔力を使いすぎてて、治癒に回せてないけど……補給さえできれば、なんとか」

 ぶるっ、とイリヤが震える。クロエに魔力を供給するというのは、つまりそういうことなのだが……それ自体は大した問題ではなかった。

 アイリスフィールの顔は、依然暗い。この場では彼女の権力が一番強い。彼女をマダムと慕う舞弥も、何も発言せず縮こまっている。

 静寂を破り、アイリスフィールが口を開いた。

「私は、あなた達がどんな敵と戦っているのか知ってる。舞弥さんもね。それに、敵がどれほど恐ろしいかも……。でも、あなた達は強かった。傷一つ負わずに、朝には晩と変わらない元気な姿を見せてくれた。だから、あなた達を許していた」

「なら──」

「でもね。自分の身を危険に晒すようなら、話は別よ。もしあなた達が大怪我をして、今回は隠せてたかもしれないけど隠せなくなって、みんなにバレて……そうしたら、どうなると思うかしら。どれだけの人に迷惑がかかると思う? それに、魔術秘匿の原則は?」

 誰も言葉を返せない。彼女の言葉は至極真っ当だ。だから、イリヤ達はそれを黙って聞いているしかできなかった。同時に、家族をここまで不安に叩き落としてしまった自分達の弱さを痛感してもいた。

「こうなってくると、あなた達を行かせるわけにはいかないわ。……それもそうよね。命のかかっている戦いに、あなた達は未熟すぎる。これからは、エーデルフェルト邸の人達……そうね、

一方通行(アクセラレータ)にでも任せるわ」

 それを聞いて、いても立ってもいられず立ち上がったのは、家族会議の発端でもあるクロエその人だった。

「ちょ……ちょっと待ってよ! 敵の黒化英霊(サーヴァント)はあいつで最後なのよ!? あいつだけは、私が倒さなきゃ……! それに、あの人はまだ黒化英霊(サーヴァント)の攻撃に能力を適応しきれてない、あの人だけじゃ──」

「どの口が言ってるの!!」

 カッ、とアイリスフィールの怒号が飛んだ。イリヤでさえ初めて聞くような声色だ。喝を受け、クロエは口をつぐんだ。アイリスフィールは言葉を続ける。

「誰が、自分の娘に死んでほしいなんて思うの? この調子で続けてたら、そう遠くないうちにやられるわ。あと一騎だとしても──いいえ、あと一騎だからこそ、心配なのよ。だって今まで、取り逃したことなんてなかったんじゃないの?」

 あ、とイリヤが気づく。これまではどれほど苦戦しようと、その夜のうちに撃破できていた。だがフュンフツェンアーチャーは違う。戦闘力も、知性も、何もかもがこれまで以上だ。そして、そんな相手に敗北を喫したのだ。殺されても、おかしくなかった。

「私は誰にも死んでほしくないだけなのよ。勿論、当麻くんにも。もしあなた達が死んでしまったら、私は……いえ、そんなこと想像すべきじゃないわね……」

 そう言って、アイリスフィールは俯いた。彼女の言葉を引き継ぐように、今度は舞弥が口を開く。

「私も……マダムの意見に賛成だわ。危なすぎる」

「先生まで……!」

「いい? 私はあの時、一方通行(アクセラレータ)の襲撃を受けて……恐怖を感じたの。死の恐怖よ。どんな強者だろうと、あの状況に置かれれば恐れるというものよ。あなた達が身を置いているのは、そういう戦場なのよ。……死の恐怖を感じたことがない、なんて言わせないわ。仮にそうだとしたら、余計に行かせるわけにはいかない」

 その通りだ。コスプレイヤーのごっこ遊びなんかじゃない。生きるか死ぬかの殺し合いなのだ。

 イリヤは思い出す。クロエが倒れ、ドライツェンアサシンが迫ってきたあの瞬間の恐怖を。声に漏れるの威圧感。震える足……。ではなぜ、そんな思いをしてなお未だ戦場に身を置くのか。……きっと、麻痺していたのだ。死の恐怖は、常にそこにあった。故に、それは何ら異常ではなくなってしまったのだ。

 イリヤとクロエが上条を見上げる。年長者として、縋り付かれている。プレッシャーに押されながらも、上条はアイリスフィールに告げる。

「……分かりました。エーデルフェルト邸の連中と、話をしてきます」

 その言葉を聞いた瞬間、アイリスフィールの頬が緩んだ。もう死の危険に晒されることはない、分かってくれている、と、安堵したのだ。娘達を大切に思うからこそ、彼女は怒った。それは母親として至極真っ当な態度であり、クラスカード回収の意義さえ彼女の前では些事にすぎなかった。だって、娘達が無事なのだから。誰も、彼女の怒号を諫める権利は持っていなかった。

 ギリ……と、上条は奥歯を噛み締めた。

 

「当麻くん、最近元気ないですよね」

 平日の昼時。机でパンを頬張っていると、隣で手作り弁当を食べていた桜が声をかけてきた。

「大丈夫ですか? 新しい学校に慣れなかった、とか……」

「別にそうじゃねぇんだけどさ……最近、色々あって……」

「……ああ……そう、ですね。確かにこの辺りも、最近物騒で。殺人鬼騒ぎだなんて……」

 桜の言うことは、奇しくも上条の不安に近しいところを突いていた。思えばあのアサシンとの戦いがターニングポイントとなって、日常が狂っていってしまったように感じる。実際に被害が出た、小学校の方は尚更だろう。そんな中で、桜は以前と変わらない笑顔を見せてくれている。恋愛的な感情ではないが、今の上条にとって桜は心の平穏を保つのに欠かせない存在となっていた。いつもパンを食べているのを見かねて、時折弁当を作ってきてくれたりもする。彼女が隣の席でよかった、と上条はつくづく思う。

 と、上条は桜を見つめる。最近の情勢を憂んではいるが、その表情の慈愛が欠けることはなかった。

「? どうしたんですか、当麻くん? 恥ずかしいですよっ」

「ああ、いや、別にそんな気は──」

 そこで、彼は気づいた。箸を握る彼女の右手。その甲に、赤いマダラ模様が浮かんでいたのを。……幻想殺し(イマジンブレイカー)で敵をぶん殴ると言う仕事柄、手の甲が内出血を起こし痣ができることがある。ジワリと滲み出るような普通の痣とは違い、手の甲は皮膚と肉が薄く、赤い斑点が浮き上がるように痣ができる。桜のそれには、そういった様子が見てとれた。つまり……強い衝撃を受けた末の内出血の痕だ。

