何が起きた?
車を運転していた青年、平賀才人は困惑していた。先程まで運転していた所とは似ても似つかない様な光景が愛車のフォルクスワーゲン・パサートCCのフロントガラス越しに見えた。
鮮やかな緑の芝生、四方に広がるパレットブルーの空、そして綿雲の隙間から覗く陽光。さっきまで月明かりすら無いアスファルトの公道を走っていた筈なのに。
車の外にいる連中は、全員目を丸くしていた。しかも全員中世を舞台にした演劇に出ているかの様な衣服を身に着けている。視界の端にある石造りの建物もそうだ。
落ち着け。まず落ち着け。目を閉じて深呼吸をしながら五つ数えろ。そうすれば自分はこの夢から覚めて、先程まで走っていた道が見えて来る。だが何度やろうと景色は全く変わらなかった。認めたくはないが、これは夢でも幻でもないらしい。
エンジンを切り、車のドアを開けると、集団の何人かが後ろに下がった。
「いよいよ俺も頭がおかしくなったか?」
「いいえ。何も心配する事は無いよ。ここはトリステイン魔法学院の敷地内だ。」
集団の先頭に立っていた中年の男が前に進み出て応対した。長い杖を持ち、ローブを身に付けた彼はまるで御伽話に出て来る魔法使いの様な出で立ちのその男は驚いた事に日本語で喋り始めた。
意思疎通が出来ると言う事はここはやはり日本なのか?いや、だがそれでは周りにいる人間の顔立ちや体付きの説明がつかない。ここは一体どこなんだ?
石造りの建物の形やこの場にいる人間の顔立ちからヨーロッパらしき所である事は間違い無いが、今時ヨーロッパの田舎でも電線が通っている場所がある。それがここには全く見えない。もしかしたら無いのかもしれない。
加えて水色や赤みがかったオレンジなど、染髪でもしない限りあり得ない様な髪の色の持ち主もいる。何よりあり得ないのが、伝説上にしか存在しない様な生き物の見本市だ。梟や蛇、蛙などはまだ良いが、空を飛ぶ一つ目の謎の物体、成体の鰐程の大きさを持つ尻尾に火を灯した————確かサラマンダーと呼ばれる———トカゲ、更には青いドラゴンまでいる。
考えている間に、才人より頭二つ背丈が低い少女が彼の前まで歩いた。桃色の髪と切れ長な鳶色の瞳を持った彼女は値踏みする様に才人を眺めた。如何にも不服そうな顔に彼も気分を害さずにはいられなかったが、表情には出さず、周りの観察を続けた。
才人がこの場にいる事に得心が行かない様子の少女は杖を持った男の方に向き直った。
「あ、あの、ミスター・コルベール。」
「何だね?」
「もう一度、召喚させて下さい!」
だがコルベールと呼ばれた男は首を横に振った。
「ミス・ヴァリエール、それは出来ない。使い魔召喚の儀式はメイジとしての一生を決める物だ。やり直すなど儀式その物に対する冒涜ですぞ?君が好むと好まざるとに関わらず、彼は君の使い魔に決まったのです。」
「でも平民を使い魔にするなんて聞いた事ありません!」
桃色の髪の少女は尚も食い下がったが、コルベールは考えを変えるつもりは無い様だ。諦めがついたのか、少女は小さく溜め息をついた。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンダゴン、この物に祝福を与え、我の使い魔と為せ。」
そう言うと、才人に屈む様手振りで指示した。
もしや捕虜にでもするつもりか?もしそうならこちらも相応の答えを示そう。いや、自分と同年代の者が多数いる中でそんな事はしない。なら何だ?
