実はフュンフツェンアーチャーのくだりまでは連載開始当初からある程度のプロットは定まっていたんですけど、これ以降は大まかな出来事が決まっているくらいで間の詰め方がマジで何も分かってません
がんばります
Spell23[遺されたモノ、残ったモノ The_Ember,Ready_To_Burn.]
ある晴れた日。
昼休み、上条は校舎の屋上で寝転がっていた。誰かと昼食を共にするでもない。食べるものはささっと食べて、彼は屋上で一人黄昏ていた。彼が思い返すのは、これまでの戦い。守れなかった命の責任。そして、これからの戦いのこと。
そう、敵はまだ消えてはいない。二枚のカードを強奪していった上里翔流とその仲間達、そして何より上条をこの世界に導いた白髪の魔法少年。後者に至ってはあれ以来一度も目にしていない。果たして何を企んでいるのか、その得体の知れなさに上条は辟易とするしかなかった。
ス、と目を閉じる。まぶた越しにも、日光の光が目に突き刺さってくる。そんな中、仄暗いまぶたの裏で上条は思いを馳せる。……が、上条の脳によぎるのは、おぞましい意識ばかりだった。過度のストレスか、
「──くん……当麻くん?」
名を呼ばれ、上条は目を開ける。日の光が一気に流れ込んで、思わず開いた目を細めてしまう。光に順応し見えてきたのは、寝転がるこちらを覗き込む桜の顔だった。
「ああ、間桐……どうした?」
「ああ、いや……そろそろお昼休み終わるから、呼びにきたんです」
「もうそんな時間か……悪い、助かった」
よっと、と上条は体を起こす。……だが、不思議と立ち上がる気がしない。決して立ち上がりたくないわけではなく、脳が体を制御できていなかったのだ。──疲労。体が本能的に拒否している。だがその原因は肉体の酷使ではなく──それも勿論あるだろうが──戦いを経ての精神的困憊だった。
「当麻くん……最近、笑ってくれませんよね」
「え?」
上条は思わず顔に触れまさぐる。何てことのない自分の顔。皮脂でべたつき、しかし微かにざらざらとしている。スキンケアも何もしていない自然体の顔。まさにこの状態が
「ああ……これはその、あれだ。転入したばっかだし、試験とかもあったしさ、頭が疲れちまって」
「……そう、ですか」
上条には分かった。桜は上条の言葉を信じていない。それは決して桜が隠すのが下手というわけではなかった。きっと彼女も隠そうとしていない。上条がそれでいいのならと思う桜と、苦しいのであれば頼ってほしい・思い詰めないでほしいと思っている桜の二人が彼女の内で混在し、互いの感情を中途半端に押し留めてしまっていたのだ。彼女にそんな顔をさせてしまった上条は、自分が情けなくなった。誰かを守るために戦ってきたのに、クラスメートの笑顔一つ守れないだなんて、そんなみっともない話はないだろう。
「……あー……そっか、もうこんな時間か。悪ぃ、先行っててくれ。俺は……ギリギリまでサボってこっか、な!」
「そう……そう、ですね! あはは……じゃあ、先に戻ってます。遅刻しちゃダメですよ?」
あいよー、と上条は作り笑顔で返事をし、桜を送り出した。
上条は気づいていた。桜の微笑みも、また作り笑顔であったことに。そうさせたのは、きっと自分だ。あのクソ兄貴もさることながら、そんな彼女の安息の地になれなかった自分が情けない、と上条は思う。いや、
ふと想起するのは、彼女に触れた時の
その時はきっと、
上条の不調は、クラスの担任にまで届いていたようだ。放課後、担任に呼び出され、誰もいない教室で向かい合う。あまりないシチュエーションに思わず上条は萎縮してしまう。一方の担任は、スポーツドリンクをちびちび飲みながらリラックスしている。あるいは上条にそれを促しているのだろうか。
「ん……なぁ、上条よ。こっちとしてもあまり個人的なとこまでは突っ込みたくないんだがなぁ、みんな──特に間桐なんかは、お前が心配で心配でならないんだと」
「間桐のやつ、チクりやがって……」
「まぁそう言ってやるなよ、お前を案じてのチクりなんだからさ。……だがそれ抜きにしても、いろんな先生が心配してるんだよ。『小テストの成績は良かったのに、中間テストで急に悪化した』ってな」