「間桐、ちょっと、右手見せてみろ」

「右手、ですか? ──あっ」

 桜はおもむろに箸を置き、右手を隠すようにした。その反応はやましい事情がある証拠だ。だが上条は、それがどういった事情であるのか何となく察した。

「……兄貴か?」

「……」

「"答えは沈黙(図星)"、ってか。クソ、あの青髪ワカメめ……」

 上条は無意識に拳を握る。あの憎たらしい態度の兄、間桐慎二……。まともに会ったことこそ少ないが、その少ない邂逅の中で彼の悪意は全て見通していた。いや、全て慎二から滲み出ていたのだ。僕はこう言うことをやりますよ、とでも言いたげな態度。実際の行為のみならずそんな態度自体も、上条は気に入らない。

「でも、いいんです」

 しかし当の被害者である桜は、まるで慎二を守るかのような言い分を繰り広げた。

「私は、あの人の妹です。である以上、兄を見習うべきなのは当然だと思うし、それで私がヘマをしたら叱られるというのは、至極当然だと思います」

「でも、自分の家族を、こんな……」

「家族って言ってくれるだけ、兄さんにはありがたいと思ってるんです……」

 そう主張する桜に、上条は悪い傾向を見た。……桜は、慎二に依存している。いくら暴力を振るわれても、無下に扱われても、自分を間桐桜たらしめる存在として兄を許している。そう思う根底にどんな暗い過去があるのかは知らないが、故に彼女は兄に全てを許してしまっている。暴力はまるで日常のように、このままでは悪化の一途を辿り、挙句にはその貞操さえ……。

 上条は強く目を瞑る。しぱしぱと瞬きをする。……変なことは考えるな。ただでさえ最近は気が滅入っているのだ、日常の拠り所・象徴でもある彼女を、己の杞憂で穢すわけにはいかない。

 彼女には……今のままの彼女でいてほしい。

「そう、か……」

 納得はいっていない。だが上条は、そう返すしかなかった。彼女がそう主張し、望むのなら……赤の他人である上条が、それを否定する権利はない。変に口を出して、人ひとりの人生を歪める度胸も……ない。

「(契約者よ)」

 ふと、頭の中に声が響く。上条の中に取り込まれた英霊、アサシンが語りかけたのだ。

「(じいじか。どうした?)」

「(我は汝と肉体を同じくし、汝の記憶も我が物と等しい。故に、問おう。(さくら)と見初めたあの日……()()()()()()()()()のだ?)」

 ……そういえば、そうだ。あの後の慎二の件ですっかり忘れていたが、あの握手で、右手は"何か"を消した。せめて握手の時だけは、と手袋を外したせいだ。右手が発動したということは、つまり彼女には何らかの異能の力がはたらいているということになる。少なくとも、あの瞬間はそうだった。彼女の肉体自体に作用する何らかだ。

 だが……、

「(……いいんじゃねぇかな、別に。仮にこいつが魔術師だったとして、能力者だったとして……あのアサシンみたいに、実害が出てるわけじゃない。だから……いいよ。それがこいつの日常だっていうんなら)」

「(……)」

 アサシンが頭の中で唸る。煮え切らない、あるいは上条の意見には賛同しかねる、そんな意思を感じた。だが……アサシンはそれからすぐ、上条の頭の中から消えた。アサシンにとって今の上条は主君(マスター)だ。上条が桜の意思を尊重するように、アサシンも主たる上条の意思を尊重する。その義務がある。

 上条は、ある種の現実逃避を見せたのだ。上条はこれ以上、日常を失いたくはなかった。殺伐として、陰鬱とした戦いの日々において、上条にとって今や桜だけが縋り付くべき日常の象徴だったのだ。行動原理は慎二についてのことと同じだ。余計な口出しをして、この関係を崩したくない。それが全てだった。だから彼女が家庭内暴力を受けていようと、彼女が魔術の徒であろうと、上条にとってはどうだっていいのだ。特に考えさえしなければ、桜はただ隣の席で笑顔を振り撒く穂群原のマドンナのままでいてくれるのだから。

 ……ふと、上条は桜の顔を見つめる。

 桜は、優しく微笑んでみせた。

 

 放課後、一同はエーデルフェルト邸に集まり、今後の活動についての会議を行うことになった。上条達に加えて凛達魔術師メンツ、執事のオーギュスト、一方通行(アクセラレータ)、そして普段はこう言った集まりごとには顔を見せないバゼットもいた。それほどに事態は急を要した。アインツベルン家での家族の反応や、ドライツェンアサシンの殺人騒ぎ、更にはフュンフツェンアーチャーが野放しときた。魔術秘匿の原則上、この状況を放置していたら最悪魔術世界全体に悪影響が生じる可能性だってある。故に早急に、対策を立てねばならなかった。

 上条はまず、アインツベルンの人々の反応を皆に伝えた。魔術とは縁のないメイドの二人に強く不審に思わせてしまったこと、上条達の活動を存じているアイリスフィールと住み込みの家庭教師でさえ事の重大さと危険性を危惧し今後の活動を制したこと。そしてクロエの傷が完治していないこと……。

「で、殺るならオレに殺らせろ、って言いやがったワケか。光栄なこった」

 一方通行(アクセラレータ)はソファに横たわり、気だるげに話を聞いている。彼とアイリスフィールの双方とも、初対面時の因縁をまだ根に持っているのだろうか、といった態度だった。しかし実際、一連の行動の主導権は一方通行(アクセラレータ)にはない。「別に、勝手にしやがれ」そんな主張が態度から滲み出ていた。流石は学園都市暗部、仕事人の振る舞いだ。

 と、テーブルに資料を並べ思案していた凛が口を開く。

「そう言ってもねぇ。敵はあと一騎、一度は交戦してるわけだし……。そいつの投影剣、その……ベクトル変換とやら、できたんでしょ? 何とかならないの?」

「知らねェよ」

 一方通行(アクセラレータ)は目さえ合わせずに返す。

 続いて声を上げたのは、イリヤだった。

「私は……自分がどうしたいのか、正直分からなくて。倒さなきゃいけないのは分かってるんです。でも、それでリズとセラと、お兄ちゃんと、ママが悲しむのは嫌だし……」

「そこが問題よね……」

 一同、頭を抱える。ああいう状況になると監視の目が強くなるので、抜け出すことは難しくなる。可能性があるとしたら、正面から許諾を受けに行くしかないが、あの様子では……。