中々屈まない彼に痺れを切らしたのか、少女は才人の襟首を掴んだ。咄嗟にその両手を振り払い、後ろに下がる。
「いきなり何をしやがる。」
「ちょっと、大人しくしなさいよ!契約が出来ないじゃない!」
メイジ、英語で言う所の魔法使いの類義語。使い魔。召喚、契約。
先程のやり取りの中にある重要なキーワードから導き出される答えは、才人からすれば余りに荒唐無稽で、正直目を覆いたくなる物だった。あくまで推測でしかないが、ほぼ間違い無い。
彼は自分の世界から使い魔となる様に召喚されたと言う事になる。昔読んだ事があるライトノベルもその様なストーリーがあった物が記憶に残っている。警戒のレベルを最大限に引き上げ、スラックスの下に隠したナイフに思わず手が伸びそうになったが、堪えた。
もしこの場にいる全員が魔法と言う未知の力を扱えるとしたら、少なくともこの人数で真正面からの戦闘では自分が圧倒的に不利だ。加えて他の使い魔もいる。何の変哲もない普通の動物ならばどうにか出来るだろうが、サラマンダーやあのドラゴンまでどうにかするとなると、まず勝利は絶望的だ。
「ざけんな。何で俺がそんな事をしなきゃならん?」
「何でって・・・・アンタが来ちゃったんだからしょうがないでしょ!?私だって平民を使い魔にしたくないわよ!」
「してくれなんて頼んでないし、断然なりたくもない。悪いがお前の勝手な都合に振り回される程暇じゃないんだ。やらなきゃならない事がある。お互いの為にも元の世界に送り返してくれ、可及的速やかに。」
「無理よそんなの!」
「まあまあ。」
エスカレートして行く口論をコルベールが仲裁した。
「混乱するのも無理は無い。こんな事は前代未聞だからね。とりあえず、落ち着いて話をしようじゃないか。ほら、後は自習とします!召喚の儀式を済ませたものは速やかに部屋に戻って少しでも新しい使い魔との絆を深めるように!」
生徒たちは不満を口にしつつも空に飛び上がり、その場を後にした。表情には出さなかったが、才人は内心度肝を抜かれた。やはり本当に魔法が実在する世界に来てしまったのだと、改めて思い知らされる。
「大丈夫かい?私はジャン・コルベール。このトリステイン魔法学院で教師をやっている。立ったままというのもなんだから、私の書斎で話の続きをしたいんだが?ミス・ヴァリエールも良いかね?」
ルイズは才人から目を離さないまま小さく頷いた。
彼が教師でここが学院と言う事は、他の皆は生徒と言う事になる。魔法を教える学び舎。そう言えば自分の世界でそれを題材にしたベストセラーとなったシリーズを思い出す。
「分かりました。じゃあ少し待ってもらえませんか?荷物を出すので。」
相手が魔法が使えると分かった以上、持てる武器の全ては手元に置いておくに越した事はない。彼らに渡ったら厄介な物も多いのだ。トランクと後部座席からそれぞれスーツケースとリュックを取り出すと、しっかり鍵をかけてコルベールについて行った。
二人は椅子に座ったが、才人は二人から少しばかり距離を置いて着席を断った。
「自分は平賀才人と言います。いや、この場合はサイト・ヒラガかな?」
少し考えてから名前を名乗り、コルベールと名乗った男に小さく会釈をした。
「ヒラガ・・・・変わった名字だね。身なりからして君はもしや貴族なのかい?」
黒いピンストライプのブランド物のスリーピース・スーツを着ていた為にそう思ったのだろう。
才人は顔を顰めたが、すぐ表情筋を緩めた。そうだった。周りは見渡す限りの芝生と石造りの建物。形状は兎も角、デザインはヨーロッパの中世辺りを彷彿させる。あの時代、正式な名字はそれなりの地位と権力を持っている人間でなければ持っていない。場合によっては名前すら持っていない者もいた。
「まあ、何代か前はそうだったらしいですし名家の血は流れてはいますが、自分は違います。」
「なるほど。」
「ええ。コルベール先生、で良いですか?こちらも幾つかお尋ねしたい事があります。」
「勿論構わないよ。」
学び舎である為危害を加える様な輩はいないだろうが、得体の知れない連中にこれ以上自分に関する情報を与える必要は無い。今度はこちらが情報を得る番だ。