と、そこで担任はバツが悪そうに言葉を詰まらせる。そうだ、中間テストの時期といえば、直近には確か……。
「……その……言いづらいんだが、お前が……森山の妹の
「……はい」
あの時期はちょうどドライツェンアサシンに関連した一連の騒ぎがあった直後で、精神的に非常に参っていた時期でもあった。勉強に身が入らないのも当然ではあるが、一連の不調は確かにあの出来事がトリガーの一つであったように上条は感じていた。
「あー……犯人の心当たりとか、顔覚えてたりとか、しないか? 散々サツに聞かれたとは思うけどさ、もし思い出したりすれば教えてほしい」
上条は静かに首を振った。嘘だ、鮮明に覚えている。それどころかずっと頭から離れずにいる。だが……言えるはずがないだろう。あいつの正体は
「……そうか……」
担任は上条から顔を背け、スポーツドリンクを口に含む。その様は、どこか上条と直面するのを避けているようでもあった。それはきっと、自分が上条を傷つけてしまわないか、そんな杞憂と恐れなのだ。
「その、なんだ。俺に打ち明けにくいようであれば、俺よりもっと親しい人に打ち明けるだけでもいいんだぞ。そういえば、小学校の方のカレン先生とよく話すのを見かけるが……」
「ああ、あの人は……俺、二年の衛宮士郎んとこに泊まらしてもらってるんですけど、その妹のイリヤの関係で、転入の時から色々手伝ってくれてて……
「マジか、俺よりも交友歴長いときたか。じゃあ、適任じゃないか? 養護教諭だから、メンタルのことについては俺よりも詳しいだろ。もっとも、俺が『カレン先生のとこに行け』って強制できる立場じゃないが……」
「ありがとうございます……親しい友人にでも、話してみます」
上条がそう言うと、担任は顔を明るくしてみせた。だが、そう言ってやる以外に道があろうか。誰に話したいわけでもない。話せるわけでもない。そんな上条の事情を知る由も無い相手に対して、果たしてどう出るのが正解なのか。人として生きる以上、誰もが避けられない行為。
「……ってことがあってさぁ」
「なンで俺に話すンだよ」
駅前繁華街のハンバーガー店。上条は帰り際偶然見かけた
「ほら、士郎はさ、魔術側の人間じゃないだろ? かと言ってオーギュストは年齢が違い過ぎて……
「話が合う、だ? 馬鹿が、俺が学校の気になってる女の話でもするように見えンのか」
「そうじゃなくてさぁ」
と、上条は声のトーンを下げて言う。決してふざけて
「……いつまで、続くんだろうな」
「はッ。逆に、いつまで続くと思ってンだ?」
彼からの問いに、上条は答えることができない。いつまで続くと思うのか、それは上条の希望的観測を問うたものだ。しかし上条の中にはそのビジョンがなかった。この苦しみがいつまでも続いて終わらないような気がして、しかし自らの独断で終わらせることもできないとわかっていて、だからこそ辛いのだ。
「こォいうモンはな、終わンねェんだよ。一度死の恐怖を体験した、一度人を殺した、その瞬間からその影がずっとついて回る」
「お前も……なのか?」
「当たり前だ。殺した
そうか、と言って上条はバーガーに目線を下す。その心理を見透かし、あるいは追求するように、
「『わからない』たァ言わせねェぞ。この世界に来る前も、お前は散々な目にあったンじゃねェのか? その上で、条件は俺と同じだ。お前にも、
「ああ、そうだ……そうだ」
だが、上条はどこか気持ちが悪かった。守るべきもの、しかしそれをなぜ守らねばならなかったのか、その実感がないのだ。……上条は、インデックスを
上条はこう思うのだ。「俺は、お前と同じなんかじゃない」。「お前の方が真っ当だ」と。しかし上条はそれを口には出せない。それはあくまで主観の願望でしかなく、客観的な観点から見れば上条と
なので上条は、手に持ったバーガーを貪り食った。何を言うでもなく、ただバーガーを食う。沈黙とは、即ち反論の放棄。上条は決してそんなつもりではなく、ただ手持ち無沙汰になってバーガーを手に取っただけだった。しかし心の奥で、上条は
「……やけ食いかよ」
「はぁ? 頼んだもん食って何が悪いんだよ」
反発する上条。が、上条は
「お前も食いたいのか?」