「……じゃあさ、全員で行くってのはどうだ? ほら、最近はローテーションで敵と戦ってただろ。動きづらくはなるかもしれないけど全員で戦いに行くんだ。そうすれば一人一人の負傷率も減るかもしれねぇし、アイリさんも……」

「正面から言いに行くわけ? 行かせてください、って?」

「それしかねぇだろ? 少人数じゃ勝機が薄い、それはこれまでの戦いでうっすら分かってたことだろ。なら全員でよ……」

「でも……あんなに怒ってたのに、ママ、許してくれるかな」

 上条は言葉に詰まる。許してくれるかといえば、その可能性は低いだろう。だが、低いなら低いなりに、主張しなければいけない。そうでなければならない理由があるのなら、誠心誠意訴えればその思いは通じるはず。アイリスフィールは賢い人だ。だからこそ、自分達の意思を汲んでくれる、と上条は思ったのだ。

「私は、」

 小さく、か細い声が響く。その主は、クロエだった。

「あいつと、また戦わなきゃいけない。この私が」

 そう、クロエは言う。……クロエの中には、まだあの言葉が焼きついたように残っていたのだ。フュンフツェンアーチャーが語りかけた、あの言葉が。”今回は退く。傷を癒やし、力を蓄え、私と拮抗し得ると確信した時に、また此処に来ると良い”……。あの黒化英霊(サーヴァント)は、クロエと同じ力を持っている。クロエは直感したのだ。”運命”だと。奴と戦うことで自分の中の何かが変わる、そんな気がしたのだ。

 ある種の、ケジメでもあった。今のクロエの中には、それが大きな存在感で鎮座していた。

 ……真に迫る言葉は、強い力を持つ。クロエの言葉は、まさにそれだった。

 

 その後、上条達は年長者メンツを引き連れ、アイリスフィールに直談判しに行った。そこで、これまでの戦いの全てを語った。前線に出るメンバーはローテーションで変わっていたこと。故に、クロエのような負傷のリスクも高かったこと。だからこそ、全員で戦う方針に変えれば互いに補い合い負傷を最低限に抑えられるであろうこと。そして……ローテーションの方針を主導したのは上条であった、と言う嘘を。子供達に責任はない……そう訴えることが、年長者としての務めだと上条は思ったのだ。

 アイリスフィールは、眉をひそめていた。それもそうだ、あれだけ釘を刺したのにまだ性懲りもないとは。……だが熟考の末、アイリスフィールは渋々頷いた。アイリスフィールにもイリヤ達を信じたい気持ちはあった。どれほど恐ろしい敵か分かっているからこそ、どれほど大切な戦いかも分かっていたのだ。殺されかねない相手に、理由もなく突っ込んでいく訳がないのだから。

 メイド達に説明する名目としては、お泊まり勉強会ということになった。貴族たるルヴィアがいればイリヤ達が非行に走ることはない、そういう理屈だった。実際は、ルヴィア達こそがクラスカード巡りの主犯でもあるのだが……。その説明を聞いて、セラは安堵したという。同時にリーゼリットにも、いつものだらけが戻りつつあったとか。

 だが実際に行うのは、勉強会ではなく戦闘訓練だ。イリヤ達に欠けている力と精神を培い、負傷の心配さえない万全な状態でフュンフツェンアーチャーを倒す計画だ。メイド達に伝える名目、とはそういうことだ。この計画に、アイリスフィールは反対したい気持ちがありながらも、賛同した。アイリスフィールは何より、子供達を信じていた。子供を叱るのも、愛あっての行為だ。だからこそアイリスフィールは、この修行でイリヤ達は強くなれる、そして確実に黒化英霊(サーヴァント)に打ち克つことができる……そう考えたのだった。

 だが、もし前回よりも負傷がひどかったり、敵を倒せなかったとしたら、その時は──とアイリスフィール伝えた。当然、それも上条達は承知していた。だとしても上条は、あいつらなら強くなれる、勝てる……そう信じていたのだ。子供達を愛するアイリスフィールに同じく。

 

「投影魔術は使えませんぞ」

 エーデルフェルト邸のエントランスホール、外界から魔術的に隔離したこの孤立空間で、オーギュストは宣言する。ホールの中心にはクロエとバゼットが立っている。初めて会った時にも戦った、因縁の相手でもある。手元には木を彫って作られた模擬刀。サイズはちょうど、クロエのメインウェポンである干将・莫耶と同じほど。と言っても、ほぼ木刀のようなものだ。その様子をイリヤや上条達が傍で見守っている。

「投影魔術は、武器のみならずその武器の本来の保有者の記憶──戦闘技術さえも投影する。それではいけません。自らの剣技で戦えるようになる、それが鍵でございます。即ち──自分だけの武器」

 バゼットを前に、クロエは落ち着けずにいた。フュンフツェンアーチャーとの戦いで、自分の剣の腕への不信感がついたままなのだ。剣を振るうことへの不安さえ感じている。ましてや実戦では……。一方のバゼットは、模擬刀のグリップをクルクルと回し、ウォーミングアップをしている様子だ。クロエと異なり、こちらには落ち着きと僅かな余裕を感じる。

「では、私は干渉しません。お二人とも、お好きなタイミングで始められて、どうぞ」

「クローっ、がんばれーっ!」

 イリヤの声援が響く。応援されるのならば、それに応える義務があるが……。

「さあ、クロエ・フォン・アインツベルン。いつでもかかってきなさい。何なら、こちらから仕掛けましょうか」

 クロエは答えない。今の彼女は、マインドを戦闘モードに切り替えるので精一杯だった。……背中には未だに傷の違和感と、包帯の締め付けを感じる。全快とは言い難いが、あくまでこれは模擬戦だ、と自分に言い聞かせる。

 ──意を決し、クロエは駆け出した。剣の間合いでは、僅か大股一歩が生死を分ける。バゼットの問いに返答せず突撃したのはある種の不意打ちでもある。先に動いた分、クロエに分があるように思える。……だが、バゼットはクロエよりも遥かに優れた──封印指定執行者としての観察眼が備わっていた。クロエの脚の筋肉の蠢き、模擬刀を握りしめる拳の強張り、誰も気づかないような細かな予備動作を認識し、クロエが向かってくることを十分に察していた。この状況下でならば、弾丸だって避けられるだろう。