「まず場所です。ここは一体どこですか?国の名前は?」
「ここはハルケギニア大陸のトリステイン王国、トリステイン魔法学院だが?」
どちらも聞いた事が無い地名だ。そもそも自分が知る世界にそんな国は存在しないし、君主制の国など今ではもう数えられる位の数しか無い。しかしこれで推測は確信に変わった。俄には信じられない事だが、自分は恐らく別の国ではなく、別の世界にいる。それも、本の中にしか登場しない生き物や魔法が実在する世界に。
少なくとも車を運転して帰れる様な場所ではない。
「次に確認ですが、使い魔だの契約だのと言っていましたが・・・・」
「ええ。君が想像している通り、君は使い魔としてここに召喚されました。儀式は名前の通り、召喚した使い魔と契約する事を指します。使い魔はメイジのパートナー。目となり耳となり、助けとなる存在なのです。」
「契約、ですか。物は言いようですね。」
才人はコルベールに悟られぬ様表情に出さないままフッと微かに鼻で笑った。
「契約と言うのは双方に利益があるからこそ結ばれる物。それも、双方合意の上で。召喚された側は告知すら無く見知らぬ世界で見知らぬ人間と内容も理解していない契約を結ばされ、一方的に縛り付けられる。言うなれば拉致監禁と強制労働、場合によっては洗脳も適応します。このトリステイン王国ではどうか知りませんが、うちの国だったら最高で十五年間は監獄行きですよ?動物は人間の様に言葉での意思疎通は出来ませんが、自分は人間ですからはっきりこの場で嫌だと言わせて頂きます。」
コルベールは黙り込んでしまった。今までの使い魔は人間ではなかった為そのような考えがよぎっても取り上げずにいたが、いざそれを面と向かって言われると拒絶したくなるのも無理からぬ事だ。人生を捨て、己を捨てて、見知らぬ人間に死ぬまで仕えろと言っているのだから。
「何言ってんのよ!?貴族の使い魔になることがどれだけ名誉なのかわかってるの?!」
ルイズのヒステリックな甲高い声で遂に我慢の限界が来た。
「は?名誉、だぁ?」
丁寧だった口調は一変して乱暴なものに変わり、落ち着いた表情がルイズに向けられた瞬間侮蔑と怒りに染まった。そしてルイズも明確な怒気と殺意を彼から感じ取り、全身の肌がぶわりと泡立つのを感じた。
「ざけんじゃねえぞ、クソチビ!お前は俺から自由を奪った。家族と再び会う自由を奪った。そして使い魔の契約によって行動の自由と俺が俺自身でいるという自由すらも奪おうとしている!お前が貴族だろうが神だろうがそれだけは許さない。俺の自由は絶対誰にも奪わせない。骨肉一片、毛髪一筋、命、意識、魂、これらは全て俺の物だ!」
一瞬怒りを爆発させて一度深呼吸をし、落ち着きを取り戻すと、恐怖ですくみ上ったルイズから視線を外して再びコルベールに向き直った。
「失礼しました。彼女が言っていた事は本当ですか?一度召喚されればもう帰れない、と?」
「方法が無い訳ではないが、何分そう言った前例が無くてね・・・・残念ながら、現状は彼女の言う通りだよ。」
コルベールは心底申し訳無さそうだった。
才人は溜め息をついた。荷物はここにいる間は使えるが殆どの物は補充が出来ない。特に弾丸やガソリンの消費は当分の間控えなければならなくなる。そして仮に誰にも知られていない方法があっても見つかるのはいつになるかも分からない。
「ま、想像はついていましたけどね。」
噯には出さなかったが、才人は自分が半永久的にこの世界に囚われてしまった事に落胆と怒りを禁じ得なかった。
「聞きたい事はそれで全部かな?」
「後でまた色々出てくると思いますけど、一先ずはこれで全部です。」
「では、今度はこちらの質問に答えて貰えないだろうか?」
「良いですよ。」
答えられる範囲でなら、と心の中で付け加えた。
「ではまずどこから来たのか、そこはどう言う所なのかを教えて欲しい。」
「出身は日本と言う国です。」
ルイズは才人の答えにフンと鼻を鳴らした。
「ニホンなんて国聞いた事も無いわ。どこの田舎よ?」