「あ? なンでそォなる……」
「いや、随分突っかかってくるもんだから……やるぞ? 端っこ千切って」
「いるか、馬鹿が。そもそも塩っこいモンは苦手なンだよ」
上条は
「ったく、開き直りやがって。俺は帰る。コイツはウチででも飲ませてもらう」
そう言って、彼はコーヒーのカップを持ち立ち上がってしまった。あっおい、と上条は呼び止めるが振り向きさえしない。仕方ない、あいつらしい、とは思いつつも上条は肩を下げ、小さくバーガーにかじりついた。
すると、何を思ったのか
「オイ。食い終わったら
「ん? なんかあんのか?」
「お望みの、今後の方針についての会議だ」
そうとだけ言って、
上条の肌がピリついた。明日明後日の光景を想像するたびに頭にもやがかかる。未来を想像しようとすると、状況が何も変化しないような気がしてしまう。明確に言葉にして話し合うことで、少しは見えてくるビジョンも変わったりするのだろうか。
怒りを思い出し、あるいは決意を固めるように、上条はバーガーに強くかぶりついた。
エーデルフェルト邸。集められたのは、いつも会議に使っている大部屋だった。机の上に散らばった資料の数々。それとは別に、資料に関連する証拠物件がなんと映像となって浮かび上がっていた。ホログラムのようだ。何らかの魔術だろうか。気の主らしきクロエに尋ねると、これも投影魔術の応用の一つらしい。薄いハリボテだけで材質も何も考慮する必要がないため、消費魔力は少なく済んでいるようだ。
上条、
「さて。
凛はクロエに合図を出すと、クロエの投影魔術によってホログラムが投射される。小さな人影が机の上に立つ。蒼崎青子、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ、シグマ、マリスビリー・アニムスフィア、ロマニ・アーキマンを名乗るキャスターのサーヴァント、そして上里翔流……フィーアキャスターとツヴォルフセイバーのカードを強奪し消えていった上里勢力の六人だ。
「生憎、こいつらについての有力な情報は全く出てきていない。それもそのはず、相手が悪すぎるもの。シグマとかいう魔術使いは心当たりがないけど、それ以外は面倒この上ない相手ばかりよ。第二と第五の魔法使い、
ん、と上条は突っかかった。こちらの魔術世界の知識に対して素人ではあるが、気になった点が一つ。
「”自称”第六魔法使い? 第二第五の二人は自称じゃないのかよ?」
「それについては私が」
手を挙げたのは以外にもバゼットだった。それを見て、凛は譲るようなジェスチャーをとる。
「そうね、
「バゼットお前、そんなにスゴい奴だったのか……」
「フン、何とでも言いなさい。では改めて……コホン」
咳払い一つ。そして、机の上のホログラムが上里、青子、ゼルレッチの三人にフォーカスし像を巨大化させる。その後に、バゼットは”魔法”に関する長い長い語りを始めた。
「今では知る人こそ少ないですが、我々の世界ではこういった詩が存在します。『はじめの一つは全てを変えた。つぎの二つは多くを認めた。受けて三つは未来を示した。繋ぐ四つは姿を隠した。そして終わりの五つ目は、とっくに
「五つ……? ちょっと待て、問題の第六魔法はどこ行ったんだよ?」
「そこが興味深いところ。第六魔法は存在しますが、
「マッチ一本ありゃどォとでもなる、か」
ずっと端で聞いていた
「ん、どうした、お前そんなに詳しかったのか!?」
「詳しいも何も、考えりゃわかンだろ三下が。要は、だ。”実現不可能なことが万人に可能になったから魔法はその数を減らした”ってこったろ?」
「ご明察」
バゼットは
「つまり、今ある五つ──六つの魔法は、どれも現代の技術では到底実現できない異能であるということ。まず第四は一切不明。故に『姿を隠した』。第一も不明ではありますが、現実改変や
「確かに……どれも
「第六魔法……使用者も力も全て不明。しかし、上五つを前提として、現代の技術では成し得ない業となると……学会でまことしやかに囁かれているのは、『万人に幸福をもたらすもの』であるということです」
「幸福を……」
上条は思い返す。上里の右手……ワールドリジェクター……”理想送り”。彼の言う新たな天地とは、誰もが幸せでいられるまさに