 クロエは右腕を振りかぶり、模擬刀を振るう。それをバゼットは僅かなステップで躱してみせる。何度も、何度も、クロエは模擬刀を振りかぶる。クロエとてクラスカードを核に生み出された半サーヴァントであり、その剣戟もまた人間離れしていた。だがそれに対しバゼットも的確に模擬刀を構え、防ぐ。いくらクロエが人間離れしているといっても、その体格はバゼットの方が幾分か上だ。それに伴い、筋肉の量も実際バゼットの方が多い。模擬刀を振るう際のエネルギーも、より効率よく消費できる。だからこそバゼットは最短の動きで、的確な位置に模擬刀を()()、クロエの斬撃を防ぐことができるのだ。

 その様子を見る観客達……。皆クロエを応援したいだろうが、クロエの劣勢は傍から見ても一目瞭然だった。双剣で戦うというクロエのスタンス上、一刀はあまり扱い良いものではないのかもしれないが、それにしても……な印象をクロエの剣戟に感じる。暗部として戦闘のプロでもある一方通行(アクセラレータ)に言わせれば、”無駄が多すぎる”。脇下を自ら晒すような大振り、跳ねるような足踏み、大地を揺さぶられているかのような胴体の揺らぎ……どれも戦場では避けるべき”余分”だ。

一方通行(アクセラレータ)やバゼットのようないわば”仕事人”には、効率的な戦闘行動が要求される。その技術を身につけるにあたって、クロエのそれは真っ先に排除すべきものだった。

「弱い──」

 そう感じたバゼットは、クロエの大振りの隙を突き、脇腹へと軽い一撃を入れる。攻撃を受け流せる体勢ではなかったクロエはその一撃で体が大きく揺らぎ、剣戟を止める。

「どうしました? まだ一発小突いただけですよ」

「なんの……っ!」

 クロエはすぐに気勢を取り戻し、バゼットに向かう。そして、模擬刀を振るう。一見それは同じような大振りに見えたが、バゼットには違いが分かった。これは大振りよりも更に大振り……激しく体そのものを動かし、バゼットを撹乱しているのだ。確かに体格や筋肉ではバゼットに分がある。だが逆に言えば、クロエはその小柄を活かせればいい。小さい体を更によじり、屈め、相手の攻撃の隙間を縫うように躱すことで、攻防を有利にするのだ。

 クロエの作戦は、的確に機能した。バゼットは動き回るクロエに合わせて模擬刀を置きにいくので、それまでの精密な動きがブレてきていた。クロエはその隙を突き、バゼットの膝を砕く。

「ぐっ……!」

 意識外からの攻撃に、バゼットは一瞬膝をつく。クロエはその僅かな一瞬を逃さなかった。僅かな時間にクロエは加速し、バゼットのついた膝を足場に跳び上がる。クロエの体重が膝にかかったことで、バゼットは更に姿勢を崩す。跳び上がったクロエは空中で模擬刀を大きく振りかぶり、振り下ろす構えを取った。重力に乗せた一撃は大きな破壊力を伴う。

 だが、それこそ無駄な動きだった。バゼットにとっては、跳び上がったクロエが重力で着地する程度の時間があれば、体勢を立て直すには十分だったのだ。バゼットはクロエを見据えつつ、無事な方の脚を軸に旋回し、模擬刀の攻撃範囲から脱出する。

「なっ──」

 そのまま模擬刀を振り下ろしたクロエの背後には、旋回し姿勢を起こしたバゼットがいた。死角である背後から、バゼットはここぞとばかりに大きく模擬刀を振りかぶる。クロエは慌てて模擬刀を背後に回し、相手の刃を防ぐ位置に置く。

 バゼットは旋回の遠心力をそのままに、クロエのうなじ目掛け模擬刀を薙いだ。クロエは間一髪で横薙ぎを防いだが、それはただ模擬刀の進路を妨害しただけであり、攻撃を無力化したとは言えなかった。防いだ模擬刀を通してバゼットの斬撃の圧力がクロエにも伝わり、前方へ吹き飛ばされてしまう。

「きゃあっ……!」

 イリヤは思わず叫び、目を覆う。傷を負った、というほどのダメージではないが、クロエは床に倒れ伏してしまう。

「はぁ、はぁ……」

 息が上がる。体を仰向けに起こすだけでもかなりの力を要してしまう。一方でバゼットは息が上がった様子はなく、かろうじて汗が一滴垂れているだけだ。そして、クロエに向けて模擬刀を構え、警戒を解く様子はない。

「はっ、テンカウント前に立ち上がりましたか。ならまだギブアップではないでしょう? さあ、来なさい。──来い!」

「っ……あああッ!」

 クロエは叫び、再びバゼットに飛びかかった。ふらつきながらも、果敢に立ち向かう。

 クロエの剣戟は焦りからか、先程よりも精密性を失っていた。力任せに棒を振り回している、とも見えた。当然隙だらけで、バゼットはことあるごとに模擬刀でクロエを小突く。それを防げないほどにクロエの動きは大雑把で、また防ぐ余裕もないようだった。クロエの動きは、一見疲労を感じさせるものではなかった。動きの俊敏さ、斬撃の鋭さは据え置きだ。だが達人の目線で言えば、十分に動揺が表れていたのだ。そして、フュンフツェンアーチャー、そして黒化英霊(サーヴァント)とは……皆、人の域を超えた達人であると心得なければならない。

 つまり──今のクロエのそれは、とてもフュンフツェンアーチャー相手に敵うものではない。

「ぬるい! さあ、もっと殺す気概でかかってきなさい! 敵は手加減などしてくれませんよ!」

 バゼットが挑発する。それで堪忍袋の緒が切れたのか……クロエは、動いた。

 クロエはそれまでの剣戟をそのままに、模擬刀を振るう一方で、その脚を大きく振り上げた。バゼットは咄嗟に肘で蹴りを防ぐ。それを境に、クロエは攻撃に格闘を織り交ぜてきた。剣を武器にするという固定観念を打ち破り、あえてパンチやキックを用いることで相手の不意を突く。そうすれば実質的にはクロエの攻撃の種類が増え、その分相手は対策を余儀なくされる。また、両手の他に両足も使うようになるので、単純に手数も増える。相手を上回る攻撃の勢いで攻勢に出る。そうクロエは奮っていた。