「この世界とは異なる世界にある国だから知らないのは当たり前だ。世襲的な特権階級は存在出来ないと言う法律が定められてからは貴族制自体が廃れた。社会的な地位は生まれよりも職業によって左右されることの方が多いな。あと、当然ながら摩耗穂存在しない。創作の中ではネタの一つに使われるが。」
「この世界とは異なる世界?それも貴族も存在しないとは・・・・・」
「証拠ならある。」
才人はポケットの中から音楽プレイヤーを引っ張り出すと、保存された曲の一つ、ベートーヴェンの『運命』を再生した。金属らしきもので出来た手の平サイズの板切れから突然オーケストラの演奏が聞こえ始め、二人は腰を抜かした。
「これは俺の世界にある機械で、音楽を情報体として保存し、いつでもどこでも持ち歩いて手軽に聞く事が出来る。ちなみにこれは魔法じゃなく、純粋に人の技術で作られた代物だ。外に停めてあるあの車もそう。馬や牛などの生き物を動力源とはしない。遥かに安全で乗り心地が良いし、機動性にも富んでいる。」
「貴族も魔法も存在しない・・・・・本当にそんな世界が?」
「じゃあおまけです。もう二つ。」
リュックに手を突っ込んで文庫本を引っ張り出すと、ページを捲って中身を見せた。当然活字は日本語で書かれているのでコルベールに内容は全く分からないが、驚かせるには十分だった。紙の質や活字で手書きでない事や、文字や文法、言語のシステムその物が全く違うのだから。
今度は手首の腕時計を外し、コルベールに見せた。
「これは・・・・何かな?針や目盛りが沢山あるが・・・・」
「これは腕時計。時刻を知り、時間を正確に測る事が出来る道具です。これも発展した人の技術のみによって生み出された。当然、この世界には無いでしょう?」
「こんな小さな物が、時計?これら全てが人の技術で・・・・?」
「はい。このハルケギニアと比較するなら、日本どころか俺の世界の国々の技術は、ほぼ全てもう軽く数百年は先を行っています。」
「すうひゃ・・・・」
コルベールもルイズも只々圧倒されていた。魔法も貴族も存在しない、なのにこれ程精巧な物を作り出せる国とは、どう言う物なのだろうか?
「で、では次に、そのニホンと言う国に貴族は存在しないと言っていたが・・・・じゃあ国は誰がどうやって動かしているのかね?」
「政治体制ですか?日本は民主制ですよ」
「民主制・・・・?つまり、国民が国を差配していると?」
「はい。国民が主導し、各地から選挙で代表を決め、話し合って国の舵を取る。魔法と言う超えられない壁も存在しない。貴族階級は大抵王政国家やその他の君主制政治体制の元に維持されているでしょう?日本には国家元首は存在しても、あくまで国の象徴ですから鶴の一声で国を動かすなんて事は出来ません。」
実際はもう少し複雑なのだが三権分立や国会などの説明を一々していたら日が暮れてしまうのでこの場では割愛した。
コルベールは眼鏡を外し、目頭を揉み始めた。まさか今日がこれ程までに驚きの連続になるとは思いもよらず、あまりの情報量に思考が追いつかずに疲れが押し寄せて来たのだ。しかし才人の話は聞いているだけで心が躍った。そんな世界が存在するなら、一度で良い、一目で良いから見てみたい。そしてその世界に行ってみたいと言う気持ちで胸が一杯になった。
「分かりました。君が別の世界から来た事は十分に証明してもらった。ミス・ヴァリエールも彼の言葉を信じるかね?」
ルイズも渋々頷いた。
「あれだけのものを見せられたら流石に信じるしかありあませんわ。でもミスター・コルベール、肝心の使い魔にする件はまだ解決していません!」
「うぅむ・・・・・」
コルベールが頭を捻って唸っている間に才人は口を開いた。
「今度は、俺自身の事を少し話します。」
どこまではぐらかせるか慎重に言葉を選ばなければならないが、コルベールは今の所自分の質問には全て納得出来る答えを出してくれた。自分が正直に答えず、後でそれが露呈すれば後々動きにくい。
「まずは親の話から。母は歴史学者、父は外交官、大使です。兄弟姉妹はいません。」
「た、大使!?」