「わかったでしょ? 魔法使いがどれだけ強大な存在か。もっとも、魔法使いたり得るには
半数、と聞いて上条は背筋が凍った。しかし、同時に勝てなくもないとも感じていた。それはこの右手だ。記憶は朧げだが、上里の
と、上条はハッとする。キャスター、自称ロマニ・アーキマンという
「あのサーヴァントだ……あいつは、今まで倒してきた
「あなたの右腕に宿る
クロエがホログラムを調整し、キャスターとそのマスター・マリスビリーを全面に押し出す。その風貌は、一見マスターとサーヴァントらしくない。学者とその助手、といった雰囲気だ。
右手が──ここに眠るアサシンが疼く。彼は何かを直感していた。肉体を同じくする上条にはその意図がわかる。キャスターは……本気を出していない。それどころか戦闘形態にすらなっていない。以前の戦闘中、キャスターはずっとあの白衣のままだった。強いて言えば目の色が変わったくらいで、さした変化ではない。当然、あんな近未来的な意匠の白衣を着た人物が英霊として召喚されるはずもない──フローレンス・ナイチンゲール辺りならその偉業を認められ召喚されるかも知れないが、そもそも女であるし、魔術師ですらない。──ので、あれは外行き用の隠密形態でしかなかったと考えるべきなのだろう。
「でも、そこは飲み込めてる。ずっと
「ええ。
凛とルヴィアが二人だけで通じ合う。時計塔組の何らかの共通常識だろうか。事情に詳しくない上条は、その詳細を尋ねた。
「時計塔に存在する十三の学部……その第八席、
「時計塔の中でも
……ふと、
「天体科のマリスビリーといえば……あれかしら」
「ええ。理想魔術……最も根源的な魔術の一つ。宇宙に魔力が満ちていた神代の時代の産物。宙そのものを魔術回路として原初の魔術。現代においては、机上の空論に過ぎない……だからこそ、彼は固執しているのでしょう。……ですけれど、かの蒼崎橙子は妹の青子と違い魔術回路を継承せず、殺して奪った魔術回路を拒絶反応を避け背後に浮遊させているとも言いますから、理論的にはやはり可能なのではなくて?」
「となると、キャスターに並ぶか……下手すればそれ以上の脅威になりうるわね」
「ちょっと待ってくれ。ただの魔術師が、サーヴァント以上だって!?」
思わず上条は叫んだ。神の時代の魔術、原初の魔術……彼にはこの右手があったが、そこまで大袈裟に語られると、右手でも防げるか不安になってしまう。ただでさえ、アサシンや
「その点でも、上里勢力の戦力は私達の想像を遥かに超えてるわ。聖堂教会の埋葬機関を総動員でもしないと、対処できないでしょうね」
ここで、傍観していた
「はい、
「……上里、蒼崎、ゼルレッチ、キャスター、アニムスフィア……ソイツらが厄介なのはよくわかった。だが、シグマってやつは何モンだ? 見たところ、ありゃァ……
空気がヒリついた。
「あの人は……多分、魔術師以外を対処する要員なんだと思います。魔力も、他の五人ほど大きくない。一般的な魔術師の範疇。けれど、銃火器の類いを使いこなしている……」
「なるほど……手段を問わない魔術使い、フリーランサー、ってとこかしら」
魔術使い……。この世界における魔術師とは本来
「けど、あのメンツにとってはいいサポーターね。もともと、あれを正面戦闘要員としては雇ってないんでしょう。美遊の言うとおり、邪魔な一般人や魔術に慣れてない素人を排除する要員でしょうね。特に上条くん……あなたの右手は異能の力にしか対応できない。あなたにとって、最悪のカウンターよ」
「ああ、それは俺が一番わかってるさ。こっちに来る前からステゴロにゃ弱かったからな」
だからこそ、
上条は皆の顔色を伺う。資料を眺めつつ、不安そうに顔をあわせるイリヤたち三人。六人への対策を協議する凛とルヴィア。じっと佇むオーギュスト。一通りの資料に何度も目を通すバゼット。壁に寄りかかり、寝てしまいそうなほどに目を瞑っている
「……舞弥先生?」
上条の声に気づくと、舞弥はその顔を上げた。そして顔の面影を消し、いつものような穏やかな顔を見せる。
「ご、ごめんなさい。そんな人達と会ったら、私達なんて……と思って」