 だが……、

「甘い!」

 いくら戦法を増やしたところで、今のクロエに扱えるものではなかったのだ。ましてや相手は格闘戦のプロ・バゼットであり、そこに徒手空拳の格闘を仕掛けるのは、はっきり言って悪手であった。

 バゼットは初めこそ不意を突かれたものの、すぐにクロエの行動パターンを学習し、対応を可能にした。特にクロエの戦装束は脚が大きく露出したものなので、クロエが蹴りを放つと考えたのなら脚の筋肉もそれに応じて大きく動く。あとはそれまでと同じ。クロエの全身に注目し、筋肉の動きから攻撃を予測し回避する。それだけの話だった。

 案の定、クロエは再び押されていた。行動パターンや筋肉の動き云々以前に、クロエの技術は単純にバゼットと張り合える領域にない。クロエを鍛える模擬戦なのだからクロエよりも強い相手を置くのは当然だ。問題はそこから成長し、一矢報いることができるかどうかなのだ。……クロエには、それができなかった。

「……弱い。これまでよく、生き残ってこれたものです」

 ぽつり、とバゼットはつぶやいた。それは挑発ではなく、この模擬戦を経て感じたクロエへの評価だった。悪気のない純粋な講評。……だがクロエには、その言葉が己が心に深く突き刺さり、抉る意思を持っているように感じられたのだ。

「……ッ!!」

 クロエは思い切り模擬刀を振った。当然、バゼットの模擬刀によって防がれる。しかし、バゼットの言葉を受けたためか……全力で振りかぶったそれはバゼットの模擬刀と激突した瞬間、真っ二つにへし折れた。それこそ、バゼットの意表を突くものだった。ずっと模擬刀を打ち合っていたし、今だって単純に評価を申しただけだったので、まさかここまでの馬鹿力を発揮してくるとは思わなかったのだ。

 するとクロエは、へし折れ宙を舞う模擬刀の断片を左手で掴み、そのままバゼットの側頭部を打った。

「かはっ……」

 脳を揺さぶられ、一瞬バゼットの全身が無防備になる。これをクロエは逃さなかった。バゼットがふらついた隙にその腹をクロエは蹴り、バゼットの体勢を崩す。筋肉を十分に動かすことができず、バゼットは尻餅をついてしまう。そこへ向かって、クロエは飛びかかった。折れた模擬刀の断面──木材が尖り、容易に人体を突き刺し得るであろう凶器を突きつけて。

「クロっ!」

 模擬戦の前提を無視した暴力的行為に、イリヤは思わず叫ぶ。が、クロエはそんなイリヤの言葉を聞きもせず、バゼットへ向かう。クロエはバゼットを覆い被さるように乗り上げ、模擬刀の断面を首に突き立てる。──しかし、断面の先端がバゼットの喉に突き刺さる直前で、クロエは静止する。自分の首にも感じる、冷たい感触。バゼットは尻餅をついた衝撃で我に返り、手に持った模擬刀をクロエの首に突き立てたのだった。クロエのものと違い、こちらは確かに切先が喉に接触している。

「……(リーチ)を余らせている分、いつでもあなたの首を貫けます。勝負はここまで、ですね」

 バゼットはクロエの喉を模擬刀で押し上げ、覆い被さる彼女の体を押し除ける。ぐえ、と空気を吐き咳き込むクロエ。バゼットはその様子を尻目に、役目を終えた模擬刀をオーギュストに引き渡す。

「いかがでしたか」

「……心身共に、黒化英霊(サーヴァント)と戦えるレベルにはありません。同じ魔術を使うというフュンフツェンアーチャーには、到底敵わないでしょう。ドライツェンアサシンにつけられた傷をまだ気にしている可能性もありますが──」

「クロ、駄目っ!」

「何!?」

 イリヤの叫びを聞き、バゼットは思わず振り返る。すると、折れた模擬刀で二刀流になったクロエが、既にに武装解除したバゼットに向かってきているではないか。もはや、なりふり構っていられないということか……。

「待て! 模擬戦はもう──」

「うるさいっ! 殺す気概でかかればいいんでしょ!? なら……っ!」

 クロエは二本になった模擬刀をバゼット目掛け振るう。その剣舞は……双剣を投影し、敵に向かっていくそれと同じものだった。バゼットを敵とみなし、確実に殺しにかかっている。しかも双剣という、自分に有利な状況を作り出した上で……。

 ……だが、有利な状況にあるのはクロエだけではなかった。

 クロエは目にも留まらぬ剣舞でバゼットを襲うが、バゼットはその全てを軽くいなしてみせる。今のバゼットは模擬刀を返却し、一切の武装をしていない。……バゼットのメインウェポンは()だ。それにクロエが持つのは所詮模擬刀であるから、刃を受けないように立ち回る必要すらなかった。バゼットはクロエの斬撃を軽々と躱してみせ、格の違いを思い知らせる。が、クロエは止まらない。これ以上続けてはクロエのためにもならないと判断したバゼットは、左右の拳を一発づつ放ち、振り下ろされるクロエの模擬刀を弾き飛ばす。そして無防備になったクロエの胸の中心に手のひらを添え……ズドン。腕の筋肉のバネを最大限に用いた超至近距離(ゼロインチ)の掌底を放ち、クロエを吹き飛ばした。

「がァッ……!?」

 地面を転がるクロエは胸を抑え、激しく呼吸を繰り返す。喉を動かすことさえままならないようで、口の端から唾液が垂れてしまっている。その様子を見兼ね、イリヤと美遊、上条がクロエに駆け寄る。

「クロ! 大丈夫? クロっ!」

「落ち着け、深呼吸するんだ!」

「はっ、はっ、はっ、はっ……はぁっ……」

 イリヤに背中をさすられ、呼吸を繰り返すことでなんとか正常な呼吸を取り戻したようだった。クロエが落ち着いたのを見て、上条はバゼットを見据え立ち上がる。

「おい、バゼット! いくらなんでもやり過ぎだろ!」

「いえ、妥当な”躾”です。彼女は周りが見えなくなっていた。喝を入れたに過ぎません」

「けど、これじゃあまりにも──」

「甘ェんだよ、三下」

 そう上条に突っかかってきたのは一方通行(アクセラレータ)だった。彼だけではない。バゼット、オーギュスト、凛、ルヴィア……上条以外の年長者メンツ全員が、クロエの自業自得だとでも言いたげな目を向けている。