コルベールは思わず声が裏返った。国を代表して他国との交渉に臨む大使となれば、国の未来が肩にかかった重要な役職だ。トリステインでもそう言った権限と責任を与えられる様な人間は数えられる程しかいない。貴族でないとは言え、大使の一人息子となると重要人物に変わりは無い。それが蒸発したとなれば大騒ぎになる事は確実だ。
「何よそれ!平民にそんな大役務まる筈無いじゃない!」
「務まるかどうかを見極める国家試験と言う物が幾つもある。当然、どれも高難易度だし、門は狭い。だが正々堂々試験を受けて合格すれば誰も文句は言えない。前にも言った様に貴族はいないんだ、勉強してなろうと思えば努力次第でなれる。男女の権利も基本平等だから女でも外交官や事業主になろうと思えばなれる。後はまあ、経験の積み重ねと運だな。」
「どうせデタラメでしょ!上手い事言って逃げるつもりね?!このーー」
ルイズの口から悪態が飛び出そうとした所でドアがノックされた。
「どうぞ。」
「おお、ここにおったかミスター・コルベール。中々戻って来んから気になってのう。」
「オールド・オスマン!申し訳ありません、少々立て込んでしまいまして・・・・」
入ってきたのは黒いローブを見に纏い、見事な髭を蓄えた白髪の老人だった。見てくれからして正に賢者、魔法使いといった出で立ちである。
「ん?この青年は・・・?」
「ああ、ええ、ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔なのですが・・・・・」
コルベールは今までの会話の内容を掻い摘んで話した。
「成程、確かに前代未聞な上に扱いにくいのう・・・・所でサイト君、と言ったかな?」
「はい。オスマン学院長、とお呼びすればよろしいですか?」
「うむ、好きに呼んでくれて構わんよ。父上が大使だと言っておるそうだが、証拠はあるかね?」
待っていたとばかりに才人は頷き、リュックの中から緑色のパスポートを取り出した。所々傷や焦げ跡があるが中身はしっかり読めるので問題は無い。その間に挟まれている写真を取り出して見せた。大使館の前で撮った家族写真だ。揃って正装で写っており、正門の前で撮影されている為に警備している人間、大使館、そして国旗などもはっきりと写っている。
「この建物は・・・?」
「日本とは違う国にある建物ですが、父が駐在して公務を執行する大使館、つまり仕事場です。正門前と大使館の敷地内にいる武装した人達はこの国の軍人で警備を任されています。そしてこの緑色の手帳ですが、これは公務で外国に渡航する人間に発行される物、つまり大使やその類の役職に就いた者のみが持つ事を許される身分証明書です。外交官にとって命の次に大事なものと言えます。」
父親の顔写真が載ったページを開いて家族写真の横に置いて比較させると、オスマンとコルベールは頷いて得心が行った様子を見せた。
「まあ、言っても別世界の国の制度ですし、こことは根本的に事のやり方が違いますからどうせ偽物だろう、なんて言われればそれまでですけど。」
「ちょっと待ちなさい。」
今まで黙っていたルイズが口を開いた。
「あ?」
「何でそんな重要な物をあんたが持ってる訳?それが無いとお勤めが出来ないじゃない!」
「こいつは渡航している間だけ有効なんだ。帰国してまた後で渡航する事になれば新しい物が発行、支給される。一々手間がかかるのは確かだが、安全を考慮した上での措置だ。こればっかりは万が一紛失や盗難にあったらヤバイからな。これはもう有効期限がとっくに切れた物で、小さい頃に土産として貰ったってだけさ。」
瞬き一つせずにすらすらとルイズを見据えて言い切った。
「また適当な事を!」
「これこれ、ミス・ヴァリエール。貴族でなく、この世界の人間でないとは言え名家の生まれである以上敬意は払うべきじゃ。それに流石にこれだけの証拠を見せられてこれ以上疑ってかかるのも失礼という物。ひとまずは信じるとしよう。」
「私も信じます。」
オスマンとコルベール、二人が味方についてくれたおかげでルイズは引き下がるしか無かった。
「ありがとうございます。それでは自分の身分を明らかにした所で本題に戻りましょう。使い魔の件です。やはり自分でなければいけませんか?」