そうか、と上条は落ち着かせるような笑顔を見せる。それを見て舞弥も微笑んで見せたが、上条には彼女が快調しているようにはどうも見えなかった。
「さて、一通り目を通したところで……問題は、奴らとどう接触するかね。クラスカードを持っている以上、接触は避けられない。でも私達から接触するかと言われると……」
「難しいか?」
「ええ。力量の差がありすぎるし、これだけの大人数でゾロゾロっていうのもね。どうせまた戦うのは夜でしょ? それを、上里勢力を探し回って小学生を連れて深夜徘徊を何日も繰り返すなんて、只事じゃ済まないわよ」
その通りだ。アイリやメイド達の反応もあり、イリヤ達を下手に連れ回すのは避けたい。となると、向こうから接触してくるのを待つしかないが……。
「それしかないでしょうね……。まぁ、平和であることは決して悪いことではないわ。とは言え、くれぐれも腕を衰えさせることのないように。連中も不意打ちを仕掛けてくるタイプじゃないでしょうし、接触があるまで待つ。この方針で行こうと思うわ。……最後に、異論とか、何か聞いておきたいことがある人は?」
凛が会議の面々の様子を伺う。各自手を上げることなく、時折頷きを見せる者もいる。そんな中で、上条が手を挙げた。
「あのさ……この、戦い? っていうか……いつまで続くんだ?」
「……そうね……あなたをこの世界に飛ばしてきたっていう、魔術師の少年。そいつのことは何もわかってないし、あなたが飛ばされた時に会ったのが最後よね。だから、何も言えないけど……」
彼女は考え込む。しかし、考慮するほど情報材料も揃っていない。彼女が思案しているのは、あの少年への対策などではなく、上条へ伝える言葉選びだった。
「……少なくとも、あなたがこの世界にいるうちはずっと、かもね」
凛が言う。上条は声を出すことなく、ただ静かに頷きそれを返事とした。そんな彼の様子を見つめるのは、同じ境遇を持つ
数日して。冬木の繁華街を、家庭教師久宇舞弥は一人歩いていた。厚紙の入れ物を手に持ち、その足は心なしか弾んでいる。
舞弥の秘密その一……彼女は、大の甘党である。特にケーキの類いは衝動買い必至。好みを定めることはなく、目新しいものがあれば買う、気に入ったものは買う、興が乗れば買う、そんな純粋なまでのケーキ愛を秘めていた。
「(イチゴにモンブラン、タルト、ババロア、それに質のいい茶葉……ふふ。ですが皆、取り合いにならないでしょうか……いろんな種類を買ったのは、悪手だったかも?)」
舞弥はアインツベルン家の面々で茶会を計画していた。さまざまなケーキに、それに合う紅茶。子供達にはまだ早いかもしれないが、だからこそこの組み合わせの素晴らしさを知ってほしいと思う舞弥なのであった。
今日は人通りが多い。誰かとぶつかっても、すぐにそれが誰だかわからなくなってしまいそうだ。せめてこのケーキの箱だけは死守し、帰還しなければ……。
と、その時。
「動くな」
舞弥の腰に、冷たい何かが突きつけられた。
舞弥は静止し、冷感の方向をちらりと見る。筒状の黒い何か。自動拳銃──そのサイレンサーだ。舞弥は抵抗しなかった。この人混みの中、そしてこの至近距離で発砲すれば、舞弥の肉がクッションとなり消音効果はさらに高まるだろう。舞弥が倒れるまで、きっと誰も気づかない。
視線を、そのまま拳銃を突きつける声の主のもとへ動かす。黒いジャケットを着た青年……その姿に、舞弥は見覚えがあった。上里勢力の一人、シグマという青年だ。成る程、あのメンツでのシグマの役割とは、こういうことか。
「……要件は何?」
「上里翔流から言伝だ。次の金曜日、深夜0時。冬木大橋で待つ。人払いはこちらで済ませておく」
舞弥は眉をひそめた。想定通り、向こうから接触があったのは良い。だが、こうやって人の尊厳を踏みにじるように殺意を突きつけ、一方的に自らの都合のみを通そうとする輩は気に入らない。
ぴく、と舞弥の筋肉が強張る。特にシグマを押し倒したり撃退するつもりはなかったが、ささやかな抵抗でもしてやるつもりではあった。しかしその僅かな筋肉の痙攣をシグマは察知し、さらに強く拳銃を舞弥の腹の肉に押し込む。
「そのために