「模擬と実戦の区別もつかねェよォな馬鹿が、黒化英霊(サーヴァント)とまともに戦えるわけねェだろォが。背中の傷ってェのが痛むンだかなンだか知らねェが、要は焦ってンだよ、そいつは」

「けどよ……っ……くそっ」

 上条は何も言い返せなかった。上条でさえ、クロエの焦りは見えた。それほどに今のクロエは焦燥していたのだ。フュンフツェンアーチャーへの対抗意識か、あるいはバゼットの挑発に対する憤慨か……。いずれにせよ一方通行(アクセラレータ)が言いたいのは、”その程度のことで気持ちが揺らぐのは戦場では論外”だということだった。それは上条のみでなくこの場にいる全員──イリヤや美遊でさえ、納得できてしまった。不本意にも、クロエでさえ。。

「……いい加減頭ァ冷やせ、ガキが」

 そうぶっきらぼうに吐き捨て、一方通行(アクセラレータ)は立ち去っていく。その背中を、クロエは親の仇であるかのように睨みつけ見送った。

 

 イリヤ達は、夜もエーデルフェルト邸で寝泊まりしていた。そうすれば、いつ黒化英霊(サーヴァント)との戦いに赴いてもアインツベルン家の人間が気づくことはないからだ。とはいえ、一日特訓しただけでは不十分だ。なので、アインツベルン家に伝えた合宿日程をギリギリまで特訓に費やした。実践のみならず、理論的なことまで。そうやって学びを重ねているうちに、残り二日といったところまで来ていた。今晩寝て、次の夜にはもうフュンフツェンアーチャーとの決戦だ。力を蓄えるため、今晩は尚更しっかり休む必要がある。

 ……だが、イリヤは暗闇の中目を覚ました。遮光カーテンが月光のことごとくを遮断している。いくら目が暗闇に慣れても、十分に見渡せるわけではない。

「……喉乾いた……」

 もぞもぞ、とイリヤは掛け布団を翻し体を起こす。寝室には女性グループがまとまって眠れる数のベッドが並んでいる。そこに眠る美遊や凛達の姿もかろうじて視認できる。もっとも、バゼットは夜勤のバイトが入っているとのことで一晩も泊まることはなかった。イリヤ達が朝起きると、バイトを終えたバゼットが姿を表すのだ。……いつ寝ているのだろう?

 すると、イリヤは気づいた。五つ並んだベッドのうち一つが空だ。クロエの姿がない。トイレだろうか? かく言うイリヤも、僅かながら尿意を感じていた。これだけ大きな屋敷だ、トイレが一つしかないということはないだろうが……。

 イリヤはまず台所で水を飲んで、それからトイレで用を足すことにした。廊下に出ると、寝室ほどではない暗闇に月光が差し込む。かち、かち、というクリック音の方を見ると、古時計の針が午前二時半を指していた。イリヤはあまり夜更かしをするタイプではないので、目が冴えないうちにやることやって早くベッドに戻ろう……と早足になる。

 ……十分くらいだろうか。水を飲んで、トイレを済ませた頃にはそのくらいの時間が経っていたように感じる。この屋敷は広いので、普段の家でならば五分前後で済んでいたかもしれない。そうこうしている間に、暗闇が見渡せるくらいすっかり目が冴えてしまった。朝が大変そうだ……。

 と、廊下を歩いていると、ふと不思議な感覚がイリヤを襲った。第六感だろうか? 奇妙なことに、その感覚はどの方向から来るのかを感じ取ることができた。感覚の指し示すままに歩みを進めると、ある部屋の前に辿り着いた。なぜここに導かれたか、なんとなく理解できる。……この部屋だけ異質だ。ここだけ空気の流れが違う。外と遮断されているというか、この部屋だけが異界化されているというか。部屋の中を隠す意図を感じる。だがそれならば、魔術的な遮断がされてなおイリヤが感じる感覚は果たして何なのか。イリヤはそろり……とノブを握り、扉を開く。

 ──するとそこには、部屋の中心に座り込み、宙に何本もの剣を浮かべ、精神を集中させているクロエの姿があった。

「……クロ?」

「っ」

 イリヤの声にクロエは肩を震わせる。同時に、浮いていた何本もの投影剣が音を立て落下し、魔力にほどけ霧散していった。クロエはゆっくり、イリヤの方を振り向く。彼女が見せたのは、今まで見せたことのないような暗い面持ち、弱みにつけ込まれたような不快感を浮かべたような顔だった。

「……おかしいわね。異界化はしてたはずなのに」

「えっと……トイレから戻る途中で、ふしぎな気配がして……」

「まぁ、元々文字通りの一心同体だものね。そりゃ気づいちゃうか」

 クロエの表情が和ぐ。だが依然としてそこには漠然とした不安のようなものが見てとれてしまう。

 クロ、とイリヤが声をかける。……何の反応も見せない。彼女はこんな夜更けに一体何を、とイリヤは歩み寄る。クロエは逃げようとはしない。しかしその手は、逃げるべきか向かうべきか考えあぐねているように、床をぺたぺたと触っている。イリヤはクロエの目の前まで近づき、彼女の目線まで腰を下げる。クロエは、目を合わせようとはしない。イリヤの両目とは異なる、どこか遠くを見つめている。

「一人で、練習を……?」

「まぁね。このままじゃ全然あいつに届かないし」

「あいつって、あのアーチャーのこと? そんな、何もクロだけが頑張らなくたって、みんなで行くんだしなんとか──」

「そうじゃないのよ!」

 クロエは声を荒げる。唐突の怒号に、イリヤは震え後ずさる。クロエは大きく息を吐きながら昂った精神を鎮めている。その吐息は、どことなく小刻みに震えているようにも聞こえる。

「あいつは……私がやらなきゃ。力を合わせて倒す、じゃダメなの」

「どうして、そんなに……」

「あいつに言われたのよ。強くなってから、また来い、って。でも、私はまだ……強くなれてない……!」

 今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しく語るクロエ。イリヤはそっと、その肩に手を置く。痛覚共有の呪いを抜きにしても、クロエの苦しみは等しくイリヤの苦しみでもある。クロエの葛藤を己のように感じるからこそ、イリヤはクロエに寄り添った。