「まあ、伝統じゃからのう。大きな声では言えんが、儂は正直かったるいと思っとるんじゃ。かと言って無視すれば王室がうるそうてな。こればかりは申し訳ないが動かせん。万一君が正式な彼女の使い魔でないと言う事が露見すれば、儂らの首も飛ぶでな。君の世界に戻るまでの辛抱じゃ。戻ってしまえば、使い魔も何もありゃせんからのう。」
思わず舌打ちをしそうになった。やはり譲歩はここで打ち止めの様だ。契約をせずに便宜上使い魔になると言う選択肢は完全に消えた。こうなれば賭けだ。洗脳には徹底的に全身全霊で抵抗しきる。
「分かりました。誠に不本意極まりないですが契約の件は承服します。ですが、代わりに三つ程条件を飲んで頂けませんか?彼女の使い魔になる代わりに、この世界でそこそこ安全かつ快適に暮らす為の措置を取りたいのです。」
「もう既に例外に例外が積み重なっとる。また一つや二つ増えた所で今更じゃ。この際儂の一存でどうにか出来る事ならば言うてみい。」
「ではまず、学院と言うからには図書館は当然ありますよね?」
「勿論じゃ。自慢ではないが、中々の数の蔵書じゃぞ?わしが書いたものも何冊かあるぞい。」
「でしたらそこに自由に出入りして全ての蔵書を閲覧する許可を頂きたいです。無期滞在という事になる以上、この世界の事を少しでも多く知っておきたいので。」
「ホッホッ、その程度ならば構わんよ。後で儂がサインした許可証を発行しておくわい。」
「ありがとうございます。次に、こちらに来た時に身につけている物、及び持って来た私物・所有物の一切にはこちらの意思で許可を出さない限りはこの世界にいる人間には決して誰にも手を触れさせない事をお約束ください。私物ですので管理は自分がしますが、もしもの為に。帰る際に必要な物ですし、プライバシーは侵害されて欲しくありませんから。」
「誰でもそうじゃな、承った。で、三つ目は何かな?」
「これが一番重要です。人間を召喚するのが異例中の異例との事ですから彼女と自分に監視を付けて頂きたいです。少なくとも行動を共にしている間は。」
「はあ?!あんたは別に良いとして、何で私まで!?」
「コルベール先生、使い魔の定義をもう一度仰って頂けませんか?」
「使い魔はメイジのパートナー。目となり耳となり、助けとなる存在です。」
「聞いたか?パートナーだ。奴隷や召使いではなく、パートナー。つまりは対等の助け合う存在。それを履き違えて無理やり言う事を聞かせる為に魔法を自分に向けてくるのではと思うと怖くてな。猛獣やドラゴンの様な生物ならともかく、自分は脆弱な平民、人間だ。怒りで加減を間違えた理不尽な体罰にいつか耐えられなくなって死ぬかもしれない。」
ルイズは唇を血が出るのでは無いかと言う程強く噛み締めていた。あまりの怒りに目の前が一瞬真っ赤に染まり、手に持った杖を振り上げていた。
「ミス・ヴァリエール!!」
一番近くに立っていたコルベールが彼女の手を掴み、杖の先端を別の方向に向けた。デスクの隣にある窓が格子ごと吹っ飛び、辺りにガラスの破片を撒き散らした。
「さっきから聞いてれば好き勝手言って!絶対に許さないわ!!」
「落ち着きなさい!」
ルイズが平均より小柄なのが幸いし、コルベールは暴れる彼女を抑える事に成功した。
「ほら、これが良い例です。」
才人は再びオスマンに向き直る。
「承諾して頂けますでしょうか?貴族の誇りにかけて。」
「まあ、確かにあの爆発をもろに喰らえば打ち身擦り傷程度では済まぬな。現実的な落とし所じゃ。流石に四六時中監視と言う訳には行かんが。」
「ありがとうございます。ではそれを写しも含めて、今この場で文書に起こして頂けますか?」
契約書を書き終わり、内容をしっかりと確認してからオスマンと才人はそれぞれに署名をした。
「さて、ミス・ヴァリエール、君の署名も必要なんじゃが?」
ルイズは契約書と才人を交互に睨んだ。彼の家系もここの常識に当てはめれば立場上は貴族と変わりない。唯一の違いは魔法が全く––––自分も爆発しか起こせないが––––使えないと言う点だけだ。しかし彼の言う通り、使い魔は手に入って進級出来るし留年や退学という最悪の結果は免れる。
「・・・・・分かりました。」