それを受けて、舞弥は抵抗の意思を消した。筋肉が弛緩し、シグマの銃口を圧迫する強張りも消える。ふと、銃口を突きつけるシグマの力が弱まった気がした。
「……金曜深夜0時、冬木大橋ですね。誰に伝えれば?」
「誰でもいい。どうせすぐ仲間内に広まるだろ」
「そうですね、皆仲が良いですから」
舞弥は怯えることなく静かに話す。それはシグマの語り口とも似た、感情を消した声色。相手に内心を察知されないため、あるいは無抵抗の意思を見せるため、彼女は感情を押し殺し応対する。その様は、決して無理をしている喋り方ではなかった。彼女は──下手すればシグマよりも上手に──見事に感情を消してみせているのだ。
そんな舞弥の態度から、合意が取れたとシグマは判断した。拳銃を離そうとした時、ふとあるものに気づく。シグマは鼻をスンスンと痙攣させ、舞弥が持つ厚紙の箱に注目する。
「甘味……なるほど、ケーキか。甘ったるい感じはしないな。どこで買った?」
「それに何の関係が? ……駅の北口を出て、通りを真っ直ぐ。開店祝いのスタンドフラワーが立っているので、すぐわかると思います」
「そうか。せっかくだ、五人にも買って行ってやるか。……冬木大橋とケーキ屋、これでおあいこだな」
そう言うとシグマは拳銃をしまい、舞弥が歩いてきた駅の方向に足を向けた。どうやら本当にケーキは買うつもりのようだ。そんなシグマを舞弥は自ら呼び止めた。
「シグマ!」
「何だ」
「……衛宮切嗣、という男をどう思いますか?」
「…………知らないな、そんな奴は」
ただそう吐き捨て、シグマは人混みの中に消えて行った。今日の通りはよほど賑わっているのか、彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
舞弥はケーキの箱を抱え、立ち尽くす。怯えることもなく、怒ることもなく、ただ無色の面持ちで、直立していた。そんな彼女さえも、人混みは水の流れのように避けていく。
午後のティーパーティーを終え、大人達は各々の仕事に、子供達はテーブルで紅茶をすすりながら談笑していた。士郎はバイトだというのでひと足先に離脱していった。残ったのはイリヤとクロエ、上条だけだ。とはいえ、このメンツで話せる話題などそう多くはなく、話題は必然的に「敵」の話になってしまう。ところどころで笑うふりをしながら、ひそひそと小声で話す。大人達、特に事情を知りつつもそれをあまり良しとしないアイリに聞かれては面倒だ。
「……あれから、音沙汰ないわね。それまでの音沙汰があったわけじゃないんだけど、いざ意識すると……もどかしくない?」
「たしかに……」
「なんか、お預けくらってる気分というか、生殺しにされてるみたいだな」
そんなことを話しつつ、三人は紅茶をすする。……イリヤの紅茶だけ、減るペースが遅い。十一歳の彼女にはまだ早かっただろうか。そんなイリヤを、クロエは子供を見下すようにほくそ笑み見つめる。それが癇に障ったのか、イリヤはヤケクソ気味に紅茶をぐびぐびと一気飲みする。
「こらこら。そんな飲み方してるとお行儀悪いわよ」
そう声をかけてきたのは、ティーパーティーの発起人である舞弥だった。家人の手伝いを終え、三人のもとへ戻ってきたのだ。
「ご、ごめんなさい……」
「先生。どうしたんすか?」
舞弥といえど、三人と仲良くして勉強を教えるだけが仕事ではない。事務作業だってたくさんあるだろう。そんな中で、彼女は空いていた席に腰掛ける。
「何の話をしていたの?」
「えっと……上里勢力が、なかなか仕掛けてこないね、って……」
「そう。……ええ、そうね」
と、舞弥は言葉を曇らせた。何事かと三人が舞弥に注目すると、彼女はしばらく間を空け、口を開いた。
「……ケーキを買った帰り、勢力の一人──シグマからコンタクトがあったの」
それを聞いて、一同はざわついた。小声でありながら、台所にいるセラに聞こえまいかというほどのざわつきようだ。
「……そ、そいつは何て……?」
「金曜の深夜0時、冬木大橋で待っている、って。あれほどの大きな橋で、丁寧に人払まですると言って……恐らく総力戦よ」
上条の右手が、ぶるぶると疼いた。アサシンの仕業ではない、上条自身の右手、その震えだ。
上里翔流、