「そんなことないよ。クロは強いよ。私なんて戦うのが怖くて、逃げたくて……友達だって亡くして……それでも立ち向かうクロは──」

 ……だが、イリヤのそんな思いやりは一方通行の偽善でしかなかった。

「違う……違うの!」

 クロエがイリヤの手を振り払う。同時に、クロエは姿勢を崩し、払い除けたはずのイリヤにもたれかかってしまう。はぁ、はぁ、と荒い息を吐き、汗に濡れ、朦朧としているようだ。風邪ではない。彼女の場合は……魔力の欠乏がこの症状にあたる。

「クロ!? もう、魔力が……、一体どれだけ投影を……!」

 イリヤの体を支えとしてなんとか姿勢を起こしたクロエは、右手に魔力を集中させ剣を投影する。致命的なほどの魔力欠乏ではないのか、剣は無事に投影される。しかしその剣は、一見業物でありながらも弱々しく、脆く、クロエの魔力がどれだけ弱まっているかを象徴していた。

「クロ、もう十分でしょ!? そんなに投影しなくたって、もう十分──」

「まだ、足りない」

 え、とイリヤが発するまでもなく、クロエはイリヤを押し倒した。背中に強い衝撃を受けた後にイリヤが目を開けると、クロエの手はイリヤの首元に──投影剣の刃を添えていた。

「ひっ」

 恐怖に、イリヤの筋肉は硬直してしまう。クロエが少しでも腕を引けば、刃はイリヤの喉をかき切ってしまうことだろう。

 だが、クロエはそうはしなかった。彼女は投影剣をイリヤの首元から離し、明後日の方向に放り投げ──そのまま、イリヤと唇を重ねた。

「っ──」

 突然のキスに驚き、ついもがいてしまうイリヤ。クロエへの魔力供給としてはこれが最も効率がいいのは理解しているが、どうもキスという行為自体にまだ不慣れであった。誰にファーストキスを捧げるかさえまだ考えてすらいなかったのに……と、小学五年生の女児には過激すぎる行為だったのだ。

 ……だが、イリヤは戸惑いつつも感じた。普段のクロエがしかけてくる、艶かしく這い寄るようなキスとは違う。今回のものは、なんというか……体の全てを吸い尽くし、貪るような暴力的な衝動を感じた。そしてそれは、実際にクロエの舌遣いにも表れていた。……そう理解した瞬間、舌が猛烈に苦しくなった。イリヤはまるで暴力を振るわれているかのように、全身で拒絶するようにもがく。

「──、──っ!!」

 イリヤの意思とは関係なしに、クロエはその体を吸い尽くす。まるで人としての尊厳を無下にされているようで、イリヤは涙さえ浮かべてしまう。

 クロエが唇を離す。口腔中の水分と空気を失い、イリヤは大きく息を吸い込む。そして、唐突な行為に出たクロエを咎めようと口を開く。だがイリヤの口から出かけていた声は喉に詰まり、ひゅっ、と息を呑んだ。クロエは唇を離すやいなや、その舌をイリヤの首筋に這わせたのだ。

「いやっ……クロ、何してるのっ!?」

 イリヤの声は届いていない様子だ。鼻息を荒くし、イリヤの顔を見ることもなく、まるで飢えた獣のように体を密着させている。……正直なところ、イリヤはキスにはもう慣れていた。驚きや恥じらい、戸惑いこそあるものの、それがクロエに魔力を供給する──クロエの存在を保つために必須であると理解していた。だからクロエが必要とする限り、イリヤはその唇を捧げるつもりだった。だが、これは……魔力供給には、なんの関係もない。イリヤが普段受け身であったのをいいことに、己の情欲の赴くままに襲う。これでは、まるで──。

 イリヤも、クロエに襲われながら自身の感覚に疑念を抱いていた。──気持ちいい。尊厳を破壊する、悪辣極まりない行為のはずなのに……首筋に這う彼女の舌が、まるで抱き締められているような安心感と快感を伴って脳に響いてくる。満更でもない──そんな言葉が、頭に浮かびかけた。

 しかし……クロエの舌が首筋から下へと降りてゆき、イリヤの寝巻きに手がかかったところで、イリヤは正気に戻った。

「い、や──やめてっ!」

 イリヤはクロエを突き離す。それ程力を入れたつもりはなかったのだが、イリヤの想像に反してクロエは大きく姿勢を崩し、尻餅どころではない大転倒を見せた。依然息は荒く、彼女の思うところをイリヤは察してしまう。……今の彼女は、イリヤの力にすら負けてしまうほどに魔力が足りていないのだ。

 そう気づいた瞬間、イリヤは自らの態度に罪悪感を感じた。

「あ……ごめん……でも……っ」

 一方で、イリヤの目は潤んでいた。クロエがイリヤにやったことは、理由がどうあれ性暴力そのものだ。その被害を受けた女が一体どれだけ苦しい思いをするか。ニュースだの何だのでそういった被害者のことは知っているが、彼女達の思いをイリヤは身をもって理解した。

 イリヤは、倒れ込むクロエに近づこうとはしない。まだ、体がクロエを敵視している。家族として彼女を心配する気持ちと、彼女にいたぶられた苦しみが同居していたのだ。ひとまずは彼女を警戒し、動向を注視する。

 ……真夜中の暗闇の中で、クロエの啜り泣きが聞こえた。

「え……」

 イリヤは呆気にとられた。傍から見れば、性暴力を振るった加害者が嘘泣きして被害者面をしているように見えるかもしれない。だがイリヤはクロエと一心同体であった者として、直感できる。今クロエが泣いているのは、イリヤに拒絶されたからではない。己の内面に抱く弱さを疎んでいたのだ。

「……クロ」

 恐る恐る、イリヤはクロエに近寄る。襲いかかってくる気配はない。彼女の肩に触れ、その顔をこちらに向ける。……クロエは、美しいとも形容できる泣き顔を見せ、彼女もまた恐る恐る、イリヤの目を見つめた。

「イリヤ……私、どう見える?」

「……なんだか、辛そう。泣いてるからとかじゃなくて、もっと、こう……心が疲れてる、みたいな」

「そっか。……やっぱり、イリヤにはお見通しね」

 クロエは涙を浮かべたまま微笑む。彼女の暗い感情が消えたわけではないが、少なくともイリヤと心を通じ合わせることで、クロエの気持ちは安堵しているように見える。

「……あのアーチャーが、私にだけ語りかけて、思ったの。あいつは……”私”なんじゃないかって。私の弱いところ、愚かしいところを諫める()()()。そして私は……あいつのようにはなれない、何もかも子供のままの()()()