これ以上押し問答を続けていたら問題が解決する前に日が暮れてしまう。やっとの思いで召喚したのだから、さっさと契約を済ませてしまおう。後の問題は明日考えればいい。ルイズはそう思い、半ばやけくそに自分の名前を二枚の羊皮紙に書き殴った。
「では、契約の儀式を。」
「・・・はい。我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンダゴン、この者に祝福を与え、我の使い魔と為せ。」
そう言うと、才人に顔を近づけて彼にキスをした。離れて数秒程が経過し、才人は左手の甲が輝き始め、焼ごてを押し付けられた様な痛みを感じた。思わず声をあげそうになったが、歯を食い縛って耐え抜いた。
見ると、手の甲に妙な記号が刺青の様に刻まれていた。
「これは所謂、契約印と言う奴ですか?」
「そう、コントラクト・サーヴァントが成功した事を意味する。にしても、変わった形のルーンだね。スケッチを描いても良いかな?」
才人は無言で頷き、手の甲を見せた。コルベールはその場にしゃがみ込み、刻まれたルーンを手早く書き終わると折り畳んだ契約書の一枚を渡した。
「お手数をおかけしました。では失礼します。」
爽やかな微笑を浮かべ、才人はそれを受け取って上着の内ポケットにしまうと、コルベールの書斎を後にした。
「流石は大使の息子、と言った所じゃな。礼儀を失せずとも、肝が据わっとる。あれは良き為政者になるじゃろうて。」
「はい。」
「まっっっったくもう!!あんたの所為で散々な目にあったわ!」
ルイズは寮室に到着するまで保たず、塔を出た瞬間に爆発した。
「そりゃこっちの台詞だ、誘拐犯。」
才人はスーツケースを床に降ろしてその上に座り込み、こめかみをマッサージし始めた。
「いきなり明日をも知れぬ状況に陥ったんだ、自己の生存と保身を第一に考えるのは当然の事だろう?この契約書もその一環だ。家畜みたいに飼い慣らされるなんて御免被る。まあ、形や質はどうあれ、お互い欲しい物は手に入ったんだ。お前は召喚と契約の儀式を成功させ、使い魔が一時的にとは言え手に入った。俺はここにいる間ある程度の自由を保障された。結果オーライだろ?」
「良くないわよ!貴族の実力を知るなら使い魔を見ろって言われてるぐらいなのよ?!あんたみたいな奴が使い魔なんて、バカにされるだけじゃない!」
ルイズの目に涙が浮かび始めた。見返してやりたい一心で何度も頑張ったのに結局爆発しか起こらない。そしてやっとの思いで成功させたサモン・サーヴァントも満足のいく結果が出ず、あろうことか人間を召喚してしまった。更にコルベールとオスマンを抱き込んで勝手な契約を結ばされる体たらく。明日才人を見たら何と言われるだろう。それを想像すると悔しく、情けない事この上無かった。
ズカズカと大股で女子寮に戻り始めたが、才人は車を停めた別の方向に向かって歩き始めた。
「あんたもこっちに来なさいよ!使い魔は主人を守る存在でもあるんだから!」
「女子寮だろ?男子禁制の聖域に入れってのか?」
「つべこべ言わないでさっさと来る!」
「その前に、少し話そう。サシで。」
サイトの言葉にルイズは眉根を潜めた。
「俺も見知らぬ所にいきなり放り込まれて気が立ってたんだ。とりあえず衣食住は確保出来たし、状況は理解と整理が出来たから多少は頭も冷えた。だからこれからの為にも改めてお互いどう言う人間なのかを知り合っておきたい。美味い酒もあるし、少し飲んでお互い気を落ち着けて話そう。な?」
「・・・・・分かったわ。でも変な真似したら・・・」
「しねえよ。」
半信半疑でルイズは踵を返して車の方へ取って返した。才人はトランクを開けてスーツケースとリュックをその中に放り込むと、ボストンバッグを開いてその中から酒瓶を引っ張り出した。
「何これ?」
「ラムだ。結構な高級品だぜ、当然、まだ未開封だ。」
「でもグラスが無いじゃない。ボトルから直接飲むなんてはしたない真似、出来ないわ。」
才人は無言で折りたたみ式携帯コップを二つ取り出し、一つをルイズに渡した。
「本当はグラスの方が断然良いんだが、こいつの方が持ち運びが簡単だし、何より落としても割れない。」