「そんな、愚かだなんて……」

「いいえ、十分愚かよ」

 クロエは虚空に手をかざし、剣を投影する。しかしその剣は先程のものと同じく──いや、それ以上に──弱々しい、魔力の欠乏した投影だった。クロエが手のひらに力を込めるほどに、彼女の腕は震え、呼吸が激しくなっていく。イリヤはそんなクロエの手を抑え込む。もうやめて、とでも言うように。力を失ったクロエの腕はぶらんと垂れ下がり、投影剣は形成の半ばで霧状に消えていく。

「何も見えてない。自分以外何も。あなたの唇を奪わなきゃ満足に投影もできない。凛やルヴィア、一方通行(アクセラレータ)──魔術師じゃないけれど──みたいに、自分の力で戦うこともできない。バゼットとの模擬戦だって散々。これじゃあ、私──あいつに、到底届かない」

 俯くクロエ。

 イリヤは不思議と、クロエの抱える闇が自分のことのように理解できた。カレイドステッキに頼っている限り魔術も魔力も全てが自己完結だが、自分の力が及ばないという情けなさには強く共感できる。だって──イリヤ自身、自分が間に合わなかった・気づけなかったことで友人を失ってしまったのだから。

 だが、それ以上に……イリヤとクロエが文字通り根は同じであるからこそ、通じ合うのだろう。クロエの下腹部に刻印された死痛の隷属は、イリヤの痛覚のみを一方的にクロエにフィードバックする痛覚共有の呪い。だが二人の間にはそれ以上の何かが、確かにあったのだ。

「クロ……」

 イリヤは俯くクロエの顔を引き寄せると、自ら唇を重ねた。クロエのように激しくはできない。だが今はそれよりも、クロエの心が安らぐようなキスをしてあげることがイリヤにとっては重要だった。クロエは呆気に取られたようで微動だにしない。イリヤが唇を離すと、クロエは我に返ったようにイリヤを見つめながら何度も瞬きを繰り返す。

「……そうだよね。クロ、頑張ってるもんね。それで、ほら……こんなになっちゃって」

 イリヤがクロエの手を取ると、あまりにも魔力が足りていないのかイリヤの手の中で小刻みに痙攣しているのが分かる。心なしか、彼女の手が消えてしまいそうに透けているようにさえ感じる。

「クロが襲いかかってきたのを、許すって言ってるわけじゃない。でも……クロがそう望めば、私の唇はあげるよ。クロの満足いくまで。そうして……一緒に、あいつを倒そう」

「イリヤ……──っ」

 ぶわっ、とクロエの目元から涙が溢れ出す。一瞬だけ顔を歪めたクロエはイリヤを抱き締め、イリヤがしたよりも更に強いキスをした。息苦しそうにイリヤが喘ぐ。しかしイリヤはクロエを拒絶しようとはしない。むしろイリヤはクロエを抱き締め返し、クロエが押し倒したように見える姿勢に倒れ込んだ。

 唇を離し、横たわるイリヤに問う。

「ねえ。前に、さ。キスよりも供給効率がいい方法があるって話したの、覚えてる?」

 その言葉を聞いた途端、イリヤは確かに思い出したようで、頬を赤らめる。しかしそれを嫌そうには思わず、思い出話をするように笑う。

「うん。忘れないよ、あんなの。だって私達まだ小学生なのに……、恥ずかしいったらないよ、もう」

 イリヤと同じようにクロエも笑う。ちょっとオトナなガールズトーク。二人はそんな心地だった。だが次第に、クロエはこれからすることを思い、イリヤはクロエの意図を察し、黙り込み互いに見つめ合う。

「……さっきは、ごめん。自暴自棄になってて……って、謝罪になんかならないわよね。だから、嫌なら──」

「いいよ」

「…………」

「あれは急だったから、驚いちゃっただけ。もう、クロがどうしたいかも、ちゃんと分かったから……、来て」

 そう言い、キスをするでもなく、ただクロエを抱き締めた。クロエはイリヤの抱擁を全身に感じながら、彼女の寝巻きの中に手を入れる。生気の感じられないほど冷たいクロエの手が地肌に触れ、イリヤは跳ねる。クロエが手を腹から腰、腰から背へと滑らせていく。すると……肌でも骨でもない、なにかのかたい感触を感じた。金属質な触感に、レース生地の触り心地……。

「あはは。何、寝る時もつけてるの?」

「えっ、つけないの!?」

「別に、つける人もいるとは思うけど……」

 そう言うと、クロエはイリヤの手を自らの寝巻きに潜り込ませ、胸元へ導く。イリヤの手が、クロエの()()に触れる。ごくり、と息を呑むイリヤ。

「ほら。私は、寝る時はつけないかな。邪魔だし」

「ふぅん……そ、そういうものなんだ……」

「まぁ、でも? 夜もつけてれば”形”が崩れないとは言うし?」

「くっ、崩れるほどおっきくないよ!」

 どっ、と二人は笑う。あまりにも下世話で、上条や一方通行(アクセラレータ)、士郎にさえ聞かせられないような女の子だけのトーク。だが笑いが静まり、互いに見つめ合うと……これから起こることを全身で予感し、体中が火照ってしまう。

「イリヤ……いいの? 本当はこういうのは、魔力供給の都合とか抜きに、好きなひとと……」

 クロエが問うと、イリヤはこれが答えだとでも言わんばかりにクロエの背に手を回し抱き寄せる。同じように、クロエもイリヤを抱き締める。服の上からではない。互いに服の内側に手を入れ、地肌の背中を抱き寄せる。ごつごつとした背骨が手のひらに擦れ。冷たい──もしくは温かい温度が指先から手首までを支配する。

「いいよ。だって、クロが好きだから。魔力供給の都合とか抜きにしても、初めてがクロでよかったって、思ってるもん。だから、ほら……()()()

 するとイリヤはクロエの顔を思い切り引き寄せ、唇を重ねた。今度はクロエも舌を遣う。互いの口腔をなぶるように、キスをし唾液を吸い尽くす。イリヤからも行うそれは単なる魔力供給ではなく、れっきとした愛情表現の一つでもあった。そして、二人はこれからする行為のことを思うと……このキスは嵐の前の静けさでしかなかった。本性に残る緊張をほぐすように、二人は長い長いキスをした。

 

 長く、とても長く。唇を離してなお、二人は抱き合い、触れ合った。

 朝日がそそぎ、二人の肌が明るく照らされるまで。




次回、死闘。
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