ボトルを開け、才人は二人分の酒を注いだ。一服盛られているのではないかと思って最初は口をつけるのを躊躇っていたが、開封したばかりと言う事とサイトが酒を躊躇い無しに飲み干したのを見て安心し、少しばかり口を付けた。
「い、言うだけあるわね。まあまあ美味しいじゃないの。」
大した事は無いと上辺では言った物の、実際はびっくりする程の美酒だった。香りも芳醇でありながらもしつこくない。そして気持ち良いぐらいに喉をスムーズに通る。
「な、イケるだろ?こいつは二十年は熟成させてある年代物だし、そこそこ値段が張った。で、だ。お前についての率直な感想を言わせてもらいたい。」
「今度は何を言うつもりよ?」
「随分と窮屈な生き方をしてるなぁ〜ってだけだ。」
高飛車で貴族の名を傘に着れば誰にも文句を言われずに横車を押しまくれると思っている世間知らずな馬鹿女だと言う印象も勿論あったが、それは敢えて伏せておく。
「多少は仕方無いわよ、貴族に生まれた以上は周りから期待を背負ってるんだから。色々と。」
酒が入った所為か、ルイズが饒舌になり始めた。
「期待、ねぇ。お前は誰の為に生きてる?」
「誰の、為・・・・・?」
「ああ。お前に命を与えたのは親だが、その人生をどう生きるか。最終的に決めるのは誰だ?」
「私よ、決まってるじゃない!」
「じゃあ次の質問、お前の目標は何だ?」
「勿論、誰もが認める様な立派なメイジになる事よ。」
何年も見聞きして来た嘲笑と嘲りと陰口を思い出すとまた腹が立って来た。怒りとともにカップの中のラムを飲み干した。すかさず才人も自分のカップを空け、再び酒を注ぐ。
「そして今まで私を馬鹿にしてきた奴らを見返してやるの!」
「その立派なメイジってのは、どう定義される?」
「ちゃんと魔法が使える事よ!行く行くはトライアングルや、スクエアクラスの強力な魔法も使える様になって・・・・!」
「じゃあ今度は他人に認められると言う要因を抜きにして改めて聞く。お前の目標は何だ?」
ルイズは袖で涙を拭って息を整え、考え始めた。
「答えはお前がさっき自分で言ったところだぜ?」
ちゃんと魔法が使える事。才人の言葉にルイズははっとした。そうだ。他の生徒と同じ土俵に立つ。今自分が求めているのはそれだけだ。
「目標は高く持つに越した事は無いが、順番と言う物があるだろ?先に対等の位置に登り切ってからどう見返すかを考えるべきじゃないか?焦って全部纏めてやろうと躍起になった所でしくじるだけだ。」
「早いに越した事は無いの!貴族でもないあんたには絶対分かんないわ。良い?貴族ってのは舐められたらおしまいなの!見返す事が出来なきゃ一生見くびられ続けるのよ!」
再び怒りが噴火し、ルイズはラムを飲み干した。カップが空かない様に再びラムが注がれる。
「それならそれで良いじゃねえか。後でそいつら全員の鼻を明かせるだけの隠し球を仕込んでおけば良いだけだ。舐められてるなら相手はその隠し球には気づかないし、気づけない。弱者だと高を括っているからな。そう言う風に油断をしている奴程足元を掬われる。後は、じっくりと機会を伺えば良いだけだ。予想外の大逆転ほど人の印象に残る物は無いからな。」
「大逆転、ね・・・・そんなチャンスがそう都合良く転がってる筈無いでひょ。」
再び空になったカップを差し出しながらルイズは不貞腐れた。そこそこ度数が高いラムな為、ルイズも立て続けに飲んだ所為で予想以上に酔いが早く回って来たらしく、呂律も若干怪しくなって来た。
「だから耐え忍ぶんだ。お前は今までだってそうして来て今ここにいるんだろうが。でなきゃ、魔法を使えないと言う事に絶望して自殺なり出奔なりしていた筈だろう?機会は必ずある。俺が契約書を作った時みたいに。」
「じゃあ手伝いなさいよ、パートナーなんだから。あんたの事は正直好きになれないけど。」
才人は無言で三杯目を注いだ。
「俺もお前が大っ嫌いだが、帰る手段を探すのを手伝ってくれたら協力してやるよ。」
「分かったわ。」
「それでは、改めてよろしく。厄介払いに乾杯。」
こつんとプラスチックのカップをぶつけ合い、二人は無言で飲んだ。世にも奇妙な同盟の誕生である。